宇宙海賊キャプテン茉莉香 -銀河帝国編- 作:gonzakato
それは、今日の銀河聖王家を作るきっかけとなった「銀河帝国史の大事件」です。そして、その歴史的出来事は、現代の銀河帝国に人々にも影響を与えています。
ローマ帝国史の「テオドラ皇后」のエピソードをヒントに、古い言葉ですが、スペースオペラらしい、本格的な戦争の話を入れてみました。
しかし、この事件の影響は、現代に蘇ってきます。チアキ自身にも、銀河帝国にも。
第18章からの戦いは、この事件の900年後の復讐戦となります。
1 「恐怖の大王」の誕生
約九百年前、銀河帝国は、ユスティアンⅠ世の治世下において、版図を拡大し、銀河系の中枢である核恒星系の覇権を確立し、今日の銀河帝国の基礎を作ったとされる。
この功績により、後世の歴史家は、彼を『大王』と呼ぶ。
この覇業達成のための宇宙戦争は、127回。戦死者は、敵味方、軍人民間人を含め、約20億人に及ぶとも記録されている。ユスティアンⅠ世の指揮する銀河帝国宇宙軍はこれらの戦いにすべて勝利した。
これらの戦いも後半になると、銀河系の星々の指導者は、ユスティアンⅠ世の名を聞くだけで恐怖におびえ、戦わずして降伏したという。このため、後世の歴史家は、彼のことを『恐怖の大王』とも呼ぶ。
しかし、ユスティアンⅠ世が『恐怖の大王』と呼ばれる真の理由は、銀河聖王家への不敬と受け止められることを憚り、今日でも公の場で語られることはない。
真の理由の第一は、彼が聖王家反大王派の大粛清を行ったことである。
ユスティアンⅠ世は、テオドラ皇后との間に生まれた王子が一歳の誕生日を迎えた日に、王子の命を脅かす恐れのある聖王家の反大王派を、不敬罪で処刑した。この事件の処刑者は、反大王派の王族の一家全員、それに主要な家臣を含めて、3千人と言われる。
事件の遠因は、二人の結婚前の第二次マンチュリア戦役に遡る。
マンチュリア星は最初の戦い(第一次マンチュリア戦役)後に銀河帝国に服したが、その後に反乱(第二次マンチュリア戦役)を起こした。
反乱の背後には、大王とテオドラとの結婚に反対する聖王家の反大王派が、マンチュリア星の反乱を促したためと言われている。
古く厳しい階級制度に固執していたマンチュリア星の支配階級で構成される王政府は、同星の被支配階級の末裔で、貧しい遊牧民の娘であったテオドラが、銀河帝国の皇后となることに強い反発を示していたからである。そして、そのような結託を可能にしたものは、マンチュリアの王族・貴族と、聖王家の王族との間に張り巡らされた政略結婚の姻戚関係であったとされる。
戦いは銀河帝国側の優勢に進んでいるかに見えたが、正面対決を避けたマンチュリア星系軍は大王の命を狙って旗艦キング・オブ・パイレーツに強襲艦による奇襲攻撃を行った。その作戦の背景には、彼さえ倒せば有利な条件で和平を結ぶと言う密約が聖王家の反大王派とマンチュリア王政府との間で結ばれていたといわれる。
これに対して、大王はキング・オブ・パイレーツ艦上での激しい白兵戦の結果、これを退けた。
この時の大王とテオドラ皇后のエピソードは、おとぎ話「愛の死装束」として語り継がれている。
しかし、このような銀河帝国聖王家内の不統一を背景に、第二次マンチュリア戦役に関する和平も戦場での結果を無視した、不可解なものとなった。
それは、二人の結婚を認める代わりに、マンチュリア王政府の反乱を不問にするというものであった。
したがって、戦後に二人が正式に結婚した後も、さらに王子が誕生した後も、銀河聖王家内の争いは収まらなかった。ただ、暗殺と報復に関する恐怖と怨念が蓄積されていったといわれている。
聖王家反大王派の粛清は、その争いを一気に清算するものであった。
粛正の詳細については、総ての歴史書には何も書かれていない。書くことが許されなかったとも言えよう。
粛正の実行部隊は、帝国軍の軍服を着て、軍艦を動かしたといわれる。
しかし、帝国軍は政治的中立を守り、「粛正」に関与していないというのが、公式見解であり、真相はわからないままである。
真の理由の第二は、第三次マンチュリア戦役においてマンチュリア星を滅亡させた容赦のない戦闘である
大王は、聖王家反大王派の粛清後、マンチュリア王政府との争いに決着をつけるため、同星系への遠征に着手した。後世の歴史家はこれを第三次マンチュリア戦役という。
同星の支配階級は、テオドラ皇后が王子を生むとその子にも反発し、『結婚は認めたが、その子の王位継承を認めた訳ではない』等と公然と銀河帝国の王位継承問題に介入しようとしていたからである。
戦いは一方的であった。
すでにマンチュリア星には銀河帝国の大艦隊に正面から決戦を挑む軍事力はなかった。緒戦で星系の制空権を奪った銀河帝国軍は、マンチュリア星の月(衛星)を砕き、その巨大な破片を同星の各都市を狙って落下させる準備を始めた。
このような戦法は、都市の地下シェルターにある、王族の避難施設や軍の総司令部の破壊を狙ったものである。
かって、マンチュリア王政府の王族は、次のように豪語していた。
「宇宙空間の艦隊決戦では帝国軍にはかなわないかもしれないが、マンチュリア星の首都にある王宮や軍の総司令部は、戦時になれば地下深くのシュエルター内に移るので、宇宙からのビーム砲やミサイルによる攻撃にも耐えられる。
各主要都市の地下深くにも頑強なシェルターが築かれている。それらは相互に結ばれ、地熱を利用したエネルギー・食料の自給システムもあるので、いかなる攻撃にも耐え、何年でも戦い続けられる。
まさに、地下要塞、地下都市だ。」
「いつの時代も、結局、戦争の勝敗は、地上戦で首都を攻略できるかで決まる。
帝国軍と言えども、地上部隊を使って、シェルター内の地下首都を攻め落とすのは極めて困難だ。それは地下の空洞を利用して作られた天然の要塞である。攻め込んだ地上部隊は、地下トンネルの迷宮でゲリラ戦の餌食になろう。
だから我々は負けない。
月(衛星)でも落ちてこない限り、地下首都は落ちない。…(笑)」
もちろん、『月でも落ちてこない限り・・』は、彼らの冗談だったが、帝国軍は本気だった。帝国の軍人たちにとって、旗艦キング・オブ・パイレーツ上の帝国軍総司令部を襲われた雪辱を果たすため、どんな手段を使ってでも敵の軍総司令部を破壊する覚悟だったからだ。
そして、帝国軍側にとっても、多数の戦死者を出す可能性のある地上戦で総司令部を攻略する作戦よりも、自然天体である月(衛星)の巨大な破片を落下させることにより、その莫大な運動エネルギーを利用して地下深くまで岩盤をえぐり、灼熱の炎で地下シェルターを焼き尽くす作戦の方が、軍事的に効率的でかつ他の星々への抑止効果も大きいと思われた。
やがて、マンチュリア星の首都を狙って最初の破片が落下した。まず、巨大な質量体が落下し、地上に衝突したことによる衝撃波が発生して、星の大気を歪ませるほど大きな波を形成した。
この衝撃波の巨大な力で、マンチュリアの都市は砕かれ、がれきの山となったと言われる。
その一瞬後、落下地点から広がった灼熱の爆風は、首都周辺の人口集中地帯を一瞬で焼き尽くした。
その後、爆風は、星の大気圏を突き破るほどの火の玉となった。
爆発がおさまった後に首都のあった土地には、地下深くまでえぐられた巨大なクレーターが形成されたという。
首都及び各都市に対するこのような帝国軍の攻撃は、その後、七日の間、昼夜を問わず繰り返されたという。この恐怖の戦闘の様子は当時広く伝えられ、以後、「辺境星域」が銀河帝国へ平和的に帰順する動きが急速に進む原因にもなったという。
直接の攻撃だけでなく、爆発によって大気圏に舞い上がった粉塵等による気候の寒冷化、それに伴う異常気象や災害の発生により、ほどなく同星の文明は滅んだ。この気候の寒冷化や災害の誘発も、帝国軍の狙いであった。
さらに戦後も銀河帝国は、マンチュリア星の自治を尊重すると言う名目で、同星の荒廃を放置した。なお、生き残った被支配階級の人々の宇宙移民は支援した。
その結果、第三次マンチュリア戦役の死者は、民間人も含め16億人に及んだといわれる。
この戦後処理に関する方針は、マンチュリア王政府がブルカン星における惑星開発の撤退に当たり、テオドラ皇后の祖先である開拓民を遺棄した故事に沿って立案されたと言われる。
もっとも、開拓民を「遺棄」した経緯を、マンチュリア王政府の公式記録は次のように述べている。いつの時代も政治と歴史にはレトリックが駆使される。
『・・・のような理由でブルガン星における農業開発と資源開発の方針を見直すことを検討していたところ、当地に先行して開拓のために移住していた三等国民から、王政府に対して、ブルガン星に残りたいと言う請願があった。
彼らは、古代の祖先のように遊牧を生業としてこの星で暮らしたいと願っていた。
慈悲深い王政府は、三等国民のこの願いを聞き入れ、食料等の支援物資を下賜しただけでなく、彼らに自由市民としての身分を与え、ブルガン星の独立を認めた。
他の星系では、植民星と宋主星が独立をめぐり戦争まで行う愚かしい事態も生じているが、ブルガン星については、賢明な王政府の英断によって平和的に独立が達成されたことは、まことに喜ばしく、我々の誇りとするところである。』
もちろん現実は、そのようなきれいごとではなかった。
遺棄された「三等国民」は30万人に及び、当時その生存は絶望視されていた。これらの人々を再移住させる費用と遺棄の道義的責任を逃れるために、マンチュリア王政府は、自由と独立を与えたに過ぎない。
既に聖王家の大粛清により手を血で染めた大王には、第三次マンチュリア戦役において、自らに敵対した異星の王家に寛大な和平を与える意志はなかった。
また、帝国軍の軍人達も、今回は徹底的な戦闘を望んでいた。
もちろん、帝国軍は当時も聖王家の権力抗争に対しては政治的中立を保っていた。
しかし、マンチュリア軍に旗艦での白兵戦を挑まれ、帝国軍総司令部の高級将校に空前の戦死者を出すという屈辱を味わったにもかかわらず、第二次マンチュリア戦役が不可解な和平で収束したことに強い不満を持っていたからである。
他方、マンチュリア王政府は、大王が示した厳しい和平条件に同意することもできず、月を砕いて落とすという帝国軍の戦法に驚愕し、攻撃が続く七日の間、ただ滅びを傍観するだけであったという。
これを、歴史家は、「絶望の七日間」と呼んでいる。
彼らが同意できなかった銀河帝国の和平条件とは、降伏しても支配階層は死を免れることができない厳しいものだった。
つまり、和平条件は、王制・貴族制等の身分制度を廃止し、ユスティアン大王に敵対した王族・貴族とその家族や主要な家臣・軍人を全員処刑し、さらに同星の自治を廃止して銀河帝国の直轄領とする(初代総督は大王とテオドラ皇后の息子であることまでも示された)という徹底したものであった。
後世の歴史家は、この戦いが銀河帝国の歴史の分岐点となったとする。
属国ながら銀河帝国の同盟国を自称して、その政治的影響力を誇ったマンチュリア星の文明は歴史から消えた。こうして、「銀河帝国に同盟国無し」という帝国の支配構造も決定した。
また、この戦いを機に、ユスティアン大王はゆるぎない地位を築き、聖王家の世継ぎ争いの時代は終わったとされる。処刑を免れた聖王家の家族は、百家と呼ばれるほど隆盛を極めた聖王家の一族のうち、わずか三家族のみだった。
この三家族とユスティアン王の子孫が、今日の聖王家の四家の源となっている。
2 「愛の死装束」の伝説
約九百年前、銀河帝国のユスティアン大王は、マンチュリア星の反乱を鎮圧するため、遠征軍を率いて進撃した(第二次マンチュリア戦役)。
戦いは優勢に進んでいるかに見えたが、王の乗る銀河帝国軍の旗艦キング・オブ・パイレーツは、偽装して潜んでいた敵の強襲艦による奇襲攻撃を受け、艦内で白兵戦を挑まれる事態に陥った。
不意を突かれた艦内は混乱し、艦内の過半を占領されたが、王を守るブロックは激しく抵抗し、必死に持ちこたえていた。
余裕のあるうちに王の脱出を進言する将軍たちに対して、ユスティアン王は迷った。
「私だけなら、撤退などあり得ない。しかし、この船には、テオドラはじめ女性兵士も乗っておる。われらが死んだ後に、彼女らが敵の手に落ちてはならない・・。」
その時だった。
「お待ちください、陛下。」
テオドラは、そう言って、彼女に従う10人の女性兵士全員を連れて、王の前に姿を現した。彼女らは全員、髪を男性のように短く切り、顔を浅黒く塗り、男性兵士でも敬遠する重装備の防護服を着ていた。
その姿には、女性兵士と侮られまいとの覚悟が感じられた。
テオドラは王に言った。
「陛下、今のうちなら、小舟で、我ら共々、逃げることもできましょう。大宇宙の片隅で、ひっそり暮らす資金もあります。
しかし、それに何の意味がありましょう。賊軍の真の首謀者は、陛下を卑怯者と罵り、銀河帝国の王を僭称するでしょう。
私は、銀河帝国の王こそ、陛下の最高の「死装束」(しにしょうぞく)だと存じます。
陛下、私たちも戦います。御心を煩わすのは本意ではありません。敵に占領された区画の後方から新手の援軍を装って攻め入ります。私たちの出陣をお許しください。
そして、陛下もご存分に戦いをお進めください。」
ユスティアン王は、先ほどの迷いを恥じて、言った。
「お前たちの覚悟を聞いて、今、私も闘志を取り戻した。礼を言う。
お前達の出陣を許す。共に戦おう。
そして、テオドラ、お前の出陣に当たり、言いたいことがひとつある。
今お前は、銀河帝国の王こそ私の最高の『死装束』だと言ったが、お前にも『死装束』を与えよう。
たった今から、お前は、私の妃、銀河帝国の皇后だ。
いままで苦労をかけた。
私は、お前のために、出来るだけ多くの人に祝福された結婚をしたいと思うあまり、説得に無駄な時間を費やしてきたような気がする。
もはや何人にも異議は言わせない。
テオドラ、死んではならん。生きて再び会い、ともに銀河帝国を治めよう。」
・・・・・
二人のその後について、おとぎ話では
『二人は、力を合わせて反乱軍を撃退し、その後、仲睦まじく銀河帝国を治めました。
銀河帝国は永遠なり。
メデタシ、メデタシ。』
と、ハッピーエンドで結んでいる。
しかし、その後に二人が進んだ道は、大量の流血により切り開かれたものであった。
皇后に従って戦った女性兵士10人は全員戦死した。
もちろん戦死者は女性兵士だけではなかった。旗艦に帝国軍の救援部隊が到着したときには、白兵戦により、乗船していた帝国軍兵士の半数以上がすでに戦死していただけでなく、帝国軍首脳も大半がすでに戦死または戦闘不能の重傷となっていた。高級将校たちも、『皇后陛下に続け』と叫び、兵士とともに白兵戦の先頭に立って戦ったからである。
特に、脱出を進言した将軍たちは真っ先に突撃し、押し寄せる敵陣の一角を崩したため、戦闘の流れを変えるきっかけになったとされる。
もともと、奇襲攻撃は帝国軍の救援部隊が到着する前に大王を討つという作戦であった。しかし、帝国軍の激しい反撃にあって戦闘が膠着状態に陥り、目的を果たすことができないうちに救援部隊が到着してしまったため、奇襲は失敗に終わった。特にに皇后陛下が率いた決死隊の活躍は、恐れていた救援部隊の到着かと敵を動揺させたという。
結局、戦場で勝敗を決する最後の決め手は軍隊の士気である。
銀河帝国は王政でありながら民主共和制国家のように国民皆兵制を維持できるほど国民の支持が高かったので、極めて士気が高かった。
他方、貴族社会であるマンチュリア星の軍隊は、傭兵や奴隷が主体であったので、帝国軍のように将校と兵士が一体となって死にものぐるいで向かってくるような軍隊ではなかった。
従って、敵が簡単に降伏せず、奇襲が成功しないとわかると、戦意が低下するのも早かった。傭兵も奴隷も、最後は自分の命の方が大切だったからである。
結局、帝国軍の旗艦キング・オブ・パイレーツ上の白兵戦での戦死者は、帝国軍側だけで3百人に上った。
しかし、第二次マンチュリア戦役における、旗艦上の3百人の流血は、その後に3千人と16億人の血が流れる前ぶれに過ぎなかったことは、既に述べたとおりである。
3 「強く賢く美しく」の伝説
第二次マンチュリアン戦役の後、銀河帝国の王ユスティアン一世は、テオドラを正式に皇后に迎えた。
聡明で美しいテオドラ皇后は、国民の人気を集めた。
なによりも、二人の出会いのエピソードが好感をもって迎えられた。
ユスティアン王は、幼少期から乗馬が趣味であった。王子の時代に、彼は良い馬を求めて、当時遊牧が主産業の貧しい草原の星、ブルカン星を訪れた。
その星は、もともとはマンチュリア星の植民星であったが、気候が寒冷で海が小さく資源が乏しいとされ、発展の可能性が低く投資効率が悪いという理由で開発が中止されたところであった。
しかも、マンチュリア政府は、開発の撤退に当たり、開発初期に開拓民として移住させたマンチュリア星の被支配階級の人々を、その星に遺棄した。
遺棄された彼らは、文明を失い多くの犠牲を払ったが、富者の隷属より貧者の自由を喜び、古代の祖先と同じように遊牧民として暮らし生き抜いた。
やがて、彼らは、羊だけでなく馬の飼育に熱心に取り組んで、名馬の産地としての評判がユスティアン王子の下にも届くまでになった。
ブルカン星を訪れたユスティアン王子は、買い付ける馬を探すために、遊牧民による草原での競馬大会を観戦した。
そこで、疾走する馬群の先頭を颯爽と走り抜けていく馬に乗った、長く美しい黒髪をなびかせた若い娘の姿が王子の目にとまった。
この娘の名はテオドラといった。後のテオドラ皇后である。
その気品溢れる美しい横顔に王子は一目ぼれし、彼女に近づいた。
しかし、当然のことながら、テオドラは自分には王宮より草原の暮らしが合っていると王子の気持ちを受け入れなかった。
もちろん王子もあきらめない。
困った彼女の父親は、王子を狩りに誘って、こう言った。
「王子様、殿下は乗馬がお好きと伺っております。
はるばる辺境の星までお越しいただいたのですから、我らの草原を馬で駆け、我らの祖先から伝わる伝統の狩りをお楽しみください。
もちろん、テオドラもお供いたします。」
王子とその従者たちは、テオドラとその一族の遊牧民と共に、馬に乗って草原の狩りに出発した。
実は、遊牧民たちは、観光のために王子を狩りに誘ったのではなかった。
真の目的は、占いであった。それは、狩りの獲物で二人の結婚の禍福を占うものであった。
ところが、初日、翌日と草原を行けども、行けども、獲物となる獣が姿を現さなかった。
しかし、夕方になって、野営のために馬を降りた王子が、テオドラに近づき二人が並んだ時に、それはやってきた。
「あれは、狼の親子か。三匹いるな。白い毛並がやや青みを帯びているということは・・・。」
「はい、殿下。この星の貴重な固有種、青狼(ブルーウルフ)の親子です。」
「この星で最も強い獣だな。夜行性と聞いていたが。」
「その通りです。夕方とはいえ、明るいうちに姿を見せることはありえないものです。しかも、親子連れは、私も初めて見ました。」
青狼の親子は、じっと二人を見つめていた。
王子の従者たちは、弓矢や銃を向けようとしたが、それを王子は制止した。
「やめよ。青狼は、この星の遊牧民にとって神聖な獣だ。狩りの対象ではない。」
二人は一緒に青狼の親子を見つめていた。
草原に静かな時が流れた。
やがて、王子は、青狼に向かって言った。
「私はこの女を妻とし、永遠の愛を誓う。
我が言葉をそなたの神に届けよ。」
その言葉を待っていたかのように、青狼の親子は天に向かって遠吠えし、夕闇に消えた。
そして、遠くから、それに答える青狼の遠吠えが聞こえた。
その一部始終は、青狼の出現に気づいた遊牧民たちも見ていた。
結局、草原の狩りは何の獲物も得られなかったが、遊牧民たちには狩りの目的は達せられた。
「神は二人を祝福した。」
彼等には、そのような神託が下りたと感じられたからだ。
狩りから帰ると、テオドラの両親や一族は、『王子に従いなさい。それがお前の運命、草原の神の意志だ』と彼女を説得し、テオドラは王子に同行することを決意した。
このエピソードは、高度な科学文明を持つ銀河帝国の人々にとっては、希少な野生動物に遭遇した体験に過ぎないにもかかわらず、多くの人に好まれ、聖王家の歴史書にも記された。
もともと、銀河聖王家は、はるか古代の自らの起源について天孫降臨の神話を持ち、自らを神の子孫と称していることもあり、神秘的なエピソードが好まれる伝統もあったからである。
もちろん、王の真摯な愛情が国民の、特に女性たちの好感を得たことは言うまでもない。
このエピソードについては、帝国国民の女性達は皆こう言う。
「神獣の前で永遠の愛を誓われるなんて、最高の幸せ。
胸がキュンとして、これで恋におちない女はいないわよ。」
その後、聖王家の王族や重臣の諫言を押し切って、ユスティアン王子は、彼女の馬を買い、その飼育係と言う名目で彼女を連れ帰った。
帰国後、王子は、こう言ってテオドラとの正式な結婚を望み、王家一族の薦める名家の女性との縁談をすべて断りつづけた。
「私は、彼女との結婚を神に誓った。」
この意志は、即位後も変わらなかったが、これに対する聖王家一族の反感も強かった。
そこで、大王は王族の理解を得るため、テオドラを帝国軍人とした。
テオドラがいきなり高級士官である大佐に任じられたことに、当初は帝国軍内に反発もあった。
しかし、彼女は、もともと、馬術、剣術や馬上からの弓術に優れており、さらに帝国軍人となるや、たちまちビームガンの射撃や宇宙戦闘機の操縦まで習熟して、新・旧の武術に優れた才能を発揮した。
テオドラの武人としての実力を知ると、同じ武人である帝国軍人達は、しだいに彼女を認めていった。
特にテオドラが披露した古式馬術は、帝国軍人、とくにパイロットの注目を集め、大いに研究されたという。古式乗馬自体が、人工知能を備えた宇宙船の操縦と通じるところがあると評価され、さらに疾走する馬上から振り向きながら、すれ違って離れていく敵に矢を放つような実戦的な弓術の発想は、宇宙時代の軍人にとって新鮮だったからである。
また下級兵士への気配りも厚く、やがて帝国軍内の人望を得た。
にもかかわらず、聖王家の世継ぎ争いは収まらず、マンチュリア星との緊張が高まったことは既に述べたとおりである。
後世の歴史家は、ユスティアン王とテオドラの結婚は、銀河聖王家にとっては、自由と平等の女神の降臨となったと評価する。もちろん、「愛の死装束」のエピソードが示すように、戦う女神であった。
つまり、彼女は、銀河帝国及び銀河聖王家にとって、「銀河聖王家の下での諸人類の自由と平等」を実現するという銀河系統合の正義を示すシンボルとなり、16億人の死者を出した第三次マンチュリア戦役を正当化する存在となった。
やがて、彼女は女神の如く神格化されていった。
その一例がテオドラ金貨である。テオドラ皇后の横顔は、その息子であるユスティアン二世の即位二十五周年を記念して発行された銀河帝国の1ドル金貨に刻まれ、永遠の輝きをもって後世に伝えられた。その後も、聖王家の慶事に金貨が発行されたが、その片面には必ずテオドラ皇后の横顔が刻まれた。これが銀河帝国の「テオドラ金貨」の起源である。
そして、テオドラ皇后は、武術に優れ、庶民や下級兵士への気配りも厚く、颯爽と黒髪をなびかせながら馬を駆る姿は気品ある美しさに溢れていたことから、「強く賢く美しく」と言う聖王家の女性の理想とされ、その後の聖王家の教育方針に強い影響を与えた。
もちろん、聖王家の女性が軍人となる先例とされた。
さらに、テオドラ皇后の名声は、その時代に求められる魅力ある人物を、身分・出自を問わず、婚姻により一族に加えていくことが聖王家の繁栄にとっていかに有意義であるかを示す先例とされ、その後の聖王家の婚姻政策に強い影響を与えた。
他方、マンチュリアの王族・貴族との政略結婚を進めたことが聖王家の分裂と反乱を招いたとの反省から、特定の勢力が聖王家に影響力を強めるような姻戚関係の構築も慎重に避けるべきものとされたことは言うまでもない。
なお、この第二次マンチュリア戦役で旗艦への奇襲攻撃と白兵戦を許した経験から、旗艦の重装備・要塞化が進んだ。
それまで、銀河帝国の旗艦キング・オブ・パイレーツは通常の戦艦タイプであったが、以後の新造艦は至近距離の砲撃戦や大規模な白兵戦にも耐えられる超巨大な要塞型戦艦となり、今日の「クイーン(キング)・オブ・パイレーツ」が誕生した。
しかし、実戦では、それ以後約九百年間、旗艦キング・オブ・パイレーツは、白兵戦どころか、砲撃戦すら挑まれたことはなく、実戦に投入されたことはなかった。
同様に、たとえ戦闘シュミレーションといえども、これまでは、旗艦キング・オブ・パイレーツが白兵戦などの直接戦闘を挑まれるような結果は生じなかった。
今日においても、帝国宇宙軍にとって、旗艦「クイーン(キング)・オブ・パイレーツ」は、無敵艦隊の象徴であり、帝国軍人にとって命懸けで守るべき神聖不可侵の砦である。