もし青銅が黄金だったら   作:377

20 / 30
第二十話 海皇の目覚め

 

 

 ここはギリシャ、スニオン岬を間近に臨むとある豪邸で、今日も世界各国の富豪や財閥を招いた大きなパーティーが開かれていた。

 パーティーの主催者であり、この邸の主でもある青年の名は、古くから貿易によって巨万の富を築き上げてきた海商王ソロ家を率いる若き総裁、ジュリアン・ソロ。

 華やかな外見とは裏腹に、莫大な資産で以て世界の海を牛耳る男である。

 

 しかし若くして家督を継ぎ、世間に名を知られたジュリアンは、この日、彼の十六歳の誕生日を境にあらゆる経済、社交の表舞台からその姿を消すことになる。

 彼もまた、古の時代より続く神々の世界に足を踏み入れてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「い……一体あの三つ又の鉾は何だ!?」

 

 スニオン岬の先端で目にした物に、ジュリアンは思わず息を呑んだ。

 

 時は少々遡る。

 

「まさか……この僕の申し出を拒絶する者がいるなんて……」

 

 屋敷で行われているパーティーを抜け出し、近くの崖から夜の海を眺めていたジュリアンは、つい今しがた出会った少女のことを考えていた。

 幼い頃より大海商の家に生まれ、その跡取りとして育てられたジュリアンには、他人から自分に逆らうような言動を取られたことが無い。

 その少女に求婚を断られるまでは。

 

 「名は何といったか……ミス・サオリ。そう、城戸沙織だったな」

 

 自分の誕生日の祝いの席で、一際目を引いた美しい少女。

 世界的にも有数の財閥である、グラード財団の総帥としてその名は知っていたが、実際に会うのは初めてだった。

 内面から気品が溢れるような、その美しさと立ち振る舞い。

 目を奪われぬ者などいないだろう。

 そこで、ジュリアンはつい普段他人にするように気楽な口調で結婚の申し出をしてしまった。 

 その結果、こうして一人寂しく海を眺めているという訳だ。

 

 「むっ……あれは何だ?」

 

 気を紛らわそうとして、何気なく外を眺めていると、やや離れた所で何かが光っているのが見えた。

 そこはスニオン岬と呼ばれる場所だ。

 海に向かって突き出ている形になっていて、今も古い神殿の跡地が残ってはいるが、他には特に何が有るという訳でも無い、はずであった。

 そんな所から光が射しているのが妙に気になり、ジュリアンは邸をこっそりと抜け出し確かめに行った。

 そして辿り着いたスニオン岬で彼が目にしたものは、柄が地面に突き刺さった見事な黄金の三叉の鉾であった。

 

 「これは一体……」

 

 「その鉾は、神話の時代からあなた様のものでございます。ジュリアン様」

 

 「だ……誰だ!」

 

 突然背後からかけられた声に、ジュリアンは驚いて振り返った。

 するとそこに居たのは、見たこともない金属で出来た鎧を身に纏った、一人の少女だった。

 

 「私の名は人魚姫(マーメイド)のテティス。海皇ポセイドンの化身たるあなた様を、お迎えに参りました」

 

 「何だと、君は何を言っているんだ……? 僕が……ポセイドン?」

 

 テティスと名乗った少女の言葉に、ジュリアンは当惑した。

 海に生きる一族であるソロ家の者にとって、海神ポセイドンは代々守り神として信仰されてきた存在だ。

 しかしそれはそれ、所詮は神話に登場する神である。

 いくらジュリアンでも、それが本当に実在すると思っていた訳ではないし、まして自分がそのポセイドンだと言われれば、誰だって信じる気にはなれないだろう。

 だが、目の前に傅くテティスの表情は真剣そのものであり、到底人をからかっているような雰囲気ではない。

 

 「その通りでございます。ジュリアン様こそ世界の海を総べるポセイドンの化身。海皇ポセイドンに仕える者共が、海底の都でジュリアン様を待っております」

 

 荒唐無稽と言われてもおかしくない。

 急にこんなことを言われて、受け入れる方がどうかしているというのはジュリアンにもよく分かっていた。

 だがそれでも、彼の口からテティスの言葉を強く拒絶する声が出でこない。

 むしろそれがさも当然のことであり、自らの運命であるのではないか、今までの人生はこの為にあったのではないか、そう考えてしまう程に。

 

 やがて、その奇妙な感覚は全身へと広がっていった。

 そんな心中の動揺を隠しきれないジュリアンの前でテティスは立ち上がると、そっと彼の身体に手を回してがっちりと固定し、言った。

 

 「これから私がポセイドン様を海底へとお連れ致します」

 

 ジュリアンの思考が一瞬停止した。

 そしてすぐに頭が追いつく。

 

 「なにぃ!? 一体どうやって……このまま飛び込むとでも言うのか!?」

 

 自分を離さずいきなり真下の海に飛び込もうとするテティスに、さすがにジュリアンも肝を潰したのか、咄嗟に待ったの声をかけた。

 しかし、それが聞き届けられることは――――無かった。

 

 「ご安心下さい。海底では海闘士(マリーナ)や海将軍(ジェネラル)達も首を長くしてポセイドン様をお待ちしております」

 

 「いや、だから……」

 

 トン、とその瞬間テティスと、彼女に身体をホールドされたジュリアンは、スニオン岬から遥か下の海面に向かってその身を投げ出していた。

 

 「うわあぁぁぁぁぁぁ!」

 

 ジュリアンの悲鳴がスニオン岬に響き渡る。

 そして、海中に突入したかと思うと、強烈な水圧と呼吸が出来ない苦しさからか、彼は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、そこには海。

 

 摩訶不思議な光景だった。

 頭上に広がっているのは空ではなく、暗い色をした巨大な水のドームとも言うべきものが覆っている。

 そして足元には、存外しっかりした石畳で作られた道がどこかに続いている。

 とてつもなく大きな気泡に包まれている、という表現が相応しいかもしれない、そんな世界だった。

 

 「ここは?」

 

 「海皇ポセイドン様の都、海底都市アトランティスでございます」

 

 独り言のつもりだったが、傍に控えていたテティスがその疑問に答えた。

 アトランティス、伝説として伝えられる都市が海の神ポセイドンの治めていた都であり、こうして海底に今も残されているのだと彼女は言う。

 しかしそうと聞いても、彼女と違ってここへ来る途中で意識を失ってしまったジュリアンには、やはり海底へ着いたという実感は薄く、ただ呆然とそれを受け入れるしか無かった。

 

 「信じられない……本当にここが海の底なのか……」

 

 「はい。さあ参りましょう。あちらで皆が集まっております」

 

 そう言ってテティスは彼の前に立って、海底に敷かれた道を進んでいく。

 それに続いてジュリアンも歩いていくと、しばらくして大きな建物が見えてきた。

 

 古い、とても古い神殿のようだった。

 これこそがまさしく海皇ポセイドンの神殿であり、居城でもあるのだろう。

 神聖で荘厳な空気が漂うその中で、テティスの鎧と似たものに身を包んだ一見して兵士と分かる者達が集結していた。

 彼らは皆一様に、更に神殿の奥へと進むジュリアンに歓声を上げて跪いていく。

 

 「彼らは海闘士(マリーナ)。ポセイドン様を守る忠実な兵士達でございます」

 

 案内役として一歩先を進むテティスが、海闘士について説明する。

 海底のこと、海闘士のこと、その他にも、いろいろとやり取りをしながら進んでいく内に、ようやく目的の場所に着いたようだ。

 

 そこにあったのは、やはりジュリアンには分からない金属で出来た神の姿――――間違いなくポセイドンだろう――――を象った上半身のみの像だった。

 その手には、スニオン岬で見た三叉の鉾が握られていて、雄々しくそれを掲げる様子は逞しい海神の姿を雄弁に表している。

 

 もっとよく見てみたい。

 不意に、そんな思いがよぎったジュリアンは吸い込まれるようにその像へ近づいていった。

 

 そして、今まさに触れようとして――――ポセイドンの像が弾けた。

 

 次の瞬間、海神ポセイドンを模したその像は、頭、肩、腕等の細かいパーツとなってバラバラに分解し、それらがまるで自らの意志を持つかのように自然とジュリアンの身体に鎧となって装着されていた。

 

 海闘士が纏うその鎧の名は鱗衣(スケイル)。

 そして数ある鱗衣の中でも頂点にあるのが、このポセイドンの鱗衣。

 ジュリアンがそれを身に着けた時、あたかも前世の記憶が甦ったかのように、意識の奥底から沸き上がってくる声が聞こえた。

 それは、神としての意志。

 

 「うぅっ……な……なんだこの声は!? 僕の頭に響いてくるこの声は何だ!?」

 

 気でも触れたか自問自答するが、混乱した頭ではうまく考えることが出来ない。

 だが次第にその声は水が地面に浸み込むようにジュリアンの意識を染めていった。

 海皇ポセイドン、その強大な意志。

 神の意志がジュリアンを包み、一体となり、そして覚醒する。

 

 「そうだ、私には使命があった。人間によって汚された地上を浄化するという使命が……そう、我が名は…………海 皇 ポ セ イ ド ン!」

 

 ジュリアン、いや既に彼は海皇の意志を受け継ぐポセイドンそのもの。

 その身体には強大な小宇宙を宿す、神の化身。

 

 太古の昔、アテナと地上の支配を巡って争ったという海皇ポセイドンが、今ここに覚醒したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「テティス、ポセイドン様はどうなさっている?」

 

 「神殿の奥にてお休みになっております、海龍(シードラゴン)様」

 

 ポセイドンの覚醒の後、神殿の入口で話し合う二人。

 海龍と呼ばれた男は、それを聞いて高笑いしながら言った。

 

 「フッフッフ……そうか。これで地上は我らがポセイドン様が手に入れたも同然。アテナなど、物の数ではないわ!」

 

 しかし、テティスは僅かに俯いて言い返した。

 

 「海龍様、アテナの下には聖闘士がおりますが……」

 

 だが、海龍はそれでも余裕を見せたままだった。

 

 「そのような心配は要らぬ。聖域は少し前の争いで今も混乱が続いているはず。それに、傷付いた者も多いと聞く。ポセイドン様の大望の障害になど、なるはずが無いではないか」

 

 「しかし……」

 

 「くどい!」

 

 やはり海龍は聞く耳を持たない。

 だが、その時だった。

 

 「テティス、それほど心配ならば、この私自ら聖闘士の首を取ってこよう」

 

 尚も続けようとするテティスの背後から、涼やかな声が聞こえてきた。

 

 「むっ!?」

 

 二人は現れた男に目を向けた。

 すると、そこに近づいてきたのは――――

 

 「お前は! 海魔女(セイレーン)のソレント!」

 

 それは、横笛を手に微笑を浮かべた青年だった。

 やはりその身に鱗衣を纏い、顔には絶えず微笑を浮かべている。

 テティスの発言からするに、ポセイドン配下の中でもトップに立っていると思われる海龍を前にしても、微塵も物怖じしていない。

 ソレントはそのまま海龍の傍に近寄ると、軽く頭を下げた。

 

 「それで、いかがですか。あなたが命じるのなら、私がアテナを守る目障りな聖闘士達の首を取って参りましょう」

 

 海龍は一瞬考え込むような仕草を見せた後、はっきりと言った。

 

 「いいだろう。お前ならば、それも容易いはず。アテナ共々、聖闘士を根絶やしにしてくるがいい!」

 

 「それでは」

 

 かくして、ソレントの出撃は許可された。

 海龍の命を受けたソレントは、海底の神殿から軽やかな足取りで去っていく。

 

 これにより、聖域と海界とが戦争状態に陥り、またしても多くの聖闘士達が巻き込まれていくことになる。

 そしてこの闘いが、後に勃発する聖戦にも大きな影響を与えることになることなど、誰もが知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、海皇の目覚めとほぼ時を同じくして、中国は五老峰から西に約1000kmの地に聳え立つ、巨大な塔が、轟音と共に崩れ落ちていた。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。