そのまま屋敷へと帰ろうとした紫であったが、文から友人である勇儀達自分を連れてこいと命じられている事を知らされ、再び妖怪の山へと向かったのであった……。
妖怪の山の外れに位置する場所に、紫は案内された。
そこは鬼達が住む里からは離れた場所であり、一件の小さな小屋があるだけだ。
てっきり鬼達の里へと案内されると思っていた紫は訝しげな視線を案内役の文と椛に向ける。
「ここに案内するように指示されたのは確かなので。それでは紫さん、我々はここでお暇させてもらいます」
「……小屋に入ると同時に中で待機していた妖怪達に襲われる、なんて事はないでしょうね?」
「何を言っているんですか。そんな事しませんってば」
「わかっているわ。少しからかっただけだから」
「勘弁してくださいよ……」
大きくため息を吐く文に、紫は苦笑する。
そんな紫にジト目を送ってから、文は椛を連れて今度こそこの場から飛び去っていった。
小屋へと視線を戻す。
中には複数の気配が感じられる、そのどれもが妖怪であり実に宿す力は大きい。
とはいえ、紫にはその気配が誰なのかはわかりきっているので、遠慮も躊躇いもなく小屋の入口の扉を開き。
「――よお、遅かったじゃないか」
「おー、先に始めてるよー」
「久しぶりですね、紫」
中から酒臭い空気を醸し出しながら、3人の女性が紫を出迎えてくれた。
長身で額に角を生やす女性、星熊勇儀。
捩れた二本の角を持つ小柄な少女、息吹萃香。
桃色の髪とその髪に隠れてしまいそうなほど小さな二本の角を持つ女性、茨木華扇。
この3人は紫の友人であり、そして現在この妖怪の山を統治している鬼の実力者達。
並の妖怪ならば出会うだけで死を覚悟するほどの力を持った3人を前にしても、紫の口元には懐かしむような楽しげな笑みが浮かんでいた。
「用件は何かしら?」
「つれないねえ。たしか70年前に会ったっきりだろ? 良い酒を用意したんだ……って、龍人はどうしたんだい?」
「彼ならふらりと旅に出てるわ。もうすぐ帰ってくるでしょうけど」
「なんだ、龍人は居ないのか……」
割の本気の口調で残念がる勇儀、それがなんとなく面白くなくて紫は顔をしかめた。
「それより、わざわざ山の統治者達が私のような一妖怪を呼び寄せるのだから、よっぽど重要な用件があったのではなくて?」
「そんな慌てなくてもいいじゃん、勇儀はもちろん私も華扇も紫に会って一緒に酒でも飲み交わそうと思ってたんだからさ」
「……用意してくれた事に関して感謝していないわけではないわ、でもあまり長居しては色々と煩い連中が居るのではなくて?」
八雲紫は、星熊勇儀達の盟友の1人である。
妖怪の山に生きる者達は、そういった認識を抱き外部の存在である彼女を“基本的には”受け入れている。
だがあくまで基本的にはというだけであり、山の妖怪ではない彼女を認めない輩とて存在していた。
勇儀達がわざわざ自分達が住まう里ではなくこのような外れの小屋に紫を呼んだのも、余計な煩わしさを払拭するという目的があっての事だ。
紫の指摘が図星だったのか、勇儀は頭を乱雑に掻きつつ――本題に入る事にした。
「ちょっと、お前さんに訊きたい事があるんだよ」
「なにかしら? 生憎だけど私は特殊な趣味はないのだけれど」
「そういう冗談は面白くないし笑えない。――最近、山の中で“怨霊”を目撃する事が多くなったという報告が入っているんだ」
「怨霊?」
怨霊、それは生前罪を犯したまま霊となった者達の俗称。
それらは現世から死神によって回収され、閻魔の裁きを受け地獄へと流されそこで生前の罪を償っていく。
しかし中には自分勝手な怨み辛みだけを増幅させ、他者の精神に潜り込み“憑き殺す”という厄介な固体も存在していた。
その厄介な固体は人間だけでなく妖怪にとっても脅威であり、特に人間よりも精神に依存している妖怪にとって怨霊とは自分自身の存在そのものを揺るがしかねない危険性を持っているといっても過言ではない。
故に死神達も怨霊による二次被害を抑える為に現世に赴いては怨霊となる魂の回収に勤しんでいるが……完璧に回収できるわけではない。
とはいえ紫のような力のある妖怪にとって、怨霊はそこまで脅威となる存在ではなく寧ろ取り込めば力が増すので、所謂パワーアップアイテムのような認識でしかない。
それでも怨霊は厄介な存在であり、そもそも勇儀達にとっては下の者が怨霊の被害に遭うというのは避けたいだろう。
――だが、ここである疑問が紫の中で生まれた。
「怨霊を目撃する事が多くなったと言ったけれど、最近山の住人達が集団で命を落とすような出来事があったの?」
「いんや、そんな事はないさ。下の連中は食物連鎖が激しい場合もあるけど、だからってそんな事はないし報告も入ってない」
「…………解せないわね」
そう、解せないと紫は思った。
極端な話、怨霊というのは生物が死ねば増える。
特に他者に命を奪われたり等の理不尽な死を体験すれば、その数は簡単に増え続けるだろう。
だが勇儀達はそういった出来事――即ち、妖怪同士の抗争のような事は起こっていないと言う。
紫も定期的に里の外へと式神を送っているが、少なくとも周囲の村や小国で大量の死が発生したという話は聞いていない。
だというのに、怨霊の目撃件数が増えているという事実は、腑に落ちなかった。
そもそも妖怪の山に比較的近い幻想郷の里でそのような話は出ていないというのに、何故この山だけにそのような事が起こっているのか。
「怨霊を叩き潰すのは簡単さ、けど原因を突き止めなきゃいたちごっこになっちゃうからね」
「私が飼う動物達も少し怯えているようですし、なんとかしてあげたいのですが……」
「情けない話だがあたし達に怨霊に対する専門的な知識を持つモンはいない、だからお前さんの知恵を借りたいと思ってね」
「成る程……」
正直な話、あまりにも情報が少なすぎて原因の糸口すら掴めなかった。
ただ判る事もある、勇儀達の話と自身の式神による情報を照らし合わせれば、少なくとも今回の現象はこの山限定のものだ。
つまり、この妖怪の山の中で何かが起こっているという考えに到達する。
「一応、天狗達に山を見回って何か前とは違う変化がないのか調べてもらっているよ」
「そう……ならそのまま調査を続けて貰える? 多分だけど、山の中で何かが変わっているでしょうから」
言いながら、紫は立ち上がる。
「私は別の方法で調べてみるわ。正直なところ霊に関する知識を有しているわけではないから、“同じ存在”に訊いてみる事にしましょう」
「助かるよ。――ところで今更だけど、こんな面倒事に協力してもらっていいのかい?」
「本当に今更ね。怨霊の存在は私にとっても無視できないし、このままにしておいたら里にまで迷惑を被るかもしれないじゃない」
それが本音の“一つ”、そしてもう一つはもちろん。
「それにね、あなた達が私を盟友だと思ってくれているのと同じで、私もあなた達の事を大切な友人だと思っているのよ?」
理由など、それだけで充分なのだ。
友人だから力になる、そこに種族の違いや立場の違いなど関係ない。
だから紫は協力する、利害など考えずにだ。
■
「――おかえりー」
「…………それは、私が貴方に言う言葉だと思うのだけれど」
勇儀達と別れ、紫は八雲屋敷へと戻ってきた。
そのまますぐにある場所へと向かおうとしたのだが……。
居間に着くなり、今まで里を離れていた龍人が帰ってきていただけでなく暢気に上記の言葉を放ったものだから、紫はつい疲れたようなため息を零してしまった。
「里の子供達に聞いたぞ。妖怪の山に課外授業に行ったんだって?」
「……龍人、とりあえず私に言うべき事があるのではなくて?」
「ん? ああそうか……ただいま、紫」
「ええ、おかえりなさい龍人」
互いに笑みを浮かべ合う2人。
半年も満たない程度であったが、それでも紫には久しぶりの再会に感じられた。
このまま彼と2人だけの時間を過ごすというのも魅力的ではあるものの、紫はすぐさまスキマを開く。
「帰ってきたばかりなのに、もう出掛けるのか?」
「勇儀達に少し頼まれ事をされたから、“冥界”に行ってくるわ」
「勇儀に? 一体何を頼まれたんだ?」
「もし旅の疲れがあまりないのなら一緒に来る?」
行く、二つ返事で返答しながら龍人は立ち上がった。
彼に勇儀達との会話の内容を説明してから、スキマを通して死者の世界である“冥界”へと赴く紫。
着いた先は“冥界”にて霊の管理を行う管理者が住まう“
「幽々子、妖忌ー?」
中庭へと降り立った紫は、友人達の名を呼びながら遠慮なしに居間へと入ろうとする。
が、彼女の前に白銀の輝きを放つ刀身が突きつけられ、紫は目を細め真横へと視線を移した。
「酷いじゃない妖忌、友人に刀を突きつけるなんて」
「なら中庭から入ろうとするんじゃない。礼儀のなってない者に遠慮などせんわい」
言いながら、紫に向けていた桜観剣を鞘に戻す妖忌。
「よお、妖忌」
「久しぶりじゃな龍人、今回の旅はどうじゃった?」
「楽しかったけど結構大変だった。――お前、また皺が増えたか?」
「うっ……気にしてるんだから、あまり言うな」
顔に刻まれた無数の皺を擦りながら、妖忌の表情が強張っていく。
半人半霊である彼は、人間よりも遥かに寿命が長いものの半分は人間のせいかすっかり見た目は老人のようになってしまっていた。
とはいえ、その身に宿す覇気は歳を重ねる毎に強靭で鋭いものに変わっているが。
「ねえ妖忌、あの子は――」
「だーれだ?」
紫の視界が突然塞がった。
一体何故、などという疑問は抱かない。
視界が塞がる直前に聞こえた楽しげな声と、その声の主が誰であるか判れば疑問など抱かないからだ。
冷静に、これっぽっちも驚いてませんよと相手に伝えるかのように、紫は静かに自分の目を覆っている手を掴みそっと目から放す。
「――幽々子、此処でその手の悪戯はすぐに特定されるから意味がないわよ?」
「むぅ……少しぐらいは驚いてくれたっていいのに……」
頬を膨らませ紫に抗議の視線を向けるのは、桃色の髪を持つ着物のような死に装束のような不思議な衣服に身を包んだ亡霊の少女。
この“白玉楼”の管理者にして、紫と龍人の古き友人である西行寺幽々子であった。
「あら龍人君、久しぶりねえ」
「相変わらず元気そうだな、幽々子」
「ええ、いつも私はすっごく元気よ!」
「亡霊なんだから元気も何もないでしょうに……」
もっともなツッコミをしつつも、このままでは話が進まないばかりか彼女のペースに呑み込まれてしまう。
そう危惧した紫は、表情を引き締め幽々子へと無言で視線を向けた。
それだけで幽々子は紫達が今回遊びに来たわけではないと理解し、妖忌に茶を出すように指示してから2人を客間へと案内させる。
――数分後、改めて場を作った紫は早速幽々子に山での会話内容を彼女に話した。
「あらあら、現世ではそんな愉快な事が」
「全然愉快じゃないから、それで幽々子はどう思う?」
「うーん……そうねえ、私はあくまで“冥界”で暮らす幽霊達の管理をしているだけだから怨霊は管轄外だけど、妖怪の山にだけ怨霊が増えるという現象が発生するという事は、山の中で何かしらの変化があったのは間違いないわね」
「その辺は山の妖怪達が調査をしているけど、何故そんな事が起こっているのか幽々子は何か思い当たらないかしら?」
「思い当たらないわね」
すっぱりと、あんまりな返答を返す幽々子に紫はおもわずジト目を向けてしまう。
そんな彼女の視線を受けて焦ったのか、僅かに表情を引き攣らせ取り繕うように幽々子は言葉を続けた。
「あ、後は“地獄”の方で何かあったのかもしれないわね」
「地獄?」
「ええ、怨霊は地獄で管理されるものだから。
そうね、閻魔様なら何かわかるかもしれないから呼んでみましょうか?」
「閻魔を……」
閻魔、という単語を聞いた瞬間、紫はあからさまに苦い表情を浮かべ始めた。
すぐさま彼女の脳裏に浮かぶのは、くどくどと辛辣な口調と言葉を並べながら説教する1人の女性の姿。
地獄の閻魔――
「幽々子、閻魔にはあなたが色々と訊ねてきてくれないかしら?」
「え、でもせっかくだし本人に話を聞いた方が……」
「いいから、お願いします」
「あ…………はい」
有無を言わさぬ口調で言われては、幽々子としても頷く事しかできなかった。
……紫としては、あの説教大好き閻魔には極力会いたくないのだ。
どうせあの閻魔の事だ、自分を見ては説教を開始するに決まっている。
「それじゃあ真面目な話はここまでにしましょうか。せっかく遊びに来てくれたのにずっと真面目な話ばかりじゃ疲れちゃうもの」
「それはいいけど、じゃあどんな話をするつもりなんだ?」
「えっと……そうだわ! 龍人君、また旅に出てたのよね? 今回はどんな所を見て回ってきたの?」
その話を聞きたいわ、幽々子のそんなお願いを聞いて龍人は快く承諾し、今回の旅の内容を話し始めた。
目的などなく、けれど行く先々で妖怪や人間の問題に巻き込まれ、もしくは自ら首を突っ込んでいく龍人の旅路。
それを面白おかしく彼は話し、話を聴いている幽々子はまるで子供のように驚いたり楽しんだり……ころころと表情を変えている。
――そんな彼女の姿を見て、自然と紫は口元に笑みを浮かべてしまう。
何気ない一時、平凡な時間を過ごす彼女。
生前叶わなかったささやかな日常を、亡霊となった彼女は体験する事ができている。
それが紫にとって、否、生前の幽々子を知る者達にとって喜ばしい事だ。
四季映姫が言っていたように亡霊となった彼女に生前の記憶はなく、紫達は幽々子に対し初対面だと偽った。
ただ生前の記憶を失っていても、彼女は変わらず“西行寺幽々子”であり、すぐに生前の時と同じように友人関係を結ぶ事ができていた。
彼女が亡霊となって四百年以上が過ぎる中、のんびりと気ままに亡霊生活を送れている彼女は幸せそうだ。
願わくばこの小さな幸せがこの先に続きますように……もう何度目かわからない願いを、紫は心の中で祈る。
「いいわね龍人君、風来坊さんって感じで」
「そうかあ? まあでも色々な場所で色々な人達が見えるのは楽しいけどな」
「でも龍人君、あんまり紫の傍を離れては駄目よ? 寂しがっちゃうから」
そう言って、ニマニマと人をからかうような笑みを紫へと向ける幽々子。
しかし紫は軽く受け流す、その手のからかいはもう何度目になるかわからないくらいされてきたのだから嫌でも慣れるというものだ。
「寂しがる? 紫の傍にはいつも藍がいるから大丈夫だろ?」
「…………」
「あらー……」
からかいには慣れている、それは事実だ。
しかし、だがしかし……今の龍人の発言は、正直許容できなかった。
無言で立ち上がる紫、その顔は笑顔であったが……目はちっとも笑っていなかった。
「な、なんで怒ってるんだ?」
「怒ってなんかいないわよ? ええ、ちっとも怒ってなんかいないわ」
怒ってるじゃねえか、というツッコミは今この場に居る誰もが口にする事はできなかった。
そこで漸く龍人は自身に迫る身の危険を感じ取ったらしく、顔を引き攣らせ始める。
因みに幽々子は妖忌と共に退避済み、彼女を止めるという選択は選ばなかった模様。
「でも龍人、幽々子の言う通り貴方は少し風来坊な面が増えてきてるわね」
「うっ、悪い……」
「反省しているのなら、暫くは私の傍に居なさい」
「わかった。紫の傍から離れないようにするよ」
「はい、よろしい」
その言葉を聞いて紫は満足そうに微笑み、龍人は機嫌が直った彼女を見てほっと胸を撫で下ろす。
「…………ねえ、妖忌」
「言わないでください、幽々子様」
「あの2人、もう夫婦当然よね?」
「言わないでくださいって言ったではありませんか。――辛い物が食べたくなりました」
「奇遇ね妖忌、私もよ」
げんなりとする幽々子と妖忌は、同時にこう思った。
お前等もう家に帰って続きしろよ、と。
To.Be.Comtimued...
問題フラグが建ちましたが、次回はきっと日常話。
楽しんでいただけたでしょうか? もしそうなら幸いです。