――人間どもは軟弱なもの達ばかりだ。
我は一人、ずっと蔵の中で眠り続けていた。
なぜか? 簡単な話だ。誰も我を使いこなすことが出来なかったからだ。
我が生まれ変わった当初は、その変わった出で立ちから求める者が多く、それが争いの火種にもなったことがあったが、いざ我を手に入れた途端、誰もが我の与える力に怯えるのだ。
やがて、誰も我を欲しいと望むものが居なくなり、とある人間に預けられ、蔵で厳重に保管されることになった。
――つまらん。せっかく刀に生まれ変わったというのに。別に我は人間を取って食おうとは微塵にも思っていない。ただ心躍る、人間でいう血肉滾るような戦いを望んでいるだけだ。それが出来るのであれば我の力全てを与えるのに……
だが、その声が人間に届くことは無い。我はただ待つだけ。幸い刀は手入れさえしてくれれば1000年以上は軽く持つ。我を預かった人間は、その子孫代々我の手入れを怠ることだけは無かった。……もっとも、我の場合手入れしなくとも全く問題は無いのだが。
我は蔵の中で、来る日も来る日もただ退屈な時を過ごした。最初の頃は、たまに蔵に入ってくる人間が来たらすわ我を使ってくれるのかと期待していたが、そのほとんどが蔵の手入れのためであったり、例え我を持ち出しても手入れのためだったり……我を戦いに使ってくれる人間は現れない。
次第に我はそれが当たり前だと思うようになった。
――人間の言葉に果報は寝て待てということわざがあるからな。我を使ってくれる人間が現れるまで寝るとするか……
その後、寝て起きてを繰り返すこと約1000年。待ち望んでいた時がついにやってきた。
――……んっ? ほう、いつかの坊主か……
ある日の夜。最近めっきり蔵に人が入らなくなってきたと思い始めた頃、少年が我の前に立った。この前(と言っても十年近くも前。我にとってはついこの前なのだ)興味本位で我に触り、大泣きしていたこの家の長男である。
――懲りずにまた我に触りに来たか。……いや、違う
その表情。昔は優しそうな、悪く言えば弱気な少年だったが、今は頬に真新しい傷を負い、悲壮な、だが覚悟を決めた男の顔をしている。
少年は我に触れる。一瞬顔を顰めたが、すぐに鳴りを潜め、薄笑いすら浮かべる。
――驚いた。まさかこいつが我を使う時が来るとは……
我は驚く。初めて少年を見た時、瞬間的に彼は我を使いこなすことはできないと思ったのだ。
「やらない後悔より……やる後悔の方がまし……か……」
少年は我を握りしめてつぶやく。顔には我すら震えるほど獰猛な笑みを浮かべていた。
――いいだろう少年……いや、相棒。
我は誓う。我の力すべてを彼に捧げると。
――だから見せてくれ。血肉滾る、心躍る戦いを……
夜――
午前零時を少し回った頃、ミーナは廊下に立っていた。
彼女の視線の先には手術室に繋がる扉。そこでは今も上坂を救うため、医師たちが奮闘しているはずだ。
「……トゥルーデ。明日は作戦があるし、もう寝た方がいいわよ」
ミーナは廊下に置かれている椅子に座り、顔を伏せているバルクホルンに話しかける。7
「……いや、啓一郎の無事が確認できるまでは寝れない」
「でも……」
「すまんミーナ。でも、これだけは譲れない」
「…………」
ミーナとしては上官の命令を駆使してでも彼女を休ませたいと思っている。しかし当事者であった彼女が残りたいと思うのは当然のこと。他の隊員達も先ほどまでここにいて、ようやく部屋に戻らせたばかりだった。
(それに……トゥルーデは啓一郎に好意を抱いている……)
甘いということはわかって居る。それでもミーナは強く言うことが出来なかった。
「ミーナ!」
駆け寄ってくる二つの影。坂本とあともう一人、扶桑海軍の第二種軍装を着た男性。階級は坂本と同じ中佐である。
「美緒」
「啓一郎は? 大丈夫なんだよな!」
「まだわかりません。笹本さん」
笹本拓也。在ロマーニャ駐在武官であり、先のアフリカ戦線で行われた“ファラオ”作戦で物資集めに奔走し、影の成功立役者として知られる人物。ヴェネツィアでは主に補給でお世話になったため、ミーナも良く知っている。
「そうか……しかし、人型ネウロイが現れたか。これで四件目だ」
「そのことなんですけど……」
上層部には既に今回の件を報告しているが、彼を攻撃したのは彼のお姉さんであると言うことは伏せていた。ミーナはそのことを伝えると二人は驚愕する。
「なんだって!? 啓一郎のお姉さんが!」
「生きていた! いや、でもなんで啓一郎を!?」
「それについてはなにも……ですが、恐らくネウロイに操られているのではないかと」
以前ブリタニアで人型ネウロイの出現が確認されたとき、ミーナはあらゆる手を使って過去の人型ネウロイ出現の報告をかき集めていた。その時1941年、スオムスでの報告で、ネウロイが捕まえたウィッチを洗脳し、操っていたという事例があったのだ。ミーナは恐らく今回もそれと似た状況なのだろうと推測していた。
「……ともかく、この話は口外しないでください。このことが広まれば明日の作戦に支障がきたします」
「……だが」
「わかってるわ。明日の作戦で彼女が現れるかもしれないということくらい。でも、今このことを上層部に報告すれば作戦の延期……いえ、下手すると戦線の崩壊すら起きかねない」
ミーナは顔を伏せ、小さく呟く。
「……それに、私は啓一郎のお姉さんがそのようなことをする人ではないと信じたい」
「……わかった」
「確かにこの問題は報告しない方がいいな。下手すると啓一郎にまで被害が及びかねない」
坂本と笹本は戸惑いながらも、小さくうなずいた。
その時、手術室の扉が開いた。
「宮藤!」
中から医師たちと共に手術を手伝っていた宮藤が出てくる。彼女は手術中ずっと治癒魔法をかけていたのだ。
バルクホルンは彼女に詰めかける。
「……宮藤さん?」
ミーナは宮藤に声を掛ける。しかし彼女は手を震わせ、顔を伏せていた。
「……かった」
「えっ?」
「まにあわ……なかった」
「宮藤?」
彼女の後から、執刀医が出てきた。彼はミーナ達の前で立ち止まり、沈痛な面持ちで告げる。
「――我々は全力を尽くしたのですが、残念ながら……」
「うそ……だろ……?」
執刀医は黙って首を振ると、手術室へとつながるドアの前から避ける。
――手術室の中央に置かれた手術台。
その上にはシートをかぶせられた、人間のようなシルエットがライトに照らされていた。
「…………」
バルクホルンはおぼつかない足取りで手術台に近寄る。そして顔に掛けられていた布をそっと取った。
――まるで今にも目を覚ましそうな顔。
――右頬の見慣れた傷跡。
そこには上坂の骸が横たわっていた。
「私……必死で……傷はどんどんふさがっていくのにっ……心拍数とかっ……呼吸はどんどん小さくなって……」
「宮藤さんは良くやったわ。あなたのせいじゃない」
声を押し殺して泣き出した宮藤を、ミーナはそっと抱きしめる。
坂本は茫然とし、笹本は握り拳を握りしめ、それを壁に叩きつけた。
「……なぜだ、啓一郎」
バルクホルンが小さくつぶやく。
「言ってたじゃないか。ベルリンに行ってみたいって。私に伝えたいことがあるって! ……なんでだ……なんで……」
バルクホルンは物言わぬ上坂だった亡骸に縋りつき、嗚咽を洩らす。彼女の鳴き声は廊下に立つミーナ達の耳にも聞こえた。
「トゥルーデ……」
「……とりあえず司令部に報告しないとな」
暫くして、笹本は上坂の死を報告すべく、この場を後にしようとする。
「――いえ、待ってください」
しかし、ミーナは笹本を呼び止めた。
「……何かな? ヴィルケ中佐」
「司令部には上坂少佐の
「――――!?」
ミーナの発言に、廊下にいた全員が耳を疑う。
「ちょ、ちょっと待ってください! もう上坂少佐の蘇生はありえません! それなのになぜ……」
「そうだ! 現実を見ろ、ミーナ……」
「わかってる!」
執刀医に賛同する坂本だったが、ミーナの絶叫で皆押し黙る。
「そんなこと私だってわかってる……でも、啓一郎の交友範囲はあまりにも広すぎる。私達だけじゃなく他の統合戦闘航空団、各国のウィッチや要人達……もし啓一郎が死んだということがわかれば作戦にだって影響するのよ……」
上坂は今や数少なくなった大戦初期から激戦を潜り抜けてきたウィッチである。そして公にはされていないものの、多くの民間人を救い、傷つきながらも戦果を上げてきた彼を人類最強のウィッチとして慕い、ライバル視する者は非常に多く、ミーナですら彼の交友範囲を全て知ることは出来ていない。そんな彼が戦死したとなれば、一人の英雄を、友人を失ったとして士気に多大な影響を及ぼしてしまうだろう。
「それに、明日は最後の作戦……ネウロイを殲滅するか、戦いが長引くかが決まってしまうの。そんな作戦の前に彼の戦死を公表できないわ」
「だが、だからといってどうするんだ? 既に上坂は……」
坂本の疑問に、ミーナは毅然とした態度で告げる。
「ええ、だから啓一郎はネウロイの攻撃を受けて負傷、明日の作戦終了後、傷の悪化により戦死とします」
「そんな……」
「貴様……!」
笹本は詰め寄り、ミーナの襟首をつかむ。
「自分が何を言ってるのかわかってんのか! お前は死人にまだ仕事させる気か!」
「ええ、そうです」
彼女は静かに告げる。
「私にとって既に死んだ人間より、人類の未来の方が大切です。そのためには死人に鞭打つことも厭わない」
「…………」
笹本はしばらくミーナを睨みつけていたが、やがて手を離し、乱暴に言い捨てた。
「……地獄に落ちやがれ」
「ご心配なく。私はもう地獄に行くとこが決まっていますから」
「あ、あの、それって……」
話についていけてない宮藤はミーナに質問しようとするが、ミーナはそれを言わせない。
「聞いてたわね、宮藤少尉。この件の口外を禁止します。誰にも話さない様に」
「でも……」
「いいわね!」
「…………はい」
宮藤はただうなずくことしかできなかった。
「……以上より、今回の作戦は上坂少佐抜きで行われることになります。作戦に支障が出ると思われますが、各員協力してこの作戦の完遂を目指してください」
朝――
作戦前のブリーディング時に、上坂少佐の
「イチローが負傷か……作戦前なのに不吉だな」
「大丈夫かな……」
「上坂少佐が負傷……やはりベルリンのネウロイは強力みたいですわね。私達も気を付けなければなりませんわ」
「啓一郎さん大丈夫かな……」
「大丈夫だろ~ ケイイチローは殺したって死ぬような奴じゃないし」
上坂を心配する者、明日は我が身と気を引き締める者、単なる不幸だと楽観視する者、反応は様々だ。
「どうしたの? 芳佳ちゃん」
そんな中、リーネは隣に座る宮藤の様子がおかしいことに気付く。
「えっ? ……ううん! 何でもないよ」
宮藤は慌てて首を振るが、顔色は優れない。
(だって、言えるはずないもん。上坂さんが既に亡くなっていることを……)
上坂の死に立ち会った彼女だったが、ミーナの命令でそのことを話すわけにはいかない。もし話してしまったらここにいる皆が悲しむからだ。
(でも…………)
しかし、だからといって作戦後に上坂が死んだと伝え、実は夜中には既に死んでいたと知られたらどれだけ彼女達を傷付けるのだろう。間違いなくミーナに対して怒りの声が上がるはずだ。そしてミーナはそれを受ける覚悟でいる。彼女は一人で罪を背負う気なのだ。
「……私達が、上坂さんのぶんまで頑張らないとね」
「そうだね、芳佳ちゃん」
親友は力強くうなづいた。
「なお今回の作戦に限り、臨時としてハイデマリー少佐を副隊長として任命します。いいわね? ハイデマリー少佐」
「はい、わかりました」
ハイデマリーが頷いたのを確認すると、ミーナは改めて皆を見回した。
「――それではただちに格納庫へ集合するように。」
「了解!」
ブリーディングが終了し、格納庫へと向かい始める隊員達。そんな中一人、バルクホルンの僚機であるエーリカはミーナに声を掛けた。
「ミーナ」
「どうしたの? エーリカ」
「本当にケーイチローは
「それは……どうしてかしら?」
困ったような笑みを浮かべるミーナ。そんな彼女にエーリカは声を潜めて言う。
「……だって、トゥルーデの様子がおかしいんだもん。さっきから声を掛けてもずっとうつむいたままで……本当に負傷なんだよね?」
エーリカの言う通り、バルクホルンは最初からずっとうつむいたままだった。
ミーナは、しかしそれでも嘘を言う。
「……ええ、あまり詳しく言えないけど、啓一郎が負傷したのかトゥルーデを庇ったからなの。多分あの子責任を感じてるのよ」
「……そっか。まあ確かにそれならトゥルーデも落ち込むよね」
エーリカは何か感づいたのかもしれなかったが、屈託ない笑みを浮かべた。
「分かった。じゃあ今日の作戦をさっさと終わらせてケーイチローのお見舞いにでも行こうっ!」
(……ごめんなさい)
走り去っていくエーリカの背中に無言の謝罪を送るミーナ。
(必ずこの作戦成功させましょう。 ……啓一郎のために)
彼女は再び決意を新たにしたのだった。