その舌打ちは小さな音だった。しかし、丁度太郎達の会話が途切れたタイミングであった為、その場にいた全員に聞こえてしまった。そして、自然と視線が音の発生源へと集まる。
そこにいたのは不機嫌さを隠さない二人の少女だった。最初、少女達は急に視線が自分達に集まった事で戸惑う素振りを見せたが、すぐに開き直り不貞腐れた態度を続けた。それを見咎めたクラリッサが少女達へ詰問する。
「ヴェンデル少尉、ルッツ曹長、何か言いたい事でも?」
ヴェンデル少尉と呼ばれた少女のフルネームはティナ・ヴェンデル。体格はラウラより一回り大きい。それと目つきが悪く、くすんだ金髪を無造作に後ろで括っていた。
ルッツ曹長の方はくせ毛の黒髪で若干丸顔。身長はクラリッサを同じ位だが、体つきはガッチリしておりクラリッサより大きく見える。
クラリッサの詰問にはヴェンデルが答えた。
「いえ、別に……ただ隊長に勝ったからと言って強いとは限らないんじゃないかと」
「どういう意味だ?」
ハッキリとしないヴェンデルの物言いに眉をひそめたクラリッサは、もう一度彼女へ問いかけた。
ヴェンデルは
「運が良かっただけかもしれませんし……隊長が隊を離れて腑抜けていたのかもしれませんよ。今回の帰国も、専用機を大破させて修理の為におめおめと帰って来たって話ですし」
ヴェンデルの発言内容にシュヴァルツェ・ハーゼの隊員達はざわめいた。ヴェンデルの発言はラウラに対する完全な挑発である。隊員達はヴェンデルが何故急にこんな事を言ったのか分からず、困惑していた。
隊員達はチラチラとラウラの顔色を窺う。自分達の知るラウラであれば確実に実力で黙らせる。客が来ているのに物騒な展開になっては拙い、どうすれば良いんだという隊員達の心配は意外な形で解消された。
ラウラが至って冷静にヴェンデルへ答えたのだ。
「私のコンディションなど関係ない。ましてや運が良かっただけなどという事は有り得ない。パパの方が強かった。それだけの話だ」
かつて病的なまでに強さへ拘っていたラウラとは思えないセリフである。淡々と自身の敗北を認める姿を見て隊員達は唖然となった。ラウラの変化は帰国当初から隊員達も感じていたが、まさかここまでの変化だったとは思ってもいなかった。そのせいで誰も直ぐには反応出来なかった。ヴェンデル以外は。
ヴェンデルはラウラの言葉を聞いて口元を歪めた。
「やっぱ腑抜けてんじゃん。素人に負けたってのに、何とも思わないのかよ。昔のアンタからは考えられないセリフ言っちゃってさぁ。ねえ、そんなアンタには相応しくないと思うんだけど……専用機なんて」
ここで隊員達はヴェンデルがラウラに喧嘩を売った理由が分かった。
シュヴァルツェ・ハーゼには3機のISが配備されているが、そのうち2機が隊長であるラウラと副隊長のクラリッサの専用機である。そして、最後の1機がヴェンデルの操る量産機なのだ。
しかも、ラウラの専用機であるシュヴァルツェア・レーゲンが第三世代型なのに対して、ヴェンデルの量産期は第二世代型なうえ、何時でも他の隊員が使えるように一次移行を行えない設定になっている。
シュヴァルツェ・ハーゼにおいてヴェンデルは、ラウラとクラリッサに次ぐ三人目の操縦者であるが、ラウラ達との差は大きい。何せヴェンデルの乗機は専用機ではない、それすなわち何時でも替えがきくという訳だ。
つまり、ヴェンデルはこの現状を嫌い、ラウラの地位を奪おうと考えているのだろう。
ハッキリ言って上手い手ではない。訓練中に上官へ喧嘩を売ってブチのめしたからと言って、その地位を奪えるのか。いや、有り得ないだろう。
仮にラウラが敗北したとする。隊内外からのラウラへの評価は下がるだろう。しかし、ヴェンデルへの評価も上がるどころか下がるだろう。軍隊というのは規律に厳しい組織である。ここまであからさまに上官へ喧嘩を売るような人間が評価される事は無い。
そう、ヴェンデルもまた、ラウラとは違った意味で常識知らずなのだ。これはラウラやヴェンデルだけの話では無い。シュヴァルツェ・ハーゼの隊員達は皆、生まれながらに遺伝子を弄られた試験体である。現在は一応軍【人】扱いではあるが、元々生物兵器に近い扱いをされてきた者達だ。そんな生い立ちなので、軍内部で出世する為の政治など全く知らない者がほとんどなのだ。
「アンタには専用機なんて相応しくねえーんだよ。私が替わってやる」
「そうだね。ティナが隊長になってなった方が良いよ」
なおも稚拙な挑発を続けるヴェンデルとそれに追従するルッツ。ラウラがどう対応するのか、シュヴァルツェ・ハーゼの隊員達は固唾を呑んで見守っていた。普通の軍人がこの場を見ていたら、とんだ茶番だと苦笑するだろう。だが残念ならがこの場に普通の軍人はいない。
代わりと言ってはなんだが、普通でもないし、軍人でもない者が名乗りを上げる。ヴェンデル達の前に太郎が歩み出た。
「それなら私と手合わせしてみませんか?」
思惑を邪魔されたヴェンデル達は太郎を睨んだが、太郎の方は笑顔で受け流す。
「ラウラに勝った私と戦い、もし勝つことが出来たら証明できますよ。ラウラより貴方が専用機を持つに相応しいと」
ヴェンデル達のラウラへの挑発も稚拙であったが、こちらの誘いも上手いとは言えないものだった。しかし、太郎のこれは敢えて程度の低い誘い方をしたのだ。この位の誘い方でないとコイツ等は誘われている事に気付けないのではないか、という失礼な認識から出た言葉だった。
そして、その認識はあながち間違いでもなかった。まんまと釣られた馬鹿が太郎の誘いに乗って来る。
太郎の挑発を受け、ヴェンデルが馬鹿にする様な笑みを浮かべる。
「言うねえ~。偶然ISを起動させられたからコッチ側に来ただけの一般人のくせにさぁ……まともな訓練を受けた期間も一年に満たないんだろ?」
「素人もどきが大物ぶんなよ。ティナとやる前に私が相手になってやる」
一触即発の太郎とヴェンデルの間にルッツが割り込んだ。
太郎は特に考える事も無く、それを受け入れた。最初から二人とも相手にするつもりだったので、異論など無い。
「さて、それでは何で勝負しますか?]
「これだよ」
太郎の問いにルッツは拳を突き出して言った。そして、さらに挑発するように続ける。
「まさか生身じゃ怖くてやれないなんて言わないよな?」
「はい、問題ありません。むしろ良いんですか? 体格的には私が有利ですよ」
「ヘッ、丁度良いハンデだ」
ルッツが自信満々なのには訳がある。遺伝子操作を受けたシュヴァルツェ・ハーゼの隊員達は、生まれながらに驚異的な身体能力を誇っている。しかも物心が付く前から実験と訓練を施されてきた。その為、ルッツはIS戦でも負ける気はしないが、肉弾戦ならより確実に勝てると踏んでいた。つまりルッツは、ハンデなどと口では言っているが、自分に有利な勝負へ引き込んだつもりなのだ。
今にも事を始めそうな太郎とルッツだったが、そこにラウラが口を挟んだ。
「待て、相手なら私がやろう。パパにこれ以上面倒は掛けられん」
「面倒なんてとんでもない。私がやりたいから申し出ただけですよ」
「いや、しかし……」
「まあ、任せて下さいよ。それに自分から言い出しておいて、直前で勝負から引くなんて恥ずかしい真似を私にさせるんですか?」
ラウラとしては今回の帰国にまつわる一連の騒動で、太郎に相当な迷惑をかけている自覚がある。これ以上面倒は掛けられないという思いからの言葉だった。
しかし、太郎は頑として引かない。太郎は太郎で思う所があった。ヴェンデルがラウラを挑発する際に、ラウラが専用機を破損させた事も引き合いに出していた。シュヴァルツェア・レーゲンを破壊したのは美星ではあるが、美星を制止するのが遅れた事に多少の責任を太郎は感じていた。その為、シュヴァルツェア・レーゲンの破損について責められているラウラを太郎は見過ごせなかったのだ。
読んでいただきありがとうございます。
更新が遅れてすみません。二週間程、リアルがちょっと面倒な事になっていていました。
何とかなったので次更新は今週中に出来ると思います。