天ではなく未来から。
天ではなく冥界という場所から意図せず、そして望まずしてやって来た彼。
石の様に無で、雪のように冷たい。
きっと私が最初に出会う事ができたのは、全くの偶然で、天の先から此方を見下ろす誰かの気紛れなんだと思う。
そうでなければ、そして誰かの後に出会ったのなら、きっと彼は私の生き方を否定し、嫌悪し、そして混ざり合う事もなかったのだろうから。
だからこの出会いは奇跡だと思う。
生き方も考え方も私とは真逆。
対話ではなく力で相手をねじ伏せ、黙らせる。
人との繋がりを拒絶し、決して他人に対して心を開こうとはしない。
きっとただ出会っただけだったら、私も彼も互いの生き方や考え方を否定し、そしてもしかしたら殺し合う関係になっていたのかもしれない。
知れば知るほど、彼が人との繋がりを持つことやなにかを失うことを恐れていることや、それを守る為に力を求めていること。
そして受けた恩は何がなんでも返そうとする律儀さと不器用さがあると知ることもできなかったと思う。
だからきっと私は、彼のこの先が見たいと思うようになった。
私が今まで生きてきて触れることのなかった――そしてきっと出会うことがなければ見てみぬ振りをしていたのだろう『綺麗事だけではまかり通らない領域』を敢えて歩もうとするその背中を……。
追い掛けるのではなく、並んで歩みながら見てみたい。
やらかさない場合の執事の朝は割りと早い。
「………………」
夜が明ける前には起床し、身支度を整え、模倣した燕尾服に袖を通す。
「すーすー……」
「……………」
そして借りのある相手――つまり桃香がちゃんと眠っていることを確認してから部屋から外へと出る。
まず始めにこの世界において執事が行うことは、桃香の朝食の準備である。
元の時代において、グレイフィアやらヴェネラナといった女性陣達により徹底的に仕込まれた調理技術は調味料といったものがまだ不安定すぎるこの時代においては中々思う通りの味が出せないにせよ、妥協はしない。
まあ、この世界自体かおかしな所があるせいで、微妙に現代に通じるものがちらほらと存在しているにせよ、執事は、まず外で調達可能な食材を可能な限り集めると、まだ誰も使用していない調理場へと足を運ぶ。
「……………」
グレモリー家やシトリー家の調理場に比べるまでもなく原始的な調理場に到着し、上着を脱いで壁に掛ける。
そして自作したエプロンを着用し、頭髪が入らないようにわざわざ三角巾まで被り、かまどのようなものに火をくべる。
「……………」
かまどに火が入ったと確認した執事は、調達した食材の下準備に取りかかる。
もっとも、下準備といっても朝食な為に大掛かりなものは無い。
「………………………」
数千・数万回と訓練をさせられただけあって、その手付きには迷いも淀みも一切無い。
ただ、調理器具だけは原始的な為、本来よりも時間が掛かってしまう。
こうして完成する頃には夜も明けており、周りの人間達が活動を開始する。
「……………」
だが彼等に悟られる事無く、手早く調理場の清掃と痕跡を抹消した執事は、そろそろ起きてくるであろう桃香に朝食を運ぶのであった。
「………」
「うーん、おいしー!」
『………』
初めて日之影一誠という、同じように未来からやって来た青年の格好を見た時、コスプレの類なのかと当初北郷一刀は疑った。
だが、彼の『仕事』を見るにつれてその疑惑は払拭し、寧ろ人間技ではないと思うようになった。
それは一刀の提案により、『朝食は同じ席で囲もう』という事で始まった朝食の時間。
自分を含めて他の者達が同じ料理を食べている中、一人だけ――つまり桃香だけは一誠が作った朝食を食べている。
それがどう見ても旨そうなのだ。
キラキラに輝く黄身が印象の目玉焼きも、どこから手に入れたのか不明すぎるウィンナーだ色鮮やかなサラダ。
そしてトドメは蒸していない焼きたてのパンにイチゴジャム。
桃香の朝食だけまるで別世界だし、そんな彼女の傍らにて背筋を伸ばしながら空になったカップにこれまたどこから入手したのか不明な牛乳を注いでいるのだから。
「ねぇ一誠くん、これはなんていう食べ物なの?」
「パン。このジャムを塗って食うんだ」
「ふーん……あ、おいしい!」
『……………』
いやいやいや! 当たり前の顔でパンとか言ってるけど、どうやって作った!? と突っ込みたくなるやり取り。
ふと見ると全員して桃香が食べているものをガン見しているし……。
というか見ているとああいう朝食が恋しくなって仕方ない。
と、すっかり古代的な料理に慣れてしまった一刀は、洋食まで再現してしまっている一誠が作ってくれないかなぁと思うのであった。
誰とも関わる事も無く、そして絡まれない為には自分の世界に浸り込む事である。
少年期の時点でそう悟った一誠にとって、己の世界に没頭できるのは鍛練と使用人の仕事だった。
なので彼は蜀としての勢力が確立され、大きな拠点を手に入れるようになってからは、その拠点の清掃などを行っていた。
「………………」
清掃用具は全て自作し、誰にも声をかけられないように徹底的に清掃作業に没頭する。
「私の目がおかしいのか……。日之影の姿が5人に増えている……」
「私にも見えるからおかしくはないぞ。
……いや、おかしいけど」
あまりにも率先してしまうため、個人の身の回りの世話以外の事は全て彼がやってしまう。
そのせいで姓と名を捨て、真名だけで生きることになった月や詠は完全に仕事が無くなってしまっているようだ。
「……………」
「あ、終わったようだぞ」
「うむ、だが……これだけ綺麗にされてしまうと却って落ち着かないな」
偶々五人に分身しながら仕事をしていた一誠を見ていた関羽こと愛紗と趙雲こと星は、綺麗になりすぎてしまった部屋に対して逆に落ち着かない気分にさせられてしまう。
「だが見ていて飽きないな日之影は。
なんというか、何を仕出かすかわからん面白さがある」
「言われてみればそうかもしれんが……うーむ」
「…………………」
なので、つい謎の掃除用具を持って去ろうとする一誠の後をこそこそとついていくことにした。
基本的に桃香の傍らで一言も声を出すこと無く控えている姿か、泥酔して大暴れしてしまうの二つだけしか見たことがなく、所謂素面の姿がどんなものかのかをまだよく知らない。
故についついお仕事をほっぽって興味本位で一誠の追跡をしてしまう訳で。
「……………………」
「今度は洗濯か……」
「これといって驚くことはしないか……」
水場で自分と桃香の服を洗っている様子を物陰から見る星と愛紗。
「あれは桃香様の……」
「まあ、予想はできたな……」
その洗濯には桃香の下着的なものも含まれていたのだが、本人は石像じみた無表情で淡々と洗っては生地が痛まない様に脱水して干している。
何でも良いから日之影一誠の人間らしい面が見てみたかった二人は、桃香の衣服で変な事でもしないかと期待はしてみたが、やはりそんなことはなかった。
「……………よし」
「終わったようだが……」
「妙に達成感のある顔をしたな……」
そうこうしている内に洗濯も終わり、自作の物干し竿に吊るして干した一誠が、珍しく達成感のある顔でうんうんと頷いている。
「なんか……面白いな」
「お主もそう思うか? なんというか、ああいう顔もちゃんとするのだな」
段々見てるだけで妙な面白さを愛紗も感じるようになってきたらしい。
「………………」
「む、行ってしまったぞ」
「よし、追うぞ」
気づけば二人してノリノリで追跡をするようになっていった。
そして愛紗と星は気づかなかった。
「む、今度はどこへ?」
「多分桃香のところ」
別の箇所から約二名が追跡中だったことに。
先日クソババァと呼ばれてそれっきりの紫苑と、結局まともに話すこともできなかった恋が……。
一刀とおなじく、この勢力の象徴である桃香は諦めきれない夢の為の努力を惜しまない。
故に蜀が『保護』する者達で作り上げた町の見回りもする。
少なくともここに居るもの達は皆笑っている。
だからこの笑顔を忘れない為に、そして守る為に自らが町の様子を見るのだ。
その傍らには、安全の為だと一誠が常についている。
そう、桃香はこの時間が一番好きだった。
「ふふ、今日も皆元気そう」
「……………」
人の目に晒されるせいで、一誠の口数は極端に減ってしまっているのだが、それでも律儀に自分の傍を離れない一誠に嬉しくなる。
「あの、関羽様のお姿が今朝から見えないのですが」
「え、愛紗ちゃんが?」
「はい、一体どこへ……」
「…………」
最近町の警備隊長みたいな位置になった愛紗が居ないと警備隊の者に言われたり。
「あ、劉備様!」
「日之影兄ちゃんも!」
「こんにちは、今日も元気だね!」
「……………………」
町の子供達にわらわらと群がられたり。
「日之影兄さまー!」
「げっ!?」
「あ、璃々ちゃん」
その子供の群れの中から飛び出してきた子供に一誠が飛び付かれてしまい、何故か一誠は嫌そうな顔をしたり。
「鬱陶しいぞガキ! 離れろコラ!!」
「やーだー!」
『いいなー……』
なにもしてないのに何故か子供からの支持率がカンストしてしまっていたり……。
もし元の時代にて、一誠兄さまと呼び慕うミリキャス・グレモリーが見てしまったらガチギレ案件なのほほん光景がそこにはあった。
「ミリキャスかお前は! どけ!」
「やーだー! だって日之影兄さまと毎日会えないんだもーん!」
「く、クソガキァ……!」
「あはは、そんな事言うけど、本気で引き剥がしたりはしないよね?」
「んな事したら怪我だからなっ! クソが、だからガキは苦手なんだ!」
「凄い懐れてるけど?」
「知るか!!」
そう飛び付いて離れない璃々という子供に口汚く罵るが、なんの効果もなく、一誠も一誠で桃香の指摘通り、ひっぱたいたりは決してしない。
それもこれもなんだかんだと子供に話しかけられればわざわざ膝を折って同じ目線になって受け答えをしたりするからであるということに一誠は気づいていない。
「ほら、あっち行って遊ぼうよ?」
「チッ……あ、おい! よそ見して走るな! 転ぶだろうが!!」
「はーい……えへへ♪」
「ふふふ……♪」
そして別の意味で気づいてなかった者が、こっそり後をつけていた者達で……。
「な、なんと……! こ、子供から懐かれているではないか……!」
「まさか璃々にまで……。
普通は互いに無関心のように見えたのだが……」
「り、璃々が……し、知らなかった……」
「普通に受け答えもしている……」
何度も言うが、ミリキャスが見ていたらガチギレしそうな案件であった。
「しかし、ああして見るとまるで親子だな……」
「それぞれ日之影殿と桃香様と手を繋いで歩いている姿はまさにそれだ。
紫苑が見たら一体どうなることやら……」
「いや、もう既に見ているぞ? ほら、あそこで恋と一緒に……」
「あ……」
いやいやいやいや何時から!?
そんな言葉が永遠と頭の中でループする程度には衝撃であったのは紫苑である。
そもそも日之影一誠は自分の娘の事なんて知りもしなかったと思っていたのに、一体いつの間に……という疑問もそうだが、彼が子供に対して妙に寛大である事にも驚かされてしまう。
「ねぇねぇ、お母さんとはお話しないの?」
「は? ああ……別にしない」
「なんで?」
「なんで? 話す理由がまったくない」
しかも普通に受け答えまでする。
相手が子供だから……だとしても自分の娘なだけあって、物陰から恋とこそこそ覗いている紫苑からしたら複雑そのものである。
「前に、日之影兄さまがお母さんに、えーっと『くそばばー』って言った時、凄い落ち込んでたけど……」
「あっそ……じゃあ二度と話す事もねーな」
「お母さんの事嫌い?」
「嫌いというか、頭の先から足の爪の先までの全てに興味が無い」
しかも娘の質問のせいで地味な精神ダメージを与えられる始末だしその娘の璃々はちゃっかり座っている一誠の膝に乗っている。
そうなっても一誠が特になにも言わないというのもなんだか納得がいかない無い気分。
「うーん、璃々は兄さまとお母さんが仲良くなったらいいなーって思う。
そうしたらもっと兄さまと会えるし……」
「そんな事を言われてもな……」
「やっぱり一誠くんって子供に甘いね?」
「は? そんなつもりは……」
でも娘のその提案に関してはもっと押せと娘に念じまくる。
別にそういうつもりではないのだが、ババァ呼ばわりされたままでは悔しいのだ。
「あ、お母さんがいる」
もっとも、その娘の妙な勘のせいでバレてしまったのだけど……。
趣味悪く何人かがこっちを覗いていて、しかも追ってくるまでは把握していた一誠は思わず舌打ちをしてしまう。
相手に……では無く、未だに勘が戻らない己の体たらくに。
「た、偶々娘と一緒に居るところを見てしまいましてね……」
「気になったからついてきた」
「そうなんだ……?」
偶々と主張している紫苑と普通に正直に言う恋はどうでもいい。
他の箇所から見ている者達も居る者達もどうだって良い。
平和ボケとまではいかないが、本来の勘が完全に鈍っているのはどうしても否定ができない。
もしこれが敵だったらと思うだけで、己の体たらくに舌打ちが止まらない。
「えっと、私の娘がお世話になりまして……」
「………………………」
「う………」
どうすれば完全に力を取り戻せるのか。
この世界の誰かのせいなのか、それとも自分自身の問題なのか……。
それすらも未だに解らないからこその苛立ちがどうやら顔に出てしまっていたらしく、若干ひきつった笑みを浮かべていた紫苑が娘の璃々とは真逆の態度をする一誠に固まってしまう。
ましてや先日は見事にクソババァと罵倒されたばかりなので……。
「日之影兄さま?」
「…………! あ、ああ、なに?」
だが今回は訳が違う。
今回はある程度彼から返答されている娘の璃々がいる。
だから上手くいけば、今度こそ彼からの罵倒がない普通のやり取りができる。
自分でもなぜここまで彼に対してムキになっているのかはわからないせよだ。
「ほら、普通にだよ?」
「あぁ?」
「お母さんと仲良くしてほしいなー?」
「………チッ」
「!」
そんな意地が少しだけ報われたのか、桃香と璃々の言葉もあって、舌打ちをして嫌々ながらも……初めて一誠と紫苑の目が合う。
「え、ええっと……」
な、何故緊張しているのかしら? と自分のらしくない気分に戸惑いながらも、じーっと……見てくる一誠から目を逸らさない紫苑。
すぐ横で恋が不満そうな顔をしているが、それどころではない。
まあ、恋の場合は初見の際思いきり吐かれたので不満に思うのも仕方ないのかもしれないが。
「私にババァと呼ばれて腹が立っているのなら、謝ります」
「え………」
そんな紫苑の地味なテンパりを知ってか知らずか、突然謝り始めた一誠に全員が驚愕する。
「や、あ、あ、あの! は、はい! わ、私は気にしませんから! それはもう……!」
突然の謝罪に対して紫苑が慌てふためいたせいで、言葉がおかしくなっている。
そして徐々に歓喜に近いものが広がる。
(あ、謝った……! か、彼が……! しかも普通に!)
年頃の生娘みたいな感情が甦ってくる紫苑は、内心――所謂『きゃぴきゃぴ』とした気分ではしゃいでしまう。
娘の璃々には感謝しかない。
「もう二度と言いません」
「え、そ、そんな……! あはは、私は気にしませんから! ねっ! ねっ!?」
「…………」
娘と桃香と恋――それからそんな様子をまだ覗いている愛紗と星が、妙にきゃぴきゃぴする紫苑に対して変な物でも食べた人でも見るような顔をしていることにも気付かずにいると……。
「だから、これからも良い他人でいましょう?」
「…………………………へ?」
盛大に上がった何かが一気に地の底の底へとぶち落とされた。
「え……?」
「今後一切アナタにババァとは言いません、そしてアナタの事は意識にも上らせません。
その方が互いにムカつく要素を持つこともないでしょう?」
「」
つまり、同じ勢力内ではあるが単なる同僚かそれ以下の関係でいましょう。
とほぼ同じ意味の台詞を言われてしまった紫苑はピシリと固まった。
「あ、あれ? それは今後は親睦を深めましょうという意味では……」
「アナタと私がですか? 深めてどうなると?」
「そ、それは……」
「何が理由で私に妙な興味を抱いたのかは存じませんが、そんな事に意識を使うのならば、ご自身の娘を見てあげた方が良い」
「……………」
「…………その横の奴も含めて、俺をこそこそとつけ回す暇があるんだったらな」
「……」
そう無関心の表情で吐き捨てるように締めた一誠は、複雑そうな表情をする桃香を横に、不安そうな顔をしていた璃々と目線を合わせる為に膝を折る。
「悪かったな、お前のかーちゃんに変な事言って」
「う、うん……でもお母さんと……」
「それは悪いが無理だ。俺自身がどうにもならねぇ奴だからよ……」
「………」
そう言いながら、よくミリキャスにしてあげていたように璃々の頭に手を乗せ、ほんの少しだけ笑みを見せた一誠。
「沢山食って、沢山寝て大きくなって、母ちゃんの事助けてやれる大人になれ」
「………」
その笑みが、皮肉な事に璃々の心の中に残り続ける事になるのかもしれない。
「はー……」
「もう、折角仲良くなれそうだったのに、あんな事言って……」
「良いんだよ、アンタに借りを返すって目標が無かったら、俺は畜生以下でしかねぇ」
「でも紫苑さんや恋ちゃんは――」
「俺がこんな性格だってのは、アンタはある程度知ってるだろ?」
「そうだけど……でも仲良くなれるよ一誠くんだって」
「…………。他の人間にかまけてたら、アンタ借りが返せなくなる。
ましてや、こんな体たらくだ……」
「でも……」
「言っただろ? 俺はあくまでもアンタに借りを返す為にここに居るだけだって。
アンタ以外がどうなろうが、知ったことじゃないと思ってる――所詮その程度の人間だよ俺は。
人の輪って奴に適応できない社会不適合者って奴だぜ」
「……………」
「……。悪かったな、俺に関わったばかりにアンタに要らない事を考えさせてよ」
「そんなことは気にしないよ……。
助けてもらってばかりだもん……」
補足
本当に、寧ろ帰還した後の方が大変なことをまだ執事な知らなかった。
その2
めでたくババァ呼ばわりを謝って貰ったのは良いが、代わりに決定的なものが消えた……。
その4
多分、元の世界の人たちが嫉妬する程度には、桃香さんはかなりアレで間違いない。