テーマは『子持ち同士の不倫っぽい空気』
一日掛かってすくすくドロップの効力を突破したことで月音の姿へと戻れた。
しかし月音はこの件により確信に近いものを抱いていた。
「更にオレの中にあった無神臓が消えている……か」
人でありながら人でなしへと到達した理由。
生まれながらに宿していた精神がやはり消えかかっている。
本来ならばあらゆる環境や状況に適応し、糧にして無限の成長を可能にする気質故にすくすくドロップの効力もすぐに適応して効力を無力化できていた筈だった。
それができなかった。
つまり自分自身とも言える無神臓が消えかけているという事に他ならない。
「…………」
だからきっと、かつての自分とは違って今の自分は人ならざる者への殺意が薄くなっているのだろう。
「…………チッ、儘ならない人生だ」
恐らくあの日から――
神器に近しいものを獲た萌香との喧嘩があったあの日から、精神の支柱が変わってしまった。
それが良いことなのかどうかはわからない。
だがアイデンティティを失いつつあるという意味では不安だった。
裏萌香にしてみれば、人間でありながら人間を超越した月音は己の可能性を広げた存在だ。
力の大妖としての在り方や『そうしなければならない』という運命を真正面から鼻で笑って叩き壊す圧倒的な領域を間近で見てきた事で、何時しか想うようになったひとつの願い。
「はっ!!」
「っ!?」
その領域に、ただ独りで君臨するその場所へと必ず到達してみせる。
それがバンパイアとしてではない、赤夜萌香としての野望。
到達し、追い付き、そして追い抜く。
そうすることでやっと月音を――一誠という過去を含めた全てを解る事ができると信じて、彼女は今日も――
「やっふー! それ見なさい! 所詮お姉ちゃんにかかればアンタみたいな木っ端男なんて目じゃあないのよ!」
「はいはい、月音さんがぶっ飛ばされてるのを見れて気分が良いのはわかりましたから、大人しくしてください」
「そもそも月音はまだ全然堪えちゃいないんだからね?」
「お前は気に食わん話かもしれないが、月音はハッキリ言って強い」
「ふ、ふんだ! 例えちょーっと強かろうともお姉ちゃんが最強なんだから!」
最近増えに増えた見物人に見られながら、裏萌香は挑戦するのだ。
「手応えはあった……が」
『ええ、まだまだよ』
部員の確保を失敗し、どういうわけか心愛が入る形になってから数日後。
休日を使って月音との遊び(トレーニング)をする裏萌香は、表の自分という名の神器に近しい新たな力を使いこなさんと挑みかかり、自慢の足技がクリーンヒット。
月音は大きく蹴り飛ばされて倒れたのだけど、案の定即座に起き上がると蹴られた箇所に触れながら小さくため息を吐く。
「少しはやるようになった……それは認めてやろう」
月音は自分自身を『笑ってしまうくらいに弱くなった』と自嘲する。
しかしそれでも単純な殺し合いとなれば圧倒的であり、タフさも桁違いだった。
「なにを偉そうなことを言ってんのよ! アンタこそさっさとお姉ちゃんとアタシに土下座しながら降参しなさい!!」
「どうどう」
「あんまり挑発してると今度こそ集中治療室から二度と出てこられない身体に改造されちゃうわよ?」
ぎゃあぎゃあと妹の心愛が騒ぎたてるのを横に、裏萌香はロザリオのグローブを嵌めた手に拳を作りながら首をコキコキと鳴らす月音を油断なく見据える。
『来るわよ。
月音がああして首を鳴らす時は攻めに転じる合図……』
「ああ……!」
表の自分がドライグのように自身の精神を神器化させたことで、少しは月音の領域に近づけた。
しかしそれでもまだその差は歴然……一度その気になられれば瞬く間にぶちのめされる。
故に集中する裏萌香に対し、月音は小さく深呼吸をすると……。
「…………」
「うっ!?」
数メートルは距離が開いていた月音の姿が消えると、次の瞬間には裏萌香の眼前へと肉薄していた。
その速さに初見の心愛がギョッとする中、月音は萌香の顔面めがけて強烈なヘッドバッドをする。
「うがっ!?」
ちょっと嫌な音と共に大きく身体がのけ反る裏萌香はそのまま後頭部を掴まれると、容赦なく地面に顔面から叩きつけられる。
「………」
「ぎゃん!?」
そしてトドメとばかりに容赦の欠片の無い踏みつけが萌香の後頭部へとのし掛かると、だめ押しとばかりに何度も何度も踏みつけられまくる。
「ちょ、ま、待て月音!? ぎゃっ!? きゃふ!? がばっ!?」
「その台詞を殺し合いする相手が聞くとでも思ってるのか? え?」
『………』
ほぼチンピラの喧嘩のような容赦のなさにちょっと周囲が引くのもおかまいなしに、段々ニタニタとしながら裏萌香を踏みつけまくる月音。
こうして通算82回目の敗北を喫することになるのであった。
最初は本気の本気で嫌いだった。
自分に対して虫けらでも見るような見下しきった目態度。
なにより自分の魅力が一切通用しなかった。
それはプライドを大きく傷つけられた。
だから嫌いだった。
暴力的だし、口も悪いし、女子だろうが容赦しないDV男。
だからどうしても見返したかった。
だがそんな彼に助けられてからは見方が変わっていった。
子供に対してはちょっと優しい。
一度認めた相手にはとことん献身的。
なにより、前に助けられた時に見た彼の姿はちょっとだけ良いなと思ってしまった。
それからはちょっと互いに態度が変わった。
そして変えていくことで彼の事を知るようになった。
人間であること。
妖怪――いや、人以外の存在を嫌悪していること。
その理由と過去。
知ってしまってからはどうしても嫌えなかった。
なにより彼はそんな人ではない自分に対してぶっきらぼうだけど話しかければ応じてくれたし、なにより去年の一件以降はちょっとだけ仲良くなれた。
「あーらら、鼻血が止まらないわねー?」
「ふがふがー!」
「はいはい、言いたいことはなんとなくわかるけど、修行なんだからこうなる事もあるでしょう?」
人であって人でなし。
それが彼なんだと。
「お、お姉ちゃんがこんな……」
「少しは信じる気になれた? 月音がかなり強いって……」
「う……」
だが実際問題、月音がいい人かと言われればそうではないとは思う。
すぐキレるし、女子にも容赦ない。しかも妙に人間の女にしか鼻の下を伸ばさない。
多くの者は間違いなく月音を暴君だの傍若無人だのと揶揄するだろうし、現に月音は先代の公安委員会達を物理な意味で再起不能にした実績もあるので、教師を含めた学園の殆どの妖怪達からは恐怖されている。
「あまり月音に喧嘩は売らない方がいいわよ。
この前の件は運も良くなんとかなったけど、もう一度同じ事が起きたら比喩とかじゃなくて二度と病室から出られない目に逢わされるでしょうしね」
「ぐ……そ、そんな危険人物とよく付き合えるわね……」
「私も最初は月音の事は大嫌いだったわよ。
寧ろ死んでしまえば良いのにとか何度も思ったか。
でも私って結構チョロいというか……まあうん」
それを月音自身が望んでいる事なのだからとやかく言うことではない。
そして言う気もない。
だけど月音の過去を――一誠としての人生を知った者の一人として、本当の一線を越えようとする月音を止められるような妖怪の一人になれるのなら悪くはない。
例え人ではない存在への嫌悪が残っていようとも、あの日の件で正気を失っていた月音によって切り飛ばされた腕の事への罪悪感を持ってくれている――それだけでも黒乃胡夢にとっては十分なのだから。
「それに最近、ちょっと優しいし……」
力を封じられた側の人格として存在する萌香が初めて共に戦う術を獲た時から――いや、それよりももっと前から彼女は月音の中に宿る龍が気になっていた。
龍というにはあまりにも人間っぽくて、それでいて包容力があり、まるで宿主の月音父親のように振る舞う。
そんな龍に不思議なシンパシーを感じてから、萌香は龍――ドライグとの交流を強く望むようになった。
「しかし、裏のお前と違ってお前は戦い方が不器用だな」
「あはは、そうかも……。
今まではずっともう一人の私に頼りきってたから」
「……ある意味お前とオレは少しだけ似ているかもな」
そんな表萌香の密かな楽しみは、深夜寝静まった後の密会だ。
月音の力を間近で浴びた事で、封じられていた本来の力を持つ人格との入れ替わりが簡単に可能になり、またドライグも月音との鍛練により自由に月音の肉体を介して表に出てこれるようになった。
お陰でお互いの主人格が完全に眠ることで表に出られるようになり、こうして密会ができるようになれた。
主にお互いの宿主の力になれる為の特訓だったり、星空を眺めながら語らい合ったり。
「ちょっと寒いかも……」
「そんな薄着で外に出るからだろ」
「だって寒くてもドライグくんにくっつけば寒くないもの……」
月音と裏萌香曰く『不倫現場』のようなやり取りをしたり。
本来の自分の力になるための特訓も勿論大切だけど、表の萌香にとって一番の楽しみはドライグとのこの時間だった。
「ふふ……ドライグくんのおかげで寒くなくなったわ」
「またか……。
お前も物好きな小娘だ」
「うーん……ドライグくんは私を小娘って言うけど、最近なんでかそうでもない気がしてきたのよねぇ」
「なんだそれは?」
月音とは違い、猛禽類のような獰猛さを感じる瞳はまさに龍の瞳。
そんな瞳、獰猛そうながらも父性のような包容力を感じるその瞳に惹かれていく萌香もまた普段の天真爛漫な少女とは思えぬ――妙な艶かしさを放ちながらドライグに密着する。
「ドライグくんの本当の姿……いつか私も見たいな」
「……」
「そうしたら私とドライグくんでもう一人の私と月音のお父さんとお母さんになったりして……」
「返答に困るんだが……」
「アナタが好きってこと。
もう、意地悪なんだからドライグくんは……?」
微妙に困った顔になる月音の身体を借りているドライグの密着した腕に甘噛みする萌香は、腕から肩……首筋へと甘噛をすると、最後に耳たぶを優しく噛んでから頬にキスをする。
「血を吸いたいけど、今のドライグくんは月音の身体だからやめておく。
月音の血はもう一人の私に譲るから」
「…………」
「でも私はドライグくん自身の血が欲しい……。
いつかアナタの本当の姿を取り戻した時、吸わせてね……?」
「呆れる変わり者だなお前は。
……まあ、その時が来たら考えておいてやる」
「あは♪ 約束だからね? ふふ……大好きよドライグくん……」
「わかったからそんなにひっつくな……まったく」
こうして人妻のような妖艶さを醸し出す表の萌香と、父性を持つようになった龍の密会の夜は過ぎていく。
『あ、あわわわ……! つ、月音……表の私がまたドライグにあんな……』
『あんな真似してたら起きるってわかってないのかよ……。
ぐっ、感覚がダイレクトに伝わるし……』
『い、いつの間にか表の私の方が大人な気がしてきたぞ』
『それは確かに。
なんだか不思議な子だよ。キミはとことんポンコツなのに』
『ぽんこつじゃない――ひぁっ!? お、表の私が今ドライグに……! あ、あぅぅ……!』
『か、感覚をシャットアウトする方法はないのかよ!? ま、真面目にハズイんだけど……!』
互いの連れ子のような子達にあわあわされつつ見守られながら。
補足
日に日に無神臓の精神が薄れてしまっていることに実は不安と焦りがありつつも別領域を模索中。
そんな彼を追う妖怪さんと魔女さん達。
その2
割りと常識的なのと腕の件もあって伏兵のごとく対応が軟化しまくってる胡夢さん。
裏萌香さんに内緒で個人レッスンで強化中であり、最近どこかの堂島の龍の若い頃のようなバトルスタイルを駆使し始めてる噂。
その3
不倫現場、エスカレート中。
どういう訳かドライグと密会している時の表萌香さんは人妻のようなエロさがあるとかないとか。
………なんでだろうねー?(棒)
それを文字通り間近で見せられる連れ子同士の気まずさったらない。