妖怪の賢者と龍の子と【完結】   作:マイマイ

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幻想郷での日々はゆっくりと過ぎていく。
紫と龍人、2人もその小さな楽園にて平和な時を刻んでいた……。


第90話 ~紫さんと龍人さん~

「――紫様、いい加減お休みになられたらどうですか?」

「朝の挨拶の前に言う言葉ではないわね、藍」

 

 ――八雲屋敷、紫の自室にて。

 主人に向かって正座しつつ、どこか責めるような表情を浮かべながら上記の言葉を口にする式に、紫は右手に持つ筆を紙に走らせながら苦言を返した。

 しかし彼女の式である八雲藍は、主人の機嫌を損ねるのを覚悟で言葉を続ける。

 

「紫様、最近殆どお休みになられてはいないとお見受けしますが?」

「そんな事ないわよ。まあ確かに三日程寝てはいないと思うけど……」

二月(ふたつき)です!!」

 

 尚も暢気な紫に、藍は床を叩きながら先程以上の大声で主を叱責した。

 その反応を見ても紫は驚かず、何が愉しいのかころころと笑うばかり。

 

「どうしてそんなに深刻に考えるのかしらねぇ、妖怪なんだから二月ぐらい寝なくても大丈夫だって藍なら知っているでしょう?」

「それは何もしなければの話です。紫様はこの二月の間、何をしていたのか思い出せますか?」

「人を物忘れの激しい老人扱いして……えっと、幻想郷を一望できる丘の上に鬼達に頼み込んで零が暮らす神社を作ってもらって……」

 

 零とは、当初は殺し合いまで発展したものの今では幻想郷における『人間の守護者』となっている博麗零(はくれい れい)の事である。

 彼女の強い要望……というか単なる我儘を押し通され、『博麗神社』と名付けられた神社を建築に長けている鬼達によって建てられたのは、今から大体二月程前だったか。

 その後は、屋敷に篭ってひたすら“ある作業”に没頭していた筈だ。

 記憶を捻り出しながら紫がそう答えると、藍は何が気に入らないのかわざとらしく大きなため息を吐き出した。

 

「そうです。紫様はこの二月の間、殆ど部屋に引き篭もってばかり……」

「悪意のある発言ね。でもちゃんと貴女が作ってくれた美味しい食事を食べたり、厠に行ったりはしていたでしょ?」

「っ、そ、そういう問題ではないのです!!」

 

 美味しい食事、とさり気なく褒めたのが嬉しかったのか、藍は怒りつつも尻尾をブンブンと振り回し始めた。

 どうでもいいがあれだけの巨大な尻尾を九本全て同時に振り回すのはやめてほしい、部屋の中で突風が巻き起こっているではないか。

 しかし下手に余計な事を言えば数倍になって返ってくるので、紫は作業を進めながら黙っている事にした。

 

 黙っている事にはしたが、少々解せない事もあった。

 藍は自分を心配してくれている、よく出来た式だと褒めてやりたい所だ。

 だが何故ここまで怒るのかは正直理解できない、彼女は紫の妖怪としての格や能力を知っている筈。

 だというのにこの過剰な反応である、何か他の要因で彼女を怒らせるような事をしてしまったのかと紫は再び記憶を思い返していく。

 

「……紫様、まだ部屋から出てこないのですか?」

「もう少し掛かりそうね」

「一体何をなさっているのですか? ……私では、お役に立てませんでしょうか?」

「…………」

 

 その言葉で、紫は漸く藍の心中を理解する。

 ……要するにこの子、主の力になれない事を悔しがっているのだ。

 なんと健気で可愛らしい悩みを抱いているのか、堪らず紫は藍を自身の胸元へと抱き寄せその頭を優しく撫で回した。

 

「ひゃっ!? ちょ、紫様何を!?」

「藍は良い子で可愛いわね、母性本能がくすぐられるわー」

 

 母親になった事はないが、彼女を愛でたいと思うこれこそが母性なのだろうと紫は思う。

 一方、抱きしめられながら頭を撫でられている藍は、頬を赤らめ困惑していた。

 どうにか紫から逃れようとするものの、主に無礼を働いてはいけないと思っているのかその抵抗は小さいものだ。

 

――結局、紫が満足するまで藍は好き勝手に撫で回された。

 

「…………」

「あらら、機嫌を損ねちゃったかしら?」

「いえ……ですが、子供扱いされるのは正直不服といいますか……」

「私にとってあなたは子供よ藍、それはどんなに年月が経っても変わらないわ」

 

 紫にとって藍は自分の式ではあるが、同時に娘のようなものである。

 だから彼女が悩んでいる姿を見るのは嬉しいと思うし、今のように愛でたいと思うのは当然と言えた。

 紫がそう告げると、藍は気恥ずかしいのか視線を逸らしてしまう。

 けれど彼女の尻尾は、先程のようにブンブンと忙しなく動き回っている。

 嬉しいのなら嬉しいと言えばいいのに……紫はそう思いながら小さく笑ったのだった。

 

「ところで紫様、ずっと部屋の中で何をしていらっしゃったのですか?」

 

 主に問いながら、藍は視線を机の上に広げられている巻子本へと向ける。

 そこに書かれていたのは、藍が見た事のないような理論と術式が描かれた“結界術”であった。

 その殆どが理解できず眉を潜める藍に、紫はそれの詳細を語る。

 

「“これ”が何なのか、判るかしら?」

「……申し訳ありません。何かの結界術のようだとは認識できるのですが」

「謝る必要なんかないわよ藍。――これは私の能力と永琳の結界の知識、輝夜の永遠の魔法に零の博麗の秘術、それらを混ぜ合わせ独自の解釈と術式で編み込まれた大結界」

「ずっとこの結界の完成に没頭していたのですか?」

 

 まあね、と答える主人に対し、藍は驚き……同時に呆れた。

 九尾の狐である藍ですらその構造の殆どを理解できない程の大結界だ、相当の力を有しているのは容易に想像できた。

 けれどそれをたった1人で完成させるなど、無茶に等しい行為ではないか。

 

 とはいえ、それなりに紫に仕え彼女の知識と技術を学んだ藍ですらこの大結界を理解できていない。

 故に彼女にしかこの大結界を理解できないのならば、確かに1人で完成させようとするのも無理からぬ話か。

 

「一応完成はしたのだけれど、この結界を起動させるにはまだまだ時間が必要ね」

「何故ですか?」

「この大結界を起動するには大量の妖力と霊力が必要なの、かといってその量は個人の人間や妖怪から出せるものじゃない」

 

 永琳ならば可能かもしれないが、彼女はこれ以上の協力はしてくれないだろう。

 あくまで彼女は傍観者であり知識を与えるだけの存在、幻想郷に対する愛着は薄いのだ。

 輝夜に頼んで協力を仰いでもらうという手もあるが、紫としてはその方法を試したいとは思わなかった。

 彼女は友人だ、そんな姑息な手で協力してほしいとは思わない。

 

「だからこの術式に少しずつ私と零の力を注ぎ込んで術式そのものに溜めていく方法を選んだわ、ただそうなると起動するだけでも数百年……維持するとなるとどれだけの力が必要になるか」

「数百年、ですか? ですが紫様はともかく、あの人間では……」

「だから彼女には“次代”を育てて貰う事にしたわ、数世代先まで掛かるでしょうから」

「……それだけの工程が必要になる大結界、一体どのような効力があるのですか?」

 

 結界とは、一般的に防御や封印の類に使用されるものだ。

 それを考えると、大結界の効力は幻想郷全域を守るような防御膜――藍はそう分析した。

 その分析は正しい、紫が作り出したこの大結界は確かに幻想郷を護るものだが。

 

「――この大結界の中に存在する者は、外界と遮断される。それと妖怪達は人を喰らわなくても生きていけるようになる効果があるわ」

 

 規模、そして効力は藍の想像を遥かに超えたものであった。

 

「外界と遮断!? それに、妖怪が人を喰らわずとも生きていける……!?」

「人と妖怪が共に生きる世界、それを目指している私達だけど、やっぱり妖怪のその本能がどうしても弊害になるわ。

 だからこの大結界を用いてその本能の境界を操作して人と同じように暮らせるようにするの、誰だって隣人に自分が喰える存在が居れば不安に思うでしょう?」

 

 だからこそ、この大結界の術式にそのような効果を付与したのだ。

 紫の能力のみでは、幻想郷全ての妖怪の境界を操作する事はできない。

 故に様々な力や知識を用いてこの大結界を完成させようとしているのだ、尤も――それだけで全てが上手くいくとは紫自身も思っていないが。

 

「…………」

「不満、かしら?」

「いえ、ですが……結界の力で強引に本能を書き換えられた存在は、()()()()()()()()()()()()()()()()、と……」

「……そうね。藍の言っている事は理解しているつもりよ」

 

 妖怪は人を喰らい、そんな妖怪を人間は恐れる。

 それは紫が生まれるよりもずっと昔、太古の時代から決して変わりはしなかった理だ。

 その理を捻じ曲げ、変化させる事は大罪であり誤りなのかもしれない。

 藍の言う通り、今まで妖怪と呼ばれていた存在は妖怪ではなくなってしまうかもしれない。

 

――けれど、そうしなければ近い未来に妖怪と呼ばれる者達は絶滅する。

 

 人の時代は刻一刻と迫っている、おそらくあと数百年もすれば妖怪は殆ど姿を消してしまうだろう。

 それだけ人間の繁殖能力は桁違いだ、それだけではなく人間には妖怪にはない“可能性”を秘めている。

 百の時を生きれぬ短命故か、強靭な肉体を持たない人間だからこそある“強さ”がいずれ妖怪全てを世界から追いやるだろう。

 そしてその運命は決して避けては通れない、その前に人間と妖怪が共に手を取り合って生きる世界を作る事は……難しい。

 

 勿論“彼”は最後まで諦めないだろう、勿論彼の支えになりたいと思っている紫も同じ気持ちだ。

 しかし物事はそう単純なものではなく、だからこそ紫は“別の選択肢”を作ろうと決めた。

 それがこの大結界、世界そのものを変える事ができなかった時の……嫌な言い方をすれば“逃げ道”だ。

 

「……紫様、私は紫様の式です。たとえあなたがどんな道を歩もうともついていく所存である事を忘れないでください」

「ふふっ、ありがとう藍」

 

 慈しむように、式の頭を撫でる紫。

 今度は抵抗せず、藍は素直に彼女の愛情に甘えたのであった。

 

――それから暫く甘えていた藍であったが、彼女はある事を思い出し紫から離れた。

 

「紫様が何をしていらっしゃったのかは理解できました、それで……まだ篭るおつもりですか?」

「……そうね。一応区切りは付いたけれど……」

「それならば一度里に顔を出しては如何でしょうか? 里の住人達も紫様の姿を最近見ないと申す者も居ますし……何よりも、龍人様が寂しがっております」

「…………龍人が、寂しがっている?」

 

 その言葉を聞いて、紫は首を傾げる。

 ……今まで、紫と龍人が暫く顔を合わせなかった事は何度もあった。

 彼が旅をしている時だって、ひどい時には数年間会わなかった時だってあったというのに、その彼がたった二月程度顔を合わせなかっただけで寂しがっているというのか。

 にわかには信じられず、かといって藍がそのような冗談を口にするとも思えない。

 ただ、寂しがっている彼という珍しい姿を想像して、是非ともそれを見たくなった紫は立ち上がり大きく身体を伸ばした。

 

「龍人は何処に居るの?」

「いつも通り、里で人間達の手伝いをしておられます」

「そう……じゃあ会いに生きましょうか、寂しがってる龍人って想像したら可愛らしいし」

 

 しかも自分に会えなくて寂しがっているとなれば、ますます可愛らしいではないか。

 口元に隠し切れない笑みを浮かべる紫に、藍はジト目を送りつつ一言。

 

「――龍人様が可哀想ですね」

 

 精一杯の皮肉を込めて、容赦も躊躇いもなくそう言ったのだった――――

 

 

 

 

 藍と共に幻想郷へと赴く紫を待っていたのは、里に住む者達の笑顔と歓迎の意思であった。

 中には暫く里に来なかった彼女に心配していた者も居り、その優しさに嬉しく思いながらも紫は申し訳なく思った。

 暫し里の住人達との会話を楽しんでから、紫は真っ直ぐ彼の元へと向かう。

 彼が居たのは、最近新しく耕した田畑がある場所だった。

 既に秋の季節に蒔く種を植え、良い作物に育つよう祈りながら作業する住人達。

 

 彼――龍人はそんな住人達から少し離れ、黙々と地面を掘り進めていた。

 その姿はまるで土竜のようであり、田畑に使用する水路として使用する横穴を掘る作業に没頭している。

 それだけならばまだいい、素手で地面を掘るのか等のツッコミはあるもののこの際どうでもよかった。

 それよりもだ、現在彼から発せられている暗いオーラは一体どういう事なのか。

 

 いつもの彼はまるで太陽のように明るく、見ているだけで元気を貰えるような気概さがあるというのに。

 今の彼はその真逆、見ているだけで元気を無くすというか無条件で心配したくなるオーラを撒き散らしている。

 しかも無言で地面を掘り進めているものだから、そのオーラと相まって正直不気味だった。

 周囲の者達も平静を装いながら、時折チラチラと彼の様子を引き攣った表情で見ている辺り上記の表現は決して過言ではない。

 

「……あれ、何?」

 

 おもわず隣に立つ藍へと問いかけてしまう紫。

 

「龍人様です」

「いや、それはわかるけど……あんなに元気のない龍人を見るのは初めてね」

「そうですね、まあ元凶は紫様が殆ど自室から出ずに研究に没頭していたからですけど」

 

 凄まじい皮肉とほんの少しの嫉妬を込めて、藍は厳しい口調でそう返す。

 それを聞いて痛い所を突かれたのか、紫の表情が固まった。

 

 ……正直な話、実際に今の彼を見るまで冗談だと紫は思っていた。

 彼はいつだって明るくて、元気で、その在り方は紫にとって眩しくて。

 けれどそんな彼に紫は何度も救われてきた、彼の強さを知っているから紫には信じられなかったのだ。

 そんな彼が自分と会えないから寂しがっている、浅はかだった自分を責め立ててやりたくなった。

 だが今はそんな自分の責を嘆いている場合ではない、そう思った紫は相も変わらず黙々と穴掘り作業に没頭している龍人へと声を掛ける。

 

「龍人」

「――――」

 

 ぴたり、と龍人の動きが止まった。

 そして彼は立ち上がり、ゆっくりと紫の方へと振り向くと。

 

「あ、紫」

 

 いつものように、紫の名を呼んで。

 しかしその声色には隠し切れない嬉しさが含まれており、表情もぱあっと明るくなった。

 同時に負のオーラも霧散し、彼はすっかり元の明るさを取り戻していた。

 

「…………」

「? 紫、どうかしたのか?」

「え、あ、いえ……なんでもないわ」

 

 反応がない紫に龍人は声を掛けるが、一方の紫はそれどころではなかった。

 ……なんなのだ、今の可愛い反応は。

 今までの彼とは違う、全身で自分に対する好意を示しているかのような反応。

 思い返せば、地底から帰ってきた後の彼は少し変わったような気がした。

 今までも自分に対する親愛の情は見せてくれていたが、今の彼は親愛というよりも……。

 

「紫、もう何かの作業は終わったのか?」

「ええ。ごめんなさいね龍人、長い間幻想郷を任せたりして」

「それは大丈夫だ。妹紅や慧音や零達が居るから、でも紫が居ないのはなんていうか……こんな事思っちゃいけないんだろうけど、ちょっと寂しかった」

「――――」

 

 あ、ダメだこりゃ。

 少し困った顔で「変な事言ってごめんな」と言っている龍人を、紫は無意識の内に抱き寄せた。

 ……周囲から驚きの声が聴こえてきたが、今の紫には関係なかった。

 だって仕方ないではないか、あまりにも彼が可愛らしい事を言うのだから。

 それに彼が遠慮もなしに自分に甘えてくれる事も、嬉しかった。

 

 何があったのかはわからないが、彼はやはり地底で何か変わったのだろう。

 無論紫にとって好ましい変化であった、何故なら前以上に彼を愛しく想うのだから。

 

「……紫様と龍人様、幸せそうだなー」

「見ているこっちが恥ずかしくなるぜ」

「でもお2人が幸せなのは、良い事だよな!!」

「だけど、やっぱり羨ましいぜ……」

 

 2人の様子を遠巻きに眺める者達の声を拾いながらも、紫と龍人は暫く互いの体温を感じ合った。

 今日も幻想郷の空は青く、風は穏やかで、平和な時を刻んでいく。

 その中で抱きしめ合う2人を、周囲の者達は微笑ましく見守るように見つめていた……。

 

 

 ただ、藍が割って入るまでその場から動かずに抱きしめ合うのは勘弁してもらいたいなあ……とも思う、幻想郷の住人達であった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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もう少し日常話が続いていく予定です、ご了承ください。

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