『お前がこれからどうなろうと、俺とリアスはお前を愛している』
涙を流すイッセーに穏やかに微笑みながらドライグはリアスの下へと還っていった。
「………………」
「イッセー……大丈夫か?」
「ああ………」
種族こそ違えど、親も同然だった存在を四度も目の前で失う辛さはイッセーにしかわからない。
一度目は目の前で殺された肉親。
二度目と三度目は全ての力を託して逝ったリアスとドライグ。
ドライグが還った後、暫くその場から動かず、ただ空を見上げていたイッセーの心中は、ハジメ達にも解るつもりでも真に理解することは叶わない。
「馬鹿な事言うなよ。
俺がドライグとリアスちゃんを恨む訳ないだろ……まったく」
泣きそうな顔をしながら笑うイッセーの言葉が虚しく響き渡る。
既にイッセーの精神は完全に全盛期へと戻りつつあるし、多少は脆くなっていたその肉体もまた精神に呼応するかのように再び進化の道を歩み始めている。
しかしそれでも、心の中に残り続ける喪失感だけはぬぐえない。
目に見えない幻肢痛が心を蝕み続ける。
「もう少しだけ待っててくれ、俺も必ずそっちに逝く」
誰にもこの喪失感を癒せる者は居ない。
気まずい沈黙が続く中、ハジメが運転するジープは山だった荒野を駆け抜け、先に退避させた畑山愛子や捜索人が居るであろう
ウルの町へと戻っていく。
「………………」
「……………」
「………………」
「…………………」
「………………………」
行きの時とは違った気まずすぎる空気の中心であるイッセーは、ジープの窓から覗く荒野の景色をぼんやりと眺め、そんな様子をユエ、シア、ハジメ、ティオがちらちらと伺う。
「…………」
そんな重苦しい空気が続く中、それまでぼんやり窓の外を見ていたイッセーが何かに気付いたように目元を細め、続いてハジメ達四人も気付く。
「なんか、結構な数のなにかが近づいてるみたいだが……」
「気付いたのかイッセーも? この気配は多分魔物だな。
それもかなりの大群だ」
「ちょっと異常な数ですよ……これ……」
原因は不明だが、相当な数の魔物の大群がウルの町に向かって押し寄せようとしているのを察知したハジメは、アクセルを全開にして町へと戻る。
「南雲くん! 無事だったんですね!? よ、良かったぁ……」
「あ、あの竜を撃退したのか……?」
町に戻ると、どうやら誰も気付いて居ないらしく住人達は何時もの生活をしているし、先に戻っていた愛子達は服装こそボロボロながらも帰還したハジメ達に安堵の表情を浮かべつつ、あの竜を撃退したのかと驚いていた。
「オレ達は殆ど役に立ちはしなかった。
倒したのはイッセーだ」
「あ、そ、そうなのですね。
あ、あの……南雲くん達を守ってくれてありがとうございます!」
「………ああ」
ペコペコと何度も頭を下げる愛子に対して気の無い返事をするイッセーに、生徒達や捜索人であるウィルが首を傾げる。
「それより緊急の話があるんだが……」
「へ?」
他人と言葉を交わすだけの余裕すら今のイッセーには無いという心情を察しているハジメが愛子達だけに魔物の大群が押し寄せてくるという話をする。
「そ、そんな……」
「ど、どれくらいなんだよ?」
「ざっと6万くらいだな……」
「ろ、ろくまん……」
ハジメ達よしも知るよしもない事だが、本来は3万近い大群が大体二倍の数に増えているし、それだけの大群が押し寄せてくるともなれば愛子達の顔色も死人のように真っ青だ。
だが、その話を聞いたウィルは何を思ったのか突然その場から走り去ると、この町の代表者が住む屋敷に向かい、諸々の話をしてしまう。
「そ、そんな馬鹿な話があるか!?」
「ま、待て! 豊穣の女神の言葉だ! 嘘ではないのかもしれない……」
案の定当初は一切信じて貰えなかったのだが、横に何故か豊穣の女神等と呼ばれている愛子が居たせいか、勝手に信じて貰えるように。
「ほ、本当なのですか豊穣の女神!?」
「や、あの……その呼び方はちょっと……」
「………。そんな呼ばれ方されてるのかよ先生は?」
「あまり触れて欲しくないです……」
こんな調子で徐々にパニックになりはじめる中、ウィルが妙に張り切りながら代表者に言う。
「この町は危険です! 皆さんは一刻も早く避難を!」
彼なりの正義感による行動らしいのだが、ハジメはそんなウィルを止めようと口を開く。
「おい、あまり勝手な事はするんじゃない。
あくまでもお前は保護対象なんだ、さっさとフューレンに戻るぞ」
「なっ!? こ、この町を見捨てろというのですか!?」
そんな冷酷にも取れるハジメの言葉にウィルは憤慨する。
ちなみにイッセーはといえば、離れた所からティオと一緒に窓の外を見ており、『俺を殺すつもりで神が仕向けたのか…?』と近づいてくる魔物の群れの気配を察知しながら呟き、『かもしれぬが、イッセーを殺すつもりだとするなら、過小評価も良いところじゃろ』と、ティオが勝手に部屋のテーブルに置いてあったお茶菓子を食べながら返している。
「見捨てるもなにも避難する他ないだろう? そもそもこの町はオレ達にしてみたら観光地でしかない。
加えて避難するだけなら居ようが居まいが関係ない」
「町の人々を置いて自分だけ逃げるなんてできません! ハジメ殿が何を言おうとも私はこの町に残ります!」
そう頑なな態度を取るウィルにハジメはハァとため息を吐きつつ窓の外を眺めながら横に居るティオにお茶菓子を無理矢理食べさせられているイッセーを一瞥する。
恐らく全盛期を取り戻し始めているイッセーが居る今なら、6万の魔物の大群もなんとか出来るだろう。
だが、先程までドライグと戦い、そして目の前で死に別れた後のあの姿を見ているハジメとしては、とてもではないが一緒に闘ってくれなんて言えないし、今の自分が6万の大群相手に生き残れる保証もない。
もっとも、そうなればイッセーは助けてくれそうだが……。
(……オレにはなんとなく解る。
イッセーが戦う姿を見た連中が、イッセーをどう思うのか……)
正しく異常な男を見た普通の人間達の反応なんて簡単に予想できてしまう。
『化け物』と揶揄し、自分達はその化け物に命を救われたのに、それを忘れて罵倒するだろう光景が。
(イッセーは気にしないだろう。
だが、そんなのはオレが許せない)
そもそもイッセーとハジメの考え方はかなり似通っていた。
自分が大切だと思うモノ以外の全てが壊れたしまおうが関係ないと考えるところも。
「ダメだ。
正義感を振りかざしてくれるのは勝手だが、こっちにも都合があるんだよ。
オレ達の仕事はあくまでお前をフューレンに連れ帰ることであって、この町を守ることじゃない」
だからこそハジメはイッセーに対して親近感と同時に信頼もしていた。
だからこそ、イッセーにばかり頼る訳にはいかない。
だからこそ、ここは力付くでもウィルをここから連れ出そうとしたその時、それまで不安そうに見ていた畑山愛子が声を出す。
「待ってください! 南雲君達なら魔物の大群をどうにかできますよね……?」
「…………6万以上の大群だぞ?」
「いえ、出きる筈です!」
否定しようとするハジメに愛子は先ほどまで聞いていたハジメ達の会話を引き合いに理由を語る。
「南雲くんは決して『不可能』とは言っていません。
なによりあの竜を倒したそちらのイッセーさんが居れば可能なのでありませんか?」
そう愛子は離れた所の窓から外を眺めていたイッセーと―――そんなイッセーにいそいそと勝手にどこで用意したのかもわからないお茶を差し出しているティオを見る。
「今から避難指示を出しても町の住人全員が避難できるとは限りません。
下手をすれば多くの命が失われます!」
そう力説する愛子にハジメは冷めた目をする。
「へぇ、教師として生徒を元の世界に帰す義務がどうとか言う割にはその生徒に戦わせるのかよ?」
「っ……そ、それは――」
「それに勘違いするなよ。
オレはともかくとしてイッセーはさっきまで死にかける程の戦いをしたばかりなんだ。
まともに戦えないし、かと言って今のオレ達じゃあ6万の大群を相手に勝てるなんて保証はねぇ」
『もっとも、ちぎれた腕すら数秒で完全再生させるイッセーがバテてる訳ではないんだが……』と心の中で呟きながら、何故か無理矢理ティオに屈まされて頭を撫でられているイッセーを一瞥しつつ愛子に冷たく言う。
「それに前提としてオレ達にこの町を守る理由はない。
それなのにオレ達に魔物と殺し合えと? ハッ! 例の教会の連中みたいな言い草をするじゃあないか……え? 先生?」
痛烈な皮肉をぶつけるハジメに愛子は真っ直ぐ色々と形が変わってしまった『生徒』を見つめながら口を開く。
「わかっています。
当然私にとって生徒達の安全は最優先です。
でも、これだけは聞いてください」
教師として、大人として――そして畑山愛子としての想いを口にする。
「世界は確かに違えど、私たちと同じ人間が生きています。
そんな人々を可能な限り見捨てたくはない――そう思うのは人として当然ではないでしょうか?」
「…………」
「南雲君、アナタはそうやって自分の大切な人以外の全てを切り捨てて生きていくつもりなのですか? それはとても寂しい生き方だと思いますし、南雲君や南雲君の大切な人たちにも幸せをもたらさない。
南雲君が元々持っていた、他者を思いやる気持ちだけは忘れないでください……!」
その言葉を受けたハジメが何を思うのかはわからない。
ユエとシアが不安そうな眼差しをハジメに送る中、ハジメがその口を開こうとしたその時―――――
「くだらねぇ……」
それまで無言だった青年の声が部屋の中に木霊する。
「え……」
その声の主に対して全員の視線が向けられれば、窓の外を見ていた男――イッセーは『心底反吐が出ると言わんばかりの嫌悪の様相』で愛子を睨んでいた。
「んっん~ 一応教師なだけあって無駄に話が上手いねぇ。
そうやって偉そうに御託並べられる辺り、教師としちゃあ合格だわ」
そう愛子の言葉の全てを否定するかのように鼻で笑って言うイッセーに誰しもが声を出せない。
「で、そうやって偉そうに演説かましたキミは魔物の大群を全滅させられる訳?」
「そ、それは……」
イッセーの言葉に愛子は俯いてしまう。
確かに言われた通り、自分達は言うだけであって戦闘能力は皆無。
つまりハジメ達頼りなのだ。
「大事な人以外を切り捨てる生き方じゃあ幸せになれないし、幸せにできない? おいおいおい、随分と知ったような言葉を吐くじゃないか」
「で、でも……!」
「反吐が出るぜ」
「うっ……!?」
「……。テメーみたいな良い子ぶった言葉垂れ流して勝手に酔ってるだけのカスごときに何がわかる」
「っ!?」
イッセーからすれば、これまでの人生の全てを否定されたように聞こえてしまった。
リアスとドライグとの未来の為だけに全てを切り捨て、全てを破壊してきたのだから。
「大事な人以外が死のうがどうでも良い。ふん、結構な事だろう?
どうでも良い赤の他人の為に命張ったあげく、大事な人が傷ついたら本末転倒だしな?」
『………』
「俺は少なくともそうやって生きてきた。
大事な人の為なら邪魔な奴等は皆殺しにしてやった。
テメーがイカれた異常者なんてのは自覚してたけど、それでもあの二人はそんな俺を受け入れて、そして愛してくれた」
だから愛子の言葉だけはどうしても否定したかった。
「少なくとも俺はその生き方に後悔なんてしちゃいないし、幸せだったからな。けっ、何が幸せになれないだ。
テメーの物差しで勝手に人の幸せを測るなよ」
「……………」
そう吐き捨てるように言い切ったイッセーは再び窓の外へと視線を戻し、それ以降二度と愛子を見ることはなかった。
「わ、わたしは……!」
「………。少なくとも、オレはイッセーの考え方の方に同調できる。
元の世界でも、この世界でも綺麗事だけで生きていける程甘くはないと身を以て理解しているつもりだからな……」
「そもそも聞きたいんだが、例え話、そこのチビは凶悪犯の立てこもり事件を等といった凶悪犯罪をニュースで見たら一々助けに行こうとするのかって話だっての。
精々『嫌な事件だね……』程度しか思ってねーだろってんだ」
「う……」
「お、おいよせよイッセー。それは流石に極端だろ」
「………確かにな。
悪いね、どうにも気が立っててさ……」
「まあ、色々あったからな……」
殆ど理不尽な暴論に近い言葉にほぼ泣き始めている愛子を見て、流石に思うところもあるのか止めようとするハジメ。
「ご、ごめ……ヒック……! ごめんなさいぃ……!」
「お、おいマジで泣いちまったぞ……」
「知るかよ。
勝手に泣いてりゃ良いだろ。
で……どうするの? そこで通夜状態になってる連中共の為云々はどうでも良いけど、この数の魔物は放置か?」
「……………。正直言うと今度こそイッセー……お前と一緒に戦ってみたい」
他人の為ではなく、あくまで自分達の未来の為にと語るハジメにイッセーはフッと穏やかな笑みを溢す。
「りょーかい。
そうだな、ドライグがキミ達に渡した力の使い方も教えておきたいし、ちょうど良いサンドバッグとして精々使わせて貰おうか」
こうして他人の為ではなく、自分達の未来のために戦うことにしたハジメ達なのであった。
「むー……」
「どうしたのティオ?」
「うむ、先程イッセーが怖い顔をしてあのちっこい小娘を罵倒していたのが、ちょっと良いなぁ……と」
「えと、それはつまり……」
「妾もああしてイッセーに泣くまで虐められたいと……」
「「……えぇ?」」
「ご、ごめんなしゃい……! や、役立たずな私は町の皆さんが避難できるように誘導しましゅ……!」
「だ、そうだがイッセー?」
「このお茶うまっ……」
「む、無視されたぁ……!」
「お、落ち着けよ先生! お、おいイッセー! 茶なんて飲んでないでほんの少しで良いから先生に――」
「え? あーはいはい。
まあ精々魔物の餌にならんようにするんだね―――――――――ごめん、誰だっけ?」
「………………うわーーーん!!!」
「ばっ、馬鹿! 泣かしてどうするんだよ!?」
「お、おっふ……」
「イッセーはやっぱりS……」
「は、ハジメさんと仲良くなれてる理由がわかった気がしました……」
補足
ドライグを再び失った直後のせいか、何時もより気が立っている。
そもそも愛ちゃん先生の考え方とイッセーの生き方は間違いなく対極ですからね。
ドライグとの別れの直後というのもあり、これまでの人生を否定されたような気がしてつい言ってしまったと……。