「……ああそうか。君達は彼のことを信頼していたそうだな。だが……」
マロニーは上坂の肩に手を置き、ほくそ笑む。
「彼は私の忠実な部下で、君達の行動を逐次報告していたのだよ。宮藤軍曹の脱走に関してもな」
「そんな……!」
宮藤は信じられなかった。昨夜上坂が見せたあの表情――あれが嘘には思えなかったからだ。
「そんなわけないじゃないですか! そうですよね! 上坂さん」
「…………」
上坂はこちらに向かって歩き始める。そのことに彼女達はホッとした。大丈夫、彼は裏切っていなかったんだと。だが――
「言ったはずだ。“やらない後悔より、やった後悔の方がまし”――やった後悔の方がましだと思ったからお前は行動を起こしたんだろう? これはお前の選んだ結果だ。――後悔だけはするなよ」
上坂は彼女達の手前で立ち止まり、言い放った。
いつもと変わらないはずなのだが、ひどく冷徹に聞こえる冷静な声。それが上坂が裏切ったことを裏付ける。
「そん……な……」
息を飲む宮藤。他の隊員達も驚き、怒り、哀愁、……さまざまな目で上坂を見ていた。
「…………」
不意に、うつむいていたバルクホルンが、つかつかと上坂に歩み寄る。そして――
パシィッ!
バルクホルンの右手が上坂の頬を力強く叩く。
慌てた周りの兵士から銃口を突きつけられるが、彼女は気にしない。
「なぜだ」
バルクホルンの震える声。
「なぜ……裏切った?」
顔を上げるバルクホルン。その瞳は潤んでいた。
「……これしか方法が無かったからだ」
頬をはたかれてもずっとバルクホルンから視線を外さなかった上坂は、そう答えた。
「だからって……だからって……」
両拳を握りしめ、うつむくバルクホルン。時折小さな嗚咽が聞こえた。
「…………」
上坂は何も言わず、かつての仲間達から背を背けた。
「……なんていうか、ケーイチローに裏切られるとは思わなかったな~」
ロンドンに向かう貨物列車に乗っていたエイラはそうつぶやく。彼女の隣には少し俯いているサーニャがいる。
エイラが初めて上坂に出会ったのは、1941年の冬、ちょうどネウロイが東部戦線で大攻勢をかけたときだった。
スオムスから派遣されていたエイラは、連日のようにネウロイと戦い、戦果を上げていた。そんな時、バトル・オブ・ブリテンが終結し、比較的戦力に余裕が出来たブリタニアから上坂が派遣されてきたのだ。
当初はただ名前を知っているだけだったエイラ。近寄りがたい雰囲気だったこともあり、話しかけることもなかった彼女だったが、ある日所属していた部隊がネウロイの攻撃によって大損害を負い、敵の大群に包囲されてしまったことがあった。
いくら未来予知を持つエイラと言えども、最早魔法力が尽き、最早これまでと覚悟を決めたとき、上坂が現れた。
単機では撃墜するのが難しいと言われる大型のネウロイの大群相手に、上坂は一人で突っ込む。エイラは無茶だと思った。しかし――
――数分後、その空域を飛んでいたネウロイはただの一機もいなかった。
(……あの時ほど驚いたことは無かったな……)
あの後から、エイラはたまに上坂に話しかけるようになった。
上坂と話していると、次第に無愛想な表情とは思えないほど、話を聞いてくれることが分かったエイラは、色々な相談をするようになった。家族のこと、友人のこと、……そのたびに親身になって話に耳を傾けてくれる上坂だった。
(……だから、どうしても腑に落ちないんだ……)
「エイラ」
エイラが考え込んでいると、サーニャが話しかけてきた。
「なんだ? サーニャ」
「……上坂さん、あの時寂しそうな眼をしてた」
「えっ?」
サーニャは顔を上げ、エイラを見つめる。
「わからないけど……上坂さんはどうしても、ああするしかなかったんじゃないのかな?」
「どうしてもって……どんな理由で?」
サーニャは顔を落とし、首を振る。彼女にもそれがわかるはずもなかった。
基地に一番近い飛行場で、オレンジ色の複葉機が滑走路に運び出されていた。
シルフィー ソードフィッシュ。ブリタニア海軍で使用されている、三座雷撃機。
本来なら廃棄されていたこの機体だったが、ある人物がこれを買い取ったため、今は民間機として登録されている。
「さ~て、帰るか~」
その人物――シャーロット・イェーガーは、ルッキーニと共に飛行帽をかぶり、操縦席に乗り込んだ。もちろん操縦するのはシャーリーである。
「うじゅ……」
後ろの席に座るルッキーニは、しかし力のない返事を返す。
「……どうした、ルッキーニ」
シャーリーは振り返り、慈愛のこもった目でルッキーニを見つめる。
「だって……おかしいよ! イチローが裏切るなんてさっ!」
「あ~……、確かにな」
シャーリー自身は上坂との付き合いは短い。だが、その短い期間でも上坂は忠義に厚く、頼りになる存在というのはわかった。
だからこそシャーリーもいまだに信じられない。上坂がマロニーに付いたことを。
「なんでなんだろうな~」
従軍経験が短いシャーリーにも、それがわかるはずも無かった。
「…………」
海沿いを走る、一台の高級車。その後席にリーネは座っていた。
彼女は少しずつ後ろに流れ去っていくかつての基地を見続けている。
(……なぜなんだろう?)
――ほう、なかなかやるじゃないか。
初めて501に来たときのこと。野菜の皮むきをやっていたリーネに上坂が言った言葉だ。
いつも無愛想だが、男の人が苦手だったはずのリーネは特に上坂に対して苦手意識を持つことは無く、それどころか積極的に料理の仕方などを教えてもらっていた。
その時に見せていた、不器用ながらも口元に笑みを浮かべた表情――だが、今日の上坂からは、そんな顔をしていたことなど微塵も感じられなかった。
(……あれは演技? でも……)
リーネはわかっていた。決して演技などであんな表情を出すことが出来ないことを。
「……あ」
窓の外で、基地から銀色の飛行物体が飛び立っていった。
「…………」
赤城艦上の人となった宮藤は、今上空を飛び去ったウォーロックを目で追い続ける。
(あれが……私の行動の結果……)
寂しそうに眺める宮藤の隣には、同じように眺めているペリーヌの姿がある。彼女の故郷、ガリアは未だネウロイの制圧下にあり帰る場所がない彼女は、どうせならと坂本のいる扶桑に行くことに決めたのだ。
「……かもしれんな」
「えっ?」
車椅子に乗っている坂本がポツリとつぶやく。
「あいつは多くの戦場で戦い……そして、多くの戦友を失ってきた。だからこそ、ウォーロックに頼りたかったのかもしれん」
いくらウィッチの生存率が高いとはいってもやはり戦争。この五年間で、多くのうら若き乙女達が空に散っている。
他の誰よりも戦場で戦い抜いてきた上坂は、これ以上仲間を失いたくない――だからこそウィッチを排除しようとするマロニーに付いたのではないか? 坂本はそうつぶやいた。
「……そんなの、傲慢ですわ」
「ああ、確かに。……だが、我々にその考えを否定することも出来ん」
「…………」
宮藤は上坂がいる、かつての基地を眺めていた。
「ウォーロック0号機、ガリアへと順調に進行中! このままいけば五分後には交戦に入る予定です」
「そうか」
かつて基地の管制室だった場所――そこにはウォーロック用の制御装置が並び、中央には大きなモニターが設置されている。そこから一段高い所で、ブリタニア空軍大将、トレヴァー・マロニーは指揮をとっていた。
「ようやく……ようやく閣下の夢が叶いますね。魔女などという化け物どもの跳梁を許すことなく、統率のとれた、真の男たちが戦う世界……」
隣に立つ副官が、誇らしげな表情を浮かべる。
「しかし想定外だった。こちらの戦力はウォーロック1機のみ。本来なら5機の完成を待って表に出る予定だったのだが……」
「閣下」
マロニーが珍しく言葉を濁していると、不意に声を掛けられた。
「……なんだね? 上坂大尉」
彼が視線を移すと、そこには上坂の姿が。
「これよりウォーロックの戦闘風景撮影の為、出撃します」
「うむ。よろしく頼むぞ」
上坂は一礼すると、司令室を出ていく。
「……よろしいのですか? 彼を置いておいて」
しばらくすると、副官が不満そうな表情を浮かべる。
「上坂大尉は我々の計画に必要な人物だ。彼が居なかったら、ウォーロック完成まで漕ぎ着けなかったのだぞ」
「確かにそれはわかりますが……」
元々ウォーロック開発はブリタニア独自で行う予定であり、その資金の大半は501の予算を削減して賄う予定だった。
しかしそれに待ったをかけたのが、ミーナの懐刀である上坂。彼は得意の交渉術で501の予算削減を抑え、ウォーロック開発が暗礁に乗り上げてしまったのだ。
頭を抱えるマロニー。そこに救いの手を差し伸べたのは、よりによって目の敵にしているはずの501隊員、そしてウォーロック開発を暗礁に乗り上げさせた張本人である上坂だった。
彼は資金提供の代わりに、扶桑にウォーロック開発のデータを渡す代わりことを要求。最初は渋ったマロニーだったが背に腹は代えられず、その案を飲むことにしたのだ。
副官は、しかしなおも食い下がる。
「ですが、彼もウィッチの一員です。これでは閣下の理想である真の軍隊には程遠い……」
「それ以上は言うな」
マロニーは帽子を目深に被り、口を開く。
「――心配はいらん。彼は――上坂大尉は、私の理想を理解してくれた男なのだ」
彼の視線は、窓の外に見える、たった今出撃していった上坂の飛行機雲を追っていた。
飛行機雲がたなびく空の下。
近くのバス停から基地を発ったミーナ達。彼女達は横並びになり、バスに揺られていた。
「いやーこれからどうしよっか? ロンドンで遊んでく?」
エーリカはおどけながら二人に尋ねるが、二人とも返事をしない。
「……も~トゥルーデったら、いつまで落ち込んでいるのさ」
「……私は必要ないのか」
ポツリとつぶやくバルクホルン。
「あいつには……私は必要なかったのか」
うつむきながら、再度つぶやく。いつも規則に厳しく、常に冷静たれと自分を律してきた彼女に、今はその面影はない。
「トゥルーデ……」
エーリカも内心傷付いていた。一緒に戦い、背中を預けてきた戦友の突然の裏切り――バルクホルンほどではないが、自分も考え――そして、考えるのを止めた。
「……わからないよ、ケーイチローの気持ちなんか」
「……そうだな」
静まり返る車内――
「……まったく、あなた達は……」
ずっと黙っていたミーナはため息をつく。彼女は魔法を発動させ、周囲を確認した。
「……どうやら監視もいなくなったみたいね。さて、次のバス停で降りるわよ」
「……どういうことだ?」
バルクホルンは顔を上げる。そんな彼女に、ミーナはにっこりと笑いかけた。
「決まっているでしょう。反撃、開始よ」