その日、ルイズは決死の覚悟で事に向かっていた。
場面はメイジにとって生涯のパートナーとなるべき使い魔を呼び出す神聖なる儀式『サモン・サーヴァント』の最中。
使い魔はメイジにとって、「メイジの実力を知るなら使い魔を見よ」と言われるほどに重要なものだ。
しかし―――
(何で失敗ばかりなのよ―――ッ!?)
先程から一向に成功する気配が無い。
使い魔の姿など影も形も見えず、巻き起こるのは爆発ばかりという有様だ。
「おーい、ルイズ。これで一体何回目だ?」
「おい、『ゼロ』! ちゃんとサモン・サーヴァント出来るのか?」
既に召喚を成功させ、自身の使い魔を横に控えさせた同級生らが、小バカにした様子で嘲笑う。
サモン・サーベント。コモンマジックと呼ばれる初歩の魔法であり、二年進級への絶対条件。失敗すれば落第決定という重要な試験だ。
ほとんどの生徒がただの一度で儀式を成功させているというのに、ルイズだけは既に何度も召喚に失敗していた。
昼間だった時間もすでに夕刻に移り、空には月の姿が見えつつある。
「いいから黙って見てなさい……ッ! あんたたちの使い魔を全部合わせても及ばないくらい、神聖で美しく、そして強力な使い魔を召喚してみせるわ……!!」
まるで売り言葉に買い言葉。
野次を飛ばした生徒達の方をキッと睨みつけ、ルイズは言い放った。
ルイズの家、ラ・ヴァリエール家はトリステインでも有数の大貴族として、幾人もの優秀なメイジを輩出してきた。
ルイズ自身もその家名に恥じないような貴族になるべく努力を続けて来たつもりであるし、事実、実技はともかく座学の成績はトップクラスだ。
しかし、その由緒ある血筋の三女だというのに、ルイズには実際に魔法を行使する才能というものが全くといっていいほど無かった。
四大系統魔法はおろかコモンマジックを試してもロクに成功せず、それどころか原因不明の爆発が起こり他者の顰蹙を買ってしまう始末。
そんな彼女に付けられた二つ名は『ゼロ』、使える魔法が一つも無いことを由来とする、不名誉極まりない名前である。
同級生に『ゼロ』と笑われる度に、プライドの高い彼女は、はらわたが煮えくり返る思いをしたものだった。
だからこそルイズは、この『サモン・サーヴァント』でこそは皆を見返してやろうと決心していたのだ。
(サモン・サーヴァントに成功すれば、私はもう『ゼロ』じゃない……呼ばせない……!)
すでにここまでの失態を繰り返した以上、恥の上塗りを避けるためにも立派な使い魔を召喚しなくてはならない。
しかし、いくらルイズの決意が固かろうと、世の中というのは決してルイズにとって都合良く出来ていない。
「あー…ミス・ヴァリエール、いい加減今日は諦めましょう。その……なんというか……時間も押していますし…。また明日、あらためて試してみるのもひとつの考えですよ」
本当に申し訳なさそうな顔で、引率の教師であるコルベールがルイズに恐る恐るといった感じに話し掛ける。
それがむしろ自分のことを気遣っての言葉だという事はルイズにも分かった。
しかし、今、ここでやめてもルイズにとっては惨めさが増すだけだった。
「コルベール先生、あと一回……あと一回だけお願いしますっ!」
今にも泣きそうな顔でルイズは懇願する。
悲壮な決意が宿ったルイズの瞳。
「……分かりました。これで最後ですよ」
その瞳に押されて、コルベールはルイズに対し許可を出す。
成功は極めて難しいだろうと思いながらも、少女の頑張りを知っているからこそダメとは言えなかった。
この時、この場にいた大部分の者がまた失敗するだろうと予想していた。ルイズの魔法の成功率は限りなくゼロに近い。それはこれまでの一年、共に学んできた彼ら自身がよく知っている。
しかし、これまで失敗ばかりだったからと言って、この次が失敗すると決まったわけではない。
(…諦めない。絶対に)
可能性を信じる事だけはどんな生命にも許されている事だ。
いや、可能性のままで終わらせる訳にはいかない。次こそは必ず成功させてみせる。
決意を胸にルイズは再び呪文を詠唱し始めた。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」
誇りとする、己が名を口にする。
挫けそうな心を必死で押し込めて、ルイズは無理矢理に気持ちを奮い立たせる。
「宇宙の果てのどこかにいる、私の僕よ! 神聖で、美しく、そして強力な使い魔よ! 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに応えなさい―――!!」
今まで以上に気合を入れ、もはや絶叫に近い詠唱が広場に響き渡り、ルイズは杖を振り下ろす。
杖が振り下ろされると同時に、これまでにないほどに大きな爆発が発生し、周囲は大量の土煙に包まれる。
しかし、ルイズが悲壮な決意をして発動させた魔法は、よりにもよって最悪の相手に届いてしまったのだが、ルイズがそのことを知るのはその数十秒後のことだった。
◆
ルイズが発動させた呪文が届いた場所。
当然、今の時点でのルイズには知る由も無いが、その場所は現地の者たちからはこう呼ばれていた。
―――裏新宿『無限城』、と。
裏新宿に住むものなら、その存在を知らぬ者はいないだろう裏新宿の象徴。
大小様々のビル群がスクラムを組むように融合したその姿はまさしくコンクリートの迷宮である。
時系列的には世界そのものを巡っての『悪鬼の戦い(オウガバトル)』が終わった直後。そして、今まさにそのビル群の屋上の一角から下界の街並みを見下ろしている男が居た。
黒の衣服に身を包んだ男性。その人物の名前は、赤屍蔵人。最強最悪の『運び屋』と言われ、一部には『Dr.ジャッカル』という二つ名でも知られる超一級の危険人物である。
ついさっきまでは間久部博士と蝉丸の二人も同じ場所に居たが、既に二人とは別れた後だ。しかし、何か思うことがあるのか、赤屍は無限城の屋上に一人残って下界の街並みをじっと見つめたままでいる。
彼が見下ろす下界の街並みは、これまでの『悪鬼の戦い(オウガバトル)』がまるで全て夢だったのかと思えるくらいにいつも通りだった。
――どちらが『虚ろ』で、どちらが『真実』か――
先程の蝉丸の問い掛けに赤屍は答えなかった。
バビロンからの支配から解放された今となっては、その問いの答えに意味は無くなったからだ。
それに、この世界がどのようなものであろうと、自分の在り方は決して変わらない。そうであるなら尚更に意味の無い問いだと赤屍は思い直した。
「……感傷ですね。私らしくも無い」
赤屍はそう自嘲すると、もうここに用は無いとその場を立ち去ろうとした。
そうして、彼が踵を返したまさにその時だった。
「おやおや、これは……」
突然、赤屍の目の前に銀色の鏡のようなものが出現したのだ。
縦2メートル、横幅は1メートルぐらいのぴかぴか光る楕円形の物体。
言うまでも無く、ルイズの『サモン・サーヴァント』によって作り出された召喚ゲートである。
無論、赤屍にとっては初めて目にするモノではあったが、それが何らかの召喚ゲートであることは、一目見ただけで赤屍には分かった。
そして、そのゲートが繋がる先がこの世界とは違う別の異世界だということ。さらに、このゲートを開いた何者かがゲートの向こう側に居るであろうことも赤屍は見抜いていた。
そうして、赤屍がしばらく自分の前に現れた召喚ゲートを観察していると、やがてブラックホールのような強力な引力が発生した。
どうやらこの鏡のようなものは、何が何でも自分を『向こう側』へ引きずり込みたいらしい。
「ククッ、面白い」
恐らく赤屍がその気になれば、この程度の引力を振り払うことなど造作も無かっただろう。しかし、赤屍は敢えてそうしなかった。
むしろ興味が引かれた。何の目的があるのかまでは分からないが、そこまでして自分を呼び出そうとする『何者か』に。
「さて…鬼が出るか蛇が出るか」
そう呟いて赤屍が鏡を潜ったとほぼ同時に鏡は跡形もなくその場から掻き消える。
そして、鏡が消えた時には赤屍の姿はこの無限城世界のどこからも消え去っていた。
◆
(お願い……ッ!)
土煙が晴れていくのをルイズは祈るような気持ちで見つめる。
そして、周囲の土煙が薄くなっていき、ようやくルイズはその中に動くものを認めた。
(成功!? どうせならタバサみたいなドラゴンとか! 空を飛べる使い魔だったらいいんだけど!)
期待で高鳴る鼓動。
やがて煙が完全に晴れ、ルイズが呼び出した使い魔の姿が顕わになる。
しかし―――
「……人、間?」
――あれは一体何だ? 本当に人間なのか。
その姿を目にした途端、ルイズは自分の背中がゾワリと沸き立つのを感じた。
確かに姿こそは人の形をしている。だが、あれは人の形をしているだけの別の何かのようにルイズは感じた。
煙の中から現れたのは全身黒ずくめの長身の男。
歳は三十代前後だろう。端正な顔立ちをしており、髪も男性にしては異様に長い。
手袋とシャツだけは対照的な白で飾っているが、後はネクタイも、鍔の広い帽子も裾の長いコートも全て真っ黒だ。
そして、何より、全ての生物が持つ根源的な恐怖を形にしたような、いかにも危険な禍々しい雰囲気が全身から滲み出している。
通常ならここで級友たちが「ゼロのルイズが平民を召喚したぞ!」とか「流石はゼロのルイズだ!」といった嘲笑の混じった野次を飛ばしているところであろう。
だが、ルイズの呼び出した人物の危険さを無意識のうちに理解していたためか、そのような言葉は一言も出なかった。
(一体何よ、コイツ!?)
至近距離でチーターに遭遇したカモシカは絶望的状況に全身がすくんで身動きがとれなくなるという。
絶対に逃れられぬという絶望からパニックに陥るためといわれるが、そこに居合わせた生徒たちの状態はまさにそれであった。
男から発せられる圧倒的な死の気配。知識よりも先に60兆の細胞が反応し、その場に居た全員が彼の発する禍々しい雰囲気に戦慄し、無意識のうちに脅えていたのだ。
もしも、ここで野次を飛ばすような人間がいたなら、そいつにはKYを通り越してSKY(スーパー空気読めない)の称号を与えるべきである。
「あ、あなた、何者なの!?」
60兆の細胞から発せられる生命危機を訴えるサインを意思の力でねじ伏せ、脅えを虚勢で隠しながら、ルイズは自分が呼び出した何者かに訊ねた。
「クス、はじめまして。私は赤屍蔵人という『運び屋』です」
ハルケギニア史上において間違いなく最強―――そして、最凶の『使い魔』が召喚された瞬間であった。