菓子作り、ね。
今時珍しいというか、由比ヶ浜って子の見た目からして意外というか……。
まあ何だって良いけど菓子作りかぁ……いやぁ、懐かしくて思わず適当な物をぶっ壊したくなるね。やらんけど。
よくレイヴェルが作ってくれたんだよなぁ……あーやべーよ……自分の頭をカチ割りたくなってきた。
「焼き上がれば完成。ざっとこんなものね」
「お、おぉ……す、凄い美味しそう」
「完璧超人って本当に居たんだな……」
いや、今更思い出した所で意味なんて無い。
此方が覚えても向こうは一切覚えちゃいないんだ。
……………。チッ、最近になってまた余計な事を思い出してばかりだぜ。
「お、美味しい! 美味しいよ雪ノ下さん!」
「美味しいじゃないわ由比ヶ浜さん。これからアナタも作るのよ?」
「う……が、頑張るよ」
さてと……駒王学園・第18代目生徒会長だった兵藤一誠のクソどうでも良い思い出はさておき、総武高校・2年F組である只の兵藤一誠は只今授業以外で来ることなんて無いと思っていた家庭科調理室に居る。
理由はそう……殺されず別世界に飛ばされて死にかけてた住所不定、身元不明な俺の記憶を馬鹿正直に信じた挙げ句、保護者までやってくれた総武高校・現国と生徒指導教師である平塚静ちゃんに押し切られて入ることになった『奉仕部』のお仕事としてだ。
「なあ雪ノ下。教えるのって雪ノ下一人で俺達は帰っても良いんじゃないのか?」
「あら何を言ってるのかしら? アナタ達にも立派な仕事……いえご褒美があるわ。
由比ヶ浜さんがこれから作るクッキーの味見が出来るお仕事が」
「………。要するに毒味役をやれと」
長い黒髪と冷たい氷を思わせる雰囲気漂わせる女の子……雪ノ下雪乃が作り上げた奉仕部。
何の因果かクソみたいに真面目こいてた俺が生徒会長として、師である安心院なじみから聞いて作った
「一応細かい所まで記載したメモを用意したけど、最初は由比ヶ浜さんが思う通りに作りなさい。大丈夫よ、最初から成功するなんて思ってないから」
「うにゅ……!? わ、わかった……」
「もっとオブラートに言えよ……」
世界を変える……だったか。
依頼人である由比ヶ浜さんに対してドストレートな物言いをしてる雪ノ下部長に小さい声で突っ込んだ比企谷くんが同じく静ちゃんによって無理矢理ぶちこまれた時に聞いた雪ノ下雪乃の夢みたいな夢。
簡単に言えば『世界中の人間のレベルを引き上げる』なんて馬鹿みたいなお伽噺。
生まれ持った恵まれた容姿と才能と体型……………は、まぁ……お察しにしても雪ノ下雪乃という少女は人間の中ではかなり優秀な人物と言えるし素直に思える。
しかし優秀が故に、恵まれてるが故に彼女の過去は決して良いものでは無く、その過去があって彼女は今の夢を……決して掴めない幻想を追い求める。
「ええっと、甘すぎてもアレだから隠し味に……」
「お、おい由比ヶ浜……! まともに作ったこと無いのに変なオリジナリティーを出すのは……」
「黙りなさい比企谷君。言ったでしょう? 最初は由比ヶ浜さんの好きにさせるって」
「だ、だが毒味するのは俺達で――」
「む! 毒味って言い方しなくて良いじゃん!」
正直馬鹿だと俺は雪ノ下雪乃に思う。
優秀な人が孤立しないために世界ごと人間を引き上げた所で待ってるのは新たな差別なのに、本気でこの子は世界が変われば全てが変わるとでも思ってるのか。
……。そりゃあ俺の持つ二分の一のスキル
あるべき姿を無理矢理『螺子曲げ』、『お手て繋いで皆仲良く同率1位でゴール』だ『ナンバーワンからオンリーワン』な世界に変化させられるかもしれない。
…………。が、俺はそんな事なぞ絶対にやらん。
そんな事をすれば確実に世界は滅ぶ。
誰しもが優秀になり、誰しもが天才になり、誰しもが何でもかんでも実現できる存在に昇華させてみろ。
その内その優秀に引き上げた人間の中でのナンバーワン合戦が開始されるんだ。
だからやらない……人間は人間らしく人間のままで一喜一憂し続ければ良いんだよ。何時か滅ぶまでな。
「で、できた!」
「…………。ああ、できたな……黒い物体Xが」
…………。っと、ダラダラ考えてる間に由比ヶ浜さんが自分の力量で作成したクッキーが完成したみたいだが……何だろ、ものっそい焦げた臭いと真っ黒な見た目が俺の食欲を一気に削いでらぁ。
「おい、オーブンの温度調節をミスってもこんな歪にならねーが……なにしたんだよ?」
「う……ゆ、雪ノ下さんを参考にちょっとしたアレンジを」
「どうアレンジしたらこうなるんだよ! 真っ黒じゃねーか! クッキーじゃねーよ物体Xだよ!」
物体X……なるほど、言い得て妙だな。
思わず口に出してしまった俺の質問に顔を赤らめながら自分の人指し指をちょんちょんとしてる姿は実に女の子らしいとは思うが、この物体Xのせいで全部台無しだ。
「み、見た目は失敗してるけど味は……」
「いやいやいや、そんな訳な――」
「兵藤くん、比企谷君……おまちかねの仕事よ」
「ここぞという所でそんな冷徹なお顔して言うなよキミも………ハァ」
レイヴェルが初見でやった時ですら此処まで失敗してないのに、良くもまぁ此処まで黒くしてくれたっつーか……微笑みながら俺と比企谷くんに毒味を促す雪ノ下さんを無理矢理大泣きでもさせてやりたくなってきたんだが……。
チッ……。
「ハァ……どれどれ」
紛いなりにも部長にやれと言われたのならやるっきゃ無い。
静ちゃんが考えて俺をこの場所にぶちこんだんだし、罰則分の仕事はちゃんとやらんと…………イタダキマス。
「ぅ……ぉ……み、水……!?」
「ヒ、ヒッキー!? は、はいお水!」
取り敢えず持ってみた感想としては、ちゃんと固形は維持しているという事であり、チラッと比企谷君と目配せしてから同時に口に放り込んだ瞬間、口の中は物体Xによる極殺パーチーが開始され、2秒もしない内に比企谷君は顔を真っ青にしてぶっ倒れそうになっていた。
で、俺はというと……。
「……。硬い、不味い、分量間違えとか隠し味にとか以前の問題だなこれは」
ゴリゴリバリバリガリガリ……クッキーじゃない硬さだった物体Xを租借しながら感想を由比ヶ浜さんに伝えていた。
いやまあ……この程度でぶっ倒れられないんだよね、困ったことに。
「え、兵藤くんは平気、なの? ヒッキーこんなことなっちゃったのに……」
「感想を聞かせるのが雪ノ下部長に課せられた仕事だしな……。
本音言うと、こんなクソ不味いもんを作れるキミの才能に拍手でも送りたい気分だよ」
「うっ……ご、ごめんなさい」
真顔で答えたのがいけなかったのか、泣きそうな顔をして謝る由比ヶ浜さん。
それに対するフォロー? いやしないけど? だって嫌われようがどうでも良いし。
「謝るくらいならさっさと……今度はウチの部長がキミの為に作ったメモを参考に、変なアレンジとかこサブいのも無しでやってみなよ。
じゃないとヒッキーこと比企谷くんが昇天しちまうぜ?」
「………」
「う、うん……」
好くだ好かないだなんて感情は……もううんざりなんでね。
由比ヶ浜の作ったクッキーは形容しがたい味で、背中に羽を生やした小さい小町においでおいでされる幻想すら見える程の殺人兵器だった。
とはいえ、それはクッキー作りが初見かつ雪ノ下に言われて好きにやった結果そうなっただけであり、今度は雪ノ下によるフォロー込みのレシピ通りの作成だし大丈夫――――
「あ、あれ~?」
「……。兵藤くんの言った事はある意味当たってるのかもしれないわ」
「……。半分は冗談のつもりだったんだけどね」
と、思っていた頃が八幡にはありました。
「ま、マジかよ? まさかこれも……?」
「見た目は変わってないけど、味は変わっているかもしれないわ……だからよろしく」
よろしくて……いやいやナニコレ? 雪ノ下の指導入りアリなのにさっきとまんま同じな物体Xが俺と兵藤の目の前に飛び出してんですけど。
しかもそれを食えと雪ノ下さんは慈悲深そうに宣ってんですけど。いやまぁ……わかったよ食うよ。
「おごっ!?」
「……。硬さはマシになってるけど、相も変わらず焦げ味だなこれ。
隣の比企谷君を殺したいのか由比ヶ浜さんは?」
「違うよ! ご、ごめんねヒッキー……お水」
「お、おう……」
思うんだが俺と一緒に毒味してる兵藤って凄くないか? 何であんな平然と感想が言えるんだよ……。
もしかして味覚がイカれてるとかそんな理由か? いや……目元まで隠れたボサボサヘアーしてるせいで表情があんまり見えないから何とも言えないけどさ。
「うっぷ……晩飯が水と由比ヶ浜作成のクッキーで終わりそう……」
「うぅ……ごめんなさいヒッキーに雪ノ下さん」
「謝るくらいならもう一度よ」
バリバリと大失敗したクッキーを本当に全部食って処理してる横で雪ノ下が発破を掛け、由比ヶ浜は三度目の正直とばかりに作成作業に入る姿を流し台にもたれ掛かりながら祈るように俺は見ることしか出来ない。
ホント頼むから次はマシになってくれ由比ヶ浜さん、じゃないとヒッキー死んじゃうから……。
だがそんな俺の願いは空しく、三度目、四度目、五度目、六度目になっても由比ヶ浜のクッキーは焼き上がりの色がマシになった程度で味は変わらずであった。
「やっぱり私って料理に向いてないのかな……。
才能ってゆーの? そういうの無いし……」
その内進歩がない自分に嫌気でも刺したのか、由比ヶ浜が小さくそんな事を呟き始めた。
「いいえ解決方法はあるわ。努力あるのみよ」
「まぁ焼き色はマシになってるしな」
「………」
諦め始めた由比ヶ浜に雪ノ下が淡々と意見の述べ、俺も一応だけ頷いて同意する。
確かに失敗はしちゃいるけど、全く進歩が無いって訳じゃないからな。
兵藤も一応クソ不味いの連呼はしなくなってるし。
「由比ヶ浜さん、あなたさっき才能がないって言ったわね?」
「え? あ、うん……」
「その認識を改めなさい。
その言葉を言うのは最低限の努力をした人間が持つ資格であって、すぐ諦めようとする人間には無いわ。
成功できない人間は、成功者が積み上げてきた努力を想像できないから成功しないのよ」
言い方はどうであれ、まあ正論とも言えなくとない……尤も俺は微妙に由比ヶ浜の気持ちが分かってしまうが為に同意もせずただ黙って聞き、言われた本人は言葉に詰まっていた。
努力の重ねは大事だが、人間諦めが肝心な事もある……俺はそう思ってるし恐らく由比ヶ浜もある程度そこら辺を理解してるんだろう、雪ノ下の淡々とした言葉に対して誤魔化すように作り笑いを浮かべながら口を開いた。
「で、でもさ……。
こういうの最近みんなやんないって言うし……あたしには合ってないんだよ、きっと……」
どんな理由でクッキーを作りたかったのかは知らないけど由比ヶ浜は殆ど心が折れてる様だった。
しかし雪ノ下は寧ろそんな由比ヶ浜に――いや、由比ヶ浜自身では無くその言葉に対して嫌悪する様な表情を浮かべ、何かを口にしようとした瞬間だった。
「おい」
それまで黙々と失敗クッキーの感想と処理をし続けていた兵藤が初めて――それもゾッとするような低い声を放った。
「「「っ!?」」」
その瞬間、俺……そして表情からして由比ヶ浜と雪ノ下も兵藤の低い声に言葉を失い、ただ呆然とその姿に目を奪われてしまう。
「別にキミが勝手に折れて諦めるのは良い。一人でやった結果でそうなったらな。
だがな……こっちはテメーのクソ不味いモンの処理をさせられてんだよ? それでたった六度程度で『才能ないからアタシやめまーす』だと? はっはっはっ………………………………………コロスゾ?」
「ひぃっ!?」
「う……!?」
「っ!?」
それは多分……生まれて初めて体験する明確な『殺意』と圧倒的な実力の差という名の重圧だった。
ヘラヘラしながらゲームやってる兵藤では無い……言葉に現せない、決して越えられない蟻が恐竜に為す統べなく踏み殺される様な……圧倒的な恐怖により由比ヶ浜と俺と雪ノ下はその場に崩れ落ちるようにへたり込んでしまった。
「才能があるとか無いとか……そんなものは平等にどうでも良い。
必要なのはどんな失敗をしても折れない精神力なんだよわかるか? ダチに相談できないからとか、キャラじゃねーからとか、一々そんなくだらない理由を付けて止める様な軟弱な小娘に用はねーよ……とっとと消え失せて朽ち果てろ」
だけど兵藤は完全に雪ノ下以上の物言いと、長い前髪から覗く見下した目を震えながら涙目になってる由比ヶ浜に言いながら薄ら笑いを浮かべており、容赦なんて一切無い。
「ぅ……ぁ……あ、ご、ごめん……な、さぃ……!」
その威圧と言葉は当然折れ掛かっていた由比ヶ浜を容赦なく捻り潰し、遂には嗚咽を漏らして泣き出してしまった―――――うん、多分俺でも泣くから由比ヶ浜は悪くないと思――
パンッ!!
「………」
「そ、そこまでよ兵藤くん……」
これじゃあ依頼も何も無くなった……そう思っていた矢先の出来事だった。
何と俺と由比ヶ浜と同じく威圧により膝をついていた雪ノ下が、真っ直ぐ兵藤の目の前に立ってその頬を思いきりビンタしたのだ。
「ふぇ……?」
「ゆ、雪ノ下?」
これには俺と泣いてた由比ヶ浜もビックリであり、立てないままビンタされた事によって横を向いていた兵藤と震えながらも目の前に堂々と立つ雪ノ下を見ているだけしか出来ず呆然と眺めていると、雪ノ下は言った。
「言いたいことは解る。けれどわざわざ殺気だって女子を虐めるかのようにして言う台詞ではないわ」
「…………………」
「ゆ、雪ノ下、さん……ヒック……」
「それに依頼を中断させる権限があるのは私よ……一部員である兵藤くんではないわ」
これでもうひとつハッキリした事がある。
これだけ、人間とは思えない重圧を放って見せた兵藤にあれだけの啖呵を切れるのは、多分雪ノ下くらいなものなんだろう……そしてその一瞬でのみ俺は彼女を素直に凄いと思ってしまった。
何せ雪ノ下の言葉により、兵藤から放たれていたプレッシャーは一気に霧散し――
「………………。言いすぎた……ごめんなさい」
「「え?」」
目を赤くしてへたり込んでた由比ヶ浜にペコリと頭を下げたのだ。
何度か見た……所謂捻り潰しモードとなってた兵藤を完全に止めて謝罪までさせたのだ。
平塚先生が兵藤を奉仕部にぶちこんだ理由がちょっとだけ解った気がした。
「あ……え、えっと……」
「いやあの……ほら……アレ……マジごめん。
ここの所ちょっとイライラしててつい八つ当たりが……マジすいません。二人とも立てる?」
「お、おう……俺は別に……」
「わ、私も……あの……簡単に諦めるとか言ってごめんなさい……」
「いや良いって……」
雪ノ下雪乃と兵藤一誠……か。
何だろうな、久々に他人に対して興味が湧いた瞬間かもしれない。
「…………。取り敢えずアレだ……見てて思ったけど、オーブンの温度を下げて少しずつ焼いてみなよ。
多分それだとかなりマシになるかなと……」
「う、うん……」
「兵藤くん言い方は酷かったかもしれないけど、由比ヶ浜さんも周囲に合わせようとするのやめるべきだとは思ったわ。
自分の不器用さ、無様さ、愚かしさの遠因を他人に求めるべきでは無いのよ」
「うん、わかった……!」
そしてこの騒動のお陰なのか、由比ヶ浜のやる気というか心が持ち直った……そんな気がする一幕だった。
「に、苦いよ~」
「……。まぁ大分マシにはなったと思うぜ」
「そうね、最初の石炭に比べたら全然……」
成功というゴールの道程が近付いたって意味でもな。
……………。ふぅ、あんま言いたくないが俺も言っておくか……役に立つかは知らんがな。
「誰に渡すのかは解らないが、少なくとも味付けに関しては後少しだし、雪ノ下が作った様な完璧なものじゃなくても良いと俺は思うぞ?」
「へ? それってどういう……?」
「だって今時手作りだろ? 多分それだけでも貰った本人からすれば相当嬉しいんじゃねーの? 特に男だったら心が揺れるし小躍りするだろ……由比ヶ浜みたいな女子からだったらな」
……………。あ、やばい。恥ずかしくなってきたんだけど。
いやほら、兵藤の重圧で潰されそうになってた由比ヶ浜があんまりにも不憫で、今は持ち直してるとはいえまだ兵藤にちょっとビクビクしてるから場をちょっとでも和ませてみようと思ったんだけど……何かクサイ台詞になってしまった。
うっ……兵藤と雪ノ下はこっち見てるし、由比ヶ浜は何かビックリしてるし……あー……。
「そ、それってさ……もしヒッキーも貰えたら揺れる?」
「え? あ、えっと……そりゃあ勿論?」
…………。え、あれ? 何で由比ヶ浜さんは俺を上目遣いで見るの? え、何なの? ときめけってか? いやいや………………それは無いか。
無い無い……ははは……。
「そっか……うん……それなら後は一人で練習しても良いかな?」
……。うん、八幡は騙されない。
ていうかこの一言で由比ヶ浜が何かを決心したみたいだけど……何にせよ良かった良かった……のか?
圧倒的なプレッシャー。
それは誰よりも……どんなに才能に恵まれた存在ですら平等に踏み潰せるだろう圧倒的な差。
恐らく――確実に仮面を付けた『姉さん』ですら半笑いで潰せる程の力を、あの時より明確に私の心に刻み込まれた。
「……」
結局完璧なクッキーを作れないまま……けれど比企谷君の一言で本人は何かを掴めた様な様子でお開きとなってしまった奉仕部としての活動に今一つ納得が出来ず、解散となってしまった。
「………」
さっさと先に帰った比企谷君には明日文句を言うにして、今部室の片付けをしている兵藤くんもそろそろ帰ろうと鞄を持ち始めているのを見ながら、私は――
「さて、と。そろそろ俺も帰りますよ雪ノ下部長」
「ちょ、ちょっと待って貰えるかしら?」
由比ヶ浜さんに見本として作ったクッキー……の他に実はこっそり作って簡単にラッピングしたクッキーを……その……アレよ、捨てるのも勿体ないしね……うん。
「え、なに?」
「え、ええっと……コレなんだけど……」
渡す。私はお腹一杯だし、毒味を文句言わずにやってくれた部員に対して施しを与えるのと部長の努めだから渡すのよ。
だから決して緊張とかしてないし、貰ってくれなかったらどうしようとか考えてないわ。
「あ、あげるわ……捨てるのも勿体ないし」
「これって……あぁ、由比ヶ浜さんに見本としてキミが作った奴か?」
ラッピングは変じゃない筈だし、味にしても問題は無い。
しかし気になるのは彼がお菓子嫌いかもしれないという疑惑と…………ついでにレイヴェルという謎の女らしき名前。
恐らくだけど、そのレイヴェルって女に兵藤くんはお菓子を貰い続け……そうね、多分嫌いになったのよね。うん、そう……間違いない。とんだストーカーに付きまとわれて兵藤くんも大変ねザマァ無いわ。
「そうよ……で、要るの要らないの? 要らなければ家に持って返って私が一人で処理するけど?」
「……………」
……。日は落ち、外は暗くなってしまっている部室で私は自分でも嫌になる言い方で、ラッピングに包まれたクッキーを見つめる兵藤くんにどうなのかと問う。
あぁ……要らね。何て言われたら……どうしよう……多分色んな意味で泣いてしまうかもしれない。
人間性はどうであれ、兵藤くんは私の――――
「ん……流石、由比ヶ浜さんより断然うめーや」
「っ……」
ネガティブばかりな事を考えていて意識が別の所に行ってしまった私が次に見たのは、クッキーを食べる兵藤くんの姿だった。
「そ、そう……。と、とうぜんよ」
その姿を見て、私は自分の顔が熱くなるのがわかる。
何度も『うんうん、普通に美味いね』と言いながら食べる姿を見ていると心が満ちていく。
これは何なのか……恐らくあの時気紛れだとしても私を助けてくれた兵藤くんを――
「ごちそーさん。わざわざサンキュー……雪ノ下ちゃん」
「ぁ……」
…………。食べ終わった兵藤くんが口元に笑みを浮かべながら私の頭に手を乗せた。
彼の大きな手が私の頭を普段の言動や行動からは考えられないくらいに優しく……優しく……。
「アレだ、由比ヶ浜さんの件を含めて借りは返すよ……今度な」
「…………」
ほんの数秒間だけだった。けれどあの時助けて貰った時以上に満ちた気持ちで一杯になった私は、小さくそれだけを言って帰っていく兵藤くんの背を見つめる。
「全く……静ちゃんに続いて俺をレイヴェル達以外に止める奴が現れるとはな。ったく、厄介な女だぜ」
寂しそうに見える……その背中を。
補足
一誠が何故平塚先生に保護される立場に居続けるか。
それは唯一過去を知り、そして自分を恐れず駄目なものは駄目だとハッキリ止めようとしてくれるからです。
つまり、今回で由比ヶ浜さんの心をぶち折ろうとした一誠を張り手噛ましてまで止めた雪ノ下さんの行動に一誠はある意味で見直した訳ですね。
まあ、……好こうとは思ってませんが。