そして紫と龍人は彼女から異界の1つである“魔界”へと行ってほしいと調査を依頼されてしまった……。
妖気が漂う重苦しい空気が流れている。
ヘカーティアの依頼を受け、紫は龍人と共に魔界へと赴く事に決まり、すぐさま準備を整える為に幻想郷へと戻ってきた。
しかし、何故か龍人は幻想郷に戻るやいなや紫を連れて地底世界へと赴いていく。
「ねえ龍人、どうして地底に向かっているの?」
紫の問いに、龍人は「ちょっとな」という曖昧な返事しか返さない。
彼の様子に紫は怪訝な表情を浮かべるものの、とりあえずは黙ってついていく事に。
特に何事もなく地底世界にある『旧都』へと到着する紫と龍人。
だが龍人は『旧都』の入口である門は潜らず、そこから少し離れた岩山が連なる場所へと赴いた。
ここには何もない、『旧都』以外の場所はただの不毛な大地が広がっているだけだが。
龍人が向かった場所には、この地底には似つかわしくない巨大な“船”とそれを修理している者達の姿が見えた。
「一輪、雲山、水蜜ー」
「あら? 龍人じゃない」
「やっほー、龍人!!」
龍人に声を掛けられ、一輪と水蜜は反応を返しながら彼に駆け寄っていく。
雲山は頷きこそ返すものの、そのまま両手に持っていた木材を奥に見える“船”へと持っていく為に一輪達から離れていった。
「どうだ?」
「順調だよ。地上から来た鬼達も手伝ってくれてるから、あと数日で終わりそう!」
嬉しそうに水蜜は龍人へと上記の返答を返す。
それを聞いて龍人も笑みを浮かべ、一方の紫は内心疎外感を覚えながら口を挟んだ。
「一輪、あれは何かしら?」
言いながら、紫は先程から見えている“船”を指差す。
木製の立派な船はまるで座礁したかのように岩の大地へと置かれており、その周囲には地底の妖怪や……よくよく見ると勇儀と萃香もそこに加わり修理を行っている。
何故海のない地底に船があるのか、それも疑問に思った紫であったが何よりも気になることがあった。
――あの船からは、僧等が扱う“法力”の流れを感じられる。
仏教の教えに従い、日々修行に励む徳の高い僧侶が扱う事の出来る力、法力。
それが船全体を包み込むような流れを放っている事に紫は気づき、同時に何故そのような船がこの地底にあるのか疑問に思ったのだ。
それだけではない、法力の他にも何か変わった力が。
龍人の“龍気”に似たような力が、僅かだが感じられる。
「――この船は“
「法力? 妖怪であるあなた達が何故法力を扱えるのかしら?」
「そんな事はできないわよ。この船に込められた法力は遥か昔、聖様の弟である聖命蓮様が込めた法力なの」
「成る程。――それで龍人、まさかとは思うけど」
「魔界に行くのなら、一輪達も連れて行った方がいいだろ? 恩人を助ける為にさ」
その言葉を聞いて、紫は彼が何故いきなり地底に向かったのかを理解し、大袈裟にため息を吐き出した。
……何故彼がヘカーティアの依頼をあっさりと引き受けたのか、合点がいった。
要するに彼は一輪達の恩人である聖白蓮という僧侶を魔界から連れ出すために、あの依頼を受けたのだ。
彼らしい考えだとは思うが、自ら面倒事に首を突っ込むのは自重してほしいものである。
「魔界に行く、ですって?」
「ああ、実はな」
龍人は一輪達に、冥界での会話の内容を話した。
その内容に一輪達は驚いたが、魔界に行くと言われ彼女達はすぐさま同行を願い出てきた。
当然龍人はそれを承諾する、そもそも魔界に行くと決めた最大の理由が彼女達の恩人を助ける為なのだ、同行を許可しないわけがなかった。
「それじゃあ一刻も早く“星輦船”を直さないとね!!」
気合を入れ直し、水蜜は星輦船の修理する為にその場から走り去る。
「魔界に行くのなら、私の能力があれば充分なのだけれど……まさか、あの船も持っていくつもり?」
「ええそうよ。……聖様はあの船に込められた命蓮様の力を利用して封印された、つまり封印を解く為には」
「あの船そのものが必要、と。それにしてもその聖命蓮という僧はとんでもない法力をその身に宿していたのね」
物質に込められた力というのは例外を除き、年月が過ぎれば少しずつ抜け落ちてしまうものだ。
ましてやここは妖怪しかいない地底世界、邪気が溢れたこの世界の中でもあの船からは無垢な力が溢れている。
しかも妖怪が乗っても影響を及ぼさない法力を扱えるなど、並の僧侶ではないと物語っているようなものだ。
「命蓮様は聖様の弟であると同時に法力の手ほどきを受けていた謂わば師でもあったらしいわ。
大僧正と呼ぶに相応しい聖様曰く「本物の聖人だった」らしいから、人の身でありながら破格の存在だったのでしょうね」
「…………本当に人間だったのかしらね、聖命蓮という人物は」
それだけの評価ならば、今頃彼は“天人”にでもなっているのだろうか。
何にせよ存命している内に会わなくて良かったと紫は安堵する、会っていたら間違いなく滅せられていただろうから。
割と本気で紫がそう言葉を零すと、一輪はまるで同意するかのように苦笑を浮かべた。
「よし、じゃああの船が直り次第“魔界”に行こう」
「はいはいわかりました、今回も貴方の我儘に従うとしましょうか」
「なんだよ、俺ってそんなに紫を振り回してるのか?」
「――まさか、本気で言っているわけではないですわよね?」
にっこりと、極上を笑みを龍人に向ける紫。
だが目はちっとも笑ってはおらず、彼を責め立てるように冷たい色を宿していた。
それを見て龍人は沈黙し、紫から視線を逸らすが当然彼女はそれを許さない。
「あら龍人、どうして目を逸らすのかしら? 別に後ろめたい事があるわけじゃないでしょう?」
「あ、えっと……すみません……」
「何に対して謝っているのかしら? それに、謝るのならちゃんと相手の目を見て言わないと駄目じゃない」
「…………」
龍人、完全に撃沈。
それでも紫は薄気味悪い笑みを崩さず、尚も龍人を弄り倒す。
それを少し離れた場所から見ていた一輪は、こう思った。
大妖怪というのは、存外に子供みたいなのが多いのかもしれない、と。
■
五日という時間が過ぎ去った。
龍人と紫は幻想郷にて魔界へと向かう準備――乱暴な物言いになるが、戦闘用の札や武器を用意し。
六日目の太陽が真上に位置する時間になったと同時に、地底から空飛ぶ船が姿を現し幻想郷の大地へと降り立った。
木造の、立派で大きく何処か神秘的な船を遠巻きで見つめる里の者達。
中には両手を合わせ拝む者まで現れ、この船そのものがご神体のような認識を周囲に与えていた。
無理もあるまい、この船から発せられる空気は清らかで澄んだものなのだ。
やはりこの船は色々な意味でただの船ではないと再認識しつつ、紫は龍人と藍と共に星輦船へと乗り込んだ。
「おまたせー、そっちの準備はできてる?」
紫達を迎える一輪と水蜜、そして雲山。
「ああ、俺達は大丈夫だ」
「俺達は?」
「少し待っててくれ。すぐに来るだろうから」
龍人がそう言った瞬間。
星輦船に、2人の女性が降り立った。
1人はアレンジされた巫女服を着た女性、博麗零。
そしてもう1人は、長く美しい銀の髪が特徴的な美女、八意永琳であった。
見慣れない者達が星輦船に乗り込んだ事に、一輪達は僅かに表情を強張らせる。
「この2人も、魔界に行きたいらしくてさ」
「魔界には強力な妖怪やら悪魔やら居るって話だし、単純に興味が湧いたのよ」
そう言ったのは零、彼女は紫達から今回の事を聞き好奇心のままに同行を願い出た。
里の、人間の守護者である彼女を幻想郷から離れされる事に当初紫は難色を示したものの、零の強引さと“とある理由”から同行を許可したのだ。
代わりに自分達が居ない間の幻想郷は妹紅や慧音、輝夜に妖怪の山の連中に任せているので、少しの期間ならば大丈夫だろう。
「私は魔界に生息している生物の生態調査と薬の材料の採取よ。魔界にしか生えていない薬草や毒草といったものが存在するからね」
そう告げるのは、永琳。
薬師である彼女にとって、魔界とは一種の宝物庫に等しい場所だ。
魔界にしか生えぬ特殊な薬草や毒草、鉱石、生物はどれも薬の材料としては一級品ばかり。
いまだ勤勉で行動的な彼女だからこそ、今回の魔界探索は大いに魅力的なものであった。
とはいえ心配事はある、当然それは輝夜の事だ。
自分が居ない間、好き勝手をしなければよいのだが……。
まあ妹紅達に輝夜の監視を頼んでいるので、大丈夫だろう。
寧ろ逆に厳しく躾けられる可能性すらある、妹紅はともかく慧音は生真面目が過ぎるきらいがあるからだ。
予想していなかった同行者の存在を知らされた一輪達であったが、彼女達に反対する意志はなかった。
紫と龍人の知り合いならば信用はできるし、この2人から感じられる力は並大抵のものではない。
……魔界という危険地帯に行くには、申し分ない実力を秘めている。
「よし、じゃあいくか」
「そうだね。――星輦船、発進!!」
水蜜の元気な声に鼓動するように、星輦船がゆっくりと浮上を始める。
下では紫達を見送る里の者達が大勢で手を振っており、紫はそれに応えつつ前方に巨大なスキマを展開させていく。
繋げる先は当然目的地である魔界、だが彼女自身魔界に行った事がないことと“異界”であるが故に繋げる場所を特定する事はできなかった。
だがそれでいい、まずは魔界に行く事が先決なのだから。
「紫」
「? 零……?」
異界へと繋げるスキマを開くには、それ相応の時間を要する。
意識を集中させ能力を使っていた紫に、零が何処か緊迫した様子で話しかけてきた。
紫の集中を乱しかねないその行動ではあったが、彼女はどうしても伝えなければならない“危機”を感じ取っていた。
「魔界に着いたら、一瞬も油断しない方がいいわ。――私の勘は、良くも悪くも当たるから」
「…………」
その言葉に、紫は無言で頷きを返す。
魔界が危険な場所だというのは、紫とて事前に理解していた事だ。
地上よりも『弱肉強食』の意識が根深く残る魔界は、常になにかしらの争いが発生しているという。
たとえこちらが望まなくとも、その争いにはほぼ間違いなく巻き込まれてしまうだろう。
だからこそこの数日、紫は色々と準備を進めてきたのだ。
魔界へと続くスキマが、開いた。
その中へとゆっくりとした速度で入っていく星輦船。
そして、移動は一瞬で終わり――魔界の大地が紫達の前に姿を現した。
緑など存在しない、岩肌だらけの大地。
けれど空は明るく、“魔界”という名の割にはその景色は美しいものであった。
空気も淀んではおらず、地底世界より酷い環境を予想していた紫達はある意味拍子抜けしてしまう。
「……綺麗だなー」
そんな呟きが、水蜜の口から零れた。
それはこの場に居る全員の代弁でもあり、誰もが争いが絶えないと恐れられる“魔界”の景色に心が奪われていた。
しかしそれも一瞬のこと、我に帰った紫達はすぐに周囲を警戒する。
“魔界”の住人達にとって自分達はただの余所者、まず間違いなく警戒され最悪一方的に戦いを仕掛けられるだろう。
当然紫達はそんな事を望まないが、都合の良い展開を期待できないのも確かであった。
周囲の気配を探るが、感じ取れるのは小動物のような小さな気配のみ。
少なくとも近くに自分達に敵意を見せる存在は居ない、そう思った紫達は張り詰めていた空気を少しだけ緩めて。
――風切り音と共に、龍人に向かって放たれた銀光を視界に捉えた。
「――――」
最初に龍人へと襲い掛かったのは、喪失感。
自分の、喪ってはいけないものを喪ってしまったという感覚に、龍人の思考は停止の一途を辿る。
一体何が起きたのか、間の抜けた表情を浮かべながら彼は。
鮮血と共に自分の身体から離れ宙を舞い、霞のように霧散した右腕を見た――
「ぎ――っ!?」
停止しかけた龍人の思考が、激痛によって強引に呼び戻される。
同時に、今度は彼の首を両断しようと再び銀光が奔り。
それを阻止しようと、三条の光が降り注いだ。
「っ」
息を呑む音と共に、何かが龍人の傍から離れていく。
三条の光――永琳が放った矢は虚しく彼方へと飛んでいき、彼女はそれに構わず再び弓を構えた。
だが永琳の指から装填した矢が放たれる事はなく、星輦船から紫と一輪が同時に飛び出し第三者へと攻撃を仕掛ける。
先に仕掛けたのは一輪、雲山を操る彼女は彼の拳を一瞬で巨大化させ相手を叩き潰さんとばかりに右の拳を繰り出した。
鉄塊すら粉々に砕くその一撃はしかし、相手には届かず空振りに終わる。
続いて紫が光魔と闇魔を手に持ち、上段から相手を斬り伏せようと振り下ろし。
「っ、お前……!」
「…………」
その一撃を、白銀の輝きを持つ神剣によって受け止められると同時に。
紫は、龍人へと襲い掛かった存在が赤髪の女性――アリア・ミスナ・エストプラムだとわかり、一瞬でその瞳に怒りと憎悪の色を宿らせた。
互いに持っていた剣で弾き合い、紫は星輦船に着地しアリアは空中で態勢を整えながら――冷たい目で、紫達を見下ろす。
瞳には絶対的な敵意と殺意だけが込められ、その全てが紫……ではなく、龍人だけに向けられていた。
「…………」
おかしい、と紫は腕を斬り飛ばされた龍人の元へと駆け寄らずに、ぽつりと呟いた。
彼ならば大丈夫、既に永琳が治療を行っている。
今の自分がすべき事は、一瞬たりともアリアから目を逸らさずにいつでも戦えるようにする事だ。
……だというのに、紫の中はアリアに対する確かな違和感に埋め尽くされていた。
「……アリア、あなたは」
「囀るな、紫」
口を開いた紫に、アリアは囁くように告げる。
その言葉の冷たさに恐ろしさに、紫だけでなく傍に居た一輪達もぶるりと身体を震わせた。
同時に紫の中にあった違和感が、再び大きくなった。
今の彼女には、彼女自身の意志というものが感じられない。
まるで人形、主が動かさなくては沈黙を続けることしかできない人形を思わせる無機質さだけしか見受けられない。
「…………どういう事なの。腕の再生ができない」
驚愕に満ちた永琳の声が、紫の耳に入る。
天才と呼べる知識を持つ彼女ならば、腕の一本や二本など自身が作る薬ですぐに生やす事ができるというのに。
龍人の喪われた右腕部分を見た瞬間、彼女は自分の薬では治せないと思い知らされていた。
「無駄だ。ワタシの
「――――」
聞き慣れた単語が、紫の耳に入る。
その瞬間――彼女の中でずっと根付いていた予想が、確信へと変わってしまった。
龍人をお願いと永琳達に告げ、紫は飛翔しアリアと真っ向から対峙する。
「…………」
「無様ね紫、所詮あなたでは彼を守ることなどできない」
「相も変わらず嫌われたものね。それよりアリア、貴女……随分と余裕がないように見えるけど?」
「……お喋りが過ぎるわね、一刻も早くワタシに殺されたいと見える」
手に持つ神剣の切っ先を紫に向けるアリア。
対する紫も、光魔と闇魔を静かに構え、いつでも仕掛けられるように妖力を開放させた。
臨戦態勢へと入った紫であったが、アリアはそんな彼女を嘲笑うかのように口元に歪んだ笑みを刻ませる。
「笑わせてくれる……本気でワタシに勝てるとでも?」
「負けるわけにはいかないのよ、それに……私は貴女が気に入らないの」
「あら奇遇ね、ワタシもよ」
互いの殺気が昂ぶっていく。
2人の瞳には相手に対する憎しみの色しかなく、濃厚な殺意は凄まじい威圧感を周囲に与えていた。
「もう終わりにしましょうアリア、貴女との因縁もいい加減飽きてきた所だから」
「ええ、そうね。もう疲れたでしょう紫? 叶いもしない願いを抱き続けて、自分を押し殺す道を歩むのは」
「……なんですって?」
「彼の傍に居るせいで、あなたはいつだって自分自身を押し殺してきたでしょう?
本当は人間なんてどうだっていいくせに、彼が人と妖怪が共に生きれる世界を望んだから付き添っているだけ。
そんな世界など永遠に訪れないとわかっているけど、彼のあまりに馬鹿馬鹿しく笑うしかないその夢が珍しいから付き合っているだけでしょう?」
「…………」
まるで心に遠慮なく手を突っ込まれ、乱暴に掴み上げ揺さぶられるような感覚に襲われる。
皮肉と嘲り、そしてほんの僅かな羨望と嫉妬を込めたアリアの言葉は、すんなりと紫の全身へと沈み込んでいく。
「無意味なのよ彼の道は、人と妖怪が共に生きる世界? そんなもの、都合の良い夢物語の中にしか存在しない。
いずれ人の時代が来て、妖怪と呼ばれる者達は追いやられ忘れられていく。
それなのに、人の身勝手さに振り回されるだけだとわかっているのに、どうして尚も人の為に生きようとするのか理解に苦しむわ」
そんな道になど何の価値もないと、アリアは吐き捨てた。
それを聞いた紫は当然より一層アリアに対する怒りを湧き上がらせていくが……同時に、その言葉を否定する事ができなかった。
夢物語、そう吐き捨てたアリアの言葉は決して間違いだけしかない言葉ではない。
特に紫にとって、アリアの言葉はどんな他者が放つ言葉よりも心に響いてくる。
「後悔するわあなたは、こんな道など歩まなければよかったと……龍人と出会わなければよかったと、後悔する日は遠くない。だから」
だから、今すぐに楽にしてあげるわ。
無慈悲に言い放ち、アリアが動く。
対する紫も、一瞬で光魔と闇魔に妖力を送りながら、向かってくるアリアを斬り捨てようとして。
「――友達を侮辱するの、やめてくれない? そういうの、私大っ嫌いなのよね」
真横から割って入った零が、アリアとの間合いをゼロにして。
霊力を込めた左足による回し蹴りを、容赦なく彼女の身体へと叩き込んだ光景を視界に捉えた――
To.Be.Continued...
楽しんでいただけたのなら嬉しく思います。
また長くなりそうですが、お付き合いしてくださると幸いです。