死者が住まう世界、所謂“あの世”と呼ばれる場所。
そこで死者に裁きを下す閻魔――四季映姫・ヤマザナドゥは、疲れ切ったようなため息を繰り返し吐き出していた。
「四季様、大丈夫ですか?」
そんな彼女に気遣いの言葉を放つのは、部下であり三途の川にて働く死神――小野塚小町。
小町に「大丈夫ですよ」と返答を返しながらも、映姫は再びため息を吐きそれを見て小町は苦笑する。
「全然大丈夫に見えないから訊いてるんですよ。何か裁判でややこしい事態にでもなったんですか?」
「いえ、今日の仕事も恙無く終わりましたが……そういえば小町はまだ知りませんでしたね。実は少し前に地獄の方が縮小化されたんです」
「地獄の縮小化?」
「ええ。地獄に堕とされる者達が増え続けるというのに人手は不足するばかり、なので地獄の一部を切り離しスリム化を果たす……そんな取り決めが行われまして」
「それはまた……」
世知辛い話を聞き、小町はなんともいえない表情を浮かべ、対する映姫は小町の心中を察し再びため息を吐く。
あまり良い手ではないという事ぐらい映姫とてわかっている、実際これによってある問題が発生したのだから。
そしてその問題こそ、映姫を悩ませる原因となっていた。
「納得しないでしょうねえ、地獄で働く奴等は。――暴動とか起きなかったんですか?」
「どうして期待するような顔で訊くんですか貴女は。まあ予想通り起きましたよ、尤も予期していたのですぐさま鎮圧させましたが」
「そいつは重畳。あれ? だったらなんでそんなに元気がないというか、悩んでいるんですか?」
「……確かにデモ自体はすぐさま鎮圧させ、しかるべき処罰と対応をしたのですが……」
そこまで言い掛けた瞬間、部屋の扉がノックされる音が響く。
ノックしてきたのは別の部署で働く死神のようで、映姫は入るように促す。
失礼します、そう言いながら入ってきたのは若い男の死神と……無邪気さを感じさせる笑みを浮かべた、桃色の髪を持つ女性。
「……西行寺幽々子、何故ここに?」
女性――西行寺幽々子の姿を見て怪訝な表情を見せつつ、映姫は彼女へと問う。
一方の幽々子は映姫の鋭い視線を真っ向から受けながらも笑みを崩さずに、彼女の質問に答えを返した。
「友人の頼まれ事を、果たしにきたんですよ~」
「?」
■
「――そこまでに、していただけませんか?」
「…………」
踏み込もうとしていた紫の動きが止まり、全員の視線がある一点に向けられる。
その視線の先にいるのは、紫の髪を持つ小柄な少女であった。
ゆったりとした服装で身を包んだその少女は、傍から見ると薄幸そうな雰囲気を持つ少女にしか見えない。
だが内側から感じられる妖力と、何よりも胸元に浮いているコードのようなものに繋がれた“目”が少女を人外であると示していた。
(……あの目は“第三の目”、だとすると彼女は……)
「ええ。あなたの思っている通りですよ八雲紫さん。わたしは覚妖怪の
そう言って少女――さとりは挨拶をするように紫に対し一礼する。
自分の心を読まれた、その事実に若干の不快感を抱きつつも紫は決してそれを表に出そうとはしない。
尤も、心を読む事ができる覚妖怪である彼女には無意味な行為かもしれないが。
「さとりん、悪いけど邪魔しないでよ」
「……水蜜さん。その呼び方はやめてくださいと前から言っているではありませんか、それと彼女達はこの地底から地上に抜け出してしまった怨霊達を何とかする為にやってきたのです。つまり、私達の生活を脅かそうとしているわけではないのですよ?」
「話が早くて助かるわ、さすが覚ね」
「水蜜さん、一輪さん、雲山さん。この地底世界では力が物を言いますが、ここは穏便に話を進めさせてはくれませんか?」
「………………」
柔らかな物腰でそう進言するさとりに、村紗は肩を竦めつつ構えを解く。
しかし、一輪は納得していないのが厳しい表情を見せたまま構えを崩そうとはしない。
「この方々の心を読めるわたしが、信用できませんか?」
「……いくら心を読めるとしても、人間と共に居る妖怪がやってきて信用することなんかできないわ」
「誰も信用しろなどとは言っていません。ただこのままではまともに話もできませんので……」
「――勝手になさい」
吐き捨てるように言い、踵を返す一輪。
そのまま雲山と共に、一度も振り返ることはせずにこの場から立ち去っていった。
「嫌われたものね」
「すみません。彼女は決して悪気があるわけではないのですが……」
「いいのよ、いきなり地上からやってきた私達を信用できないのは当然だもの。――それより、時間が惜しいから早速本題に入りたいのだけど?」
「そうですね。――場所を移動しましょう、ここでは落ち着いて話ができそうにありませんから」
少しだけ皮肉めいた口調で言いながら、さとりは冷めた視線で地底の妖怪達を見やる。
彼女の視線に気づいた者達が見せる表情は、どれも恐れや嫌悪を示すものだった。
……その理由を簡単に理解できた事に、紫は知らず知らずの内に舌打ちを放っていた。
――恐れているのだ、地底の妖怪達は。
覚妖怪は心を読む、それが恐ろしくて堪らない。
その気持ちはわかる、心の中を読まれたくないと思うのは人間も妖怪も変わらない。
だが覚妖怪とて読みたくて読んでいるわけではないのだ、覚妖怪にとって「心を読む」という行為は呼吸をするのと同じ。
それを否定するのは覚妖怪の存在そのものを否定するのと同意である、だというのにあのようなあからさまな態度を見せる輩達に苛立ちを覚えるのは当然であった。
「――紫、いくぞ?」
そんな紫に声を掛け、ぽんっと肩を叩く龍人。
「お前が怒ったって何にもならないさ。それにあの子――さとりは気にしてないようだぞ?」
「その通りです。覚妖怪は嫌われ者の妖怪、他者に嫌われる事は慣れていますし気にしても仕方ないでしょう?」
悲しい事を言いながらも、さとりの表情は柔らかく何処か嬉しそうに見えた。
「当たり前ですよ。――わたしの為に怒ろうとしてくれて、ありがとうございます」
「むっ……」
ぷいっとさとりから視線を逸らす紫。
その頬は僅かに赤らんでおり、当然それに気づいたさとりと龍人は揃って紫に対し微笑みを向ける。
そんな2人に紫は金の瞳をジト目にして向けるが、まったく効果がなく2人はますます笑みを深めていった。
「なに微笑ましいやりとりしてるんだい、可愛いねえ」
「うるさいわよ勇儀、それより早く立ちなさい。萃香も」
「いやー、そうしたいのは山々なんだけどさ……足が痺れちまったから、話は2人が聞いてきておくれよ」
「そうそう。私達はここで休んでるからさ、よろしくー」
「なっ……」
頑強な鬼がちょっと正座したぐらいで痺れるわけないだろうに。
要するにこの2人は話を聞くのが面倒になったのだろう、それと正座させた自分に対する嫌がらせも兼ねているとすぐにわかった。
もう一発拳骨を叩き込んでやろうか、そう思い紫は右手の拳を握り締める。
「紫、俺達がちゃんと話を聞いて後で2人に話せばいいだろ?」
「……山の異変を解決する為に来た筈なのに」
「それだけ俺達を信用してくれてるって事さ、それに……分かれて行動した方が良い時だってある」
「えっ?」
ほら行こうぜ、そう言って既に歩き始めているさとりを追いかける龍人。
彼の放った言葉は一体どういう意味だったのか、不思議に思いつつも紫も足を動かし彼等の後を追った。
「よっし、地底の酒を飲ませておくれよ!!」
「とびっきり上質なヤツ、お願いね!!」
後ろから聞こえる、勇儀と萃香の楽しげな声。
それを聞いて、やっぱり後でしばいてやろうと紫は心に決めたのであった……。
「八雲紫さん、龍人さん、あなた方の事はこの地底世界でも伝わっていますよ」
「あら? 悪名が、かしら?」
「ある意味は、ですが。――妖怪でありながら、人と共に生き互いの種族の共存を望む愚か者。その身に宿す力は世界すら滅ぼす程の凶悪な妖怪。
龍人さんの方は伝説と化した“龍人族”の血を引いた半妖であり、八雲紫の僕という認識らしいです」
「………………」
自分に対する評価が「愚か者」「凶悪」という点は、この際目を瞑ろう。
だがしかし、龍人に対する評価は紫としては納得できなかった。
僕とはなんだ僕とは、紫にとって彼は僕などでは決してなく……。
「ふふっ……成る程、紫さんにとって龍人さんとはそういった存在なのですね」
「っ、心を読んだわね……?」
「すみません。ですが安心してください、他人に話すつもりはこれっぽっちもありませんので」
「だといいけど……」
「僕かあ……俺と紫は家族なんだが、周りから見たらそう見えるのか」
龍人もさすがに僕扱いは不服なのか、やや拗ねたような口調で言葉を放つ。
と、紫達は一件の長屋へと辿り着いた。
どうやらここがさとりの住居らしい、一見して地上にある長屋と外見は変わらない。
ただ……長屋の周囲には様々な動物達がおり、さとりを見て嬉しそうに駆け寄ってきた。
犬や猫だけでなく、虎や野鳥といった動物達に囲まれるさとり。
さとりも柔らかく微笑み、駆け寄ってきた動物達を慈しむように撫でている。
それを見るだけで、彼女と動物達の間に強く深い絆が結ばれているとわかった。
「どうぞ、お入りください。“妹”は外出しているようですので紹介は後ほど……」
「妹がいるのか?」
「はい、“こいし”といいまして当然わたしと同じ覚妖怪なのですが、少々無邪気が過ぎますので話の腰を折られる危険性があります。あの子が帰ってくる前に終わらせてしまいましょう」
さとりと共に、長屋の中へと入る紫と龍人。
中も必要最低限の物しかない、殺風景なものだった。
適当な場所に座り、さとりが茶を用意し向き合う形で座り込んでから――早速とばかりに、本題へと入る事に。
「あなた方の心を読み、この地底にやってきた理由は把握しています。まず周囲に漂っている怨霊なのですが……どうやら、“地獄”からここへ流れ着いたようでして」
「地獄から?」
「はい。心を読む能力の応用で最近増え続けている怨霊達と意思疎通を図った結果、彼等は“地獄”にて生前の罪を償っていた怨霊達だというのがわかりました」
しかしである、その後詳しい話を怨霊達に聞いたさとりであったが……それ以上の事はわからなかった。
怨霊達も何故自分達が地獄からこの地底世界に来てしまったのか、わからないからだ。
とりあえずさとりは怨霊達にこの地底から出るなという指示(脅迫とも言う)を出したのだが、当然怨霊のような邪の塊が素直に聞く筈もなく……。
「成る程、経緯は理解できたわ。でも地上に繋がっている大穴は一体誰が開けたの?」
「……わかりません、地上へと繋がる道は永い間封鎖されてきました。しかもあのような巨大な大穴ではありませんでしたし、一体誰が何の目的で開けたのか……」
「そもそも、あんなにも巨大な大穴を誰も気づかずに開ける事なんかできるものなのか? 山の連中だって気づかなかったって話だろ?」
「そうね……」
大穴を開ける事自体ならば、さほど難しくはない。
一定の妖力と大掛かりな術式を用いれば可能だ、だがそんな事をすれば当然他者に気づかれるのは明白。
誰も気づかれずにあれだけの大穴を作るとなると、それこそ特殊な能力を持つ存在でなければ……。
「………………」
“ある存在”が、脳裏に浮かび上がった。
あれからもう四百年以上経つが、あの者達は一体何をしているのだろう。
十中八九碌な事は考えてはいないだろう、けれど……再び巡り会った時、倒す事はできるのか?
そして今、あの者達は何を企んでいる?
「――紫さん?」
「っ、あ……ごめんなさいね、少し考え事をしていたみたい……」
慌てて取り繕うように言って、紫は誤魔化すが心を読めるさとりには通用していないだろう。
それでも彼女はそれ以上何も言わず、その事に感謝しつつ紫は一度思考を元に戻し話を続ける事に。
「とりあえず、あの怨霊は近い内に何とかできると思うわ」
「本当ですか? ……成る程、冥界に住む者と交友関係があり現在その者は地獄の閻魔に今回の事を報告しに行っていると」
「そういう事よ。後はあの大穴だけど……」
「……わたしとしては、再び閉じた方が良いと思っています。この地底に生きる者達は地上を憎む者が多いですから」
余計な確執は生みたくない、そう考えいるが故のさとりの言葉には紫も納得の意を示す。
ただ同時にこうも思った、「勿体無い」と。
「勿体ねえなあ。せっかくこうやって知り合えたのに、交流できなくなるっていうのはさ」
「……お2人とも、同じ事を考えていますね」
「ふふっ……」
驚くさとりを見て、紫はなんだか可笑しくなって笑みを零してしまう。
勿体無いと思っていたのは、自分だけではなかったようだ。
「なあさとり、この問題が解決してもあの大穴を閉じるのは無しにしないか?」
「何故です? ここに居る者達の殆どは地上から追われ人間や同じ妖怪からも恐れられた者達ばかり、余計な混乱や争いが起きる危険性も……」
「そうかもしれないけど、互いの交流を閉ざしたらその危険性はいつまで経っても消えないと思う。だったら地上との交流を深めて仲良くなった方が良いと思わないか?」
「………………」
龍人の言葉に唖然とするさとり。
彼の心を読んで嘘偽りのないものだと理解したからだろう、心を読めなくても今の彼女の困惑具合は簡単に読めた。
「俺だってすぐに仲良くなって……なんて甘く考えてるわけじゃないさ。でもこれから先の時代……何十年何百年という年月があれば、変わる事だってできる筈だ。
そして変わっていけば種族なんて関係なく信頼は生まれていく、その輪を少しずつ広げていけば……そう思うのは、馬鹿な考えだと笑うか?」
「…………正直に言えば、甘いとは思います」
正直で、現実的な返答を返すさとり。
そう――彼は甘い、けれどその甘さがあるからこそ今の自分があると紫は理解していた。
出会ってから微塵も変わらない彼の考え方、それは紫にとって何よりも大事で尊いものであり。
「でも」
「?」
「その考え方は、素敵なものだと思いますよ」
少しずつではあるが、その考えを共感してくれる者が増えていると強く信じている。
「とりあえず大穴の件は保留にしておきましょう。まずは怨霊の事を解決しないといけないけれど……現状では、何も出来ないわね」
「元々地獄に居たのなら、地獄に返せばいいんじゃないか? 紫の能力を使えばあの世との境界なんて越えられるだろ?」
「確かにそうだけど、生者である者がそんな事を行えば閻魔や十王達が黙っていないもの。ややこしい事態に発展するのは目に見えているわ」
増え始めていた怨霊達が地獄に居たとわかった以上、後はあの世で働く者達の仕事になる。
今頃幽々子が閻魔達に今回の事情を説明しているだろうし、後は時間が経てばこの問題は自動的に解決するだろう。
なので自分達の出番はこれで終わり、終わってみればあまりにも呆気ないが……収穫がなかったわけではない。
「ならさ、地底の連中と色々話してみたいな。せっかく出会ったんだから仲良くなりたいし」
「それは良いわね。それじゃあさとり、行きましょうか?」
「あ、はい……」
「ふふっ、覚妖怪である自分にこんなにも友好的に接するから困惑しているのかしら?」
「……紫さん、もしかしてあなたも覚妖怪なんですか?」
「見ればわかるのよ。これでも結構な時を生きてきたから、困惑するのもわかるしすぐに慣れないでしょうけど仲良くしたいのは確かなんだから、それだけはわかって頂戴ね?」
「はい。それは勿論!!」
そう言って微笑みを見せるさとり。
仕方がない、慣れている、そうは言ってもやはり気にしないわけではないのだ。
けれど紫と龍人の心を見て、覚妖怪である自分と交流を深めたいという気持ちを読めた今の彼女は、嬉しそうだった。
「そういえばさとり、妹が居るって行ってたけど……」
「こいしはすぐにあちこちを歩き回る子ですから、その内ひょっこり帰ってきますよ」
「その子とも仲良くなれたらいいなー」
「大丈夫です。龍人さんのような優しい人ならすぐにあの子も心を開いてくれますよ」
「…………龍人、だからってあまり親しくなりすぎないようにしなさい」
「えっ? なんでだよ?」
「……とにかくよ。友人の範囲なら大丈夫だけど」
「ふふふ……」
突然そんな事を言ってくる紫に龍人は困惑するが、一方のさとりは彼女の心を読んで微笑ましそうに笑ってしまう。
噂で聞いた恐ろしさなど微塵も感じられない、可愛らしい彼女の姿に微笑ましくなるなという方が無理な話だ。
クスクスと笑うさとりを睨みつつも、紫は何も言わずさっさと歩き始めてしまう。
(やっぱり、心を読まれるのは慣れたくないわね)
そう思わずにはいられない、紫なのであった……。
To.Be.Continued...
楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。