炎天下のもと体育教師の野太い声が響き渡っていた。
中学校のグラウンドででは一年生恒例の集団行動の訓練が行われているようである。
懐かしさも感じつつも、当時の体育教師や、テストで間違ったときのクラスメイトの視線の冷たさを思いだし、鳥肌がたった。
もう六月なんだがなと呟きながらソフトパックからタバコを一本取りだし、火を着けた。
グラウンドの方から自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
慌ててタバコを背後に隠す。もう十年もたつのに癖というものは恐ろしいものだ。
苦笑いを浮かべながら、もう一度タバコに口を着けた。
大きく深呼吸をし、肺まで煙を入れる。
また呼ばれた。途端に噎せ、咳き込んでしまった。どうやら自分の名前と似ているが一文字違いのようである。安心しつつゆっくりと煙を吐き出した。
体育教師が大股で近づいている。俺とにた名字の生徒が連続で間違えたらしい。
体育教師が件の生徒に怒鳴り散らす様子を見て、大人らしくない黒い笑顔を浮かべる。よく怒鳴られていた自分からすれば今のうちに怒鳴られなれるべきだと考えていた。
生きていく上で自分は様々な寄り道をしただろう。その結果、比較的まともな生活を送っている。サラリーマンとして真っ当な職に付き、結婚こそはしていないが、プロポーズの準備は進めている。
年金も納め、保険にすら入っている。昔からつるんでいた友人たちとは大きく違う生活を送ってしまっている。
夢は追えなかったが、比較的ましな人生を得ることができた。
また、名前を呼ばれた気がした。タバコを隠し、辺りを見渡すと一人の男が走ってきていた。見た目はおおよそ50代。年相応に白髪もあり、腹も出ている。
しかし、見覚えのある暖かみのある厳つい笑顔だ。
どうやら俺を知る人らしい。そして、著名人でもない俺にとって、俺を知る人とはほとんどの場合俺が知る人でもある。
俺が中学校にいた頃の体育教師のようだ。以前よりも威厳は減ったが丸みを帯びたその身体と同じように表情にも柔らかさがある。
10年ぶりに話した。今は教頭となり、教鞭はとっていないこと、息子が来月結婚すること、俺が所属していた部活が春の大会で、県大会まで進み、全国大会目前であったこと、最近の子供はタバコに触ろうともしないことなど本当にとりとめのない、積もらない話をしていた。
そして、話題は同級生の現在へと向かった。
○○が刑務所に入っていること、××がヤクザの下部組織に所属していること、△△が暴走族をしていたが事故で片腕を失ったこと、□□が詐欺紛いのことをしていることなど当時を思い返せば当たり前のようにあると思っていたことが当たり前のように存在しないことを痛感した。
そして、俺に対し、よく更正してくれたと大きく笑いながら語りかけた。
当時の俺は右を向けといわれたら左を向く今思えばただの天の邪鬼な子供だった。そして、それを当時は格好いいと思っていた。
世間的には更正したと言われるかもしれないが、当時はそれが当たり前だったし、楽しかった。友人と体格に似合わない重たいタバコを吹かし、叶いもしない夢を語らい、意味もないことに熱意を向けていた。心の底では友人たちと共に道をはずしても良かったのではないかと考えたこともあった。
開いたこともない教科書を開き、見たこともない問題を解き、改造制服の似合わない学校に通い、見た目に合わない大学を受験し、過去の行いに相応しくない生活を送っている。
しかし、友人と語った夢は叶わなかった。
「先生、回れ右をしても回れ左をしても結局は後ろを向くんですよ。右向け右をしても結局は270度左に回るのと同じなんですよ」
そう言いながらゆっくりと左足を後ろにずらし、振り向いてから歩き始めた。