第1話 第一の出会い
私は紳士であった。誰にも恥じることのない紳士だった。いや、むしろ紳士すぎて誰もが私の前では恥ずかしがるほどの紳士だった。
今日も盗んだパンツを被って走りだす。靴下と顔に被ったパンツ以外すべてを脱ぎ去り、行く先も定めぬまま街灯に照らされた夜道を走る。
なにものにも縛られない、この紳士道に足を踏み込み幾星霜。私はどこまでも自由だった。
逮捕されました。
時は少し戻る。
体の芯から凍えるような北風にさえ、滾るリビドーは負けることなく燃え上がり、今日も今日とて我が道を疾走する。そんな私に追いすがるものたちが現れた。パンダのようなツートンカラーで赤色灯が眩しい車がこちらを追ってくる。
官憲どもに追われるのも慣れたもの。私は車の入れない路地に入り込み、撒きにかかる。
その時、突然目の前に女性が現れる。
あわやぶつかりそうになったところを無理やり体を捻りながら避ける。先ほどは気付かなかったが、狭い横道があったのだ。そこから出てきたのだろう。急いでいたとはいえ怪我をさせるところであった。
「失礼しました」
謝る私に女性は先ず驚き、次に嫌悪感と怒気を現す。もう少しで怪我をするところだったのだ。怒るのも仕方のない話である。もっと真摯に謝るべきであった。
「本当に申し訳ありません」
もう一度謝るが女性の嫌悪と怒気は治まらない。きちんと許しを請いたいが、今は追われる身、あまり立ち止まってもいられない。軽く頭を下げ、走りだそうと足に力を入れる。だが走り出すことは出来なかった。
「ぐっう」
鋭い拳が私の胸板に叩き込まれたからだ。変な声が出てしまった。怒りに駆られた女性が襲い掛かってきたのだ。
「変態め、おとなしくしろっ!!」
大変ご立腹のようである。改めて女性を見る。黒髪で黒いスーツを着た凛々しい女性だった。とても美人ではあるが、同時に男前な感じも受ける。どこかで見たことがあるような気がする。
「痛い目を見たくなければ自首しろ」
女性は無造作にこちらに近寄ってくる。しかし、無造作に見えるのに隙が全くない。横を通り抜けることも、引き返すことも出来ないような気がする。横を通り抜けようとすればすれ違いざまに、引き返そうとすれば背を向けた瞬間強烈な攻撃を受けるであろう予感がする。
「女性は強くなったと言われて久しいですが、貴方はその中でも随分とお強いですね」
目の前の女性はおそらく格闘技かなにか心得があるのだろう。少なくとも今まで見た女性の中で、いや男も含めて一番強いと確信をもって言える。
「これでも世界最強と言われている」
女性の言葉は冗談を言っているようにも聞こえるが、私は逆に納得した。
「さもありなん。生身であれば私もかなり出来る方だと自負があります。雨にも負けず、風にも負けず幾多の夜を駆け抜けた。そんな私をして勝ち筋が見えないとは」
「駆け抜けた……。その格好でか?」
女性の不快感が増したような気がする。何故だ……いや、そうか!
「失礼を。いつもはネクタイをきちんと着けているのですが、今日は昼食のカレーを零してしまったので着けていないのです。一度部屋に帰って替えを着けてこようかとも思いましたが時間がなくて……」
「そうか。カレーの汚れは取れにくいからな。私もこの前汚してしまって、そのまま脱ぎ捨てておいたら弟に怒られてしまった」
なんだか女性が(´・ω・`)こんな表情になっていた。
「隙あり!」
私は女性の気が抜けた瞬間を見計らって、女性の左横を通り抜けようと踏み込むようなフェイントをいれた後、逆側へと走りその勢いのまま壁に向かって跳び上がる。そして、三角跳びの要領で壁を蹴り、より高くその身を跳ね上げた─────────
「隙などない」
会心の立体的な体捌きにも女性は対応し、自身もジャンプしながら私の左足首を掴む。そして、私はそのまま地面に叩き付けられた。流石に痛い。
「貴様は忍者か何かか?」
呆れたように女性は言う。「いいえ、紳士です」
「貴様のような紳士がいるか!!」
立ち上がろうとしていた私の鳩尾に強烈なツッコミ(アッパー)が入る。鍛え抜かれた私のボディーでなければ、内臓が破裂していたのではないかと思うような威力であった。堪らず片膝をつく。
「それにしてもタフな変態だな。下手をすれば死んでいてもおかしくない攻撃を入れているのだがな」
「ぐぐう。恐ろしい人ですね」
だが、あきらめん。そんな軟弱な精神で紳士は務まらん。片膝をついた状態から低空タックルにいく。しかし、膝蹴りを綺麗に合わされる。朦朧となりながらも両手、両足を掻くように女性の横を抜けようと進む。
「本当に信じられんタフさだな。その身体能力と闘志があれば、人の羨むような者にもなれただろうに……」
背後から腰の辺りに抱きつかれる。振りほどこうとするが、ふいに浮遊感があり次の瞬間夜空が見え……地面に叩きつけられた。
意識を手放す直前に、私はこの女性が何者であるか気付いた。見覚えがあって当然である。かつて日本代表としてIS世界大会で優勝し、公式戦無敗のまま引退したIS操縦者だ。その実力と実績から、ブリュンヒルデと呼ばれた女性である。世界の構造すら変革させて見せたIS。その最強の使い手となれば、世界最強と言っても過言ではないだろう。
運命の出会いであった。圧倒的な戦闘力に美しき姿。抱きしめられ、抑え込まれた状態で、私は人生で最高のエクスタシーを感じていた。魂の有り様まで変えてしまうような衝撃であった。
2015年10月7日若干修正しました。