魔法ニンジャ活劇   作:ダニール

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第四話

 

 

 第四話

 

 

「今何て言った?」

 

 一人の男がそう訊ねる。高価そうな椅子に座りながら、目の前の男に向かって。その声にはどことなく面白がっているような声音が含まれていたが、訊ねられた、如何にもチンピラといった風貌の男はそれをどう受け取ったのか、よりいっそう体を縮こまらせながら、震える声で応える。

 

「で、ですから、急に襲いかかってきやがったんです。黒ずくめの、マフラー巻いたコスプレ野郎が……」

 

「コミックヒーローみたいな?」

 

「え、ええそうだったかも知れません」

 

 茶化すような問いに対し、ニヤリともせず必死に頷くチンピラ男。周囲で憤りの声が上がる――ふざけているのかと。そして対照的に椅子の男は思わず笑う。

 

「そりゃいい。悪の秘密組織が存在するんだ。正義の味方がいたって何の不思議もない。寧ろ今まで出会わなかったのが不思議なくらいだ。いいね、ヒーローか」

 

 愉快そうにその言葉を口の中で転がす。何とも不思議な味わいの言葉だ。

 

「ボス、問題はそこではありません」

 

「そうか? 問題って?」

 

 面白がる男――ボス?――に業を煮やしたのか、傍にいた別の男が口を挟む。理知的な雰囲気を漂わせているが、その暴力的な本質が隠し切れていない。冷血な、なんとなく爬虫類のようなイメージを抱かせる男である。

 

「その正義の味方が誰かなどどうでもいい。問題は、他人に取引の現場を見られたということです。今までボスの得て来た情報のおかげで、現場を押さえられることだけは避けて来たのに」

 

 これが局に知られれば大きな痛手になる、と語る。

 

「にもかかわらず貴様は襲撃を恐れ自分だけコンテナに潜み、転移準備完了との信号を送った。敵の目の前で。うんざりする愚かさだな」

 

 呆れたように首を振る。他の者達も同意するのか、視線は更に厳しくなる。

 

「いや、でも、だってあんな奴が襲って来るなんて聞いてなかったから――」

 

 この期に及んで言い訳を重ねようとするチンピラ。所詮クズの一人か、と舌打ちをする爬虫類男。せっかく貴様らに儲けるチャンスをくれてやったというのに。彼は更に責め立てようと口を開くが――

 

「あーいやもういい。面倒になったよ」

 

 そう面倒臭そうに呟いたかと思うと――俯き、震えるその男に向かって、ボスと呼ばれた男は銃を構え引き金を引いた。

 

 吹き飛ぶ頭。飛び散る血液と脳みそが周囲の人間に降りかかる。突然の出来事に言葉も無い。一瞬で部屋は静寂に包まれる。先ほどまで怒りの狂っていた男たちが、一転して恐怖の表情で自分たちのボスを見つめていた。

 

「……まだ聞くことは残っていましたが」

 

「大したことじゃないだろ。あいつはどうせ何にも知りゃあしなかった。状況に変化があれば、その情報を仕入れるさ」

 

「あまり頼るのも問題だと思いますが」

 

「忠告どうも。……それより気になってたんだが、そこのサーチャーって誰のだ?」

 

 再び沈黙――そして絶叫。何者かに今の光景を見られていたことを知った彼らは、慌ててその相手を探しに外へ飛び出す

 

 泡を食う男たちを尻目に、ボスは芝居がかった動作で拳銃の銃口に息を吹きかける。そして再び懐のホルスターに仕舞いこむと、深く背もたれにもたれかかった。騒ぎなど知ったことかと、泰然自若の体で。

 

 ――そろそろ潮時かな

 

 そう内心呟きながら。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「やあこれはこれは、よくぞいらして下さいました。アヴェンタさん」

 

 クラナガンに立ち並ぶ高層ビルの中の一つ、そのエントランスにて、にこやかに歓迎の意を表しながら一人の男性が、やってきたエンダーに近づいてきた。

 

「初めまして、ヴァンキッシュさん。お忙しいところ、態々時間を作ってもらい申し訳ない」

 

 丁重に頭を下げる。その人物こそ、大企業ヴァンキッシュ・テクノロジーの社長であるルイス・ヴァンキッシュである。既に六十近くであり、顔には相応の苦労を経て来た証拠である深い皺が刻まれているが、それ以上に生き生きとした、若々しい表情を浮かべている。スーツを着こなすその体は、長身で体つきもがっしりとしておりながら、相手に威圧感よりも安心感を与えるという珍しい雰囲気を纏っている。

 

 一目見て“信用できそうだ”と思わせるその風貌は商売道具なのだろうか。そう警戒しても、つい気を許してしまいたくなるものが彼にはあった。

 

 彼の案内を受けて、社内を進む。

 

「彼女とは以前、とある学会の発表で知り合いましてね。その時から才気溢れる女性だと感心しておりました。当時、是非我が社で研究をと誘ったのですが、袖にされてしまいましてね」

 

「長い付き合いなんですね」

 

「ええそれなりに。その後も何度か連絡を取っていまして。その縁あってか、今回彼女と協働することになったのです」

 

「詳しく知らないんですが、今何を作ってるんです? あぁ、構わなければ」

 

「構いませんよ。今開発を進めているのは新型の無線通信システムを用いたデバイスの開発です。従来のものとは比較にならない性能で、ゆくゆくはエネルギーや物資の伝達もここなせるようになることを目標にしています」

 

 その技術はエンダーも覚えがあった。初めて地球に言った時に持たされていたあれだ。後になのはの手に渡り、アリシアやフェイトと次元を超えた通信手段として使われていた通信機。いよいよあれを製品化するらしい。

 

 二人でエレベーターに乗り、地下に降りていく。

 

「プレシア様と直接会うのは久方ぶりでしたが、益々美しくなっておられた。家族の話をよくしています。勿論あなたの事も聞いていましたよ」

 

「……何と言われているのか恐ろしいです」

 

「いえまぁ、愉快な形容をされていたことは確かですが」

 

「気になります」

 

「こう言っていました。“ブレーキの壊れたスーパーカー”みたいだと」

 

「どう考えても褒め言葉じゃないですね」

 

「良いじゃないですか、スーパーカー。格好良くて、ロマン溢れます」

 

「ブレーキが壊れていても?」

 

「同乗はお断りします」

 

 

 最下層に着き、エレベーターを降りる。そこは一フロア丸々が倉庫――というよりは物置――となっているスペースで、薄暗く、そこら中に何らかの製品が整理もされず並べられていた。

 

「さてアヴェンタさん。あなたはどうも珍しい物に興味をお持ちのようで」

 

「ええ。面白そうな物がカタログに載っているなと」

 

「それはきっと一つ前のカタログですな。最新のものからはスペースの無駄だとして、遂に削られてしまいましたから。こちらです」

 

 十年以上載せ続けた伝統ある製品なんですが、とぼやきながら先導する。その後に続き、積み上げられた機械の迷路を進む。

 

「売れなかったんですか。……すみません」

 

「いいですよ、事実ですから。あれは私の自慢の一品で性能は保証しますが、皆さま値段がお気に召さないようで」

 

 フロアの端近くに到着する。そこには目的の物が、カバーを被せられて静かに眠っていた。

 

「さてでは御覧あれ――実は私も見に来るのは久しぶりです」

 

 そう言ってカバーを勢いよく引き剥がした。

 

「…………」

 

「魔導師用のパワードスーツです」

 

 そこにあったのは、ケースの中で直立する人型――ボディスーツだった。黒を基調とし、如何にも頑丈そうに装甲を纏っており鎧を彷彿とさせる。

 

「これは元々魔力量の少ない魔導師の、バリアジャケットの代わりとして開発された物です。ミッドチタン鋼の積層構造で、そのままでも高い耐刃、耐弾性能を誇りますが、これの売りは何と言ってもその魔法防御力」

 

 ルイス・ヴァンキッシュはそう言いながらケースを開き、スーツの装甲を外してやる。

 

「この下の、スーツの材質なのですが、特殊な繊維を織り交ぜて作られています。ここに――」

 

 と言いながら、スーツの腰に巻いてあるベルトを指差す。

 

「――魔力を流してやると、この通り」

 

 彼の指先から魔力が放出され、ベルト中央部のシールドジェネレーターに流れ込む。するとそこからスーツ全体に向かって瞬間的に魔力が伝導するのが感じ取れた。

 

「分かりましたか? 今このスーツには魔力が循環し、擬似的にバリアジャケットとして機能しています。通常のジャケットを使用するよりも魔力消費が少なく、また繊維は厚くシールドされているため魔力漏れもごく僅か」

 

 確かに、エンダーが鈍いということもあるのだろうが、この距離でも殆ど魔力の放出が感じ取れなかった。

 

「当然バインド阻害効果も完備。設計は十年以上前のものですが、防御力だけ見れば現在の並みのバリアジャケット以上のものがあります。問題は、装着が面倒だということですかね」

 

「……売れなかったんですか」

 

「色々詰め込んだ結果、高価になりすぎてしまいまして。イニシャルコストは勿論ですが、ランニングコストも馬鹿になりません。バリアジャケットと違って魔力による修復が効きませんからね。その度に修理に出さなければならない手間と、その代金はとても前線魔導師に負担できるようなものではなかったので」

 

「周りにある、これは何です?」

 

 エンダーはスーツの周りにある装置一式を示して聞く。よく見ると、このスーツのある区画だけ他の製品とは離れて置かれており、何らかの関係を窺わせる。

 

「あぁ、暴徒鎮圧用装備一式ですな。これは閃光手榴弾、あれは煙幕弾、EMP照射装置に高電圧ロッドに催涙ガス。これは何だったかな? ……ああ超音波発振機だ」

 

「……凄いですね」

 

「私、実は子供の頃からヒーローに憧れておりましてね。いつか自分もあんな風に戦いたいと。現代においてヒーローとは魔導師の事ですが、しかし私は魔力こそあれ魔法素質はまるで無かった。そのことで昔は随分と悔しい思いをしたものです。その苦い記憶が、大人になってこのような形で噴出したのかもしれません」

 

 懐かしむように語るヴァンキッシュ社長。それにしては装備が本格的過ぎるというか、力が入りすぎているような気がする。

 

 装備の山をじっと見つめる。

 

「私からも一つ宜しいですか、アヴェンタさん?」

 

「? ええ、どうぞ」

 

「プレシア様から、あなたは管理局の後方支援要員として勤めていると伺っています。滅多に前線に出ることなどなさそうですが――管理局の隊舎では銃弾や魔法が飛び交っているのですか?」

 

 彼は冗談めかして問いかけるが、その目は真剣だった。

 

「…………」

 

 目を逸らす。彼はエンダーがただの興味本位でこれを見せてくれと言ってきた訳ではないことを察していた。

 

「……一式幾らでしたっけ」

 

「アヴェンタさん……」

 

「理由は聞かずに、と言ったら?」

 

 頑なな態度をとるエンダーに、ルイス・ヴァンキッシュは首を振りながら大きく溜息をつく。

 

「私には技術者としての責任があります。大切なのは何を作ったかではなく、どう使うかだ。アヴェンタさん、これは武器だ。容易に危険な存在になり得る。あなたがどうしてこれを必要としているのか、せめて聞いておかない限りはとてもお売りできません」

 

 ヴァンキッシュ社長はそう言って断固拒否する。とても説き伏せられそうにないし、嘘で誤魔化せるとも思えなかった。

 

 目の前の装備を改めて見直す。これらがどうしても必要という訳ではない。無ければ無いでやりようはある。しかしこれらが使えれば、今エンダーのやっていることも大分楽になるだろう。

 

 ――どうする? 話してみるか?

 

 思わず自分の正気を疑う。自分は、この初対面の男にあの犯罪紛いの活動の片棒を担げと言うつもりなのか? 大企業の社長に。しかも彼はテスタロッサ家とも繋がりがある。考えるまでも無く、却下すべきだ。装備は諦めよう。

 

「……信じるかどうかはあなた次第ですが」

 

 にもかかわらずエンダーの口からは事情が明かされた。自らの知る“真実”がだ。どうしてそんなことをしたのか。この時のエンダーには自分でも理解できなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 深夜、クラナガンにある総合病院。消灯され、見舞客はとっくに帰り、少数の夜勤の人間以外は寝静まりったそこに、異様な人影が入りこんでいた。

 

 張り巡らされている警報装置を物ともせず易々と内部に侵入したその影は、そのまま適当な診察室に侵入する。そこにあるパソコンに接続しデータベースに侵入すると、患者のカルテを探し始める。目的のものはすぐに見つかった。現在入院中の患者のもの。とある女性。意識不明。原因は薬物の過剰摂取。薬の種類――シオライト。

 

「…………」

 

 それを確認すると影は自らの侵入記録を綺麗に消し、パソコンの電源を落とす。そして部屋の窓から外へ出ていく。ご丁寧に“外から”鍵をかけていって。その姿を、診察に来た子供の為に用意したぬいぐるみだけが、その虚ろな視線で捉えていた。

 

 次に影は敷地の端にある特殊病棟を目指す。様々な特殊な事情を持つ患者が集められている棟だ。その壁面を音も無く這い上り、ある部屋の窓の外まで来ると、暫くじっとし、中の様子を窺う。物音が聞こえないことを確認すると、窓の鍵を開け音もなく侵入した。

 

 そこには五人の人間がベッドで眠っていた。男三人に女二人。どれも若い。全員静かに眠っている――いや、意識を失っている。彼らは生命維持、治療用の機械に繋がれているが、モニターに表示される情報から鑑みるに、その内四人は無事目を覚ます可能性がかなり低いように思えた。最後の一人――女性だ――は、他に比べて比較的安定している。放っておいても暫くすれば目を覚ましそうだ。

 

 影はドアの近くまで行き、外に人がいないこと、近づいてくる気配もないことを確認する。そしてベッドの一つ――症状の軽い女性に近づき、彼女に繋がれている機械に触れると、一言二言声を漏らす。少し待ち、次は腰に手を当て、そこから何らかの装置を取り出す。それはチューブ状になっており、その片方を自分の腕に突き刺し、もう片方を眠っている女性の腕に刺す。そして中ほどにあるスイッチを押すと、その管を通じて血液が女性に少しづつ流れ込んで行く。

 

 三十分後。身じろぎ一つせずベッドの影に蹲っている影の前で、昏睡状態にあった筈の女性が軽く呻き声を漏らす。影は即座に立ち上がり、女性の顔を覗きこむ。少しして、彼女の目がゆっくりと開かれた。

 

「誰……?」

 

 か細い子で問いかける。真っ暗な部屋の中、横たわった自分を覗きこんでいる存在がいることだけは感じ取れた。暗闇の中で鋭く光る赤い瞳が、自分を見つめている。

 

「君に聞きたいことがある」

 

 影が口を開く。妙に濁った声だった。朦朧とする意識の中、彼女は一つの答えを見つけた。

 

「あなた……死神……? 私、死んじゃったの?」

 

「君は何を見た。あの日何処にいたんだ。教えてくれ」

 

「私……私、あの人達に、何かを……」

 

「その前だ。君はどこで、何を見た?」

 

「あ……あ、私、あの日……」

 

 女性は途切れ途切れに話し始める。大部分は関係ない話で、何を言っているのかも分からなかったが、影はその頭の中で必要な情報を繋ぎ合わせ、彼女がどんな目にあったのかを大まかに理解する。

 

 話が終わると、影は繋がっていた管を外し仕舞うと、彼女に背を向け窓に向かう。その背に、女性は小さく問いかける。

 

「あ、あなた……誰?」

 

 その問いに、人影は首だけ捻ってこう答えた。

 

「影に名前など無い」

 

 彼はいなくなった。音も無く。まるで最初から存在しなったかのように。残された女性は、自分に何が起こったのかを理解することも無く、再び意識を沈めていった。先ほどまでとは違う、覚醒が保証されている眠りへと。

 

 

 数分後、送られてくる患者のデータが突然変化したことを知った看護師たちが部屋に駆けつけてくるのだが、そこに何者かが侵入していた形跡は何処にも無かった。

 

 

 

 

 クラナガンの大学生五人が意識不明の重体。原因は麻薬の過剰摂取と思われる。先日、そのようなニュースがミッドチルダに流された時、エンダーはそこに不審なものを感じ取った。

 

 麻薬が何故売れるかと言えば、その依存性故だ。麻薬商売とはリピーターを大切にする。せっかく捕まえた顧客を潰してしまっては商売にならない。その点この組織は上手くやっていた。どの販売所でも一度に買える麻薬の量は上限が厳しく設けられていたし、大量に買いだめしようと思えないほど価格も高かった。

 

 だからこそ、意識不明の人間が、それも同時に五人も現れるということがどうにも引っかかった。過去に麻薬を使用した形跡の無い学生五人。“羽目を外した”にしてはやり過ぎだ。

 

 彼らは自分の意思で麻薬を使ったのではないのではないか。エンダーはそう考えた。何らかの事件に巻き込まれた結果、口封じとして薬漬けにされたのではないかと。確証があった訳ではない。それを確かめるために深夜の病院に侵入し、本人から直接聞いてきたのだ。

 

「あの子がそんなことをする筈がない」ニュースになった際彼らの内の誰かの母親が涙ながらに語っていた。不信と好奇心の視線に晒されながら。

 

 だがそれは事実だった。彼らは“見てはいけないもの”の見たのだ。その結果、五人はその場で殺される代わりに薬漬けにされ、生死の境を彷徨っている。いや、少なくとも四人は死んだも同然だろう。

 

 麻薬。その脅威は確実にミッドチルダの人々の生活を脅かし始めていた

 

 

 

 

「結局のところ私達一般人には、どんな事件が起ころうが、誰がどうやってそれを解決しようがどうでも良いのです。自分と無関係のところであってさえくれれば。あなたがこの騒動を納めてくれるというのなら、それに反対する理由はありません」

 

「私が信用できると?」

 

「“私には人を見る目があるから、あなたが信用できる人間だと分かった”……などと戯言を言うつもりはありません。実際私にそんな便利な力は無い。だが秘密には秘密で報いなければなりませんから。あなたの話は、それだけの価値があった」

 

「同乗は断ると仰っていたのに」

 

「秘密にしておりましたが、実は私スーパーカーが大好きでしてね。今でも休日になるとサーキットに出て“ぶっ飛ばして”いるのですよ。ブレーキがないのも良いスリルです。……それは置いておいて、ともかく、私も過去幾人も存在した愚かで無責任な技術者と何ら変わりがないということなのでしょう。自分の作ったこの装備が、果たしてどこまで通用するのか知りたくて仕方がないのです」

 

 技術者の責任が聞いてあきれる――彼はそう言って空しく自嘲した。

 

「…………」

 

「まあ、年寄りの気紛れだと思っておいてください。あなたは私がスーツを売らなくても、その活動をやめる気はないのでしょう? 若者が必死に戦おうとしているのに、何もせず見ているだけというのも情けないものですから。……それで、他に何かご要望は?」

 

 冗談めかして――何かを誤魔化すように?――協力を約束するヴァンキッシュ社長に対し、エンダーは少し考えた末こう言った。

 

「デザインの変更って出来ますか」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「使い魔ってみんな美人だよな」

 

「はぁ」

 

「しかも契約者のことをご主人様って慕ってくれる。これで何の下心もないなんて言う奴は男じゃない。頼めばどんなことでも聞いてくれる美女。素晴らしいよな」

 

「……はぁ」

 

「そういう訳で俺も使い魔を作ってみたんだよ。これが苦労してなぁ……」

 

「……それ、言っちゃあ駄目なことなのでは」

 

 今、エンダーの前で熱弁を振るっているのは、エンダーと同じ部隊に所属している先輩、デイリー・ブラウン・“ザ・ファイブ”准尉、二十五歳である。身長190はある長身に、魔導師にしては珍しいぐらい鍛え上げられた肉体。よく日に焼けた浅黒い肌に短く刈り上げられた髪形。その厳ついシルエットとは対照的な茶目っけを感じさせる表情が特徴である。エンダーはある日の休み時間突然この先輩に捕まり、食堂まで連れて来られて話相手をさせられていた。

 

 因みに名前のザ・ファイブは自称である。何でも五人兄弟の末っ子だからだとかなんとか。自己紹介の際その左肩の“5”という刺青とともにそう教えられた。

 

 彼とは今までそれほど親しくしていた訳ではなかったのだが、どういう風の吹き回しだろうか。そんなエンダーの内心を気にかける様子も無く、デイリーは自らの武勇伝(?)を語るのに忙しくしていた。

 

 

 彼は軽く語っているが、その内容――私的な理由による使い魔の作成――については時に深刻な問題として扱われるほど厄介な話であり、今なお明確な解決策存在しないものだ。

 

 元々使い魔とは、魔導師の簡易的な労働力として発明されたものだ。その為目的を果たした時にはそのまま契約を解除し、消滅させるのが一般的な使い方とされている。だが、使い魔作成技術の発展に伴い、相応の技量を持った魔導師の手によって生み出される使い魔は、高度な自我、知性を持つようになった。ならば彼らにも人権を認めるべきではないか、というのが問題の本質となっている。

 

 現在では一定以上の能力を持つ使い魔には相応の人権、地位が与えられるようになっている。が、その「一定以上」が何を基準にするかについては今でも議論の的である。

 

 さて、そんな扱いの難しい使い魔問題なのだが、彼らを作成しようとする魔導師の中には、彼、彼女達を自らの欲望の捌け口として作成しようとする輩がいる。明確な理由は不明だが、使い魔というのは人間形態になると並み以上の美形になる可能性が非常に高いのだ。しかも自分を無条件に慕ってくれるともなれば、不純な思いを抱いてしまうのも仕方なくはあった。

 

 しかしそもそも人型になれるような使い魔を作成できるような魔導師はごく少ない。にもかかわらず挑戦する人間は後を絶たず、その為には自ら素体となる動物の殺傷まで行う魔導師もいるというのだから頭が痛い。

 

 ある町では、町から犬や猫が消えたと住民の間で騒ぎになり調べてみると、ある魔導師が自らのハーレムを築くために片っ端に動物を捕獲していたといった事件があった。発覚の原因は、作成に失敗した際に残った大量の動物たちの死骸から発せられる腐臭であったという。

 

 

 と、早急な法整備が望まれる問題であるのだが、管理局員の身でありながら平然とそんなことを口にしてしまうのはどうなのだろうか。エンダーは唸る。こう見えてこのデイリー・ブラウン准尉という男は優秀な局員である。その卓越した射撃技術、犯罪者に対する一切の妥協なき姿勢は、良くも悪くも有名である。

 

 何とコメントしようか悩んでいると、食堂内が俄かにざわつく。何だろうと入口のあたりに視線を巡らせてみると――そこでエンダーは目を見張った。今まさに食堂に入って来た女性が――とんでもなく美人だったのだ。彼女は一時食堂に視線を走らせると、こちらに向かって歩いてきた。白い肌に、まるで輝くような銀色の長髪を靡かせ、服の上からでも分かるその均整のとれた身体を静かに進ませていく。彼女はエンダーの目の前まで来て、その歩みを止めた。

 

「ようヴィラ。遅かったな」

 

「申し訳ありません、デイリー。手続きに時間がかかってしまいまして」

 

 その女性に、デイリーは気安く声をかける。

 

「初めまして。私“ヴィラ”と申します」 

 

「さっきまで話していた俺の使い魔だよ」

 

 ほっそりとした神秘的なその美貌を緩ませ、彼女は自己紹介する。エンダーも慌てて立ち上がって名のりながら会釈する。彼女はそのままデイリーの横に腰を下ろした。

 

 それにしてもこの人が先ほどまで話に出ていた准尉の使い魔なのか。彼が自慢げにしているのも頷ける。美人を見るのは初めてではないが、彼女は頭一つ抜けていた。……と、言うことはブラウン准尉はこの人と……? それは何と言うか、素直に羨ましい。

 

「違いますよ」

 

「え?」

 

「私とデイリーはそのような関係ではありませんよ、ということです」

 

 ヴィラは微笑みながらエンダーの勘違いを正した。まさか考えが顔に出ていたのだろうか。不意を突かれた混乱と、下世話な勘ぐりを見透かされたバツの悪さでエンダーは顔を赤くする。当の本人はそんなエンダーを気にすることなく、変わらず柔らかい笑みを浮かべている。彼女の金色の瞳に見つめられると、どうにも落ち着かない。

 

 そして相変わらずデイリーはそんなエンダーの気も知らずに語り続ける。

 

「そうなんだよなぁ……不思議なことに。正直ヴィラの容姿なんて好みど真ん中なのに、何故かそういうことする気にならないんだよな。あんなに苦労したってのに……」

 

「使い魔と主の間には契約の絆がありますから。案外それが理由なのではないでしょうか」

 

 不思議がるデイリーに、ごく真面目に返すヴィラ。話の内容はとても本人の前でするものではない気がする……。

 

 周囲から好奇の視線に晒されながら、自分勝手に喋り続ける先輩と、ニコニコと微笑み続けるその使い魔の女性を前にして何とも微妙な気持ちになるエンダー。

 

 その彼女、ヴィラは今日から管理局で仕事を始めることになるのだという。これから顔を合わせる機会も増えるだろうからどうぞよろしく、と丁寧に頭を下げられた。エンダーとしてはこちらこそどうぞ、と応える他ない。

 

 この不思議な人たちに付き合わされ、その日の休み時間は過ぎていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 夜。町から殆どのライトが消え、二つの月と星明かりだけが町を照らしている。人気のないクラナガン商業地区。その中でも一際高いビルの屋上に一つの人影があった。夜風にマフラーをたなびかせながら下界を冷たく睥睨する赤い瞳。マスクで顔を隠し黒装束を纏ったその姿は夜闇に溶け込み、不気味に佇んでいる。

 

 深夜――人々が寝静まった世界。“エンダーの時間”。

 

 視線の先には一棟の雑居ビル。深夜だというのにまだ人がいるのか、ライトが点っている。

 

「…………」

 

 例の大学生五人組は、どうやら知る人ぞ知る不良グループだったらしい。中に魔法素質を持つメンバーがいたらしく、その人物がサーチャーを使って会社のオフィスなどから情報を盗み出して、それをネタに脅迫するなどの問題行為を行っていたらしい。本人達は軽い悪戯のつもりでやっていたらしく、仮に相手が要求に応じなくとも情報をばら撒いたりする、ということはしなかったのだと。「偉そうな顔してふんぞり返っているオヤジが慌てふためくのを見るのが楽しい」とのことだ。

 

 その日も、彼らは一つのビルの中にサーチャーを飛ばしていた。最近店を構えたらしい新入りだ。こんな都会に自分で店を持てるような人間など、どうせ碌でもないことに手を染めているに違いない。ちょっと脅かしてやるのが町の為だ。などという妙な義憤心と興奮を感じながら、建物の奥へとサーチャーを滑らしていく。

 

 最初に異変に気付いたのは、その魔導師だった。そのビルでは社員と思われる人間達が何やら集会をしていたが、その雰囲気がおかしかった。一人の男を囲み、何やら責め立てているように見えたという。今までにも多くの社会人を盗み見してきたが、彼らは何と言うか――違った。もしかしたらヤバい人たちなのでは――彼らがそう悟った時、その真ん中の男が撃ち殺された。そしてあまりの出来事に呆然としている内にサーチャーが発見される。

 

 以降のことは――あまり思い出せない。悲鳴、怒号、苦痛、哀願。その連続。そして意識が闇に包まれる。

 

 エンダーはその情報から、そのビルこそが敵の重要拠点――少なくともその一つ――なのだと考えた。シオライトを使用したことから彼らが組織の人間であることはまず疑い無かったし、そうであるならば行動パターンがこれまでと一致しないことが怪しい。今までは拠点の位置を嗅ぎつけられたと悟るや否や、一目散にそこを引き払っていた。にもかかわらず今回は、目撃者を薬漬けにして口封じを計っている。簡単には場所を移せないということだ。

 

 ミッドチルダの中心も中心に拠点を構えるとは大胆不敵も良いところだが、考えようによっては理にかなっているとも言える。日夜人や物の出入りがあっても不信がられない場所という意味では最適なのだろう。

 

 ようやく巡って来た二度目の機会。決して逃すまいと決意を固め、エンダーはその身を宙に躍らせた。

 

 

 

 

「やれやれ眠くなって来たぜ」

 

「おい、滅多な事は言わない方が良い。先週の事を忘れたか? 次あんなことがあったら俺たちも撃ち殺されちまうぞ」

 

「あ、ああ分かってるよ。ちょっと口が滑っただけさ……」

 

 深夜のビル内、一フロアだけ明かりのついたそこを、二人の男が警備していた。警備員の制服を着用し、一見それらしく見えるが、その実この場所を拠点とする犯罪組織の一員であった。先週学生が偶然内部の盗撮に成功してしまい、以降警備体制が見直されるようになったのだ。彼らはこのまま朝方まで見回りを続けることになっていた。

 

「しかしちょっとキツイぜ。悪い、眠気覚ましに風に当たってくる」

 

 足取り重く非常階段の方へ歩き去る男。溜息をつきながら仕方なく見送る。

 

 

 数分後。一向に帰ってこない相方を探しにもう一人の男も非常階段の辺りまでやってきていた。相手はすぐに見つかった。外へ出て、階段の手すりにもたれかかっている。

 

「おい何時までサボってるつもりだ、このクソったれ。こんな所ボスに見られたら、俺まで頭を――」

 

 と声を潜めて罵倒しながら、相方の肩をがっと掴む。――すると、その男の身体はまるで抵抗なくその場に崩れ落ちた。

 

 は? 何だ? まさか眠ってんのかこいつ――と呆気に取られながら引き起こそうとする。その瞬間、頭上から人影が襲いかかった。

 

 

 首筋に手を当て、電流を流す。全くの不意を突かれた男は、何が起きたかもわからないまま意識を失った。それを確認すると、影――エンダーは開いたドアから中へ侵入する。すぐさま腰に巻いたユーティリティベルトの右側に手を触れる。するとベルト内部に広がる圧縮空間より、収納された装備が取り出される。大きめの手榴弾のような形をしたそれの上部についているスイッチを押す。すると周囲の明かりが一瞬明滅したかと思うと、完全に消えてしまった。フロアが騒がしくなる。突然の停電を、他の連中が不信に思ったのだろう。エンダーは暗闇と化した廊下を進む。悠然と歩きながら。

 

 すぐ先のドアから男が二人飛び出してくる。それぞれ手に拳銃とライトを手にしているが、未だに事態を掴みかねているのか動きが鈍い。エンダーはそのまま彼らに歩み寄る。そのライトが近づくエンダーを捉えた瞬間、瞬時にその二人を殴り倒し昏倒させる。

 

 その直後、微かな気配に反応して咄嗟に身を伏せる。間一髪、頭上を魔力弾が通り過ぎていった。視線を上げると、そこには杖型デバイスを構えた男が一人。

 

「おい貴様! どこのどいつ……うおぉっ!」

 

 すぐさま背中の刀型デバイスを引き抜き飛びかかる――即座に展開されたシールドで防がれる。気にせず全身に力を込め、敵を押し込み、バランスを崩させる。その瞬間エンダーは跳ぶ――そして体を反転させ天井に足を着くと直後に天井を蹴り、更に体を反転させ着地――敵の後ろに回り込む。こちらを見失った相手の首筋に打撃とともに電撃――意識を奪う。

 

 更にもう一つの気配。奥の部屋にいる男が、マシンガンらしきものを構えてこちらを狙っている。次の瞬間乱射を始める男――意に介さず正面から突っ込む。一瞬で懐まで踏み込むと、その勢いを殺さずにタックルをかまし相手を吹き飛ばす。後ろにあったドアごと弾き飛んでいく男。その後に続いてエンダーも部屋に飛び込む。

 

 ――その部屋には一人の男がいた。スーツを着たその男は、窓際に備え付けられたデスクの奥で、完全に不意を突かれたという表情で佇んでいる。部屋の調度の質からしてこの会社の社長――組織の幹部クラスか。壁に叩きつけられた男は意識を失っている。脅威にはならない。そこまでを一瞬で判断する。

 

 だがその一瞬は敵にとって動揺や混乱を消し去るに足る一瞬だった――驚くべきことに。エンダーがスーツの男に意識を戻したその時には、敵はまだ棒立ちのままだった。が、次の瞬間男はその懐に手を突っ込んだかと思うと、そこから大口径の拳銃を取り出した。速い――そしてそれ以上に滑らか。エンダーが踏み込むよりも先に銃を構えたその男は、碌に狙いをつけた様子も無く一息に五連射する――だというのに放たれた弾丸は、二発は右手に、一発は額に、もう二発は胸部――心臓に、狙い違わず命中した。その一連の一部の無駄もない、最早美しいとすら形容できる動きに、自らが撃たれている立場だということすら忘れてエンダーは感嘆した。とんでもない射撃手だ。

 

 被弾の衝撃でデバイスが弾き飛ばされる。男は自らの放った弾丸の軌跡を確認することも無く、開いた窓から身を躍らせた。

 

 だがこの程度で堪えるエンダーではない。取り落としたデバイスには全く気を取られることなく窓際まで走り込み、そのまま半身を外に投げだすと同時に左手を下に突き出す。体内の魔力が手首の制波装置で安定化され、深紅の魔力糸となって射出される。それは未だ落下の途中だった男に絡みつくと、その体を引きとめる。そして同時に糸を高速で巻き上げる。

 

 しかしその状態でも動揺もうろたえもせず、体を捻って射線を確保しようとするこの男はやはり只者ではない。だが流石に遅い。その銃口が再びこちらを捕らえた時には、既に糸は殆ど巻き戻され、エンダーと男の距離はゼロに等しくなっていた。エンダーは突き出された拳銃を右手で払いのけると、その顔面に向かって強烈な頭突きを食らわし、部屋の中に放り込む。

 

 呻きながら倒れ伏す男。油断なくそれを見つめながら、周囲の反応を探る――動きなし。制圧を完了した。

 

 

 

 

 痛みに顔をしかめながら、男が目を覚ます。それを確認し、エンダーもその前に歩み出る。このビルでそのまま尋問をすることにしたのだ。上下には既に人はいないし、そしてこのフロアは非常識なほど防音対策が取られている。先ほどの銃声も殆ど漏れなかっただろう。無論長居は禁物だが。

 

「……?」

 

 男は少しの間ぼうっとしていたが、やがて自らの体がワイヤーで縛られ身動きが出来ない状態なのを知ると、怪訝そうにそれを見つめた。そして目の前に黒ずくめの謎の男が歩み出てくるのを見ると、一瞬不思議そうにし、その後納得したように頷いた。

 

「仲間は全員捉えた。抵抗は無意味だ。貴様には聞きたいことがある」

 

「……何と何と、本当にいたのか。驚いたねぇ。この稼業もそれなりに長いが、あんたみたいな奴には初めて出くわすぜ。スーパーヒーローってやつかい? これは貴重な体験だな」

 

 こちらの言葉には反応せず、愉快そうにエンダーに語りかける男。そこには捉えられた焦りも、屈辱も、諦念も見当たらず、現状を素直に面白がっているようだった。

 

 エンダーは眉一つ動かさずに、男の脇腹をつま先で蹴り上げる。苦痛に身をよじり、大げさに叫び声を上げる。

 

「おいおい! 捕虜への暴行はなしだろ。犯罪者にだって権利があるんだぜ。弁護士を呼んでくれ、弁護士を」

 

 おーい、と人を呼ぶように声を上げる男。そのふざけたような姿にはエンダーも内心眉を顰める。

 

 改めて男の姿を見返してみる。一応身だしなみに気を使っているのか、髪を撫でつけ、髭も無い顔。しかしスーツを着てなおチンピラにしか見えない軽薄さ。一見若いように見えるが、その実四十は超えているだろう。所々に年相応の“疲れ”が見てとれる。それでも若く見える理由はその纏う雰囲気の軽さだ。――人生を捨てた者特有の軽薄さだった。

 

 不満そうにジタバタと蠢く男の鳩尾に蹴りを食らわせ、今度こそ黙らせる。

 

「黙れ。そして聞け。お前は何者だ」

 

「ぐ、ぐぇっ、ごほっ……な、何? 俺が何者かだって? 知ってて捕まえに来たんじゃねぇのか? 俺こそは今まさに世間を賑わわせてる麻薬組織のボスだぜ。暗黒街の帝王ってヤツだ」

 

「…………」

 

 その口から飛び出したのは予想外の言葉。こいつが……目の前のこの男が組織の頂点? 流石にエンダーも一瞬言葉を失う。都合が良すぎる。本当だろうか。

 

「……なら答えてみろ。あのデータは何だ。お前たちが各地のパソコンに残しているデータの断片だ。どこで手に入れた? 何故あんなことをしている?」

 

「……? データ?」

 

 本当に不思議そうな顔をして聞き返す。エンダーの内心に苦いものが広がる。ボスというのが真実かどうかは知らないが、こいつも知らないのか。

 

 なら一体誰が……と考え始めるが、そのエンダーの前で男は、何かを思い出したかのように目を見開いた。そして理解の色が顔に広がる。

 

「何だ?」

 

「データ……そうデータ、あのデータか! おいおい全く驚いたな。これこそまさに“本当にいたのか”ってやつだぜ。俺自身すっかり忘れてたくらいだってのに」

 

 混じり気なしの愉快さでもって、男は笑い始める。これは痛快だなと呟きながら。

 

「おい、知っているんだな? 答えろ」

 

「あぁ、あぁ。やれやれ全く。……あれは人に渡されたもんだよ。取引さ。可能な限り広範にばら撒いてくれって頼まれてな」

 

「それは誰だ。言え、今すぐ!」

 

 思わず胸倉を掴み上げて持ち上げる。

 

「お、おい、おい! 待て落ち着けって! 話してやるよ、別に口止めなんてされてねぇんだ。だから下ろしてくれって」

 

 苦しそうに懇願する男。それを見てエンダーも冷静さを取り戻す。手を離すと、男は咳きこみながら悪態を吐く。

 

「…………」

 

「分かってる、分かってるって。そう睨むな言うよ。……でもその前に、俺からも質問させてもらっていいか?」

 

「……何だ」

 

「あんた一体なんでこんなことしてるんだ? まさか本当にあのデータの為? あれ如きの?」

 

「だったらどうした」

 

「いやいやちょっと残念だと思っただけさ。奇特だともね。正義の為だとか、人々の安心と平和の為、もしくは自分の悪を憎む心の為だとか言ってくれた方がまだ納得できるってもんだよ」

 

「……そういうお前こそどうしてこんなことをしている。麻薬売買など」

 

「生きていくためさ。それしかないだろ」

 

「他にも道はあるだろう」

 

 そう言うと、男は顔を上げエンダーの顔をまじまじと見つめる。そして今まで軽薄さで塗りつぶされていたその表情に、初めて別の感情が浮かんだ。嘲笑だ。

 

「おいおいアウトロー気取ってる割に、中身はお坊っちゃんだって訳か? 傑作だな。そんな言葉を聞くことになるとはね。他の道、か」

 

 男は笑った。愉快さの欠片も無い、深淵から響いてくるような笑い声だった。

 

「…………」

 

「なああんた。あんた、頭の良い奴と悪い奴の違いって何だか知ってるか?」

 

「何?」

 

「それはな、“選択肢を見つけられるかどうか”だ」

 

 答えも待たずに喋り続ける。空を見つめ、独り言のように。

 

「俺は子供のころに親を殺された。闇の書ってやつにな。知ってるか? いや、いい。そんなことはどうでもいいんだ。とにかく、家は裕福じゃあなかった。だから親が死んだってその子に残されるものはこれぽっちもなかった。施設は満杯。態々助けてくれるようなお人好しもいない。それじゃあ、そいつがそれから生きて行くにはどうすればいいか?」

 

 男は肩をすくめる――すくめようとした。縛られていて不可能だということに気付くと、少し不満そうな顔をする。

 

「まあとにかく、結局そいつの進んだ道は犯罪者、麻薬組織の一員となることだった。選んだ訳じゃない、自然にそうなった。まあ悪くなかったぜ。言うこと聞いてりゃメシは出たしな。最低限の面倒は見てもらえた。問題があるとすりゃあ、それはそこのボスがとんだ真面目君だったことだな。暫くして俺らの組織が地元の警察に追い詰められたある日、思い余って自殺しちまうほどに」

 

 笑えるよな、と自分で笑う男。エンダーは無言。

 

「しかし当時の俺たちには笑い事じゃあなかった。その国では麻薬犯罪は即死刑だったからな。俺たちは焦ったよ。俺より年上で、地位も上だった連中すらな。全く役立たずだった。それで俺は、こんな馬鹿どもに頼っていられるかと、自分で組織を固めだした。とにかく何とかせにゃあかんと死に物狂いだったよ。……それで、暫くしたら、何故か俺がその組織の新しいボスになっていた」

 

「驚いたよ。悪い意味でな。その時には泥沼から抜け出すために色んな組織に借りを作っちまっていたから、はいやめます、とも言えなかった。言ったら殺されたろう。そんな訳で仕方なくこの仕事を続けるようになった。どうしようもなくな。それから色々あり……まあ今に至るって感じだ」

 

 自らの人生を振り返り、男は溜息をつく。それは彼自身の心を絞って吐き出されたもののようであり――その時だけ彼が年相応に老けて見えた。

 

「分かるか? 俺は未だかつてこの仕事も、立場も、一度だって楽しいと思ったことはねえ。ただ生きるために必要だからやっただけだ。そしたら自然にこうなった。確かに、お前さんの言うとおり他に道はあったかもしれねえ。どこかで路線変更が出来たのかも。そのチャンスはあったのかも。似たような境遇の中には、それを見つけて上手くやった奴もいただろう。だがな――」

 

 男はエンダーを見つめる――睨みつける。

 

「俺には見つけられなかった。そんな“選択肢”があるなんて知りもしなかった。何時だってその瞬間を生きることに必死だった。ただそれだけだった」

 

 目を伏せる。

 

「……まあ俺は頭が悪いなりに幸運だったんだがな。こうして生きてるだけ。もっと悲惨な現実に直面した奴らなんて、腐るほどいた。……俺は計算が得意だったんだ、計算が」

 

「……その計算も今日までだ」

 

「いやいや……これも計算の内さ」

 

 何? と口にしようとした瞬間、エンダー達のいる部屋に強烈な光が照射される。エンダーは咄嗟に窓際の壁に張り付き身を屈め、外の様子を窺う。

 

 ――ライトスフィア!? 敵の仲間か? いや、これは……

 

『ビルの中の人間に告ぐ。こちらは時空管理局。お前達は完全に包囲されている。武装解除して投降――』

 

 拡声の魔法で大音量と化した降伏勧告が響き渡る。管理局! それも一部隊だ。エンダーは混乱する。確かに多少の物音は漏れたかもしれないが、管理局が、それも部隊を引き連れて包囲するほどの騒ぎにはなってない筈だと。

 

 苦々しげに顔を歪め、男を振り返る。そいつはエンダーの事をニヤニヤと、罠に嵌ったネズミに対するように気味良さげに眺めていた。こいつが自分でやったのか。

 

 男はしてやったりと口を開く。

 

「お坊っちゃんに忠告しておいてやるよ。敵が急に身の上話を始めたら、それは時間稼ぎか口封じ前提だと思った方が良い。それじゃ、時間が来ちまったんで俺はこれで失礼するよ。話の続きはまた今度だ――その機会があればいいな?」

 

 そう言い捨てると、男の姿は一瞬の閃光とともに消え失せた。男を縛り付けていたワイヤーが空しく床に落ちる。思わず目を疑う。僅かに残る魔力反応――転移魔法か。事前に何の気配も無く? 信じられない。

 

 今は考えている余裕はない。気持ちを切り替える。この場に残されたのは六人の組織の人間――捨て駒――と、エンダー。極めて不味い状況だった。彼らがエンダーを善意の協力者と見なしてくれる可能性は限りなく低い。

 

 結論は一つ――逃走だ。

 

 そう決心すると、エンダーはビルの裏口に向かって走り出した。

 

 

 

 

「おい! 逃走を図った奴はどうなった? 捕まえたか」

 

「いえ、一尉。それが……逃してしまったようで」

 

「逃した? 天下の管理局員が一部隊動員してきたというのに、人一人捉えられんのか!?」

 

「も、申し訳ありません。しかし、敵は魔導師で、それに謎の装備を多数所持しているようでして……その、非常に手強く……」

 

「何が手強いだ、それでも武装隊員か全く!」

 

「一尉、建物内の調査が完了いたしました。報告を宜しいですか」

 

「ああ、ああ、やってくれ」

 

「ビル内には六人の容疑者と、大量の麻薬が発見されました。転移魔法陣の敷かれた部屋も発見され、ここが奴らの密輸拠点である可能性は非常に高いと考えられます。しかし販売記録などのデータは残っておらず、全て消去されていました。容疑者への尋問とより詳しい調査には、応援の到着を待たねばならない状況です。それと……気になる点が一つ」

 

「何だ?」

 

「残されていた容疑者ですが……我々が突入した時点で何者かに既に拘束されておりました。争いの痕もあります。動機は不明ですが、もしかしたら先ほど逃走した者が行ったことではないかと」

 

「ふ、ん……」

 

「味方でしょうか? 非道な組織を許せず立ち上がったスーパーヒーロー、とか……」

 

「阿呆か。薬の売人にカチコミかけるかけるような輩は、末期の中毒者か同業他社に決まってるだろう。ふざけたこと言ってないで、奴を捕まえろ。今日はそれまで眠れんぞ」

 

「りょ、了解!」

 

 

 

 その後の徹夜の捜索も功を奏さず、結局謎の襲撃者は闇に消え去った。そしてそれ以上に重大な事件――ある意味では事件の解決――が一つあった。これまで散々管理局を悩ませてきた麻薬組織なのだが、この日を契機にミッドチルダからすっかり姿を消してしまったのだ。あまりにも不可解な終結だったが、住民はこれを歓迎。そして管理局も、僅かな調査のみでこの件に対する更なる調査を終わらせることとなる。多くの謎と麻薬中毒患者を残したまま。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 奴らは去った。捜査の糸は切れた。データの謎は謎のまま。エンダーは途方に暮れる。

 

 町からは麻薬の脅威はなくなった。何故、どうして。そんな疑問には何の価値も無く、市民は一ヶ月後にはこの事件の事を忘れてしまうのだろう――“直接関係のなかった者”以外は。

 

 あれから少し調べてみたところ、あの大学生グループ――彼らの内四人はもう二度と回復の望めない状態となってしまった事を知った。“運良く”意識を取り戻した女性についても、今後長い治療を必要とし、それでも完全には治らないかもしれない。

 

 自業自得――エンダーはとてもそんな言葉で片付けようなどとは思えなかった。

 

 確かに彼らは品行方正な人間ではなかったかもしれない。犯罪者であったことも確かだろう。だがしかし、その結果としては彼らの姿は無惨すぎた。

 

 せめて、今回の事件では彼らもまた被害者だったのだと、それだけははっきりとさせてほしかった。それがたとえ救いにもならない慰めでも。

 

 

 


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