蒼穹のファフナー Benediction   作:F20C

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一週間振りになります。
すみません……まだまだ仕事は落ち着きそうもなく、しばらくは週一更新が続きそうです。

今週は祝日で休みのはずなので、その間に頑張って書きます。。。
きゅ、休日出勤とかにならなければいいんですが(震え声)


今回はシュウ視点のみです




たとえ私がそこにいなくても -Ⅴ-

ファフナーをブルグに格納するまで、もう何度気を失いそうになったのか。

戦闘中から延々と続いていた視界のかすみ、体にかかる重力が何倍にもなったかのような強烈な倦怠感。

意識を手放せばどんなに楽になれたのだろうと思う一方で、気を失った瞬間、この世界から消えてしまうという確信めいた何かがあった。

約束を、姉ちゃんと芹との約束を果たすまでは、いなくなる訳にはいかないという思いがそうさせたのか、俺は石にかじりつく気持ちで意識の手綱を握り続けた。

 

そんな病の症状も、戦闘が終わり、ファフナーを極度に激しく動かす必要がなくなってからはややマシにはなったものの、体の不調は最早隠し様のないものだった。

その証拠に、俺はコクピットブロックから出た瞬間、その場に膝をつく羽目になってしまう。

 

息は上がり、肩で呼吸をする。

堪らずコクピットブロックとブルグを繋ぐデッキの壁を背に座り込んでしまうが、立ち上がることも出来そうになかった。

 

 

「はぁ…はぁ……無様だな…これじゃあ」

 

 

姉ちゃんに無理を言って、勇んで出撃したはいいものの、この体たらく。

これでは遠見先生が、姉ちゃんが俺をファフナーに乗せたがらないことにも十分に理解を示すことが出来る。

理解はしても、それに甘んじて納得してやるつもりもなかったが……あぁ、確かに、俺の体は島の加護がなければこれほどまでに脆弱なのだと思い知らされる。

 

 

「ったく……また随分な無茶しやがって……」

 

「剣司……先輩……」

 

「ま、大人しくしてろって人に言われて聞くような奴じゃないとは思ってたけどな……」

 

 

見れば、座り込んでしまっていた俺を見下ろすような形で剣司先輩の姿があった。

マークツヴァイの正面に格納されたマークアハトは腕を失い、機体の各所に大きな傷が目立っている。

剣司先輩もまた、無事とはいえないものの今回の戦闘を切り抜けたということだが、カノン先輩もそうだが歴戦のパイロットがここまで追い込まれているこの状況。

それほどまでに、今回のフェストゥムの猛攻は苛烈だったということか。

 

一騎先輩や……暉や咲良先輩を助けたというファフナー、いや甲洋先輩が居なければ俺や皆はいなくなっていたかもしれない。

 

そして、次に同じような大軍で攻められでもすれば、竜宮島の未来は無いも同然だと証明しているかのようでもあった。

 

 

「ほら、肩貸してやるから一緒に医務室行くぞ。さっさと遠見先生に診てもらわねぇとな」

 

「いや……でも咲良先輩のところへ……行ったほうが…」

 

「病人が変な気ぃ使ってんじゃねーっての。それに、後輩放っといたままとか知ったら、咲良から鉄拳が飛んでくるって」

 

「は…い……すみません……」

 

 

そう言って、剣司先輩は肩を貸す……と言うよりは担ぐと言った方が正確かもしれないが、俺をその場から立ち上がらせてくれる。

歩いている…と言う感覚も最早怪しいが、意識は少しずつはっきりしてきた。

 

そして同時に、改めて剣司先輩と咲良先輩の間の見えない絆のようなものに少し憧れてしまう。

そう考えた瞬間、芹の顔が頭を過った。

 

 

「おい…! シュウ!!」

 

「…広登か…」

 

 

ブルグの中ほどまで差し掛かったところで、霞む視界の中に一人の人の形が見える。

やや怒気を含んだ声と、ピントを合わせることで識別できるようになった顔を見て、それが広登だと判断できた。

 

声に表れた怒りを裏付けるように、広登の表情には強い憤りが見て取れた。

思えば、広登を助けるつもりで戦闘に割って入ったが、その時も俺が出撃したことに怒りを露わにしていた。

ここ最近、ずっと広登との折り合いが悪くなっていたこともあり、また余計なことをした事に怒っているのかとも思った。

 

しかしながら、広登の怒りの表情はここ最近のそれとは少し違って見えた。

 

 

「どういうことだよ! お前、ファフナーに乗ったら危ないって言われたたんだろうが!! なのになんでノコノコ出てきやがった!」

 

「……」

 

「ヒーローにでもなったつもりかよ! この死にたがり野郎!!」

 

 

あぁ、そっちのことかと、広登の言葉を聞いて納得する。

どこで聞いてきたかは知らないが、こいつも俺の体のことを知っていたんだったな。

俺のことを心配して……いや、どうしても俺がファフナーに乗って戦闘に参加すること自体への不満を隠せないようだ。

 

しかしまぁ……広登の言う『死にたがり』と言うのは正直なところ否定できる要素がない。

今回の戦闘にしても、死ぬつもりはなかった……が、直前に姉ちゃんに送り出してもらってなければ、文字通り捨て身で戦っていたかもしれない。

 

 

「広登、その辺にしとけ……」

 

「お前に何かあったら……あいつが………あぁくそ!!」

 

 

剣司先輩も広登の言い分も少しは理解できるという風に、静かに広登を窘める。

先輩もまた、広登のように感情を発露させることはないにしても、同じような思いはあるということなんだろう。

つまり、今回の俺の行動はそれ程のものだったということ。

 

剣司先輩に窘められた広登は、悔しそうに、そして怒りを押さえつけるように拳を握る。

そんな広登に、俺も俺の思いをそのままぶつける。

 

 

「いなくなるつもりはなかった……ただ、芹の事を守りたかった。それに、皆にもいなくなって欲しくなかった…広登、お前にもだ」

 

「……っ!」

 

「悪いな、広登」

 

「なんで……お前はいっつもそうなんだよ……! お前がそんなんだから、芹は……いや、俺なんかじゃ入り込めないって……!!」

 

 

俺の言葉に、広登は苦しそうに、しかし心の奥から絞り出すような声でそう呟く。

広登の真意、何を思っての呟きなのかは分からない。

ただ、芹のことを話す時だけは、広登の声に彼女を思いやるような色が見えた気がする。

 

ーーーもしかすると……広登は芹のことを…

 

と、俺がそう考えた瞬間の事だった。

 

 

「修哉くん!!」

 

「広臣……さん?」

 

 

ブルグに駆け込み、やや冷静さを欠いたような声で俺を呼ぶ声が耳に飛び込んでくる。

声の主、広臣さんはその声に違わず、何かに焦りを覚えたような、そして俺の顔を見た瞬間深い悲しみを思い出したような、そんな表情を浮かべる。

 

余程急いで走ってきたのか、息が上がってしまっているほどだが、俺は違和感を覚える。

息が上がるほど走ってきたということは、それなりの距離があったということだ。

そしてそれは、ブルグ勤務エンジニアの広臣さんがそこまで距離がある何処かに、戦闘中に足を運んでいたということに繋がる。

 

加えて俺の眼は目聡くも見てしまったのだ、広臣さんの制服に染み込んでいた紅い色。

 

 

「絵梨…さんが……」

 

「え?」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

その光景を、俺の脳は処理することが、認めることが出来なかった。

清潔さとそれを汚すことを躊躇わせる白い部屋、ついこの間まで俺自身も使用していた病室。

 

違うところを上げるとするのであれば、俺が入院していた時とは比べようもないほどの種類の機材が運び込まれていること。

部屋にいる遠見先生、広臣さんの表情が酷く絶望めいたそれであること。

そして、最大の差異は、ベッドの上に横たわっているのが姉ちゃんだということ、つい数時間前に俺を送り出してくれたその人が、人工呼吸器に繋がれていたことだった。

 

嘘だ、嘘だ、嘘だと、心の中で反芻し、これは悪い夢だと、霧のように晴れてしまう夢なんだと、その終わりを待てども世界は暗転しない。

目の前の光景が現実だと、認めろと、受け入れろとでも言わんばかりに、俺に見せつけてくる。

 

 

「姉ちゃん?」

 

 

未だに霞がかった視界とふらつく体を動かす、転びそうになるところと広臣さんに支えてもらいながら、姉ちゃんの横たわるベッドの側に行く。

人工呼吸器による機械的な、定常的な呼吸音がやけに大きく聞こえ、それが今の姉ちゃんが辛うじて生かされている状態なのだと俺に告げている。

 

静かに閉じられた目蓋、いつもの血色の良い顔は見る影もないほど青ざめている。

呆然としながらそれを見つめるも、姉ちゃんは目を覚ましてくれることはない。

 

 

「戦闘中…ブルグがフェストゥム……マークニヒトの現出によって崩落したの……絵理さんはその瓦礫を体に受けて……」

 

 

遠見先生が今の姉ちゃんの状態について、その原因を掻い摘んで教えてくれる。

それは言葉としては俺の耳に届きはすれど、俺はそれを理解しきれずにいた……いや、そんな余裕など無いといったほうが正しかった。

 

なんで、どうして姉ちゃんが?

島に、アルヴィスにさえいれば安全だと、そんな何の根拠もない安心を俺は心の何処かで持っていたのだろう。

危険なのは前線で戦っている俺達だけ、他の皆は危ない目に会うことはないから大丈夫だと。

 

だが、現実はどうだろうか。

そんな楽観が現実世界で成立するのであれば、今俺の目の前で姉ちゃんがベッドに横たわっていることなんてあり得ない。

 

 

「修哉くん……すまない、僕がすぐ隣りにいたのに……本当に…!」

 

「………」

 

 

違う、広臣さんの所為じゃない、そんなことあるはずがない。

けれど、俺の口から声は出てこない、広臣さんに何も言うことが出来ない。

まるで、フリーズしたPCのように、俺は何も出来ないでいた。

 

俺を送り出してくれた、帰りを待っていると言ってくれた、信じると言ってくれた。

俺は約束を守ったつもりだった、ブルグに戻ってコクピットブロックのハッチを開ければ姉ちゃんが待っていてくれるのだと思っていた。

 

なのに……なんなのだこれは。

 

 

「シュウ…く…ん…?」

 

「絵梨さん!?」

 

 

そんな時だった。

俺の存在がそうさせたのか、たまたま姉ちゃんの意識が戻ったのかは分からないが、姉ちゃんの目蓋が弱々しく、ゆっくりと開き、俺を見る。

喋るのも辛いだろうに、俺の姿を認めた姉ちゃんは俺の名前を呼ぶ。

 

掠れたような、今にも消えてしまいそうな小さな声だった。

そんな声にもかかわらず、いつものあの優し気な、やわらかな色を含んでいた。

 

 

「姉ちゃん……」

 

「あぁ……シュウくんだ……ちゃんと……帰って…来たんだね……偉い…偉い」

 

 

いつものように、けれどどこか必死に声を振り絞っているのが分かるような、そんな声。

俺を撫でようとしたのか、腕を上げようとするが、俺の腰辺りにまで伸びた手はそれ以上は上がることはない。

 

力が抜けてずり落ちそうになった姉ちゃんの手を、無意識の内に掴み取る。

氷を触ったのかと思うほど、冷たい手だった。

いつもの暖かな姉ちゃんの手を知っているだけに、それがどれだけ異常なことなのか、俺には嫌でも分かってしまう。

 

 

「ごめんね……本当は……ブルグで…待っててあげたかった……けど……お姉ちゃん……ちょっと…ドジっちゃって…」

 

 

その姉ちゃんの言葉に、広臣さんが悔しげに俯いてしまう。

見れば、広臣さんの目からは涙が溢れているではないか。

 

遠見先生も同じく、口元をわなわなとさせ、何かに必死に堪えるようにしている。

そんな大人二人と、姉ちゃんの様子を見て、言葉を介さずに伝えられたような気がした。

『姉ちゃんは、もう助からない』という事実を。

 

 

「でも……うん…ちゃんと…帰って来てくれて……嬉しい……」

 

「………」

 

「……芹ちゃんへの……お返事……ちゃんと、考えた…?」

 

 

姉ちゃんの問いに、俺は首を横に振る。

戦闘中、無性に会いたくなったり、顔を見たくはなった……けれど、それがどういうことなのかが分からなかった。

それを見た姉ちゃんは、『仕方がないなぁ』とでも言いたげな表情を向けた後、瞼を軽く閉じながら口を開く。

 

 

「言ったでしょう……? 自分が…どうしたいかを……考えればいいの……素直に、自分の心に…従えばいいの」

 

「……」

 

「私は……それが出来なくて……怖くて…出来なくて……すごく……後悔した…から…」

 

 

姉ちゃんの話に、俺だけでなく、広臣さんも反応を示す。

多分……いや間違いなく、姉ちゃんはあの夏祭りの日の出来事のことを言っているんだろう。

広臣さんのプロポーズを、俺のせいで姉ちゃんは断ることになったあの出来事を。

 

……そうか、俺は姉ちゃんにそんな後悔までさせてしまっていたのか…と、そう考えた時だった。

それを否定するかのように、姉ちゃんが言葉を重ねてくる。

 

 

「広臣くんに……プロポーズされたんだけど……私……怖くて……断っちゃって……」

 

「怖い…?」

 

「結婚して……家族の形が変わるのが……怖かった……今までの私が………いなくなりそうで……怖かった……」

 

「……」

 

「だから……シュウくんの…ため……だなんて……酷い言い訳……建前だけ残して……最低で……卑怯なことした…」

 

 

だから断った?

俺の体云々という理由は、俺を一人にしておけないというのは、姉ちゃんの恐怖心を覆うためのオブラートだった?

それを、姉ちゃんは酷く悔いている、恥じている、自身を罰するような声で俺達に打ち明けた。

 

普段なら混乱していたかもしれない。

けれど今は……姉ちゃんの言葉を、ひどく綺麗に受け入れられている自分がいた。

 

 

「広臣…くん……ごめんね……折角……頑張って…くれたのに……私が、臆病て……素直になれなかった所為で……」

 

「絵梨さん……っ!」

 

「ほんとは……ね? 結婚して欲しいって……言ってもらえて……すごく…嬉しかった……自分でも……どうにかなっちゃいそうな……くらいに…」

 

「いいえ…っ! 僕は……その言葉だけで……っ!」

 

 

その言葉を起点に、広臣さんはその場に崩れ落ちる、泣き崩れる。

恋人が、プロポーズした相手が、断られたと思っていた相手が、本当は自分の勇気を振り絞った言葉を嬉しく感じてくれたこと。

けれど、その相手はもうすぐいなくなるという事実に、残酷な現実に、立っていられなくなったのか。

 

姉ちゃんは広臣さんに向けていた視線を俺に戻し、優しげな表情のまま続ける。

 

 

「だから……ね……シュウくん……芹ちゃんに……好きだって……言ってもらった時…どう思ったか……思い出してみて」

 

「……」

 

「反面教師……って言うつもりは……ないけど……シュウくんと…芹ちゃんには幸せになって…欲しいから……」

 

「でも…姉ちゃんだって…姉ちゃんが居ないと……」

 

「私が……そこに居なくても……二人なら……大丈夫…」

 

 

どこからそんな自信が出てくるのか、と一笑に付する事は簡単だ。

けれど、姉ちゃんの声にはどこか確信めいた、確固たる証拠でも見てきたかのようなものを感じた。

俺の…俺達の幸せを心に願ってくれていることが痛いほど伝わってきた。

 

そして、姉ちゃんにだってそんな未来はあるだろうと、この現実を否定するような事を言おうとする俺の言葉をかき消すように、姉ちゃんはそう重ねる。

そこに自分が居ないのが残念だと、一緒に見たかったと言いたげに。

 

 

「家族……私達……ずっと二人……だけで寂しかった………お父さんと…お母さんが…いなくなって……私も2人のところに……行きたいって…思うことも……あった」

 

「……」

 

「でも……シュウくんがいたから……私は……頑張れた……一生懸命、生きられた……」

 

 

姉ちゃんの言葉に、心臓を掴まれたような思いになる。

俺が物心付く前に死んだ両親、記憶に両親の姿が無い俺とは違い、姉ちゃんはどれほどつらい思いをしたのだろう。

 

姉ちゃんだって、辛くて、どうしようもなくなって……俺と同じようにいなくなりたいと思ったことがあったと言う。

けれど加えて姉ちゃんはこうも言った、『俺のお陰で生きる事が出来た』と。

 

ずっと、俺のせいで姉ちゃんは幸せになれないと、邪魔をしていると思っていた。

けれど……姉ちゃんはそんな俺に…感謝していたというのか。

 

 

「だから……シュウくん……シュウくんが……私の弟で…生まれてきてくれて……私は、幸せだった……」

 

 

姉ちゃんの声が、どんどん小さくなっていく。

声と一緒に、命までもが流れ出してしまっているかのように。

 

しかし、喋らないでくれとも言えない、俺の口は全く動いてくれない。

私は幸せだったと、そう満足そうに呟く姉ちゃんを止めることなど出来なかった。

 

 

「……はぁ…はぁ……ごめんね……ほんとは……また…夏祭りとか……学校の卒業式とか……出てあげたかった」

 

「……」

 

「大人になった……シュウ君……見たかった……」

 

 

姉ちゃんの、命が尽きる。

短くなったロウソクのように、切れ掛かった蛍光灯のように、命を光に定義するのなら、小さく、そして弱々しく明滅している。

 

そんな姉ちゃんに、俺はどんな顔しているのだろうか。

悲しい顔をしているのか、泣いているのか、状況を信じられず呆然としているのか。

もう、自分で自分がどうなっているのかも分からない。

ただただ、消え行く姉ちゃんの姿を見ているということしか意識になかった。

 

そしてーー

 

 

「そんな顔……しないの………」

 

「姉ちゃん……俺は」

 

「大…丈夫……シュウくんの事は………私が……お父…さんと……お母さん……の分まで…………守る…から……私、頑張る………から…」

 

「あ……」

 

「うん……寂しい……思いは……おねえちゃん……させない……」

 

 

何かを思い出すように紡がれた最期の言葉。

姉ちゃんの命の終着点としての言葉。

 

その言葉の終端、ピリオドが切られた瞬間、俺が掴んでいた姉ちゃんの手から力が抜けた。

姉ちゃんの手は、未だに、確かに俺の手の中にある。

 

しかし、そこには最早姉ちゃんの意志というものは存在しない、俺の手を握ってくれる姉ちゃんが存在しない。

 

 

「姉ちゃん?」

 

 

姉ちゃんのことを呼ぶが、返事も、反応も、なにも……そう、何もない。

姉ちゃんの体はそこに在る……しかし、姉ちゃんはもうそこにはいない。

 

もう二度と、俺のことを呼んでくれることも、心配してくれることも、触れてくれることもない。

 

 

「………嘘だ…」

 

 

辛うじて俺が絞り出せた言葉は、そんな一言だけだった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

気が付けば、目の前には海が広がっていた。

それが竜宮島の浜辺であるということに気がつくまで、どれほどの時間がかかったのだろうか。

星は見えないが、この濃い闇色は夜のそれだと理解し、時間はすでに夜を迎えているのだということくらいは分かった。

 

 

姉ちゃんが、いなくなった。

 

 

いつも俺を守ってくれていた人が、帰りを待っていてくれた人が、たった一人の家族が、いなくなった。

今日この日、俺は最後の家族を失った、正真正銘、独りになった。

それを理解してからの記憶が、自分がどうやってこの海辺にまでやって来たのかという記憶が無い。

茫然自失の状態で、夢遊病患者のようにフラフラとこんな所まで来たというのか……いや、俺にとって、今やそんなことは瑣末なことでしかなかった。

 

人間というものは、なんとか弱く、脆弱な生き物であるのか。

それを嫌というほどに思い知らされ、そのための現実を押し付けられた。

 

守ろうとした家族が、大切な人が……こうも簡単に、あっさりといなくなった。

 

 

「ふふ……あははは……」

 

 

姉ちゃんは、俺のせいで幸せになりそこねたのだと、俺の存在が邪魔をしているのだとそう思っていた。

夏祭りのあの光景も、全て自分が悪いのだと、俺さえ居なければ全て丸く収まるのだと、上手く行くのだと。

 

その思いをトリガーとして、いなくなろうと思って行動した。

自身の存在こそが害悪なのだと、自分の命を使ってでしか役に立てない、価値の欠片もない人間なのだと自身を定義して。

 

だが、姉ちゃんは言った。

自分が変わってしまうのが怖くて、変化を受け入れる勇気がなかったから広臣さんの思いを受け止められなかったのだと。

俺のことを建前に使ってしまったのだと。

 

そして、俺の思いと考えに反して……俺のお陰で幸せだったと、生まれてきてくれて良かったと。

最後の最後まで、俺の存在を、命を、生きていることを肯定してくれた。

 

 

「あはははははははっ!!」

 

 

自分でも驚くくらい、笑えてしまう。

いや、これが笑わずになどいられるものか。

 

なんだそれは……!なんなんだこれは…!!

あまりにもおかしい、滑稽極まっているではないか、俺の見事なまでの道化っぷりは。

こんな無様で滑稽な、恐ろしいほどに愚かな道化が出てくる喜劇など早々お目にかかれない。

アーカイブににでも保存して、後々の世に知らしめて笑いをとれるレベルじゃないだろうか。

 

これほど笑える、愉快な話などありはしないだろう。

 

……いや……ほんと……笑えるよ……面白すぎて………どうにかなりそうだ。

 

 

「はぁ…はぁ……くくく……っく、あ…ゴホッゴホッ!!」

 

 

笑いながらも咳き込み、その場に膝をつく。

ファフナーに乗っている時のように、視界は揺れ、体に鉛で出来た服を着せられたような倦怠感が襲い掛かる。

 

口を抑えた手を見れば、真っ赤な鮮血が俺の手の平を染めている。

 

病によるものだと、そう理解した俺はポケットから遠見先生からもらった薬を取り出す。

一時的に発作を抑えこむための薬……気休めに、一時的に命を延ばすための薬だった。

 

血で真っ赤になっていない方の手にその薬を取り、見つめる。

これを飲めば、命を少しは長持ちさせられるだろう、芹とももう一度会えるかもしれない………けれど、姉ちゃんに会うことはもう、未来永劫叶わないのだ。

物言わぬ、薬然とした色のカプセルタイプの薬は、まるでそう言って俺を嘲っているようだった。

 

 

「……こんなものっ……!!」

 

 

手にした薬を、海に投げつけようとした……が、出来なかった。

らしくない、俺らしくない意味のない行為、明らかに俺は今、冷静さを欠いている。

 

このまま気でも狂ってくれたほうが、どれだけ楽になれるだろうか。

人らしさなんて、人間らしい感情なんて、かなぐり捨ててしまえれば、こんなに苦しい思いなどせずに済むというのに。

 

 

「……くそっ!」

 

 

薬を捨てようとした瞬間、今際の際の姉ちゃんの顔が頭を過った。

結局のところ、俺には手の中にあった薬を無理矢理口に入れて飲み込む事しか出来なかった。

薬の苦味だけではなく、何か別の……嫌な味が口の中いっぱいに広がり、危うく戻しそうになってしまうが必死に堪える。

 

飲み込むことは出来た……発作も少しすれば収まるだろう。

けれど……そんなものがいくら収まったところで、何の慰めにもならなかった。

 

どうしようもない思いを、今にも弾けてしまいそうな自分自身を抑えこむように砂浜に蹲る。

 

 

「………芹……助けてくれ……俺…一人だよ……」

 

 

苦しさから漏れだした弱音。

情けなくも、今も頑張っている芹に助けを求めてしまうような自分が………いや、違う、ずっとそう思っていたことだ。

俺はそんな自分が、自分自身がどうしようもなく嫌いだった。

 

 

そして、当然の帰結ながら、芹の声は俺の耳に聞こえては来なかった。

 

 

 





今回のお話は、どうするかかなり悩んでいました。
誰もいなくならない路線にするか、それとも・・・というお話の進め方の選択ですね。

最終的に、書きたいと思った内容に則して、展開を進めました。



さてさて、心身ともにまさにボロボロなシュウでございます。
家族も失い、いつも傍に居てくれた芹も、今はいません。
初めて明示的に「助けて」と言ったシュウですが、何もこんなタイミングでという。

まぁ、こんな状況になるまで他人に助けを求められないタイプの人間ということです。
以前、感想欄にてシュウはメロンパンメンタル(外はカリカリ、中はふんわり)と称されましたが、言い得て妙というか、的を射ている表現ですね。

極めてテクニカルな表現だ(キリッ


次回は、この今回のお話からの続きです。
ボロボロのシュウがどうなるのか、見てやってください。

あぁ・・・優しい、笑える、ほのかにエロいお話を書きたい…



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