ゼロの『運び屋』-最強最悪の使い魔-   作:世紀末ドクター

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第十五話『トリステインの王女』

 コルベールの指示により、その日の授業が中断された後、ついにその時がやって来た。

 王女の出迎えの為に、学院の門のところではすでに学院中の生徒達が集まり、列をつくっている。その中に、ルイズとその脇に控える様に赤屍の姿もあった。

 

 

「いい? 絶対に余計なことするんじゃないわよ! 姫様に何かあったら絶対に許さないんだからね!?」

 

「クス…分かってますよ。別に、私にこの国の王族をどうこうする気はありませんので」

 

「ホントでしょうね!? ホントに頼むわよ!?」

 

 

 ルイズは殊更に念を押して赤屍に言いつける。

 言うまでもないが、ルイズと赤屍の間には『主人』と『使い魔』の絆など存在しない。

 今さらのことながら、ルイズが赤屍のことをどう思っているかよく分かるやり取りであった。

 魔法学院の正門をくぐり、王女の一行が現れると、整列した生徒達が一斉に杖を掲げる。

 

 

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな~~~り~~~ッ!」

 

 

 衛士の声で、馬車の扉が開く。

 最初に姿を見せたのは、王女ではなく痩せぎすの老人だった。王国 の枢機卿、マザリーニである。

 生徒がそろってげんなりした顔になるのも意に介さず、マザリーニは馬車を降りると脇によけ、続いて下車する人物の手を取った。

 今度こそ、降りてきたのはアンリエッタ王女。生徒だけでなく一部の教師からも歓声が上がり、それに応えてアンリエッタが手を振った。

 王族が持つ気品、優雅さ溢れる仕草である。

 しかし―――

 

 

(所詮は、客寄せパンダというところですか…)

 

 

 赤屍はアンリエッタのことをそう評した。

 王女には確かに素晴らしい華がある。清楚で可憐な、という形容詞がこれほど似合う人物も中々存在するまい。

 しかし逆に言えば、それは政治に関する汚さとは無縁という事でもある。欲望渦巻く国同士の政治の場は、例えるなら飢えたハイエナの群れの中だ。そんな場所に生まれたての子鹿を放り込めば、瞬く間に骨だけの無惨な姿にされてしまう。

 アンリエッタは、腹黒い国家元首の相手をするには綺麗すぎるのだ。

 

 

「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃないの」

 

 

 ルイズと赤屍の近くにいたキュルケが、つまらなさそうに眉を顰めた。

 赤屍の審美眼的には、そもそも両者ともタイプの違う美人であるため単純な比較は難しい。

 だが、どちらがより万人受けするかで判断するなら―――

 

 

「いえ、単純に考えるならば、王女である彼女の方が美人でしょうね」

 

 

 古来より、権力の使途というのは変わらない。

 王家や貴族は美男美女を代々優先的に選り好み出来るから、得てして美貌にも恵まれるものである。

 実際、魔法学院の生徒達もおおよそは美男美女で構成されている。

 

 

「あら? ドクターはああいう女性がタイプなのかしら?」

 

「いえ、確かに美人であることは認めますが、私の好みとは異なりますよ。はっきり言って、見た目が良いだけの女性などに興味はありません」

 

 

 外見だけの女性に興味は無いと赤屍は言い切った。

 聞きようによっては、王女のことを『見た目だけの女』と侮辱しているようにも聞こえる赤屍の物言いである。

 普段ならこの辺りでルイズが「何よ、姫様が見た目だけの女だって言うつもり? 姫様への侮辱は許さないわよ!」などと怒鳴っているはずだが、珍しくルイズの反応は無かった。

 首を傾げながら赤屍がルイズの方を見やると、彼女は随分と熱心に王女を見つめており、横にいる赤屍とキュルケのやり取りすら耳に入っていないようだった。

 

 

「何だか、アナタの女性の好みってすっごく興味あるんだけど…。差し支えなければ教えてくれる?」

 

 

 何というか、赤屍の好みのタイプの女性というのが謎過ぎる。

 そもそもの話として、この殺人狂が他の異性と男女の付き合いをしているところが全く想像できない。

 いや、確かに顔は美形だし、性格さえまともなら確かに女性にもモテるだろうとキュルケも思うのだが。

 キュルケに問われた赤屍は、少し考える素振りをみせた後、こう答えた。

 

 

「好みのタイプは自立した女性ですね。寄り掛かってくるだけの女性は鬱陶しいだけですから」

 

 

 もっと言うなら、自分と対等に戦える実力者であるならば最高だと赤屍は付け加える。

 だが、実際問題として、赤屍と対等に戦える女など、この世のどこを探しても存在するまい。

 …というか、そんな奴が存在したとしたら、男女の関係になる以前に、喜々として殺し合いを望むに決まっている。

 もっとも赤屍自身もそうした自分の性分は分かっているようで、少し冗談めかして次のように言った。

 

 

「所詮、私のことを理解できるのは、私だけでしょう。もしも、どこか別のセカイに女として生まれた私が存在したとするなら、その女性が理想のタイプといったところでしょうかね」

 

 

 赤屍の返答を聞いたキュルケは、何とも呆れ果てたような表情をしている。

 

 

「何て言うか、ある意味、理想が高過ぎるんじゃない…?」

 

「クス…そうかもしれません」

 

 

 キュルケの苦言に、赤屍も若干の苦笑混じりでそう返した。

 そうこうしている内に、アンリエッタはオスマンに出迎えられ、学院内に案内されて行った。

 それを見届けて、周囲の生徒達も各々解散していき、騒ぎはあっという間に終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 そして、その日の夜……。

 食事も終えて後は寝るだけ、という頃合である。

 自室でくつろいでいたルイズであったが、不意に聞こえたノックの音に現実に引き戻される。

 

 

「む?」

 

 

 初めに長く二回、続けて短いノックが三回。

 立ち上がったルイズがドアを開けると、そこに立っていたのは黒いローブにフードをすっぽりと被った少女だった。

 少女は注意深く周囲を伺ってから素早く部屋の中に入ると、後ろ手でドアを閉めた。

 

 

「……あなたは?」

 

 

 ルイズの誰何の声に、黒ずくめの少女は口元に指を立てる。

 静かにしろと言いたいらしい。こんな夜更けに突然押し掛けてきて、なんて図々しいとルイズは眉を顰めた。挙げ句、このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに命令するとは。赤屍がやってきて以来、過大なストレスに苛まれている自分の貴重な平穏な時間を奪った罪は重い。

 心の底で徐々に敵意を抱き始めているルイズをよそに、 真っ黒な頭巾の少女は、同じく真っ黒なマントの隙間から、杖を取り出した。

 アメリカでは、ポケットや胸に手を入れたからという理由で、銃で撃ち殺したとしても正当防衛として認められる。

 つまり、この場合は、ルイズの目前で杖を抜くという暴挙をやらかしたこの女が悪い。

 

 

 ―――杖を抜くという相手の動作を、暗殺者の敵性行動とみなしたルイズの行動は迅速だった。

 

 

 頭巾の少女がルーンを呟こうとする前に、ルイズは少女の口元を押さえた。

 反射的に悲鳴を上げようとした少女だったが、それは苦痛の喘ぎ声に取って代わられた。

 杖を持つ少女の手首が、ルイズによって鷲掴みにされたのだ。ギリギリと万力のような力で締め付けられて、少女は杖を取り落としてしまう。

 それを足で部屋の隅へ蹴り飛ばし、ルイズは更に少女の足を払う。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

 強烈な足払いが炸裂し、少女の体がルイズの部屋の床へと転がり込んだ。

 少女が床へ叩き付けられると同時にルイズは少女に踊り掛かり馬乗りになった。これで抵抗らしい抵抗もできまい。

 ルイズは杖を取り出して頭巾の少女に突きつけた。

 

 

「私を消そうなんていい度胸ね。どこの手のものかしら? ゲルマニア? ガリア? それともトリステインの低級貴族?」

 

 

 杖で少女の頬をグリグリしながら、ルイズは歌うように尋問を始める。

 少女は小さく「ひっ……」と悲鳴を上げた。暗殺者のくせに、まるで生娘みたいな声を出す奴だと、ルイズは思った。

 赤屍を『使い魔』にして以来、何だかんだで影響されているのか思考と行動が明らかに過激になっているルイズである。

 

 

「ほら、キリキリ吐きなさい。言わなきゃ三秒ごとにあんたの体を少しずつ吹き飛ばすわよ? まずはその綺麗な指からね」

 

 

 少女の指に狙いを定め、ルイズは杖を振りあげた。

 最早ノックの合図のことなど、すっかり忘れているようである。

 

 

「ひと~つ……ふた~つ………みっ」

「ル……ルイズ!? あなたルイズでしょう!?」

 

 

 ようやく自分の置かれた状況を理解できたのか、少女は慌てた様子でルイズの名を呼んだ。

 少女の鈴を転がしたような声に覚えがあるのか、タイムリミット寸前でルイズの体がピタリと止まった。

 振り下ろしかけた杖をそのままに、ルイズは恐る恐る少女の頭巾を取った。何と、頭巾の下から現れたのは昼間顔を見たばかりの、アンリエッタ王女であった。

 すらりとした気品のある顔立ち。きらきらと輝く栗色の髪。ハルケギニアの一輪の華とまで呼ばれる美貌の持ち主であるが、その美貌を引き立たせるはずの彼女のブルーの瞳は、今は死への恐怖と不安で揺れている。

 思わず「うっ」と息をのみ、顔面から血の気が引いていくルイズ。 ひょっとして自分は凄まじくマズいことをしてしまったのではなかろうか?

 

 

(し、しまったぁぁぁああああぁあ!! ドジこいたぁぁあああ!!!)

 

 

 言い知れぬ後悔の念に苛まれながら、ルイズは王女から飛びのいて慌てて膝をついた。

 昼間、赤屍に対して「姫様に何かしでかしたら許さない」などと言っておきながら、何というザマだろうか。

 

 

「ひ、姫殿下!!」

 

 

 アンリエッタはヨロヨロと立ち上がり、スカートに付いた埃を払って下手な作り笑いをした。

 

 

「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ……」

 

 

 気品たっぷりの立ち振る舞いだったが、彼女の声は未だ少しだけ震えていた。

 それからのルイズはただもう只管の平謝りだった。膝をついては謝り、部屋の隅に蹴り転がした王女の杖を拾ってきては謝り……。

 次から次へと飛び出す謝罪の言葉に、謝られることに慣れているはずのアンリエッタすら思わずたじろいでしまうほどだった。

 突然、杖を取り出した自分も悪かったのだと、アンリエッタはルイズを不問に付した。改めて『ディティクト・マジック』をかけて、部屋を調べた後、アンリエッタは感極まった表情を浮かべてルイズを抱きしめた。

 

 

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

 

「……恐れながら姫殿下、なぜこのような所へ」

 

 

 ルイズは畏まった声で言った。

 

 

「ああルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい言葉遣いはやめてちょうだい、私達はお友達じゃないの!」

 

 

 王女のその言葉に、ルイズもまたアンリエッタを強く抱きしめ返した。

 

 

「ああ、なんて勿体無いお言葉! 姫殿下にそのようなお言葉を掛けてもらえるだなんて!」

 

 

 普段の高飛車さは欠片も見せないほどのかしこまった口調で受け答えするルイズ。

 それからしばらく二人の思い出話に花が咲く。蝶を追って泥まみれになっただの、菓子を取り合って掴み合いの喧嘩だの、ドレスを取り合って気絶するほどの蹴りがお腹に入っただの、美少女二人の十年前はなかなかバイオレンスだったらしい。

 

 

「ああ、おかしい。そうよルイズ、わたくしこんなにおなかが痛くなるほど笑ったのは一体いつぶりのことだったかしら。貴女が変わりなくわたくしのルイズでいてくれて本当に嬉しいわ」

 

 

 超のつく美少女が二人固く抱きしめあう光景。

 そして、話の腰が折れたタイミングを見計らって、第三者の声が響いた。

 

 

「ルイズさん、王女殿下とはどういう間柄なんです?」

 

「ア、アンタ、いつからそこに!?」

 

 

 声の主は赤屍だった。

 気が付くと、いつの間にか赤屍がルイズの部屋のドアの前に立っていた。

 

 

「ルイズさんが王女殿下に馬乗りになって、尋問を始めようとしていた辺りからですね」

 

 

 つまり、ほとんど最初からじゃねえか!

 この男に期待するだけ無駄かもしれないが、見ていたんだったら流石に止めて欲しかった。

 恨みがましい視線で赤屍を睨みつけるルイズだが、当の赤屍はクスクスと笑いながらその視線を軽く受け流している。

 アンリエッタは、そんなルイズと赤屍を交互に見る。やがて、何かに思い当たったのか、アンリエッタは頬を赤らめた。

 

 

「あ、あらルイズ、ごめんなさい。お邪魔だったみたいね、わたくしったら」

 

「お邪魔? どうして?」

 

「そちらにいらっしゃる素敵な紳士様、あなたの恋人なのでしょう? 羨ましいわ、いつの間にこんな素敵な殿方と恋仲になったの、ルイズ」

 

 

 恋人と言われて、ルイズの思考が『固定化』の魔法をかけられたように停止した。

 アンリエッタは、ほんのり上気した頬に両手を添えチラチラと赤屍に視線をやっている。

 数秒の間、思考停止していたルイズだったが、何とか再起動を果たし、アンリエッタに申し立てる。

 

 

「あの、それ、私の『使い魔』なんですけど……」

 

 

 言われて、アンリエッタはキョトンとした。

 ルイズと赤屍を、交互に見るアンリエッタ。

 ルイズに『それ』呼ばわりされて、赤屍は肩をすくめる。

 

 

「人にしか見えませんが……」

 

「とんでもなく人間離れしていますが、一応、人間…なんでしょうか? と、とにかく私の恋人などではありません!」

 

 

 こんな殺人狂と恋人などと、全く冗談ではない。

 顔を真っ赤にして捲し立てるルイズに、アンリエッタはどこか納得したような顔をした。

 

 

「そうよね、ルイズ・フランソワーズ。あなたって、昔から何処か変わっていたけれど、相変わらずね」

 

 

 アンリエッタの天然な発言に対して、ルイズは最大限の作り笑いを返した。

 頬の筋肉がピクピクしたが、最大限の努力をしたつもりだ。必死に笑おうとして、傍から見たらワザと変な顔をしているようにしか思えない顔つきになっているルイズ。

 しかし、アンリエッタは憂いの帯びた溜め息を吐くだけであった。

 

 

「子供の頃は毎日が楽しかったわ……何の悩みとも無関係で。出来ればあの何も分別のなかった頃に戻りたいわ」

 

 

 深い憂いばかりで紡がれた言葉が、薔薇の色で彩られた唇から漏れた。

 

 

「一体どうしたのです、姫様。御様子が尋常ではありませんが……」

 

 

 ルイズの問い掛けがきっかけとなったのか、アンリエッタは決心したように頷いた。

 

 

「結婚するのよ。わたくし」

 

「それは……おめでとうございます」

 

 

 アンリエッタ王女の声に、悲しいものをルイズも感じたのか、沈んだ声だった。

 望まぬ結婚なのだろうということが察せられた。

 

 

「ご無礼を承知でお尋ねします。姫さまが嫁がれる幸運なお相手とは?」

 

 

 アンリエッタは小さな溜め息と共に答えた。

 

 

「ゲルマニアの皇帝です」

 

「ゲルマニアですって!」

 

 

 ゲルマニア嫌いなルイズは、驚いた声を上げた。

 どこぞの赤毛の巨乳女が頭の片隅をチラチラと横切る。

 

 

「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」

 

「そうよ。でも、仕方が無いの。同盟を結ぶためなのですから」

 

 

 アンリエッタは、アルビオンの内乱に端を発する今のハルケギニアの政治情勢をルイズに説明した。

 アルビオンの貴族たちが反乱を起こし、いずれ反乱軍が勝利するのも時間の問題。そうしたら今度はこのトリステインに攻め込んでくるかもしれない。

 そうならない内に、ゲルマニアと同盟を結んで戦力を強化する手段に出たのだという。

 そして、彼女は最後にこう付け加えた。

 

 

「王室に生まれた時から、好きな相手と結婚するなんて、諦めていますわ」

 

「姫様……」

 

 

 言葉とは裏腹に、アンリエッタが浮かべたのはやはり寂しげな笑顔だった。

 しかし、アンリエッタを本当に悩ましているのはそこではない。本題はここからだった。

 当然、アルビオンの反乱軍はトリステインとゲルマニアの同盟を望まない。二国間の同盟を出来る限り妨害してくるのは目に見えている。

 

 

「礼儀知らずのアルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」

 

 

 アンリエッタは、呟いた。

 

 

「……したがって、わたくしの婚姻を妨げるための材料を、血眼になって探しています」

 

「妨げになるもの……そんなものが?」

 

 

 ルイズはごくっと唾をのんだ。

 アンリエッタが青ざめた顔をしているのに気づいたからだ。

 俯き、唇を噛むアンリエッタの様子を見れば誰にでも容易に想像がつく。

 

 

「おお、始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお救いください……」

 

 

 アンリエッタは、顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。

 その芝居がかった仕草に、赤屍は少し呆れた様子だった。余りにも大袈裟すぎやしないか。

 いちいち大袈裟に芝居がかった仕草をする王女に、赤屍は不快を感じていた。

 

 

「言って! 姫様! 姫様のご婚姻をさまたげる材料とは一体何なのですか!?」

 

 

 しかし、一方のルイズはアンリエッタに引っ張られたのだろうか、興奮した様子で捲くし立てる。

 両手を覆ったまま、アンリエッタ王女は苦しそうに呟いた。

 

 

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」

 

「手紙?」

 

 

 手紙の内容について、アンリエッタは答えようとはしなかった。

 だが、アルビオンのウェールズ皇太子が所有しているというそれがアルビオンの貴族の手に渡り、さらにゲルマニアに届けられでもしたら、アンリエッタの婚姻も同盟も反故にされかねない内容らしい。

 

 

「ああ、破滅です! ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう!そうなったら破滅です! 同盟ならずして、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

 

 

 ルイズは息をのんだ。

 

 

「では、姫さま、わたしに頼みたいことというのは……」

 

「わたくしったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ! 戦乱の地にあなたを行かせるなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」

 

「何をおっしゃいます! たとえ地獄の釜の中だろうが竜のアギトの中だろうが、姫様の御為ならば何処なりとも向かいますわ!」

 

 

 そして、ルイズは、再び臣下の礼をとるべく膝をつき、恭しく頭を下げた。

 

 

「姫様とトリステインの危機を、このラ・ヴァリエール公爵家三女たるルイズ・フランソワーズが見過ごすわけには参りません。是非、このわたくしめにこの一件をお任せくださいますよう」

 

「ああ、ルイズ! わたくしのルイズ! このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! あなたこそ真のお友達だわ!」

 

「何を仰います姫様!私の忠誠はあの頃からなんら変わりませんわ!」

 

 

 ルイズの両手がアンリエッタの手を強く包み込むように握り締めると、アンリエッタのブルーの両眼から真珠のような涙が次々と零れ落ちていった。

 

 

「姫様!このルイズ、いつまでも姫様のお友達で忠実な臣下で御座います!永久に誓った忠誠を忘れることなど、例え天地がひっくり返ろうと有り得ませんわ!」

 

「ああ、忠誠。これが誠の友情と忠誠です! 感激しました、わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れることはないでしょう!わたくしのルイズ・フランソワーズ!」

 

 

 二人は、完全に自分の言葉に酔っている。

 感極まった二人は涙に濡れながら固く抱きしめあった。

 しかし、一方の赤屍は冷めた表情のままで、二人を冷ややかに見下している。

 己の不幸に酔い、同情を誘うような言い方で頼み込むアンリエッタの様子は酷く滑稽に思えた。

 

 

「ルイズさん、友情を確認し合ってるところ、水を差すようですいませんが…」

 

「なによ」

 

「戦争をしているところに行く訳ですが、それなりに危険だという事は理解してますよね?」

 

「んなこと判ってるわよ。でもね、私がやらなくちゃいけないことだってあるわ!危険だからって部屋の隅で震えてたら、このトリステインが危険に晒されるのよ!」

 

 

 凛とした態度で言い切るルイズの言葉には、迷いが無い。

 

 

「アルビオンに赴きウェールズ皇太子を捜し出し、手紙を取り戻せばよいのですね?」

 

 

 ルイズの言葉に、アンリエッタは静かに頷いた。

 

 

「ええ、その通りです。『土くれ』のフーケを捕まえた貴方達なら、きっとこの困難な任務も成し遂げることが出来るでしょう」

 

「一命にかけても。急ぎの任務なのですか?」

 

「ありがとう、ルイズ。アルビオンの貴族達は既に王党派を国の隅にまで追い詰めていると聞きます。もしやすれば明日にでも敗北するかもしれません……」

 

 

 ルイズは真剣な顔で、アンリエッタに頷いて見せた。

 

 

「では、明日の早朝。ここを出発致します」

 

 

 ルイズの返事を聞いたアンリエッタはルイズから、赤屍に視線を移した。

 だが、今の赤屍は、何の感情の揺らぎも見せずにアンリエッタを見つめていた。

 

 

「頼もしい使い魔さん」

 

「なんでしょうか」

 

 

 アンリエッタのたおやかな微笑みに、赤屍は静かに言葉を返した。

 

 

「わたくしの大切なお友達を、これからも宜しくお願いしますね」

 

 

 す、と、左手を差し出すのに、ルイズは驚いたような声を上げた。

 

 

「いけません殿下! そんな、使い魔に手を許すだなんて!」

 

「いいのですルイズ。忠誠には報いるところがなければいけません」

 

 

 確かに王族が平民に手を許す、ということは破格の褒美と称してもいい。

 何の躊躇いもなく平民に左手を差し出す王女は『貴族平民の区別なく分け隔てなく接する慈悲深い王女』と呼ばれるに相応しいのかもしれない。

 しかし、赤屍の目から見た彼女は、幼馴染との友情を餌にして友人を死地へと追いやろうとする悲劇のヒロイン気取りの卑怯者としか思えなかった。

 最早、赤屍は、王女に対して何の興味も抱いていない。だが、今回のことは赤屍にとっても、ある意味チャンスでもあった。

 

 

「アンリエッタ王女、一つお聞きします。つまり、それは『運び屋』である私に仕事を依頼するということでよろしいので?」

 

「『運び屋』…?」

 

 

 聞きなれない言葉にアンリエッタが怪訝な顔をする。

 そんなアンリエッタに赤屍が説明した。

 

 

「ええ、その名の通りクライアントに依頼されたモノを運ぶのが私の仕事です」

 

 

 今回の任務をルイズが引き受けることは別に構わない。

 だが、その任務に自分を同行させるつもりなら、改めて『運び屋』としての自分に依頼しろと赤屍は言った。当然、依頼は無料などではない。

 しかし―――

 

 

「申し訳ありませんが、これは表に出せない秘密の任務です。アナタが望むような十分な報酬が用意できないかもしれません…」

 

「いえ、金銭的な報酬は要りません。その代わり、トリステイン王家に伝わるという『始祖の祈祷書』を少しの間で構わないので貸してくれませんか」

 

 

 トリステイン王家に伝わる始祖の秘宝の一つ。

 赤屍が報酬として要求したモノは意外なものだった。

 

 

「『始祖の祈祷書』の貸し出しですか? 王家の私が言うのもなんですが、そんな程度のことが報酬で良いのですか?」

 

 

 アンリエッタ自身、王家に伝わる『始祖の祈祷書』を見たことはある。

 だが、およそ三百ページぐらいに渡るその本は、ひたすら真っ白なページが続くだけのもので、アンリエッタ自身もその祈祷書は偽物だろうと思っているくらいだ。

 

 

「貸し出す程度なら、わたくしの権限でも何とかなると思いますが…」

 

「クス…それなら決まりですね」

 

 

 赤屍の狙い通りである。

 アンリエッタは、どうして赤屍がそんなものを要求するのか分からずにキョトンとした様子だったが、赤屍の考えを理解できたルイズは顔を引き攣らせている。

 現在は失伝してしまった虚無系統の魔法への手掛かり。以前、どうしてそんなものを探しているのかとルイズが訊ねたとき、赤屍は「虚無のメイジとして成長したルイズと戦うため」だと答えた。

 しかし、メイジとして成長すればするだけ、逆に死の危険が近づくとは、一体どんな理不尽だろうか。

 だが、今回の任務に限って言うなら、赤屍が同行することは非常に心強い。

 

 

「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます。アルビオンの貴族達は貴方がたの目的を知れば、ありとあらゆる手を使って妨害をかけてくるでしょう」

 

 

 アンリエッタは机に座ると、羽ペンと羊皮紙を使って手紙をしたためる。

 そして、自分の書いた文章をもう一度読み直し、幾許かの躊躇いの後、悲しそうな顔をして呟く。

 

 

「始祖ブリミルよ……この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、『この一文を書かざるを得ない』のです……。自分の気持ちに、嘘をつく事はできないのです……」

 

 

 密書だというのに、まるで恋文でもしたためたような表情だった。

 赤屍は、ウェールズが持っているという手紙の内容と、アンリエッタが最後に書き加えた『一文』の内容を察した。それは王族の義務を背負う者としてあるまじき行為かもしれないが、赤屍は何も言わなかった。

 アンリエッタは書き上げた手紙を丸めると、取り出した杖を振る。すると手紙に封蝋がなされ、花押が押される。正式な書状となった手紙を、ルイズに手渡した。

 

 

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を渡してくれるでしょう」

 

 

 そして、王女は右手の薬指から指輪を引き抜くと、それもルイズに手渡す。

 

 

「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら売り払って路銀にあててください」

 

 

 ルイズは、深く頭を下げた。

 

 

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹きすさぶ風からあなたがたを守りますように」

 

 

 アンリエッタは静かな祈りを捧げた。

 

 

 


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