イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは聖杯である。そうである為に生まれ出て来る前から様々な処置を施され、産まれてきてからは聖杯として、マスターとして育てられた。
体その物が聖杯として稼働するための礼装と言っても過言ではない。しかし、聖杯の核はイリヤの心臓だ。それがなくてはイリヤは聖杯足り得ない。
その聖杯の、イリヤの核を創名は握っていた。
城中に響くバーサーカーの慟哭は、剣群に刺され、死に行く中での断末魔か、主を守れなかった悲哀か。
「聖なる杯よ、我が内の破片と混じり、我が中で巡れ。」
その耳を突き刺す声を無いもののように扱い、創名は手の中の心臓へと囁く。心臓はドクンと一度鼓動した後、創名の胸へと吸い込まれていった。
それと同時に、主を喪ったバーサーカーも消える。
「派手にやりましたねぇ。死んでません?」
「心臓に一撃だから、即死だろうね。」
バーサーカーを拘束していた天の鎖を回収してアサシンがやって来る。軽口を叩く彼に、創名は呆れたように見ながら、何かを要求するように右腕を出す。
「はいはい、わざわざこの為に取ってきたんですよね。」
アサシンが言いながら取り出したのは衛宮の魔術刻印が刻まれた肉塊の入った瓶だった。創名はそれを受け取り、瓶の蓋を開け、肉塊を取り出した。
「アサシン、城の中にホムンクルスが居るから止めておいて、2体いて、1体はイリヤと連動して機能停止してると思うけど。」
「バーサーカーの次はホムンクルスですか?まぁ了解しました。」
創名の命令に肩を竦めながらアサシンは城の奥へと入っていく。
アサシンが立ち去った城のホールで、創名は心臓を失ったイリヤの傍らに立つ。
「起きろ。」
口に出したのは魔術回路を起動する言葉、正当なる聖杯を取り込んだ創名の魔術回路は魔力が流れる度に聖杯の膨大な魔力と性質の違いによって傷つけられ、固有結界の制限展開によりすぐにもとの状態に戻される。常人ではショック死しかねない激痛が続く中、創名は集中を切らすこと無く魔術を組み上げていく。
「水は高きより低きに落ちる。それは真。
血は親より仔へと受け継がれる。それは理。」
創名の詠唱に反応するようにイリヤが沈む血の海が揺らめく。
「受け継がれ続けた叡知の結晶よ。
受け継ぐべき叡知の仔よ。」
魔術刻印をイリヤの胸へとかざしながら詠唱は続く。詠唱に合わせて血が鮮やかさを増していく。まるで酸素に触れる前へと戻ったようだ。
「仔を思うならば形を変えろ。
父を思うならは変化せよ。」
ドロリ、と魔術刻印を刻まれた肉塊の形が崩れ、イリヤの胸へと吸い込まれていく。
「残されし遺産よ。感涙せよ。
遺された仔よ。哀しむことなかれ。」
既に空となった手をイリヤに向けながら、創名は詠唱の終句を紡ぐ。
「巡りに巡り、絆は結ばれた。
ここに継承は完了せり。」
「ふぅ、施術完了。」
創名はイリヤの状態を確認する。気を失っているが、それだけであり、しっかりと息を吹き返していた。
創名がイリヤに行ったのは、魔術刻印で代用した臓器移植のようなものである。
そもそも魔術刻印とは、魔術師の家系が自身が高めた神秘を時代に受け継がせる為の物であり、魔術師にとって命よりも重い物とさえ言えるのだ。それらを踏まえ、魔術刻印は人工臓器とさえ言える。本来ならば同じ家系でも拒絶反応が起こり、それを押さえる労力が必要となるが、イリヤはホムンクルスであり、人とは条件が違う。ましてや血が繋がった者の刻印なのだ、心臓の代わりに埋め込むという荒業によるリスクもデメリットも通常の魔術師に同じことをした場合とは比べ物にならない程低い。魔力も潤沢に使われたため、時を置かずに目覚めるだろう。
セラとリズの足止めをしているアサシンに念話で引き上げる事を告げて、玄関へと向かう。
「シロウの言う通りなのね。」
門へ向けて進みだしていた足が止まる。振り替えれば床に寝転んだまま目を開けたイリヤがいた。
「よくもバーサーカーを倒してくれたわね。」
「恨み言を言うために起きたの?それなら女の執念って恐ろしいねぇ。」
「それも有るけど、それだけじゃないわ。」
イリヤは言いながら身を起こす。その瞳には言うほどの怒りはない。
「お礼を言わせて。キリツグの魔術刻印、ありがとう。」
「心臓を抉った相手に対して言うことじゃないね。」
「それでも言うの。だって、アナタにとっても大切なキリツグの遺産だったんでしょう?」
茶化すように言う創名を、見透かすようにイリヤは言う。
「刻印から、少しだけキリツグの記憶が見えたの。キズナが言ってた事が本当だったことも分かった。小さい頃のシロウとキズナも可愛かった。」
嬉しそうにイリヤは言う。実際に嬉しいのだろう。それは、キリツグが持っていた家族の思い出だ。それをわずかでも共有出来たのがイリヤとっては一時の死を許せるほど価値の在るものだったのだ。
無邪気だった少女の中に、自分を思いやるような感情を見つけ、創名は眉をしかめる。妖精のようだった少女が急に成長して見えたからだ。
「ねぇ、シロウに会ったの、その時シロウは言ってたわ、弟が自分と向き合ってくれないって。」
士郎とイリヤは昼間に邂逅し、少し話しただけだ。それでも分かるのだ。少女にポツリと溢してしまった言葉がどれだけの重い悩みなのか、だって、イリヤは士郎と創名の『お姉ちゃん』なのだから。
「わたしを姉だって思うなら、わたしのお願いを聞いて?」
ねぇキズナ。そう呼ぶ声はわがままな弟をなだめる姉のようだった。
「シロウと向き合って、逃げ続けるんじゃなくて。わたしはもう負けたマスターだから、キズナの聖杯の使い方に何かを言う権利はない。けど、士郎は違うでしょう?だから、キズナはシロウと戦わなくちゃいけない。そうじゃなきゃ、聖杯戦争は終わらない。」
雪のように静かな瞳、けれどそこにある意思の強さは本物だった。
「言いたいのはそれだけ?」
「ええ。」
「そう、それじゃあ、もう行くね。」
創名は感情を殺したような無表情でそう言って歩き出した。丁度、城の奥から出てきたアサシンがそれに続く。
イリヤはアサシンに足止めされていた自分の従者が走ってくるの感じながら創名の背中を見送り続けた。
「脱落したのは、ライダー、アサシン佐々木小次郎、キャスター、ギルガメッシュ、ランサー、バーサーカー。」
城からの帰る途中、創名が声を出す。横に並ぶアサシンは黒衣に骸骨を模した仮面の姿だ。成り代わったままではギルガメッシュの魂が聖杯に注がれないので、宝具を解除し、アサシンの姿に戻る必要があったのだ。それにより、聖杯には十分な魔力と魂が注がれ、完成する。はずだった。
「成り代わる代価として、相手の魂の一部を取り込むってのは予想外だった。」
アサシンさえ把握していなかった宝具のデメリット。それが、乗っ取った対象の魂の劣化だ。これにより、佐々木小次郎とギルガメッシュの魂がわずかに弱まった。その結果、起きたのが聖杯完成に足りなかったという事態だ。劣化した小次郎とギルガメッシュの魂は合わせて2騎分程度であり、ライダー、ランサー、バーサーカーはバーサーカーの規格外さにより4騎分、合わせて6騎分の魂しか聖杯にくべられていないのである。キャスターは自身を小聖杯ではなく大聖杯へとくべたが、それがここに来て響いている。本来、聖杯を願望器として使うだけなら5騎分の魂が有れば事足りる。けれど、創名の目的は
「あのときは大した事じゃないと思ったけど、ここまでなるとは、流石、裏切りの魔女。」
「ホント申し訳ない。」
創名が嘯くのを聞いて、アサシンは体を縮める。魂の劣化、というよりもアサシンが成り代わったサーヴァントの魂の一部を吸収していたのだ。なので、アサシンを自害させることで聖杯に注がれる総量は変わらない。むしろ8騎分の魂を湛えた聖杯は創名の目的を果たす上で好都合だ。
「さぁ、マスター。目的の場所に向かいましょう。そんで、俺が死ねば、聖杯戦争は貴方の勝ちだ。」
「・・・」
気を取り直した様に言うアサシンの声に、創名は沈黙する。何かを考えるように、葛藤するように、口を閉ざす。
「アサシン、申し訳ないんだけど、最後に自分の我が儘を言ってもいいかな?」
「何なりとどうぞ。」
「士郎と戦わなくちゃいけない気がするんだ。」
創名の言葉にアサシンは僅かに驚く、己のマスターが口にしたのは、自身が召喚されて初めての戦争の勝敗に支障が出る願いだったからだ。倒せたはずのセイバーとアーチャーを見逃してきたが、その2騎は倒さずとも聖杯を完成させる事ができる。わざわざ切嗣の遺産である魔術刻印を使ってまでイリヤスフィールを生き返らせても、サーヴァントのいない彼女はどんな障害にもなり得ない。
しかし、今回は違う。士郎と戦わなくても、このまま行けば目的は達成できるのだ。それなのに、士郎と戦うということは、敗北する可能性が生まれる。目的が達成できなくなるかもしれない。自分で言っていた起こり得ない本戦を起こそうとしているのだ。
目的の達成を遠ざけようとする創名の行動、それは、アサシンへの裏切りとも言える行動だった。しかし、
「貴方の思うがまま、願いのままに。マスター、貴方が必要だと思うならば、俺に否はありません。」
しかし、アサシンは創名にそう言った。
「おや、意外そうな顔をしてますねぇ。マスター、覚えておいてください。正義の味方の誕生、誰もが信じうる正義の誕生は俺の悲願だ。けれど、正義の味方を誕生させようとする貴方もまた俺にとって正義なんですよ。」
だからこそ、アサシンは創名に頭を垂れる。目的の一致、それよりも、マスターとなった少年の生き様を正義と信じるが故に・・・
「さぁ、マスター。そうと決まれば準備をしましょう。せっかくの最終戦です。どう戦うか、万全の策を用意しようじゃありませんか。」
「・・・ありがとう、アサシン。」
暗殺者のサーヴァントとそのマスターは小さく笑い合い、計画をたて始める。それぞれが正義と信じるモノの為に。
士郎がそれに気づいたのは当然のことだった。創名を逃がした後、取り敢えずは遠坂の屋敷に戻ったのだが、士郎は昨日出会ったイリヤというマスターの少女を探しに外に出ていた。
昼間の時間だから大丈夫だという士郎と他の者達の間でかなり揉めたが、視線避けの礼装をつけたセイバーが少し離れて護衛するということで落ち着いた。
そんな士郎の前に、銀色の小鳥が墜ちて来た。その小鳥が自然の物ではないのは、金属性だと一見で判断できる翼からして明らかだった。
気づけば周囲に人通りは無く、セイバーが素早く駆けつけていた。
「やあ、士郎。久しぶり、と言いたい所だけど、昨日ニアミスで会っちゃってるね。」
「創名・・・」
小鳥から発せられたのは自分とよく似た声だった。
「何の用ですか?キズナ。」
「何の用かというと、お知らせに来ただけさ。」
小鳥は勿体ぶる様に姿勢をただし、言葉を流す。
「残りのサーヴァントは君達とアサシンだけだ。聖杯も自分が押さえている。」
「なッ!?」
小鳥の声に士郎もセイバーも驚愕する。確かに、予想では早ければそうなっている可能性があると思っていたが、実際に知らされると驚かずにはいられない。
「聖杯戦争は今夜終わる。士郎、自分達が生まれた場所で待ってるよ。」
「それは、逃げないって事か?」
「そういうことになるね。士郎こそ逃げないでね?」
「分かってる。楽しみにしてろ。」
士郎と会話を交わし、小鳥は満足したように倒れると呪詛の炎を僅かに上げて燃え尽きた。
「・・・士郎、罠ではありませんか?此方を誘導してキズナは別の場所に居る、その可能性は考えておくべきです。」
「罠だって分かっていても、手がかりがない以上行かなくちゃいけない。それに、罠なら
「貴方たち、シロウとキズナが生まれた場所、ですか。」
「ああ、戻ろう、セイバー。準備をしなくちゃいけない。」
何かを決心したように言い切り、士郎は踵を返す。
「いったい、どこを指しているのか、教えてください。士郎。」
セイバーは士郎に問う、答えは分かっているのだろう、それでも聞かなければならなかった。
「創名が待っているのは冬木中央公園。かつて、大火災が起きた場所だ。」
士郎は振り返らずに答えた。
その場所は、セイバーにとって自分の罪の象徴だ。自分たち英霊と魔術師達が願いを懸けて戦った結果生まれた悲劇の場所。士郎も創名もそこで生まれた。そう思っているのだ。
「シロウ。貴方に勝利を。」
「ああ。」
剣の英霊とその主は歩き出す。かつての贖罪の為に、破滅へと進む者を止めるために。
次回から最終決戦、クライマックスです
もう少しのお付き合いをお願いいたしますm(_ _)m