もし青銅が黄金だったら   作:377

16 / 30
第十六話 氷の聖闘士

 黄道十二宮の中でも十一番目に当たる宝瓶宮。

 その入口に仁王立ちしてアイオロス達を見下ろしているのは、この宮の主、水瓶座(アクエリアス)のカミュ。

 彼は聖闘士の闘技の中でも珍しい凍気の使い手であり、下でアテナの守りに就いている氷河の師でもある。

 

 この二人が用いる凍気とは、物体の温度を極低温まで冷却する力のことであり、自らの小宇宙を燃やし、熱の源である原子の振動を止めることで凍気を生み出す。

 だが、同じ凍気とは言っても黄金聖闘士の彼が生み出す凍気は青銅聖闘士である氷河とは比べものにならない。

 カミュの作り出した氷は永久に溶けることは無く、黄金聖闘士が数人がかりでも砕けないと謳われる程なのだから。

 

 そのカミュと対峙している中で、不意にミロが、アイオロス達を抑えて一歩前へと踏み出した。

 ミロの目が見据えているのはただ一人、行く手を阻む宝瓶宮の守護者カミュ。

 それを見たカミュもまた、ミロ以外の者から視線を外した。

 ミロは、そのまま振り返ること無く後ろの二人に告げる。

 

 「カミュの相手は俺がする。お前達は、先に行け」

 

 「ミロ……」

 

 本来なら、別にミロはわざわざ十二宮を守る聖闘士達と闘う必要は無いはずである。

 今回の場合、教皇に敵対すると見なされたのはアテナと一緒にやって来たアイオロスと星矢達、そしてアイオロスと共に進んでいたムウとアイオリアだけ。

 つまり、ミロ一人だけなら普通に教皇の元まで辿り着ける可能性がある。

 それにもかかわらず、敢えて闘おうというのか、ムウはミロにそう言おうとした。

 しかし次のミロの言葉に、ムウはそれを呑み込むしかなかった。

 

 「俺のことなら構わん。もう時間も無いのだろう……」

 

 ミロの身体からじわりと黄金の小宇宙が立ち上った。 

 

 「ここを引き受けてやると言っているのだ! 早く行け!」

 

 その言葉に、アイオロスとムウはミロの想いを見た。

 そして、向かい合うミロとカミュにしばし目をやった後、二人は駆け出し、カミュの隣を通り過ぎていった。

 

 ミロも、そしてカミュもまた走り去るアイオロス達に目もくれず、敢えて二人を阻止しようともしない。

 二人が走り去った後で、ようやくカミュが口を開いた。

 

 「ミロよ、悪いことは言わん……今すぐ自分の宮に引き返せ。お前がこの先へ進もうというのなら、無駄に命を落とすだけだ」

 

 だがミロはそれを聞いて、逆にカミュの方へと続く階段を一歩ずつ上り始めた。

 そして、カミュから目を離さずにゆっくりと近付いていく。

 

 「残念だがそれは聞けんな。俺はどうあっても教皇の元まで行く。たとえお前と闘うことになったとしても……!」

 

 遂にミロは宝瓶宮の入口、カミュの目の前までやって来た。

 しかしカミュは、ミロに対して静かに首を振る。

 

 「私もお前を通すことはできない。だがミロよ……いや、もう何も言うまい。せめて友として、私の手でお前を止めよう。来るがいい……ミロ!」

 

 瞬間、二人の小宇宙が爆発的に燃え上がる。

 

 先に仕掛けたのは、ミロ。

 カミュに言葉を返す間もなくミロの指先が紅く閃いた。

 

 「いくぞ! 真紅の衝撃! スカーレット・ニードル!!!!」

 

 先手必勝、とばかりに放たれた光速の指拳。

 だが、その一撃がカミュの身体を貫きはしなかった。

 紅く輝く光線と化したミロの指拳は、カミュに触れる直前でいきなり何かに弾かれる。

 

 「むっ…!?」

 

 目を凝らして見ると、その何かが判明した。

 カミュの前にあったのは、人馬宮でも見たあの氷壁。

 人一人を覆う程度の大きさだが、ミロが攻撃を仕掛けてくる瞬間を読み、カミュもまた己を守るために氷壁を作り出していたのだ。

 

 「この氷壁は生半可な力では砕けん」

 

 「フンッ……なめるな!」

 

 カミュはミロに向かって構えると、自分の掌に小宇宙によって生み出した凍気を集める。

 ミロは人馬宮の時と同様に、氷の結合が緩い一点を瞬時に見抜くと、すぐさまその指先で氷壁を貫き、粉々に打ち砕いた。

 氷が霧消し、辺りに水蒸気が立ち込める。

 だがミロがカミュに詰め寄ろうとしたその時、既にカミュの攻撃が放たれた後だった。

 

 「ダイヤモンドダスト!!!!」

 

 極限にまで圧縮された凍気が織り成す氷雪の拳。

 

 迫り来る圧倒的な凍気は、まさしく水と氷の魔術師と呼ばれる所以。

 

 ダイヤモンドダスト――――それは、彼の弟子である氷河にも受け継がれた、凍気を操る聖闘士にとって基本となる闘技。

 集中した凍気を拳に乗せて放つだけという単純な技だが、広範囲に広がる凍気が、空中に巨大な氷の結晶を作り出し、相手を包み込んで凍結させる。

 

 技を放った後の隙を突かれたミロは、その一撃をかわしきれなかった。

 目の前が真っ白に染まるほどの強烈な凍気。

 ミロの全身が一瞬の内に氷の膜に覆い尽くされる。

 

 しかし、その凍気も黄金聖衣を貫き肉体の奥まで凍結させる程ではない。

 ミロが身体に力を込めると、氷はあっという間にひびが入って弾け飛んだ。

 

 「十二宮の入口でお前の弟子にも言ったが、そんな凍気ではこの黄金聖衣を凍りつかせることはできんぞ」

 

 「なに……?」

 

 カミュは全く顔色を変えずに返したが、ミロは更に続けた。

 

 「かつてお前が言っていたことだ。黄金聖衣を凍りつかせるには究極の凍気、即ち絶対零度でなくてはならん。そしてその絶対零度を作り出すのはお前ですら不可能だ、と」

 

 確かに、それはかつてカミュがミロに語ったことである。

 黄金聖衣を凍結させようとするなら、絶対零度、つまり-273.15℃という凄まじい極低温が必要とされる。

 そしてカミュの凍気は絶対零度に限りなく近いと言われるが、近いとはいえ僅かに絶対零度には到達してはいないというのも事実。

 そんなことは誰よりも、カミュ自身が一番良く知っていることだ。

 

 「…そうだな。確かに私の凍気では黄金聖衣は貫けない」

 

 しかしそう言いつつも、カミュの態度は微塵も揺らぐことは無かった。

 

 「だが私を弟子と一緒にしてもらっては困るな」

 

 再び凍気を込めた拳を構えるカミュ。

 その姿からは、何があっても退くことは無い――――そう思わせるような彼自身の強い意志が形となって表れているようだ。

 

 二人の間に流れる一瞬の沈黙、それを破ったのは二人同時だった。

 

 「行くぞ! スカーレット・ニードル!!!!」

 

 「ダイヤモンドダスト!!!!」

 

 小宇宙の高まりと共に、蠍の一撃と凍気の拳がぶつかり合った。

 

 瞬間、ミロはまたしても全身を覆う氷の膜に閉じ込められる。

 そして、カミュの肩には針で刺したような小さな傷口が。

 しかし次に動いたのはカミュの方が早かった。

 一瞬、肩口に手をやると素早くミロの真横に回り込む。

 そしてミロが身体を包む氷を砕くのに手間取っている所に、再度猛烈な吹雪が襲いかかった。

 その一撃は身体を覆っていた氷ごとミロを吹き飛ばし、そのまま背後の石壁にまで叩きつける。

 

 「クッ……!」

 

 すぐさま立ち上がるミロだったが、そこでハッと気が付いた。

 

 「チッ……! 腕を凍らされたか!」

 

 二度目の攻撃を受けた上腕部が凍傷にかかっている。

 凍気によって聖衣の間隙を衝く巧妙な一撃だった。

 一方スカーレット・ニードルを受けたはずのカミュは、何事も無かったかのように立っている。

 

 「バカな……効いていないというのか!?」

 

 間違いなく当たってはいる。

 だが、何の効果も表れてはいないように見えるのは何故なのか。

 それに応えるように、カミュは自らの掌に白く輝く凍気の塊を作って見せた。

 

 「傷口を凍らせることで痛覚を一時的に麻痺させた。凍気にはこんな使い方もある……だがミロよ、お前が真の凍気を見るのはここからだ!」

 

 言葉と同時に凍気の塊がミロに放たれた。

 それを止めようとミロも反撃の拳を放つ。

 だが、ただの物理的な攻撃では迫り来る凍気は止められない。

 受け止めようとしたミロの腕は、氷漬けになっていた。

 

 「理解したか……確かに私には絶対零度を作り出すことはできない。だが、こうやって聖衣の周りを凍りつかせること位なら出来る」

 

 「クッ……!」

 

 ミロは渾身の力で腕の氷を弾いた。

 しかし、同時にそれが非常に強固であることを感じ忌々しげに舌打ちする。

 

 だが守勢に回ってばかりはいられない。

 負けじと放った指拳がカミュの身体を貫いた。

 しかし、カミュは再び傷口に凍気を施すと、平気な顔で攻め立てる。

 

 何度となく吹きつける凍気は、聖衣の上からでも次第に体温を奪っていく。

 そして遂にミロの指先が凍りついた。

 それを見たカミュは、更に小宇宙と凍気を増していく。

 

 「どうだ。こうして拳を封じてしまえば、むしろお前の方が不利だろう」

 

 どこまでも冷徹な表情を崩さないカミュ。

 その不敵な態度が、却ってミロの気持ちに火を着けた。

 

 「ぬうっ……!」

 

 凍りついたミロの指先に真紅の光が集まっていく。

 

 「この程度で……このミロが止まると思ったか!」

 

 「なに……?」

 

 次の瞬間、拳の凍気を打ち砕き、真紅の針がカミュの身体を光の速さで突き抜けた。

 

 凍気を貫き、カミュの身体に新たに刻まれた傷跡からは、常人なら即座に発狂してしまう程の甚大な痛みが溢れ出す。

 

 「グゥッ……!」

 

 カミュは先程と同じように傷の周囲を凍結させて乗り切ろうとするが、額に浮いた脂汗がその激痛を抑えきれていないことを物語っていた。

 限界まで抑えつけられていた痛みが一気に吹き出し、苦痛に表情が歪む。

 

 しかし、ミロの方も既に身体の至るところに凍傷が発生している。

 黄金聖衣のおかげで身体の芯まで凍りついてはいないが、聖衣も金属である以上低温に曝され続ければ体温は徐々に奪われていく。

 放っておけばいずれその箇所は腐って落ちるだろう。

 

 もはや引き返すことはできない。

 

 互いが互いを知っているからこそ、痛みや感情に流され、一度決めたことを投げ出すようなまねはしない。

 故に二人は全力で闘うのだ、譲れないもののために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 互角の状態が続いていたミロとカミュの闘いの行方は、徐々にミロの方に傾きつつあった。

 カミュの身体に撃ち込まれたスカーレット・ニードルは既に十発以上。

 発狂を通り越して廃人となってもおかしくはない数だ。

 対してミロは、最初に腕を凍らされた以外には特に大きなダメージを受けてはいない。

 始めの内こそ、スカーレット・ニードルの傷を凍らせて痛みを封じ、ミロが氷を破壊する前に攻撃するという作戦は功を奏していた。

 だが、傷が二つ、三つと増えていくにつれて、段々とその痛みは抑えきれなくなり、次第にミロに攻撃のチャンスを与えるようになってしまっていたのだ。

 しかし、それでもカミュは退こうとはしない。

 

 「ダイヤモンドダスト!!!!」

 

 「スカーレット・ニードル!!!!」

 

 渾身の凍気と真紅の衝撃が、それぞれの相手に向かって突き進み、ぶつかり合う。

 そして相手の攻撃を貫いたのは、ミロの方だった。

 

 遂に、カミュの身体を十四発目の光針が貫いた。

 そしてその凄まじい激痛に思わず膝を付く。

 

 そんなカミュに向かって、最後の一発を撃つため指拳を構えるミロ。

 十五発目に撃ち込む一撃は、スカーレット・ニードル最大の致命点であるアンタレス。

 アンタレスとは蠍座の中にあって、蠍の心臓の位置にある星だという。

 赤く燃えるその星のように、アンタレスを撃たれた者は、激痛と共に全身から血を吹き出して絶命するのだ。

 

 「この勝負、俺の勝ちだ。せめて苦しまぬよう最後の一撃をくれてやる。スカーレット・ニードル最大の致命点、このアンタレスをな!」

 

 小宇宙が弾けミロの指先が紅い光に染まる。

 そしてカミュにその指先を向けた。

 しかし、ミロの指拳がまさに放たれようとした――――その時、カミュが小さく呟いた。

 

 「……その体勢でアンタレスを放つことが出来るのか?」

 

 「なにっ……」

 

 一瞬カミュが何を言っているのか分からないといった、怪訝な顔をしたミロだったが、即座に己の足元の異変に気が付いた。

 

 「こ……これは!?」

 

 ミロの下半身が膝の辺りまで氷漬けにされ、宝瓶宮の床に縫い付けられている!

 

 「私が一体何発ダイヤモンドダストを撃ったと思っている。闇雲に放っていた訳ではないのだぞ」

 

 それまで特に重大なダメージも無いと思っていたカミュの凍気が、知らぬ間にミロの足元を侵していた。

 何重にも渡って凍気を受けたミロの足は、信じられない程の強度の氷によって、ミロの動きを阻んでいる。

 動きの取れないミロに向かってカミュが手を組み両腕を高々と掲げた。

 

 「いくぞミロ……このアクエリアスのカミュ最大の拳!」

 

 天高く掲げた両腕を覆う聖衣のパーツが、水瓶の形を成した!

 そして溢れ出す無限の凍気が、全てを呑み込む奔流と化して迸る!

 

 「受けよ! オーロラエクスキューション!!!!」

 

 細く絞られた凍気の流れが凄まじい勢いでミロに叩き付けられた。

 人間の肉体など一瞬で凍りつき塵となるような圧倒的な凍気。

 動けないならせめて防御を。

 そう考えかざした両腕の感覚が急速に無くなっていく。

 ミロを床に繋ぎ止めていた氷塊は、それを遥かに超える凍気に曝され砕かれ消えた。

 

 吹き飛ばされ背後の石壁に激突したミロ。

 既に指を動かすことすら困難を覚える程の凍傷を負っている。

 その全身からは凍気の残滓が煙のように立ち上る。

 しかし、今この場で倒れているのはミロの方ではなかった。

 

 「グァッ……!」

 

 己の最大の凍気を放出し尽したカミュの聖衣が真っ赤に染まっていた。

 カミュの身体に刻まれたスカーレット・ニードルの傷口から大量の血が一気に吹き出したのだ。

 そして血が流れ出すに連れて意識が朦朧とする中、カミュの目にはミロが自分の方へゆっくり近付いてくるのが見えた。

 

 「凍気で傷を無理矢理抑えていたのだろうが、ここへ来てスカーレット・ニードルの傷口が開いたか。その血と共にお前の五感は失われていく。今度こそ……勝負あったな」

 

 そう言うミロも、既に聖衣に覆われていない部分は重度の凍傷にかかり、聖衣に護られている部分すら危ういであろうダメージを受けている。

 凍気にかじかむ手で、拳を放とうとするミロ。

 

 「クッ……まだだ……!」

 

 「むっ!?」

 

 しかし、カミュは残る力を振り絞って再びミロの前に氷壁を作り出した。

 ミロの攻撃を弾いたものではなく、人馬宮で足止めを図った時のような、宮全体に広がる巨大な氷壁。

 満身創痍のカミュに未だにそれほどの力が残っていたことに、ミロは僅かに驚きを浮かべた。

 だが、それはもはやカミュ自身にミロを倒す力が残っていないという証。

 氷壁を砕くことが可能なミロにとっては、所詮は多少の足止めにしかならない。

 それでも敢えてそうするのは、時間を稼ぐ他に手段が無いと言っているようなもの。

 それが分かっているミロは、カミュの思惑を砕くように、一瞬で壁を粉砕した。

 

 強固な氷壁とはいえ、大きなものになればなるほど、その緩みも大きくなる。

 故に、その隙さえ衝くことが出来れば、万全とは到底言えない今のミロでも打ち破るのは容易い。

 

 だが氷壁を砕いた後に発生した、大量の氷による蒸気の先に――――カミュの姿が見当たらない。

 

 「どこへ消えた!?」

 

 「ここだ」

 

 声が聞こえたのは、背後。

 突然ミロの後ろに現れたカミュが、背後からミロの身体に組み付いた。

 

 「なにっ!?」

 

 今更至近距離から凍気を撃ったところで、カミュに黄金聖衣を突破することは出来ない。

 流石に聖衣以外は凍りつくだろうが、そこは既にかなりのダメージを受けているため、大して変わりはないはずだ。

 しかし、ミロは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

 「フッ……ミロ……お前を止めるためだ、許せ」

 

 カミュの手から凍気が放出され周囲の大気を巻き込んでいく。

 その瞬間、ミロもカミュの狙いに気が付いた。

 

 「カミュ、よせっ!」

 

 二人の周囲の温度が急激に低下し、既に空気すら凍りつく域に達している。

 ミロはそれを必死で振りほどこうとするも、酷い凍傷に侵されている手足ではそれが出来ない。

 

 「……済まんな。私の手で、せめてお前を封じよう」

 

 「お前……死ぬ気か!?」

 

 ミロは後ろを振り返ろうとした。

 だがその瞬間、辺りが一気に凍りついた。

 

 「さらばだミロ! この氷の棺で、永遠に!」

 

 カミュとミロ、二人の周囲に凄まじい凍気が放たれる!

 

 「フリージングコフィン!!!」

 

 黄金聖闘士数人がかりでも砕けず、永久に溶けることはないと言われた氷の棺。

 それに閉ざされた二人が、再び動き出すことは無かった。

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。