彼女は僕の黒歴史 作:中二病万歳
受験勉強。
世の中には中学校や小学校、さらには幼稚園に入る時点でそれを経験する人間もいる
けれど、学業に関しては平凡な人生を送ってきたボクにとっては、中3である今が初体験。
本番が近づくにつれ、徐々に緊張が高まってきているのがわかる。
模試の結果や教師の言葉を参考にするなら、第一志望への合格は十分可能。担任から
『アイドル活動との両立は大変だと思うけど、このまま頑張ればきっと受かる』とのお墨付きを先日もらった。
1年の頃から、それなりに真面目に授業を聞いてきた貯金が活きているのだと思う。他にやりたいことも見つからなかったから、後々の選択肢が広まるようにとりあえず勉強していた――そんなつまらない理由だけど、現に今役立っているのだから間違った判断ではなかったのだろう。
「……ふう」
問題演習が一段落ついたので、ノートにシャーペンを走らせていた右手を休ませることにした。
女子寮の自室に備え付けられた時計を確認すると、もうすぐ日付が変わるかというところ。今夜の勉強は、このくらいでいいかな。
「ふわぁ……」
気を抜いたら欠伸が漏れた。身体も疲れているみたいだ、なんて自己分析をしていると、机の上に置いてあるブレスレットが目に入る。
クリスマスにプロデューサーからもらった銀のブレスレット。ちひろさんに助っ人を頼んでまで選んでくれたプレゼント。
若干大人びたデザインの物をチョイスしたのは、ボクが普段から背伸びをしていることを考慮してのものだろう。
「ふふっ」
あの人は、ボクのことをよくわかってくれている。それがどうにもうれしくて、勝手に顔がにやけてしまう。
「……できれば、鏡は見たくないな」
きっと、気持ち悪い顔をしているに違いない。
寝る前の歯磨きのために洗面台へと向かいつつ、ボクはそうひとりごちる。
……近頃の自分は、どうかしているのかもしれない。プロデューサーのことを考えていると、なんだかふわふわと浮ついた気分になってしまう。
「はぁ」
意図せず漏れたため息に、応えるものは当然なく。
頭をかきながら、しゃこしゃこと歯を磨くことで気を紛らわせるのだった。
*
年が明けて以降、ボクが事務所に顔を出すのは基本的に週一回となっていた。
ボク自身はもう少しレッスンに精を出してもよかったのだが、プロデューサーが勉強の方を頑張ってほしいと言うのでそれに従うことにしたのである。
そして、今日はその週に一度の出社の日。
「おはようございます」
難解な文章や数式と向き合う日々の中で、アイドル活動はいい気分転換にもなる。
だから、今朝のボクはそこそこ上機嫌だった。
「……ああ、おはようアスカ。ふわあ~ぁ」
「……随分と眠そうだね」
部屋に入ったボクを出迎えたのは、デスクに向かいながらも目蓋が今にも閉じかけているプロデューサーだった。
「昨日からずっと作業しててさ……そろそろ限界かもしれん」
「そんな状態で仕事しても効率が悪いだけだと思うけど」
「はは、まったくだな。ちょっとだけ寝るから、誰か来たら起こしてくれないか」
「あぁ、わかった」
すまん、と返事をすると、プロデューサーはよろよろとソファーに倒れこみ泥のように眠り出してしまった。
残されたボクは反対側のソファーに腰を下ろし、気持ちよさそうに眠りこける彼の寝顔をぼんやり眺める。
「よく眠るといい」
でも、同時に少しだけ寂しさも覚える。
直接会うのは一週間ぶりなのに、あいさつしてすぐにぐーすか寝てしまうなんて。
ちょっとくらい相手してほしかった、なんて思うのは、子供のわがままなのだろうか。
「はあ」
気持ちを切り替えようと、レッスン開始まであと何分かを確認しようとしたその時だった。
「プロデューサー、いる?」
ノックとともに廊下から聞こえてきたのは、凛さんの声。
他の人ならまだしも、彼女相手ならプロデューサーを起こす必要はないかもしれない。
「彼は仮眠をとっています。伝言があるなら、ボクが請け負いますけど」
ドアを開けて凛さんを招き入れると、彼女はソファーで眠る彼を微笑ましげに見つめた。
「また徹夜したんだ。しょうがないなあ」
「昔からなんですか?」
「うん。今はまだマシな方なんじゃないかな。最初に私を担当していた頃なんて、死相が浮かんでいる時も結構あったから」
それはなんというか、見たいような見たくないような。
付き合いが長いだけあって、彼女はプロデューサーのことをよく知っている。きっと、ボクや蘭子よりもずっと。
「それで、何か用事があったんじゃ」
「あ、そうだった。これ、プロデューサーが起きたら渡しておいてくれる?」
用件を思い出したらしい凛さんが差し出したのは、風呂敷に包まれた直方体の何か。
「これは」
「お弁当。この前久しぶりに食べたいって言ってたから持ってきたの。そう伝えたらわかると思うから……どうかした?」
「あ、いや……」
……お弁当。風呂敷に包まれている時点で、手作りなのは間違いない。
久しぶりと言っていることから、以前にも何度かこういうことがあったのだろう。
そのことに驚きはしたが、本来ならそれだけで済む問題のはず。
そのはずなのに、ボクの心の中はもやもやとした感情で覆い尽くされそうになっていた。
「あの、凛さ――」
「それじゃ私、ちょっと急ぎの用事があるから。またね」
「あっ……」
ボクの両手に弁当箱を置くと、彼女は引き止める間もなく部屋から出ていってしまった。
「………」
どんな中身なんだろう。プロデューサーがリクエストするくらいだから、きっと凛さんは料理が上手に違いない。
中を確認したい衝動に駆られるが、さすがにそれは礼儀に反するので実行しない。
でも、ちょっと蓋を開けるくらいなら……。
「いやいや、ダメだろう」
「……何が駄目なんだ?」
「わっ!?」
弁当箱とにらみ合いをしているうちに、いつの間にかプロデューサーが目を覚ましていたらしい。寝ぼけ眼をこすりながら、ぬぼーっとした表情でボクを見つめている。
「な、なんでもない。それよりこれ、凛さんから」
「んん? ああ、弁当か。約束通り持ってきてくれたんだな。あとでお礼言っておこう」
小さく欠伸をしながらうれしそうな顔をするプロデューサー。凛さんの言った通り、彼がお弁当を作ってくるよう頼んだということで間違いないらしい。
「向こうは久しぶりと言っていたけど」
「そうだなー。昔は毎日食べてたから、たまに恋しくなるんだよ。そういう時は、こうして用意してもらってるんだ」
「ま、毎日……そうか」
昔というと、やはりプロデューサーが彼女の担当をしていた時期のことだろう。
毎日用意するとなると大変だろうけど、その苦労を負ってもかまわないと彼女は考えていた。つまりそれだけ彼に好意を持っている……ということにはならないだろうか。少し短絡的すぎるか。
……でも、どの道2人が大なり小なり心を許しあっているというのは事実だ。
「………」
「……アスカ? なんか機嫌悪そうだけど、どうかしたのか」
「別に」
どうしてだろう。考えれば考えるほど、面白くないという気分が増していく。
そんな感情の変化が表情にも出ていたらしく、プロデューサーは怪訝な顔つきでボクの様子をうかがっている。
……こっちの気持ちも知らないで。
でも、ボクの気持ちってなんだろう。このやるせない感情は、いったい何から生まれているのだろう。
「嫌なことがあったのなら、相談に乗るぞ?」
「必要ないよ」
「でも」
「しつこいよ。本当になんでもないんだ」
無意識のうちに、右手が乱雑にエクステをいじり始めていた。自然と彼に対する物言いも棘のあるものに変わってしまい。
「……ただ、キミと凛さんが本当に仲良しなんだと思っただけだよ」
衝動的に口をついて出た言葉。
それによって、ボクはようやく自分が『嫉妬』していることに気がついた。
「俺と凛が? まあ、それはそうだな……あの、どうして睨むんだ?」
「付き合いが長いから、とでも言うつもりかい」
少々険のある言い方になっていることを自覚しつつも、それを止めることができない。
そんなボクの態度に困惑しているプロデューサーは、首の後ろに手をやりながら口を開く。
「あ、ああ。もうすぐ20年になるし」
「……20年?」
その一言に、熱くなっていた頭が一瞬働きを止めた。
プロデューサーが凛さんと出会ったのは、プロダクションに彼女がスカウトされた時ではなかったのか。
「もうすぐあいつも20歳だろう? 生まれた時から一緒に暮らしてたんだから、そりゃ仲良くもなるって」
「一緒に、暮らしていた? ちょっと待ってくれ、それはどういう意味なんだ」
「どういう意味って」
まるで当たり前のことを話すかのように、彼はボクの顔を見つめながら。
「兄と妹が同じ家に住んでいたって、何もおかしくないだろう」
「……え」
とんでもない爆弾発言を、何の気なしにかましてくれたのだった。
「え、えっ? 兄妹……キミと凛さんが?」
「……あれ、俺もしかして今まで言ってなかったか?」
こくこくとうなずくと、プロデューサーはあんぐり口を開けたまま固まってしまう。
「ま、マジか。とっくに説明したものだと……というか、凛の方からも何も聞かなかったのか」
「あ、あぁ。そういう話にならなかったし」
おそらく向こうは、兄の方からすでに説明があったものと思い込んでいたのだろう。
「本当に兄妹なのかい? だって、彼女はキミのことをプロデューサーと呼ぶじゃないか」
「俺が凛の担当に着いた時、社内ではあんまり兄妹っぽい雰囲気出すと良くないかもって話になったんだ。仕事上はアイドルとプロデューサーの関係で、時には厳しいことも言わなきゃならないわけだし。だからあいつ、俺のことをああやって呼び始めたんだよ」
「……なるほど」
理由としては、十分納得できるものだった。
「一応証拠として……これ、俺の名刺」
背広のポケットから取り出された名刺を見せてもらうと……確かに、彼の名字は渋谷だった。一応ボクも最初に自己紹介を受けたはずなのだが、その後ずっと『プロデューサー』と呼んでいたせいでうっかり意識から抜け落ちてしまっていたらしい。
だがそれにしたって、今の今まで気づかないというのもおかしい。たとえば、他の人が彼を呼ぶときに名字を口にしたり――
「……改めて思い返してみたんだが、キミはほとんどいつも他人から下の名前で呼ばれていたね」
「それも凛を担当していた頃の名残だな。一緒にいる時に名字で呼ばれると紛らわしいから、仕事仲間とか現場の人とかには下の名前で呼んでもらうように頼んだんだ。今年よく絡んだ面子とその時の面子は共通しているから、ほとんど名字で呼ばれなかったなあ」
まったくひどい話だ。ボクが気づくポイントをことごとく潰しているじゃないか。
おかげでこっちは1年近く事情を知らないままだった。今日なんて、あろうことか兄妹の仲に嫉妬するなんて馬鹿なことをしてしまったのだ。
……まずい。改めて意識すると恥ずかしくなってきた。
「どうした? 顔が赤いぞ」
「なんでもないっ」
やり切れなくなったので、後ろを向いて顔を隠す。先ほどの自分の拗ね具合を思い出すだけで、部屋を飛び出してしまいかねないほどの羞恥に駆られる。
「するとキミは、妹にお弁当を作ってきてもらったというだけなんだね」
「うん? いや、これ作ったのは母さんのはずだけど」
「……まさか、そこすらボクの勘違いなのか」
彼曰く、実家を出てからは時々おふくろの味が恋しくなるのだそうだ。
そこで、まだ実家暮らしを続けている凛さん経由でお弁当を作ってもらったらしい。
振り返ってみれば、彼女は『持ってきた』とは言ったが『作ってきた』とは一言も口にしていなかった。
すべての事情を正しく理解したボクは、大きく、ただひたすら大きくため息をついた。
「は、ははは……まったく、あまりに滑稽で笑えてきてしまうよ」
「な、なんかごめんな? 俺の説明不足のせいで、よくわからないけど勘違いさせちゃったみたいで」
「いや、いいんだ。悪いことばかりでもないから」
気遣うような視線を向けるプロデューサーと、ようやく目を合わせることができた。
ある程度心が落ち着いたところで、ある意味この勘違いには価値があったとも思えるようになっていた。
「おかげで、自分の中に潜む感情に目を向けることができた」
「感情? それっていったい」
「今はまだ、秘密」
初めて経験する、未知の感情だ。もう少し、いろいろと整理する時間が欲しい。
とりあえず今は、高校受験に力を入れなければならないという事情もある。
けれど、もしそれを無事終えることができたあかつきには。
「プロデューサー。その時のために、キミにも心の準備をしていてほしい」
「……? えっと、どういうことだ?」
「さあね」
明らかに意味がわかっていない様子の彼に向かって、ボクは意地悪な返事とともにちろりと舌を出して応えてやったのだった。
先日、プロット上の都合でルート分岐を行ったわけですが……読者の方の指摘もありまして、今一度構成を見直してみました。
その結果、無理に分岐させなくても話を展開できるようにプロットを組み直すことができました。もともと別ルートで書く予定だったエピソードも、統合できるように手を加えて一本道のストーリーに作り直しました。
一応小説な以上、ルート分岐とかはない方が普通かな、と考えたので、新しくできたプロットを採用することになりました。
迷走してしまって申し訳ありませんが、完結まで書き切ろうという気持ちに変化はないので、今後もお付き合いいただけると幸いです。
ここまでプロデューサーの名前を出さなかった理由は、今回のこれのためでした。