ボスモンスターより振り下ろされた鎌は、ユイの頭上に現れた障壁に弾かれる。骸のようなアバターをもったそのモンスターはぐるぐると不思議そうにその瞳を回した。
《
「セツナさん! キリトさん!」
そして、年のわりに大人びた話し方はそのままでも、呼び名はお兄ちゃん、お姉ちゃんだったユイが二人を名前で呼ぶ。それが示すことはなにか。
「ダメです。今は集中してください。」
ガキィィィンッ
3度目になるユイへの攻撃。その音にようやく意識を敵に戻す。たとえ障壁が弾こうともユイに加えられる攻撃を黙ってみているわけにはいかない。
セツナは右手に握った武器をグランドリームに持ちかえると、技後硬直中のモンスターに一気に切りかかった。
「っ!!!」
2枚の刃を旋回させ、スキルボーナスをフルに使い、できる限りの攻撃を加える。
そのセツナを見てキリトもようやく状況把握よりも現状打破に意思を向け、両手の剣を青く光らせた。いつか見たスキルよりも手数の多い技。まるでヌンチャクを旋回させているかのような速度の剣技は辛うじて軌跡を確認できるぐらいの速さ。
振り下ろされる鎌は速く、重たいがその分にその硬直時間は短くはない。このモンスターは基本的に一撃必殺の攻撃でプレイヤーたちを屠るのだろう。それを躱す、もしくは受け止めることができるのは製作者側とすればイレギュラーに違いない。
堅さもあるがHPを減らせないほどではない。時間はかかるが…
4度目の攻撃をユイが右手で受け止める。ふわりと空中に身を浮かせ、白いワンピースをなびかせるその姿は天使のようにも見える。
ユイが何者か。
ユイの態度からしてその答えを彼女自身は見付けたのだろう。分からないことばかりだが、この状況下、攻撃を無効化してくれるその存在はありがたいものだった。
重たい攻撃は《武器防御》のスキルがカンストしているにも関わらず、かなりのHPを削り取り、尚且つ受け止めきれずにその場から飛び退き衝撃を吸収しなければならないレベル。当然に《
攻撃を無効化してもらえればあとはいかに強打を当て続けるかのみだ。ここぞとばかりに大技の27連撃を繰り出すキリトに負けじと、セツナも自身のスキルでは最多の手数を誇る18連撃技のスキルモーションを起こした。
突進系でありながら武器の特性を活かし、四方八方から斬撃を飛ばす。《シャドウサーキュラー》、目で追えるならよほどの動体視力の持ち主だ。旋回する武器は引いても返してもダメージを加えられる。
もちろん、大技を使うのはユイへの攻撃を減らす効果も期待してのことだ。いくらダメージを受けないとはいえ、衝撃がないわけではないだろうし、何より見ているこちらが耐えかねる。
速く、速く…常日頃から強く意識していることだがより強く、
「はっ……ぁぁぁぁあ!!!」
二人の気合の咆哮が狭い通路に響き渡った。
どれぐらい時間がかかったか、敵のHPをすべて削り取る頃には疲労を感じないはずの体が倦怠感に包まれていた。肩で息を吐き、思わずどさっと床へ座り込む。強さの割に得るものは少なく、ドロップアイテムもなければ経験値やコルもほとんどない。
ユイはと言うと、宙に浮いていた体を、ふわりとスカートをひらめかせ、地に下ろした。
「セツナさん、キリトさん。ここの敵はまたすぐにリポップします。
あれだけの攻撃を受けながら、ユイには傷1つない。年相応の表情ではなく、凛としっかり意思をもった表情を浮かべる。疲労と状況が未だに掴めないのと色々だが、もう一度今のボスと戦えと言われて戦える状況ではない。素直に二人はユイの言うことに従い、クリスタルを取り出した。
「転移、《はじまりの町》」
依頼主たちの状況も確認しなければならないので、ホームには帰らず1層へとひとまず戻ることにする。
体が消え行く中、ユイの言うようにモンスターのリポップする兆候が見てとれた。キラキラと青いポリゴンの欠片がその場に集結していく様は残酷なほど美しい。そんな光景を見送り、自分の身をポリゴン片にした。
《はじまりの町》の転移門広場に二人が順々に姿を表すと、ユイはと言えば結晶アイテム使用時とはまた違うエフェクトをもって現れる。青基調の
やはりふわりと身を浮かせ軽やかに地に足をつける彼女に二人が視線を集中させると、ユイは困ったように笑った。
「…全部、お話しします。ここではなんですから歩きながらでどうでしょう?」
人は多くはないが転移門広場など誰が現れるかも分からず、話をする場所としては不適格だ。3人は並んで教会へと歩き出す。この層に来たときと違うのはどちらもユイの手を引くことなく、また肩車やおんぶなどであやすこともないことだ。
この数時間で劇的に変化したこの関係にセツナは寂しさを覚えずにはいられない。並んで歩いているのに響くのは足音だけで、軽口や笑い声はそこにはなかった。
「びっくりさせてしまってすみません。お察しの通り、全部、思い出したんです。」
広場を抜け、路地に入り込んだところで、ユイは口を開いた。それは予想通りのことで、それ自体にはさして驚くことはなかった。
「良かった、と言って良いのかな?」
容姿にそぐわない話し方をする彼女の記憶。それは、果たして思い出すべきものだったのか。セツナの問いにユイは曖昧な笑顔を作る。
「分かりません。」
悲しそうに首を振るのは何故なのか。それは彼女が攻撃を無効化したことが鍵になりそうだった。
「
キリトの問いに今度は首は縦に振られた。
「はい。MHCP001-YUI、私はこの世界でのカウンセリングプログラム、作られた存在…AIなんです。」
そう言って彼女は視線を下に落とした。そのしぐさからユイの言っていることを理解することを頭が拒む。
「え…だって、こんなに自然に…。」
混乱し、目をしばたたかせるセツナにやはりユイはとても作られたものとは思えない表情を浮かべる。
「…私にはプレイヤーたちに不信感を抱かれないよう、感情模倣プログラムが組み込まれてます。全部…全部ニセモノなんですよ…。」
そう言ったユイの瞳からは一筋の涙がこぼれ落ちた。人を思いやり、感情を推し量り、痛みを感じ、涙を流す。こんなに優しく暖かさすら感じさせる存在がニセモノ。
涙の粒は頬をつたり、宙に落ちるとキラキラと光を放ち消えた。
「…本来、プレイヤーの皆さんをサポートするはずの私だったんですけど、何故かカーディナル、この世界の制御プログラムによって私はプレイヤーとの接触を禁じられました。」
泣き出しそうな表情の彼女の話は続く。
「恐怖、絶望、狂気…全ての負の感情から本当は助けなければならない、それが私の存在意義だったのにそれは叶わず…私はエラーを蓄積させて行きました…。」
そこでユイは一呼吸置いた。3人の足音だけが静かに響く。
普段は気にもならないコツコツという音がこんなにもリアルに再現されていることに、ここはこういう世界だと思い知らされる。全てがまるで本物のように、忘れかけていた事実だがここは完全なる仮想世界。通常のNPCだってまるで生きているかのように、意思を持っているかのように振る舞う。ならばそれ専用に作られた彼女がこんなにも
静かな音に耐えきれず、セツナは口を開いた。
「それで、記憶をなくしてあそこに倒れていたの?」
その答えには、涙に濡れた頬に少しの笑顔があった。
「それは、それは…私がお二人に会いたかったから…。」
はにかんで浮かべるその笑顔は嬉しさの影に恥ずかしさの覗くもので、記憶を取り戻したであろう時から初めて浮かべた容姿の、年相応な表情だった。
「会いたかった?」
キリトが素朴に尋ねるとゆっくりと頷き、ユイはやはりどこか嬉しそうに記憶を巡らせた。
「皆がこの世界に来たことを悲嘆に暮れてました。だけどお二人は違いました。この世界を認め、生きてました。そして、先日そんなお二人に新たに大きな喜びが加わった。すごく眩しくて、つい会ってみたくなったんです。おかしいですよね、私、ただのプログラムなのに。」
ユイのその言葉に二人は顔を見合わせる。それは想いを通じ会わせたことを指すのだろう。なんだかこちらも気恥ずかしくなってくる。しかし、ユイの言うように彼女はもうただのプログラムではなくなっているんだろう。
「ううん、自分で考えて…行動できる。あなたはもうこの世界で1つの命になったんだよ。」
セツナがそう言うと、ユイはいたずらっ子のように笑った。
「実はあのモンスター、私のGM権限で消してしまうことも出来たんですけどそうしたらお二人と話せなくなってしまうと思って頑張ってもらっちゃいました。ごめんなさい。」
そんなユイにハッとさせられる。
「そう言えば! なんであのボスリポップしたの?」
ユイはアレが再び現れることを知っていた。通常ボスモンスターはフィールドボスだろうとフロアボスだろうと一度倒せばそれきりだ。確かにHPバーが4本あったアレはボスには違いないのだろうが。
「あそこの場所の奥はただの
それを聞いて納得をした。ユイが記憶を取り戻したのはそのコンソールの力で、あのボスのカーソルがLv.100に近い自分たちですら黒かったことも。尤も、今後のことを思えば最高レベルは100でないことを願うが。
「ユイならそのコンソールで消せた、と言うことか。」
「はい、でも権限を使ってしまったらきっとカーディナルが今頃私を消していたと思います。」
「でも、ユイちゃんはここにいるよ。」
「お二人の力のお陰です。ありがとうございます。」
そうユイが笑う頃には本日2度目の教会へと辿り着いていた。
教会の扉をノックすると飛び出してきたのは銀の髪を振り乱したユリエールと、本当にギルドリーダーなのかと疑ってしまうぐらいには穏やかな雰囲気をもった男性だった。遠目でよくは見えなかったがこの人がシンカーに違いない。
「あぁ、良かった。セツナさん、キリトさん、よく無事で…」
結晶で脱出してからずっと悔いていたのだろう。確かに自分だけ逃れ、死なれてはやりきれない。感涙を浮かべる彼女の軽く会釈を返す。
「ユリエールさんも。良かったですね、間に合って。」
「いえいえ、本当にありがとうございました。なんとお礼をしていいか…。」
「本当にありがとうございます。」
シンカーらしき男性もすっと出て来てお礼を言われなんだかむず痒くなる。それにはキリトがやんわりと答えた。
「それは、《軍》を立て直すことで応えてください。きっとこれからの攻略、あなた方の力も必要になる。」
それには力強い頷きが返ってきた。
「キバオウの一派にはきちんとけじめをつけたいと思います。大きくなりすぎたことに甘えていましたが組織としてしっかり立て直します。」
セツナの記憶によればシンカーという名前はMMOトゥディと言う大手攻略サイトの管理人に覚えがあった。《軍》がここまで大きくなったのは元々はそんな背景からの彼の求心力かもしれない。ならば本人がしっかりしさえすれば、きっと生まれ変われるだろう。
「期待してます。いつか前線で。」
セツナのその言葉に二人の首は再び縦に振られた。
二人の無事を確かめたら、ここではもう1つしなければならないことがあった。
「ところで、サーシャ先生は…。」
視線を巡らせると奥からパタパタとやって来る人影があった。
「よかった、彼女からお二人がボスと対峙しているところにユイちゃんも残ったときいて心配していたのですよ。」
「ありがとうございます。その、ユイなんですが…」
ユイのことで訪ねたからには、きちんとこちらの方もけじめをつけなければならない。
「もし、攻略組のお二人のご負担になるのでしたらここで暮らしてはどうですか?」
シンカーの救出について行ったことに加えて戦闘に残ったと聞き、ユイが二人の足手まといになると思ったのだろう、かけられた言葉は二人の望むものではなかった。
「いえ、そのことなんですが…ユイはどうしたい?」
それをやんわりとうけとめるとキリトはユイに視線を移した。
「え、だって私は…」
戸惑うユイにセツナも言葉をかける。
「ユイちゃんはもう自分で望みが言えるでしょ?」
記憶が戻り、正体を明かした。もしかしたら彼女はシステムの一部としてもとの場所に戻るつもりだったのかもしれない。ただ、それならばあのボスを
ユイはまた一筋の涙をこぼし、ゆっくりと口を開いた。
「私、私は…お二人と一緒にいたいです。」
そうこぼした彼女にキリトもセツナも笑みを浮かべる。
「俺たちがユイの家族になります。」
まだ、出会って間もないが話すこと、話したいことは沢山ある。ユイが、この世界で生まれた彼女が、この世界で生きていると感じた自分たちだからこそ本当の意味でユイを受け止められるように思えた。
「帰ろう? 私たちの家に。」
涙と共にユイは一番の笑顔を見せた。
ここでユイの心終了です。
携帯変えて打ちづらくて…誤字脱字ご指摘ください。
ユイの生存ルート…と言うのもおかしいのですがもうちょっと一緒にいてもらおうと思います。
海釣りにいってきました。
キリトよりはきっと釣りスキル高い私…