ヒトと触れあうのが嫌いだった。
学生としての生活を10年以上続けてきたが友人と呼べる人間は一人としていなかった。
ヒトを近づけることが嫌いだった。
いつも自分の空間を作っていた。
独り暮らし、最低限の設備だけ整った我が城で会う両手を肩の高さに上げる。ゆっくりと回る。風景を見ながら、自分の立つ場所を意識しながらゆっくりと回る。
ここが自分の範囲だ。この中に入れなければヒトに触れられる心配のない、素晴らしいスペースだ。半径はおおよそ自分の身長の半分となるので大体85㎝,面積にして0.7225πm^2である。
続けて数回回転する。少しずつ,自分とそれ以外の区分がはっきりとしていく気がする。何かから触られない範囲,傷つかない範囲,自分だけの空間。誰にも触られることのない,誰にも話し掛けられることのない
回転していればヒトは近づくことができない。
なんと素晴らしいことであろうか。
ヒトはヒトに傷つけられながら生きている。そして自分は傷つくことが嫌いである。傷つくことが嫌いだから部屋で一人になった。そしていつしか独りになっていた。独りが怖いとは思わなかった。誰かと一緒になりたいとは思わなかった。
だから回った。
ヒトが嫌いだから。
ヒトが怖いから。
回ることは素晴らしいことである。
しかし,何事にも例外があり,特異な趣味を持つ人間も多々存在する。そして,その特異な趣味をもつ人々は容易に自分のスペースに土足で踏み込んできた。そして,回る私の腕にぶつかり傷ついて去っていった。
痛快であった。
私以外の誰かが私の心を知ったふりをすることに嫌悪感を覚えた。
「みんなで遊ぼうよ」
小学校のクラスメイトはそう語り,二日もたてば私に近づくことは二度となかった。
「独りはさみしいだろ」
こう語ったそいつは三日間接触してきた。
「たまには一緒に行こうぜ」
一日
「あそぼ」
五日
「勉強教えてくれよ」
七日
「席隣同士だね。よろしくね」
四時間
誰しも近づき,傷つき,離れていった。
誰とでも仲良くなろうとするヒトが離れていく様を見ても私の心は動かなかった。
そして,回る速度は徐々に速くなっていった。
近づく人間はよりはやく回るようになった私の腕が当たることでより傷つくようになった。
ヒトは偽善者だ。
誰とでも仲良くなれる優しい自分を演じている。誰よりも可愛い自分を隠している。
だからヒトが嫌いだった。
また手が当たる。
誰かが吹き飛ぶ。
今日は当たる回数が多い。既に5回誰かと当たった。吹き飛んだ方を見ると、笑っていた。
無視して回り続ける。
回れば回るほど自分を認知できる。自分がいる場所を確認することができる。自分のすべきことが理解できる。
回らなければならない。人よりも巧く距離が測れないから。人よりも上手に自分を示せないから。
悲しくなる。自分が弱いことを知ってしまう。
また当たる。
振り向けば同じ顔が笑っている。
痛いという感覚がないのだろうか?その人もまた回転しながら当たってくる。軸がぶれている。回転速度も遅い。
そんな緩い回転では誰かの侵入を許してしまう。
そんな緩い回転だと他人の回転に弾かれてしまう。
そんな当たりの弱い回転なら誰かの回転を歪めてしまう。
私の回転を変えてしまう。
鋭く、ヒトを傷つけるかのように回っていた私の回転は歪んでしまった。
軸はぶれて、速度も落ちてしまった。回り続けてきた、誰にも邪魔されることなく。回り続けてきた、近づかれることが嫌だから。回り続けてきた、ヒトと触れあうのがいやだから、怖いから。
徐々に壊れていく自我という名のエリア。誰をも踏み入れさせなかったその空間に土足で入ってくる。
変わるのが怖い、誰かに自分という存在を変えられるのが怖い。自己を否定されるようで、過去を否定されるようで、未来の自分を拒否されたようで。
だからより強く回った。
いつか、躓くだろう。いつか、転けるだろう。
そんなとき貴方がいれば私は少し変われるかもしれない。そう思いながらいつまでも回り続けた。