人間を殺した事があるのは実の所一誠だけだ。
だがそれは果たして人と呼べた者だったのか……と聞かれたら微妙なラインだ。
何せその人間は外から現れた己の姿だけを模倣して作り直された存在だったから。
「はぁ、本当の人間が相手か……」
「やはり緊張しますか? ですがお二人は無理をなさらずとも構いません。
無理なら無力化するに留めても良いでしょう……殺害手段に出るのは私ひとりだけでも曹操達は納得――」
「お前にひとりにそんな事させるかよ。曹操達に降った時からその覚悟はしてある。
人殺しを正当化もしねーよ……生き残るために殺すさ俺達も」
「うん、僕だって元々自分が善人だなんて思っちゃいないさ」
「そうですか……」
君よ、飛びたつのか? 我等を憎む世界へと
待ちうけるはただ過酷な明日、逆巻く風のみだとしても――
盗賊討伐の指令が下された。
世の民を不安にさせる要素の排除……それはつまり間違いなく人間相手の戦い。
曹操軍は慌ただしく準備に動く中、祐斗と元士郎もまた兵の一人として準備の手伝いをしてる中、曹操直属配下の一誠はとある兵が持ってきた帳簿を見た瞬間機嫌が目に見えて悪くなって何かを命じた華琳の後ろに控えながら小さく呼吸していた。
「…………」
「一誠、何故私が先程兵が持ってきた帳簿を見て機嫌が悪くなったのか……知りたい?」
「いえ、直接私に関係が無ければ首を突っ込む程野暮ではありませんので」
「でしょうね、私に直接遣えさせたアナタを暫く見てきたけど、アナタはそういう性格だものね」
「……」
返しとして不正解だったのか、華琳の機嫌はさらに悪くなる。
直属配下などと聞こえは良いが、一誠にとってみれば振り回されるだけの要因でしかなく、ただの兵隊としてある程度の自由がある元士郎と祐斗の立ち位置がすさまじく羨ましい。
「つ、連れてまいりました……」
とはいえ、所詮一誠にとっては『まだ』歳は恐らくそう変わらないだろう『小娘一匹』が機嫌を損ねたという程度にしか思わずに暫く無言で居ると、先程帳簿を持ってきた兵が顔色悪げに、今回の不機嫌の原因とされるだろう一人の小柄な少女を連れてきた。
「貴様が今回の兵達の兵糧担当か?」
連れてきた兵を下がらせ、後に残った小柄な少女が即座に頭を垂れた瞬間、華琳は曹操らしい尊大且つそれを裏打ちさせる圧力を放ちながら開口一番に少女に向けた。
「はっ、間違いございません。何か問題が?」
「問題? 私が指定した量の半分しか用意されていないから担当者である貴様を呼び出したのだ!」
「…………」
少女っぽい口調が鳴りを潜め、それは恐らく後の三国の英雄の一人とされる曹操としての強い怒気周囲まで響き渡り、目の前の少女を押し潰さんと向けられる。
華琳が不機嫌だった理由を興味無さげに聞いていた一誠も内心そういう理由なのかと一応納得し、どうするんだこの小さいのは……と他人事の様に華琳の放つプレッシャーを平然とした面持ちで受け流しながら静観していると、少女は意外にも飲まれずに口を開いた。
「このまま出撃すれば、我等は行き倒れになる所だった。
その事があった場合、担当者である貴様はどう責任をとるつもりだ?」
「いいえ、そうはなりません。
理由は三つ程あります。どうかお耳に入れて頂けますでしょうか?」
「…………」
その理由とやらに自信があるのか、真っ直ぐと華琳を見上げる少女に、ほんの少しだけ怒気が収まる。
「良いでしょう、それ相応の理由があるのなら不問にしましょう」
口調も心なしか落ち着いている。
しかしそれでも納得のいく説明をもし少女がしなければ容赦なく斬り捨てるという気迫は伝わってきた。
「……………」
空気を読むべきだと一誠は普段は命じられたその通りに華琳の傍らを決して離れなかったのを、覇気を放つすその姿を固唾を飲んでみていた秋蘭と春蘭の近くに移動し、小柄な少女が何を言うのかを見る。
「い、良いのか? 華琳様から離れて……」
「こういう場合は二人の間の問題になる。外様となった俺が居たら邪魔だからな」
「そういうもの、なのか?」
「ええ、そういうものです……少なくとも私はそう思ってます」
春蘭と秋蘭に耳打ちされ、両者別々の口調で返した一誠は真っ直ぐと華琳と少女のやり取りを――しかしどうでも良さげに眺める。
華琳がその際ほんの一瞬だけこちらを見た気がしたが、気づかないフリをした。
「まず一つ目。曹操様は聡明かつ慎重なお方です。糧食に関しても、必ずご自分で最終確認をなさる筈。
そして問題があれば、こうして責任者を呼ぶはずなので行き倒れになる事はありません」
そんな中始まった問答だったが、いきなり少女は華琳にとっては地雷ともいうべきものを踏み抜く。
「春蘭!」
「はっ!」
その瞬間怒気が一気に膨れ上がり、華琳が春蘭の名を口にしたのと同時に阿吽の呼吸ともいうべき速さで得物を春蘭が抜いた。
だが得物を持った春蘭の腕を掴みながらそれを止めたのは意外にも一誠だった。
「な、何をする一誠!?」
「……。どういうつもり?」
「…………」
ギリギリと腕力の『拮抗』を感じさせる音が一誠と春蘭の間から聞こえる中、驚いた様に目を見開く春蘭とは対照的に静かに……されど小柄な少女よりもある意味強い怒気を孕んだ目で一誠を見据える華琳に対して一誠はほんの少し気分悪そうに口を開く。
「斬るなら外でお願い致します。血溜まりや死体の後処理は時間が掛かります故……。
それに、三つの内まだ一つしかその方は仰っておりませんのでは?」
「……………」
何故か少女からも睨まれてる気がしないでもない空気で、顔色悪そうに――――後処理がめちゃくちゃ怠いからという理由だけで止めたと返した一誠に華琳はその怒気を沈め、小さくため息を吐きながら春蘭に矛を納めろと顎を刳る。
「それで、残りの二つは何?」
どうやら聞いてくれたらしく、理由を再び少女に問う華琳に一誠は見られるストレスから解放されて少しだけホッとする。
「肝が冷えたぞ……あの状態の華琳様に口を挟むなど……」
「そ、そうだそうだ、わざわざもっと怒らせてどうするんだ……!」
「ですから、もしあのまま春蘭様がお斬りになられた場合、あの小娘の死体の処理はほぼ間違いなく私がさせられる。
知ってるとは思いますが、人の首を刎ねればその血は勢い良く出る。
それが例え春蘭様の腕により素早く刎ねて出血が抑えられたとしても、出るには出る……血というものは中々取れない……故に殺すなら外でやれと」
「それはわかったが、わざわざそんな理由で華琳様を止めるのはどうなんだ……」
「私にとっては重要なのです」
要するに掃除が面倒になるのが嫌だから止めたと言い切る一誠に秋蘭はある種呆れてしまう。
妙にあちらとの空気が違う中、少女が二つ目を語った。
二つ目の理由はどうやら、糧食が少ない分身軽になり、輸送部隊の行動が速くなり討伐にかかる時間が短くなるとの事だが、そんな事は考えたらすぐわかる話であり、華琳もある種承知していた事だった。
「なぁ、秋蘭と一誠?」
「何だ姉者? いきなり難しい顔をして?」
「いや、身軽になるというのはわかったが、だからといって敵を殲滅する時間は短くはならないよな? と、思って」
「まぁ、間違いはないな。それに半分にした所で荷物は荷物だ」
「だよな? うむ良かった……私の頭が悪くなったのかと思ったぞ」
「姉者には気安い口調なのだなお前……」
「? それが?」
「いや、うん……疲れないのか? わざわざそうやって変えるのは?」
「全く。線引きというものは大事ですから」
姉妹なのに真逆な対応をする一誠に、秋蘭は何となくな扱いをされてないのだろうかと問うが、一誠の返しはとてもとても無機質のままだった。これでも会話が成立してるという意味では彼の元の時代に居る者達からすれば、秋蘭とて『は? はぁ? はぁ!?』といったリアクションになる事案だが、生憎そううものは居ない。
「………最後」
そうこうしてる内に話は進み、華琳は最後の理由を少女に問う。
「三つ目は……私を軍師として使っていただければ遠征討伐にかかる時間はさらに短くなるでしょう。
よって、糧食はこの量で必要分を満たしております。ですからどうかこの荀彧を曹操様の軍師としてお使い下さい!」
まとめるとこの少女――荀彧なる名の少女は己を軍師として雇えと直接曹操に売り込みに来たらしい。
「何……!?」
「驚いたな……」
「…………」
荀彧の言葉に驚く姉妹の半歩後ろで無機質な人形を思わせる冷たい表情を浮かべてる一誠は内心『ごくろうな事だな』と、崇拝を感じさせる視線を華琳に向けている荀彧に皮肉気味に呟くのと同時に、この小娘に自分の措かれた立ち位置を押し付けてみたいと思っていた。
わざわざと華琳の目に止まる為にこんな遠回しな真似までして見事に面会まで漕ぎ着けたのだ、きっと喜んで引き受けてくれるに違いない……のだが、それを聞いてはいそうですかと言える程華琳の我は弱くない。
「荀彧――アナタの真名は?」
「桂花にございます……!」
呆気なく大切な筈の真名を教える辺り、この少女は余程仕えたいらしい。
しかし華琳にとって重要なのはそこでは無いらしい。
「一誠」
凜とした声で突然一誠を呼ぶ華琳。
「は……」
それに応じて即座に荀彧の隣へと移動し、膝を付いて頭を垂れる一誠。
これも元の時代においての過保護な悪魔達による教育の賜物なのかもしれない。
隣から物凄い睨みの視線がビシビシ伝わって吐き気がしても尚崩さない辺りは教育というよりは調教に近いのかもしれないが……。
「私がこの世で最も腹立たしく思う事は、他人に試される事よ」
「左様で御座いますか……」
内心『知るか』と毒づきながらも深々と頭を下げ続ける一誠。
「恐らくこのまま私が荀彧にこうした所で、きっと本気で斬るつもりは無いと看破されている」
得物である大鎌を荀彧の首元に突きつけながら華琳は続ける。
「気に入らない……。けれどその胆力は私好みよ桂花」
「で、では……! 」
「ええ、貴女その胆力と才、私が天下を取るのに存分に使わせて貰う事にする。 良いわね?」
「ははっ!! ありがたき幸せ!!」
「ならまずは、この討伐を成功させなさい?
糧食を半分で良いと言ったのだから、失敗したらその身をもって償って貰う」
「……………」
少女の様な微笑みで荀彧に期待の言葉を向けた瞬間、緊張の空気は一気に霧散した。
感激の余りに頬を紅潮させてる荀彧………………だが彼女にとっての幸福はすぐに終わった。
「一誠」
「は……」
「此度の遠征……桂花に助力なさい」
「……………………………は?」
「なっ!?」
直属配下である一誠を荀彧と組ませる……という突拍子も無き謎采配を下したのだから、今の今まで幸福の波に飲まれていた荀彧も、他人事の顔をしていた一誠も固まってしまう。
無論ある程度一誠の性格を知った春蘭と秋蘭も驚きの顔だ。
「な、何故ですか曹操様!? 何故私にこの様な……こ、こ、こんなのを!?」
「同意。何故俺がこの小娘の子守りをしなければならない? 理由があるんだろうな?」
「小娘!? 何でアンタにそんな呼ばれ方をされなきゃならないのよ!!」
ショックのあまり一誠を指差しながら喚く荀彧を無視し、名すら呼ばずに小娘呼ばわりする一誠に噛みつき始めるが、それも本人はガン無視して思わず口調を素にしながら華琳を睨む。
「私は一方的に試されるのは嫌いなの。
そして意識すらされないのはもっと我慢ならないの。一誠、アナタは最近春蘭にだけは気安くなってるけど、他の者達にはそれが全く無い。
桂花、アナタはさっきからずっと一誠を睨んでいたわね?」
「そ、それは……」
「…………」
図星を突かれて華琳から目を逸らす荀彧とは反対に、理由になってない理由にどんどんと口調が荒くなりだす一誠。
「理由になってないな……。
大方俺にこの小娘が使えるのか使えないのかを見張れとでも言いたいのだろうが……」
「あら、わかってるのなら話が早いわ」
「ふざけるな冗談じゃない。この見てくれからしてキーキーと小うるさい小娘の観察なんぞやってられるか、時間の無駄だ」
「こ、小うるさいですって!? アンタさっきから何なのよ!!」
華琳の手前怒声に留めてるが、もし見てなかったら真空飛び膝蹴りでもしてくるのではと思わせる勢いの荀彧をそのまま無視し続ける一誠。
しかし華琳はむしろクスクスと笑うだけで取り下げる気はまるで無さそうだ。
「だからこそなのよ。これは私からアナタ達に与える試練ですもの」
「し、試練って……そ、そんな……」
「………………………………」
要するに、春蘭に対してのみ楽しそうなのに、期待を――試すという概念すら示さずに居る一誠と、己を試した桂花の両方へのちょっとした意趣返し。
「期待してるわよ桂花、一誠?」
「「……………」」
それが本人達にとって――特に一誠にとっては要人暗殺よりも高い最高難易度であるのは、桂花という少女の毛嫌いとも感じ取れる睨みを向けられてる時点で云うまでもない。
そして一誠はこの時心底心の中で後悔していた。
『あぁ、春蘭が斬り殺そうたした時、後片付けが嫌だからと止めなければよかった』
と。
普段の仕返しみたいな理由で、性格からしてまず合いそうに無い少女と組まされてしまった一誠だったが、やはりその予感は大当たりであり、少女――荀彧に付いて華琳達から離れた途端、露骨に距離を取り出した。
「あんまり近付かないで貰える?」
「……………」
「最悪よ、やっと曹操様に仕えたと思ったのに、こんな男と組まされるなんて……」
「……………………」
兵や文官達の忙しなく動く音をBGMに、此度の遠征における食糧系統の最終確認の帳簿に目を通しながら荀彧はブツブツと不満を垂れているのを、言われた通りにしながらも無言で自分の仕事をする一誠。
内心思い切り『やっぱり斬り殺されてしまえば良かった』と物騒な事を考えてるが、生憎無愛想な能面状態のせいで読まれる事はない。
「で、曹操様は最近来たらしいアンタを直属の配下にしたのだし、ちゃんと使えるのでしょうね?」
「………………」
「まったく、アンタといい、あの残りの二人の男といい……何故曹操様は……」
「……………………………」
どうや一誠達が華琳の下に付いた時辺りから虎視眈々としてたようで、ある程度三人組の事を知ってたらしい荀彧は嫉妬と思われる心の内をぶちまけながらも、手は動かしている。
その時点で口だけの小娘ではないのは証明されていたが、一誠にしてみれば単に五月蝿いだけの小娘である事は変わりない。
とはいえ、それを声に出せないので心の中で毒づくに留めるだけだが。
「はい最終確認は終わり。
で、アンタさっきからまったく喋らないけど、私に助力しろと曹操様から言われただけのものはあるんでしょうね?」
「……………………」
「聞こえないの? あるの? 無いの?」
「…………………………………………………………」
直属配下所属とはいえ、まったく一誠という存在を認めてない荀彧の視線を横に、返事の声は出さずに兵の数と武装についての帳簿に目を通していた一誠は荀彧とは一切目を合わせずにその帳簿を渡し、首を縦に振る。
「は? ……………今回の遠征に必要な兵の数と武器? 確かに私の提示した食糧の量ならこの数が妥当ではあるわね」
「……………」
「というか喋りなさいよ」
「…………………」
「何なのよコイツ……」
無愛想通り越して間抜けに見えるくらい喋ろうとしない一誠に荀彧の顔は嫌そうに歪む。
思えばこっちは虎視眈々と仕える為に考えたり行動の機を伺ってる横から簡単に追い越して直属配下になったのは知ってたが、声を聞いたのはあの時斬られそうになった際に止めた時が初めてだった気がすると荀彧は思い出す。
それ以外では常に華琳の半歩後ろに控え、公の場においても一言も言葉を発せず……。
何故かなんてのは荀彧には知らないが、少なくとも三人組の内の一人であるこの目の前の変わった服を着た男は一番嫌いなタイプなのは間違いなかった。
しかしだからこそ、目の前の人形みたいに表情が変わらない男の様子がちょっと変化するのを見抜きやすいのもまた事実であり……
「? アンタ、顔色悪いけど……」
「……………」
「遠征前なのに体調を崩しただなんて言わないでしょうね? 勘弁してよ、アンタのせいでせっかく曹操様に仕えたのに失望されて外されたら一生恨む――」
「げほ……!」
「え……?」
この時初めて荀彧は自分よりも先んじて華琳に仕えられ、尚且つその華琳の為に誰よりも早く動き、誰よりも早く望む事をして、ムカつく男の内面を――
「ごほっ! げほっ!! ぐぇぇ……!」
「きゃあ!? あ、アンタ血を吐いて……!?」
見た気がした。
「えほ……チッ、胃に穴が遂に開いてしまったか。
慣れない環境にブチ込まれるのがこんなに……げほ!」
「ちょ、ちょっと!? アンタ病気なの……!?」
「けほ……あ? 違う、暫くしたら治る」
「そんな訳無いでしょうが! 曹操様に今すぐ――」
「黙ってろ! 言ったらぶち殺す……治るったら治るんだよ。どうせただの精神的重圧の限界なだけだしな」
「な……」
狂気とも言える内面。例え吐血しようがそれを誰にも伝えずに抑え込もうとする気力。
見てしまった荀彧に対して話せば殺すと口から血を流しながら血走った目で睨む姿に気圧されるのは仕方ないこと。
「あ、アンタ異常よ……一体何者なのよ?」
「………」
「ま、まぁアンタが早死にするのは勝手だし、黙ってろって言うのなら黙ってるけど、足だけは引っ張らないでよね!」
本人は単に弱味を握られたくないというだけの事だが、荀彧はそれを勘違いし、そこまでの狂気じみた忠義心を曹操に抱いてると解釈してしまい……。
「な、何でアンタが直属配下になれたのかがわかった気がしたし、今回の所は私の負けにしといてあげるわ……」
「はい?」
「くっ、曹操様に仕えただけではまだほんの始まりに過ぎなかった訳ね……!」
(………なに言ってんだコイツ? それよりこの小娘を如何に曹操に有能かを伝えて、今の俺の立場を降ろす様にしないとな……)
妙な一目を措かれた。
終わり
胃がオカリナとなって吐血した一誠に妙な勘違いを抱いた荀彧はその時以降から毛嫌いから好敵手扱いをし始めた。
それは遠征の時の道中にも現れていた。
「アンタ、馬には乗らないの? 直属配下なのに」
「……………………。歩いた方が楽なんでね、それに馬は苦手だ」
何故か吐血について口封じして以降、頻繁に話し掛けてくる荀彧に鬱陶しいと思いながらも、思った事をポンポン無遠慮に、何となく自分と同等レベルの口調で話す荀彧がそこまで苦痛とは思わずに返す一誠。
「でもアンタ……えーっとほら……ひ弱そうじゃない? 途中で倒れられたら私が困るのよ」
「ふむ、荀彧よそこは心配しなくても良いぞ。一誠は中々に骨のある奴だ」
「うむ、何せ姉者と腕は互角だしな」
「…………」
「そうじゃなくて……」
笑えない量の血を目の前で吐いたのを知ってる上に口止めされてるせいでうまく話せない荀彧はそれ以降何も言わずに居たが、しきりにチラチラとまた吐血するのではと一誠を気にする。
ちなみに本人は既に、殆どの力を失っても尚残った異常な回復力で薬要らずの回復をしてるのだが、そんなものなど荀彧が知るわけもなく、普段ならそのままくたばろうが鼻で笑うのが嘘の様に気にしていた。
「それにしても意外だったな。初対面の荀彧の助力をせよと華琳様に命じられたとはいえ、そうして声に出して返答するなんてな」
「へ?」
「ん? 知らなかったのか? 一誠は基本的に初対面の相手だと一言も言葉を発さないのだぞ? 祐斗と元士郎――あぁ、私達より先んじて偵察に出てる二人はそうでは無いんだがな」
「……………」
前を一切のペースを乱さずに歩く一誠の特徴を聞いた荀彧は『あれ、そういえば最初は話さなかったけど、今はコイツ普通に話すわね……』と気づく。
単純に言葉の発するレベルが似てるからというものなのだが。
「でも確かに華琳様直属配下のお前が徒歩なのも変だし、馬に乗れないとこの先苦労するだろう。
練習がてら私の後ろに乗るか?」
「いや要らない、このまま歩き続けても疲れはしない」
「そうか? だがなぁ……」
「じゃあ私が教えてあげても良いわよ、どうしてもと言うのならだけど」
勘違いが変な方向に向かうお話。
しかしほんの小さな勘違いは――
「国の軍隊なんか信用出来るもんか! ボク達を守ってもくれないクセに税金ばっかり持っていって!!」
「っ!? 危ない荀彧!!」
「え―――」
グシャア!
「……………………あ」
「…………………………………」
「い、一誠!!」
「あ、アンタ何で……」
「曹操の命令だから……。
あぁ、後残念だったな俺がくたばらなくて……この程度でくだばるほど弱っちゃいないんでね」
孤軍奮闘していた少女の攻撃に対しての完全な盾となった一誠が血塗れになって立ち上がり、皮肉気味に困惑する荀彧に嗤う。
そして――
「ガキ……そんなに死にたいか?」
「ひっ!?」
奮闘していた少女に一誠が放った怒気は、稚児に対して親が僅かに抱く様な僅かな炎であったが、たったそれだけで少女の戦意を完全に失わせた。
「ふぅ……。何とか止められたものの、実は結構血を流しすぎて危なかったぜ……いつつつ」
「あ、当たり前じゃない! 普通なら死んでるのにこんな……! き、傷は……」
「いててて!? お、おい引っ張るな!? 勝手に治るんだから良いんだよ!」
「流石にそれは嘘でしょうが! 私はね、アンタに借りだけは絶対に作りたくないの! そこの二人!」
「あ、はい……」
「なんですか?」
「ぼさっとしてないで治療道具持ってきなさい! 仲間でしょうが!!」
「は、はい……」
「俺達が居ない間にあの子と何があったんだ? 普通に話してるし、てか誰?」
知らぬ間に少女に無理矢理座らされて下手くそな治療をされてる一誠に驚くしかできない元士郎と祐斗。
「あ、あの……さ、さっきはごめんなさい!」
「………………………………」
「私の事は良いわよ、コイツが頼みもしないのに盾になってくれたしね。
謝るならコイツにしなさい」
「は、はい! ごめんなさい!」
「……………………………………………」
「あ、あの……?」
「………。あ、こういう……ええっとね、コイツ見知らぬ相手とは話せないだけなのよ。というわけでもう良いから曹操様の所に行きなさい」
「は、はい………」
華琳に誘われて降った少女とは目も合わせようとしない一誠を見て理解した荀彧。
「いででででで!?」
「暴れるな! ほら次は腕!」
「いってーよ!? つーかほっとけや! さっきから何なんだ!」
あぁ、コイツ……凄まじく不器用なんだと。
こうして勘違いは加速していく―――
「あ、この前はどうも……日之影だったよな? 元気だっ―――」
「オロロロロ!??」
「ぎゃ!? い、いきなり吐いて汚いのだ!」
「そこの二人! 私の仲間になにをしてるのよ!! 大丈夫一誠?」
「うぇぇ……!」
「お、俺達はこの前のお礼がてらの挨拶を……」
「そしたらいきなり吐いたのだ……」
「礼? あぁ、アンタ等この前の……わかったから今は帰って。今コイツは見ての通りに具合悪いのよ」
「お、おう……そうみたいだな。じゃ、じゃあ帰るぞ鈴々……」
「ご主人様とはやっぱり違うのだ……」
「チッ、義勇軍の所の連中ね? 奴等のせいでこっちは要らぬ仕事をさせられたっていうのに……!」
「けほ、けほ……」
「ほらお水持ってきたら飲みなさい、ゆっくりよ?」
「きゅ、急に来たもんだから……」
「はいはいわかってるわ。はぁ……仕事は出来るのに目が離せないんだからアンタは……。しょうがないから気分が良くなるまで背中を擦ってあげるわよ」
――という似非予告
補足
上手くストレスを逃がす要因がこの時代ではまだ見つかってないのと、まあ、なっても今の彼なら半日でどうにかなるので……的な。
でもそのせいで変な勘違いされてしまうという。