カリカリカリカリ……
執務室に上坂とミーナがいる。だが、二人は一切手を休めることなく机に向かっている。二人の手元には、部隊の予算請求やら、新たな訓練装備の購入要望書などがあり、二人の横には山のように積まれた書類の束があった。
だがよく見ると、二つの山の高さが明らかに違う。上坂の方は30㎝以上も積まれているのに対し、ミーナの方は5㎝もない。これはミーナに仕事を押し付けられたために起きた現象だ。
無論上坂も多少は抗議したのだが、上官命令には逆らえず、結局そのまま押し切られてしまったのだった。
「…………んっ?」
大量の書類を確認していた上坂だが、ふと一枚の書類に目を奪われる。それは、隊員達の休暇申請に関するものだった。
それを見ると、大半の隊員が所々に休暇申請をしているのだが、一人だけ全く申請をしていない人がいた。
「ミーナ。休暇申請についてなんだが……バルクホルンだけ休暇申請が無いぞ?」
上坂がミーナに尋ねると、ミーナはサインをしていた手を休め、顔を上げた。
「えっ……? ああ、それね……」
「……?」
ミーナがため息をつく姿を見て、上坂は疑問に思う。
「……トゥルーデったら、全然休みを取っていないのよ。おかげで一年ぐらい有給休暇が溜まっちゃって……」
「一年だと?」
さすがの上坂も驚く。と共に、確かにバルクホルンが休暇を取っている姿を見ていなかったことに気付いた。
「確かに全然あいつが休んでいる所を見ていなかったが……強引にでも休みを入れさせなかったのか?」
「そうしようとは思ったんだけど、私に休みはいらないって言って押し切られちゃって……」
ミーナはそういうと、珍しく頭を抱える。
「あーもう。トゥルーデのこともあるのに、マロニーったら……!」
「……ああ、予算のことか」
書類仕事を手伝っている(?)上坂は、徐々に予算が少なくなっていることに気付いていた。
「ええ、そうよ。……まったく、何とかならないかしらね」
それはトゥルーデのことか、予算のことか――恐らく両方だろう。
「予算の方は、何なら今度の会議に出席するか? ある程度空軍にはツテがあるし、増やすことは無理でも、現状維持になら持って行けるかもしれない」
「本当! それは助かるわ!」
ミーナが身体を起こして、目を輝かせる。よほど予算のやりくりに苦労していたことがうかがえた。
「まあ何とかやってみる」
「お願いね。……あ、そういえば」
ミーナはふと、この前チャーチル首相に会った時のことを思い出す。
「チャーチル閣下が、あなたのことについて聞いてきたけど、知り合いなの?」
「んっ? ああ、閣下とはバトル・オブ・ブリテンでな」
「えっ?」
ミーナは疑問に思う。なぜなら、バトル・オブ・ブリテンはダイナモ作戦の後に起こったブリタニア防空戦のことを指すのだが、その前に東部戦線に行く上坂を見送ったからだ。
ミーナがそのことを言うと、上坂がバツが悪そうに頭をかく。
「いや、実はあの時乗っていた輸送船が、途中でネウロイに襲われてブリタニアに戻ってきて、そのままなし崩し的に参加することになったんだ。だから東部戦線に行ったのは、その後なんだ」
「そうだったの……」
どの戦場にも必ず啓一郎っているのね、とミーナは、心の中でそう思った。
よくない兆候だな――
廊下を歩きながら、バルクホルンは自身の精神が、良くない状態になっていっていることを感じていた。
今日見た夢―― 故郷が炎に焼かれた光景が瞼の裏に甦り、彼女の心を傷つける。
此処は最前線であり、戦場に最も近くて、そして死に近い。見る方向を誤れば仲間にも大きな危険を招く。
だが、一度考え込むと、それを容易に消すことが出来ない。
(ここは戦場だ。……死にたくなければ帰れ)
昨日宮藤に言った言葉。彼女は弱い。だからこそ強くならなければならない。だが、ネウロイはそれを待ってくれない。それに――
「バルクホルン」
後ろから名前を呼ばれ、バルクホルンは思考を中止し、振り返る。
「ちょっと話があるんだが」
そこには上坂がいた。
「なんだ。手短に頼む」
「なに、休暇の件だ」
「……休暇はいらない。それはミーナに言ったはずだぞ」
バルクホルンは冷たく言い返す。その様子を見て、上坂は大きくため息をついた。
「まったく、……新人の言動がそんなに気になるのか?」
「……!」
「……図星か」
上坂は、後ろ髪を掻きながら続ける。
「あいつらはまだ戦場のせの字も知らないやつだ。そんな奴の言動をいちいち気にしていたら身が持たないぞ」
「なんだと……!」
バルクホルンは、自分の考えていたことを当てられ、激昂する。だが、上坂はいたって冷静だった。
「確かにあいつらの言っていることは甘い。だがな、時にはその甘さだって必要なんだ」
「そんなわけないだろう!? お前は何言っているんだ!」
バルクホルンは思わず上坂の胸ぐらをつかむ。過酷な戦場を一緒に戦ってきた仲間が、尊敬していた仲間が、そんな考えを持っていたことが彼女には信じられなかった。
だが、上坂はそれを苦とも思わず、冷静に彼女の瞳を見続ける。
「……くっ!」
バルクホルンは乱暴に手を放す。上坂は乱れた襟を正した。
「……お前の言っていることは間違ってはいない。そして、宮藤の考えもまた間違っていない。お前にだってわかるだろ?」
正しいものなどない、あるはずがない。それが上坂の考え。昔からそういう考えだと知っている。しかし、それは今の彼女には到底受け入れられないものだった。
「……勝手にしろ」
「バルクホルン」
そのまま立ち去ろうとしたバルクホルンを、上坂は呼び止める。
「……人間、一人で生きてるつもりになっても、誰かを支えてるつもりでも、結構誰か支えられて、世話になってるものだぞ」
「…………」
バルクホルンは何も言わず、そのまま立ち去った。
高速で飛ぶウィッチたちが姿勢を変えたときに、ストライカーユニットの翼端から生まれる白い飛行機雲が、大空に描かれていく。その様子を坂本とミーナは滑走路から眺めていた。
現在飛んでいるのはバルクホルンとハルトマン。第501統合戦闘航空団、そしてカールスラントが誇る二大エース。
その機動は文句のつけようの無いほどに、熟練したものである。だが、それを見上げる二人の表情はどこか浮かない。
「バルクホルン……ノれてないな」
「ええ、遅れがちね」
坂本が呟く。 誰の目から見ても完璧に近いバルクホルンの飛行に、かすかな違和感を感じていた。
彼女をよく知らない者なら勘違いじゃないかと思うだろう。
だが、バルクホルンをよく知り、己も経験をつんだウィッチである坂本には、はっきりと違いが分かる。良く目を凝らすと、確かにバルクホルンの描く飛行機雲が本当に僅かだがブレていた。
「調子が悪そうだな。 次のシフトは外したほうがいいか?」
「他の子が使えるようになってきたとはいえ……エースが一人抜けるのは少し不安よね」
視線を空から地上に向けてミーナがそう答える。 視線の先には滑走路をランニングしている芳佳とリネットの姿があった。
確かに芳佳もリネットも使い物になりつつある。だが、バルクホルンに替われるかと言えば、全員が確実にノーと答えるだろう。
「だが上坂もいるだろう? 上坂ならバルクホルンと同じく火力支援にも向くし、指揮能力は上坂の方が上だ」
「それはそうなんだけど……」
ミーナも確かにそれは魅力的な提案だった。彼は公私とも非常に信頼できるし、何より新人との相性もいい。
だが、上坂は既に炊事、洗濯、書類仕事、戦闘指揮をやっていて、さらにこれから上層部との予算交渉にも出てもらおうと考えていたので、これ以上は確実にオーバーワークになってしまう。
「……さすがに彼に頼りすぎるのもどうかと思うわ。……と言っても、他に有効な手立てはないのよね……」
もう一人ぐらい啓一郎がいてくれたらいいのに……、と愚痴をこぼすミーナに、さすがにそれは……、と返す坂本。
そんな会話をしている二人の上で、新たな飛行機雲が描かれていた。