どっちつかずの彼女(かれ)は行く   作:d.c.2隊長

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お待たせしました、ようやく更新でございます。

(サーモン海域最新部襲撃編が)長い(確信)。全然進んでませんというか全体的に難産という。まだまだ続くんじゃよ。

話は変わりまして、誤字修正していた方々、本当にありがとうございます。やはり自分では気付かないことが多々ありますね……見直しはしているのですが。

今回、陽炎型スキーの皆様はご注意下さい。


悔しいでしょうねえ

 カンッ……カンッ……天津風が梯子を降りる度にそんな音が戦艦棲姫山城の拠点に続く縦穴に響く。降り始めてからどれくらいの時間が経ったか彼女は分からないが、上を見上げると小さな四角い青空が見える。それなりに深くまで降りたようだが、未だ足下は暗いままだ。それを確認した後、彼女は連装砲くんと呼ばれる艤装を両肩と頭に乗せたまま再び梯子を降りていく。そうしていると、ふと過去の記憶が甦った。

 

 陽炎型駆逐艦“天津風”……今でこそ海軍総司令渡部 善蔵の第一艦隊所属となった彼女は、元々は別の鎮守府に配属されていた。何故彼女が異動することになったのかと言えば……元々の提督との性格の不一致が原因である。

 

 天津風は提督のことを提督や名前ではなく“あなた”と呼ぶ。性格は意地っ張りと言うべきか、素直じゃないと言うべきか。敬語を使わず、ついつい天の邪鬼な態度になってしまう……当時の提督は厳格な軍人だった為に天津風の態度と言動が許せず、当の天津風もいけないと思いつつもついつい反発、反抗的な態度を取ってしまい、信頼関係を結べず、遂には解体されかけた。そこに待ったをかけたのが善蔵である。

 

 『解体を望まないならば……私の物になれ、天津風』

 

 その言葉を受けてからおよそ20年の月日が流れた。今では善蔵の狂信者と言っても良いほどに信頼、信用、好意等の感情を向けている。天津風だけではない。他の現第一艦隊の面々もまた、似たり寄ったりの境遇であり、感情を持っている。だから彼女達は爆弾を埋め込むことを了承した。善蔵……正確には善蔵に扮した猫吊るしだが……がそう言ったから。

 

 (待っててね……必ず作戦を成功させるから)

 

 改めて天津風がそう誓ってから数十分後、ようやく地面が見えてきた。持たされていた探照灯の明かりを着けて確認して見るが、敵影はない。あるのは縦穴とほぼ同じ大きさのリフトのようなモノと、拠点の内部へと続いているのであろう横穴……そこまで確認したと同時に、横穴から人影が現れた。

 

 (ヤバッ!?)

 

 人影が天津風を見上げるように顔を上げた瞬間、彼女は自身の本能が警報を鳴らすのを感じた。同時に、人影が右手にある主砲を天津風目掛けて放つ。梯子を降りていた為に両手が塞がっていた彼女は為す術なく砲弾をその身に受け、その衝撃で梯子から手が離れて背中から落下する。3基の連装砲くんは彼女の体から離れ、一足先に落下してガシャンと音を立てた。

 

 落下中、先程の甦った記憶とはまた別の……謂わば走馬灯のようなモノが彼女の頭の中を駆け巡る。それは軍艦時代から始まり、艦娘として生を受けたことや仲間達と過ごした日々、善蔵を心酔していく過程等次々と思い返していく。

 

 (……私、ここで死ぬんだ)

 

 天津風は、本能的にそう理解した。死ぬ事には恐怖を覚える……だが、それは自分が死ぬことに対してではなく、善蔵と2度と会えなくなることに対してだった。

 

 しかし、タダでは死なない。元より単独で降りると決めた時から死ぬことは覚悟できている……いや、むしろそれを前提として考えていた。どこかで力尽きれば、もしくはどう足掻いても逃げられない状況に陥った時には自ら体内の爆弾、回天を発動して自身諸とも何もかも吹き飛ばそうと。

 

 人影が天津風の落下地点に移動し、左手に持っていた軍刀を落ちてくる天津風に向けるように掲げる。背中から落ちている天津風にはその姿は見えないが、確実に死が迫っていることは理解出来ていた。

 

 

 

 「……うっ!! ぐぃ、ぁはっ……」

 

 

 

 ドスッ……と音を立て、軍刀の刃が艤装諸とも天津風を貫いた。驚くことに、人影は軍刀を掲げた姿勢から微動だにしない。天津風が痛みから逃れるように身動ぎすれば、貫いた刃が余計に彼女の体を傷付ける。人間よりも遥かに頑丈な艦娘の体は、貫かれた程度では即座に死ぬことを許してくれなかった。

 

 「ぃっ……あ……い、や……! ごぶ……うぇ……かっ……!」

 

 じわじわと血が流れ、じわじわと死が近付いてくる。それを先程よりも強烈に認識したことで、彼女の恐怖心が再び思い起こされた。だが、動けば動くほど余計に血が流れる。口からも血を吐き、声を出すことも儘ならなくなる。最早迫る死から逃れる術はない。その事を理解して、彼女はここ数年流さなかった涙を流した。

 

 「……っ……ぁ……」

 

 やがて、僅かな身動ぎも出来なくなる。目の前は真っ暗になっていき、指先から冷たくなっていく。痛みさえ感じなくなり……そうして完全に天津風という艦娘の命の灯が消える頃。

 

 「イブキさんの仇……楽に死なせてなんかやらないっぽい」

 

 それが、天津風が聞いた最後の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 それは、天津風が梯子を降りてから少し経った頃。入渠施設にて透明感のある緑色の液体に満たされた機械の中で入渠中……当然ながら全裸である……だった夕立は、それを終えて機械から出ていた。そして用意していたタオルで体を拭いて着替え、部屋から出る。そこには、山城と戦艦水鬼扶桑、ずぶ濡れの時雨の姿があった。

 

 「皆揃ってどうしたの?」

 

 「敵襲よ。それも情報より早いし、不幸にも敵の数も多いわ。おまけに此方は貴女を含めて20に満たない程度の戦力しかないというね」

 

 「しかも今、4番ゲートから1人侵入してきているわ。夕立……貴女にはその迎撃をお願いしたいの」

 

 山城と扶桑の言葉を聞いた夕立はきょとんとした表情から憤怒のモノへと変わる。只でさえ海軍に対して良い感情を持っていなかった彼女だ、そこに自分達の居場所……イブキが帰ってくる場所に攻め込み、あまつさえ侵入してきていると聞かされればそれも仕方ないことだろう。

 

 「これ、借りていたイブキさんの軍刀……返すよ。それと、レコンからも軍刀を預かってる。自分よりも夕立の方が必要だろうってさ」

 

 言われた通り迎撃に向かう為に着替え始めた夕立。その着替えが終わり、艤装を取り付けたところで時雨が右手にごーちゃん、左手にレコンから預かっているといういーちゃん軍刀を持って差し出す。因みにレコン、雷は念のためにと脱出準備をしている。いざとなればこの拠点を放棄することも有り得るからだ。

 

 夕立は時雨の言葉に特に返すこともなく、両手の軍刀を受け取った。しかし夕立は左手には雷巡チ級の魚雷発射管、右手には時雨も使う主砲を手にしている。なのでいーちゃん軍刀はイブキがしていたようにベルト付きの鞘に入れて右肩から左腰へと下げ、刀身の無いごーちゃん軍刀はさながら拳銃を入れるホルスターのようなモノを右の太ももに取り付けてそこに差し込むようにしている。因みにこのホルスターのようなモノ、妖精達の手作りである。

 

 そうして完全武装した夕立は山城達と言葉を交わすこともなく、4番ゲート……現在天津風が降りている出入口へと向かう。その道中、彼女は考える。

 

 (海軍が攻めてきてる……イブキさんを奪ったあいつらが……許せない……絶対に殲滅してやる……)

 

 艦娘であり、深海棲艦でもある夕立。そして彼女自身の最も大事なモノであるイブキ、それを失う切っ掛けとなった海軍への怨みつらみは並の深海棲艦が持つ艦娘への敵意とは比べ物になら無い。今の彼女は海軍に対して妥協をしない、容赦もしない、慈悲も与えない。全身全霊をもって対峙し、遺憾無くその力を振るうだろう。そして実際、それは振るわれた。

 

 出入口に辿り着いて直ぐに、夕立はリフトを除けば唯一の移動手段である梯子へと視線を送る。そして上を見上げ……侵入者の姿を捉える。黙々と梯子を降り、無防備に背中を晒す……憎き侵入者の姿を。それを確認した後の動きは、最早反射に近かった。考えるよりも速く右の主砲を構えて照準を合わせ、その無防備な背中に向かって撃ち放つ。直撃し、落下してくる敵の落下地点を予測してその場所に移動し、主砲を手放していーちゃん軍刀を引き抜き、上に掲げる。それだけで、後は勝手に敵から突き刺さってくれた。抜くことも抜け出すことも出来ずに呻く敵の姿に呪詛のような言葉が出てくる。

 

 「イブキさんの仇……楽に死なせてなんかやらないっぽい」

 

 (……あれ? この手応え、どこかで……)

 

 敵……天津風が動かなくなったところで、夕立は軍刀が貫いた時の手応えに覚えがあることに気付く。貫いた姿勢のまま左手の人差し指を口元に当ててんー……と考えること十数秒。それが以前……イブキと再会した無人島付近でイブキを助ける為に貫いた艦娘、那智の時のモノだと気付いた。

 

 「おー、これはどこかで見たことあるようなと思えばー」

 

 「わっ!?」

 

 突然耳元で聞こえた声に驚き、夕立は思わずその場から飛び退く。器用なことに軍刀を掲げたままの姿勢で。自身と敵以外居なかった筈なのに聞こえた第三者の声に最初こそ驚いた夕立だったが、その声の主の姿を見て安堵の息を吐いた。

 

 声の主は、いーちゃん軍刀に宿る妖精のいーちゃんであった。因みに、彼女と夕立は初対面である。姿を消すも見せるも自在ないーちゃんを含めた軍刀妖精達は、イブキ以外にその姿を見せたことはない。せいぜい声を聞いたことがあるかも? 程度だろう。夕立が安堵したのは、少なくとも敵の艦娘ではなかったからだ。

 

 「前に那智さんの体の中で見ましたねー。こんな強力な爆弾を2度も爆発せずに止められる所をピンポイントで貫くなんて……流石は私ですー、どやー」

 

 「体の中で……?」

 

 「おっと失礼しましたー。私、その右手の軍刀の妖精ですー。名前はいーちゃんですー。宜しくお願いしますー……か?」

 

 「なんで聞いたの……私、夕立よ。よろしくね」

 

 いーちゃんの言葉でそういえばそんなことを……と考えていた夕立だったが、唐突に自己紹介をされてツッコミを入れながらも自己紹介を返す。今でこそ復讐心に呑まれかけているが、根は良い子で礼儀正しいのである。

 

 その夕立が持っているいーちゃん軍刀は、持ち主の運気を上昇させるという能力が備わっている。所謂強運になる訳だが、その力の恩恵は凄まじい。今回のように、相手が拠点を吹き飛ばす爆弾を抱えていても“運良く”爆発させずに無力化することも出来るのだから。

 

 「さてさてー、呑気に自己紹介してる場合じゃないですよねー」

 

 「……うん。上に敵がいるっぽい」

 

 そんな会話をしながら、夕立は息絶えた天津風を下ろして軍刀を引き抜き、地面に横たわらせて再び上を見上げる。今、夕立の足下にはエレベーターがある。それを動かせば1分前後で地上へと上がれる……そうすれば、今やってきている敵の元へと行けるだろう。

 

 が、幾ら夕立が第2の軍刀棲姫と呼ばれ、その名に違わぬ実力を持っていても、流石に本家本元の軍刀棲姫と比べれば格段に劣る。幾ら復讐心を持っている夕立とて、1艦隊ならまだしも連合艦隊に単艦で突っ込むことはしない。そもそも夕立が頼まれたのは出撃ではなく侵入者の迎撃なのだ。ならば上に行く必要などなく、降りてくるかもしれない敵を待ち伏せていればいい。

 

 (でも……いっぱい、いっぱい海軍の艦娘が……イブキさんの仇が居るのにこのまま待ってるだけなんて……)

 

 頭では理解している。このまま待ち構えていれば、籠城していれば勝てる戦いなのだと。だが、夕立の心情としては……今すぐにでも上に上がりたい。元々この夕立は何もせずにじっとしているというのがとても苦手なのだ。無人島に居た時も、港湾棲姫吹雪の拠点に居た時も、この拠点に居る時も、イブキが行方不明になったと聞いた時も、じっとしていることなんて出来なかった程に。

 

 「上に行く、なんてことはしないで下さいねー」

 

 「気持ちは分かりますが、貴女に沈まれるのは困りますー」

 

 いつの間にか姿を見せていたごーちゃん軍刀に宿る妖精のごーちゃんがいーちゃんと共に今にもエレベーターを動かしそうな程にウズウズとしている夕立を注意し、2人の言葉を受けて夕立がハッとする。そうだ、自分は沈む訳にはいかないのだと。それは命が惜しいからではない。生きていると信じているイブキと再び再会する為に。だから夕立は踏みとどまった。自分の意思よりも、イブキを想う気持ちが勝ったからだ。故に、夕立は待つ。動くことは、迎撃以上のことはしない。

 

 「……分かってるっぽい」

 

 何故か両肩に乗る2人にそれだけ返し、夕立は上から爆弾や砲撃が来ることを警戒してか歩いてきた通路を少し戻り、出入口へと目を向ける。敵が降りてくれば直ぐにでも砲撃、或いは斬り込むことが出来、尚且つ敵の真上からの攻撃には当たらない距離。何かの拍子に爆弾が爆発する危険性を考慮し、天津風の遺体も一緒に持ってきて一番近くの部屋に押し込んでおいた。後はただ、ひたすら待つだけ。それまでは決して動かない。夕立はそう決め、侵入者が現れるのを待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 (くくっ……まさかイレギュラーがここまで来るとはな……さぞかし猫吊るしの奴も驚いているだろう)

 

 軍刀の切っ先を猫吊るしに突き付ける軍刀棲姫の姿を見ながら、内心善蔵は笑っていた。そもそも軍刀棲姫……イブキのことを“イレギュラー”と呼称したのは善蔵ではなく猫吊るしが言い出したことであり、対象の名前を知らなかったのでそう呼んでいたのが定着しただけである。つまり、当初は善蔵はイブキがなぜイレギュラーなのか分からなかったのだ。

 

 というよりも、善蔵にとってイレギュラーな存在は居ない。そもそもイレギュラーという言葉の意味は“不規則、変則、正規でない様”という意味であり、簡単に言うなら“通常通りではなく例外である”ということ。ただ願い、叶えられただけの善蔵がイブキがなぜ例外なのか分かるハズもない。本当の意味で分かるのは、艦娘と深海棲艦を創った本人である猫吊るしくらいのものだろう。

 

 (それも……不知火が共に居るとは、な)

 

 善蔵の視線はイブキから不知火へと移る。その彼女が、以前に自分が逃した不知火であるということも理解していた。そんな彼女の姿を見ていると、不意に善蔵の脳裏に過去の記憶が甦ってきた。

 

 『陽炎型駆逐艦“不知火”です。御指導御鞭撻、宜しくです』

 

 不知火もまた、吹雪や曙、大淀や那智等の面々と同じく最古参と呼べる艦娘である。その頃からこの不知火は他の同名艦娘と比べて自己主張が少なかった。命令に忠実だがアドリブに弱い、生真面目な艦娘だった。吹雪や曙という同時期に配属した駆逐艦の存在もあり、自己主張の少ない性格も加わり、配属当初は出撃ではなく遠征組として活躍していた。

 

 そんな彼女を第一艦隊に加えのは、吹雪と曙が沈み、善蔵が猫吊るしに戦いが終わらないと聞いた数日後のことだ。暗殺やスパイのような活動をさせ始めたのは……その更に後、1人の艦娘に非道を強いていた提督……所謂ブラック鎮守府の提督が艦娘の逆襲に合い、殺された上に艦娘全員が自殺したという事件が起きてからのことだ。その情報収集や他の鎮守府ではどうなのかを秘密裏に調査する為に不知火を動かしたのが始まり。時に異動、時にドロップ艦に扮して調査する鎮守府に入り込み、内部で動けるので人間よりも艦娘の方が適役であり、長期間射なくても然程問題ないが実力がある艦娘となると、善蔵の元では不知火が最も適していたのだ。

 

 不知火は、文句1つ言わなかった。命令であれば……それだけの理由で汚れ仕事をこなし、善蔵ではなく従っていた。己を持たず、物言わぬ道具のように。

 

 (それがなんともまあ……変わったモノだ……いや、これが本来の彼女ということか)

 

 目の前の驚愕に目を見開いている不知火。海軍から逃げ出す際の恐怖に冷や汗を掻いていた不知火。猫吊るしの口から語られた、逃げた後の海上で涙を流していたという不知火。そんな彼女が今まで無表情で付き従い、淡々と機械的に暗殺をこなしていたと言っても、今更信じる者は居ないだろう。そう断言出来る程に、善蔵から見た不知火は変わっている……否、それが本来の彼女。真面目で、その愛らしい見た目に反するかのような鋭い眼光。冗談もあまり通じず、命令に忠実……だがそんな彼女とて艦娘として生まれたなら、1人の少女に過ぎないのだ。しかし、それを喜んでいる暇も、喜ぶ資格も善蔵は持っていないと内心首を振る。

 

 (今更……そう、今更だ。私は不知火に、艦娘達に、世界に何を強いてきた。分かりきっていながら進んできた道だ。届かないと知りながら目指してきた未来だ。何を犠牲にしてでも、あらゆるものを利用してでも……一片の後悔も、微塵の躊躇も赦されない我が道だ)

 

 一瞬の苦笑。後に、善蔵は猫吊るしに目を向け、嗤う。イブキという存在が現れた今、この場に居る全ての存在の命がイブキに握られていると言っても過言ではない。既に軍刀は抜かれている。唯一の出入口はイブキの後ろ。逃げることは出来ない。尤も、猫吊るしならば何かしら策があるかも知れないが……善蔵はそう考察する。

 

 「……これはこれはイレギュラー……こんな所に何のご用ですか?」

 

 そこまで善蔵が考えて……猫吊るしは口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 (何故ですか……何故貴女がここに居る……いや、そもそも何故生きている……イレギュラー!!)

 

 イブキに軍刀を突き付けられ、何の用だと余裕たっぷりに問い掛けたものの、猫吊るし自身は内心大慌てだった。それもそうだ、何せ猫吊るしの中では前の深海棲艦の大襲撃の際に大淀諸とも吹き飛ばしたハズなのだから。しかし、現実としてイブキは目の前に居る。正にイレギュラー……有り得ないと声を大にして言いたいだろう。

 

 そもそも、猫吊るしにとってイブキとは最初から今までイレギュラーであった。その理由は幾つかあるが、最大の理由としてイブキが“妖精の目に映らない”ことだった。

 

 猫吊るしが端末と呼ぶ妖精は、見えないだけで文字通り世界中に存在する。街中から人が住めないような場所まで網羅できる程に。それ故の情報収集能力。こと情報戦において誰も猫吊るしには勝てない。しかし、間接的ならまだしも直接的に情報を得られない存在が現れた。それこそがイブキというイレギュラー。

 

 猫吊るしにとって理解出来ないことに、イブキという存在は自身の目を通してでしかその存在を確認出来なかった。猫吊るしがその存在を直接確認したのは、大襲撃の日が初めてである。それ以外はあくまでも情報……艦娘達から上がった情報でしか知らなかったのだ。だからこそ、猫吊るしは大襲撃の日にイブキが死んだと疑わなかった……その姿を今の今まで確認出来なかったから。

 

 「用、か……俺の目的は、今お前達海軍が行っているという俺の仲間への襲撃を止めさせることだ。それをするにはトップを人質に取るのが早い……と、不知火に教えられてな」

 

 思いの外あっさりと目的を話したイブキに、猫吊るしは視線を固定したまま頭を働かせる。今回のサーモン海域最深部への襲撃を計画したのも決行したのも猫吊るし自身が善蔵に成り済まして行ったこと。己にとってのイレギュラーという不確定、不安要素を完全に潰しておきたいが故の作戦。ハイそうですかと止めさせる訳にはいかない。

 

 しかし、ここで受けないという訳にもいかない。受けなければ目の前の軍刀が自身を切り裂くだろうことは想像出来る。更にはこの大本営を更地に変えられるかもしれない。それだけの力がイブキにはあると、猫吊るしは理解している。

 

 実のところ、猫吊るしはイブキの目的が達成されようが失敗しようがどちらでも構わない。猫吊るしにとって世の全ては娯楽、願いを叶えるのも娯楽、今回の作戦も大事ではあるが娯楽の範疇にあるのだから。危惧しているのは、この世界を巻き込んでいる猫吊るしにとっての最高の娯楽である“艦娘と深海棲艦の戦争”が終わってしまうことなのだが……猫吊るしにとって大切なのは自身の目的と娯楽のみ、他はどうなろうとも知ったことではない。なのに何故、こうもイブキというイレギュラーを恐れているのか。

 

 それは、イブキという存在が猫吊るしにとって“未知”であるから。未知とは文字通り、未体験、知らないということ。猫吊るしにとってイブキは初めての存在なのだ。どういう訳か端末を通して見れない。必殺のハズの爆弾を2度回避して生きている。3ヶ月間生きていることに気付けなかった。まさしく未知との遭遇だろう。

 

 「なるほど……ですが、それは出来ない相談ですねえ」

 

 「……なに?」

 

 時間にして1、2秒。それだけの間に膨大な思考を繰り返した猫吊るしの口から出た言葉は、イブキの目的を達成させないものだった。それを聞いたイブキは低く威圧的な声を出し、睨み付けながら僅かに切っ先を揺らす。その姿を見て、矢矧は声に出さずに竦み上がり、不知火もビクッと肩を跳ねさせた。

 

 「もう既に戦いは始まっています。なのに貴女に従って此方の動きを止めれば甚大な被害が出るでしょう。引けばそれは相手に背中を晒すことになりますし、迎撃すればそれは貴女に従わないということになる」

 

 「そんなことは俺の知ったことじゃない」

 

 「でしょうねえ……ですが、貴女こそ私に従わなければお仲間が吹き飛びますよ?」

 

 「吹き飛ぶ? ……っ!」

 

 吹き飛びます、と言われてイブキはどういうことだ? と頭に疑問符を撒き散らす……が、それも僅かな時間のこと。何かに気付いたようにハッとしたかと思えば、今度は先程以上に威圧感、怒りを滲ませる。その怒りを正面から、背後から受ける矢矧と不知火の震えが酷いことになっている。そんな中で、善蔵は苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべていた。というのも、猫吊るしの言いたいことに気付いたからだ。

 

 「貴様……やはり翔鶴達に回天を積んだな?」

 

 「おや、“やはり”ということは気付いていたんですか?」

 

 「私以上に手段を選ばん貴様ならやりかねんとは思っていた……そして、貴様が吹き飛ぶと言ったことで確信した。貴様……“回天を自由に起爆出来る”な?」

 

 「ええ。それで大淀を木っ端微塵に爆発四散させましたしねえ」

 

 善蔵の言葉に驚愕したのは、回天を知る矢矧と不知火の2人。同じ元帥第一艦隊所属だった2人は、自分達を除いた他の4人……武蔵、雲龍、大淀、那智に回天という名の“自決用爆弾”を体内に仕込まれていることを知っている。そして、その爆弾がどんなモノかも理解している。

 

 自決用とあるように、爆弾“回天”は自決……自殺する為の爆弾だ。この爆弾が起爆する時は、自分が死ぬと決めた時……もしくは、生命活動が停止した時になる。外部からの起爆が出来る、等とは聞かされていない。しかし、善蔵は猫吊るしが自由に起爆出来ると言った。そしてそれを、猫吊るしは肯定した。

 

 (なるほど……どうして大淀の回天が発動したかと疑問に思っていたけど、それが真相か)

 

 内心頷いたのは、矢矧。海軍とイブキは大淀の命懸けの対話の末に共闘することになった。なのに大淀の回天が発動したことがずっと疑問だったのだ。イブキが斬ったとも思えず、かといって大淀が自決したとも考え難い。だが、その疑問は氷解した。なんということはない……目の前の猫吊るしこそが全ての元凶だというだけの話だ。

 

 「あっはっは! 残念ですねえ……無念でしょうねえ……人質にしに来たハズなのに、実際は自分が人質を取られているんですからねえ!」

 

 「……あの威力の爆弾を起爆すれば、お前達の艦隊も吹き飛ぶぞ」

 

 「ええ、ええ、それは勿論分かっていますとも。私とて早々起爆に踏み切れる訳じゃあありません。いくら私が娯楽に生きるとは言え目的はありますし、今の海軍という戦力、艦娘を失うのは惜しいです……が、惜しいだけで捨てても問題ないんですよ。強い個体を造り出すことも出来ますし、一時的な休戦状態を作って束の間の平穏を作り出して経験を積ませる時間を得ることも出来ます……何せ私は、艦娘と深海棲艦の“創造主”ですからねえ」

 

 矢矧の目に憤怒の形相を浮かべるイブキの姿が映る。その前に居る不知火もまた、その鋭い視線を猫吊るしへと向けていた。矢矧自身、似たような怒りの表情を浮かべていた。連合艦隊には当然、矢矧の元の鎮守府の仲間達も居る。その仲間を捨てても問題ない等と言われて怒りを覚えないハズがない。それどころかこの妖精は、自分達がどれだけ頑張ろうとも得られない平穏を簡単に作り出せると言う。

 

 納得はいかない。が、それが出来るのが猫吊るしという存在であると矢矧は理解せざるをえない。艦娘も、深海棲艦も、戦争も、世界も、猫吊るしがその気になれば思うがままに出来る。それだけの科学を、技術力を、力を猫吊るしは持っているのだから。

 

 「ふふふ、イレギュラーと言えど1つの命に人と変わらぬ心、こんな策とも言えないような策であっという間に身動き出来なくなる……悔しいでしょうねえ」

 

 「猫……吊るしぃ……っ!!」

 

 「おお、怖い怖い。そんな悪鬼羅刹のような形相で睨まれては震え上がってしまってうっかり起爆させてしまいそうですねえ……ふふっ、あはははっ!!」

 

 イブキは睨むことしか出来ない。仲間を失いたくはないから。不知火も鋭い視線を向けることしか出来ない。不知火には何も出来ないから。彼女だけでなく矢矧も、善蔵も何も出来ない。この場に居る人間と艦娘とイレギュラーでは、嗤い続ける妖精(あくま)をどうにかすることは愚か嗤いを止めることさえ出来ない。この場をどうにか出来るとすればそれは……。

 

 

 

 「一時的に外部との通信を遮断……成功しましたー」

 

 「今この瞬間から、この部屋のあらゆる電波での送受信が出来なくなりましたー」

 

 「これで起爆命令は送れませんねー。貴女の得意な“身代わり”もこの部屋限定となりましたー」

 

 

 

 「「「ようやく捕まえましたよー……猫吊るし」」」

 

 

 

 同じ妖精以外に……有り得ない。

 

 

 

 

 

 

 「天津風が降りてから幾らか掛かりましたが、通信は通じませんし砲撃音らしき音も小さいながら聞こえました……回天が発動していないところを見るに生きてはいると思いますが……」

 

 翔鶴の言葉に、日向達と長門達の表情が暗くなる。やはり1人で行かせるべきではなかったという思いと、まだ生きている可能性があるという希望を持っている。しかし、もしかすると……そんな考えも浮かんでくる。

 

 未だ膠着状態は続いており、戦況に変化はない。新たに深海棲艦が現れることもなく、警戒だけして後は天津風を待つばかりと時間だけが過ぎていく。元より低かった士気は最底辺に落ち込んでいると言って過言ではなく、動かない故のストレスが溜まりに貯まっていることだろう。いっそのこと野性の深海棲艦でも出てくればまだマシなのに、と思わぬ者は少なくない。連合艦隊はただ、変化が欲しかった。僅かでもいいから、無為に流れていく時間をどうにかしたかった。

 

 「……どうする。これ以上は……」

 

 「……仕方ありませんね。あまりやりたくはないのですが、他の4つの島へ私以外の元帥第一艦隊メンバーに向かってもらい、同じように入り込んでもらいましょう」

 

 「何……?」

 

 「恐らくですが、天津風は爆弾を無効化された上で殺されたでしょう。相手は非常識な存在の仲間、そういうことがあるとしても不思議ではありません。ですが、我々が持つ爆弾とはそれ1つで拠点を滅ぼせます。例え相手が1つ無効化しようとも、同時に4つは不可能でしょう。ようは確実性を取るという訳ですね」

 

 何でもないかのように言いのける翔鶴と、何も言わないどころか今にもそれを実行に移しそうな4人を見て日向が絶句する。仲間の命を何とも思っていないかのように振る舞う翔鶴もそうだが、そこまでしてでも第2の軍刀棲姫を滅ぼすつもりの元帥第一艦隊に改めて恐怖を覚えたのだ。それは長門達も同じである。

 

 そしてその作戦に、日向が待ったを掛けた。確かに翔鶴の作戦はほぼ確実に敵拠点を壊滅させることが出来るが、当然元帥艦隊をそんな風に扱うことは出来ない。天津風が戻って来ないということもあり、爆弾が使えない可能性も出てきている。敗走寸前等のそれしか方法がないという時以外に爆弾を爆発させる前提で突入させるのは、同じ海軍の仲間としても認め難い。そもそも天津風の時ですらかなり渋ったのだから。

 

 ならばどうするのか、と聞き返されては日向も口をつぐむしかない。現状を打破する方法など日向は思い付かないし、周囲も同じこと。効率や任務の完遂を目指すならば、翔鶴の言う通りにするしかない。結局日向の言は聞き届けられず、翔鶴の作戦……4つの島に残りの元帥艦隊メンバーを送りつけてそれぞれ侵入することとなる。そして目の前の穴には……。

 

 「私が……行こう」

 

 現海軍所属艦娘最強、日向が突入するのだった。




という訳で、何やら軍刀妖精ズが本気を出し始めました。猫吊るしにムカムカした方はイラッと来るぜと呟いて下さい。

今回出てきた“イブキは妖精の目に映らない”という点ですが、これは次回か更にその次辺りで細かく説明……出来たらいいなぁ←



今回のおさらい

進まないなりに色々ありました(投げ遣り

それでは、あなたからの感想、評価、批評、pt、質問等をお待ちしておりますv(*^^*)

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