通常だと呂布さん辺りに若干劣る。
スイッチが切り替わった場合、一瞬だけ執事に戻れる。
そのスイッチの切り替わり方法が今わからない。
その昔、まだ一誠が小さかった頃、サーゼクスやらその父親にてグレモリー家当主のジオティクスやら、シトリー家当主といった男衆に聞かされたことがある。
『惚れた女は何があっても大切にしろ。
それが男の責任だ』
と、幼い一誠に語る男達なのだが、この時の本人は心底くだらんと思っていた。
そもそも惚れるという定義が何なのかすらわからないし、更に言えば自分が今後誰かにそんな感情を抱くことなんてあり得ない。だからそんなことは無い――そう思っていたし、今現在もそう思ってはいる。
だが今現在、彼は色々な意味で追い込まれている。
パラレルワールドという地で、それこそ生き方から考え方の全てが自分と相容れそうもない女相手に……。
「……………………………………」
初めて酒に酔った時から、二度と酒なんて飲まないと誓っていた。
というか、年齢的に酒は飲めなかったし、成人を迎えた所で飲む気にもなれなかった。
それなのに肝心なところで過って飲んでしまい、挙げ句の果てに誰かに迷惑をかけてしまう。
それも……流石に知らんでは済まされない事ばかりを……。
それもこの世界では決まって、借りがある相手にだけ……。
「…………」
現実逃避が可能ならずっとしていたい。
ただただ執事は思うのだった。
奇妙な妖術を扱う無口で無愛想な男。
それが蜀内での日之影一誠に対する印象である。
唯一彼とまともに話が出来る劉備こと桃香曰く、その力は魔力というものであるとの事だが、そんな事を説明されたところで面妖な力であるのは間違いない。
「……………………」
だがこれでも元の時代の半分以下の出力にまで低下し、尚どれだけ鍛練をしても取り戻せなくなっていることを知らない。
直接の戦闘にしても、本来ならば瞬く間に敵を殺害可能な程だというのに、現状の一誠の力は――
「ハァッ!!」
「……っ!」
この世界の武将達に苦戦するほどであった。
「武器も持たず、翠と互角か……。
やっぱり凄いな日之影は」
その事実を知らぬ者達は、一誠が素手で武器を持つ腕自慢の武将を相手に拮抗していることに感嘆する。
「しかし恋と戦った時より動きが鈍いように見えますね」
「そうなのか? 俺にはよくわからないけど……桃香もそう見えるのか?」
「うん、ちょっと調子が悪そうに見えるかも……」
だが一誠とそれなりに付き合いのある者達は、翠と呼ばれる武将こと馬超相手に嫌々付き合わせた模擬戦で苦戦している事を見抜いている。
現にそれは正解だし、刃の潰した槍の刺突が何度か当たってしまっている。
(く、クソが……! 俺はまだこんな……!)
その現実が一誠を苛立たせる。
いくら歴史に名を刻む人間を相手にしているとはいえ、この程度の相手に苦戦を強いられている体たらくが、元々えげつない程の負けず嫌いである執事に焦りを生ませてしまう。
故にその動きにも精細を欠いてしまい、やがて興味も関心も何もない存在相手からの痛恨なる一撃を貰ってしまう。
「っ!?」
「あ、当たった……!?」
強烈な刺突が腹部に直撃し、盛大に吹き飛ばされた一誠に周りは勿論、戦っていた翠本人も驚いてしまう。
「………」
「よくあの時、恋に勝てたわね……」
その見ている面子の中には、かつて下した相手である呂布も居た。
別にその事自体は一誠にとって関係のない事であるし、別に呂布に対して思うことなんて欠片もない。
ただ、そんな一誠の姿を見ていた呂布こと恋は小さく呟くのだ。
「違う……まだ終わっていない。
多分、ここから」
「え?」
………一度倒したと思った瞬間、なにかが切り替わったかのように豹変した事を体験したことがあるが故に。
「………」
「お、起き上がった……」
無様に地面に転がり、ぴくりとも動かない一誠に、勝敗が決したと思った一刀が翠の勝ちと宣言しようとしたその瞬間、ムクリと身体を起こす一誠にギョッとしてしまい、声を出すのを思わず忘れてしまう。
対する翠もよろよろと下を向きながら立ち上がる一誠に対して、何時でも迎い撃てるようにと槍を構えた。
「……。ご主人様、翠ちゃんの事を思うなら早くやめさせた方が良い。
流石に殺すとかはしないとは思うけど……」
「え……」
「多分今ので、完全に『心が切り替わった』と思う」
「な、なにを言って―――
心が切り替わったの意味がわからない一刀は困惑するが、その直後に知る。
「テメーはぶちのめす……!」
「なっ!?」
手負いの獣を彷彿とさせる血走った眼光。
普段の無表情が嘘のような剥き出しとなる『怒り』の形相。
そして放たれる絶大なる殺意。
そう、以前恋との殺し合いの際の極限状態へとなった際に体験した――ほんの一時的な『復帰』。
「………」
「うっ!?(は、速い!? きゅ、急に……!!)」
なにかによって塞き止められている進化の異常がほんの少しだけ流れ出したのだ。
それは本来の執事――日之影一誠の真骨頂となる。
「ぐがっ!?」
「…………」
構えた翠の意識を越える速度で肉薄した一誠の拳が容赦なく翠の顎を叩き上げた。
そしてそのまま宙を舞う翠の足首を掴む。
「う、うわぁぁぁっ!?」
そしてそのまま地面へと向かって超高速で叩きつけられてしまう。
その衝撃は地面を縦に割るほどの衝撃であり、全身を叩き付けられてしまった翠の全身は所々が裂け、内出血をしたように紫色に変色している。
「チッ、また一瞬だけか……が、まあ良い」
「あ、あぅ……ぁ……」
それでも気を失わなかったのは、そして恐怖で必死に後ずさりをする程度に済んでいるのは、彼の力が完全ではない証拠なのだろうか。
どちらにせよたった一度で一気に形勢を逆転した一誠は、寒くは無い筈なのに口から白い吐息を吐き、その両目は紫色に輝く。
「ぐ……うぅ……!」
先程の獣を思わせる形相から打って変わり、何時もの――いや、いつも以上の冷酷な無表情で近づく一誠に翠は負けてなるものかとすぐ横に落ちていた武器を拾おうとする。
「っあ!?」
「…………」
だがその手が武器に届くことはなく、紫色に怪しく輝く一誠が手を翳した瞬間、翠の手が凍結する。
「手、手が……! あ、アタシの手が……!?」
「…………………」
突如自分の手が氷に覆われた。
それだけでも意味がわからないが、武器がつかめないのだけは確かだった。
それはつまり――
「ひっ!?」
「………………」
吸い込まれそうなアメジスト色の目をした一誠にこれからぶちのめされるということに他ならない。
元から翠は一誠の事は殆ど知らないし、姿を現さないという意味でもあまり快くは思わなかった。
だがそれでも尚一刀達がなぜ一誠を頼りにしようとするのか――この時点で理解させられてしまった。
そう、目の前にいるのは人の皮を被った――
「verセラフォルー……アイス・タイム」
怪物であると。
頭を掴まれ、聞いたことの無い言葉を放った瞬間、全身に途方もない寒さを感じながら翠の意識はそこで途絶えた。
「そ、そこまで……」
『…………』
一刀の号令により勝敗は決した。
片や所々に打撲跡があれど意識のある一誠。
片や謎の力で下半身の全てを凍らされて地面に縫い付けられている翠。
どちらが生殺与奪を握っているのかは一目瞭然だった。
「……………」
「一誠くん、翠ちゃんは……」
「出力は抑えてあるからすぐに溶ける」
「そう……」
何とも後味の悪い雰囲気だが、一誠は腰から下を凍結されて気絶している翠は大丈夫だとだけ言うと、どう言ったらわからないといった顔をしていた一刀に無言で一礼をすると、訓練場から退出する。
「えっと、ごめん……。
普通に強がって出ていったけど、ちゃんと治療してあげないといけないから……」
「お、おう……」
「お、お願いします桃香様……」
続いて桃香も退出する。
そして一誠が言った通り、翠を覆っていた氷はすぐに溶けて無くなり、慌てて治療をするのであった。
「……………また一瞬だけだったか。
クソ、何が理由なのかがわからない」
その桃香の言った通り、余裕こいているように見えた一誠も実は結構なダメージを負っており、夜なべして作成した燕尾服の複製の上着を脱ぎながらフラフラと人の寄り付かない場所へと赴き、綺麗な水がせせらぐ小川の畔に深々と座り込む。
「完全に取り戻せれば、あのふんどし変態ボケを半殺しにして元の時代へ戻させる事が出来るというのに、俺はいつまでこんな……」
翠――というかこの世界の人間相手に手こずる体たらくに苛立ちが収まらないし、ズキズキと先程の試合で貰ってしまった打撲が痛む。
本来の領域ならばこの程度の傷等数分で完治できるというのに……。
「ちくしょうが……!」
穏やかに流れる川の水とは反対に、一誠の精神状態は焦りや自己嫌悪で荒れていた。
だがそんな精神状態の一誠に対する誰かが寄越した『引力』なのか、一誠の行動先をほぼほぼ当ててくる唯一の存在こと桃香がやって来た。
「やっぱり今日はここに居たんだね?」
「っ!?」
考え事に集中し過ぎて桃香の接近に気付かなかった一誠は、内心慌てながら急いで立ち上がると、急に背後にあった大きめの岩をサンドバッグの代わりとばかりに叩き始めた。
「な、なんだ……? さっき俺の相手になった、ええっと……」
「翠ちゃん――馬超さんの事?」
「そ、そうそれだ! ソイツに付いてやれば良かったろ? なんで来たんだよ?」
妙に今の自分を見られたくなかったという心理で、一心不乱に岩を無意味に叩く一誠。
それを見た色々と察する程度には一誠を知っている桃香は翠なら大丈夫だと説明する。
「翠ちゃんはご主人様達がついているからと思ったからだし、一誠くんも怪我をしているでしょう? 切り替わる前まで大分翠ちゃんに苦戦していたみたいだし……」
「く、苦戦なんてしてねーし、怪我なんてして――うぐっ!?」
襲い掛かる腹部への鈍い痛みに顔を歪めてしまう。
「してるじゃない……。
ほら、岩なんて叩いてないで黙ってここに座って?」
そんな一誠のよく見せる子供じみた『強がり』に呆れながら、桃香は治療をするからと一誠を座らせた。
「やっぱり腫れちゃってるし」
「や、やめろ! こ、こんなもん寝てりゃあ勝手に――」
「前に一誠くんが自分で言ってたでしょう? 本来の力が何故か不安定だから、傷の治りが遅くなっているって。
だからちゃんと治療をしなくちゃダメ。普通の人はそういうものなんだから!」
なにを言うでもなくいきなりワイシャツのボタンを外してくる桃香にやめろと言うが、全く聞く耳を持ちはしない。
夢想家な癖に変な頑固さがあるのが桃香という人間の根である。
「あらら、下手をしたら翠ちゃんに負けててもおかしくなかったかもね?」
「………」
「でもよく抑えたね? ふふ……」
「流石に敵と殺し合いをしている訳じゃないくらい俺にだってわかる……」
結局押しきられてしまい、大人しく治療を受ける事になった一誠は、ガチガチに絞り込まれた上半身を晒して治療を受ける。
その身体にはこの世界でのものではない傷の跡があちこちにあり、桃香はその傷を見る度に、一誠の歴史の一部を見ている気分になる。
「それで、俺の相手になって女は……?」
「地面に叩きつれられた衝撃だけで、すぐに復帰できると思うよ? だって手加減したでしょう?」
「………………」
最近調子が狂う。
と、背中に桃香から効くのか怪しい傷薬を塗られながら思う一誠。
「……。アンタは一応この勢力の長なんだろう? 一々俺に構う必要はないだろ」
「本当の長はご主人様で、私はあくまで自分の夢に近づきたいってだけの自分本意の人間だよ。
そもそも私は長なんて器じゃないもの……」
「嘘言え、あの勢力の大半はアンタの甘っちょろい夢とやらに賛同して集まってるんだろうが……」
「そんなつもりはないんだけどね。
前に曹操さんに夢想家の戯言だって言われちゃったし……」
「ああ、あの金髪チビはどうでも良いが、言ってる事は間違ってねーよ」
「でも諦めたくはない」
「それも知ってるよ。ムカつく程に頑固だからなアンタってやつは……」
治療も終わり、ワイシャツのボタンを閉め直した一誠は、桃香の掲げる甘ったれた夢について相変わらず辛辣な感想を言いながら川の流れを眺めている。
「だが、それでもアンタはあの北郷と同じ象徴なんだよ。そうなってしまった以上、アンタはアンタの役割をしなきゃならねぇ」
「うん……」
一刀と桃香をトップに据えた蜀。
故に、その蜀のメンバー……とはあまり言えない一誠を気にしすぎるのはトップとしては失格だ。
一誠のとなりに膝を抱えながら座る桃香は頷いているが、その様子は決して納得しているものではない。
「アンタには借りがある。
だから俺はアンタの言うことには従うつもりだ。
今のこの体たらくでどこまでアンタに借りを返せるかはわからねぇがな」
一誠はあくまで一刀達ではなく桃香個人への借りを返す為に行動する。
良くも悪くも受けた恩や恨みは忘れない――それが日之影一誠なのだ。
つまりハッキリ言ってしまえば、一刀達がどうなろうとどうでも良いのだ。
「俺の生き方は俺が決める。
誰かの決めた正しさなんかに興味はねぇ……!」
「ホント、頑固なんだから……」
「アンタに言われちゃおしま――」
「いい加減アンタって呼ばないで、ちゃんと真名で呼んでよ?」
「―――――――――――――はん、気分が乗ったらな」
「もう……!」
暫く二人してボーッと川を眺めるのにも飽きてしまい、屋敷へと戻る事にした。
そして徐々にインフラ整備等で町らしくなってきた蜀勢力下の町へと到着すると、そこには一刀達が出迎えるように待っていた。
「…………………は?」
「どうしたの皆? というか大丈夫なの翠ちゃん?」
「え、ええ……少し休んだら動けるようになれたので……」
「そっか、良かったね一誠くん? 翠ちゃんは大丈夫みたいだよ?」
「………………………」
「へ? 日之影がアタシの心配をしてた……とか?」
「結構気にしてたみたいだよ? ね、一誠くん?」
「…………………………………………………………………………」
余計な事を喋ってんじゃねーよ――という無言の圧力をスルーする桃香は、よかったよかったと笑顔だ。
逆に翠はあの無表情な日之影が心配をしていたという事実にちょっとばかり驚いてしまう。
勿論、一刀達も。
一誠は彼等の今後になんの興味はないと言っていた。
けれど彼等はちゃんと……ちょっとした溝があるにせよ一誠を仲間と見ている。
少なくとも今回打ちのめされた翠は思ったらしい。
(ま、まあ少なくとも腕は確かだし、うん……)
相変わらず誰とも目を合わす事もなく無表情な一誠の見方を少しだけ変えた。
恐らくそれも大きな前進だろう。
「それより聞いてよー、一誠くんったら何時までも私の事を真名じゃなくて『アンタ』とか『お前』って呼ぶんだよ~?」
「それは――そもそも言葉すら交わせない私たちではどう言ってよいのやら……」
「俺は稀に返事が返ってくるけど、確かに名前で呼ばれた事はないな……」
その後、お騒ぎ好きなせいか妙に頻繁に開催される宴会(酒厳禁)に参加させられる事になってしまった一誠は、桃香が周りに真名で呼んでくれない事を愚痴っているのを横に黙々と食べていた。
「よ、よお……」
「………?」
そんな一誠に近寄って話しかけ来るのが翠だった。
まともに自分から話しかける事がなかったせいか、軽く緊張気味だった。
「さっきは完全に負けたよ。
けど次は負けないからな!」
「…………………………………………………………………」
え、そんな事を言うためにわざわざ話し掛けてきたのか? とただただ思う一誠は酒――ではなく水の入った徳利を向けてくる翠に微妙に困った。
「な、なんだよ? べ、別に水注いでやるだけだよ。だからそんな疑うような顔はやめろ……!」
「……………………………………………………」
飲みたきゃ自分で注ぐんだけど……と思い、よく解らなすぎて思わず桃香に助けを無意識に求めるつもりで視線を向けるが、桃香は義姉妹達にまだ真名の件で愚痴っていた。
「ほ、ほら杯をこっちに出せよ?」
「………………………………………………」
意味合いはわかるにせよ、別にわざわざ自分にやることはないだろうに……と思いつつ、無視しても梃子でも動きそうもなかったので、仕方なく無言のまま空の杯を向け、水を注いで貰い、そのまま飲む。
「よ、よしっ! じゃあ次はアタシにな!」
「………は?」
「ほら!」
高々水を飲んだだけで妙に嬉しがられてしまって余計に困惑する一誠は、今度は注げと杯を向けてくる翠。
これまたやらないとその場から梃子でも動きそうもなかったので、渋々入れてやる。
「よっし! へっへっへっ!」
(なんだこいつ……?)
妙な達成感を顔に出す翠に、一誠はますます訳がわからないが、満足したのならさっさとどっか行けと思っていると……。
「日之影と杯を交わしたぞ!」
達成感そのままに大きな声で言うもんだから、変な意味で騒ぎになってしまう。
「ただの水だけど、言ってみたら普通にできたな!」
「あらあら」
「………」
なっはっはっはー! 妙に豪快に笑う翠に、以前苛ついていた一誠に絡んだ際に間髪入れずに『触んなババァ!』と罵倒された黄忠こと紫苑だの、呂布こと恋だのが興味深そうに翠――そして何とも言えない顔をしていた一誠に視線が向く。
「では折角なので私もして頂けませんか?」
「…………」
「…………………………………」
とか言いながら水の入った徳利を持って寄ってくる紫苑と恋に一誠の顔が急激に嫌そうなそれに変わる。
「これは親睦を深めるという意味合いもありますのよ?」
「……………」
「……………………」
「?? どうしたの一誠くん?」
妙にグイグイ来る二人に、一誠が露骨に嫌そうな顔をしている時、愚痴り終えた桃香がこの状況を前に不思議そうにしている。
その瞬間、一誠はいきなり桃香を盾にするように背後に回り始めた。
「え、えっ??」
「「……」」
「…………」
妙に自慢気に周りに語り散らす翠を横に、盾にされた桃香は困惑。
そして恋と紫苑はその態度になんとも言えない顔だ。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ一誠くん? え――『意味がわからないし、急に気色悪いからさっさとどっか行け』って……な、なんで?」
「………………」
「へぇ、さっきから妙に元気な翠ちゃんとそんな事が……。
あ、だからこの二人も……ふーん?」
ボソボソと耳元で喋る一誠から状況を聞いた桃香は、水の入った徳利片手にただただじーっと見てくる二人を見る。
そういえばこの二人は確かそれぞれの理由があって微妙に一誠を気にしていた。
恋は叩きのめされたという理由で。
紫苑は偶々機嫌が悪かった一誠にババァなんて呼ばれたせいで……。
「う、うーん……翠ちゃんと同じことをしてあげたら?」
折角だしと桃香は提案するが、一誠はどうにも嫌そうだ。
「親睦を深めたいだけで他意はありませんよ?」
「うん」
「だってさ?」
「…………」
「何故そんなに嫌なのですか? 私、何かアナタにしました?」
流石にこうまで拒否されるとなれば、温厚な紫苑でもムッとなる。
だがどこからその考えが出てきたのか、急に納得したような顔をすると……。
「あ、もしかして私のような女が好みだとか? だから緊張して喋れなかったり?」
「え?」
「………」
流石の桃香と恋も、コイツは急に何を言っているのだ? と紫苑に思う。
しかし変な方向にテンションが上がってしまった紫苑は若干煽り口調で一誠に言う。
「まったく、それならそうと仰ればよろしいのに。
ふふん、そう思えば以前の事も許せる――」
「寝言は寝て言えクソババァ」
「」
もっとも、一言で切り捨てられてしまったのだが。
「くだらねぇ、何をほざくと思えば……。
頭沸いてんのかこのババァは?」
「ちょ、ちょっと一誠くん! そ、そんな言い方……」
「灰になっている……」
「テメーで勝手に舞い上がってただけだろうが……ぺっ!」
「」
元の時代では主にヴェネラナがババァ呼ばわりさていたが、恐らくその違いはそんな一誠を包み込んで封殺できるパワーの有無だろう。
少なくとも紫苑にはそれはなかった。
「」
「ど、どうするの? な、泣いちゃってるし……」
「知るか、これに懲りて二度とくだらねぇ理由で俺に絡まなきゃ良いだろう?」
「辛辣……」
「ヴェネラナのババァなら反撃してくるだろうが、所詮これはその程度だよ」
「い、いやいや一誠くん? 話を聞く限り、その人が凄いだけだからね?」
「…………だれ?」
こうして楽しい宴会は続くのであった。
終わり
未だに真名ではなくお前かアンタ呼ばわりされる桃香は不満に思う事はあれど、健気にも呼んで貰う事を待つつもりだ。
まあもっとも、酔っぱらった時は割りと呼んでくれる事を知っているからというのもあるが……。
「ご主人様達ったら……!」
「一々聞こえただけで中まで見るお前が悪いだろ……」
「だ、だって気になるし……」
それはそうと、平和な日々が続くと決まって夜は一刀達が大運動会を開催する。
何時命を落とすやもしれないので……なんて理由で開催される運動会は別に勝手にしろと思う。
だがその度に一々覗こうとする桃香の心理が理解できない。
「うー……眠れない~」
「出歯亀して発情して寝れなきゃ世話ねーな」
「あ、あんな声を出されたらそうなるよ!」
「知るか」
素面だととことん冷めている一誠に桃香は、横になっている体勢で軽く不満そうに見上げる。
「前も言ったけど、一誠くんって酔わないときは本当にそんな気分にならないの……?」
「さぁね」
「うー……身体が熱いよぉ」
どこまでもツンケンする一誠に、ちょっと切なそうな眼差しを送るも、全く効果がない。
「俺からすりゃあ、よくもまぁあんなに複数の女と寝てられるな。
そこだけは絶対に理解できねーぜ」
「い、色々あるんだよご主人様にも……」
「その色々が理解できねーよ。つか早く寝ろよ?」
「ね、眠れない……」
「だからやめろって言ったのに。アンタやっぱ変態だろ……」
「だ、だって……」
もぞもぞと落ち着かない様子で身体を揺らす桃香に、一誠は深いため息だ。
「ね、ねぇ……」
「無理」
「ま、まだ何も言ってないじゃない……!」
「そのツラ見れば言いたい事は大体わかる。
冗談じゃねぇ、素面でんな真似できるか。
ただでさえ酒のせいで何度もアンタにやらかしてるってのに……。素面でやらかしたらそれこそ後戻りができねぇよ」
「そ、そんなに嫌なの? 私のこと……」
「いや……アンタがじゃなくて俺の問題だ」
意を決しても断られてしまい、ますます眠れない。
完全な拒否ではないのはなんとなくわかるが……。
「この前20回くらいしたのに……」
「う……あ、あれは違うだろ……」
「違わないと思うけど……?」
「だ、だとしても今は無理だ!」
「じゃ、じゃあ一緒にくっついて寝るだけ! なにもしないから!」
「嫌だよ!」
「そこをなんとか……!」
「嫌だ!!」
なんとなく押してみたらいけそうな気がしたので、一緒に眠ろうと提案する。
勿論拒否はされたが、もの凄く食い下がった結果……。
「……………」
「えへへ……♪」
背を向けながら横になる一誠に後ろから密着しながら眠ることになった。
意外と押しまくると折れてくれるというのも知っていたが故である。
「早く寝ろよ……」
「うん……!」
「ったく、アンタ、俺より年が上なのにガキだよな……」
「あはは、それはよく言われるかなー……? でもお陰で今幸せ……ふふっ」
幸せな気持ちとはこういう事なのだろうと思いつつ共に眠る。
が、問題はここだった。
「………」
「一誠くん、寝ちゃったの?」
「…………………」
「寝ちゃった、か。
あーあ。本当に何にもしてこないんだから……。
ま、良いか……私も今日は大人しく――はぇ?」
本当の意味で寝始めた一誠の近くに居ると大変だということを。
具体的には急にこちら側に寝返りを打った一誠ががっつりと桃香を抱き締め始めた辺りで。
「い、一誠くん? ほ、本当に寝て――あひっ!?」
「んー……」
「ちょ、ちょっと!? そ、そんな……く、くすぐったい――ひゃん!?」
「んんっ……」
「そ、そんな……あぅ……! し、しないって言ったのにぃ……!」
何があったのかは知らない。
だが明くる日……。
「? 桃香様、虫に刺されたのですか?」
「え!? な、なんでかな?」
「だって姉者の首に赤い跡があるのだ。
あれ? よく見ると胸にも……」
「あ、あれれー? なんでだろうなぁ? あははは――」
「いや、これは虫に刺されてはいない。
見た限り誰かに思いきり吸われた跡だな――私もそうだが愛紗も覚えがあるだろう? ほら、ご主人様に――」
「……あ!? それだ!
え、ということはつまりそれは――」
「起きた時にひたらすら謝られたよ……あははは」
以上、ゴールまでの道筋の一部。
補足
あくまでも借りがある桃香さんに借りを返す為であって、基本的に桃香さんの言うことしか聞きません。
その2
全盛期は無意識にセラフォルーさんから会得して魔力を好んで使用する。
それが今回も出た。
その3
ヴェネラナのママンではないので、ババァと罵倒しまくられるとぽっきりと折れる。
仕方ないね。
その4
酒乱に加えて寝相も悪かった。
……仕方ないな