「ねぇ、警備員がいるみたいだけど、どうするの?」
「キュゥゥ……(どうするか……)」
相変わらず周りは鬱蒼と木々が生い茂っているが、前方に人工的な光が見えている。
こっそりと、朱莉が覗いてみるとそこにはバカデカイ縦に長い四角い建造物が聳え立っていた。あれが本当に人が造ったものだとは到底信じられない。
「キュオォ(あれがモノリスか)」
「大っきいでしょー」
ルナも少し離れた樹に登り、等間隔に並ぶモノリスを見ていた。
その背には何故か自慢気な朱莉が乗っている。最早そこは朱莉の特等席と化していた。
「キュゥゥ(見張りが多過ぎる)」
「これじゃあ入れないよ……」
想像を超えた警備の厳重さに、自慢気だった表情は暗くなり、朱莉はすっかり参ってしまっている。
昨日の晩に約束した通りに、朱莉たちは東京エリア付近に来ていた。
まぁなんとかなるだろ、と高を括っていたルナだったが思いの外侵入が難しい事を知ってしまった。
巡回兵の数はそこまで多くはないが、監視カメラの量が異常だった。其処彼処に設置され、死角を無くすように配置されていた。
「うぅ……」
「キュォ(大丈夫か?)」
「うん……。ちょっと気分が悪いだけだから……」
ガストレアはごく一部を除いてバラニウムという金属に発せられる磁場に弱い。天敵、弱点と言っていい。ガストレアウィルスの保菌者である朱莉もその影響を少しだが受けてしまう。できれば、今すぐにでも影響外へと抜けたい。
「………キュゥゥ(………ちょっと待ってろ)」
「う、うん」
少し経つとルナはゆっくりと朱莉を樹の枝へと降ろした。それを朱莉は不安そうに見つめる。
「キュォオ(心配するな、すぐ戻る)」
「……わかった」
渋々とだが頷いた朱莉にルナは小さく喉を鳴らして頷く。
そして一気に樹の枝から躍り出ると、森の中へと消えていく。
「……………」
やはり、ルナが居なくて不安なのか、朱莉はルナの消えていった方向からずっと、視線を外すことはなかった。
「キュオ(戻ったぞ)」
「っ! お、おかえり!」
朱莉の体感的には十分くらいだろうか。
朱莉が不安を抱え、消えていった方向に視線を向けてからルナはすぐに戻ってきた。朱莉はその一秒一秒がとても長く感じた。
少し目尻に涙を浮かべた朱莉にルナは少し驚きつつも、朱莉の愛の篭っているであろうタックルを受け止めた。
「なにしてきたの?」
「キュオォ(侵入の為の鍵をとってきた)」
「鍵?」
「キュォォ(あぁ、これが一番手っ取り早い)」
ルナの金色の双眸が樹の根元へと向けられる。つられて朱莉がその視線の先へと向ける。かなり高い所で陣取っているため、枝や葉が邪魔をして中々それを視界に捉える事が出来なかった。
しかし、地面だと思っていたそれがもぞもぞと動いたのを見て、初めてそれが
ーーーそれに視線をやり、ルナは心の中でニヤリと黒く嗤った。
◆◆◆◆◆◆
この薄暗い中の見回りほど嫌なものはない。
バラニウム弾を詰めた小銃を腰に吊ったまま、ザクザクとジャングルブーツの底で砂利を踏みしめながら歩く。陸上自衛官・
夜間のパトロールは週に一回必ず回ってくる嫌な仕事だ。なにせ、モノリスの磁場に護られていると言われても、絶対ではないのだ。それを辺りが見えづらい夜中となると緊張が収まることはない。森の奥にライトの明かりを不意に向けた時に写った樹のシルエットに恐怖して悲鳴を上げかけることなど日常茶飯事だった。
東京エリア外周区・第三十二区。
彰伊がパトロールしているのは、その生と死の境界線。
左手にライトの明かりを向けると、漆黒の壁が立ち塞がっている。その漆黒の建造物こそ、人類の切り札モノリス。
これを初めて近くで見た時は、人工建造物だとは到底信じられなかった。天を貫くように聳え立つそれは、人類最後の砦だった。
縦に一.六一キロメートル、横に一キロメートルもある長方形の超巨大なバラニウム建造物。その黒光りする金属塊は、全ての光を飲み込むようだった。
ピタっと触れてみるとスベスベとヒンヤリしている。この建造物に自分のバラニウム弾を何発集めれば出来上がるのか。何億発だろうか。
まさに、人類の神秘とも言える。
歩き詰めてようやくモノリスの端まで着くと、視界の広がる闇の世界を睨みつける。あの森の中に、自分の妹と母だったモノがいるのだろうか。この森の中で、終わりのない地獄を過ごしているのか、もうそんなことも思考できる意識も無くなってしまっているのか。
少し感傷に浸っていると、不意に呻き声が聞こえた気がして、慌ててその方角にライトの明かりを向ける。
ライトの明かりに照らされた森を見つめても、ガストレアの影は見えない。
心臓がばくばくと鳴り、過呼吸に陥ったように喘ぐ。あの時の恐怖が思い起こされそうになり、彰伊は首を振った。なにを怯えているんだ。ここはモノリスの間近だぞ。
十年前とは違うんだ。人類は勝利したんだ。そう自分に暗示をかける。
やっと落ち着いた時、何処からか風切り音が聞こえた。疑問に思う間も無く、ドスンッと何かが付近に落下し、急いでライトを向ける。
ライトの先にはモノリスとは違う、ぬらぬらと黒光りする体表。鋭い牙の生えた口からは鳥肌がたつような金切り音が聞こえる。
「が、ガストレア……!」
そんなのあり得ない。ここはモノリスだぞ。
いや、ダメだ。パニックになるな、落ち着け。心の中で何度も唱え、ゆっくりと腰から小銃を抜き、慎重にピントを合わせる。ガストレアはもぞもぞと動くだけでこちらに何かを仕掛けてくる気配はない。
そして、周囲から同じようにドスンッドスンッと聞こえた同時に、トリガーを絞る。肩に鋭い振動が伝わり、派手な銃口炎を上げてガストレアの目の一つを撃ち抜く。
ギィッと気色の悪い悲鳴を上げてもぞもぞ動くそれに向かって何度もトリガーを絞る。
カチカチという音が聞こえ、弾倉が空になったことに気づく。視線の先のガストレアは既に死に絶えていた。
やった、勝ったぞッ!
そう思った時、辺りからも銃声が聞こえてきた。
それを聞いて、急いで弾倉を補充して襲われている仲間の応援へと向かった。
向かった先では既に戦闘は終わっており、此方もまた仲間が勝利をあげていた。現場に立っていた先輩のところへと急いで向かう。
「先輩ッ。大丈夫でしたか?」
「……彰伊か。こっちは大丈夫だ。お前は?」
「大丈夫です。他の皆は?」
「いや、他も無事だ。怪我人はいない」
ホッと胸を撫で下ろす。
良かった、仲間は無事だったか。しかし、喜色を浮かべている自分とは違い、先輩である小名正隆軍曹の顔色は晴れない。
「どうしたんですか? そんなにしかめっ面で」
「……いや、な。ちょっとおかしなところがな……」
「おかしなところ?」
あぁ。と言いながら倒したガストレアへと視線を向けた正隆に、つられて彰伊も向ける。
「気づかないのか? こいつらの身体をよく見てみろ」
「えっ? 身体…………ッ!」
「気づいたか」
彰伊も正隆の言っていたおかしな点に初めて気づいた。先ほどまでは勝利の美酒に酔いしれていたが、その酔いも一瞬で覚めるほどの衝撃だった。
「脚が、無い………ッ!」
そう、脚がないのだ。まるで捥がれたように雑に抉り取られている。
急いで自分の倒したガストレアに向かう。
予想通りに此方もなかった。同じように捥がれている。
焦る気待ちを抑えながら、正隆の元まで戻る。
「……俺の倒した奴も、無かったです」
「……………カメラも、」
「?」
「……監視カメラも、一部破壊されていた」
「か、カメラ…? ーーッ! ま、まさか……!?」
嫌な汗が背中を走る。
だが、正隆はあぁそうだと肯定の意を表した。
「ーーこれは、人為的なものである可能性がある……! 急いで聖居に連絡するッ」
声を荒らげながら、基地へと走っていく正隆の背を、彰伊は嫌な予感が当たらないことを手を合わせて祈った。
◆◆◆◆◆◆
空を見上げると、太陽が静かに地球を照らしている。その光を高層ビルやマンションが遮っている。
その一帯を抜けると、そこは先ほどまで居た賑やかな街並みはそこには無く、ゴーストタウンのようだった。廃墟となった建造物が其処ら中に放置されている。
朱莉はそれに懐かしさを感じた。
「外周区………、戻ってきたんだ………」
呟きは風に乗り、消えていく。
帽子に隠れた三角耳がピクピクと動き、帽子をずらす。
少し前まで居た自分の故郷とも言える場所に帰ってきた朱莉は空を仰ぎ、少し感傷に浸る。
あの過ちから色々な事があった。その地獄の日々では後悔しかなかった。悔やんでも悔やみきれない思いで身を割かれそうだった。いつ殺されるのか。恐怖の日々だった。
だが、今はその選択に後悔は全くなかった。確かにあの日々は地獄だった。辛かったし、何度も泣いた。
でも、今はあの時の後悔や痛みを塗りつぶしほど幸せだった。
今は姿の見えないルナへ、朱莉は改めて感謝した。
「でも、あれ大丈夫だったかな……」
不安そうに自身の影に向かって問いかけると、その影はユラユラと揺れた。朱莉は大丈夫だ、と言ってるように見えた。
あの時、樹の根元に居たのはガストレアだった。
行ったことは至極簡単。
捕獲してきた息絶え絶えのガストレアを警邏網の中に放っただけ。十体ものガストレアが一気に降ってきたため、警備兵たちは阿鼻叫喚の渦だった。だが、ちゃんと捕獲してきたガストレアは全て脚を捥いでおいたから犠牲は出なかった筈だ。
それを囮にこっそり侵入したという訳だ。当然監視カメラの一部は破壊しておいたが。
「でも、なんで誰も居ないんだろう……」
朱莉が辺りを見回しても、人の気配というものがない。いつもはこうやって外周区に誰か入ってくると、誰かしらはひっそりと此方を監視する筈なのに。
「……ん?」
辺りを探して歩いていると、少し蓋のずれたマンホールを見つけた。
「もしかして………」
隙間に指を入り込ませ、力を少しだけ解放して思い切り開ける。
そして、開けたマンホールに素早く入り込み、中に入り蓋を閉める。しかし、完全には閉めずに少しだけずらしておく。でないと、外から開ける時に苦労するからだ。
マンホールの中は薄暗く、ぴちゃぴちゃと水音が響いている。
朱莉がマンホールに入ったのは、自分の時も使用した経験があったからだ。内部で子供たちの排斥運動などが起こったときなどはここに避難をしていた。外周区にいると殺される危険があるからだ。
しばらく、五感を頼りに進んで行くと、誰かの話し声が聞こえてきた。
内容までは聞き取れないが、少女と男性のような声。
もしかしてーーー。
そう思い、声の聞こえた方向へと走り出す。
人影はすぐに見えた。
「松崎さん!」
松崎と呼ばれた男性は、此方の声に驚いたように振り返った。
「その声は……朱莉ちゃんか!」
此方の姿を確認すると、松崎は朱莉にすぐさま駆け寄った。
「良かった………。内部の大人に連れて行かれたと聞いた時はどうしようかと無様に慌てていたが、本当に無事で良かった……」
「松崎さん……」
ギュッと此方を抱きしめる松崎に朱莉はルナと似た優しさを感じた。
少しの間、松崎は朱莉を抱きしめるとハッとなにかに気づいたように離れた。
「朱里ちゃん、大丈夫だよ。元々ここに居た子だ」
「……わかった」
朱子と呼ばれた少女はおずおずと近づいてきた。黒髪のセミロング、身体を見ても自分のように稀なことはないみたいだった。
「えっと、始めまして朱里ちゃん。琴音朱莉っていいます。よろしくね」
「………赤石朱里、です」
差し出された手をジッと見つめていた朱子だったが、恐る恐るその手を握った。握ってくれた手を見て、朱莉は嬉しくてギュッと強く握った。
「でも、どうやって此処に戻って来れたんだい?」
「それは………」
「ん?」
事情を話そうとしたところで、松崎の服の裾をくいくいと朱子が引っ張った。
「………そうだね、もうちょっと落ち着いたところで聞こうか。朱莉ちゃん、着いてきて」
「あ、はいっ」
朱子を先頭に歩き出した松崎の後を、朱莉は置いていかれないように慌ててその背を追った。
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