彼女は何故か龍人を気に入り、意味深な言葉を放ちながらデイダラを連れて地獄へと戻っていった。
一抹の不安を抱きつつも、紫は共に戦った龍人と共に休息へと入る……。
「――紫様、起きられますか?」
「…………藍?」
まだ完全に覚醒していない意識の中で、式である藍の声が聞こえ紫は瞳を開く。
最初に映ったのは自分を起こそうとしている藍、次に見えたのは八雲屋敷とは違う天井。
ここは一体何処だろう、一瞬思った紫であったがすぐにここは地底世界……そこで暮らす覚妖怪の古明地さとりが住まう長屋の中だと思い出す。
「……おはよう、藍」
「おはようございます紫様、やはりお疲れだったようですね……」
「少し力を使い過ぎたから仕方がないわ」
デイダラとの戦いが終わり、紫達は地底の都へと戻って早々さとりに願い出て休ませてもらったのだ。
藍にどれくらい寝ていたのか訊くと丸一日も眠っていたとの事、想像以上に自身の身体には疲労が押し寄せていたらしい。
……いや、確かに疲労はしていたが、原因は別にあると紫は思う。
閻魔である四季映姫の後に現れた地獄の女神――ヘカーティア・ラピスラズリのせいである。
思い出すだけでも、冷や汗が出てきそうな程の存在感と力を持っているヘカーティア。
けれどそれ以上に龍人に対してあまりに馴れ馴れしい態度が、紫にとって確実なストレスとなっていた。
「――おはようございます、紫さん」
家主の古明地さとりが、小さく微笑みながら紫の元へとやってきた。
紫も彼女に対して挨拶を返しつつ、布団から出て立ち上がり大きく伸びをして身体を解す。
「昨日は本当にお疲れ様でした。私達を守ってくださってありがとうございます」
「いいのよお礼なんて、それより昨日何があったのか詳しく話さないとね」
「ええ、お願いします」
向かい合うように座り込み、紫は早速さとりに昨日の戦いの事――そして閻魔達と交わした会話の内容を話す。
話を聞いたさとりは、紫の予想通り驚愕に満ちた表情を浮かべ出した。
「……地獄を司る女神、ですか」
「まさしく存在自体がデタラメな方でしたわ。ただ怨霊の件をどうするのか、最終的な事はまだ決まっていませんの」
結局あの時は、ヘカーティアが半ば強引に話を中断させてしまったのだ。
ただ近い内に映姫が再びやってくるだろう、おそらく今日辺りにでも……。
とにかく今はゆっくり身体を休める事が先決だ、自分も龍人もかなり疲労してしまった。
因みにデイダラとの戦いにて怨霊による精神的なダメージを負った勇儀と萃香は、既に回復していた。
元々頑強な肉体を精神を持っている2人だったので、半日程度で元に戻り今は地底の妖怪達と騒いでいる事だろう。
今あの2人に出会えば余計に疲れてしまうので、紫はこのまま今日も1日ここで過ごそうと誓い……自分と同じように眠っていた筈の龍人が、居ない事に気づく。
「龍人さんでしたら、紫さんが目覚める前に外へと行ってしまいましたよ」
「もぅ……疲れているでしょうに」
「一輪さんと雲山さんの事が心配だったみたいですよ、私は休んだ方が良いと言ったのですが……」
「さとりが気にする事はないわ。それにいくら龍人でも今の自分の状態がわからないわけではないでしょうし放っておいても大丈夫よ」
言いながら、紫は再び布団の中へと寝転んでしまった。
「紫様……あまりお行儀が良いとは思えないのですが」
「疲れているのよ。さとり、いいわよね?」
「勿論です。ゆっくり休んでいってください紫さん」
「古明地殿、ありがとうございます」
「ふぁぁ……」
つい、欠伸をしてしまった。
どうやらまだ疲れが取れていないようだ、さとりの許可も得たし存分に寝る事にしよう。
そう思った紫はすぐさま瞳を閉じ、数秒後には眠りの世界へと旅立っていった……。
■
「――あれ?」
さとりの言う通り、龍人は一輪と雲山を捜していた。
だが今の彼は紫の予想通り、表情に疲れが見え息も上がっている。
先の戦いにおける疲労が消えていないのだ、それでも無事を確認していない一輪達の事が気になってしまった龍人だったが……彼女は、意外な場所で見つかった。
「一輪、何してるんだ?」
「…………龍人」
共に行動している雲山の姿はなく、一輪はただ1人――龍人が放った
不思議に思い声を掛ける龍人に対し、彼女は心配そうな表情を浮かべ駆け寄ってきた。
「一輪、どうしたんだ?」
「どうもこうもないわ。――あなた、あれだけの事をしたのにどうして休まないの?」
責めるような一輪の口調に、龍人は困惑し首を傾げるばかり。
そんな彼の態度を見て一輪は大きなため息を吐き出した。
「……あの穴、あなたの仕業なんでしょ?」
「え? ああ、でもそれがどうかしたのか?」
「どうかしたのかって……これだけの大穴を開けるような大技を使った今のあなたの身体には、相当の負荷が掛かっている筈よ。それなのに休まずに何をしているの?」
「一輪達の様子が気になってな、でもその様子じゃ大きな怪我は負ってないみたいだから良かったよ」
「…………はぁ」
再びため息を吐く一輪、その態度は龍人の言葉に対してあからさまな呆れを含んだものであった。
少しだけ不満げに唇を尖らせる龍人、すると彼女は。
「――本当に、あなたって“聖様”に似ているわね」
懐かしむように、ぽつりと呟きを零した。
「聖様?」
「……本名は
妖怪である自分や雲山、船幽霊として暴走していた水蜜を、彼女は暖かく迎え入れてくれた。
優しく気高く、そしていつも自分よりも他者を想う彼女の生き方と龍人の考えは良く似ている。
だからだろうか、地底に封印されて数百年以上経っても尚、考えまいとしていた彼女の事を思い出したのは。
「人と妖怪が平等に暮らせる世界、聖様はそんな願いを抱いていらっしゃったわ」
「へえ、俺が言うのもなんだけど珍しいな」
「私達もそんな聖様の願いに共感して、その夢を叶える為に力になろうとしてきた……」
だが、その理想は高潔ではあるが――同時に、弱者にとって受け入れ難いものでもあった。
人間の味方をしながら、白蓮は同時に争いを好まない妖怪達を受け入れていた。
しかし余計な混乱と確執を生ませない為に、白蓮は人間達に妖怪を助けている事実を決して表に出そうとはしなかった。
それは懸命な判断だ、如何に人と妖怪が共に生きる世界を望もうとも当時の関係を考えれば当然の行動だろう。
――上手くいっていた、少なくとも一輪達は少しずつ歩めていると感じていた。
けれど人間達に白蓮の行動が公になると、人間達は恩人であった白蓮にも牙を向いた。
彼女の優しさと人徳によって何度も助けられたというのに、人間達は白蓮を裏切り者だと罵り……魔界へと封印したのだ。
当然一輪達は抵抗しようとした、けれど他ならぬ白蓮が人間達との争いを望まなかった。
「……結局聖様は抵抗する事無く魔界へと封印され、私達も多勢に無勢……こうして地底へと封印されたのよ」
「………………」
「聖様の夢が間違っていただなんて思わない。でも……正しいとも思えなくなってしまった」
あの時の、白蓮が人間たちに捕まった時の光景は今でも鮮明に思い出せる。
口汚く彼女を罵り、今までの恩など初めから無かったかのように憎しみや怒りを向ける人間達。
その気持ちが判らなかったというわけではない、一輪とて雲山に出会う前は何の力もない名も無き村落でひっそりと暮らす少女だったのだから。
ただ人間達の醜い一面だけを見てしまった彼女は、元人間だった事も影響してか人に対する憎しみを募らせてしまう。
やがてそれは地上に生きる全ての存在に対する憎しみに変わり、だからこそ当初の彼女は龍人達に対して明確な敵意を向けていたのだ。
……今でもその憎しみは、消える事は無く一輪の内側で渦巻き続けている。
「ねえ龍人、あなたは確か地上にある幻想郷という里で人間達を守っているのでしょう? どうしてそんな事をするの?」
「どうしてって言われてもな、俺にとって幻想郷は故郷のようなものだしそこで暮らしている人達は家族みたいなものだから」
「家族? 人間を? ……利用されているだけだと、思わないの?」
「……まあ、そう思っているヤツも居るだろうな。それは否定できない事実だ」
「なら、何故――」
理解できない。
利用されていると自覚していながらも、そんな輩達すら「家族」と言って自身の力を振るおうとする彼の考えが。
けれど、理解できないと思うと同時に……一輪は、かつて自分が白蓮に対し同じ問いかけをした事を思い出す。
あの時の彼女は、一輪に対して少しだけ困った顔を浮かべながらも。
『――それが、人の総てじゃないからよ』
「――それが、人の総てじゃないからだ」
はっきりとした口調で、そう言っていた。
白蓮とまったく同じ答えを龍人の口から放たれ、一輪は茫然としてしまう。
同じだ、彼と白蓮の目指す場所は。
それを理解すると同時に、一輪は自分の矮小さを恥じた。
確かに白蓮を封印した人間達は許せない、けれどだからといって人はただ醜く守る価値などないと評価するのは間違いだ。
そもそも人も、否、この世に生きる存在に完全なモノなど居やしない。
それなのに人の総てをわかった気でいた自分が、本当に情けなく恥ずかしいと一輪は自嘲する。
(聖様、私はまだまだ未熟者のようです……)
きっと今の自分を見たら、白蓮は呆れる事だろう。
けれど一輪の心は――何か憑き物が落ちたかのように、穏やかなものへと変化していた。
未熟で結構、これからその未熟さを克服し前へ進めばいいだけ。
まだ歩んでいた道が閉ざされたわけではない、こうして白蓮と同じ志を持つ同志に出会う事だってできたし何よりも――白蓮を救うチャンスだってやってきた。
「龍人、ありがとう」
「ん? なんで一輪が俺にお礼を言うんだ?」
「自分の未熟で矮小な心を理解できたからよ」
「???」
当然ながら理解できない龍人は首を傾げ、一輪はそんな彼を見てくすくすと楽しげに笑う。
彼女の笑みにますます困惑する龍人であったが、なんとなくではあるが一輪が嬉しそうだったので気にしない事にした。
「――あーくっさいくっさい、青くっさい事を恥ずかしげも無く言ってるヤツが居ますよご主人様ー」
「そんな事言わないのクラッピー、それがいいんじゃないの」
「うへー……ご主人様の性癖は妖精ごときのあたいには理解できないですねー」
「あらクラッピーちゃんってば辛辣!!」
場に響く、嘲笑を含んだ少女の声と……つい先日に聞いた圧倒的存在感を放つ女性の声。
その声を耳に入れた瞬間、一輪は目を見開き金縛りに遭ったかのように動かなくなる。
一方の龍人は、ゆっくりと声の聞こえた方向へと身体を向けた。
そこに居たのは、龍人に対して友好的な笑みを見せる地獄の女神――ヘカーティア・ラピスラズリと。
長い金糸の髪を持ち、青地に白い星マークと赤白のストライプの服を着た、半透明の羽根を背中に生やした少女の姿があった。
「……ヘカーティア」
「先日振りねん龍人、まだ疲れが残っているようだけど大丈夫?」
「大丈夫、心配してくれてありがとう。――ところで、そっちの子は誰だ?」
視線をクラウンピースと呼ばれた少女へと向ける龍人。
「この子はクラウンピース、地獄に居る妖精で私の部下よん。ほらクラッピー、挨拶なさいな」
「どーも、クラウンピースでーす。アンタがご主人様のお気に入りみたいだけど……全然魅力的に見えないわねー」
値踏みするような視線を向けながら、クラウンピースは辛辣な言葉を龍人に放つ。
さすがの龍人も彼女の態度にムッとするものの、とりあえず無視して茫然としたままの一輪の頭を軽く小突いて覚醒させた。
「ぁ……」
「一輪、大丈夫か?」
「…………龍人」
気の抜けた反応を見せる一輪、ヘカーティアの存在感にあっさりと圧倒されてしまったのだろう。
だがそれは当然と言える、先日のような威圧感は出していないものの、彼女が場に居るだけで空気が一変したのだ。
きっとヘカーティアにとってはただこの場に立っているだけなのだろう、それだけでも龍人達に凄まじい重圧が押し寄せていた。
敵意や悪意が無いのですぐに慣れてしまうだろうが、あまり彼女と対峙し続ければ精神を削られてしまう。
「ヘカーティア、もしかして今回の件でどうするのか決まったから伝えに来たのか?」
「ううん。それは映姫ちゃんに任せているわ、そういうのは閻魔や十王の仕事だから」
「えっ、じゃあどうして……」
ここに来たんだ、そう龍人が問いかける前にヘカーティアは龍人の眼前まで近寄って彼の言葉を遮った。
美しく妖艶な笑みを浮かべるヘカーティアに、龍人は何も言えず彼女を見つめることしかできない。
そして。
「ねえ龍人、私あなたが気に入っちゃったの」
「それは……ありがとう」
「私の力を充分に理解しながらも体等に話そうとするその気概、内に眠る“龍人族”としての力と……あなた自身も知らない“加護”。そのどれもが私にとって面白いものなのよ、だからね――」
――私と一緒に、地獄に行きましょう?
そう言って、ヘカーティアは優しく龍人の手を握り締め。
抵抗しない彼を、そっと自分の元へと抱き寄せた――
■
「――以上が、今回の件による我々の要望です」
そう言って地獄の閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥは会話を終える。
それを聞いていた紫達と地底の妖怪達は、閻魔の放った言葉の内容を聞いてざわめき始めていた。
「よくもまあ、そんな案が通ったものですわね」
紫も驚き半分、呆れ半分といった口調で映姫へと話しかける。
一方の映姫は紫の言葉に同意するように、苦笑しながら疲れを含んだため息を吐き出した。
――切り離した地獄の土地を、この地下世界へと繋げそこに住まう者達の所有物とする。
最初に映姫が放った言葉は、上記の言葉であった。
既に切り離した土地は再び今ある地獄に繋げる事はできず、かといって持て余している余裕などあの世には存在しない。
ならばいっそのことこの地下世界に繋げてしまおうというのが、閻魔と十王達の考えであった。
無論、無償で地獄であった土地を現世の者達に与えるわけではない。
切り離したとはいえ地獄の土地だ、故にここで地上に溢れた怨霊達を押し込め監視する、それが交換条件との事。
更に今回あの世にて暴動を引き起こした者達をこの地下世界へと住まわせ、前と同じように怨霊を監視させるという条件も含まれていた。
こんな話を聞かされて、困惑するなという方が無理な話である。
「ですが地上に溢れこれからも増え続けるであろう怨霊の管理、そしてデイダラ達のような者達を処罰という名目で事実上の無罪放免にするにはこれしかありませんでしたから」
「あら? 随分と甘い判断ですわね」
「……こちらとしても、デイダラのような優秀な者が引き続き怨霊の管理をしてくれるというのは助かるのです、とはいえそれを認めない者も居ますから」
「方便、というわけですか」
「それに……ヘカーティア様が介入してきまして、「龍人の考えを汲み取れるような案にしろ」と……」
「………………」
ヘカーティアの名を聞いて、紫の表情が強張る。
彼の要望に応えようとするのはありがたいが、それとこれとは別問題なわけで。
とはいえ、あの世側からしてもこちら側としても互いにメリットがある案というのは間違いないだろう。
あの世側からすれば人材を確保できたようなものであるし、こちら側としては単純に地下世界での勢力が増したも当然だ。
しかし問題がないわけではない、その条件を果たして地底の者達が呑むかどうか……。
「――宜しいですよ。こちらとしても広い土地を得られるというのは願ってもない事ですから」
そう告げるのは、先程から沈黙していたさとりであった。
彼女の発言に周囲は驚きつつも、誰からも反対意見が飛び出すことはなかった。
メリットデメリットを考えれば、メリットが大きいと判断したのだろう。
もしくは何も考えていないか……なんとなーく、紫はその線が濃厚だと思った。
「助かりますよ古明地さとり。それで地底の代表者は、あなたで宜しいのですか?」
「はい。構いません」
「ではまた日を改めて今回の件に関する明確な契約を結ぶ事にしましょう。――本日は、これにて失礼させていただきます」
映姫の姿が消える。
それを見てから、周囲の妖怪達は我先にとその場から離れていった。
……どうやら本当に深く考えていなかったようだ、彼等にとって今回の事は「ただ土地が増える」程度の認識でしかないのだろう。
「一件落着、って考えていいのかねえ」
「ええ。とりあえず今回の件は解決したと判断して良いと思いますよ、お疲れ様でした皆さん」
「あー……まあこっちとしては楽しい喧嘩が出来て美味い酒が飲めたから大満足だ!!」
「右に同じく!!」
「……はぁ」
勇儀と萃香の楽観的な言葉を聞いて、さとりは苦笑し紫はため息を吐き出した。
まあとにかく、異変と呼ぶべき今回の事件は幕を閉じたと思ってもいいだろう。
とりあえず一度幻想郷に戻って、今度は向こうの問題を解決しなければ。
地下に篭っていたから気づいていないものの、依然として地上には厳しい夏の暑さが続いている。
水不足等の心配もあるので、紫は地上に戻ろうとして……龍人がまだ戻ってきていない事に気がついた。
「龍人……?」
何か、嫌な予感が、した。
彼の身に何かあったような、そんな漠然としない不安が紫の心を蝕んでいく。
鼓動が煩い、呼吸も自然と乱れていた。
「――おーい、紫ー!!」
「…………」
けれど、そんな紫の不安を消し去るように。
いつも通りの様子を見せる龍人が、彼女の名を呼びながら飛んで戻ってきた。
近くには一輪の姿もあったが、今の紫にはどうでもいい事だった。
(……馬鹿ね、何を不安がる必要があるのかしら)
正体不明の不安を抱いた自分に嘲笑を送りながら、紫は彼に向かって手を振った。
さっきのは気のせいだ、そうに決まっている。
何故か、紫は自分自身にそう言い聞かせ続けていた……。
To.Be.Continued...
次回辺りで間章も終わり、でしょうかね?
楽しんでいただけたのなら幸いに思います。