「ほれ、ホットミルク。これで目を覚ませ。それとこっちは、哨戒中にお腹がすくと思ったからサンドイッチを。あと水筒には、あったかい紅茶を入れておいた。最近めっきり寒くなったからな」
「あ、ありがとうございます……」
椅子に座って待っていたサーニャは、まるで母親の様に立て続けに繰り出される言葉に、少しばかり戸惑いながらも、差し出されたマグカップを手に取り、一口飲む。
温かく、ちょうど良い温度に調節されたミルクがのど元を通って体の中に落ちていき、次第に目が覚める。
「そうだ、アップルパイを作ってみたんだが……食べるか?」
「アップルパイ……ですか?」
――似合わない。
サーニャは失礼ながらも、心の中でそうつぶやき、上坂がエプロン姿でアップルパイを焼いている姿を想像してしまう。
「……ふふっ」
思わず微笑んでしまったサーニャを見て、上坂は怪訝な顔になった。
「どうかしたのか?」
「いえ……何でもありません。いただきます」
「そうか」
上坂は肩をすくめると、台所に戻り、焼き立てのアップルパイを持ってくる。そしてサーニャの目の前で八等分に切り分けて、その一切れを小皿に乗せて差し出した。
「ほれ」
「どうも」
サーニャはその一切れを手で口元まで運び、一口噛む。
サクッ
サクサクのパイ生地の中に、濃厚でいて、それでいてさっぱりと甘酸っぱいアップルジャムが、口の中に広がる。
「……おいしい」
「そうか。それはよかった」
上坂は顔をホッとした顔になり、近くにあった椅子に座って、懐から煙草を取り出し――バツが悪そうな顔になって、渋々とそれをしまった。
「……どうしたんですか?」
「いや、他の奴がいる所では吸えんからな」
「別にいいですよ。煙草ぐらい」
「そう言うわけにはいかんだろう。健康に悪いし」
「……それなら、吸わなければいいのでは?」
「それを言うな」
上坂は憮然とした表情になって――ふと思い出す。
「……どうかしましたか?」
「いや……。昔、同じようなやり取りをしたことがあったと思ってな……」
「昔……ですか」
「ああ。あれは……確かオストマルクの時……だったかな」
「オストマルク……」
サーニャは大戦初期、上坂がオストマルクで戦っていたと、エイラが言っていたことを思い出す。
「ああ。……よく突っかかってくる奴で、そんなに腕も良くないのに突っ走って……だがひたむきでまっすぐな目をしていた奴だ」
上坂は昔を懐かしむように語る。
「その方は……」
「オストマルク撤退の少し前にな……。ネウロイの攻撃をまともに受けて……」
「そうですか……」
サーニャは居たたまれなくなって視線を落とす。彼女の視線の先には食べかけのアップルパイがあった。
「あの時もこうやってお菓子を作って…… 絶望に支配されていたあいつらの士気を何とか繋ぎ止めたっけな」
上坂は視線を落としたサーニャを見て、苦笑する。
「……すまなかったな。過去の話なんかして」
「いえ……、その……」
サーニャは言葉を続けようとしたが、上坂はそれを手で制した。
「いやいい。……すまなかったな。夜間哨戒頑張ってくれ」
そういうと上坂は残りのアップルパイを冷蔵庫にしまい、食堂を後にしようとする。
「あの……!」
だがサーニャが珍しく声を上げ、上坂は立ち止まった。
「上坂さんは……そういった人を無くすために、わざとエイラ達と模擬戦をしたんですよね?」
サーニャは、先ほどエイラから今日の模擬戦についての愚痴を聞いていた。
「…………」
上坂はサーニャの方を見ずに、黙ったままだ。
「エイラは上坂さんのことが嫌いだって言っていたけど……、でも! ……上坂さんは優しい人だと私は思います」
「……そうか、ありがとう」
上坂はポツリとつぶやくと、食堂を後にした。
翌日――
「上坂」
鍛錬が終わり、上坂は朝食を作ろうと食堂に向かっている時、突然後ろから呼び止められた。
上坂が振り向くと、そこには坂本が立っていた。今は早朝で、ほとんどの者は眠りについているが、坂本も朝早くに鍛錬をしているから起きていても不思議ではない。
「どうした?」
「今日なんだが、昨日と同じく模擬戦をやりたい。いいか?」
「構わんぞ、そのくらいは。ただ、あいつらの連携が取れない限りは……」
「わかっている。さすがにあいつらも、昨日の模擬戦でプライドをへし折られたからな」
坂本は苦笑する。
「そうか……」
「あ、待ってくれ」
そのまま歩き出そうとした上坂を、坂本は慌てて呼び止める。
「なんだ?」
上坂は顔だけを向ける。
「いや…… すまないな、こんな役を押し付けてしまって」
「……構わんさ。このくらい」
上坂は軽く肩をすくめると、今度こそ食堂へ歩を進めた。
「……みんな準備は済んだ?」
静かな朝食を終えた後、夜間哨戒を終えたサーニャ以外の隊員達は格納庫に集まり、それぞれ自分のストライカーユニットに足を滑らせる。
「ああ」
「大丈夫だ」
「オッケーだよ」
「……それでは、全機発進! 高度6000で待機!」
「了解!」
ミーナの号令一下、全員が大空へと飛び立つ。
全部で九条の飛行機雲が、上空に向かって綺麗に伸びていく。その光景は、恐らく見る者に感動を与えるだろう。
しかし当の本人達はそんなことを一切考えず、ただ己の成すことだけを頭の中で復習していた。
やがて高度6000mに到達する。そして上坂だけが皆の前に進んだ。
「……さて、昨日と同じく俺を撃墜したら訓練終了だ。今回は坂本とミーナも参加するんだよな?」
「ああ」
「ええ。私達も、参加させてもらうわ」
「そうか…… というわけで。 戦闘開始」
上坂が静かにそう告げると、全員が一気に散開した。