「けい……いち……ろう……」
バルクホルンは呆けた表情を浮かべる。死んだはずの上坂が現れ、思考が停止しているのだ。
「おう、さっき生き返ったんでな。助けに来た」
そう笑う上坂。しかし頭に包帯を巻き、羽織っているだけの軍服が風ではためくたびに腹部に巻かれた包帯が見え隠れしている。確かに機関砲を持ち、刀を差しているが、その姿は明らかに怪我人であった。
「生きてる……」
バルクホルンは恐る恐る上坂に手を伸ばす。
そして上坂の肩に触れる。
「――!」
彼女の指先に、確かな感触を感じる。それは上坂が確実にその場所にいるという証。
「ああ……」
「お、おい……」
バルクホルンはそのまま上坂の背中に縋りつき、顔をうずめる。彼の体温と匂いを感じ、彼女は本当に彼なんだと思った。
「良かった……啓一郎」
「……迷惑かけたな」
上坂は背中に縋りついてむせび泣く彼女のぬくもりを感じながら、生きていると実感する。それはどんなものより素晴らしいこと――生死の狭間を経験したからこそ、感じることだった。
「――――トゥルーデ」
僅かな時間だが、二人には長く感じた時間がたち、上坂はバルクホルンから離れる。彼女は不安そうな表情を浮かべ、上坂を見つめた。
「そろそろネウロイも待ちわびているみたいだから、決着をつけてくる」
見れば人型ネウロイは少し離れた場所でずっと待機していた。それまで攻撃してこなかったのが不思議なくらいである。
「待て、私も……」
「既にずっと戦って魔法力も厳しいし、武器もないだろう? それに――」
心配そうな表情を見せるバルクホルンに、上坂は決意の意志を見せる。
「――この戦いは、俺が決着をつける」
七年前に死亡し、ネウロイとなった上坂良子。七年前に生き残り、ずっと戦い続けてきた上坂啓一郎。二人は祖国から遠く離れたベルリンの空で再会を果たした。敵味方として。
それは運命の悪戯なのかもしれない。しかしそれには必ず意味があるはずだ。だからこそ上坂は戦う。生きるために、未来を掴むために――
「トゥルーデ」
上坂は不意に、バルクホルンを抱きよせる。そして耳元でそっと囁いた。
「――征ってくる」
そう言うと彼は彼女から離れ、決戦の場へと向かっていった――
「待っていてありがとう。ネウロイ――姉さんと呼んだ方がいいのかな?」
上坂は人型ネウロイと相対するなりそう告げる。しかし人型ネウロイは反応しない。虚空の瞳をこちらに向けているだけ。
「遠く離れた異国の地で姉弟の再会、それも敵味方同士で。なんとまあ不思議な話だよ」
「――――」
「そういえば姉弟げんかもしたことなかったよね俺達。どっちが強いのかな?」
「――――」
ネウロイは、何も答えない。ただそこにたたずみ、静かに闘志を燃やしているようにも見えた。
上坂は軽くため息をつくと、改めてネウロイを睨みつける。
「――まっ、そんなことはどうでもいいか」
そう言うと上坂は背負っていたホ5 20mm機関砲を手に持つ。同時にネウロイも三八式歩兵銃を構えた。
「さあ、最後の戦いを始めようか、
「――――」
そして、両者は同時に動く。
空戦に勝つための基本は相手の後ろを取ること。二人はそれを忠実に守り、横旋回による格闘戦を繰り広げる。
一見互角に見える旋回性能。しかしネウロイの方が徐々に内側に入ってきた。
(まあ仕方ないか。こっちはあまり無茶な機動は出来ないし)
戦闘機動を取る上坂は内心そうつぶやく。傷口はまだ完全にふさがっておらず、急激な機動をすれば傷口が開いてしまう。そうでなくともこの時点で鈍い痛みを感じているのだ。
(無茶な機動は最後まで取っておかないと……)
上坂はネウロイが後ろにつきそうになるのを見計らい、急降下。そのまま眼下にあるベルリン市街に突き進む。ネウロイも数瞬遅れて上坂の後を追った。
カールスラントの首都、ベルリン。ネウロイに支配され既に7年の時が経つが、街そのものの原型はとどめている。ベルリンの象徴ともいえるブランデンブルク門、かつて政治の中心として活発な議論が行われていた帝国議会議事堂……しかしそれ以外の建物は戦争によって一部が崩れたりしていた。
上坂はその街中を街灯よりも低い高度で飛行する。少しでも誤れば地面に叩きつけられる危険な飛行。普通ならまずやらないが、彼はこうすることでネウロイを引き離そうとする。それは成功したのか、ネウロイはあまり高度を下げてこなかった。
「よし、このまま……」
上坂がそう言った時だった。
ネウロイは上坂の前方にあったビルに向けてビームを放つ。ビルは真ん中あたりに攻撃を受け、爆発した。
「なっ……!」
脇を通り過ぎようとした上坂に、大小の破片が襲い掛かる。上坂は大きい破片は躱し、小さい破片はシールドで防ぐ。しかしそれでも破片は多く、間に合わなかった細かい破片が服や銃器に降り注いだ。
ネウロイはなおも上空から上坂の進路上にある建物に攻撃を加え続ける。上坂は次第に濃くなっていく土埃に辟易しながら、上昇に転じるタイミングを見計らっていた。
(落ち着け……こうなったら)
彼はもうネウロイを引き離すことを諦めた。ネウロイは彼の誘いに乗らず、上空から覆いかぶさるように追跡している。これでは引き離すことが不可能だからだ。
(……本当は使いたくなかったんだがな)
上坂の取った行動。それは上昇――それも、非常に緩やかなもの。まるでネウロイに狙ってくださいと言わんばかりの行動だった。
事実ネウロイは好機と見たのか、速度を上げて後ろから接近してくる。
(よし。そのままこい……)
しかし、それこそが上坂の狙い。彼はネウロイとの距離を確認しながら、タイミングを図る。
――そして、その時はやってきた。
(……今っ!)
ネウロイが近づき銃を構えた途端、上坂は急上昇を開始。それに追従するネウロイだったが、次の瞬間ネウロイの視界から
「――――!」
突然のことに戸惑いを見せるネウロイ。
その時、上坂は人型ネウロイに照準を合わせていた――
上坂が行った技――それはツバメ返し。別名捻り込みという技はループ(宙返り)の頂点でそのトルクを意図的に消し、急激な制動をかけて半ロール(横回転)して相手の後ろに付く大技である。しかしこの技は失速の危険が高く、また体にかかるGも凄まじい。生半可な腕前では絶対に使えない技――だからこそ、上坂は使ったのだ。最後の技として。
(大戦が始まって七年……その戦いもこれで終わる……いや、終わらせる!)
強烈なGを体に感じながら、上坂は機関砲をネウロイに向ける。それは外すことのない必殺の距離――
「いけぇっ!」
引き金が、引かれる。
そして、ホ5 20mm機関砲から必殺の一撃が――――放たれない。
「なっ……!?」
こんな時に起こってしまった故障。彼は知らなかったが、先ほどの低空飛行の際、ネウロイの攻撃で破片が機関砲に直撃し、機関部にゆがみが出来ていたのだ。それは本来の彼だったならすぐに気付いた事。だがいくらネウロイとはいえ、実の姉と戦っているという事実が知らず知らずのうちに彼に影響を与えていたのだ。
このときようやくネウロイが彼に気付き、銃口を向ける。
「ちぃっ……!」
上坂は咄嗟に機関砲を捨て、刀を抜いて銃を切り裂く。飛び道具を失ったネウロイはそのまま離脱しようとし、彼もその後を追おうとしたが、
「ぐっ……!」
突如わき腹に痛みが襲い、体勢が崩れた。見れば右わき腹から少なくない血が滲みだしている。先ほどのツバメ返しで受けたGの影響で、塞がりきっていなかった傷口が開いてしまったのだ。
内部からの鈍痛で体に力が入らず徐々に高度を下げていく上坂。右手に持つ刀、黒耀も赤く妖しく輝く光が徐々に弱まり、地の漆黒の刃の色を覗かせた。
(……これまでか)
上坂は薄れゆく視界に、刀を構えて急接近してくるネウロイの姿が映る。体の力が抜け、ストライカーのエンジン音が弱まるにつれて降下から墜落へと変わっていく中、彼は諦めに似た満足感を得ていた。
(……思えばこれまでよく生きてたな。でも、これでようやく休める)
22年――他の人に比べれば短かったかもしれないが、彼にとっては濃く、そして辛い戦いの連続だった。そしてそれが終わるのは、命を落とした時。そしてそれは近づいて来ている――
“ホントにいいのかよ? それで”
「――――!」
不意に聞こえてきた声。否、それは耳からではなく、直接脳に響いてくるものだった。
“お前には後悔は無いのか? やり残したことは無いのか?”
「…………ある」
誰かはわからない声――しかし、それは上坂の決意を思い越すきっかけとなった。
――トゥルーデ。
――好きな人がいる。共に歩んでいきたい人がいる。
体に力が戻ってくる。エンジンが再び唸りを上げ、姿勢を戻す。目の前には刀を構えたネウロイ。上坂も構え、黒耀ありったけの魔法力を注いだ。
「俺は……負けない!」
その時、黒耀に変化が起きる。黒耀石のような漆黒が徐々に薄まり、白い刀身へと変化していく。そして纏う魔法力の色は“青”――――
青白く光るその刀には、これまで彼が感じたことのないほど莫大な力があふれている。
上坂とネウロイ。お互いがこの一撃に賭ける。
「――――」
「貫け! 雲耀!」
――二人の影が、重なった。
一つの影と化した上坂とネウロイ。
――最初に動いたのは上坂だった。
「……がはっ!」
口元から血を吐く上坂。ネウロイの持つ漆黒の刃は彼の右わき腹の傷を再び突き刺し、内臓系にダメージを与えた。
――だが、彼は震えながらも、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「俺の……勝ちだ、ネウロイ」
ネウロイの中央部――ちょうど人間の胸部に深々と刺さった黒耀。軍服の切れ口から赤い光が漏れている。
ネウロイの弱点であるコア――赤い六角面で構成されたそれを黒耀が貫いたのだった。
「――――」
目を閉じ、眠っているようにも見えるネウロイ。やがて、胸から白い光が漏れ始めた。
(ああ……これでようやく戦いが終わる)
上坂もまた、白い光を浴びながら静かに目を閉じる。ネウロイは消滅するとき白い破片を周囲にまき散らすため、即座に離れなければいけないのだが、上坂は右わき腹を貫かれ、ネウロイは刀を離そうとしない。もはや離脱もかなわない状況。
「姉さん……ずっと一緒だよ」
上坂はそっとネウロイに体を預ける。彼の脳裏にバルクホルンのことがよぎり、心の中で謝罪の言葉を送った。
(すまない、トゥルーデ……どうか、幸せに)
――そのとき、
「――――えっ?」
不意に、体が押され、あっさりとネウロイから離れる。彼のわき腹には刀が刺さったまま。ネウロイが刀から手を離し、彼を押したのだ。
上坂は呆けた表情を浮かべながら、ネウロイに視線を向ける。
そこには微笑みを浮かべるネウロイ――否、良子の姿があった。
“あなたは生きて。啓一郎――”
「姉さ……」
刹那――視界が白く爆ぜた。
次回、遂に完結