子供達に滅多にできない経験をさせてあげたいと思った紫は、課外授業の舞台を妖怪の山へと決め案内役の文を引き連れ子供達と共に山を登り始めたのだった……。
「みなさーん、疲れてないですかー?」
『大丈夫でーす!!』
「おやおや、急ではないとはいえ傾斜のある山道を歩いているというのに、鍛えられているんですねえ」
「普段は親と共に農作業等の手伝いをしていますからね、近くの山林に足を運ぶ事もありますし」
「ほうほう……それはたいしたものです」
割と本気の口調で驚いたような呟きを零しつつ、文は子供達の先頭をのんびりと歩いていく。
課外授業と銘打っているものの、その内容は妖怪の山を見学するというものであった。
だが手付かずの自然をその目に入れ、また文から妖怪の山に関する知識を教わる。
それだけでも子供達にとっては貴重な体験へと繋がり、これからを生きる糧へとなるのだ。
意外にも文自身、自分からあれこれと山の事を子供達に教えてくれている。
子供達も普段会う事ができない鴉天狗を前にして、目を光らせ彼女を話を真剣に聞いていた。
今のところは順調のようだ、後ろで子供達と文のやりとりを眺めている紫と慧音はそう思いながら笑みを浮かべる。
――勿論、全てが全て上手く行っている訳ではないが。
先程から、自分達を見ている者達が居る。
警戒、驚愕、そしてほんの少しの怯えと……隠し切れない捕喰欲求。
おそらくこの山で生きる妖怪達だろう、捕喰欲求を向けてくるという事は天狗や鬼ではなく野良妖怪の類だと推測できた。
幸か不幸か慧音は気づいていない、なので紫は彼女に気づかれないようにこちらを見ている野良妖怪達を威嚇する。
(あの程度なら襲い掛かってくる事はないわね)
視線を子供達へと向けると、相変わらず文と楽しげに話していた。
……野良妖怪達の視線も、今の紫が放った威嚇も気づいている筈なのに、文は何も気づいていないかのように子供達と談笑している。
それが何を意味するのか、無論わからない紫ではない。
「ねーねー天狗のお姉さん!」
「はい、なんですか?」
「この山には鬼が居るんだよね? 会えたりするのー?」
「えっ?」
子供の1人のそんな質問を聞いて、文は驚いたように目を大きく開いた。
「いやー……まあ確かにこの山は鬼が統治していますけど、会わない方がいいと思いますよ?」
「えー、なんでー?」
この言葉を聞いて、他の子供達も会話に参加してきた。
どうやら子供達は鬼に会ってみたいらしい、恐いもの知らずな子供達に苦笑しつつ文は言葉を返す。
「鬼は人間を攫うこわーい妖怪です、皆さん大人達に習わなかったのですか?」
「習ったけど……慧音先生や八雲様がいるから大丈夫かなーって」
「おおう、信頼されてますね紫さん……。って、教わっているのなら鬼に会いたいなどと思うのはやめた方がいいですよ? 鬼という種族は本当に恐いんですからねえ、頭からバリバリーって食べられちゃいますよー?」
両手を上に挙げ、襲い掛かるような仕草をする文。
それを見た子供達は楽しげに逃走を始め、そのまま追いかけっこへと移行してしまった。
「……なんというか、彼女は意外と面倒見がいいのですね」
「上司の命令には逆らえないのよ、組織の中に居る者の定めね」
彼女は子供好きでも人間好きでもない。
ただ上司である勇儀達に命じられたから、子供達の世話をしているだけだ。
まあ、傍から見ると彼女も充分に楽しんでいるように見えるが。
「はぁ、はぁ……」
「天狗のお姉ちゃん、大丈夫?」
(息切れしてる……)
息を荒げている文とは違い、子供達はまだまだ元気な様子を見せている。
仮にも妖怪、それも上位種に位置する天狗であるというのに、今の彼女は少々情けなかった。
「運動不足じゃない?」
「し、しょうがないじゃないですか……普段はずっと飛んでいますし、そもそも鴉天狗に歩かせたり走らせたりする方がおかしいんですって!」
「それにしたって……」
「ほ、他の鴉天狗達も同じようなものです!」
(そういう問題?)
思いがけぬ天狗の弱点が露見した事はさておき、紫達は文が呼吸を整えるのを待って再び山の中を歩き始めた。
先程の文の様子を子供達がからかい、文が恥ずかしげな表情を見せつつ反論していると……一向は、巨大な滝の下へと辿り着いた。
上を見上げても天辺は見えず、絶えず降り注ぐ滝の轟音は衝撃となって空気を震わせていた。
その衝撃と巨大な水煙はただただ圧巻であり、それ以上の感動を呼び寄せる光景であった。
現に子供達は前方に広がる滝の存在感に圧倒され、慧音もまた驚きの表情を浮かべ立ち尽くしている。
「ここは山の至る所にある滝の中でも一番大きな滝でして、滝の裏側には“
「白狼天狗ってなにー?」
「見た目は人狼族のような耳と尻尾が生えていますが立派な天狗の一員でして、まあ立場で言えば一番の下っ端ですけどね」
「こ、この滝の中にそんな場所があるのか……」
水の勢いや厚みを考えると、この滝の中に入るのは自殺行為だ。
もはや水の壁といっても過言ではないこの滝は、入ればその勢いで簡単に潰されてしまうだろう。
その中を通り抜ける事ができる、さすが立場では一番下とはいえ天狗だと慧音は改めてこの種族の強大さに驚いていた。
「会ってみたーい!!」
「おれもおれもー!!」
「うーん、好奇心旺盛なのは結構なんですが……白狼天狗は頭の固いのが多いですからねえ、会えば色々と面倒な事になるんですが…………遅すぎましたね」
「えっ?」
文の言葉にキョトンとする慧音と子供達。
一方、紫は背後の林の中から静かに姿を現した存在――白狼天狗の少女へと振り向き軽く睨みつけた。
その態度は相手に自分が敵意を抱いていると告げるような失礼なものであったが、相手の少女もこちらを睨みつけていたので御相子である。
右手に太刀を持ち、左手には円形の盾を持つ白狼天狗の少女。
まだあどけなさの残る顔立ちからして、若い天狗なのだろう。
こちらに向ける敵意も覇気も、紫にとっては可愛らしいものであり子供の戯れに等しいものであった。
だが、かといってそのようなものを向けられて黙っているわけにもいかない。
「こんにちは椛、一体どうしたのかしら?」
いつもと変わらぬ口調のまま、文は目の前の白狼天狗へと話しかける。
椛と呼ばれた白狼天狗は、厳しい視線を文に向け小さく口を開いた。
「それはこちらの台詞です文様、何故人間達をこの山へと入れたのですか?」
「? ちょっと待ちなさい椛、それはどういう事?」
「文様の行為は重大な裏切り行為です、すぐにそこに居る人間と妖怪を始末し大天狗様の元へと――」
「はい、そこまで」
語気を荒げ物騒な事を言い出しそうになる白狼天狗の少女――
ただそれだけ、それだけの行為で椛は動けなくなる。
当然だ、その指には高圧縮させた妖力が込められている、紫が少しでも指を動かせば椛の首は呆気なく貫かれるとわかって何故動けるというのか。
「誤解があるようだから言っておくけど、私達の事は鬼の者達にはきちんと伝え許可を貰っているわ」
「ざ、戯言を……」
「いいえ、そして私は勇儀さん達から山の案内役をするように命令されているの」
「なっ!? そ、それは本当ですか!?」
「そんな嘘を言って何になると思っているのよ。とにかくあなたの早とちりで子供達が怯えているじゃない、きちんと謝りなさい」
「……何故、人間なんかに謝罪をしなければ」
「椛?」
「うっ……」
にっこりと、文は微笑みを浮かべる。
だがその笑みは背筋が凍りつくほどに冷たく見え、その笑みを向けられた椛は一瞬で表情を強張らせ身体を震わせ始めた。
その情けない姿を見た紫は内心彼女に嘲笑を送りつつ、椛の首から指を放し強引に子供達の前へと立たせる。
「ほら」
「…………驚かせてしまい、申し訳ありません」
不承不承といった様子ながらも、椛はしっかりと慧音と子供達に向かって頭を下げる。
「ううん、気にしなくていいよ天狗のお姉ちゃん!!」
「ちょっとびっくりしたけど、近所に住む三つ目妖怪のおじちゃんが怒った時の方が恐かったし」
「う、む……」
てっきり敵意が返ってくると思ったのか、子供達の反応に椛は困惑していた。
「ごめんなさいね皆さん、この子は犬走椛といいまして白狼天狗なんですが……若くて新人のくせに頑固で融通が利かなくてその上頭が固いもんだから誤解しちゃってるみたいなんですよ」
「………………」
「でも根が悪いわけじゃないんで、仲良くしてあげてくれませんか?」
「なんで私のお母さんみたいな事を言っているんですか文様!!」
「よろしく、椛お姉ちゃん!!」
『よろしくー!!』
「え、あ、う……よ、よろしく……?」
困惑しながらもそう返す椛に、子供達は一斉に駆け寄り彼女はあっという間に囲まれてしまった。
その恐いもの知らずで好奇心旺盛な子供達の態度に、椛は当然ながら驚き完全にペースを崩されている。
彼女としては今すぐに蹴散らしたいと思いながらも、そんな事をすれば文達が黙っていないと理解しているので何もできない。
結果彼女は、子供達に質問攻めをされたり自慢の白い尻尾を無造作に掴まれそうになったりと、見ていて可哀想な目に遭う羽目に。
「おお……あの堅物椛が圧倒されてる、これは珍しい光景ですねえ」
「失礼だが射命丸さん、彼女は?」
「あの子は最近訓練を終えたばかりの若い白狼天狗でして、彼女を鍛えていた教官曰く白狼天狗の中では頭一つ抜けた才能を持ち成績も良かったそうですが、如何せん頭が固くあのように融通が利かない面があるのが欠点らしくて」
「……どうも彼女は今回の件を知らなかったようだが」
「あー、えっと……それはですね」
「――仕方ないわよ。だって
「えっ……?」
「うっ……」
紫の言葉に驚く慧音とは違い、文はまるで図星を差されたかのように小さく唸る。
そう――椛は知らされていなかったのだ、今回の事を。
「それは、何故……?」
「言った筈よ慧音、妖怪の山に生きる者達は巨大な組織の中で存在している。でも決して一枚岩ではないと」
「……つまり、今回の事を認めない者達が居ると?」
「まあそれはしょうがないというか当然というか……私達って、余所者に厳しいじゃないですか?
今回の件に勇儀さん達が盟友と認めてる紫さんが関わっているから特例で認めてますけど、だからって全ての者達がそれを認める事に繋がる訳じゃないって事です」
人と妖怪の間にある溝は、大きなものだ。
妖怪の多くは人間を下等生物だと見下している、特に力ある妖怪であるのならばその傾向はより強くなる。
だからこそ、人間達に自分達の山を歩かれるのは屈辱だと考える者も居るのだろう。
「天魔様はもちろん大天狗様がわざと情報を下の者に伝えなかったとは思えませんし、おそらくは彼女の部隊の隊長かその上の上司が情報を止めたのでしょうね」
「………………」
「……紫さん、そして慧音さん。身内の恥を見せるだけでなく子供達に恐い思いをさせてしまった事……深くお詫びします」
そう言って、文は2人に対し深々と頭を下げる。
「顔を上げてください射命丸さん、こちらに何も危害は加えられなかったしなにより子供達が許したのですから、もうこの話はやめにしましょう」
「……そう言っていただけると、助かりますよ」
「あ、文様~」
情けない声が、椛達の方から聞こえてきた。
なので3人はそちらへと視線を向け、子供達にもみくちゃにされすっかり人気者になっていた椛を見て一斉に噴き出した。
3人の態度を見て恨めしそうな視線を向ける椛であったが、子供達に囲まれているその姿ではまったく恐くない。
その面白い光景を暫く見守っていたかった文であったが、慧音の一言によって子供達が離れてしまったのでそれも叶わず。
ただ今の椛の情けない姿の事は後で仲間の天狗達に教えてやろうと、文はひっそりと心に決めたのであった。
「さて皆さん、お詫びといってはなんですが……滝の天辺までちょっとした空の旅を体験してみませんか?」
「ホントにー!?」
「したいしたい、お願いしまーす!!」
「決まりですね。慧音さん、よろしいですか?」
「ええ。でもあなただけでは……」
「それはご心配なく。椛、あなたも手伝いなさい」
「ええっ!? な、何故私が……」
抗議の声を上げようとする椛だが、文の睨みですぐさまおとなしくなった。
ただ2人だけでは大変なので紫と慧音も手伝う事にして、4人は子供達を抱え持ちながらゆっくりと真上に飛び始めた。
キラキラと舞う水飛沫、そして上昇していくにつれ変わっていく山の景色。
その幻想的といえる美しい景色を目の当たりにして、子供達は先程のようなはしゃぎようなど嘘のようにおとなしくなり、その光景に見入っている。
そんな子供達の反応を見て、慧音は嬉しそうに微笑みを零していた。
今回、課外授業を企画した事は間違ってなかったと、心からそう思えたのだった。
■
「――さあみんな、2人に挨拶をしなさい」
『ありがとうございました!!』
「いえいえー、こちらも楽しかったですから」
「………………」
太陽が真上に差し掛かる頃、紫達は里へと戻ってきていた。
いくら子供とはいえこの里では大人の手伝いという仕事があるため、一日中里を離れさせるわけにはいかないのだ。
予想通り子供達からは抗議の声が上がったものの、慧音の「我儘を言うのなら頭突きをする」という一言で、一斉におとなしくなった。
文もわざわざ里まで子供達を送り届けてくれたのだが、椛まで同行を申し出てきたのは意外であった。
今もつっけんどんな態度を見せているものの、子供達が彼女に向ける視線は好意的なものだ。
「紫さんも、本日は貴重な体験をさせていただきありがとうございました」
『八雲様、ありがとうございます!!』
「いいのよ、気にしないで」
「それでは私は子供達を親御さんの元へと連れて行きますので……」
「ええ、それじゃあまた」
歩きながら手を振り続ける子供達に、紫達も同じように手を振ってそれを見送る。
そして慧音と子供達の姿が完全に見えなくなってから……紫は隣に立つ文へと声を掛けた。
「それで文、私に何か用でもあるんじゃなくて?」
「あややー……やっぱりわかります?」
「ええ、いくらなんでもわざわざ子供達を里まで送るようなあなたじゃないもの」
「いやいや、子供達の事は割と本気で気に入りましたよ? まあそれはそれとして……紫さんに伝える事があるのは事実ですが」
苦笑いをする文を見て、紫はそっとため息を吐き出した。
どうせ面倒な用なのだろう、天狗である彼女からわざわざ話があると言われればそう考えるのは当然であった。
「勇儀さんが、今回の件が済んだら紫さんを連れて来いと仰っていまして……」
「勇儀が? それはどうして?」
「すみません、私もただ「連れて来い」としか言われていないので、内容までは把握していないんですよ」
「そう……」
星熊勇儀達“鬼”と出会い友好関係になっておよそ四百年。
その後も何度か会い共に酒を飲み交わしたり他愛のない話に華を咲かせたりと、関係は良好なものを築いていると少なくとも紫はそう思っている。
ただ今まで今回のように向こうから内容を言わずに呼ばれた事はない、それだけでもなかなかに厄介な内容だと容易に推測できた。
「……わかったわ。いきましょうか」
とはいえ、紫の選択は「行く」以外なかった。
紫の言葉に感謝しますと文は返し、3人はそのまま里へと飛び去り再び妖怪の山へと向かう。
(……龍人はいつになったら帰ってくるのかしら)
To.Be.Continued...
楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。