カウントダウン~A HAPPY NEW DAYS~   作:幻想の投影物

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私の足は長くは無い。
一歩は短いけど、確かに進んでいるように見えた。

―――でも、それは背景が後ろに流れていただけだったんだ。

だから、だから。


………この先は、読むことができない


命短し足掻けよ乙女

 静寂が支配する夜の廊下。定期的に警備員が巡回するその合間を縫って、人影がその間を駆け抜けていく。足音も立てないその妙技はすぐ隣で歩いている警備員の耳に届くこともなく、彼女にとって人類最後の砦UEFは取るに足らない存在だと示しているかのようだった。

 そんな彼女は別に人類をバカにしに来たというわけではない。むしろ与えられた筈のものを取り返すために行動しているのであり、そのためには民間区画を抜けて唯一の通路である研究棟・居住区間の渡り廊下を通過する必要があったというだけだった。

 ほとんど間一髪、普通の人間ならとっくに気づかれているであろう距離でも彼女の足音を警備のPSS兵が耳にすることはなく、最後の扉の前まであっさりと到達されてしまう。

 その部屋の上には「Dr.Jenkinse lab」というメタリックなプレートが貼られており、どの博士がいる部屋であるのか、というのが一目瞭然。だが、この真夜中の侵入者などにとっては自ら首を差し出しているのと同義であり、そのプレートを一瞥した彼女は堂々と正面からドアを開け放った。

 

「…………」

 

 無言で辺りを見回し、どこに何があるのかを慎重に把握する。

 さすがの天才科学者といえど一週間にわたる不眠は耐えきれないらしく、ちょうど眠る日である彼の研究室はいつもと違って消灯されている。だが彼女の目を覆っている、PSSにも支給された赤外線スコープは暗闇を視界に緑の光として照らし出し、暗闇が彼女にとってはどれほど好都合であるかを如実に証明してしまっていた。

 その人間の臓器から放たれる独特の汚臭に包まれた研究室は、今日の昼までマズマかナフェのどちらかが恒例の臓器提供を行っていた証明であるが、その汚臭に耐えながらも侵入者の足は真っ直ぐ、資料などが整頓されて置かれたデスクへと向けられている。

 不用心なことにもここまで侵入する者などいないという自信のためか、この部屋には目立って罠のようなものは一つもなく、センサー光線の一本さえ見当たらない。ゆえに、彼女の進行を妨げるものは何もなく、易々と目当ての場所までたどり着かせてしまった。

 だが、彼女は目的の場所まで来ると、先ほどの冷静な様子とは打って変わって必死な様子で資料の山を探り始めたのだ。鬼気迫る、といった表現が似合うほど余裕はなくなり、見ていて痛々しいほどの形相は、たとえ誰が見ていたとしても止めることなどできはしないだろう。

 

「やぁ、こんな夜遅くに何の用かな?」

 

 だが、それに話しかけることができなければジェンキンスはジェンキンス足りえない。

 いつの間にかドアのそばに立っていた白衣の男は、まるで久しぶりに会った友達に語りかけるような軽さで資料の山をあさっていた彼女―――ナナの手をぴたりと止めてしまった。

 

「…あら、寝ていると思ったのだけれど」

「二時間も寝れば睡眠は十分だ。一応ナノマシンにも手は出しているのでね、そうはいっても、まだまだ臨床実験をクリアできないレベルだが」

 

 彼の人体実験は、完全に理論で納得させてから自らの体に施すことで検証を行う。

 まだまだ未完成とはいえ、そのナノマシンの自己制御のおかげで彼は一週間、ほとんど寝る必要のないオーバーワークにも耐えられる体になっていたということだろう。

 だが、それはどうでもいいと彼は続ける。本題は、なぜナナがこのラボにまで態々足を運んだかということであるのだから。

 

「どうやら君の運動野浸食を止める術が見つからない。だから自分でできる範囲で進行を少しでも遅らせたかった、というべきかね?」

「お察しの通り。あんまり鋭い人は嫌いよ」

「これはこれは。患者に嫌われてしまうとは、医者失格かな」

「科学者が医者を気取るの?」

「医師免許は持っているとも。まぁ、こんな世界でどの程度役に立つかはわからないがね」

 

 演技臭く手を広げて見せれば、ナナがうんざりとした表情で自分を見ている事に気付く。それまでのおどけた空気は一変させ、改めてジェンキンスは彼女に尋ねた。

 

「まぁ今のところは手がかりさえつかめていない。君の苦労は無駄だったと事実を告げておこう」

「……そう」

「おっと、そう気を落とすものでは無いよ。確かに私達は君の記憶に関して何とかする手段は見つけていない。だが、目途さえ立っていなかった前とは違い、現在は明確な手段を論じたばかりなのだよ。当然、紙媒体にするほど古い情報では無いがね」

「ほ、本当に!? 貴方がもし嘘を言っていたのなら、脅してでも―――」

「まぁまぁ? そう血気盛んにならなくていい。この部屋で腹を開いて血液を撒き散らすのは提供者のエイリアンだけで十分なのだからね。ナナ君、少し此方のパネルにまで来なさい」

 

 彼女を呼び寄せながら、彼は凄まじい速度でコンソールのキーを叩いて行く。現在のOSとは比べ物にならない程発達したコンピュータの膨大な処理が行われると、暗号化された状態でパスワードを打ち込みメインデータへの道を繋ぐ。そして画面に「New.P」と書かれたタイトルが張り出されると、そこにはツインテールの第二次成長期辺りの少女のデータが映し出され始めて行った。

 

「…これは」

「お察しの通り。ドクターギブソンの最後の置き土産、そして上手く行ったかも見届けられないまま此方におさめられた最終実験体。君と同じく、博士直々に与えられた個体名称はステラ。そして――――“ホワイト”だよ」

 

 もっとも、彼から教えてもらった未来の姿である。という事実はジェンキンスの胸の内に隠したままだ。安易に教えては、素晴らしいエイリアンの生体を連れ帰った「彼」に対して失礼であろうし、彼自身もナナからの言われの無い口撃を受けると言うのはご勘弁だろう。他人の事も思いやることが出来なければ共同開発など足の引っ張り合い。そして他人の為に働く医者としての仕事もこなすことが出来ない。

 少し話しがそれてしまったが、その感性体のデータを見たナナは「ホワイト」という雲の上の存在がすぐ近くにある事に驚愕したと同時、彼らの使用としている事に気付いてハッという声を上げる。

 

「君はやはり聡明だ。お察しの通り、この完成体(ステラ)の脳の仕組みを理解できれば君達クローン(グレイ)の記憶野浸食も止めることが出来ないかと思った次第のデータ採取だ。今のところは良好で新鮮な新しい発見、そして瞳に灯る炎…確か、敵総督の右目に灯る赤い炎と対照的な、“左目の青き炎”の能力も発現しているらしい。いやぁ! 実に興味深い! これが敵総督に近づいたが故の能力なのか、それとも君達の記憶野の浸食に関連するようなグレイシリーズとしての最終地点なのかは今は亡きギブソン君しか知らない事実だが、それをこの手で、私の元に居るメンバーで解析できるというではないか!」

 

 語るように、彼は全ての「知識欲」を体全体で表現する。

 ぐるぐると回りながら宙を見つめた彼の眼は、最早ナナでもなく、ステラでもなく、その調べた先の「知識」へと向けられている。ソレを探求するためには自分の全てを差し出すと言った、そんな狂気までが感じられるほどに。

 

「人の手で成しえなかった、人間の創造! それは今や一技術として立案され、多少の欠陥を抱えながらも、それが今! 今だよ!? 私達の手で解明できると言うのだ! その神に対する最も冒涜的な行為を、この手で命を作りだせる論を証明する事を! なんと言った喜びで表現すればいい!? そしてナナ君、キミと言う積極的な被験者がいる事が何よりも私は嬉しいよ! 君の願いがかなう時、私の願いもまた叶えられると言うのだから! ああ、楽しみだ。楽しみだなぁッ!!」

 

 全ての事などお構いなしに、興奮した笑い声を上げる男の姿は、女を犯す下衆な愚人なんかよりもずっと恐ろしい。狂気。嗚呼、正に狂気と表現するほかはない。

 彼の眼は深海よりも濃く、鈍く淀んでおり、見つめる先は電子の世界を越えたデータの先。さらに先を行ったこの世に逆らう真実に向かっている。ソレを手にするだけの技量が彼にはあり、ナナという(遠回しながらも)自ら実験体になりたいと言う存在がいる。

 誰にも邪魔はされない。誰にも文句は言われない。それどころか、自分の研究は皆が望んでいるとさえ言っている。

 ならば遠慮する事は無い。

 ならば止まる事も無い。

 この時、彼のかつての信仰は完全に神への侵攻へと相成ったのである。

 

「ナナ君ぅぅん? そう言う訳だ……君は何の心配もなく私達に任せてみると良い。必ずや君達グレイシリーズの脳を人間と変わらぬ正常な物へと“治療”し、私達も目指すべき到達点に達すると誓おうじゃないか。―――さあ、少々昂ぶってしまったが、これで私の言いたい事は全て言い終えた。やはり言葉は良い。口にすればそれだけ行動力が湧いてくる。君も、この波に任せて気軽にサーフィンでもしていたまえ。君を押し上げ、次のステージへと移動させる波は私達が作り上げるのだからね」

「……戻って来たのね。貴方は前々から可笑しいと思っていたけど――」

 

 言葉を濁そうとして、やはり告げた方が良いだろうと彼の瞳を見る。

 言葉づかいこそ正常な物だが、やはりその瞳は依然として遠い場所を見たまま。

 言葉を口にするため、彼女は臆さず、自らの意志を表明した。

 

「とんだ科学者ね。知り過ぎて殺されない事を祈るわ」

「地球や真理に意志が存在するなら、喜んで受け入れよう。私の身で以って証明する事項が増えるだけだよ」

「そう、飛んだ大馬鹿者。でも……任せても、いいのね?」

「もちろんさ。私達が求める“得”は、君達への“利”になるだろう」

 

 それが聞きたかった。

 幾ら狂気に染まっていようとも、最終的にそこに行きつくことが出来ると言うのなら、最早ナナはジェンキンス達、科学者に任せるしか元より道は無い。そして確約できると此処で証明された以上、ずっとこの地に留まる必要も無い。

 

 それから、数時間たったころ。太陽が昇り始めたころに、警備員は身を震わせながら上司に語った。“Dr.ジェンキンスのラボでは、狂ったような男の笑い声だけが響くようになっていた”と。

 

 

 

 

「ホワイト……」

 

 ティーカップを手に取ると、唯一の「赤茶色」を己の口の中に流しこむ。舌の上でゆっくりとソレの「味」を感じて喉を通すと、小さくこくん、と。彼女の細い喉は鳴らされた。

 そうして「彼女」がゆったりとした時間を楽しんでいると、長き階段の遥か向こう側から一人の老いた男が歩いてくる。筋骨隆々とした逞しい、鍛え上げ荒れた体には無数の傷が存在し、片目も一閃の傷にて閉じられている様子。だが、そこから発せられる重圧は生半可な実力を持つ者なら、それだけでエイリアンであってもひれ伏せてしまう程。

 そんなカリスマと貫録に満ち溢れた老人は、「彼女」の前で立ち止まると、驚く事に、どう見ても彼よりも見た目は弱そうな彼女に向かって頭を垂れた。

 

「総督、オーストラリアにグレイの一体が隠れ住んでおったようです。既に記憶野が埋め尽くされる寸前ではありますが、献上させていただきます」

「ほう、それはご苦労だったなザハ」

「はっ」

 

 そう言って応えると、ザハ。そう呼ばれた老いた男の後方から、棺桶が下半身のような機械仕掛けの死神が浮遊して近づいてきた。その下半身はただの飾りではないようで、エイリアンの総督である「彼女」の前で下半身の棺を開くと、中からぼうっとした様子の長い灰色をした髪の少女が転がり出てくる。

 グレイシリーズで言えば第三世代目に属するのであるが、連れてこられた彼女はよほど使い勝手のいい道具として扱われてきたのか、はたまた彼女の正義感から限界を越えてまで戦い続けて来たのか、最早自らの事さえ認識する事は叶わず、「敵」であるエイリアンを駆逐しようと無力で弱々しい手を伸ばすことしかできていなかった。

 

「極上の品だな。まだまだ()には程遠いが、コレの積んできた経験はさぞや甘美な事だろうか」

「…これにて、私は下がらせて頂きます」

「ご苦労。ああ、残った奴らには“来るべき時”まで動かないように釘を指しておけ。マズマの様に勝手に飛び出されてしまっては、私自ら斬り捨てる他なくなってしまうからな」

「承りました」

 

 ザハは背を向け、一瞬のうちに空間を歪ませて彼女の鎮座する「間」から姿を消した。そこに残されたのは、満足そうにネブレイドの欲を醸し出している彼女と、小さく呻くことしか考える事の出来ないグレイの少女のみ。

 とん、とん、とん、とん、とん。

 一歩一歩で鑑賞しながらグレイの少女に近づくと、彼女は動かすことさえ億劫になっているらしいその手をとって、姫に跪く皇子の様にキスを落とす。

 

「美しい。この手のタコは一体どれほどの間武器を握り続けた? 目の下にある小さな線は、どれほどの涙を流してきたのだ? 血に濡れたその服は、どれだけの救えないストックから飛び跳ねた返り血なのだ? 嗚呼、嗚呼、実に甘美なその全てを―――頂こう」

 

 栗も入らないような小さな口を開けると、涙線を舐め取るように舌を這わせる。その異物感に反応するだけの思考能力は残っているのか、不快そうにグレイの少女が体を引いた――瞬間。

 

 ガブッ、ぶちぶちぶちぃ。

 ぐちゃ。ぐちゃ。どっ、ざば。ボタタタタタタタ………

 

 飛び散る。

 彼女を構成していた肉が。

 グレイとして戦ってきた肉体が。

 その脳が壊れてなお、彼女の中に存在していた精神が。

 

 総督。エイリアンの長。彼女。それら全ての名称の中に、彼女の名と言う物は無かった。だが、それこそが真理。彼女はただ、ネブレイドにて己を喰らおうとした絶対者。気まぐれに人間達に「ホワイト」を願ったただの少女。

 それは何よりも無垢であり、何よりも罪とは程遠い。

 無邪気であるのだ。全の物事をただ、好奇心と子供心でこなしているだけ。

 

 びちゃびちゃ。

 ぐっ……ごくん。がぶ。ぶちっ、ごぎ、ぼぎり。ボギャ、ぐちゅ…ぐちゅ……。

 

 肉片が飛び散る度に、その血液が地面に滴り落ちる度に。

 グレイの少女と言う要素は取り込まれ、「彼女」という不特定の物の一つとして蘇る。彼女は永遠。彼女に喰らわれた物は、永久として彼女の中で生き続ける。だがソレを知らず、ただ彼女は極上の経験と知識と、そして窮地の中でも最後まで貫いた意志をその口へ運び、何一つ逃さないように体の中へと変換する。

 エイリアン達にとってただの食事行為であり、最も神聖な儀式。それが、ネブレイド。相手を喰らう事で固体情報を高め、より高い次元の生物へと、より強き生物の頂点へと上り詰めるために編み出された、文明人が手にした「牙」。

 

「美味であった……」

 

 その血の全てまでもが喰らわれ、残る衣服や装備と言った無機質な物しか残っていない。骸も見当たらぬ静寂の中、彼女は一言つぶやいた。誰に聞かせる訳でもなく、単に自分の満足を己に教えるためだけに。

 彼女の見る世界、聞く世界、触る世界、味の世界、匂いの世界、予感の世界。それらは全て、彼女を中心として回っている。ソレを信じ、それが当たり前だと分かっているからこそ、彼女は常に平静と静寂と、圧倒的な「白」であり続ける。

 誰からも望まれない、誰にも染まらない、誰からも染められない「白」。それは逆に、相手の染まった心の色を削ぎ落していく。その先に在るのは―――静寂のみ。

 

 再び純白の椅子にすわりなおし、時が訪れるまでゆっくりと目を閉じる。

 彼女の座は、ただ静かに時が過ぎて行くのみ。訪れた僅かな衝撃は……即座に収まり、白に塗り潰されるのだった。

 




とある白と、灰色にしかなれなかった少女達のお話。
ピンクや赤なんて、派手な色はまだまだいらない。

だとしたら、黒であり続ける「彼ら」は何を示すのだろう?
ホワイトを穢れ無き完成であるというのなら、

愚者、とでも言えばいいのだろうか。

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