「どうしたんだ?」
哨戒飛行中、バルクホルンは上坂が微笑んでいることに気付く。
哨戒飛行は敵の早期発見を行うために定期的に行う重要任務であるが、いかせんそんな毎日敵が現れるはずもなく、大抵は退屈な飛行だけが待っている。そのため最も人気のない任務の一つであった。
「んっ? ああ、ちょっとな……」
上坂は含み笑いを隠さずに話し始める。
「この前町に買い出しに行ったとき、以前助けた女の子からお礼を言われたのを思い出したんだ。面と向かってお礼を言われたのは初めてだったからな」
「そっか……」
誰だって人からお礼を言われたらうれしいもの。バルクホルンは上坂もまた同じなんだなと感じた。それと同時に先ほどのことを思い出し、彼女は頬を染めながら尋ねる。
「……そう言えばさ……啓一郎……」
「なんだ?」
「いや……その……、さっき結婚があんまり気が乗らないって言っていたが、あれはどういう意味なんだ?」
「ああ、あれか」
上坂は相槌を打ちながら語り始める。
「俺達は軍人だ。まして今は人類の存亡をかけた戦いの最中。そんな時に伴侶を迎えるとなると、下手したらその人を未亡人にしてしまうかもしれない。そう考えるとな……」
「…………」
ウィッチは普通の兵士に比べると明らかに戦死率は低い。しかし、だからといって死なないという保証はどこにもない。戦争とは常に死と隣り合わせなのだ。
「……まっ、俺もまだ若いしな。このことは戦争が終わったらじっくり考えるよ」
「……そうか」
(ということは、私にもまだ……)
バルクホルンはそう考えたところで、慌てて首を振った。
(何を考えているんだ私は! まったく……)
顔を真っ赤にさせた彼女は、何度も深呼吸をして息を整える。上坂はその光景を不思議そうに眺めているが、あいにく気付かなかった。
(……それに、私には祖国を復興させるという夢がある。それを叶えるまでは色恋沙汰などもってのほかだ)
彼女の夢――それは祖国カールスラントの奪還と復興。そのために戦い続けているんだと自分に言い聞かせる。しかし、そう言い聞かせても心の奥底ではどこか納得していない自分がいた。
「……それに、俺が幸せになってはいけないからな……」
「んっ? 何か言ったか?」
「いや、何でもない」
上坂が呟いた言葉は、風のせいでバルクホルンの耳に届かなかった。
『啓一郎! 聞こえる!』
その時、通信機からミーナの声が聞こえてくる。その声には焦りの色が浮かんでいた。
「どうかしたのか?」
『先ほどロマーニャ空軍からネウロイの出現を確認したわ! 現在敵はアドリア海を南下中!』
「了解。ただちに現場へ急行する」
上坂はそう返すと、バルクホルンを見やる。
「というわけだ。行くぞ、トゥルーデ」
「あ、ああ……!」
バルクホルンは返事をすると、上坂に続いて進路を変更した。
「……いた!」
無線連絡の通り南下していると、目の前に小さな黒い点を見つけた。
上坂達が増速し、近づくと徐々にわかる細部。それは一見すると輸送機みたいな外見をしていたが、そのサイズは200mをゆうに超える。黒いハニカム構造に所々にある赤い斑点――間違いない、ネウロイである。
「こちら上坂、敵機発見。これより攻撃を開始する」
『了解、そちらに援軍を送ったわ。それまであまり無理をしないように』
上坂は無線を切ると、高度を上げ、ネウロイの上方に位置を取る。
「行くぞ、トゥルーデ」
「ああ」
ミーナからは無理をするなと言われたが、二人は援軍を待つつもりはない。確かに大型ネウロイを相手取るときは複数機での連携攻撃が基本だが、二人の腕ならば特に問題なく撃墜できるだろう。それに……
(海岸線に近すぎる。このままの進路だと町に重なるな……)
このネウロイはどうやら基地に向かっているようだが、その前の進路上には基地から一番近い町がある。
そう、この前上坂が行ったあの町だ――。
(援軍を待って攻撃を仕掛けるより、ある程度弱らせておいてから合流した方が良いだろう。それに、もしかしたら間に合わない可能性もあるしな)
距離的には十分間に合うはずなのだが、何が起こるかわからないのが戦場。後続のバルクホルンもそれが分かっているらしく、素直に上坂について来ていた。
「よし、俺は上方から援護する。トゥルーデは一撃を加えてくれ」
「わかった」
バルクホルンはそう言うと急降下を開始する。上坂はそれを見送ると背負っていた二丁の機関銃を空中に放り投げる。
「――ゆけ」
短く一言。
放たれた無数の7.7mm弾の大部分は赤い斑点部に命中、一時的にネウロイの上部攻撃手段を奪う。そこへ突っ込むバルクホルン。彼女は両手に持ったMG42から7.92mm弾を放ち、近づいたところで銃を逆さに持ち替え、銃床でネウロイを殴りつけた。
衝撃で体勢を崩すネウロイ。だがバルクホルンが下方に抜けるや否や、上部を再生し始め、下方の残っている攻撃部位からバルクホルンを狙う。
無論上坂はただ黙って見ているわけではない。一丁の銃を下に潜らせ、射出地点を黙らせる。しかし一時的に上部への攻撃が薄くなってしまったため、ネウロイはあっという間に上部を再生、銃を操っている上坂に向けてビームを放った。
(くっ……、コイツ……固い……!)
今まで戦ってきた中でも一、二を争う固さ、そして再生速度の速さ。はるかに手強い相手である。ビーム弾幕をかわしながら、ホ5 20mm機関砲を撃つ上坂は焦っていた。
「啓一郎!」
「わかっている!」
はるか先に見える町並み。ネウロイをあそこに行かせるわけにはいかない――。
(くっ……! 援軍は……援軍はまだなのか……!)
援軍が来る様子はまだない。こうしている間にも、ネウロイはどんどん町に近づいていった。
「……! マズイ……!」
ネウロイは前部にビームを集め始める。その目標は恐らく――前方の町。
「間に合え……!」
前方に回り込んでシールドを張る余裕はない。上坂は懐から苦無を取り出し、それを投げつけた。その数、三本。
投擲された三本の苦無は、ほぼ同時にネウロイに命中、その衝撃によって大きく体勢を崩す。直後に放たれる高出力ビーム。しかし狙いは大きくそれ、街から少し離れた何もない場所に着弾した。
(――体勢を崩し、ビームを放った今なら……!)
上坂は腰の妖刀・黒耀を抜き、一気に増速してネウロイに接近する。
恐らく気付いているであろうネウロイだが、先ほどの攻撃で一時エネルギーを使ったために上坂の接近を防げない。
上坂は黒耀の切っ先に魔法力を集中させる。それに呼応するかのように赤く光る黒い刀身。
「――貫け、雲耀」
古来より扶桑に伝わる技――。一秒の二千分の一の速さで繰り出されるそれは、魔法力を纏った刀でなければ、風圧で折れてしまうほど強力な力を持つ。
それをまともに受けたネウロイは衝撃を全身に伝播、中核部分にあるコアまで達し、粉砕された。
「……ふぅ」
ネウロイだった破片が舞う中、上坂は安堵の息をつく。数km先には町があり、危うくネウロイの攻撃にさらされるところだったのだから無理もない。
「……相変わらずだな、啓一郎は」
バルクホルンが呆れた表情を浮かべながら近づいてくる。
「何がだ?」
「なにがって……、まあいい、どうせいつものことだし……」
「上坂さ~ん! バルクホルンさ~ん!」
「大丈夫ですか~!」
バルクホルンが痛む頭を抑えていると、基地の方角から宮藤達がやってきた。
「遅いぞ、エーリカ。何やってたんだ」
「いや~、ごめんごめん」
エーリカは対して悪びれた様子もなく、バルクホルンに謝る。その様子を横目で見ていた上坂。
(……んっ?)
ふと彼は先ほどネウロイが放ったビームの着弾地点に目が行く。
そこにはもともと何もなく、ただ大きな穴が開いている……否、その近くに何かが転がっていた。
上坂は気になって一人それに向かって降りていく。
「…………え?」
そこにいたのは一人の少女……いや、かつて少女だったもの。体中傷だらけになり、地面に血だまりを作っている。その右手には以前上坂が折った鶴が握られていた。
「あ……」
上坂の脳裏に、扶桑海事変の出来事が甦る。擱座した戦車――。破壊され、上を向いた砲身――。焼け焦げ、黒ずんだかつて人間だったもの――。そして――姉の遺骸。
――その瞬間、上坂の中でなにかが壊れた。