彼女は僕の黒歴史 作:中二病万歳
バレンタインデー。
元々はどこかの国の愛に誠実だった牧師の命日という扱いだったらしいが、俺が物心ついた時にはすでに『女の子が好きな男の子にチョコレートをあげる日』となっていた。
そこから義理チョコ、友チョコ、さらには自分チョコ……その範囲の広がりはとどまることを知らない。
ちなみに、一部界隈ではバレンタインデー死すべしとも言われている。
俺自身はどうかというと、本命こそないものの義理チョコは毎年いくらかもらえているので、完全な負け組とは言えないと自負している。勝ち組とも言えないだろうけど。
今年も例年通りなら、寂しいバレンタインにはならないだろう。
「おはようございます、プロデューサーさん。早速ですが、どうぞ」
「毎年ありがとうございます。千川さん」
朝に定時通り出社すると、廊下で顔を合わせた千川さんからひとつめのチョコをいただいた。幸先のいいスタートである。
「あれ。なんだかいつもより箱が大きいですね」
ピンクの包装紙できれいにラッピングされた直方体の箱。彼女からチョコをもらうのは4回目だが、記憶にあるそれよりもボリュームがある気がする。
「今年は奮発して、他のプロデューサーさんよりも豪華な物を買いましたから」
「え? それってまさか……」
俺だけ特別ということは、ひょっとして本命――
「去年までは義理チョコでしたが、今年は友チョコにランクアップです♪」
「あー、そういうあれですか」
ま、そんなわけはないか。
今までは職場の同僚に対する贈り物だったのが、中学の頃の同級生兼男友達に対する贈り物に変化したということだけらしい。
「なんだか残念そうな顔ですね」
「そ、そんなことないですよ」
一瞬期待してしまったのを笑ってごまかす。俺だって男だから、女性に好意を向けられるという事象に憧れを抱いてしまうものなのだ。
「家に帰ったらいただきます」
「はい。味わって食べてくださいね」
両手を合わせて首をちょこんと傾ける千川さん。この人やっぱり女子力高い。
これが中学時代は地味な子の代表みたいだったんだから、人間って変わるもんだなーなんて改めて感じる。
とりあえず、ホワイトデーのお返しはこちらも張り切ることにしよう。
*
午前の仕事一発目は、蘭子を写真撮影の現場まで送り届けること。
「我が同胞にして友よ」
送迎用の車に乗ってシートベルトを締めたところで、助手席に座る彼女が俺を呼んだ。
左を向くと、ごそごそと鞄から何かを取り出そうとしている姿が目に映る。
探し物はすぐに見つかったらしく、彼女は取り出した何かをすっとこちらに差し出した。
「これは秘薬。口にした者が『器』の継承者でなかった場合、待っているのは滅びよ! (チョコレート、受け取ってください!)」
蘭子が両手の上に乗せているのは、リボンで可愛らしく飾りつけがされた赤い箱。
どうやら彼女も俺のためにチョコを用意してくれたらしい。
「喜びなさい。我が魔力を直に注ぎ込んだわ(頑張って手作りしたの)」
「手作りか! それはすごいな」
ちらりと中身を確認すると、おいしそうなマカロンがいくつも顔をのぞかせていた。一部形が崩れかけているが、それもご愛嬌だろう。
「うれしいよ。ありがとう、蘭子」
「ククク、その身に焼き付けるがいい(味わって食べてね)」
そこまで言うと、蘭子は一度俺から視線を外した。
彼女との付き合いもそろそろ1年になるので、これが素の言葉を口にする前触れだということはなんとなくわかっている。
「ぷ、プロデューサー」
「焦らなくても、ゆっくりでいいぞ」
「う、うん」
すーはーと深呼吸して、胸に手を当てる蘭子。
そんな彼女に笑いかけながら、俺は次の言葉が出てくるのを待つ。
「いつも、ありがとう……このチョコは、感謝の気持ちだから」
「うん」
「今年も、来年も、それから後も……私のプロデュース、よろしくね」
恥ずかしそうに手をもじもじさせながらも、蘭子は満面の笑みで自分の気持ちを伝えてくれた。
その言葉は、俺にとってこの上なくうれしいものだったことは言うまでもない。
「ああ、頑張るよ。こちらこそよろしくな」
朝の眠気も完全に吹き飛んだ。
気合いを入れてハンドルを握った俺は、彼女の期待に応えられるよう努力することを固く胸に誓ったのだった。
*
「闇に飲まれよ! (お疲れ様です!)」
「お疲れ様。また明日な」
今日の仕事をすべて終えた蘭子は、すっかりお馴染みとなった定例のあいさつとともに部屋を出ていった。
すでに窓から夕陽の射し込む時間帯。朝からずっと、頑張ってくれたと思う。
「アスカがいなくても、だいぶ落ち着いて仕事できるようになってきたなあ」
最近は、ひとりでもなんとかスタッフとコミュニケーションがとれるようになっている。
ただ、やっぱり相方がいないと物足りないというような顔を見せる時もある。
その相方も無事高校受験という壁を乗り越えたようだし、これからはまた2人で行う仕事も多くとれるようになるだろう。
昨日電話で知らせてもらった合格報告を思い出しつつ、手元の書類に目を通す。
3枚目に差しかかったところで、扉が控えめにノックされる音を聞いた。
「どうぞ」
「やあ」
うわさをすれば影というやつで、入って来たのはマフラーを片手に持った私服姿のアスカだった。
昨日は直接会っていないし、もう一度お祝いの言葉をかけておこう。
「合格おめでとう。仕事は明後日からのはずだけど、何か用事か」
「今日という日を逃すわけにはいかないからね。これを渡しに来た」
一直線に俺の座るデスクの前までやって来た彼女は、懐から取り出した袋をついと差し出す。
模様入りのプラスチックの袋の中には、丸い茶色の物体が所狭しと詰められていた。
「トリュフチョコ。ボクの手作りだけど、味見はしているから安心していい」
「おお、アスカも手作りか。ちょっと感動だな……ありがとう」
担当アイドルの両方から手作りの品をもらえるなんて、予想をはるかに超える収穫だ。
バレンタインデーっていい日だな。
「でも、ちょっと意外だったかもしれない」
「何がだい?」
「アスカはこういうの、正直あんまり乗り気じゃないタイプだと思ってたから」
お菓子メーカーの敷いたレールに疑いなく従うなんて――とかなんとか言いそうだと勝手に推測していた。なぜなら昔の俺がそうだったから。
そんな素直な心情を吐露すると、彼女はきまりの悪そうな表情を浮かべる。
「確かに、去年まではキミの言う通り、ボクはバレンタインデーに対して特別な感情は抱いていなかった。……心象の変化というヤツさ」
「へえ、そうなのか」
どんな変化があったのかは知らないけど、俺としてはチョコをもらえてありがたい。
少し味見したい気分だけど、書類が汚れるから後にしよう。
「ホワイトデーは期待しておいてくれ」
リボンで結ばれたトリュフチョコ入りの袋を受け取って、俺はアスカに1ヶ月後のお返しを約束した。
「………」
「アスカ? まだ何か用事があるのか?」
直立不動で俺を見続ける彼女に、いつもと違う雰囲気を感じる。
何かを言おうとして口を開きかけ、すぐにつぐんでしまう。それを幾度か繰り返した後。
「プロデューサー」
「うん?」
自分の言葉を確かめるかのように、彼女はゆっくり、はっきりと俺に向かってこう言った。
「……そのチョコレート。本命だと言ったら、どうする?」
「………」
あまりに現実離れした仮定だったので、俺はそれを軽い冗談としか受け取れなかった。
「ははは、本命かー。そりゃうれしいな、美人に惚れられるっていうのは」
軽い冗談に対する返事として、こっちも軽い感じの答えを返す。
ところがアスカはそれを聞いて、なぜか頬を軽く膨らませてしまう。
「ボクは、本気で言っているんだけど。なんなら事務所のみんなに大声で叫んでもいいくらいだ」
むすっとした表情で言われて、俺は彼女の瞳と声が真剣味を帯びていることに気づく。
浮ついていた気分に、冷や水をぶっかけられたような感覚。急速に頭が冷えていく。
「本気って、まさか」
「キミのことが好きになってしまったらしい。責任を取れとは言わないけど、ボクの気持ちは知っておいてほしかったから」
……呆然とするしかなかった。
この状況で出てくる言葉が、『友達として好き』の類のものであるはずがない。アスカは俺を、異性として意識しているのだ。
「すぐに返事をもらうつもりはない。今日は告白しに来ただけだから。それじゃあ、また明後日」
早口でまくしたて、逃げるように部屋をあとにするアスカ。心なしか、頬が赤く染まっているように見えた。
残された俺は、今まで読んでいた書類の中身とか、一切合財忘れてしまって。
ただ、彼女が閉めていった部屋の扉を眺めることしかできなかった。
*
気づけばとっくに日も暮れて、窓から形の欠けた月が顔をのぞかせていた。
「プロデューサー」
ぼーっとPC画面を見ているだけの俺のもとに現れたのは、白いコートに身を包んだ凛だった。
「はいこれ、バレンタインのチョコ。ちゃんとお返ししてよね」
机にぽんと置かれたのは、どこかで見覚えのあるブランドの銘柄入りの箱。
微笑を浮かべる妹に対して、俺はまともに笑顔を作ることもできなかった。
「ちょっと。いくら毎年もらってるからって、ありがたみを感じないのなら、次からもうあげないよ?」
「ああ……ごめん。別に喜んでいないわけじゃないんだ。うん、ありがとう」
「……何かあったの?」
拗ねた様子を見せていた凛は、俺の反応を見て怪訝そうな視線を向けてくる。
「………」
「私には、相談できないようなこと?」
「……いや」
アイドルがプロデューサーを好きになってしまった。
こんなデリケートな問題、普通は誰にも話すことなんてできない。
でも、アイドルという仕事に精通していて、かつ俺が絶対の信頼を置ける人物なら。
「むしろ、凛にしか打ち明けられない話だ」
「……そうなんだ」
小さくうなずいた彼女は、一度扉の前まで移動して廊下に人がいないことを確認する。
そして再び俺の前まで戻ってくると、近くに置いてあった椅子に腰を下ろした。
「聞くよ。だから話してみて」
「……悪いな」
「いいよ、家族なんだし」
自分が恵まれていることを今一度認識しつつ、俺は夕方にあった出来事を洗いざらい打ち明けた。
「――そっか。飛鳥が」
相槌を打ちながら俺の話を最後まで聞いてくれた凛は、目を伏せながら大きく息をつく。
「正直、どうしていいのかわからない。予想すらしていなかったことだから」
「年、だいぶ離れてるしね」
アイドルに恋愛はご法度。それも相手が10個以上年上のプロデューサーだなんて、公に知られたら大問題だ。
今でも冗談であってほしいと心のどこかで願っている自分がいる。でもそれと同時に、あのアスカの表情は本気だったと認める自分も確かに存在していた。
「恋愛なんて禁止だって、ばっさり斬り捨てるのは簡単だ。でも」
「あの子を傷つけてしまうかもしれない?」
「……ああ。ただ、それしかないのなら」
これまで俺達は、手探りではあるけど着実に関係を積み上げてきた。
元中二病と現役中二病。蘭子ともども、決して相性は悪くない、むしろいいくらいだった。
だがその相性の良さが、今回の事態を引き起こしてしまったのだろうか。距離を近づけすぎてしまったのだろうか。
今からでも遅くはない。まだ、俺達だけの間で引き返すことができる段階だ。
だったら――
「私はさ」
頭の中でひとつの結論が出ようとしていた矢先、凛がおもむろに口を開いた。
「アイドルにだって、恋をする権利はあると思う。ただ、わきまえなくちゃいけない節度が、他のみんなよりずっと厳しいってだけで」
その言葉に驚いて、彼女の顔をじっと見つめる。
俺の妹は、そんな反応を楽しむかのように微笑んでいた。
「私達だって人間なんだから、理屈だけじゃどうにもならないこともあるんだよ。あ、でも私は今のところ恋とかしてないから」
そこは勘違いしないでね、と付け加える凛。もし彼女にも好きな男がいるとか言われたら今度こそ俺の脳は限界を迎えるところだった。
「飛鳥は賢いから、ちゃんと守るべき一線は守ってくれると思う。だから、結局はお兄ちゃんの気持ち次第だよ」
普段社内では使わない呼び方で、彼女は俺に語りかける。
ふと右手に温もりを感じたかと思えば、彼女の左手が優しく重ねられていた。
「俺の、気持ち……」
「そう。年の離れた妹よりもさらに年下の女の子相手に、そういう感情を持てるかどうかだね」
「やけに悪意のある言い方な気がする」
「事実でしょ。それに、一応釘も刺しとかないといけないし」
にやにや顔から一転、真面目な表情を見せる凛。顔立ちが整っている分、目を細められるとなんだか威圧感みたいなものを感じてしまう。
「もし飛鳥の気持ちを受け入れるのなら、とても厳しい道になる」
「それはわかってる。制限されることが多すぎるからな」
おおっぴらに付き合うなんてもちろんアウト。人の目がある場所で手をつなぐことすら危険なラインかもしれない。
アスカだって、それは理解しているはず。それでも俺に気持ちを伝えた意味は、なんなのか。
「どんな結論を出すのも自由だと思う。そこにちゃんとお兄ちゃんの意思がこもっていれば、あの子も納得してくれるだろうし」
「そうかな」
「多分ね。まあ、2人が茨の道を進もうとするなら私はできる限りサポートするよ。家族がスキャンダル起こすなんて後味悪いし」
「……お前って、できた妹だな」
「そう思うんなら、ホワイトデーのお返しは弾んでもらおうかな」
そう言うと、凛はゆっくりと立ち上がり椅子を片付け始めた。
黙ってそれを見守りながら、俺は頭の中で自分の気持ちを整理する。
「私は帰るけど、お兄ちゃんは?」
「もう少し残るよ。片付けなきゃいけない書類もあるし」
「そう。じゃあ、またね」
「……ありがとな。お前のおかげで、何が大事なのかわかった気がする」
「どういたしまして」
お互い軽く手を挙げて、別れのあいさつを交わす。
再びひとりになった部屋の中で、俺は机に両肘をついて思考をめぐらせる。
「結局、俺次第ってわけか」
アスカの想いと俺の想い。
アスカの願いと俺の願い。
そして、果たすべき責任。
俺が選ぶべき……いや、選びたい答えは――
アニメでもそうでしたが、凛って結構フォロー上手なイメージがあります。本作の設定だとすでに19歳なので、それなりに物腰柔らかい感じで描写しました。
あと飛鳥の誕生日(2月3日)を華麗にスルーしていますが、その辺は後の話で補足します。
感想・評価などあれば気軽に送ってもらえるとありがたし、です。
アニメの蘭子回が個人的に神過ぎてうれしい、うれしい。ソロCDは絶対買います。