そこに現われた五大妖、大神刹那と再び対峙し、決着を着けるために彼女達は戦いへと赴いた……。
――何故だ、今泉士狼はただただ驚愕する。
彼の槍はまさしく達人級、放たれる突きは神速の速度を持ち“貫かれた”という事実すら気づかずに相手は絶命する。
更に彼は決して相手を侮らない、だとえ誰であっても全力で相手をするが故に慢心するという事を知らない。
そんな強さを持っているからこそ、今泉士狼という青年は妖怪としては若くともあの大神刹那の右腕としての地位を得ている。
彼の前では、どれだけの力を持つ妖怪であっても苦戦は免れない……筈であった。
「っ、く…………!」
だというのに。
彼は、初めから加減など微塵もせずに相手を倒そうと渾身の一撃を絶え間なく放っているというのに。
相手には――八雲紫には、まったく届く気配すら見せなかった。
彼女が持つ光魔と闇魔は確かに名刀だ、だがそれ以上に彼女の力量は桁違いのものであった。
しかし、それは決して彼女が超一流の剣士という認識に当て嵌まるというわけでもない。
――彼女の動きは、“異端”であった。
確かに並の妖怪よりも速く動き、剣を振るう速度も遅くはない。
だが決して自分の槍を捌ける技量でもないのも確かであり、だというのに紫は士狼の攻撃を捌ききっていた。
矛盾した事態に士狼の思考は困惑していき、同時に彼は紫の異端過ぎる動きに翻弄し始めている。
彼女は、まるで空に浮かぶ雲のように掴み所がなく、それでいて不可思議なものであった。
剣士のような獲物を持って戦う者の動きではなく、そのせいか相手の呼吸が読めず先読みも最良の動きも思いつかない。
「し―――!」
「うおっ………!」
更に厄介なのが、まるで隙間を縫うように放たれる彼女の反撃である。
先程も言ったように彼女の動きは異端であり、熟練の戦士故に士狼は彼女の攻撃の軌道が読めなかった。
だからこそ彼女の反撃を獣の本能とも言うべき第六感で回避するのがやっとであり、ペースは完全に紫のものになっている。
(何故だ……何故こうも差が生まれる!?)
最初に出会った時は、共に居た鬼の少女と同時に戦っても圧倒していた。
しかしだ、次に戦った月では圧倒され……今もこうして、実力の差を思い知らされている。
なんという屈辱か、けれど現実は変わらず士狼は刻一刻と自分の死が近づいてきている事を感じていた。
(認めるしかあるまい……八雲紫は、俺よりも強い!!)
どう転んでも、自分の敗北と死は免れない。
屈辱を自ら受け入れ、士狼はある決意を抱く。
どうせ勝てないのならば、せめて自らの命を犠牲にしてでも紫を倒すという決意を。
全ては自らの主である士狼の為、仕えるべき主の為に彼は命を懸けようと槍を持つ両手に力を込め。
「――勿体無い、ですわね」
紫の、そんな呟きを耳に入れた。
「……なんだと?」
「勿体無い、本当に勿体無いわあなた。それだけの力と忠誠心を持ちながら……どうしてあんな男に仕えているのかしら?」
「我が主を愚弄するか!!」
「愚弄したくもなるわ。他者を自らの欲望を叶える為の駒にしか思わず、自分以外の生命を蔑ろにする。そんな男を愚弄しない理由があるかしら? あなたがどれだけ忠義を尽くしても、あの男は決してそれに応えないのではなくて?」
「…………」
その言葉に、士狼はおもわず反論を返す口を閉ざしてしまった。
……確かにそうだ、しかしそれでも士狼は反論を返す。
「忠義に見返りなど不要、我が命は全て主である大神刹那様のもの……」
「ただ仕えるだけの忠義など間違いよ、主が正しい道を踏み外しそうになった時、近くに居る者がそれを止めなくては。忠誠心が高いのにあなたはそれが足りないわね」
「……刹那様の道は覇道の道、全てを踏み躙る王者の道だ!!」
「それが間違いだと、一度も思った事はないのかしら?」
「っ、黙れ!!」
激昂し、紫の心臓を貫こうと突きを放つ士狼。
それを紫は光魔の刀身の腹で受け止め、彼を睨みながら言葉を続けた。
「他者を踏み躙り、命を蔑ろにし、その先に残るものは何? 答えは“無”よ、何も残らないし何も残せない。あの男は生きる者の未来全てを殺す道を歩いていると、あなたにはわからないの?」
「弱者は強者によって踏み躙られるが宿命、それはこの世の理だ!!」
「それは強者の弁よ、自分勝手な妄言を世界の理に当て嵌めるなんて愚の骨頂。強き力を己の欲にしか使えないものが、世界を語るな!!」
闇魔の刀身が士狼に迫る。
咄嗟に後方に回避する士狼、だが――それで終わりだ。
「なっ!?」
突如として、両腕を拘束される。
間髪入れずに両足も拘束され、士狼は身体を大の字で固定させられてしまう。
一体何が起きたのか、視線を真横に向けると……そこにはスキマが開かれ中から紫色の淡い光を放つ鎖が飛び出し士狼の両腕両足に巻きついていた。
すぐさま力を込め脱出を試みる士狼であったが、まるで意味を成さない。
「無駄よ、私の妖力と封印術を組み込んだ特別製なのだから、力だけでは抜け出せないわ」
「くっ………!」
「――降伏しなさい。もう勝負は着いたわ」
「……生き恥を晒すぐらいならば殺せ、敗者の弁など何の価値も無い」
そう言って、紫に向かって首を差し出す士狼。
もはやこれまで、自らの命を犠牲にして紫を打倒するという道すら閉ざされた以上、彼に残された道は潔く死を受け入れるのみ。
しかし、紫はそんな士狼に冷たい視線を向けながら、スキマの中に光魔と闇魔を引っ込めてしまった。
「何をしている、殺せ!!」
「暫くそこでおとなしくしていなさい。――敗者の弁など何の価値も無いのだから」
皮肉を返し、紫はその場を離れる。
「――くそおおおおおおおおおっ!!!」
背後から士狼の絶叫を聞きながらも、紫は決して振り向きもせず藍と美鈴の元へと向かった。
龍人の元へとすぐに向かいたかったが、まだ未熟な藍達の方が心配だ。
それに……今の龍人と刹那の間に割って入るのは、危険だと紫は理解している。
そして少し離れた場所で戦っていた藍達を発見し、紫はすぐさま介入した。
「――あいたあっ!?」
「美鈴殿!?」
「余所見をする暇があるのか?」
盛大に転がりながら吹き飛ぶ美鈴に視線を向け動きを止める藍に、剣狼が迫る。
すぐさま我に返る藍であったが、既に剣狼の刀が藍の首を斬り飛ばそうと迫っており。
「っ!?」
「藍、大丈夫?」
「ゆ、紫様!?」
その一撃を、割って入った紫が光魔で受け止めた。
すかさず力ずくで押し返し、剣狼との距離を離しつつ藍を守るように移動しつつ光魔を構える紫。
「? 八雲紫、士狼はどうした?」
「動けなくしたわ。自力での脱出は不可能でしょうね」
「……チッ、あの餓鬼は使えんな。刹那様の右腕を自負しておきながら情けない」
「…………」
無意識に、紫は光魔を握る手に力を込める。
敗者に同情など不要、それはわかっているが……今の物言いは気に入らなかった。
だが――紫の怒りは、前に出てきた藍と美鈴が宿す“決意”によって霧散する事になる。
「紫様、この男は……私達に任せてください」
「藍?」
「今の言葉は許せないんです。仲間を侮辱するような事を言うようなヤツに、負けるわけにはいきません!!」
「美鈴殿の言う通りです、それに……紫様の式として、いつまでも主に守られているままではいつまで経っても前に進む事ができないんです」
だからこそ、この相手は紫の力を借りなくても勝たなければならない。
敬愛する主の式で在り続ける為に、そして己の妖怪としての誇りの為に。
一方の美鈴もまた、恩人である紫達の役に立ちたいという想いを胸に秘めている、それを見てしまえば紫はもう何も言えなくなり……黙って光魔をスキマに戻した。
「――無理はしないで」
「勿体無きお言葉です」
主の優しい言葉を受け、藍は口元に隠しきれない笑みを浮かべながら、自分の力が際限なく増していくのを感じていた。
ただの言葉、けれど藍にとって今の言葉は――どんなものよりも嬉しいものだ。
想いは力となり、それが藍を新たな姿へと変えていく。
「……藍、あなた尻尾が……」
驚愕を含んだ呟きを零す紫の視線が、藍の尻尾へと向けられる。
――増えていた。
六尾であった筈の蘭の尻尾が、九尾へと変化したのだ。
今まで一尾ずつしか増えていなかった尻尾が、一気に妖狐としては最高位の九尾へと変わったという事実は、紫にとって驚愕であった。
けれど藍にとって、自身の九尾化は驚くものではなく……ただ嬉しいものだった。
当たり前だろう、何故ならこれで紫達の役に立てるとわかってどうして嬉しく思わないというのか。
「藍さん、私がどうにか動きを止めますので、キツイの一発お見舞いしてやってください!!」
言って、美鈴は剣狼へと向かっていく。
その動きは真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎるものであった。
当然、そのような単純な動きなど相手にとっては止まっているのと同意であり。
「莫迦が」
嘲笑を送りながら、剣狼は美鈴の首を
「な、に……!?」
「ぐ、くぅ………」
ありえない、目の前に広がる光景に剣狼は驚愕する事しかできなかった。
……受け止められているのだ、自分の刀が、美鈴の
いくら妖怪の身体が頑強だとしても、今の一撃は刀身に妖力を這わせた必殺の一撃、素手で止められる道理などあるわけがない。
刹那のような大妖怪ならばともかく、目の前のとるに足らない筈の小娘に受け止められる筈がない……そう思っている剣狼に、美鈴は反撃に移った。
「ふっ!!」
「っ、がっ!?」
腹部に衝撃、美鈴の右の拳が剣狼の腹部に突き刺さる。
身体をくの字に曲げる剣狼の顎に、すかさず美鈴は左手による掌底を顎に叩き込み、後ろ回し蹴りによる追い討ちで吹き飛ばした。
だが美鈴の攻撃はまだ終わらない、彼女はすぐさま地を蹴って吹き飛んでいく剣狼へと追いつく。
「地龍――」
左足を地面を踏み抜く勢いで叩きつけ、その勢いをそのまま右足へと集めていき。
「――天龍脚!!!」
虹色の気に包まれた右足を、剣狼へと叩きつける―――!
「が、ぐ、ぅ………!?」
ゴボッ、という音を響かせながら口から多量の血を吐き出し、剣狼の身体は空高くまで吹き飛んでいく。
凄まじい破壊力を込めた美鈴必殺の一撃、地龍天龍脚をまともに受け剣狼の身体には全身がバラバラになってしまう程の衝撃が襲い掛かった。
しかし、それでも剣狼の命までは届かず、強い憎しみの色を瞳に宿し美鈴を睨む彼は、空中でどうにかバランスを整え反撃に移ろうとしたが。
「――藍さん、後はお願いします」
美鈴の、そんな呟きを耳に入れた瞬間。
自分の更に真上から、剣狼は自分の命を奪おうとする気配を感じ取った。
「な、ん……!?」
すぐさまそれに対し反応を示した剣狼であったが、もう遅い。
突如として彼の身体は金色の輝きを見せる妖力で形成された鎖に拘束され、動きを封じられてしまう。
間髪入れずに彼の周りを囲むように鏡のような円形状の物体が展開し、ゆっくりと回転しながら少しずつ白い輝きを放っていく。
それらから発せられる妖力に、剣狼は自身の死がすぐそこまで迫っている事を理解し、必死に拘束を解こうとするが……。
「終わりだ」
「き、貴様……!」
剣狼の前に現れる藍、冷たく自分を見つめる彼女に剣狼は殺意を込めた目を向ける事しかできず――藍は、己の妖力を解放し勝負を決めた。
鏡の輝きは臨界へと達し、そこから撃ち出されるは白銀の光線。
細い針状の光線だがその貫通力は高く、容易く剣狼の身体に小さな穴を開け……別の鏡で跳ね返りまたしても剣狼の身体に穴を開ける。
「ぎ、ぐ、がが……っ!?」
際限なく反射を続ける光線に貫かれる剣狼、地獄の苦しみのよう痛みに晒される姿はただ痛々しく、けれどそんな彼に藍は小さな笑みを浮かべていた。
残虐性を孕んだその笑みは、美しい容姿を持つ彼女が見せれば魅力的で……同時に、背筋が凍りつくような冷たさを魅せている。
……このまま、声が枯れるまで叫ばせてやりたい、命尽きるまで苦しませてやりたい。
そんな邪悪な考えが頭に過ぎったので、藍は慌ててその考えを捨て去り勝負を決める事にした。
右手を翳す、すると白銀の光線が一箇所に集まり巨大な槍のような形状に変化する。
そこに藍は自らの狐火を付加させ、灼熱の炎を纏わせた光の槍の切っ先を剣狼へと向け、撃ち放った。
大気を燃やしながら飛んでいく光の槍は、既に痛みと衝撃により意識を失いかけていた剣狼の腹部を易々と貫き――彼を中心に、火柱が上がった。
「す、すごい……」
(……これが九尾の妖狐の力、とんでもない子を式にしているのね私は)
「……はぁ、はぁ、ぁ……」
ぐらりと、藍の身体が揺れ動き……彼女はそのまま頭から地面に落下していく。
それに気づいた紫がすぐに藍の元へと飛び、なるべく衝撃が掛からないように受け止めた。
そして藍の顔を見ると、彼女は荒い息を繰り返しながら意識を失っており、紫はそっと彼女を地面に寝かせてあげた。
「藍さん、大丈夫ですか!?」
「大丈夫よ。一気に九尾へと成長した事による身体の負担と、妖力の消耗が激しかったから意識を失っただけ。美鈴はこの子の傍に居てあげてくれる?」
「わ、わかりました」
立ち上がり、続いては妖忌の元へと向かおうとして……その前に紫は、そっと藍の頭を優しく撫でてあげた。
(藍、頑張ったわね。本当によく頑張ったわよ)
惜しみのない賞賛の言葉を心の中で告げ、今度こそ紫はその場から飛び去った。
と、右前方で爆撃めいた音が響くと同時に――巨大な氷柱が突如として聳え立ち、紫はおもわずそちらへと進路を変更した。
その周囲へと近づくと、地面には多数の人狼達が倒れており、中には氷漬けになっている者も居た。
そして、そんな死屍累々の中心には。
「何よ、もう終わりなの? やっぱり私ってば最強ね!!」
「ほぅほぅ、いやはや驚いた。予想以上の強さではないか、褒めてやるぞ妖精」
「ふふん。当然じゃない!!」
得意げな顔でむんと胸を張るのは、いつの間にかこちらに合流した氷の妖精であるチルノ。
その隣にはからからと笑うゼフィーリアの姿があり、どうやらあの氷柱は彼女の仕業らしく紫は2人の前に降り立った。
「チルノ」
「あ、紫! どう? 凄いでしょ!!」
「……あなた1人で、全て片付けたの?」
周りの見る限り、およそ数十匹という数の人狼が確認できる。
それをたった1人で、しかも妖精である彼女だけで倒したというのは、にわかには信じられなかった。
「余は守られていただけでなにもしておらぬ。こやつは既に妖精という範疇を越え掛けているようだぞ?」
「……そうみたいね」
「さあさあ、次はどいつを倒せばいいの?」
「やる気になっている所だけど、チルノは向こうに居る藍達と合流しなさい。私達が戻ってくるまでおとなしくしているのよ?」
「えー……」
「この土地に馴染んで力が増しているのはわかるけど、無闇やたらに力を使えばそれは理由なき破壊に繋がる。それは……力がある者がしてはならない禁忌の1つ。それを理解しないさ」
「う? うー……よくわかんないけど、わかった!!」
理解はしてないようだが、納得はしてくれたのかチルノは紫が指差した方向へと飛んでいった。
それを見送ってから、紫は今度こそ妖忌の居る場所へと飛び立ち、その後ろをゼフィーリアがついていく。
「遊んでいる場合なのかしら? あなたの力なら、あんな人狼達なんてそれこそ一瞬でしょうに」
「いや、あの妖精が余を「守ってやる」と言ったものだから、つい嬉しくてな。守られる側なんて随分久しぶりだから堪能していたのだ」
(やれやれ……)
子供のような事を言うゼフィーリアに呆れていると……剣戟の音が聞こえてきた。
まだ戦いは終わっていないようだ、とはいえ――既に勝負は見え始めているようだが。
戦いの場へと降り立つ紫とゼフィーリア、それと同時に妖忌の桜観剣が狼牙の身体を大きく吹き飛ばした。
「……チッ、ぞろぞろと増えやがったが」
紫達の姿を見て、舌打ちを放つ狼牙。
しかしその口振りからして自分の不利を理解できていないようだ、余程自分の実力に自身があるのか……。
否、単純にこの人狼は相手の力量を読む事ができない未熟者でしかない、力は他の人狼よりは優れているもののそれだけだ。
だがそれでもこの人狼、狼牙の実力は決して侮れない。
現に妖忌の身体には狼牙の爪や牙による傷が幾つも刻まれており、着物の一部も血で赤黒く染まってしまっている。
それを見て紫は心配そうな表情を……浮かべる事はなく、寧ろ呆れたような野次を妖忌に飛ばす。
「あなたも
「……煩いぞ紫、わしはまだまだ現役じゃ」
「ならさっさと切り伏せてしまいなさいな。そんな
「駄犬、だと?」
紫の暴言に反応する狼牙だが、自らに向けられる殺気に気づき意識をそちらに向ける。
その殺気は今の今まで戦っていた妖忌から放たれているものだが……狼牙は、ある違和感を覚えた。
彼から殺気など最初から向けられていた、しかし今の彼から放たれているそれは先程とは比べ物にならないほどに重く鋭い殺気だ。
まるで別人が放っているかのようなそれを肌で感じ取り、狼牙は無意識の内に身体を震わせる。
「待たせたな。ようやっと本気が出せそうじゃわい」
「何だと……? つまり、今までテメエは本気で戦ってなかったって言いたいのか?」
「いやいや、本気だったよ。しかしのう……わしは半分は人間で半分は幽霊の半人半霊、故に生まれ育った極東の地を離れてしまったせいか、思うように身体が動かなくてな」
しかしもう慣れたと、桜観剣を軽く振りながら妖忌は言う。
「はっ、強がりならもう少しマシな事を言うんだな」
「強がりではないよ。――死にたくなければ逃げる事じゃ、尤も……逃がさんがな」
瞬間、空気が変わる。
ピリピリとした空気に全身が刺激され、狼牙は言い様のない恐怖感に苛まれ始める。
……逃げなくては、殺される。自らの獣の本能が死から逃れる一心で狼牙へと警鐘を鳴らした。
だが、それでも狼牙は敵に背を向ける事を良しとせず、その本能を遮るように雄叫びを上げながら妖忌に向かっていった。
逃げを選ばずに立ち向かってくるその胆力に感嘆しながらも、妖忌は桜観剣を鞘に収めながら左手に持ち、腰を低く落とし抜刀術の構えをとった。
そして、狼牙が右手の爪で妖忌を引き裂こうと振り上げた時には、彼の視界から妖忌の姿は消えており。
桜観剣を横薙ぎに振るった体勢のまま、妖忌は狼牙の後ろへと立っていた。
「なっ――」
見えなかった。
消えたと思った瞬間には、妖忌は狼牙の後ろで剣を振るった状態のまま立っていたのだ。
まさしく神速、これが半人半霊という存在が見せた速さなのかと驚愕しながら――狼牙の身体は左右二つに分かれ地面に倒れる。
その一撃は、あらゆる存在を一刀の元に切り伏せる神速の斬撃。
受ければ必ず命を断つこの剣技の名は――
自身の勝利を喜ぶ事はせず、妖忌は静かに桜観剣を鞘に収めながら。
「人狼族の狼牙、お主の名はこの魂魄妖忌が決して忘れぬ。誇りに思うがいい」
戦った相手に、彼が与えられる最大限の賛辞を送ったのであった。
To.Be.Continued...