もし青銅が黄金だったら   作:377

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第二十八話 戦場

 女神アテナと共に地上を守る伝説の戦士、その名も聖闘士が集う聖域(サンクチュアリ)の地において、最奥部に存在するアテナ神像へと続く唯一の道、黄道十二宮。

 その先頭に位置する白羊宮では既に冥闘士との戦闘は始まっていた。

 守護者であるアリエスのムウは、自身をこの場に足止めしていた冥闘士は既に倒れ、白羊宮を通り抜け次の金牛宮へ向かった敵を追わねばならないことは頭では分かっていたはずなのに、まるでその場から動くことが出来なかった。

 

 「どうしたムウ? 師に対しては礼を尽くさぬか」

 

 ムウと闘っていた冥闘士の一人、パピヨンのミューとの戦闘の決着が今まさに着こうとしていた丁度その時、突如現れたのは前教皇にしてムウの師でもある、かつてのアリエスの黄金聖闘士シオン。

 アリエスの聖衣に似せた漆黒の冥衣を纏うその姿に、ムウは呆然と立ち尽くすばかりだった。

 十三年前の事件で、シオンはサガに殺されたことはムウも知っていた。

 聖域にてシオンの小宇宙が途絶えたことも確認している。

 

 そしてもう一つ。

 目の前のシオンは、ムウの知っている姿とは明らかに異なっていた。

 シオンは五老峰に鎮座する老師と同じく、今から二百四十三年前に起こった前聖戦でのたった二人の生き残りの内の一人だった。

 ムウがまだ幼かった頃でさえ、二百年以上を生きたシオンは相当に老いていたのだ。

 

 それなのに、今は。

 

 「た……確かにあれは我が師シオン……されどその姿は一体……?」

 

 声こそ大きく変わらないが、その顔には皺の一つも無い。

 それはまるでムウと殆ど変わらない位の年齢にまで若返ったかのよう。

 

 「この姿が気になるか」

 

 それを察したのかシオンは口を開いた。

 

 「サガに殺されてより十三年。冥界で朽ち果てるだけだったこの私に冥王は言った……冥闘士となり聖域の襲撃に加わるならば永遠の命を与えると」

 

 「まさか……!」

 

 「そうだ……私は冥王ハーデスの力により死の世界から蘇ったのだ! それも……人間が最も光り輝く十八歳という絶頂の肉体をもってな!」

 

 突風のように迸る強烈な小宇宙。

 普段はあまり感情を面に出さないムウでさえ、驚愕の念を抑えることが出来ない。

 

 「ううっ……な……なんということだ……この小宇宙はまさしく……!」

 

 その身体から溢れる小宇宙は、かつてのシオンとは比べ物にならない程の凄まじさを見せている。

 弟子のムウも知らない、まさしく聖戦を戦い抜いた頃の全盛期の力が。

 

 「し……しかし、そもそも何故冥闘士はこの聖域に攻めてきたのだ……アテナも、そして黄金聖闘士の大半も不在の今だからなのか……?」

 

 「フッ……お前がそんなことを知る必要は無い。黄金聖闘士がこれほど早くアテナ救出に動いたのは予想外だったがな……さあムウよ、今より聖域に残った黄金聖闘士達の首を取ってこい! これは命令だ!」

 

 「な……なにい!?」

 

 突きつけられたのは非情な命令。

 かつての師がアテナを、そして仲間達を裏切れと言う。

 

 「……何をしている。私の命令に従わないつもりか」

 

 だがムウは動かない。

 

 シオンは生前、アリエスの黄金聖衣を継ぐ者として、ムウを厳しく鍛えた。

 その修業と天才的な才能により、幼くしてムウは見事に黄金聖闘士の資格を得たのだ。

 そんなムウにとって、師の言葉はまさに絶対。

 

 そして――――

 

 「何のつもりだ……それはこの私を相手に闘うということだぞ。そんなことが分からぬお前ではあるまい……?」

 

 シオンの前には巨大な鏡のような半透明の障壁が出現していた。

 

 クリスタルウォール。

 

 今のシオンは冥王ハーデスに従う冥闘士、ならばそれは既に聖闘士の敵であるということ。

 たとえかつての師といえども敵となった以上は、自らが守護するこの白羊宮を通す訳にはいかない。

 強靭なその障壁が彼自身の意志を確かに伝えている。

 

 「私はあなたの教えによってアリエスの黄金聖衣を受け継いだ。その恩は片時たりとも忘れたことはありません。だからこそ、かつてあなたに教えられたように……今この場で聖闘士としての務めを果たしましょう!」

 

 「よかろう……お前が私に逆らうというのなら、このシオン自らお前を葬ってくれるわ!」

 

 遂に二人が袂を別つ時が来た。

 今、ムウは自らの意志で師・シオンに牙を剥く!

 

 「いくぞ!」

 

 唸りを上げて襲いかるシオンの拳。

 しかし既に展開していた障壁が繰り出された拳を見事に受け止めた。

 その強さはシオンの拳を以てしてもひびの一つも入らず、まさに攻撃を寄せ付けない絶対の障壁。

 

 「チィッ!」

 

 ムウのクリスタルウォールをただの拳では突破出来ないと踏んだのか、軽く舌打ちして一度シオンは拳を引いた。

 

 しかし、その顔にはまだまだ余裕の色が浮かんでいる。

 

 「ククク……腕を上げたな。だがこの私にクリスタルウォールは効かん!」

 

 次の瞬間、シオンの頭脳から強大なサイコキネシスが放たれた。

 ムウのクリスタルウォールが何の前触れも無く粉々に砕け散る。

 

 「なにい!?」

 

 拳による攻撃ではなく思念波の一撃でこうもあっさり砕け散るとは。

 しかしそれに気を取られている余裕などムウには無かった。

 

 「ハッ!?」

 

 クリスタルウォールの守りを失ったムウに、抉り込むような渾身の拳が叩き込まれた。

 息も止まりそうな衝撃にムウの身体がわずかに宙に浮く。

 

 「グッ……」

 

 かつての修行の日々で、シオンと直接手を合わせた経験は殆ど無かった。

 しかし今、改めて身体に刻まれる師の拳。

 その力には慄然とさせられる。

 だがこの程度では未だ致命の傷には至らない。

 再び脚に力を込め、ムウが立ち上がりかけた――――その時。

 

 「うっ!?」

 

 目に飛び込んできた光景に思わずムウは息を呑んだ。

 そこには、自らの両腕を天空に向け小宇宙を燃やすシオンの姿。

 背後に立ち上る小宇宙の像もまた、ムウと同じく巨大な角を振りかざし雄々しく猛るアリエス。

 

 「お前がこの私に敵うはずがあるまい。さあいくぞ……星々の渦に呑まれて散るがいい!」

 

 シオンの頭上に浮かび上がるのは星の輝きを宿した無数の光弾。

 

 「くらえ! スターダストレボリューション!!!!」

 

 緩やかな弧を描いて飛ぶ星々の光はまさに流星。

 一撃で大地を抉り岩を砕く威力を持った拳の連撃が、一斉にムウを目掛けて飛ぶ。

 

 「うわあぁぁぁぁぁ!!」

 

 押し寄せる光弾。

 天を駆け地を穿つ、流星光雨の光速拳!

 

 目も開けられない程の衝撃が黄金聖衣を突き抜けた。

 その衝撃を堪えることなど不可能。

 一瞬たりとも踏み留まれずに、ムウはその場から弾き飛ばされ白羊宮の壁に激突した。

 

 「グハァッ!!」

 

 背面を強打した石壁が大きく弾ける。

 やや遅れて大地に両足から崩れ落ちるムウ。

 だがムウは倒れ込みそうになる身体を抑えて、前を向く。

 

 「ま……まさかシオンの力がこれほどとは……」

 

 既に拳を構えたシオンは目の前に。

 このまま座していては勝ち目などありはしない。

 

 「お前の実力はまだまだ私の足元にも及ばん。素直に己の敗北を悟れ……じきに黄金聖闘士は一人残らず死に絶えることとなろう。一足先にあの世でそれを待っているのだな!」

 

 「クッ……!」

 

  ガカァッ!!

 

 一瞬の閃光と衝撃。

 その余韻が消え去ると、シオンの拳――――ではなくムウの放った拳を、胸の前でシオンの掌が掴み取っていた。

 

 「……まだそれだけの余力が残っていたか。だが今の私はサガの不意討ちに倒れた時の私ではないぞ!」

 

 悠然とそう言い放ったシオンは、微かに痺れの残る手でムウの拳を押し潰さんと腕に力を込める。

 だが苦悶を浮かべるムウの表情に変わりはないにも拘らず、シオンの掌はある違和感を感じていた。

 

 掴み取り、受け止めたはずの拳が――――完全に止まってはいない。

 

 「なにっ!?」

 

 「……確かに今のあなたの力は私が知るものよりも遥かに上だ。だがそれはあなただけではない……私とて……アリエスの聖衣を授かったばかりの頃とは違う!」

 

 わずかだが徐々に、そして確かにムウの拳がシオンの手を圧し始めている。

 それと同時に、シオンの周りを取り囲むように巨大な光輪が現れる。

 次の瞬間、シオンの顔が青ざめ額から冷や汗が吹き出した。

 この技はシオンも知っている。

 ムウの持つ技の中で唯一、シオンより受け継いだものではなく自らの力で生み出した必殺の拳。

 

 「ううっ! こ……この拳は……」

 

 今すぐ逃げろと脳が身体に命じている。

 

 この光に呑み込まれれば――――命は無いと!

 

 「いかん!!」

 

 全身に纏わりつくように、幾重にも重なった光のリングがシオンの身体を押し包む。

 

 「受けよ! スターライトエクスティンクション!!!!」

 

 次元を切り裂く光の奔流!

 

 凄まじい圧力と共に収縮する光輪。

 その光に包まれた箇所から五体の感覚が――――いやそれだけではない、まるで空間に溶け込むように、肉体そのものまでもが消えていく。

 

 或いは光をすら呑み込むブラックホールのように。

 光の輪はシオンを吸い込み、再び無へと帰っていった。

 

 「ハァ……グゥッ……」

 

 シオンが光輪に消え去るのを見届けたムウは、息も絶え絶えに身体を震わせた。

 激しく消耗してはいるが、すぐさま踵を返して歩を進める。

 目指すは金牛宮、アルデバランの守る宮へと向かった冥闘士達を追いかけるために。

 既に一度、天地を揺るがすような激しい轟音が響いたのは聞こえていた。

 恐らく今、アルデバランは自らの宮にたった一人で冥闘士を迎え撃っているのだろう。

 聖闘士として並ぶもの無き剛を誇ると謳われるアルデバランだが、数においては冥闘士が遥かに勝る。

 正面から突撃してくるような相手ならば、如何に多勢といえどもアルデバランの敵ではないが、冥闘士は力押しで攻めてくる輩ばかりでもあるまい。

 

 本来黄金聖闘士達は、一人につき一つの黄道十二宮を守護する任務を与えられ、聖域に攻め寄せて来る敵は大抵の場合自らの宮にてたった一人で迎え撃つ。

 その理由は、戦争を嫌い闘いは正々堂々を旨とするアテナが定めた掟、「聖闘士の闘いは一対一で行うべし」という言葉によるもの。

 他にも武器の使用を禁じるなどの掟が存在し、基本的に聖闘士はこれに従っている。

 だが実は、黄金聖闘士が一人で闘うのにはそれ以上の理由が存在するのだ。

 聖闘士として最強の力を持った黄金聖闘士達の闘いでは、並の聖闘士の想像を絶する威力の攻撃による戦闘が繰り広げられる。

 文字通り戦場を一変させる程の攻撃が広範囲に炸裂するのだ。

 その時、近くで力の劣る味方が闘っていたら、最悪の場合放たれた技の巻き添えになってしまう可能性がある。

 黄金聖闘士クラスの闘いの衝撃に耐えうる者はそう多くはない。

 故に、彼らは周囲に気をかけることなく全力を発揮するために、自らの宮で敵を待ち構え、たった一人で相手全員と闘う覚悟で戦場に臨むのだ。

 

 だが今の場合はそうも言っていられない。

 

 敵が大挙して攻めて来ている現状。

 この聖域の危機には、アルデバランに対する加勢も已むをえない。

 ムウは一気に駆け出した。

 ずっと降り続いていた雨はもう殆ど止んでいる。

 

 だが次の瞬間背後より聞こえた声によって、ムウの身体は一瞬の内に凍り付いた。

 

 「どうした、ムウ……どこへ行く?」

 

 「なっ!?」

 

 その圧倒的な存在感は、忘れようにも忘れられるものでは無い。

 肌を突き刺すような小宇宙の圧力。

 それが再びムウを襲う。

 

 「バ……バカな!?」

 

 「スターライトエクスティンクション……相変わらずの恐ろしさよ。だが甘いな……肝心の最後で詰めを誤るとは……お前はこのシオンを倒す唯一のチャンスを逃したのだ!」

 

 石畳に足音が響き、光の渦に呑まれ消滅したはずのシオンがその姿を現した。

 冥衣にわずかな破損の痕跡が見られるが、肉体そのものはまるで無傷。

 

 「うっ!?」

 

 「お前達の命運は決した……今ここに聖闘士達は死に、聖域は崩壊する」

 

 高々と掲げられたシオンの両腕の先に、星々の光が渦を巻く。

 それはあらゆる物体を巻き込み、砕き散らす破壊の星屑。

 だがそれと同じ光が――――ムウの頭上にも。

 

 「なに……?」

 

 思わず目を見開くシオン。

 鏡写しのように同じ構えで小宇宙を燃やす二人。

 その背後に立ち上る猛き牡羊の姿が対峙する。

 

 「スターダストレボリューションはこの私がお前に授けた拳。その拳で立ち向かおうというのか?」

 

 「ならばこそ! 我が師シオンより受け継いだこの技で!」

 

 僅かに一瞬シオンの動きが止まる。

 幼い頃から厳しく鍛えた最愛の弟子が、今アリエスを背負って師の前に立つ。

 

 「必ずや倒してみせる……それこそが…………あなたの教えに報いることだ!」

 

 激しく燃える小宇宙の高まりは一瞬にして臨界を超えた。

 師(シオン)から弟子(ムウ)へ。

 

 受け継がれた最大の拳が交錯する――――今!

 

 「おのれ!!」

 

 「ハアッ!!」

 

 『スターダストレボリューション!!!!』

 

 銀河を貫く光の流星!

 天より墜ちる星の欠片が、拳に宿りて敵を撃つ!

 

 ガガカァァッッ!!

 

 極限にまで集約された小宇宙を乗せて、光の速さで振り抜かれた拳は流星となって突き進む。

 二人の間で鬩ぎあう恐ろしい圧力。

 巨大な二つの力の激突、その余波でさえもが大地を砕く威力と化す。

 互いの拳が互いの拳を、撃ち落とし、押し潰し、乗り越え、そして弾き飛ばす。

 終わりの見えない激突の中、ギリギリの均衡を保ったまま二人の間にくすぶる小宇宙の圧力のみがどこまでも天井知らずに高まっていく。

 ぶつかり合う小宇宙は、周囲に破壊を撒き散らす膨大なエネルギーの塊へと収束する。

 深い亀裂が走る大地と、音を立てて震える空気はその証。

 

 「ぬうぅ……!」

 

 全身を震わす烈風の如き衝撃に踏み留まろうと渾身の力を両足に込めるが、それでもなお後ろに吹き飛ばされそうになる現状にシオンは微かに歯噛みする。

 

 「ムウ……お前は……このまま双方が消滅する道を選ぶつもりか!!」

 

 この状態が続きどちらか一方が相手を押し切ることが出来なければ、荒れ狂う小宇宙に巻き込まれた二人は塵となって消滅するだろう。

 だが、それでも――――

 

 「たとえこの命尽きようとも悔いは無い! ここであなたを、止めることが出来るのならば!」

 

 二人の間でくすぶっていた小宇宙が――――限界を超えて高まり続けた互いの小宇宙が――――遂に自らの圧力に耐えきれずに崩壊する!

 

 ド ド ド オ ォ ォ ォ ッ !!

 

 凄まじい大爆発の轟音と衝撃が、一瞬にして大地を揺るがし聖域中に響き渡る。

 衝撃波と共に立ち上った巨大な光の柱は、白羊宮の屋根を突き破りその場の全てを吹き飛ばした。

 

 そして閃光と爆音が収まった時、そこに残っていたのは柱は折れ屋根も崩落し、もはや半壊と言ってもいい程に無残な瓦礫の山と化した白羊宮の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「グ……ウッ……!」

 

 最初に感じたのは全身を襲う激痛だった。

 呻くように目を開けると、薄暗い空が見える。

 そして段々と身に纏っている黄金聖衣の感触から、背に感じる白羊宮の硬い床、仰向けで地面に倒れている感覚などが追いつく。

 やがて、朦朧としていたムウの意識が覚醒した。

 

 「クッ…………私は……シオンはどこへ……?」

 

 最後の記憶は、己とシオンの小宇宙のぶつかり合いの果てに巻き起こった凄まじい大爆発に呑み込まれた所で途切れていた。

 屋根に大穴が空き宮が崩壊する程の爆発。

 

 ふと見下ろすと、アリエスの黄金聖衣がいつもと変わらぬ様子で鈍い輝きを放っていた。

 神話の時代より最強不朽と称えられ、受け継がれてきた聖衣の最高位は伊達では無かった。

 あれほどの衝撃に巻き込まれても五体が無事でいたのは、間違いなくこの聖衣あってのおかげだろう。

 

 自分を護り抜いてくれた聖衣に感謝しながら、ムウは身体を起こした。

 辛うじてではあるが立ち上がると、とりあえずは周囲にシオンの気配は感じない。

 意識を失っていた時間はそう長くはなさそうだが、どうか。

 

 「……まだ戦いは終わっていない。冥闘士を追わねば」

 

 一気に小宇宙を燃焼させ過ぎたことによる疲労のためか、身体もふらつき遠くの小宇宙を上手く感知することが出来ない。

 だがそれでも、冥闘士との戦闘がまだ続いていることだけは分かった。

 逸る気持ちは焦りへと変化する。

 疲弊しきった小宇宙、冥闘士達の行方についての意識がムウの反応を決定的に遅らせ、その瞬間の明暗を分けた。

 

 「どけ」

 

 「なにっ……!?」

 

 突如背後に出現した何者かの気配。

 瞬間、真下から天高く突き上げるような鋭い拳の一撃がムウを襲った。

 

 「グハァッ!!」

 

 その男の一撃によって、ムウは再び白羊宮の壁に激しく叩きつけられた。

 

 「なんだ……!?」

 

 薄れゆく視界に捉えたのは、禍々しい巨大な翼を持った冥衣を纏う男と、それに付き従う数人の冥闘士の姿。

 

 「冥闘士だと……まさか…………新手か!?」

 

 すぐに立ち上がれるだけの余力は既に無い。

 だがたった今現れた冥闘士、特に先頭に立つ男が無造作に放っている小宇宙は、あのシオンと較べても優るとも劣らない強大さを見せている。

 これほどの小宇宙を持つ者は――認めたくは無いが――――黄金聖闘士でもそうは居ない。

 

 「フ……新手だと?」

 

 男に付き従っていた冥闘士の一人が一歩、ムウの方へと歩み寄った。

 そして次に口にした言葉を聞いて、ムウは思わず息を呑んだ。

 

 「そうではない、我らこそが此度の戦の本隊よ。先の奴らや裏切り者のシオンなど我らの行く手の露払いに過ぎん!」

 

 「なにい!?」

 

 その言葉は今の今まで闘っていたムウにとって、あまりに衝撃的な一言だった。

 今までの侵攻に関わった冥闘士達、あれほどの闘いを繰り広げた敵が、あろうことか本隊の先陣に過ぎなかったとは。

 まさに背筋も凍るような、驚愕の事実。

 冥闘士は更に言葉を続ける。

 

 「この方こそは冥王軍における三巨頭が一人……その名も天猛星ワイバーンのラダマンティス様よ!」

 

 聖戦の激化はまるで止まらず、その勢いは加速度的に進行していく。

 空から地上に微かな影が降りていく中で、聖域は今――――嘗て無い程の危機に直面していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして舞台は再び海底へと戻る。

 海底の中心に位置する巨大な神殿の更に奥に鎮座しているのは、アテナを封じたメインブレドウィナ。

 そのメインブレドウィナを前にして、黄金の聖衣を纏った三人の聖闘士が海皇ポセイドンど対峙している。

 いや、正確にはしていた、と言うべきだろう。

 世界に広がる七つの海を守る海将軍(ジェネラル)を撃破し、メインブレドウィナを支えるためそれぞれの海域に聳え立っている七本の柱を打ち砕いて、真っ先に海底神殿へと辿り着いたのは、獅子座(レオ)のアイオリア、蠍座(スコーピオン)のミロ、そして山羊座(カプリコーン)のシュラの三人であった。

 そしてほぼ同時に神殿に突入し、神殿の最奥部・メインブレドウィナへの最後の壁の前に悠然と鎮座するポセイドンと激突した。

 その三人は今――――尚も優雅な笑みを浮かべて玉座に座るポセイドンの前に倒れ臥している。

 

 「クッ…………ポセイドンとは……神とは……これほどの……!」

 

 口元を流れる血もそのままに、悔しさを滲ませ口を開いたのはアイオリア。

 そう、ポセイドンはアイオリア達が現れ、そして闘いを挑んでから今まで、玉座に座ったまま一歩も動いてはいないのだ。

 アイオリアの光速拳、シュラの聖剣、ミロの指拳、そのどれ一つとして届かない。

 渾身の小宇宙を込めて放った拳は、ポセイドンの身体から迸る波動によって完璧に弾き返されるだけ。

 自らの放った技を反射されるだけでなく、ポセイドンの小宇宙による衝撃までもをまともにくらい吹っ飛ばされる。

 

 「愚かな人間共よ……所詮人の身で神に立ち向かうことなどできぬのだ。まして神たる余に拳を向けるなど天に唾するようなもの。その身をバラバラに引き裂かれても足りぬ大罪と知れ」

 

 その場の空気が一気に重さを増した。

 とてつもない重圧と共にのし掛かる膨大な小宇宙は、まるで深く重い海の底に引きずり込まれたよう。

 三人を見下ろしながらも、ポセイドンの全身から溢れ出す小宇宙は微塵も衰えていないどころか、更に増大しているようにも感じられる。

 

 「ぬう……おぉぉぉぉぉ!!」

 

 だが、彼らは聖闘士。

 アテナと共に聖戦を戦う宿命を背負った彼らに、たとえ神であろうと強大な敵の前で折れる闘志はありはしない。

 立ち上がる、アイオリア。

 

 「聞け! 獅子の咆哮を! ライトニングプラズマ!!!!」

 

 駆け巡るは黄金の軌道!

 空間を埋め尽くす拳の輝線が、ポセイドンへと突き刺さる!

 

 「無駄だというのが分からぬか」

 

 海皇の瞳が妖しく輝く。

 次の瞬間、見えない壁に弾かれたように、アイオリアの放った光速拳が一つ残らず跳ね返った。

 

 「ぐあぁぁぁぁぁ!!」

 

 真っ向から打ち返された拳は、威力を増してアイオリアを吹き飛ばした。

 四方八方から叩きつけられた衝撃に人間の身体が木の葉のように宙を舞う。

 光速拳の嵐が終結したかと思うと、アイオリアは神殿の床に信じられない勢いで頭から激突した。

 

 「グハァッ!!」

 

 「アイオリア!」

 

 まさに一瞬の出来事だった。

 アイオリアが自ら繰り出した拳の威力によって地面に叩きつけられるまで、ミロとシュラは呆然と見ているしかなく、その場から一歩も動くことが出来なかった。

 

 「クッ!」

 

 「ミロ! 続け!」

 

 シュラが、そして一瞬遅れてミロが、ポセイドンに向かって突進する。

 それを視界に収めながらも、やはりポセイドンは立ち上がろうともしない。

 シュラは後ろ足で大地を強く蹴り、一足跳びでポセイドンの元へと接近した。

 

 「剣圧では届かん……ならばこの身を以て叩き斬るのみ!」

 

 大きく振りかざした手刀の一点に爆発的な小宇宙が集中する。

 小宇宙と鍛錬により極限にまで研ぎ澄まされた手刀は、黄金の光を纏う究極の聖剣と化す!

 

 「唸れ! エクスカリバー!!!!」

 

 空裂く手刀が剣光一閃!

 

 ただ一つの剣に全体重を乗せて、ポセイドンの脳天目掛けて斬る。

 

 だがそれが海皇に届くことは無かった。

 聖剣は――――ポセイドンの額に到達する寸前で止まっていた。

 

 「なっ!?」

 

 シュラの聖剣とポセイドンとの間に、越えることの出来ない壁が確かに在る。

 ポセイドンはそれを理解しているからこそ動かない、動こうともしない。

 人を生み出し人を統べるのが神という存在。

 ならば、神が人の上に立つのは必然というべきなのか。

 

 「ここまで私に近付いたのは誉めてやろう。だがいくら近付こうと貴様ら人間がこのポセイドンに傷を付けることなど不可能なのだ」

 

 ポセイドンの宣告と共に、手刀を振り抜き虚空に停止したシュラに猛烈な小宇宙の波動が放たれた。

 

 「うおぉぉぉぉ!!」

 

 ポセイドンの全身から発せられた衝撃に、シュラもまた天高く吹っ飛ばされた。

 アイオリアと同じく地面に叩きつけられるシュラを眺めるポセイドン。

 だが次の瞬間――――

 

 カッ!!

 

 「むっ!?」

 

 その肩を一筋の閃光が撃ち抜いた。

 

 ポセイドンの顔から初めて余裕の笑みが消えた。

 肩への一撃の出所に目を向けようとしたポセイドンの眼前には、鬼気迫るミロの姿。

 

 「いくぞ!」

 

 その指先には真紅の光が。

 燃え盛る小宇宙を宿した爪に全てを込めて、ミロが疾駆する。

 

 「くらえ! 真紅の衝撃! スカーレット・ニードル!!!!」

 

 真紅を彩る毒牙の光針!

 天空に座す蠍を象る十四の指拳が、神をも貫く鏃と化した!

 

 撃ち込まれた指拳の痕跡は、ポセイドンの纏う鱗衣に蠍の星座を刻みつける。 

 

 「無駄だというのが…………むうっ!?」

 

 ピキィィッ!!

 

 ポセイドンの顔に初めて表情が見えた。

 明確な驚きと共に鱗衣の破片が舞う。

 

 「おおっ!」

 

 「ミロ!」

 

 ようやく、届いた。

 圧倒的な小宇宙に任せてあらゆる技を押さえ込んだポセイドン。

 だが僅かな時間差で以て放たれた拳を反射する程の精密さを持ち合わせてはいなかった。

 

 その一つ一つの傷は微小。

 だが傷口より流れ込む激しい痛みは、神でも人でも変わりはない――――はずだった。

 

 「なにい! バ……バカな!?」

 

 なんと!

 スカーレット・ニードルを十四発までもその身に受けていながらポセイドンは立っている。

 涼しげな顔で、何の苦痛も表すことなく。

 だが既にその顔からは、それまでの余裕や情けともいうべき感情は完全に消失していた。

 冷酷な眼差しで見下す様は、正に人の上に君臨する神の姿。

 

 「この私の鱗衣はその辺の海闘士や海将軍が纏うものとは違う。如何に黄金聖闘士とはいえ貫くことなど出来るものか……この鱗衣を貫こうと思えばそれこそ神の力を以てせねばならぬのだからな」

 

 確かにポセイドンの鱗衣に拳を届かせることは出来た。

 だがそこまで。

 鱗衣を貫きその肉体にまで到達する程ではなかったのだ。

 信じられないことに、ポセイドンの小宇宙がどんどん膨れ上がっていく。

 小宇宙の真髄・第七感を極めた黄金聖闘士ですら相手にもならない程の超絶の小宇宙が、更に強く激しく燃え上がる。

 

 「さて…………今更逃げる気は無いのだろう。我が鱗衣に傷を付けた罪は重い……この場でまとめて消し飛ばしてくれる!」

 

 海底揺るがす怒涛の衝撃!

 圧倒的な力の奔流となって炸裂する小宇宙の波動は、まさしく大海の主たる所以!

 

 唸りを上げて海底神殿に地響きが走る。

 脅威的な重圧が完全に足の止まった三人に向けて叩きつけられた。

 

 成す術など無い。

 立ち向かうだけの力も無い。

 それは人の身ではどれほど積み上げても決して届かぬ神の領域。

 ただひたすら、絶望的なまでの力の差が彼ら三人を打ちのめす。

 

 纏っているのが黄金聖衣でなければ恐らくは一瞬にして身体が砕け散っていたであろう。

 だが、その黄金聖衣ですらいつまで持つか。

 現に聖衣の末端には微かな亀裂が走り始めている。

 しかし次の瞬間、彼らの目の前に突如として黄金の光が現れた。

 そして迸る神の衝撃を――――止めた!

 

 「カミュ!」

 

 「シャカ!」

 

 「アフロディーテ!」

 

 現れたのは三人の同志。

 それぞれが光り輝く聖衣を纏った最強の黄金聖闘士達。

 海闘士の将を撃破し、そして遂に海皇ポセイドンの前に集結したのだ。

 

 「お前達……少し頭を冷やしたらどうだ?」

 

 「依り代とはいえ相手は神。我ら黄金聖闘士といえどバラバラに立ち向かっていては命は無い」

 

 「この恐ろしく強大な小宇宙……流石は神よ。今こそこの命を懸ける時かもしれないな……」

 

 「お前達……!」

 

 友の小宇宙が再び闘志を呼び覚ます。

 アテナへと続く道を遮る最後にして最大の脅威に挑む戦士達。

 全ての力を結集して、いざ神の頂きへ。

 

 

 




今回で以前書いていた所まできましたので、ストックは最後となります

作者の学業的な事情もあり、今後はこれまでより更新の速度がかなり遅くなるものと思われますが、ご了承下さい 

ちなみにですが、にじファン時代は普通にひと月ふた月更新が無いのもザラでした。その位のペースと思って頂ければ

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