カウントダウン~A HAPPY NEW DAYS~   作:幻想の投影物

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愛し合って、勝ったのは
想いが弱くて浅い方


カウントダウン――1

 白の庭園に、たった一人の美しい者がいた。

 触れる事すら躊躇われる純白は己がどれほどに穢れているかを自覚させるだけの清純さを持っていて、この手を伸ばそうものならそれこそが罪であると判決を下されてしまいそうな儚げな雰囲気すら兼ね備えていた。しかしその狂おしいほどの白は、究極的なまでに色を弾きだす力強い白でもあった。

 夏の日照りや夜の宵闇。その中ですら自己主張を止めることはない恐ろしいまでの我の強さに、手を伸ばそうとして躊躇いを見せた者たちは皆、その白の中に取り込まれ喰われていく運命を辿るばかり。肝心なのは決して白の前で隙を見せない事であると、「彼」は目の前に居るその存在を見据えていた。

 

「……ようやく、来たか」

「イエローモンキーのご登場だ、白人さん」

「白子、と言えばいいであろう。少なくとも紫外線如きに遮られるいわれは無いがな」

 

 彼女はカップをつぅ、と煽った。

 空になったそれを遥か宙の彼方へ投げ捨て、紅玉より妖しい光を発する瞳を向ける。

 

 少しだけ、目を閉じた。

 そう思ったら、真っ赤な真っ赤な―――火が灯っていた。

 

「アンタが、そもそもの源流だったってことか」

「これ次第で、グレイは随分と質が違っていた。だが全てはグレイに過ぎなかったの。……そう、そこのステラですら」

「…相も変わらず、尊大かと思えば女々しい口調だ。あんまりに純粋過ぎて、留まる事すらできなかったか?」

「違うな。私の中の全ては混沌だ。あまりに多すぎて――決められん」

 

 唇に手を持って行った彼女は、にっこりと笑顔を咲かせた。

 冷血で、慈悲すら無い好奇心の塊だった彼女からは想像もつかない感情の発露。誰しもが見惚れ、己の全てを捧げる事すら厭わないであろう華よりもなお美しき笑顔を見た彼ですら、目を閉じ、口の端を持ちあげてから……鼻で嘲笑った。

 

「演技臭ェ。吐き気がする。頭も痛いし…目眩もだ」

「私に見惚れた輩は皆、そう言って酔ったかのようだったぞ?」

「違ぇな。こりゃどうにも……出血多量だ。左腕の」

 

 ほれ、と彼が笑って見せたのは、未だ血流がとめどなく流れている骨と肉の混ざり合った無様で醜悪な肉塊。おおよそ彼女には何処までも似つかわしくなく、この場で持ちだす様なものでもないソレは、彼女の信者から言わせれば極刑物であろう。

 だがそんな無粋な事を言う輩もいない中で、やはり彼女はこれが一番己に相応しいのだと()欲を抱いた。一見美しい華に見える彼女の正体は、その姿で全てを喰らい尽す本性を隠し獲物を寄せ付けるためのダミー。結局のところ外見は外見でしかなく、本質を見抜ける観察眼の持ち主には何ら通用しない張りぼての美しさ。言うなれば、彼女の外見は「丹念に、丁寧に作られた彫像を撮った写真(・・)」でしかない。

 そのうちに秘める、獣を越えた本能と欲望への忠実な本質だけは誤魔化すことはできないのである。生きとし生ける者全てが持つルールに、彼女が適応されていないと言う事は無かった。

 

「ああ、何と痛ましい……そのような姿は似合わない。おまえは、完璧でなければ」

「俺の何処が完璧だって? 不完全にも程がある。不格好にも程がある。一般人にも程がある。完璧って言うのはな、戦いも睡眠も日常も特別も一般も心も外見も料理も性欲も、そんな相手に求められる全てに理想の形で必ず応えてやる事を言うんだ。まず見た目は凡々、器量も良く無けりゃあ人並みの情欲も生存競争の中で枯れ果てた俺だ。その何処が……完璧だって言うんだよ? 俺が完璧なら、今頃はお前の将兵も誰も殺さず、PSSで今も犠牲になってる奴らを誰も死なせず、アーマメントですら一機も破壊していないさ」

 

 馬鹿馬鹿しすぎる。そう言った彼は悲観も楽しさも、全ての感情をかなぐり捨てたように息を吐きだした。その息の中に呆れと言うたった一つの感情を上乗せして。

 

「なんにせよ、俺が此処に来た目的分かってるよな?」

「私にネブレイドされに来たのだろう? さぁ、全てを見せてほしい。お前の全てが――私は欲しいのだ」

「これまた熱烈なラブコールだ。もっと前に言っとけば俺はちゃんと答えたぞ?」

「ほう…。では、あの夜空を見上げた日ならどう言った?」

「決まってるさ―――“タイプじゃないんです”、って感じだ」

 

 めらめら、ごうごうと燃え上がる右目の炎を携えて、彼女は両目を大きく開いた。

 

「は、はははははははははははははははっ! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……アッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」

「く、ははははは! 最高の冗句(ジョーク)だろ」

「ふ、ふふふふふ……では、おまえはどうすれば私を好いてくれる?」

「もっと胸が大きい方が好みだ。この貧乳(ヒンニュー)めっ」

「だったら、私の胸に一撃与えて……大きくしてみたらどうだ?」

 

 二人の姿が掻き消える。

 次にはほんの1ミリにも満たない距離を詰め合って、小さく唇を重ねていた。

 ソフトキスから、二人の濃密な殺し愛が始まるのであった。

 

 

 

 まったく、目の前で行われている戦闘が見えなかった。

 狙撃手としてだけではない。超高機動戦闘にすら耐えうる動体視力を持っている筈の自分や、それより高性能なマズマの目ですら戦いの行方を追えていないらしい。少なくとも、「彼」から飛び散る左腕の出血。それが辛うじて軌跡を残してくれるから何処を通ったかくらいは分かっても……たったそれだけ。他には、後から「音が纏まって」聞こえてくるしかない。

 

「……何だ、これは」

 

 マズマが呟いている。私も、そう言いたかったけど……生憎とこのダメージだと喋るだけでも体が言う事を聞いてくれない。総督から受け継がれたクローンとして、ネブレイドにも似た超速栄養吸収能力はあるけど、マズマの血だけじゃ回復には程遠かった。

 でも、彼の体の一部だけでも私の物になったのは……なんでか、ちょっと嬉しい。

 

「俺は半身不随、コイツは意識を保つ事が限界……引きずってコイツの傍に居てやれるのが限界だって? なんのために、此処に来たんだ―――」

 

 マズマが柱に背中を預け、動かない足の代わりに重心に据えた。私の頭は彼の膝に乗せられているらしくて、それが温かい。聞こえているって分かるんなら、せめてこの時に…答えを教えてほしかった。

 それを目で訴えようとするけど、私は顔を向ける事すらできない。ただ必死に、時折のぞきこんでくる彼に視線で訴えることしかできない。他にできる事って言ったら、

 

「……ぁ、…………ぅ」

「無理をするんじゃあない。体はもう限界なんだよ…内臓器がやられてる。声を出せないのも、力が入らないのも内側からやられてるからだ。そんな事で、死のうとするな」

 

 違う。そうじゃないの。

 見て、私の目。ようやく光を灯したあなたの目で。私を…見て!

 

「………ああ、分かった。こんな時にまで答えに拘るのか、オマエ。ホントに馬鹿だ、考えられないくらいに」

 

 やっと気づいてくれた。もう、私はずっと待ってた。

 だから教えて、あなたの気持ち。

 

「俺は…ステラ。オマエなんかはただの駒にしか見ていなかった」

 

 ……え?

 

「だがそれも昔の話だ。今となっては、そうだな……ああ、最高のパートナーだなんて思ってるな。だがそれも過去形に過ぎん。たった今、そうだ。たった今俺はオマエに対して言ってやりたい言葉がある」

 

「これから、オマエを愛させてくれ。ステラ」

「……ぅ、ん」

 

 ……とっても、嬉しい。

 嬉しくても涙は出るんだって、本当だった。マズマらしくて不器用な答えだったけど、本当に聞きたい事を聞けた。拒絶でも、受容でもどっちでもよかったんだ。私はマズマの本心が聞きたかった、それだけだったから。

 だけど想いを先に伝えていたのは、私の最初で最後の大きなズル。マズマに決心を急かさせるために悪い心が囁いた卑怯な真似。だったとしても、こんなに「好き」を受け入れてくれる事が嬉しいなんて知らなかった。

 

「マ……ズ、マ」

「おいッ! 喋るなよ……ダメだ、オマエは喋るだけでも…」

「戦える、よ…? 私たち、まだ……戦えるから」

 

 嬉しい思いが込み上げてくる。動かなかった体が言う事を聞いてくれて、声が思い通りに出てくれる。左目には涙と違う熱さが灯って、どんどん体が治って行くのを教えてくれている。

 マズマ、私たちはまだ立てるみたいだよ。マズマだって、ほら―――

 

「手をとって、掴んで欲しいの」

 

 差し出した手は冷たい空気に触れ続ける。

 見つめ続ける男はふっと笑って、この世界には馬鹿しか居ない事を悟った。

 その馬鹿の中に、自分と言う存在を含めて。

 

「……分かっているさ。俺は、何でも知っている」

「そうだよ。マズマは私の師匠(せんせー)だから」

「行くぞ馬鹿弟子。今ならアイツらにも―――絶対に届く」

「うん!」

 

 握った手は離さない。

 お互いに繋がれた場所から、温かい力が灯り始めた。

 私たちはこの手をとって、どこまでも進めるんだって。そう思えるくらいに。

 

 とても、とても強い力が込み上げてくるの。

 

 

 

 時は少し遡り、彼と彼女が撃ちあい始めた頃。

 彼は右手をスナップさせて、相手の防御の固さに苦戦する。使い物にならないかのように思えた左側も、痛みを抑えれば強靭な趣味の悪い骨のランスだ。こんな耐えきれる筈もない痛みに心の中ではみっともなく泣き叫んで、それでいて理不尽を嘆き続けている。だが彼がそれを表に出すことは無い。ここまで被り続けた繋ぐ者としての仮面は、最後の最期まで脱ぎ捨てる事は無いと誓ったから。

 あの去り際、PSSのフォボス達に弱みを見せたのは本当の自分を知ってほしかったからかもしれない。どこまでも女々しい自分の正確に苦笑を禁じ得ず、もう一度右拳を握りこんだ彼は左を軸足に、その場で回転する様な動きを見せ始めた。

 

「シッ! はっ、セイッ! ドラッ!!!」

「デンプシーロール…? ほぅ」

 

 お互いの声が、動作の完了後に響いてくるなんて奇怪な現象が起きている。それもそうだろう、今の彼らは音速を越えて動いているのだから。音を伝う速度よりも早い彼らの後に、音が遅れてやってくるなんて当たり前のことでしかない。

 左手のぐちゃぐちゃになった神経に無理やり彼は命令を送る。そして筋肉の繊維が弾きだした血の弾丸が見当違いの方向に飛んだように見せかけて、彼女が次に来る予測位置に弾きだしていた。しかし彼女はそれを迷いなく、かつ難なく口の中に入れて舌なめずりを見せることで余裕を見せた。

 ジリ貧なんてものじゃない。もっと厳しい何かがこの戦闘で彼に訪れていた。

 タイムリミットが近いその体。流石の彼と言えど、出血多量を瞬時に回復させる様な事は出来ない。此処に来てようやく空気の摩擦で左手の傷が火傷によって塞がってくれたのだが、それ以前に失った血液量は測り知れない。ザハとの戦闘は動きを見切られ続け、もっとも大きな損傷を刻まれた戦いだったのだから。

 

「ふふふ……。おまえはもう少しで私の物になる」

「タイプじゃないって言ったが?」

「それじゃあ惚れさせよう。まずは世界を心酔させた私の歌を聞いて欲しい」

「カラオケ0点だけは勘弁な」

 

 まるで恋人の様な会話の中で、彼は血に滾る拳をようやく彼女の右手に当てた。おおよそ人体では有り得ない様なゴギィッという音が響くとともに、彼女の手が少しだけ。ほんの少しだけ麻痺したが――それで時間は十分。隙を逃さず蹴りあげた左足で、彼女の武器である大鎌は吹き飛ばされた。それをキャッチして刃の部分をへし折ると、彼は折った部分をブーメランのようにして投擲する。

 

「やれやれ、壊してしまったか」

「悪ぃ。後でちゃんと直しとくよ。墓標としてな」

「墓なら…おまえと共に入りたいな」

「こだわるな、随分。それで歌は?」

「今からさ」

 

 一瞬で彼以上の速度を出し、後退した彼女は片手を胸のあたりに当てて「謳い」始めた。それは何処までも満たされぬ彼女の心と、求める者は彼に全て集約していると言う想いを込めたLOVE&EATINGソング。どこまでも肉食系な彼女の想いに、正面切って立ち向かった彼は心を彼女のマインドボイスでかき乱されそうになりながらも何とか辿り着く。

 そうして自分の唇で彼女の口を塞いで唄を止めると、その場で一回転し勢いをつけた右手を大きく開いて彼女の胸に押し当てる。掌の親指の辺りを使って放たれた中国武術「掌底」は大きく内側にダメージを浸透させて心臓の活動に阻害を与える。続けざまに上段回し蹴りを放ったが、次の瞬間には彼女の姿は彼の後方に瞬間移動していた。

 

「ほら、胸を触ってくれたお返しだ」

「くぉっ…!」

 

 背骨に一撃。膝からの重いヤツを喰らった。

 戦闘開始から僅か「13秒」。ここでようやく、彼らは距離をとって動きを止める。

 

「…急成長、と言ったところか。ザハにやられてからすこぶる調子がいい」

「才能も何もない筈だったが、まさか“人間は死の淵から生還すると脳の能力を解放する”という理想論でも適応されたか」

「そうかもな。答える者(アンサー・トーカー)くらいは欲しかったもんだ」

口数(トーク)なら負けることもなさそうだが?」

「おお、違いないな。確かに」

 

 彼はザハにボロボロにされていたのに、どうして本気の彼女とやりあえる事が出来ているのか。それはこの不可思議な能力が更に身体能力を増大させたことによるものであった。

 彼自身、把握できていないこの強大な身体能力が更に上がった所で技術も何もないドマゾ戦法をとった彼に正気など無いと言う人もいるだろう。確かにその通りであるが、これが意外と身体能力だけでも十分なのである。

 答えは単純―――相手の認知外の速度で、動作の隙を次の動作で埋めてしまえばいい。

 実際、普通の人間なら肉体への負荷は悲鳴を上げて内部断裂だのなんだのが起こってしまうだろうが、彼にははいだ爪がその場で生えてくるくらいの再生能力すら持ち合せている。彼は、いまこの場で彼女を介添え人として「筋トレ」をしていたのだ。筋トレの原理は、細胞を破壊して再生する事でより強靭な肉体に生まれ変わらせる破壊と創造の繰り返し。それをこの場でしていって、某竜玉漫画の仙豆と同じ効果を発揮させれば戦っている最中でのパワーアップも実に論理的で現実的に証明可能になる。

 

 彼は時と共に真の意味で生まれ変わっていく体で彼女と激しい打ち合いを続けた。時には目にもとまらぬ速度で、時には重機すら圧倒するフルパワーでぶつかり合って衝撃を拡散させる。それが1分程続いた頃になって、ついに片方に限界が訪れた。

 

「頃合いだ。さぁ、私と来い」

「……あー、目眩がヤバいな。おかげで差し出された手が見えないなぁ」

「もう、困った奴だよ。私は悲しいぞ?」

 

 出血多量。それは質量保存の法則を無視したエイリアンと言う存在でしか補えない損傷だった。いくら細胞分裂が早くても、それで寿命が減らなくても彼は人間でしか無くて、その場で使うエネルギーが即刻スタミナ切れを起こすのは必然であった。

 いつの間にか、再び直したのか、新調していたのか彼女の手の中にある鎌の柄から延びる刃が、まるで顎を指でつかんだ時のように彼の喉元に当てられている。彼女の興奮は冷めやらずか、彼に押し当てる刃に少しだけ力を加えれば髭剃りに失敗した時よりも大きな裂傷から血がしたたり落ちて刃に伝う。赤き命のきらめきは彼女が持つ自制心のすべてを破壊しているかのようにも見えた。

 

「絶体絶命、か」

「ようやく…手に入った。見ろ、このあつらえたドレスはボロボロにされた。せっかくの化粧も少し崩れてしまった。お前が乱暴に私の唇を二度も奪ったせいでな」

「一回目は双方同意の上だろ?」

「男は暴漢容疑にかけられやすいのが現実だと聞くが」

「それは参った。反論のしようがない」

 

 まさにお手上げだと、彼は笑う。

 笑って笑って、その眼は鷹よりも鋭く輝いた。

 

「お前さん、俺をネブレイドして何がしたい? 俺を本当に愛しいだなんて、そんなバカなことを言うんじゃあないんだろ」

「それもあるが――」

「あるんかい」

「――それよりもお前と、私以外の者が持つ感情。過去ではなく今に生きる者たちのすべての心理、そして決意と高貴な精神……それらはすべて、お前のすべてをネブレイドすることによって手に入る。そう思ったまでだ」

「自分自身のネブレイドが目的だった総督は、ついに己を喰らいはじめてきれいさっぱり消え去ったのでした。とはいかないのか?」

「そんな勿体ないことはできないさ。私は、()を喰らって己を手に入れる。私の中にあるすべてを知りたいだけなのだ。愛するお前が私をどう見ているのか―――さえも」

「ならまずは、好み(タイプ)な女になってから言ってほしいもんだね」

 

 そんな独白に、二人して笑みを浮かべた。

 ひとしきりに笑った彼は、鎌の刃の部分を強く握りしめるといつかのシズの剣にしたように握りつぶして難を逃れる。ぐしゃぐしゃになった鎌の刃のかけらを手に持った彼は、何よりも鋭いその武器で一気に彼女の身体を刺し貫いた。

 腹から屈折した形で、肩甲骨辺りまで突き抜ける刃。奇しくもステラの貫いた箇所から飛び出る刃は彼女の動きを一瞬止めるだけの衝撃を浸透させて、彼は思いっきり刃が刺さったままの彼女の体を強く抱きしめた。

 

「くっ―――」

「やっぱ小さいな、お前は」

 

 すると当たり前だが、体の中に残った刃が粉々のかけらになって体内のあちこちに突き刺さる。感動の再開の中で殺人を犯すといった猟奇的(ロマンチック)な攻撃方法に、ついに総督はその口の端から循環する生命の証を垂れ流し始めていた。

 

「やっとダメージ通ったか」

「ずるいな。こんな風に傷つけるなんて」

「男はいつでもずるい奴だよ。それに、一児の父に告白する奴があるか」

「ふっ、所詮は童貞の養父。堕ちるかと思ったのだが」

「だったらお前は妖婦だな」

 

 彼女の横っ腹を蹴り飛ばし、最後の抵抗を終えた彼は尚更にひどくなった眩暈を覚えてその場に倒れ伏す。もはや立つことすら難しい中で、彼はようやく次の手段につなげることができたのだと、己の頭上にかかった影を見て意識を落とし始めた。体の痛みと共に視界の端から闇に呑まれていく感覚は、慣れたもんじゃない苦しさを伴っているのかなんて、そんな事を思いながら。

 

「なぁ、後は任せた……救…世主さん……ょ」

 

 黒く染まった意識の中で、最後まで彼女を見据えた彼は眠る。しばしの眠りと休息の微睡の中に、堕ちて行った。

 

 

 

 倒れ伏した最高の人間を見て、マズマはその横で笑っていた。

 彼は、ほかでもない自分たちに託してくれたのだ。これを喜ばずして何をしていればいい? 踊るか、はたまた歌でも歌うか? いや違う。自分たちがやるべきことはたった一つ、目の前にたたずむ負傷した敵を完膚なきまでに撃破して、この本拠地の稼働を完全に止め、アーマメントのすべての制御権を自分たちのものにすることが使命だ。

 マズマは生体アーマメントの拳を握り締め、その手にある武器の感触を確かめる。もう片方の手に、彼女の暖かな体温を感じとっていた。

 ステラは片手に巨大な砲身を同化させ、人間では扱えない規格外の兵器から伝わる冷たい感覚を、もう片方の手から感じる暖かな感触で緩和する。愛しき相手を得た彼女たちと、どこまでも決別した彼と彼女の関係は何処か似通っていて、されど彼と彼女であった場合は「一体感」というものが欠落していたらしい。

 

「……ああ、やはり私は因果応報を辿るしかないのか?」

 

 「彼」の意識が落ちた以上、「彼女」はこの場所でたった一人の片翼でしかない。彼から送られたキツイ抱擁と言うプレゼントもまた、彼女の体の動き全てを鈍らせるほどの置き土産を残している。体の中でバラバラに散らばった刃の欠片は、「彼女」が体を動かすごとに体内のどこかを切り裂いているのだ。

 

「あの人が頑張ったのを横取りになるけど……もう、アナタは終わり。みんなの為に、私たちの未来の為に…倒させて貰うから」

「これが最後のチャンスだ。情けなんて与えないさ…あんたはそれを奪い続けてきたんだろ? だったら、受け取ってくれよ。アンタが持ってなかった物をさ」

 

 マズマとステラ。二人が彼女に向けた方針には青と赤のエネルギーが蓄積している。

 形の違う砲口をすり合わせて、その光は紫色へと…この場には居ない因縁の人物の色に変わる。三人の想いと、全てを終わらせるために集約された全人類の願いを受け取ったかのように、それはステラたちでは制御も難しい程のエネルギー体へ成っていく。

 ガタガタと震える砲身を、二人は互いの体で支え合う。ステラの燃え盛る左目と、鋭い眼光を放つマズマの右目が彼女を縫い止めていた。

 

「……ああ、あと少しだったか」

 

 届かないな、と。

 彼女は紫の光に呑みこまれていった。

 

 

 

 

「……行こう。マズマ」

「アイツはどうする?」

「…もう、ダメ」

「そうだな……」

 

 二人の男女が見下ろす先には、ピクリとも動かないある男性の体。

 気絶しているだけなら動いている筈の肺も、その鼓動も何も聞こえてこないただの肉塊へとなり果てたそれに二人はそれ以上かけるべき言葉を探さなかった。

 

「アーマメントの製造場は……ああ、もう破壊されてるな。まさか、あの方がこんな事をしていたとは…本当に何を考えているのか分からないお人だったよ。総督」

「もう、帰るだけなの?」

「ああ。もう終わったんだ。全部、終わっちまったのさ」

 

 ――幕引きだ。

 二人の男女は、どこまでも静寂に満ちた白の庭園を脱した。

 穢れすら知らない筈であった白の体と、不純で異物な男の体を残して。

 

 去って、誰も居なくなる。

 そうしてピクリと白の指が動き始めた。

 

「…………ぁ」

 

 ずる、ずる、ずる。引きずった体は壊れた瓦礫の欠片を擦って、汚い黒に穢れて行く。勝利と頂点にしか居座らなかった彼女は遂に、最底辺と底の下―――死への階段を降り始めていた。

 ようやく、彼女はもっとも想っていた者の体に辿り着く。ボロボロで、肘から先まで削れ切った左腕と、それ以外は比較的綺麗なままの男の体に縋りつく様に、彼女は歯を突き立てて喰らい始める。

 もっとも、そんな事をしても彼女の命が助かるわけではない。

 それすら分かっていても、喰らう事を、ネブレイドする事を止められなかった。

 

 それほどまでに想われていたんだ。

 

 彼を喰らう度に、その血を啜る度に、彼が「タイプじゃない」と嘯く裏で、どれほどの思慕を募らせていたのかを知る。自分以外の人間の事なんて、何一つ分かっていなかった事を知る。彼の一生、彼の想い、彼の欲望。その全てを知識として一つになっていくことは実感できても、思っていたような「全ての他人」を知ることはできなかった。

 それでも、だとしても、自分はこの世で一番の幸せ者だって。そう知ることができた。

 

「………ぅ、ぁ」

 

 涙が止まらない。初めて流した液体が、血と混ざりあって流れて行く。

 弱々しく命尽きようとした時、彼女は頭の上に温かな感触と、背中にまわされた愛しい思いを感じ取る。誰もかれもが触れる事が叶わなかった自分の体にこうまで容易く触れてくる存在。何処までも真っ直ぐで、躊躇いも迷いも振り切って挑んできた彼の手を。

 

「“ ”」

 

 名を、呼んだ。

 

「……お疲れ」

 

 ありがとう、共に―――

 




次回、最終回。

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