「――――永琳、どうだ?」
「……大丈夫。かなり衰弱しているけどさすが妖怪ね、直に目を醒ますわ」
永琳から放たれた言葉を聞いて、龍人はほっとしたように大きな息を吐き出した。
そんな彼の視界の先には、清潔感溢れる白いベッドに横たわり眠っている赤毛の少女の姿が。
全身にはガーゼや包帯が巻かれており、その姿は見るだけで顔をしかめてしまう程に痛々しい。
この少女は先の戦いで龍人と戦った少女であり、戦いを終えた後すぐさま永琳によって治療が施された。
かなり衰弱しており栄養状態も悪かったものの、月の医術と永琳の適切な処置により一命を取り留める事に成功してくれた。
「レイセンも永琳と一緒に傷の手当てをしてくれてありがとな」
「ううん、気にしないで」
「それにしても、なかなか手際が良かったわねあなた」
「えっ!? あ、いえ、その……よく仲間の治療をしたりした事があっただけで……八意様に比べれば私なんて」
永琳に褒められ、慌てたように否定の言葉を返すレイセン。
だが褒められた事は嬉しいのか、顔は恥ずかしそうに赤く染まりながらも口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
正直な反応にからかい甲斐があると思った永琳であったが、さすがに可哀想なので何も言わない事に。
「だけど、妖怪なのに“龍人族”と同じ力を持つって言っていたけど……本当なの?」
「ああ、この子から感じる力は俺と同じものだし……間違いないと思う」
「龍神様は人間だけでなく一部の妖怪にも自らの力の一部を分け与えた例もあるから、この妖怪が龍人と同じ力を持っていてもおかしくはないけど……」
「まあそんな事はどうだっていいけどな、戦いたくないのに戦わされて、それで死ぬ事にならなくてよかった」
そう言って、龍人は赤毛の少女の頭を優しく撫でる。
生きていてよかった、そんな思いを少女に伝えるように。
「なあレイセン、他の玉兎達は大丈夫なのか?」
「うん、妖怪との戦いで怪我人は沢山出ちゃったけど幸いあの時と違って死者は出なかったから……」
「そっか……よかったな」
「龍人達が頑張ってくれたお陰だよ、ありがとう」
「頑張ったのはレイセンも同じだろ? ――逃げずに頑張れて、よかったな?」
「龍人…………うん!!」
嬉しそうに、少しだけ誇らしげにレイセンは満面の笑みを浮かべる。
その笑みにつられて龍人もニカッと笑みを浮かべ、ニコニコと笑みを浮かべ合う2人。
微笑ましい光景だ、おもわず近くでそれを見ていた永琳も口元に優しげな笑みを浮かべていた。
――その一方、部屋の隅でそれを見ていた紫は逆に表情を歪ませていた。
そしてそのまま無言で部屋を退出、早足でその場から離れていき……診療所の外へと出た。
周りから聞こえるのは建築音、先の戦いで壊された建物を直す音と月人達の声が紫の耳に入ってくる。
それを聞きながら、紫は柱の一柱に背を預け空を見上げた。
見えるのは雲ひとつ無い晴天、まあ尤も地上のものとは違いホログラムによる晴天なのだが。
「――機嫌が悪そうね、どうかした?」
「機嫌云々は貴女に言われたくありませんわね」
声を掛けてきた相手、風見幽香に棘のある言葉で返す紫。
それを聞いて肩を竦める幽香であったが、事実彼女は只今少々機嫌が悪い。
まあ仕方がないだろう、何せ先の戦いで朧と戦っていた彼女は突如として戦闘を中断させられてしまったのだから。
依姫が邪魔をしたわけではない、前とは違い善戦していた幽香であったが……突然、何の前触れもなく朧が月から消えてしまったのだ。
朧だけではない、依姫に囚われていた妖怪達も霞のように消えてしまった。
血湧き肉踊る戦いをしていた幽香は当然怒った、そりゃあもうおもわず月王宮を粉々にぶっ壊してやろうかと思うくらい怒った。
今は幾分機嫌が直った彼女ではあるが、よく見ると口元がへの字に曲がっている。
……尤も、紫も彼女と似たような表情になっているのだが。
「機嫌が悪いのなら、殺し合いでもしましょうか?」
「にこやかな笑顔で言う言葉ではないわね、そんな事するわけないでしょうに」
「辛気臭い顔しちゃって、そんなに龍人に構ってもらえないのが不満なのかしらね?」
「…………」
おもわず、紫はキッと幽香を睨みつけてしまう。
だが幽香はまったく堪えた様子を見せず、寧ろ彼女の反応を見てニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる始末。
「素直に甘えちゃえばいいじゃない、前から思っていたけど……アンタって龍人に対して『頼りになる姉』のように振舞おうとしてない?」
「……確かにそうね。でも龍人は危なっかしくて目を離すと心配なのだもの、自然と姉のように振舞うようになってしまったのよ」
「過保護ねえ。でもそんな考え方をしているから素直に甘える事ができなくなってるんでしょ?」
莫迦よねえ、からからと可笑しそうに笑う幽香を紫は先程以上の冷たさを孕んだ瞳で睨みつける。
それでも幽香は堪えない、まるで強がっちゃってと言っているかのように。
……苛立ちが増した、しかし何故か紫は否定の言葉を放つ事ができなかった。
いくら否定しても幽香に対して無駄に終わると思ったからか、それとも……。
「――いつか、後悔する事になっても知らないわよ」
「幽香、いい加減にしないと怒るわよ」
「これは忠告。龍人の生き方を考えれば……彼がいつ死んでもおかしくはないでしょ?」
「――――っ」
今度こそ、紫は明確な殺気を込めて幽香を睨む。
紫の怒りに呼応するように妖力が身体から溢れ出し、その力は周囲の地面や柱を軋ませていく。
今の言葉だけは許容できない、彼の死を連想させる言葉を吐かれて何もしないわけにはいかない。
並の者ならば腰を抜かし失神してしまう程の威嚇を受け、幽香はおもわず一歩後ろに後退してしまった。
しかし彼女もまた類稀なる力と才を持って生まれた妖怪、一歩後退するだけに留まり更に言葉を続けた。
「本当は紫だってわかってるんでしょ? なら……私に言われなくてもどうすればいいのか、わかるわよね?」
「…………」
暫し幽香を睨む紫であったが、やがて殺気を消し気まずそうに彼女から視線を逸らした。
……わかっている、彼女の言葉はきっと正しい。
龍人の生き方は、他ならぬ彼自身の命を蝕む可能性を秘めている。
でも彼には自由に自分の思うままに生きてほしい、そう願っている以上……紫は幽香の言葉を否定する事はできない。
「……ごめんなさい、幽香」
「別に、謝られてもこっちが困るわ。謝るくらいならその辛気臭い顔を見せるのはやめてよね、そんな顔を見ていると……グチャグチャにしたくなるから」
「まあ恐い。それじゃあ退散するとしましょうか」
そう言って、再び診療所に戻っていく紫、その後ろ姿を見ながら……幽香は後方へと声を掛ける。
「――主を恐がっているのかしら? 妖狐」
「…………」
幽香の前に現れる1人の少女、紫の式である藍であった。
気まずそうに視線を逸らし、握り拳を作りながら震えるその姿は幽香にとってひどく滑稽に映った。
「恐いと思うのは仕方ない事よ、アンタは私達の誰よりも弱い。たとえ主であってもあんなに不気味で出鱈目な能力を持った紫を恐がるのは無理ないわ」
「っ」
「それが嫌なら今より力をつければいいだけの話よ、そして紫を守るに相応しい式になればいい。簡単でしょ?」
「…………他人事だと思って、軽々しく言ってくれる」
だが、幽香の言葉は正しいと藍は理解している。
確かに紫の力を見て恐いと思った、それは認めよう。
そんな自分を情けないと思い、自己嫌悪に陥り、けれど……このままでは嫌だと思った。
ならばどうすればいいかなど、決まりきっている。
それこそ自分に対し憐れみと嘲笑を送るこの失礼極まりない風見幽香に言われなくてもだ。
「自らを鍛えたいのなら、私が付き合ってあげましょうか?」
「……どういう風の吹き回しだ?」
「だって月人達は相手をしてくれないんですもの、弱い者苛めになるけど……この苛立ちを発散するのはちょうどいいわ」
「っ、ほぅ……後悔するなよ?」
弱い者と言われ、藍の額に青筋が浮かぶ。
上等だこの花妖怪、ボコボコにしてやるという視線を幽香に向ける藍であったが。
その後、幽香に軽くあしらわれ逆にボコボコにされる事になるのはまた別の話……。
■
「――龍人、入るわよ?」
一言そう告げてから、紫はドアを開け赤毛の少女が居る病室へと再び足を踏み入れた。
中に居たのは龍人と眠ったままの赤毛の少女のみ、先程まで居た永琳とレイセンの姿は見当たらない。
「龍人、永琳達は?」
「他の怪我人を見てくるって」
「そう……」
短く返し、紫は龍人の隣に椅子を持っていき彼の隣に座り込む。
……視線を彼に向ける紫、龍人の視線は眠ったままの赤毛の少女に向けられている。
「……そんなに悲痛な表情を浮かべなくても、治療は終わったしいずれ目を醒ますと永琳も言っていたでしょう?」
「え、あ……俺、そんな顔してた?」
「してたわよ、そんな心配をしなくても……」
そこまで言いかけ、紫は自分が龍人の気分を害するような事を言おうとしている事に気づき、口を閉じた。
龍人は優しい、たとえ大丈夫だと言われても彼ならば心配してしまう。
だというのに今自分はわざわざ言わなくてもいい事を言おうとして彼の気分を害してしまう所だった。
……感情のコントロールが、上手くできない。
先程幽香に変な事を言われたからだ、責任転嫁に近い事を考えつつ紫は何も言わずに龍人の隣に座り続ける。
「……んっ……」
「あ」
赤毛の少女の口から、僅かに声が漏れた。
それは少女が眠ってから初めての事で、それが何を意味するのかを2人が理解するより速く、少女の瞳が開かれた。
開かれた瞳は暫し虚空を見つめ、やがてゆっくりと視線が2人へと向けられる。
「大丈夫か?」
「…………」
龍人が声を掛けるが、少女からの反応は無い。
まだ意識がはっきりと覚醒していないのだろう、急かす事はせずに2人が待っていると。
「……なん、で……」
少女が、龍人を見つめながら疑問の言葉を口にした。
「ん?」
「どうして、私…生きて、るの……?」
「……無理矢理戦わされてたんだろ? だから殺さなかった、ただそれだけだ」
「どう、して……? だって私、あなたに攻撃を……」
「命を無駄にしたくないんだ俺は、本当は向かってくるヤツでも殺したくないくらいなんだ。――命に代わりは無いからな」
「…………」
「今は余計な事を考えずにゆっくり休めよ、ちゃんと話をするのもまずは身体をちゃんと休ませてからだ」
もう眠れと、少女の頭を撫でながら龍人は言う。
その言葉と声に安らぎを覚え、少女は言われるがままに目を閉じ…そのまま眠ってしまった。
「……良かった。永琳には大丈夫って聞かされていたけど、目を開けてくれて改めて安心できた」
「…………」
龍人の視線が、意識が、赤髪の少女だけに向けられている。
彼は優しい、誰に対してもその優しさを向ける事を、紫はよく知っている。
だから彼がこんなにも真摯に少女の事を考えるのは、別におかしい事ではない。
そう――おかしい事ではない筈だというのに。
「? 紫……?」
「…………ぁ」
どうして、気がついたら。
まるで龍人にこっちを向いてほしいかのように、彼の服の裾を掴んで引っ張ってしまったのか。
当然ながら龍人は怪訝な表情を紫に向けてきた、対する紫は……自分の行動の不可解さに困惑しながら、顔をどんどん赤くさせていく。
「あ、いえ、あの……私……」
「どうしたんだ?」
「ぁ、ぅ……」
本当に、何をしているのだろうか。
これではまるで、寂しがっている子供のようではないか。
こんな無様な行動、八雲紫がやっていい事ではない。
いずれ大妖怪と呼ばれ、藍という将来有望な式を操る妖怪が、こんな子供のような事を……。
「…………」
「おっ……?」
そこまで考えて、紫は言い訳じみた自分の考えを自ら捨てた。
それと同時に、彼女は自身の身体を龍人の身体へと預け出す。
「紫?」
「……ごめんなさい、今はこのままで」
「いや、別にいいよ。それになんだか嬉しいし」
「え?」
顔を龍人へと向けると、彼は言葉通り嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「だってさ、なんか紫が俺に甘えてくれてるような気がしてさ。お前って俺にそういう事しないだろ?
なんていうか、とうちゃんの約束を守るために俺には弱い所を見せないというか……上手く説明できねえけど、とにかくお前が甘えてくれたような気がして、嬉しかったんだ」
「――――」
とくん、鼓動が小さく鳴った。
あっさりと、龍人は紫の小さな虚栄心を解し、受け入れてくれた。
それが嬉しくて、嬉しくて、紫は気づいたら見惚れるくらい綺麗な笑みを浮かべていた。
同時に彼女はある事実に気づく、だが……それをまだ龍人に話すつもりはない。
「龍人」
「なんだ?」
「……また、こうして甘えてもいいかしら?」
「勿論。というかこんなんならいつでもいいぞ?」
「…………ありがとう」
それ以上は何も言わず、紫は無言のまま龍人にその身を預け、彼の温もりを感じながら時を過ごした。
その後、永琳とレイセンが再びこの部屋に戻ってくるまでそのままの体勢で過ごし。
2人のその姿を見て、永琳が嫌な笑みを浮かべそれを見て紫が怒りのまま彼女を攻撃する事になるのはまた別の話。
To.Be.Continued...
次回でこの第四章も終わりになります。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。