魔法ニンジャ活劇   作:ダニール

17 / 21
第一話

 

 一人の男が、机に向かって作業に没頭していた。

 

 薄暗い部屋の中で、無数の計器、モニター、そして傍目には用途の掴めない様々な機器を前にし一人、一心不乱に手を動かし続ける。頬は扱け、髪は荒れ放題。着ている服、白衣は薄汚れ、紅く充血した眼を瞬きすら惜しいと言わんばかりにせわしなく動かし続けるその姿は、既に狂気さえ感じられる。

 

 ――いや、もしかしたら本当に、狂っているのかもしれない

 

「ドクター」

 

 何時からか、否、男が作業を始めてからずっと傍に控えていた女性が声を上げる。

 

 応答はない。

 

 意図的に無視したというよりは、全く耳に入っていないと言わんばかりの――実際その通りなのだろう――態度で、男は顔すら上げない。

 

「ドクター」

 

 そのことに気落ちする様子もなく、妙齢の美女は根気よく呼びかけ続ける。目の前のこの男は既に五日間一睡もせず、碌に食事もとらず、作業を続けている。彼を何とかして止めようと、女性は既に百は超えて呼びかけを続けていた。

 

 男は動きを止めた。勿論女性の声が届いた訳ではない。カッと見開いた瞳で、スクリーンに映るプログラムを凝視している。文字通り瞬き一つせず、涙が溢れることも無視して流れる文字をさらい続ける。

 

 その調子で全てのページをチェックすると、今度は酷く緩慢な動作でエンターキーを押した。

 

 記述されたプログラムに従い装置が唸りを上げ、次々と動作を始める。じっと祈るように目を閉じ、待ち続ける男。

 

 数分後に全ての工程が終了する。

 

 目を開け、恐る恐るといったように結果の表示されたモニターを覗き込む――そして凍りつく。

 

「ドクター……」

 

 彼の身を案じた女性が声をかける。その前で静かに肩を震わせる男。泣いているのか、と思った直後――

 

「はっ、あははははははは! 失敗か、今回も! これは凄い、いや素晴らしい!」

 

 ――と体をのけ反らせ哄笑し始めた。

 

 頭を振り、涙を流し、されどもその表情は全く楽しそうに、男は笑い続けていた。歓喜と、憎悪と、敬意を込めて。

 

 

 

「ドクター」

 

 暫くして男の発作が治まって来たころを見計らって、女性は再び声をかける。辛抱強く、何度でも。

 

「……あぁ、ウーノかい。ちょうど良かった。頼みたいことが出来たんだよ」

 

 男はそう言って振り返ると、女性――ウーノ――に話しかけた。彼女が男を心配してずっと付き添っていたことなど、この男にとってはどうでもいいことらしい。

 

「とある場所のIDが欲しいんだ。君に取ってきてほしくてね」

 

「ID、ですか」

 

「そう。やっぱり不完全なデータから再現するのは無理みたいだからね。直接本人に会って、自分でその体を調べてみないことにはどうにもならないなぁと思ってね」

 

 これからはちょっと本格的に探し始めてみようかと思ってね、と面白そうに笑う。

 

「……ドクター。既に“あの者達”から指定された期限まで時間がありません。そして資金も」

 

「資金か。それは何とかしないといけないね。……ふむ」

 

「依頼の方は?」

 

「そっちはどうとでもなるさ。既にもう何人かのロールアウトの目途も立っているし。現状でも余裕があるくらいだからね」

 

「はぁ……」

 

 曖昧に頷く。ウーノとしてはそろそろ寄り道をやめ本業に専念し、生活態度も改めてほしいと言いたかったのだが、伝わらなかったらしい。

 

 いや、この男が他人の説得で自らの好奇心を納めるとは、初めから信じてはいなかったが。そんなことがあるとすれば、それは彼自身が飽きてしまった時だけだろう。

 

 ウーノは何度目になるか分からない溜息を内心で漏らす。それを尻目に男は椅子に深々と身を預け、欠伸とともに大きく伸びをする。そのまま眠りにつくかと思いきや――

 

「ん……そうか。ああ良い方法を思いついた。彼らに頼んでみるか。そうすれば資金の問題も解決して一石二鳥だし――」

 

 何かを思いついたようで再びその身を起こそうとする。ウーノはその肩を優しく、しかし有無を言わせず押し戻す。

 

「ウーノ?」

 

「ご心配なくドクター。後の問題は私が全て処理いたします。あなたはどうぞ安らかに、体を休めてください」

 

「……本当に?」

 

「ええ。お任せください」

 

 男を覗き込みながら、ウーノは優しく微笑む。それに安心したのかどうなのか、男は全身の力を抜き、疲労に抗うことをやめる。瞼を閉じ、ゆっくりと息を吐き出す。

 

「それは良かった。ああ楽しみだよ。本当に」

 

 そう呟き、男――ドクター ――ジェイル・スカリエッティは、その意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

  第二部 シャドウナイト

 

 

 

 第一話

 

 

「あっ……んっ、あ、はぁ……」

 

「…………」

 

 薄暗い部屋の中に、嬌声が木霊する。快感を堪えるように断続的に響くその声は、男性の本能を刺激するように艶めかしい。その女性に跨り、反応を見、的確にその体に快感を与え続ける男。こちらは対照的に言葉一つ発さず、黙々とその手を動かし続ける。

 

「ん、んぁ……はぁ、あっ……」

 

 声の主は、ベッドの上で身悶えする。うつ伏せになりシーツを握りしめながら、男にされるがままに成熟した肢体を震わせる女性。熱のこもった吐息。汗ばみ身体に張り付くシャツ。快感で赤く染まった肌。酷く嗜虐心をくすぐられる光景である。紅潮するうなじがやけに色っぽい。

 

「あっ……あ、はんっ……あっあ……」

 

 女性の声が徐々に高く、切羽詰まったものになっていく。ラストスパートとばかりに男も動きを速める。堪えられないというように声を響かせ遂には背筋をのけ反らせ――

 

「あっ、いいっ、あっ、あーーっ!」

 

「……はい、時間です。お疲れさまでした」

 

 一際大きく響き渡った嬌声と、突如部屋に響き渡った電子音によって、このどこかインモラルチックな行為は終わりを告げた。男は手を止めさっさベッドを降りて行き、鳴り響くアラームを止めに行った。

 

 女性の方は暫く横になったまま荒い息を整えていたが、その内にえいやとばかりに体を起こす。

 

「うーん凄い。体が軽い!」

 

 その場で大きく伸びをしながら、女性――クイント・ナカジマは満足げに笑みを浮かべる。長髪を靡かせる明るい美人である。少々きつめの顔立ちが明るく笑みを浮かべる姿は実に魅力的に映る。熱を持った体を冷まそうと着ているシャツをパタパタさせる彼女から、男は礼儀正しく目を背ける。

 

「あー気持ち良かった。エンダー君はマッサージ師としてやっていけるわね。私が保証するわ」

 

「どうも。管理局をクビになったら考えますよ」

 

 肩をすくめながら応える黒髪の少年――エンダー・アヴェンタ。彼はクイントが上着を羽織るのを待ってから部屋の電気をつける。管理局地上部隊隊舎の一室。先ほどまで漂っていた何処か淫靡な雰囲気はそれだけで消え去っていった。

 

 クイントはベッドから立ち上がってしばらくは体をあちこち捻って調子を確かめていたが、納得がいくと明るくエンダーに礼を言った。

 

「助かったわ、エンダー君。ここのところ激務続きだったからかどうにも疲れが取れなくて。あなたには態々休日まで使わせちゃったわね」

 

 仕事内容がきついことに定評のある地上部隊。そんな中で若い女性が厳つい男共と張り合っているのだ。疲れも溜まって当然だろう。

 

「お気になさらず。他にも予約を取っていましたから、どの道隊舎には来てましたよ」

 

「そうなの……。その、堪能していた私が言えた義理じゃないんだけれど、エンダー君はまだ入隊して日が浅いんだから、無理したら駄目よ?」

 

「大丈夫です。体力には自信がありますから。それよりさっきの言葉、忘れないで下さいよ」

 

 さっきの言葉? と一瞬怪訝そうになるが、思いだし、表情を緩める。

 

「マッサージ師の話? ふふっ、少なくとも今常連が一人出来たわよ。それにあなたがクビになる心配なんてしなくていいと思うわ」

 

 にこやかに対応するクイント。三ヶ月前から臨時局員として隊に回されてきたこの少年と直接話をするのは今回が初めてだが、年に見合わぬ落ち着きとその仕事ぶり、そして何より先ほどのマッサージの手腕によって、クイントはすっかり気を許していた。

 

「エンダー君はどうして管理局に入ったの?」

 

「ああ……実は今度、新しく妹が出来るんですよ。それで、自分もしっかりした職に就かなきゃなぁと思いまして」

 

「そうなの」

 

 家族の為かぁ、と感心し素直に褒めるクイント。目を逸らすエンダー。照れくさいのだろうか。

 

「エンダー君が入ってきてくれて凄く助かってるって皆言ってるわ。ようやく部隊がまともに運用できるようになったって。流石本局の執務官が推薦するだけあるわ」

 

「おだて過ぎです」

 

「お世辞じゃないわよ?」

 

 首をかしげ謙遜するエンダー。何かと遠慮がちな姿勢は彼の出身世界の特色だろうか。何にせよ好ましいものだ。

 

 それにエンダーに言ったことは、確かに多少大げさにはしているものの実際事実であったりする。よく管理局の海――本局――と陸――地上本部――の局員格差は、所属する魔導師ランクの差で語られたりするが、目立たないながらも後方支援要員の質もかなりの問題となっているのだ。“魔導師ランク”という分かりやすい格付けのせいでそちらにばかり目が行くが、優秀な人材が本局に流れているというのはそれ以外の部署でも同様だ。

 

 クイント属する地上部隊でもその問題は深刻で、実動任務は山ほどあるのに、それに関わる各種手続き、情報収集、事後処理などはもはや“しっちゃかめっちゃか”と形容するに相応しいものだった。任務の際必要な書類を探し出すのに丸一日かけていては仕事など出来やしない。

 

 そんな惨状を呈していた部隊だったのだが、三ヶ月前にこの少年、アンドルー・アヴェンタ嘱託局員が派遣されてきたことで一変した。彼は昼夜問わず、休日も返上し働き続け、もはや部隊のゴミ箱と化していた情報部を復旧させ、全ての後方支援業務をシステムから構築し直すことに成功したのだった。おかげで以前とは比較にならないくらい円滑に部隊が動けるようになっていると、部下を持つ身のクイントは実感する。

 

 当初こそ“海から押し付けられた”この少年を周囲は厄介者として扱っていたが、そのあまりの働きぶりに「そろそろ休んだ方が良いんじゃないかい?」などと地上部隊あるまじき心配を受けるまでになっている。

 

 優秀な後方支援要員は、優秀な魔導師と同じ、いやそれ以上に得難いと言われている中でこれほどまでの能力を持つ人間が部隊に来てくれたというのは、相当な“当たりくじ”だったと言わざるを得ないだろう。

 

 そう考えると、そんな彼の休日にマッサージなど頼んだ自分がもの凄く罪深く思えてくる。

 

「それにしてもナカジマ曹長、今日も出勤だったんですよね。ここのところ部隊が慌ただしいですけど、何かあったんですか?」

 

 内心頭を抱えるクイントに気付くことも無く、エンダー少年は部屋のカーテンと窓を開けながら問いかける。昼近くなり高く昇った陽が差し込む。

 

「んーうん。どうも最近地上が慌ただしいみたいなの。それで近い内にこちらからも応援を出すかも、って話し合いをしなきゃいけなくて」

 

「事件ですか」

 

「うん。……ここ最近ミッドで麻薬が出回るようになってね。そろそろ本腰入れて対処しないとって」

 

 一瞬そこまでエンダーに話すべきか悩んだが、特に機密という訳ではないし、もし要請に応えるのならばこの少年にも力になってもらうことになるだろうと、少し情報を明かしておくことにした。

 

「麻薬……珍しいですね」

 

 率直な感想を口にするエンダーに、クイントは同感だと頷く。ミッドチルダはその手の犯罪とは縁の薄かった世界なのだが。何でもここ一年ほどから表面化してきた問題だそうで、最近では首都クラナガンでも取引の可能性があると分析されている。

 

「それで話し合いを……。偉くなると大変なんですね」

 

「私なんて大したことないわよ。何年も同じ事件を担当したがるせいか上司受けも悪いし」

「ナカジマ曹長は立派な局員だと思います。……曹長が扱っている事件は、確か戦闘機人関係のものでしたよね」

 

「ええ。どうしても、こだわりが捨てきれなくってね」

 

 そう応えながら、一瞬クイントの頭に引っかかるものがあった。何だろうか、と疑問に思う。話の内容というよりは、それを口にしたエンダー自身に感じた違和感だったような……。当のエンダーは全くの関心を見せず世間話の一環だと流している。表情が変わった訳でもない。

 

 考えてみても分からないので、スパッと忘れることにするクイント。この手の細かい引っかかりに気を取られることのない思い切りの良さが彼女の長所であり、また短所でもあった。

 

「まぁ準備だけはしておきますよ。大がかりになる可能性もありますからね」

 

「ええ。お願いね」

 

 と雑談している内に良い時間となったので、クイントは再度礼を言った後部屋を辞させてもらった。それにしても本当に、驚くほど身体の調子が良くなっている。

 

 ――また、頼んじゃおうかしら

 

 そんなことを考えながら、鼻歌交じりにクイントは職場に歩いていった。

 

 

 

 

 部屋を出ていったクイントを見送った後、エンダーは一つ溜息を吐くとベッドに仰向けに寝転んだ。そこでしばらくぼうっと天井を眺め続ける。次の予約は昼過ぎだ。そろそろ昼食に行った方がいいかもしれない。

 

 そう考えつつも、体を起こす気にならない。逆に全身を弛緩させていく。窓から差し込む陽と、流れ込む風が心地いい。未だ暑い日の続くクラナガンだが、今日は適度に涼しく心地良い陽気だ。

 

 どうしてこんなことをしているんだったか? ふと疑問に思う。また記憶喪失になった訳ではない。ここ数ヶ月とにかく我武者羅に働き続けてきたので、自分がどういう経緯で今に至っているのかを振り返りたくなっただけだ。

 

 何故、管理局入りをしたのか。そして何故そこで整体師もどきの事をしているのか。話は四ヶ月程前に遡る。

 

 

 

 ◆

 

 

 

  次元空間航行船アースラ内。ジュエルシード事件を解決し、帰路についてから二日後。エンダーは艦内の廊下を歩いていた。人を探していたのである。

 

 エンダーは今朝目を覚ましてからふいに思いついた考えを実践してみようとしていた。その思いつきとは、自分はマッサージの達人なのではないか、というものである。

 

 そう考えた理由は無い。根拠もきっかけも特に無い。何故マッサージなのか自分でも分からない。

 

 そもそもエンダーが記憶を失って目覚めた後の行動は殆どが思いつきである。病院でジャグリングをしたのもそうだったし、その後も根拠なく様々なものにチャレンジしたのも全て思いつきだった。

 

 さてでは実際どうなのか。自分にはその能力があるのか。それは試してみなければわからない。そういう訳でエンダーは実験――に協力してくれそうな人物を探していた。テスタロッサ家の人々でも良かったのだが、偶には趣向を変えてみようと思い艦内をうろついている。幸いここには疲れを溜めた人間が山ほどいる。うってつけであった。

 

 そんなことを考えていると、すぐ傍のドアから出て来た見知った人物と遭遇した。

 

「おはようございます、クロノさん」

 

 クロノ・ハラオウン執務官だった。若くして執務官試験に合格し、次元航行艦にて職務に励むエリート魔導師。そしてエンダーの――エンダー達の秘密を知る数少ない人物の一人。

 

 彼は見慣れた黒いバリアジャケット姿でなく――そのことに何故か違和感すら感じる――訓練用のT-シャツを着ていた。軽く汗ばんでいるところを見ると、早朝訓練でもしていたのかもしれない。

 

 果たしてその通りだったようで、朝早く起きた彼は日課である朝のトレーニングを済ませて来たところだったという。魔導師でもなんでも結局は体力勝負。日頃の鍛練は欠かせないともうずっと続けているらしい。

 

 若いのに素晴らしい心構え、と何故か年長者目線の感想を抱いてしまう。いや考えてみれば自分の方が生きてきた年数は長いのか。記憶喪失だということを除けば。

 

 彼としばらく雑談をしながら歩く。彼やリンディ提督は、あれ以降エンダー達の過去について質問したり話題に上げることは無かった。本当に、その胸にしまっておいてくれるらしい。ありがたいことだ。

 

「……そう言えば質問があるんですけど、時空管理局の中で俺でも入れそうな部署ってありませんか?」

 

「君でも入れそうな? それは入局の意思があるということか?」

 

「ええまあ。その……フェイトの弁護をするにあたって、身内が管理局で働いてるっていうのが有利に働かないかなと」

 

 ああ、と納得した風に頷くクロノ。

 

「君は確か戦闘もかなりこなせたはずだな」

 

「そうなんですけど、武装局員はあまり考えてないんです。多分魔力素質で弾かれると思いますし」

 

 エンダーはクロノに自分のリンカーコアの異常を打ち明ける。自分が戦えていたのはあくまでこの身体の性能のお陰であると。いくらなんでも身体強化もまともに使えないような人間が弾丸のようなスピードで疾走していては怪しまれるだろう。

 

「そうか。分かった、検討してみよう。しかしそれが何処までフェイトさんの有利に働くかは保証できないぞ」

 

「構いません。そうでなくともしっかりした職に就ければそれで」

 

 いつまでもフリーターをやっている訳にはいきませんからねと肩をすくめる。すいませんいい加減で、いやいや仲間が増えるのは歓迎だよ、とクロノは軽く笑う。

 

「……ところでクロノさん、疲れてません?」

 

 頃合いを見計らって切り出してみる。

 

「いや実は私もしかしたらマッサージの達人かも知れなくてですね。クロノさんにはお世話になりましたし是非顧客の第一号になってもらおうかと――」

 

 

 

 結果から言おう。凄まじい効果だった。

 

 満面の笑みで部屋に誘おうとするエンダーと、胡散臭さ満天と微妙にひきつった表情で辞退するクロノ。そんな押し問答をしている所にリンディがやってきて、あらあらそれなら私が、と立候補してきたのだ。流石のエンダーも提督で実験するのはと遠慮したが、意外に押しが強く結局やることになってしまった。

 

 そして二十分後。そこにはニコニコ顔で今にもスキップでもせんばかりに上機嫌になった提督の姿があった。

 

「……何があったんだ?」

 

「……いやぁ、肩揉みしてただけですけど」

 

 血色の良くなり鼻歌交じりに職務に戻っていくリンディを、ちょっと唖然として見送りながら問いかけるクロノだったが、エンダーも呆気に取られていた。本当に大したことはしていない。マッサージというのは下手にやると逆に体を痛めさせてしまう可能性もあるので、無難に肩揉みでお茶を濁したのだったが。

 

「……僕もお願いしようかな」

 

「はぁ、どうも」

 

 

 

 その後、いつになく調子のよさそうなクロノに目敏く気付いたエイミィが理由を聞き出し、私も私もとねだってくるのでエンダーは戸惑いながらも応えることになった。そうこうしている内にいつの間にか艦中に評判が知れ渡っており、管理局本局到着までマッサージ係として走り回ることになってしまっていた。

 

 このエンダーのマッサージはプレシアやリニスにも好評で、以後ミッドチルダに帰ってからも毎晩入浴後にその指を酷使させられることとなった。エンダー自身割と楽しんでやっていたので、ちょっと本格的に勉強してみてもいいかなと思い始めていたくらいである。

 

 ここまでなら話は単純だった。

 

 異常が発見されたのはそれから数週間後。エンダーの管理局入りが決定し、クロノの推薦で決まった地上部隊への配属を間近に控えたある日だった。

 

 

 

 

「病気が治った? テスタロッサさんの?」

 

 その日、プレシアが病気の経過観察をしに病院へ行き、帰って来た時にそう告げられたのである。

 

 エンダーは素直に喜び回復を祝おうと言うのだが、当のプレシアは釈然としない様子だった。

 

「だっておかしいのよ。初め診てもらった時は、“短くても半年はかかります”って言われたのよ? それがほんの二、三ヶ月で完治するなんて……。お医者様も驚いていたわ」

 

 首を捻るプレシア。めでたいことに理由は要らないんじゃないかとエンダーは言うが、彼女は納得できていないようだった。まあそれはともかくその日は家族全員でプレシアの快復を祝ったのだが。

 

 

 

 原因が判明したのはその二日後である。

 

「エンダー。ちょっと来て」

 

 プレシアに呼ばれてエンダーは家――城の中にあるプレシアの研究室へ来ていた。

 

 プレシアは基本自分以外をこのスペースに入れないので、エンダーも入るのは初めてである。上手く形容できないが、如何にも“研究室”といった感じの部屋である。用途の分からない装置や、題名から内容が予想できない本が山ほど置かれている。

 

 その中で一つ、エンダーの目を引く物がフローターデスクの上に浮かばされていた。

 

「それ、フェイトの……」

 

 先の事件の際フェイトが使用していた大盾型デバイス――バスティオンだったか――がその存在を主張していた。

 

「ええ、回収しておいたの」

 

「……それって確か戦闘の際海に沈んで回収不可能って話になってたんじゃ」

 

 クロノに見せてもらった報告書の内容を思い出しながらエンダーは言う。対するプレシアは気にした様子も無く

 

「ポイ捨ては駄目じゃない」

 

 としれっと口にした。……無断で確保していたのか。呆れるエンダーを気にも留めず、プレシアはエンダーを近くへ呼び寄せた。散乱する機材を蹴飛ばさないよう注意しながらエンダーは歩を進める。

 

「あなたを呼んだ理由は簡単よ。ここで肩揉みしてちょうだい」

 

「……マッサージチェアでも買ってください」

 

 あまりにどうでも良い要件にエンダーは文句を零しつつも、プレシアの肩に手を伸ばした。

 

「……んっ、……はぁ……」

 

 すぐにプレシアから悩ましい吐息が漏れ始めた。自分の技で人を気持ちよくさせられるというのは、実際悪くない気分である。

 

 しかし今回は少し勝手が違った。いつもならだらっと体を弛緩させされるがままになっているのに、今のプレシアはデスクに向かい目の前のモニターを睨んでいた。

 

「……あぁ、やっぱり。そういうこと」

 

 しばらくして彼女はそう呟くと、背もたれに深く身を倒し、目を閉じリラックスした状態になった。

 

「何が分かったんですか?」

 

「……どうして私の病気が治ったのかよ。んっ……ずっと気になってたんだけど、やっぱり、あんっ……これしかないと思ったわ」

 

「まだ気にしてたんですか。それで? どうしてだったんです」

 

「……はぁ、んっ……後で話すわ。今は“こっち”に集中して。…………ホント、病みつきになるわね」

 

 気にはなったが、一先ずプレシアの催促に従って肩揉みを続ける。

 

 そして三十分後、晴れ晴れとした顔をしたプレシアに、エンダーは再度問いかけた。

 

「それで?」

 

「ああ、単純よ。私の身体を治したのはあなたのこれよ――」

 

 プレシアは両手で肩揉みのジェスチャーをする

 

「これ」

 

「…………」

 

 思わず自分の手をまじまじと見つめる。

 

「冗談でしょう」

 

「いえ確かよ」

 

 これを見て、とプレシアは目の前にある、先ほど彼女が凝視していたモニターを指さした。

 

「これは私の身体をモニターして映し出してるの。少し時間を戻すわ……ほらこれ、見えるかしら」

 

 そう言って再生された映像を指さす。画像はプレシアの上半身を映しているものだ。そしてエンダーは彼女が何を指し示しているのかをすぐに理解した。

 

「……肩の辺りから、波のようなものが広がってる」

 

「そう。拡大するとこうよ」

 

 画像が拡大表示される。それによって先ほどまで波のように見えていたものが、実はごく小さい粒子の集まりなのだと理解する。

 

「ナノマシンよ。あなたの体内のナノマシンが指先を通して私の身体に入りこんでるの」

 

 エンダーの身体に使用されているナノマシンは、“適応型万能ナノマシン”、通称“ターンパッチ”と呼ばれるものらしい。状況や場合に応じてその性質を変化させ、多種多様な効果を発揮する未来科学の産物。その応用範囲は非常に広く、肉体の調整強化、治癒再生はもちろん他にも様々な機能に“変身”させることが可能な、文字どおりの万能アイテムである。

 

 それらがエンダーの“気持ち良くさせたい”、“悪いところが治ってほしい”という気持ちに反応して変化し、他者の身体に入りこんだ後治癒を行っているのだと言う。

 

 その言葉を聞いた瞬間エンダーの顔から血の気が引いた。

 

「そ、それが分かってどうして肩揉みを続けさせたんですか!? テスタロッサさんの体内で何かまずいことになっていたらどうしたら……」

 

 プレシアだけじゃない、アースラの人たちの身体の中にもナノマシンが残っているのだ。彼らの身体の中で異常に進化したナノマシンが暴走を始めるようなことになったら……。

 

 思わず頭を抱えるエンダーに、映画の見過ぎだと切り捨てるプレシア。

 

「良く見なさいエンダー。時間を進めていくと、ほら」

 

 恐る恐る画面を覗き見ると、そこでは先ほどまで体のあちこちに広がっていたナノマシンが徐々に消えていくのが映し出されていた。機能を停止し、分解されている。

 

 このナノマシンは稼働にかなり多くのエネルギーを使用するので、維持しようと思ったら大出力の発電設備が必要とされるのだと言う。それこそエンダーの体内に埋め込まれているリアクタ―のような。

 

 これらのエンダーの身体の機能に関する情報は、ゴーストより渡された“アダマンチウムブレード”デバイスに記録されたデータから得られたものである。彼は律儀にこれらの情報をデバイスに登録しておいてくれたのだ。エンダーの為に。エンダーが人造人間ではなく改造人間だということもその際発覚した。

 

 他人の体内のナノマシンについては、それでもしばらく不安が消えないエンダーだったが、後でクロノ達に連絡を取り、別に異常はないと告げられた際にようやく安心できるようになった。そしてこれ以降この力を特技の一つとして認めることにした。

 

「あなたを拾ってきた昔の私の先見の明を褒めてあげたいわね」

 

 とは高性能健康器具となったエンダーに対するプレシアの言葉である。嬉しくて涙が出る。

 

 

 と、こういう経緯があってエンダーは地上部隊への嘱託局員として配属され、そこで後方支援要員として働きながらも時折マッサージ師として活躍することとなったのである。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 イメージの濁流――意味の分からない、捉えられない映像の連続

 

 辺りに響き渡る聞き取れない程の大量の音の渦

 

 強烈な閃光

 

 誰かが自分を覗き込んでいる。暗い。表情が見えない

 

 視界が回る

 

 苦痛――苦痛――苦痛

 

『君は自分で志願したのだ』

 

『望んでそうなった』

 

 “自分が自分でなくなる感覚”

 

 悲鳴――おそらく自分の

 

 懇願――何に対して?

 

 その全てに耐えられず――俺は目を閉じ、耳を塞ぎ、逃げ出した

 

 

 

 目を開ける。

 

 いつの間にか、薄暗い部屋の中エンダーはデスクに突っ伏していた。その事実に混乱する。

 

 ――寝ていた、のか?

 

 先ほどまで自分は医務室にいなかったか? ナカジマ曹長と別れた後? この部屋はいつも自分が仕事を行っている場所だ。エンダーに特例として与えられた個室である。広くは無いが、整理が行きとどいており中々使いやすい。

 

 体を起こす。すると自分の身体が汗でびっしょりなことに気が付いた。覚醒と同時にナノマシンが体調を調整し、すぐに汗が引いていく

 

 何故ここにいるのか、記憶の空白に戸惑うエンダーだったが、目の前でつきっぱなしのモニターを眺めている内に徐々に思いだしてきた。あの後更に三人のマッサージを済ませた後、せっかく隊舎に来たのだからと自分の部屋に来て仕事を進めていたのだった。その内に眠ってしまったのだろう。時間は十分ほど。ちょっとうとうとしたというぐらいだ。それにしても――

 

 ――またあの夢か

 

 溜息を吐きつつ首を振る。ここ三ヶ月程、エンダーは夜毎に現れる夢に悩まされていた。

 

 内容の大半は意味の分からない混沌としたものばかりだが、その映像が伝えるイメージは痛いぐらい明確に伝わって来た。

 

 即ち――苦痛

 

 体調は万全の筈なのに、起きてからしばらくはそのイメージから来る疲労感に悩まされることになる。それほど強烈だった。

 

 あれは――自分の記憶なのだろうか

 

 その度に自問自答する。未だ戻らない記憶の欠片が、夢となって現れているだけなのだろうか。“あのイメージ”が?

 

 深く溜息を吐き、背もたれを押し倒しながら大きく伸びをする。筋の張る感覚とともに、微妙に窮屈な感じがする。

 

 伸ばした腕を見上げる。裾から手首が出てきていた。肩もきつくなり始め、全体的に違和感を感じ始めている。

 

 今やエンダーの身体は成長していた。ゴーストの遺してくれたデータから、かけられていた成長のロックを外すことに成功し、今では身長も体格も正常に発達していた。もう少ししたら制服を買い替える必要が出てくるだろう。これだけでもゴーストには多大に感謝している。アリシア達より若く見られるのだけは勘弁願いたかったのだ。

 

 

 

 

 現在の時刻は午前三時。泊まり込みの局員もいるにはいるが、流石に隊舎に人気は少ない。

 

 殆どの電気が消された廊下の手洗い場で、エンダーは顔を洗う。少しは気晴らしにならないかと思いながら。

 

 そこでふと、前を見る。闇の中で鏡に映る、水に濡れた自分の顔が予想外にやつれて見え、慌ててタオルで顔を吹く。もう一度鏡を覗いてみると、いつも通りの自分がこちらを見返していた。

 

「アンドルー・アヴェンタ嘱託局員」

 

 ほっと安堵の息を吐いていると、唐突に後ろから声をかけられ、少し跳び上がる。

 

「は、はい!」

 

 驚いて振り向くと、そこには一人の局員が立っていた。大柄な体躯と精悍な顔つきをしているその男は――

 

「ゼスト・グランガイツ一尉……」

 

 思わず背筋を伸ばす。管理局地上部隊の有するエースストライカー。管理局全体を通して見ても数少ないオーバーSランク魔導師。

 

 その人物が今ここにいて、なお且つ自分に声をかけて来たのも驚いたが、それより何よりこの距離に近づかれるまで気付かなかった自分にもっと驚いていた。

 

「まだ残っていたのか」

 

「あ、はい。仕事がありまして……。グランガイツ一尉も仕事ですか?」

 

 呆気に取られていてつい間抜けな質問をしてしまった。仕事でなければ隊舎に残っている筈がないだろうに。だがゼスト一尉は表情一つ変えず、そうだと肯定しただけだった。無愛想と取られかねないこの性格は、この人の見た目から想像していた通りだった。

 

「そうですか。それは……お疲れ様です」

 

 他に何と言っていいか分からず、当たり障りのない言葉を口にする。ゼストはそんなエンダーをじっと見つめると

 

「良くなっている」

 

「はい?」

 

「地上本部だ。ここの待遇の悪さは有名だが、徐々に良くなってきている。これから、もっと改善するだろう」

 

「はぁ……」

 

 察するに、エンダーが残業の多いこの職場に不満を持っていると思ったのだろうか。分かりにくいが、励まされたのかもしれない。

 

「それは素晴らしいことです」

 

「…………」

 

「あぁいえ、ホントに、そう思ってます」

 

 皮肉を言っていると思われたのか、少し目つきのきつくなったゼストに対して、エンダーは慌ててフォローを入れる。実際、エンダーは仕事のキツさについては特に何とも思っていなかった。仮に今より休暇も給料も半分で、仕事量が倍に増やされたとしても、文句は言わなかっただろう。

 

 それに納得したのかどうなのか、彼はエンダーから目を逸らすとポケットから端末を取り出し、操作を始めた。呼びかけられた以上何か用があるはずなので、エンダーも黙って待つ。

 

「今日地上部隊で話し合いが行われたことは知っているな。ミッドでの麻薬取引のことだ」

 

「はい。応援を出すかも、といった話でしたよね。……もしかして」

 

「そうだ。ここからも人を出すことになった。お前もその一人だ」

 

 そう言って端末の画面を向けてきた。そこに表示されている名簿には確かに“アンドルー・アヴェンタ”の名がある。

 

「優秀な局員ということで多くの者がお前を推薦していた。私も適任だと思う」

 

「はっ。ありがとうございます」

 

 お世辞なのかどうかは分からないが、真面目に受け取っておく。もちろん拒否権などあるとは思っていない。所詮派遣職員の身である。

 

「本格的な活動は再来週からだ。後日正式に辞令が出る。確認しておけ」

 

「了解です」

 

 ゼストは頷くと、踵を返して廊下を進み始めた。それを見送るエンダーだったが、少し進んでゼストは立ち止まり、

 

「お前も今日はもう休め。疲れた顔をしているぞ」

 

 と言ってきたことに呆気に取られた。ゼストはそんなエンダーを気にせず、奥へ消えていった。

 

 

 

 

 疲れている? 俺が?

 

 自室に戻ってからもしばらくエンダーはゼストに言われたことに首を捻っていた。顔に出すほどの疲労など感じていない筈だが。光の加減だろうか? あの人にそう見えたのは。

 

 それにしても先ほどの会話も不思議な感じだった。態々あんなことを伝えるために話しかけて来たのだろうか。後で正式に通達が来ると言うのに。いや、夜遅くに偶々見かけたから、様子見がてら声をかけただけか。

 

 ――しかし、休め、か

 

「…………」

 

 ずるずると椅子に倒れ込む。目を瞑りそのまましばらくじっとしていたが――やがて諦めたように溜息を吐いて体を起こし、モニターに向かい合うことにした。どうせまともに眠れやしないのだ。あの夢のせいで。

 

 もうこの三ヶ月、まともに睡眠を取っていない。

 

 ――どうせなら俺の経歴も入れておいてほしかったな

 

 と、少し恨みがましく思う。データの中にはエンダーの身体の機能についてしか入っておらず、過去に何があったかについては何の情報も残っていなかった。さっさと記憶を取り戻してしまえば、あんな夢にうなされることも無くなると言うのに。

 

 ――本当に?

 

 そう考えるエンダーに、頭のどこかで疑問が沸く。反射的に無視しようと思ったが、急速に膨れ上がるその疑念を、すぐに直視しなくてはならなくなった。

 

 ――本当に、自分は記憶を取り戻したいと思っているのか? “あの記憶”を

 

「…………」

 

 そうだ。その筈だ。

 

 いつに間にかキーボードを叩く手が止まっていた。

 

 暗い部屋。モニターの明かりに照らされながら、エンダーは一人、力なく首を振り続けた。何を否定したいのかも、分からないまま。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。