まっまっマグロ!短編集   作:まっまっマグロ!

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ハーンへ告ぐ

メリー……いや、ここでは敢えてマエリベリー・ハーンと呼ぼう。彼女は異質だった。毎日、同じような紺色の服をまとい、金色の髪を適当に肩よりも上で切り揃え……切り散らかすといった方が適切か。周りに集まる如何なる女共よりも美しい色を持ちながらも、近寄る男共と変わらない、適切ではないとは言わないが、適当な格好をしていた。おそらく、昨晩髪を乾かさずに寝たのだろう、髪がナイトキャップの縁からはみ出している。おそらく、夜遅くまで暗い中、本を読んでいたのだろう、目の下のクマが普段よりもハッキリと彼女の目を縁取っている。それさえも化粧で隠すなどといったことを彼女がするはずもなく、ありのままの姿で哲学書、心理学書をまるで自己啓発本のように裸で持ち歩いている。

 

彼女は美しく、それを鼻にかけたり誇示したりはしない、と言えば聞こえは良いだろう。しかし、彼女を知る全ての人が抱く結論は只一つ、“彼女は誰よりも異質である”。

 

私と彼女とは特別な接点もなく、学部も違う。“変わったやつがいる”という噂話を真に受け、遠巻きに彼女を観察する“彼女ではない人達”の一人でしかなかった。そして“彼女ではない人達”の中で私もまた異質であったのだろう。“彼女ではない人達”は彼女を遠巻きに観て、彼女のその美しい姿を海馬に刻むことを目的とするもの、彼女の行動を面白がるもの、彼女の行動一つ一つに意味を見いだそうとするもの等々……様々な観点からそれぞれの尺度で彼女の観察に勤しんでいた。

 

私が“事実の客観的理解の必要性、必要要素と客観的理解による弊害~友人Aの行動原理の客観的解釈に則して~”について私なりの解釈を模索している最中、彼女の不思議な行動に気がついた。彼女はときどき、虚空を眺めるのである。一瞥するのならばまだしも、長いときには10分もの間、短くとも数分は何もないはずの空間のある一点を眺め続けるのである。その行動はその後、幾度となく観察された。何日も観察されないときもあれば、一日に何度も観察されたときもあった。

 

そして今日、彼女が次の講義のため、その場を後にする。私はそれまで抑えていた、ヒトの行動を司る最大の要素である“イド”を抑えることができなかった。物理、特に量子力学的分野を学ぶものとしてこの世の不確定要素をノゾキたい、観測者としてこの世界に存在したい。彼女が立ち尽くしていた場所に立ち、彼女がその瞳を奪われていた虚空へ視線を当てた。“私の眼”ならば何か解るかもしれない。そんな吹けば飛んでいきそうな微かな希望、願望を胸にその空間を凝視する。

何も見えない

眼に力を入れる。

何も見えない。

眼を細めてみる。

何も見えない。

まさかと思いながら、白目を剥いてみる。

何も見えない。

 

「何をしているの?」

 

突然の声、黒目を声の主に向けてみる。彼女が、マエリベリー・ハーンが私の目の前に立っていた。

 

今までは遠巻きにしか見ることのできなかったその瞳、金色の髪、できの良い西洋人形を思い起こさせる整った顔立ち。そして、目の前に立たれたことではじめて気づく、どこか埃っぽい。そして、その埃っぽささえも彼女の雰囲気をアンティークショップに並べられたフランス人形のような気品高さを醸し出す。私と何が違うのだろう、知ってしまえば私が傷つくだけの疑問を抱く。

 

「ちょっと良いかしら?」

 

マエリベリー・ハーンの声で我に戻る。私の手指はマエリベリー・ハーンの頬を優しく、割れ物かシルクかを撫でるように……

 

「ごめんなさい、ハーンさん」

 

慌ててマエリベリー・ハーンの容姿に惹かれ、無意識に触れていた私の無作法な手を引く。強く目を瞑り、頭を大きく下げる。決して触れることの許されない美術品に触れてしまった、傷つけてしまった、そんな気分さえもする。ゆっくりと目を開き、マエリベリー・ハーンの顔を伺う。

 

マエリベリー・ハーンはまっすぐにこちらを見ており、眉をしかめ、シワ一つないかった眉間にシワを寄せてしまっている。

 

「おえんあい」

 

マエリベリー・ハーンの口がそう動く。わずかに遅れて私の外耳を通り、鼓膜を震わし、耳小骨を介して伝えるられる文字の羅列。頭の中で処理する。「ぐぉめんななすあい」、「ごめんああすぁい」どちらも違う。

 

「ごめんなさい?」

 

必死に導き出した答えを、ふと口にだしマエリベリー・ハーンに確認をとる。これで良かったのだろうか?会話の流れでこの言葉に間違いはなかったのだろうか?聞き返して相手を嫌な気持ちにさせないだろうか?様々な思いが錯綜する。

 

「それであってるわ。私は『マエリベリー』、『ハーン』と呼ばれるのがすきではないの。できるなら、それ以外で呼んで欲しいの」

 

マエリベリー・ハーンの口が先程よりも遅く、はっきりと動く。こちらの事情を察するように。何と呼べばいいかたずねる。それとなく、自然な流れを意識して。

 

「メリーでいいわ。それなら貴方も発音しやすいでしょう?」

 

私は静かに顔を縦に振った。


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