「やっぱりさぁ…。世の中には絶対ケンカを売っちゃいけない相手ってのは居るんだよ。正直、ギーシュのことは気の毒だったけど仕方ないよね…」
相手の強さを見抜く才能は、時として魔法の才能よりも遥かに重要になり得る。
それがギーシュと赤屍の決闘騒ぎという事件を通して、学院の生徒全員が学んだ教訓であった。
教室で炸裂したルイズの爆発魔法。
その爆発魔法の余波をもろに受けたミセス・シュヴルーズが気絶してしまったので、当然講義は中止となった。
そして、己の不始末ということで教室の片づけを命じられたルイズ。赤屍もまた彼女の掃除を黙々と手伝っている。
それにしても、あの赤屍が箒でせっせと床を掃除をしている光景は若干シュールである。おそらく美堂蛮あたりがこの光景を見たら、指を差してゲラゲラ笑っているかもしれない。
黙々と掃除を続けていたルイズだったが、ふと彼女はその手を止めた。
「…分かったでしょ」
「何がです?」
「私の二つ名の理由よ」
黙々と汚れた教室内を掃除を続ける赤屍へ、ルイズは疲れたように言った。
魔法の成功確率ゼロ。だから『ゼロ』のルイズ。クラスメートには、いつもその不名誉な二つ名で呼ばれ、笑われてきた。
土系統の初歩である『錬金』の魔法。人によっては学院に入学する前であっても出来る簡単な魔法。それでも、やっぱりうまくいかなかった。
金属に変わるはずだった石は派手に爆発し、教室はめちゃくちゃになってしまった。
「アンタは私に才能があるなんて言うけど、本当にそうなの? ちゃんと勉強してるし、たくさん練習したわ。でも、爆発させてばっかり!」
ルイズは未だ黙ったままの赤屍の前までやって来ると、叫ぶように言い放った。
「どうせあんたも本当はバカにしてるんでしょ!? 貴族のくせに、できそこないだって! 魔法の使えない、落ちこぼれだって!」
だが、そんなルイズに対して赤屍は、やれやれと苦笑する。
そして、赤屍が彼女に返した言葉はよりにもよってこうだった。
「ククッ…何を言い出すかと思えば、そんなくだらないことですか」
「く、くだらない?」
「ええ。本当にくだらないですよ。他人からの評価ばかり気にしているから、自分の本当の可能性と本質に気付かない」
赤屍はバッサリと斬り捨てるように言った。
本当の変化とは、常識や想像の枠に収まり切ったままでは出来ない。
赤屍に言わせればこの学院の生徒も教師も全員がそれが出来ないボンクラだった。
「先程の貴女の『爆発』を見て確信しましたよ。貴女の魔法が爆発する原因は、貴女の持つ力が大きすぎる所為で、既存の術式では制御できずに暴走しているからです」
言いながら、赤屍はかつての無限城の『雷帝』のことを思い出していた。
自分のお気に入りの好敵手である天野銀次という少年の怒りの感情が高まった時や、彼が命の危機に陥った時に現れていたもう一つの人格。
文字通り無限のエネルギーを内包し、物理法則すらも無視した圧倒的な攻撃力と回復力を持つ最強クラスの怪物。そして、赤屍の見立てではルイズが持つ力はその怪物に匹敵できる可能性を秘めている。
はっきりと爆発の原因を告げられたルイズは、まるで縋るように赤屍に訊き返した。
「そ、それって本当?」
「本当ですよ。けれど、それは貴女にとって逆に残酷なことかもしれませんがね」
強過ぎる力というのは、時に諸刃の剣となる。
望む望まないに関わらず、強大な力を持ってしまった者は、いつか必ず大きな流れの中に巻き込まれることになるからだ。赤屍はそのことを誰よりも知っている。
しかし、そのことを知らないルイズにしてみれば、残酷なことかもしれない、という赤屍の言葉に首を傾げるしかない。
「残酷なこと? それってどういう意味…?」
「さて、どういう意味でしょうね? 今は分からなくても、きっとそのうち分かりますよ」
ルイズに訊かれた赤屍は敢えて答えをはぐらかした。
しかし、ルイズの方はそれで納得するはずがない。ルイズはジト目で睨みつつ赤屍を問い詰める。
「アンタ、ふざけてるの?」
「クス…、そうですね。それではヒントでも出しましょうか」
ルイズにジト目で睨まれ、赤屍はクスリと笑った。
そして、彼は『スパイダーマン』というアメリカンコミックのテーマから引用した言葉を口にすることにした。
「With great power comes great responsibility.(大いなる力には、大いなる責任が伴う)」
そう言い残すと、赤屍は教室を後にした。
赤屍からヒントとして出された言葉の意味自体は、『サモン・サーヴァント』の言語翻訳機能によりルイズにも伝わっている。
だが、どうして赤屍がこんな言葉を口にしたのかルイズには分からない。教室に残されたルイズは呆然としたまま、そこから動けずにいた。
結局、ルイズが赤屍の言葉の本当の意味を知るのは、それからずっと後になってからだった。
◆
ルイズを残して教室を立ち去った後、赤屍はあてもなく学院の中をブラブラと歩いていた。
特に行き先はない。途中、様々な人や使い魔とすれ違う。皆一様にして同じ服やマントを身にまとい、時たま変な目でこちらを見てくるときもある。
だが、いずれも赤屍の興味を引くような実力者たちとは程遠い。
(メイジと平民の間には絶対的な力の差があると聞きましたが、どれもこれも紙屑のような雑魚ばかりですね…)
赤屍は内心でそう評価を下す。
この世界の戦闘レベルの標準がどの程度なのかは詳しくは知らない。
今の時点で赤屍がルイズ以外に目を付けているのは、青い髪の少女と黒髪のメイドの二人。
(時間も空いたことですし、少し探してみましょうか)
そう思いついた赤屍は、とりあえず青い髪の少女と黒髪のメイドの二人を探して学院の中を探索し始めた。
そして、しばらく学院の中をうろついていると、黒髪のメイドとは食堂に顔を出したら意外にもあっさりと遭遇できた。
だが、どうも先程から雲行きが怪しい。
「メイド君、君が軽率に瓶なんかを拾い上げるおかげで、二人のレディの名誉が傷ついたじゃないか。どうしてくれるんだね?」
「え……も、申し訳ありませんっ!」
近くの生徒に事情を聞いてみると、黒髪のメイドが彼――ギーシュの落とした香水を拾ったために彼の二股がバレてしまい、彼は二人の女生徒から平手打ちと絶交宣言を受けてしまった。
黒髪のメイド――シエスタはその事でギーシュから八つ当たりを受けているらしい。
だが、何故あのシエスタというメイドはあんなにも彼を恐れているのか。
正直、赤屍からすれば今の状況が不思議で不思議で仕方ない。
(彼女が恐れるような相手ですか?)
右目に『聖痕』を宿したメイド。
本来的にはシエスタの方がギーシュよりも遥かに強いはずだ。
普通、自分より圧倒的に格下の相手を恐れる理由などない。
(…ということは、彼女自身は自分の力について、まだ何も知らないでいるということでしょうかね?)
実際、赤屍の予想は当たっている。
彼女は『聖痕』を持ってはいても、まだ覚醒させてはいない。
もしも、覚醒させていたなら、そもそもこんな学院でメイドとして働いてなどいないだろう。
今の彼女は普通の一般人となんら変わらない。そうである以上、平民である彼女が貴族の男を恐れるのは当然であった。
この世界での貴族と平民の身分差は歴然としており、最悪の場合、日本の武士の「切捨御免」や「無礼討ち」のようなことにまで発展することもあるという。
赤屍からすれば、将来有望な人間の未来がこんな形で閉ざされるのは本意ではない。
だから、赤屍は目の前の揉め事に介入することにした。
赤屍はメイドの背後に立ち、声を掛ける。
「貴女が頭を下げる必要なんてありませんよ」
「え……?」
完全な打算ありきの赤屍の行動。
乙女のピンチに颯爽と現れる王子様、なんて上等なものでは断じてない。
「もともと、貴方が二股をかけたのが悪いのでは? それを、親切にも小瓶を拾い上げた彼女が悪いというのは無理があり過ぎます。勘違いも大概にしておきなさい」
赤屍の正論に、ギーシュはグウの音も出ない。
取り巻きたちも笑って「そうだ、そうだ!」と口々にはやし立てる。
「い、いいかね? 僕は彼女が香水の瓶を拾った時に、知らないフリをしたんだ。話を合わせるぐらいの機転があっても―――」
「それは屁理屈というものですよ。貴族の機転というのは自分の非を認めず、下の者に八つ当たりすることなのですか?」
ギーシュの目が光る。
「どうやら、君は貴族に対する礼を知らないようだな」
「だったらどうします?」
ギーシュは改めて赤屍を見る。
召喚されて早々ルイズを殺し掛けた男。
はっきり言って、この男が普通でないことはギーシュにも分かる。
だが、それが『一体どのように普通でないのか』を彼は全く理解できていなかった。
(ルイズの時は所詮、不意打ちみたいな形での奇襲だった。真っ向からの戦いなら、貴族が平民に負ける訳がない…!)
魔法を使う貴族に、平民は絶対に勝てない。
その絶対の常識が赤屍の前では全く役に立たない。
そのことを理解できなかったことが、彼の最大の不幸であり、だからこそ彼は最強最悪の相手に喧嘩を売ってしまったのだった。
「よかろう『決闘』だ! 君に貴族としての礼儀を教えてやろう!」
◆
一方その頃、学院の教師であるコルベールはルイズが召喚した男―――赤屍の左手の甲に表れたルーンについて調べていた。
閲覧に許可が必要な『フェニアのライブラリー』の本棚にある書物を隅々まで調べていると、やがて彼はとある一冊の本に行き当たった。その本のページを何気なくパラパラと捲る。すると、あるページで彼の目は釘付けになった。
そのページは、始祖ブリミルが操ったとされる四体の使い魔の記述だった。そして、そのページに記された『ガンダールヴ』の紋章。それは間違いなく、赤屍の左手に刻まれたルーンそのものだった。
「こうしては居られない! す、すぐに学院長に報告を!」
彼はその本を抱えたまま、学院長室へと走り出した。
年甲斐も無く学院の廊下を全力疾走するコルベール。途中ですれ違った生徒達がポカンとした顔をして見ていたが、彼はそんなことを気に留める余裕は無かった。
そして、彼は学院長室の扉をぶち破るかの勢いで、学院長室に飛び込んだのだった。
「オールド・オスマン! 一大事ですぞ!」
コルベールが学院長室の扉を開けた瞬間、彼の目に入ってきたのは例によってセクハラの制裁でロングビルに吹っ飛ばされているオスマンだった。
余りにもいつも通りの光景にコルベールは呆れ果てた顔をする。
「またセクハラですか……オールド・オスマン」
「な、なんじゃね……コルベール君。やかましいのぉ」
殴られた頭を摩りながらオスマンは席に戻り、コルベールと向かい合う。
「これを見てください」
そうして、コルベールは先程の書物のページと、赤屍の左手のルーンをスケッチした紙をオスマンに示した。
それを目にした途端、オスマンの眼光は鋭くなり、彼はロングビルを退室させる。ロングビルの足音が遠のいて行ったのを確認したオスマンはコルベールに続きを促した。
「詳しく説明するんじゃ、コルベール君」
コルベールは図書館で調べたことを説明した。
大体の事を理解した学園長オスマンは困った風に呟く。
「…なるほど。始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃね?」
「そうです! 彼の左手のルーンは、この書物に記されたガンダールヴのルーンと同じです!」
伝説の使い魔『ガンダールヴ』とは、始祖ブリミルに仕えたとされる四体の使い魔の内の一体だ。
神の左手、神の盾とも呼ばれ、その力はまさに一騎当千。あらゆる武器を使いこなし、詠唱中のブリミルを守り切ったと伝えられる。
もしも、本当にあの男が伝説に伝えられる『ガンダールヴ』だとしたら―――
(まさか、ミス・ヴァリエールの系統は……)
オスマンの脳裏に伝説の系統の名が浮かぶ。
確かに、赤屍のような出鱈目に強力な存在を呼び出せる系統があるとしたら、もはや『虚無』くらいしかないだろう。
彼は黙ったまま考え込んでいたが、ふと扉がノックされる音にその思考は中断された。
「失礼します。オールド・オスマン」
「どうかしたのかね? ミス・ロングビル」
「ヴェストリ広場で、決闘をしようとしている生徒がいるようです。大騒ぎになっており、止めに入ろうとしている教師がいますが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」
「まったく、暇を持て余した貴族ほど、たちの悪い生き物はおらんわい。それで、誰が暴れておるんじゃね?」
「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」
「あのグラモンとこのバカ息子か。オヤジに輪をかけて女好きじゃからの、どうせ女の子の取り合いじゃろう。まったく、あの親子は。それで相手は誰じゃね?」
「それが、メイジではありません。先日、ミス・ヴァリエールに召喚されたの使い魔の平民のようです。教師たちは『眠りの鐘』の使用許可を求めていますが…」
ロングビルの言葉を聞いた瞬間、コルベールとオスマンの顔は明らかに引き攣った。
あの男にケンカを売るなど、自殺行為以外の何物でもない。生徒の安全を考えるなら、直ぐにでも『眠りの鐘』を使うべきだ。
コルベールは顔面を蒼白にさせてオスマンに提言する。
「オ、オールド・オスマン! す、すぐに『眠りの鐘』を使いましょう! 危険過ぎます!」
「……いや、今はまだ使わん」
しかし、オスマンは敢えて使用許可を出さなかった。
当然、コルベールはそれに反発する。
「な、何故ですか!? 学院長なら彼の危険さを分かっている筈でしょう!? 早く止めなければ、最悪ギーシュ君が殺されてしまいます!!」
「そんなことは分かっておる!!」
突如、学院長室にオスマンの怒号が轟いた。
普段の彼からは想像も出来ないような怒号にコルベールとロングビルの二人は思わずビクリと肩を震わせる。
有無を言わせないオスマンの迫力にコルベールとロングビルは押し黙るしかない。
「無論、危ないと思ったら即座に『眠りの鐘』を使う。じゃが、彼の本当の力を見極める為にも彼の戦う姿を一度見ておきたいのじゃ…」
そう言って、オスマンは杖を振るう。
オスマンの遠見の魔法によって、壁にかけられた大きな鏡に別の光景が映し出される。
鏡の向こうに映った『ヴェストリ広場』では、今まさに赤屍とギーシュの決闘が始まろうとしていた。
◆
ヴェストリ広場は、魔法学院の『風』と『火』の塔の間にある、中庭にある。
今、その広場は決闘の噂を聞きつけた生徒たちで、溢れかえっていた。
「諸君!決闘だ!」
ギーシュが薔薇の造花を掲げると、『うおーッ!』と生徒たちの歓声が巻き起こった。
「ギーシュが決闘するぞ!相手はルイズの使い魔だ!」
決闘の発端は、ギーシュの二股がバレてしまい、そのことでメイドのシエスタに八つ当たりしていたのを赤屍が咎めたの切っ掛けだ。
普通なら魔法の使えない者がメイジに挑むなど無謀としか言いようが無いが、この場面に限って言うならまるで事情が異なる。
もしもこの光景を無限城世界の裏稼業の人間が見たら、ギーシュの余りの無謀に呆れ果てているだろう。
「これよりこのギーシュ・ド・グラモンとルイズの使い魔君との決闘を始める。よく逃げなかったね。感激するよ」
彼我の力量差を全く読めていないギーシュの発言。
何となくだがこの少年からは、『卍一族』の連中と同じ匂いがする。
赤屍がギーシュの芝居がかった振る舞いを冷めた視線で見ていると、ルイズが慌てた様子で広場に現れる。
「ちょっと赤屍、何やってんのよ!?」
「見ての通りですが?」
素っ気無く答える赤屍。
表面上には怒っているようには見えなかったが、赤屍の表情からはいつもの笑顔が消えていた。
もしかしたら、余りに空気の読めないギーシュの傲慢な態度に内心では少しイライラ来ているのかもしれない。
確かに、学院長と赤屍は、初日の交渉の際、「ルイズの使い魔として居る間は、この学院の人間に危害は加えない」という契約を結んでいる。
しかし、向こうから仕掛けてきた相手に対しての反撃に関しては、流石に契約範囲外だ。
(こ、これは本当にヤバいわ。ギーシュ、殺されるかも…)
最悪の予感がルイズの脳裏によぎる。
ルイズは長い髪を揺らして、ギーシュを怒鳴りつけた。
「決闘は禁止されてるでしょ!」
「禁止されているのは、貴族同士の決闘のみだよ。平民と貴族の間での決闘は禁止されてない」
「そうじゃない! 貴方、本当に死ぬわよ!?」
ルイズは必死に止めようとするが、もう遅い。
彼女のどんな説得も今のギーシュにとっては火に油を注ぐ結果にならない。
もはやルイズの説得は通じないと判断した赤屍は、目の前のルイズの肩を押しのけて前に出た。
「やるなら、さっさとやりましょう。時間の無駄です」
「ふんっ、いいだろう。……では、始めようか!」
ギーシュが薔薇の造花を振ると花びらが地面に落ちる。
花びらが一枚落ちた瞬間、その花びらは鎧を纏った女騎士の人形へと姿を変えた。
「僕の二つ名は『青銅』のギーシュ。君の相手は僕の青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手しよう」
ワルキューレと呼ばれた青銅の人形は、棒立ちに見えた赤屍に突進した。
ワルキューレの拳が迫るが、まだ赤屍は構えてすらいない。ワルキューレの拳が当たると確信したギーシュは勝ち誇った顔でにやりと笑った。
しかし、結果的にはワルキューレの拳は赤屍にかすりもしなかった。
――スパァン!
爽快な音が響いた途端、目の前のワルキューレが一瞬にしてバラバラに切り裂かれていた。
「なっ……」
突然の出来事に唖然とするギーシュ。そして、ギャラリー達。
「な、何が起こったんだ……?」
「ま、まさか今の瞬間に切り刻んだのか?」
その場の誰もが、赤屍の神速の斬撃を捉えることは出来なかった。
常人には予備動作すら見えない。そして、音すらも遥か置き去りにする神速の斬撃。
バラバラに切り裂かれ、ゴトゴトと地に落ちるワルキューレの残骸に広場にいるギャラリー達が凍りつく。
「ち、調子に乗るなよ! ワルキューレ!」
焦ったギーシュは残った花びらを全て落とし、さらに六体のワルキューレを作り出す。
今度はそれぞれ槍や大剣、メイスなどといった武装を備えていたが、そんなものは赤屍にとっては何の意味も無い。
周りを取り囲むようにして赤屍に襲い掛かるが、赤屍にとっては余りにも遅い。同じ操り人形ならMAKUBEXの操る『ワイヤードール』の方が遥かに速いし、ずっと高度な戦いが出来る。
「やれやれ…」
既にギーシュに見切りを付けた赤屍は全てを終わらせるべく踏み出した。
赤屍は襲い来るワルキューレの間をすり抜けると同時に、全てのワルキューレをバラバラに解体していた。
「え…あ……」
目の前で起こった現実を受け止められないギーシュ。
ここに来てようやくギーシュは自分がどんな相手にケンカを売ったのかを思い知っていた。
脳裏に浮かぶのは畏敬、恐懼。恐怖のあまり呼吸が止まる。指先一つ動かすことも、目を逸らすことも、そして呼吸さえも許さない。
全てのワルキューレを斬り捨てた赤屍は、ゆっくりとギーシュに歩み寄る。ギーシュは思わず後退りするが、どこにも逃げる場所などない。
自分は貴族だから殺されるはずが無い、という無意識の甘えが一発で吹き飛んだ。このまま行けば自分は確実に殺されるのだと、今更ながらギーシュは理解する。
しかし、ギーシュとの距離があと数歩というところで、何故か赤屍はその歩みを止めた。赤屍はしばらくギーシュを冷めた視線で見つめていたが、やがて呆れたような溜め息を吐いて言った。
「……やれやれ。まだお気付きにならないのですか?」
「な、何のことだい?」
赤屍の言葉の意味が分からずギーシュは訊き返した。
そんなギーシュに赤屍はもう一度大きな溜め息を吐く。
「分からないなら、分からないで構いませんよ。決闘はもう終わりです。それと、あのメイドに謝罪するならお早めにお願いします。できれば30分以内にね」
「あ、ああ。決闘は僕の負けだ。わ、悪かった。あのメイドにも謝るよ」
そして、赤屍はその場から踵を返す。
赤屍が立ち去った途端、ギーシュはその場にヘナヘナと座り込んだのだった。
「……た、助かった?」
命が助かったという安堵から腰が抜けてしまい、その場から動けないギーシュ。
実は全く助かってなどいなかったのだが、彼らがそれを知るのは、それからおよそ30分後のことだった。
◆
決闘が終わってしばらくした後、ルイズは赤屍の居る医務室を訪れていた。
その理由は主に赤屍に対して文句を言うためだ。ルイズはコメカミの血管をピキピキさせながら赤屍を非難する。
「アンタねえ! 私に無断で決闘なんて勝手なことしてんじゃないわよ!?」
「フム…、確かに少し軽率だったかもしれませんね。ですが、先に喧嘩を売ってきたのは向こうですよ?」
自分は火の粉を払っただけだと主張する赤屍。
確かに、今回の決闘の発端はどう考えてもギーシュに非がある。それが分かっているだけにルイズも余り強くは言えない。
はっきり言って、ギーシュが殺されずに済んだだけも儲け物である。
「ま、まあ、終わったことは仕方ないわ。とりあえず、ギーシュを殺さないでくれたのは助かったわ」
もしも、あそこで赤屍がギーシュを殺していれば、大問題というレベルでは済まなかった。赤屍の一応の主人という立場にあるルイズも何らかの責任を取らされることは確実だったろう。
しかし、この次に赤屍の口から出た言葉は、そんなルイズの予想を完全に超えたものだった。
「何を言ってるんです? もうとっくに死んでますよ、彼」
「え?」
赤屍の言葉に、思わず間抜けな声を出してしまうルイズ。
最初、赤屍が何のことを言っているのか分からなかったが、ルイズはすぐにその言葉の意味を理解することになる。
―――ギーシュが突然、全身をバラバラにさせて絶命したという知らせが学院中を駆け巡ったのは、それからすぐのことだった。
◆
ギーシュが突然、全身をバラバラにさせて絶命したという大事件。当然、学院はその大事件に騒然となった。
どう見ても他殺。それも全身をバラバラにされて殺されるという残虐極まりない殺人。当然、真っ先に疑われるのは、直前の決闘騒ぎの相手であった赤屍だ。
しかし、事情聴取の際、赤屍は事も無げにこう言い放った。
「誰か私がギーシュ君を斬ったところを見たんですか? 誰も私が斬ったところは見ていない。ましてや彼が血を吹いて倒れたのは決闘が終わってから30分後です。その間、私は彼に一度も接触していません。普通に考えたら、彼が血を吹いて倒れた時に彼の傍に居た者を犯人として疑うべきではないですか?」
決闘が終わってからギーシュが血を吹いて倒れるまでの間、ギーシュは普通に歩いていたし、普通に会話もしていた。そして、その間、赤屍はギーシュに一度として接触していない。つまり、常識で考えたなら、その間の赤屍のアリバイは完璧に証明されてしまうのだ。常識の範囲で考えるなら、ギーシュが血を吹いて倒れた時に彼の傍に居た者が犯人として疑われることになる。
そして、ギーシュが血を吹いて倒れた時に彼の傍に居た人物とはマリコルヌであった。
「ぼ、僕はやってない! 本当だって!! あんな異常な殺人、僕には逆立ちしたって出来やしない!!」
マリコルヌが必死に無実を訴える。
もちろん、学院の生徒や教師達は、マリコルヌにあんな殺人が出来るとは考えていない。
学院の人間はギーシュを殺した『本当の犯人』を知っていたが、残念ながらそれを証明する術を持たなかった。
「僕はやってないんだよーー!!!」
衛兵に重要参考人として連れて行かれるマリコルヌ。
結局、ドットメイジである彼にはあの犯行は不可能ということで釈放されることになるのだが、それはまだしばらく先のことであった。
ちなみに、この時の彼の経験を元にした『それでもボクはやってない』というタイトルの小説が後にトリステインの貴族の間でヒットするのだが、それはまた別の話である。