もし青銅が黄金だったら   作:377

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第二十六話 聖戦の序章

 全世界を覆い尽くすかのように広がった分厚い雨雲によって引き起こされた水害は、治まるどころかさらに拡大の一途を辿っていた。

 凄まじい豪雨はややその勢いを失ったとはいえ止むことは無く、各地で被害は大きくなる一方だった。

 人々は連日続く雨や大波に言い知れぬ不安を感じながらも、この天変地異とも言うべき豪雨や洪水を目の当たりにしては、ただ逃げ惑うしか無かった。

 

 だが世界中の人々は知らない。

 濁流が土や人を押し流し津波が大地を削る、こんなものはまだ地上崩壊の序章にしか過ぎないことを。

 そう――――今まさに、それを上回る異常な事態がこの世界に起こりつつあるということを。

 

 アテナの行方を追って、総勢七名もの黄金聖闘士達がポセイドンの支配する海底へと向かい、各々が海底の要所要所に聳える巨柱を守る海将軍との死闘を繰り広げていた頃。

 ほぼ時を同じくして聖域にもまた、闘いの始まりを告げるかのように、不穏な小宇宙を纏った黒い影が近付きつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 日中にも拘らず雲が立ち込め雨が降りしきる薄暗い聖域の片隅に、それらは突然姿を見せた。

 頭から足の先までを覆う物々しい漆黒の鎧を身に纏った一団が現れたのは、十二宮から少し離れた所に存在する聖闘士達の墓所であった。

 そこには過去の戦や任務で命を落とした多くの聖闘士達が眠っている、そんな慰霊の地。

 だがその静けさを踏み荒らすように、黒い集団は聖域の中心を目指しているのか、一直線に十二宮へと向かっていった。

 

 その者達は全員で十数人程であり、皆異なる意匠の鎧を纏っているが、それらは全て金属とも宝石ともつかぬ特異な暗い輝きを放ち、聖闘士の纏う聖衣や海闘士の鱗衣と同類のものであることが見てとれる。

 しかしその佇まいから発せられる不吉な殺気を孕んだ気配は、まるで冥界に蔓延る幽鬼のように不気味で得体が知れないものだった。

 そしてその集団の先頭に立つ大男は辺りを見回し、まるで人目に付くのを避けるかのように聖域の中心に向かって荒地だらけの道を音も無く進んでいく。

 その様はあたかも影が進んでいるようであった。

 

 現在、冥王ハーデスの封印が解かれたことは既に聖闘士達に知れ渡っているため、聖域にはそれまで以上の厳戒態勢が敷かれている。

 しかし肝心のアテナが聖域に不在であり、更にそのアテナを連れ去った張本人の海闘士を討つために、聖闘士の最高位である黄金聖闘士の多くが聖域を離れているのが現状だ。

 よって今、聖域に残っている黄金聖闘士はムウ、アルデバラン、デスマスク、アイオロスの四人しかいない。

 雑兵や下級の聖闘士達があちこちで見張りや巡回をしてはいるが、実質的には本来の三分の一近い戦力で敵を――――冥界からの軍勢を迎え撃つこととなるのだ。

 敵が攻めてくる前にポセイドンからアテナを奪還するというサガの作戦は、ここに至って完全に裏目に出てしまった形になる。

 それほどにこの敵襲は、一時的とはいえ戦力が激減している聖域には予想外のタイミングであり、また冥界勢にとってはかつて無い絶好の機会でもあった。

 そして遂に、最悪の状況で聖戦が幕を開ける。

 敵の気配は既に、第一の宮である白羊宮のすぐそばにまで押し迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「来たか……!」

 

 虚空を睨みそう小さく呟いたのは、白羊宮を守護する黄金聖闘士アリエスのムウ。

 牡羊座(アリエス)の聖闘士は十二宮でも最初の宮を守ることもあり、敵襲の際には真っ先に戦場に立つ可能性が高い。

 ムウもそれを理解しているが故に、敵意を持って近付いてくる者の気配に対して強く警戒しながら、自らの感覚を研ぎ澄ましていた。

 

 敵の姿は今の所は無く、その視線の先には未だ影すらも見えない。

 しかし並外れた感覚を有する聖闘士にならば、ある程度の距離があったところで敵の放つ気配を捉えることはさして難しくもない。

 まして黄金ともなれば、数千㎞の彼方を捉えることも不可能ではないのだ。

 

 敵が姿を見せるまでにそう時間はかからないだろうとムウは踏んでいる。

 徐々に近付いてくる邪悪な小宇宙は、既にはっきりと感じ取れるまでになっていた。

 白羊宮の前で敵を待ち受けるムウが察知した気配は、複数でありながらもその一つ一つから強い小宇宙がひしひしと感じられる。

 

 そしてじわり、と自身の小宇宙を高めたその時、不意にムウが口を開いた。

 

 「止まりなさい。それ以上進むというのなら、この私が相手になろう」

 

 それは一見すると穏やかな口調で語りかけているようにも聞こえる声。

 だがしかし、白羊宮の前に伸びている道に鋭い目を向けるムウからは、誰の目にもはっきりとそう分かる程の強烈な威圧感が放たれている。

 

 直後、白羊宮に一瞬の空白が生まれた。

 

 そしてその声に応えるかのように、ムウの前に黒い影達がとうとう姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白羊宮前の広場にズラリと並ぶ漆黒の鎧に身を固めた男達を前に、ムウはただ一人立ち塞がっていた。

 そして男達はゆっくりとムウとの間に空いた距離を詰めていくが、対するムウの方は一歩も退かない。

 やがて、集団を率いていると思われる先頭の大男が口火を切った。

 

 「クックック……お前が白羊宮を守るアリエスの黄金聖闘士だな?」

 

 「そういうお前達は冥界の者か」

 

 「フ……そうとも! 我らこそは冥王ハーデス様に永遠の忠誠を誓った冥界の戦士! その名も冥闘士(スペクター)よ!」

 

 逆にムウに問い返された男が、自らを誇示するように大声で叫ぶ。

 するとそれに呼応するかの如く、他の者達はムウを取り囲んで半円状に広がった。

 

 「聞くがいい! 我らが主、冥王ハーデス様によって聖域は滅亡するのだ! そしてそのための生け贄となるのが貴様ら聖闘士達よ! もはやお前達はその運命から逃れることはできんのだ!」

 

 「フッ……こちらの手薄を突いた位で何を言う。冥界に送り返されるのはお前達の方かも知れんぞ」

 

 「な……なにをぉ!?」

 

 嘲るような声でそう吼える冥闘士に、ムウはどこまでも冷静な態度を崩さない。

 

 しかしその挑発が癇を逆撫でしたのか、先程から先頭に立っている件の冥闘士が一人飛び出しムウに向かって突撃した。

 

 「ぬうぅ~~減らず口を! だが手薄というなら話は早い! まずはお前からあの世へ送ってやろう! この地暴星サイクロプスのギガントがなぁ!」

 

 突進してくるギガントの後方からも更に数人が迫って来ていた。

 そして重量のあるギガントの巨体が見た目に反した速さで接近し、その大きな拳を振り降ろす。

 

 「その生意気な口を閉ざしてやるぜ! くらえ!」

 

 その瞬間、ギガントの拳よりも早くムウの拳が光と消える。

 これこそが小宇宙の真髄・第七感(セブンセンシズ)を極めた黄金聖闘士の拳。

 その速さは――――光速!

 

 「なにぃ!?」

 

 何の予備動作も無く放たれる光速の拳を、躱せる者などありはしない。

 

 「グハァ!」

 

 勢いをつけて突進してきたギガントは、見るも無惨にただ一発の拳を放つことも無くそれより速く放たれたムウの拳に吹き飛ばされて宙を舞う。

 背後の味方をも巻き込んでギガントの巨体が地面を抉り吹っ飛んだ。

 

 「な!?」

 

 目の前でいきなり弾き上げられた仲間の姿に、後に続いた者達は動くことも出来なかった。

 ムウはその場から一歩も動かずに、その拳のみで迎撃したのだ。

 

 「お前達に忠告する気は全く無いが、人の話は聞いた方がいいぞ……むっ?」

 

 冥闘士達が躊躇いがちに後退りしようとしたその時、たった今ムウの光速拳を受けて地面に叩きつけられたはずのギガントがむくりと立ち上がった。

 見れば大したダメージも無いようだ。

 

 「ククク……驚いたようだな。拳の一発や二発で俺達を倒せるとでもおもったか!」

 

 「なんだと?」

 

 沸き上がる微かな動揺を押し殺して、冥闘士達が纏う鎧にムウは目を留める。

 

 「クックック……俺達を守るこれは、ハーデス様の御力によって作られた冥衣(サープリス)! 貴様の脆弱な拳などこの冥衣の前には歯がたたんのだ!」

 

 「冥衣……!」

 

 得意気にそう言ってムウの前に立ちはだかるギガント。

 そして、先程と同じように太い腕を振りかぶって再び拳を放つ構えを取った。

 

 「今度こそ五体がバラバラになるまで砕いてくれるわ! くらえ! ジャイアントナックル!!!」

 

 「クッ……!」

 

 先程よりも格段に勢いの増した突進と共にギガントの拳が膨れ上がる。

 単なる光速拳ではこの一撃を潰すことは出来ない。

 そう当たりを付けて、ムウは回避を選んだ。

 ギガントが繰り出す拳の動きを見極め、後ろに跳ぼうとした瞬間――――ムウの身体を何かが縛る。

 

 「なっ!? しまった!」

 

 「死ねえぇーーーー!!」

 

 凄まじいまでの衝撃が全身を貫いた。

 まさしく骨の髄まで打ち砕くような巨大な威力がムウを襲う。

 

 「グゥッ!!」

 

 避けられたはずの攻撃。

 だが、突然硬直した身体では受け身を取ることさえも出来ず、それどころかまともに拳をくらうしかなかった。

 白羊宮の柱に背中から激しく叩きつけられたムウは、混乱しそうになる頭を振って何とか立ち上がり前を見据える。

 

 「い……今のは一体? 超能力で私の動きを止めたというのか? なんと凄まじいサイコキネシスだ……そんな真似が出来る者がいたとは……」

 

 聖闘士の中でも超能力に関しては最高と言われるムウでさえ舌を巻く程の卓越した力の持ち主が冥闘士達の中に潜んでいる。

 

 超能力に関しては右に出る者は居ないと自負していただけに、その衝撃は大きかった。

 思わず冷や汗が頬を伝い、改めて敵の実力に戦慄するムウ。

 しかし、だからと言って冥闘士達は待ってはくれない。

 ムウがダメージで動けない内に総攻撃で倒し、次の宮へ進むと決めたようだ。

 

 「フハハハ! 黄金聖闘士など脆いものよ! 所詮はこの程度だ! よし白羊宮を抜けるぞ! 奴に止めを刺せえーーーー!」

 

 ギガントの掛け声に呼応した冥闘士達が、喚声を上げて一斉にムウの所に殺到する。

 それを見て、ムウは己の両腕を胸の前で小さく交差させた。

 そして冥闘士に掌を向けると、そこに小宇宙を集中させる。

 やがてムウの小宇宙は掌から徐々に広がっていき、うっすらとした幕のようなものが形成されていく。

 

 地面を揺るがす勢いで正面から向かって来る冥闘士。

 ムウとの距離がみるみる内に縮まっていき、遂に白羊宮の入り口に足を掛けた――――その瞬間。

 

 『うおぉぉぉぉぉぉぉ!!』

 

 「クリスタルウォール!!!」

 

 淡く輝く小宇宙が生み出す全てを弾く鏡状障壁!

 

 押し寄せる冥闘士達の拳の威力を、不可視の壁が跳ね返す。

 

 「何者であろうと……この白羊宮は通さない!!」

 


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