妖怪の賢者と龍の子と【完結】   作:マイマイ

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氷精に勝利し、一度八雲屋敷へと戻る紫達。
しかし、今回の事で人と妖怪…異なる種族が生きる幻想郷に綻びが見え始める事になってしまう……。


第61話 ~解けかける綻び~

―――さてどうしたものかと、紫は誰にも気づかれないように溜め息を吐いた。

 

 現在、紫は人里の中心部に居た。

 そこは里の者達が阿爾や上役から重要な連絡を受けたり意見を交換する際に集まる広場であり、今も里の住人達が一斉に集まっていた。

 しかし場の空気はお世辞にも良いものとは言えず、寧ろ重苦しいものだ。

 いつもは穏やかでどこか緩めの空気に包まれている幻想郷の人里ではあるが、今回ばかりは状況が違っている。

 そしてその原因となっているのは、先程から里の者達睨まれ少し脅えている氷精――チルノであり、彼女は現在逃げるように龍人の背中に隠れてしまっていた。

 

 妹紅がチルノを倒し、話を聞きたかったので彼女を一晩屋敷で休ませたまではよかったのだが……朝になったら、彼女の身体が縮んでしまっていた。

 一般的な妖精と同じく十に満たぬほどの小さな身体に変わっており、水色の髪も短くなった彼女は自分が何故眠っていたのか理解しておらず混乱していた。

 とりあえず紫達は事情を説明したものの、よくわかっていないのか彼女はキョトンとした表情を浮かべるのみ。

 

「……もしかしたら、力を放出し過ぎたのかしら?」

 

 そう言ったのは、紫であった。

 この氷精、チルノは氷を司る妖精だ。

 故に寒さなどで力を増し、六日間に及ぶ猛吹雪によって彼女の力は信じられない程に増大した。

 姿形が大人になっていたのもそれが原因であろう、しかし妹紅との戦いによって彼女はかなりの力を消耗させ子供の姿に変わってしまった。

 今の姿が本来のチルノの姿なのだろう、前の姿は謂わば“暴走”していた状態と言った方がいいかもしれない。

 

「なんかよくわかんないけど、あたいがみんなに迷惑掛けちゃったみたいなんだな……ごめん」

 

 しょんぼりしながら謝罪するチルノを見て、なんだかよくわからない罪悪感が紫達を襲う。

 気にしなくていいとすぐさま返したのだが、チルノは里の皆にも謝りたいと言ってきたので、阿爾に詳細を説明したまではよかったのだが…タイミングが悪すぎた。

 今回の猛吹雪で多数の犠牲者が生まれてしまった矢先に、幻想郷の里を守る壁が壊されてしまった。

 つまりいつ野良妖怪に襲われるかわからない状況に立たされてしまったのだ、里の住人達の不安が怒りに変わるのにそう時間は掛からず、更にその矛先はチルノに向けられてしまう。

 

 彼女に罪が無いと言えば嘘になる、猛吹雪で力を際限なく取り込み半ば理性を失っていた状態とはいえ、彼女が齎した被害は決して小さくはない。

 しかも彼女は氷を司る妖精というのも間が悪かった、里の人間達の中には今回の猛吹雪をチルノが引き起こしたものではないのかと疑う者まで出る始末。

 当然その件に関してはチルノに非は無い、阿爾もそれがわかっているのか必至に説明するがその者達は信じてはくれなかった。

 分からず屋め、言えるのならばそう言ってやりたかったが……その者達は今回の件で家族を失ってしまった者達だ、やり場のない怒りを他者に向けてしまうのも無理からぬ事なのかもしれない。

 場の空気は重さを増していき、遂に1人の人間が阿爾に対し残酷な進言を口にした。

 

「……阿爾様、それでこの(あやかし)の処分はどうなさるんで?」

「処分、ですか?」

「当たり前です、こいつのせいで里は大変な被害に遭ったのですよ!? いくら見た目が幼子だとしても、許す道理はありません!!」

「お待ちなさいな。この氷精が行ったのは里の壁の破壊のみ、ならば壁の修復をさせれば……」

「八雲様、本気で仰っているのですか? よもや……同じ(あやかし)だから、これを庇っているのでは!?」

「そうではありません。……もう少し冷静になってくださいまし、今回の吹雪はこの妖精とは何の関係もないのです」

 

「………それは、本当ですか?」

「……どういう、意味でしょうか?」

 

 目を細め、紫は男を見やる。

 その視線を受け男はぶるりと身体を震わせるが、それでも瞳の奥に根付く怒りの炎は消えなかった。

 ……この男は、今回の吹雪で妻と子を失ってしまった。

 幸いにもこの男は家屋が潰れた際に端の方に居たため比較的早く助け出されたが、奥で眠っていた妻と子は……。

 

「何故関係ないと言えるのですか? この(あやかし)は冷気を操れると聞きます、我々を喰らうためにあの吹雪を起こしてもおかしくはない!!」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 私そんな事……」

「黙れ(あやかし)が!! 貴様の言葉など聞きたくもない、今すぐに黙らせてもいいんだぞ!?」

「ひっ……」

 

 憎悪に満ちた瞳で睨まれ、再び龍人の後ろに隠れるチルノ。

 それを見て龍人は男に怒鳴ろうとして…皆が集まる前、紫が自分に言った言葉を思い出した。

 

―――貴方は、決して口を出してはいけないわ。

 

 何故なのかは訊いても教えてくれなかった、でも紫の言葉はいつも正しいと思っている龍人はおとなしく頷きを返したのだ。

 彼女との約束を違えるわけにはいかない、そう思い龍人は強引に言葉を呑み込み沈黙を守った。

 しかし、彼の態度はこの状況に対しては悪手だったようだ。

 

「龍人様、あなたまでその(あやかし)を庇うというのですか!?」

「…………」

「龍人はこの妖精を庇っているわけではありません、ですから一度冷静に――」

「オレは連れと子を失ったのですよ!? どうして冷静になれというのですか!!

 それとも八雲様は、オレと同じように家族や知人を失った者に対してもそんな冷たい事を仰ると!?」

「…………」

 

 男だけでなく、他の人間達の視線も紫1人に向けられる。

 その全てがこの吹雪で大切な存在を奪われた人間達であり、紫はおもわず言葉を失ってしまう。

 

「――落ち着きなさい。いくらなんでも言葉を荒げ過ぎです」

 

 鋭い声が、阿爾の口から放たれる。

 その戒めの言葉を受けて男は少し冷静さを取り戻すが、内に抱く怒りは増すばかり。

 ……このままでは人間達の怒りがチルノだけでなく、周りの妖怪達にまで向けられてしまう。

 そうなってしまえば今の幻想郷の『人と妖怪の共存の継続』という理想が破綻する。

 現に男の発言を聞き、一部の妖怪達の表情が不快げに歪んでしまっていた。

 今の幻想郷の状態はひどく儚く脆く不明慮なものだ、ちょっとした事でも簡単に瓦解する。

 

「―――どうすれば、納得できる?」

 

 ひどく落ち着いた声が、場に響く。

 その声を放った龍人は男を見ながら、再度同じ問いかけを投げかけた。

 対する男は一瞬驚きながらも、すぐさま怒りと憎しみが込められた声色で自らの歪んだ願望を口にする。

 

「その妖をオレ自らの手で殺してやりたい、いや……オレ達で残酷に殺して、痛みを与えてやりたい!!!」

「…………」

「他の者もそうだろう!? この妖を許せないだろう!?」

 

 男が周りの者を囃し立てると、一部の人間達から頷きが返ってきた。

 これを見た阿爾は驚き、同時に表情を険しくさせすぐに怒りの声を放つ。

 

「そんな事をして何になるのです! 第一自然そのものに等しい妖精の命は奪えるものでは」

「でも痛みは感じる! だったら……消える直前まで痛めつけて、オレ達の受けた痛み以上の痛みを与えてやるんだ!!」

「なっ―――」

 

 なんという愚かな考えか、しかし何より驚いたのは。

 この男の考えに、賛同する人間が他にも居たという事だ。

 誰もが瞳に狂気の色を宿し、血走った目でチルノを睨んでいる。

 どす黒く陰湿な空気を纏いながら、男達はゆっくりとチルノに向かっていき。

 

「――それは、駄目だ。そんな事はさせられない」

 悲しそうに、呟くようにそう言った龍人が、止めに入った。

 

「龍人様、いくらあなたでも止める権利はない筈だ!!」

「そうだ! おれ達の怒りはこいつにぶつけなきゃ気が済まねえ!!」

「……駄目だ。頼む、そんな事はしないでくれ……」

 

 頭を下げ、龍人は言う。

 だが、怒りと憎しみに支配された男達はそんな言葉では止まらない。

 

「やっぱり、半分妖怪の血が混じってるから、オレ達人間の考えなんかわからねえんだ!!」

「そうだ! 所詮他人事だからそんな事が言えるんだ!!!」

「っ、いい加減に―――」

「違う!!!」

 

 身勝手な男達の言葉に怒りを覚え、おもわず手が出そうになる紫の耳に、龍人の悲痛な叫びが響く。

 

「俺だって、家族を失う痛みくらいは…わかる。俺だって二百年前に、とうちゃんを…失った」

「だったら―――」

「でも、だからって怒りを、憎しみをコイツに――チルノにぶつけるのは間違ってる。

 コイツは本当に今回の吹雪とは関係がないんだ、コイツがみんなの家族や友達を奪ったわけじゃないんだ。信じてくれ……」

「うっ………」

 

 殺気立っていた男達の目に、少しだけ正気が戻った。

 ――彼が、懇願するように自分達に向かって土下座をしている。

 その気になれば自分達など簡単に力で捻じ伏せられるのに、それをせずに彼は説得という道を選んだ。

 それを見ても尚止まれないほど、この男達の性根は終わってはいない。

 だが――やはり納得できるわけではないのも、また事実であった。

 

「……では龍人様、我々はどうすればいいのですか? このやるせない怒りを、どこで晴らせばいいのですか?」

「それ、は……」

 

 その問いに、龍人は答えを返す事ができなかった。

 耐えろ、などという無責任な言葉など勿論言えないし、かといって第三者にその怒りを、憎しみをぶつければ…それはまた新たな怒りと憎しみを生む。

 そうして際限なく増えていけば……待っているのは、悲惨な結末だけ。

 答えのない問いかけに何も言えなくなる中――チルノが、男達の前に歩み寄った。

 

「……あたいを倒せば、お前等みんな気が済むのか?」

「…………」

「もしそれで気が済むなら……いいよ」

「っ、チルノ!!」

「あたいだって痛いのは嫌だけど……今こうして、みんなで喧嘩してる方がもっとやだ!!」

 

 見てるだけで、胸の辺りが痛くて苦しくなる。

 どうしてなのかチルノ自身わかってはいなかったが、それでもこのまま皆が言い争いをしているのを見ているのは耐えられなかった。

 それに自分は悪い事をした、だったらその罰は受けなければならない。

 かつて彼女の一番大切な友人から言われた言葉を思い出し、チルノは内なる恐怖に耐えながら男達の怒りを晴らそうと行動に移った。

 

「うっ……」

 

 男達の瞳から、狂気の色が消えていく。

 怒りが、憎しみが晴れたわけでも消えたわけでもない。

 だがそれでも、男達は自分達の怒りを目の前の妖精にぶつけるという選択肢を、選ぶ事ができなくなった。

 けれど心は軋みを上げている、悲しみを忘れたいと際限なく訴えている。

 人としての理性と、獣のような負の感情に板ばさみになり、男達は別の苦しみをその身に宿す。

 怒りを晴らせ、憎しみを溜め込むな、そんな言葉が内なる自分から放たれるが……。

 

「………なあ、妖精…だったか?」

「うん……何?」

「今回の吹雪は、本当にお前さんのやった事じゃないんだな?」

「うん、でも……壁、壊しちゃった……」

「…………そうか」

 

 そう言って、最初に進言した男は龍人に向かって跪く。

 

「龍人様、顔を上げてください。あなたのような方が我々に頭を下げる事はありません」

「えっ………」

「――ありがとうございました」

 

 呟くように感謝の言葉を龍人に告げ、男はそのまま広場を離れていく。

 

「お、おい……」

「ま、待てって!!」

 

 その姿を見て、他の男達も逃げるようにその場を去っていった。

 

「………龍人、チルノ、ありがとう。貴方達のおかげで」

「やめろよ紫、俺に…ありがとうなんか言うな」

「えっ……」

 

 冷たい口調で、龍人は紫の言葉を遮った。

 彼の態度に紫は驚きを隠せず、それ以上声を掛けられず黙ってこの場から去っていく彼の背中を見つめる事しかできなかった。

 

「――この妖精に対する処罰は、破壊した壁の補修と強化のみとします。よろしいですね?」

 

 困惑する里の者達に、阿爾はそう言い放った。

 それに意見する者はおらず、誰もが今の広場の空気に耐えかね逃げるように離れていく。

 そして、阿爾と紫、そしてチルノだけになったと同時に、阿爾は深く大きな溜め息を吐き出した。

 

「……紫さん、今回の事はなんてお詫びをすればいいのか」

「阿爾が謝る必要なんてないわ、それに……私も、あの人間達を完全に否定する事はできない」

「…………」

「とにかく一度戻るわ、龍人の事は……私に任せて」

「はい、お願いします。――あの人は、本当に優しすぎる方ですね」

「…………」

 

 阿爾の言葉に何も答えず、紫は黙ってスキマを開きチルノと共に八雲屋敷へと戻った。

 いつも通り藍に出迎えられたが、半ば押し付ける形でチルノを渡し、紫は再びスキマで移動する。

 移動した先は当然彼が居る場所、彼は人里の端に位置する小川の傍で座り込み、空を見上げていた。

 

「…………」

 

 話し掛けられない。

 顔を見なくても判ってしまう、今の彼は…ひどく傷つき思い悩んでしまっていると。

 あの人間達に何もできなかったと己を責め、彼は自身を傷つける。

 ……あの状況では、誰も正しい答えが出せないというのに。

 

「――紫」

「っ、気づいてたの?」

「気配を隠してないだろ? なら気づくさ」

「そう、だったわね」

 

 龍人の隣に座り、彼と同じように空を見上げる。

 今日の天気は快晴、まだ空気は冷たいがいずれ春の息吹が流れてくるだろう。

 

「紫、ごめんな」

「えっ?」

「どうすればよかったのか、わからなかった。家族を失った人間達の気持ちも判ったけど、チルノに傷ついてほしくなかったから……たとえ死なないとしても、傷ついてほしくなかったから。

 でも、結果的にあの人間達の怒りや憎しみを内側に残しちまった、もっと良い方法があったかもしれないってのに、さ」

「それは違うわ龍人、貴方のあの行動は間違いじゃなかった。貴方が居たからチルノは理不尽な暴力から守られた、あの人間達も自らの怒りと憎しみの渦に沈まなかった。

 貴方は正しい事をしたのよ、私だったらきっと力であの人間達を黙らせていたわ。それが新たな怒りや憎しみを呼ぶと判っていても……だから龍人、自分を卑下しないで」

「………そうかなぁ」

「そうよ、私は貴方を誇りに思う。どちらも見捨てずどちらも否定しなかった貴方を」

「そっかぁ……紫がそう言ってくれるなら、さっきの俺も意味のあるものになる気がするよ」

「ええ、いつだって貴方は正しい道を歩んでいるわ」

 

 龍人の手を、自分の手で優しく重ねる紫。

 そして2人はふと見つめあい、どちらからともかく笑ったのだった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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