間違いなく死闘になるこの戦いはしかし。
――呆気なく、意外な形で幕を閉じる事になる。
「――――もう少し、ね」
肩で息をしながら、依姫は自身の周りで倒れている妖怪達に視線を向けながら呟きを零す。
現在、彼女は合流した玉兎達と共に、月王宮に攻め込もうとしている妖怪達の大群を相手にしていた。
この月王宮には月の統率者である月夜見だけでなく、避難してきた月の民も居る、一歩も通すわけにはいかない。
「依姫様、また妖怪達が!!」
「……あなた達は怪我人を王宮に運びなさい、後は私がやるわ」
「わ、わかりました!!」
(本当に、数だけは多い)
王宮に向かって走ってくる、妖怪達の群れ。
その数は百を優に超えている、既に数百匹もの妖怪を倒したというのに……一体あと何匹居るのか。
右手に持つ刀を地面に突き刺す依姫、そして彼女は“神降ろしの術”を発動させる。
呼び出すのは“
女神すら閉じ込めると謳われる祇園の力、剣の檻に閉じ込められた妖怪達に脱出する手段は存在しない。
中には無理矢理壊そうと試みる妖怪も居たが、剣の檻に妖力弾を当てようと力任せに折ろうとしてもビクともしない。
圧倒的な力の差、有象無象の妖怪達では依姫に勝つ事など不可能であった。
(さて、後はお姉様の能力でこの妖怪達を地上に送ればいいか……)
無駄な殺生はしない、というよりできない。
死は穢れとなり、その穢れが集まれば月の大地は地上の大地と変わらなくなる。
それだけは避けなければならない、なので依姫は向かってくる妖怪達全てを叩きのめしているが殺してはいなかった。
単純な力では彼女が勝っていても、殺さずに無力化するというのは思った以上に疲れたのか、依姫は気が抜けたように溜め息を吐き出し。
「っ、ち……!」
機を待っていた男――朧の気配に気づき、迫る銀光を視界に入れた。
だが今の依姫に反撃の術はない、獲物である長刀は祇園の力を維持するために地面に突き刺したまま、抜けば拘束している妖怪達が自由になってしまう。
かといって他の神々を喚ぶ余裕もない、迫る斬撃の速度は速く重いものだ。
「っ!?」
「ぬう……!?」
だが朧の斬撃は依姫には届かず、両者の間に割って入ってきた幽香の日傘によって真っ向から受け止められていた。
「風見、幽香……」
「悪いわね、こいつの相手は私がやるわ」
「……またお前さんですかい、こっちは遊んでいる暇はないんですがねえ」
日傘を弾き、幽香と距離をとる朧。
「そっちは雑魚の相手で大変でしょう? こっちはこっちで手伝ってあげようとしているんだから、感謝しなさい」
「…………」
朧の力は他の妖怪とは比べ物にならない、少なくとも今の状況では些か不利だ。
まだ他の妖怪が攻め入る可能性もある以上……ここは彼女の好きにさせるのが良いだろう。
それに何よりもだ、幽香の瞳から強い闘志を感じ取り、武人として彼女に朧と戦わせたいと思ってしまった。
「……好きにしなさい、ですが相手の命を奪ってはいけませんよ?」
「それは約束できない……わねっ!!」
依姫にそう返すと同時に、幽香は動く。
狙うは朧の首一つ、情け容赦なく幽香は日傘を上段から降り下ろした。
「……致し方ありませんなあ、少し相手をして差し上げやしょう!!」
「前の私だと思ったら…大間違いよ!!」
■
――閃光が奔る。
狙いは正確無比、確実に相手の急所を狙った一撃は必殺の領域だ。
触れれば即死、掠っても致命傷を誇るその一撃を既に数十手放ちながらも、人狼族の青年――今泉士狼は表情に驚愕と焦りの色を宿していた。
彼の相手となっているのは、かつて彼の主である大神刹那に命を奪うように命令され、けれど敗北した妖怪の女性、八雲紫。
彼女はその細腕で大太刀に分類されるほどの巨大な刀を持ち、舞うように士狼の槍の一撃を防ぎきっていた。
(まさか、ここまで強くなっているとは……!)
前に勝負をしたのは二百年ほど前の話、自らも鍛錬を重ねてきたが当然相手も強くなっていると士狼とて予想していた。
だがその予想は懇親の突きを呆気なく防がれた瞬間、明らかに甘かった事を彼に思い知らせる事になった。
間合いでは分が悪い筈の槍の一撃を捌き、返す刀で確実にこちらの命を奪おうとしてくる。
(この二百年で、彼女はどこまで強くなった……!?)
敗北の二文字が、士狼の脳裏に浮かび上がる。
少なくとも楽に勝てる相手ではない、多少の損害を覚悟しても勝利には程遠い。
命を懸けねば勝利するのは無理だと理解し、士狼の瞳に改めて覚悟の色が宿る。
――と、そんな彼の覚悟をまるで理解できない輩が、動きを見せた。
「死ね、八雲紫!!」
「っ、貴様等……我等の勝負に横槍を入れるのか!!」
「決闘ごっこをやってるんじゃねえんだよ人狼、こちとら暴れたくて暴れたくて仕方がなかったんだ!!」
一斉に動き出す妖怪達、士狼と同じ人狼族の者達が止めようとするが、暴徒同然の彼等は止まらない。
「――邪魔、ですわね」
響き渡るは、紫の声。
つまらなげにそう吐き捨て、彼女は向かってくる妖怪達に視線を向けながら能力を発動。
刹那、実に六十七ものスキマが向かってくる妖怪達の真正面に開かれた。
「え――――ぎゅっ!?」
「ぎゃっ!?」
妖怪達は突然現れた隙間に驚くが、次の瞬間にはそのスキマに文字通り
僅か数秒、たったそれだけの時間であれだけ居た妖怪達は消え去り、残ったのは士狼と彼と同じ人狼族のみ。
「…………」
その光景に、士狼はおろか紫の味方である筈の藍ですら、彼女を恐怖に満ちた瞳で見つめていた。
あまりにも圧倒的過ぎる力、その力を目の当たりにして恐怖を抱かないほうがおかしい。
一方、当の紫の表情には疲労の色が見え息が乱れていた。
(永琳の薬で確かに力は増しているようだけど……身体がまだついていかないわね……)
予想以上の消耗だ、大幅なパワーアップを果たしたのは確かだがそれ以上の消耗が彼女の身体に襲い掛かっている。
だがそれは当たり前だ、成長には段階がある。
その段階を一気に飛ばした強化を果たしたのだ、力は増しても肉体がそれに追いつかない。
当然それを考慮して力だけでなく肉体の強化も永琳に頼んだのだが……それを差し引いても大きな消耗だ。
けれどもういいだろう、少なくともここでの戦いは終わりを迎えた。
既に士狼や残りの人狼族に戦う意志はない、それを確認して紫は光魔と闇魔をスキマの中に戻そうとして。
「――――思った以上に足掻きますわね、忌々しい」
憎々しげな女性の声が、耳に入ってきた。
「っ、アリア……!?」
空間に亀裂が入り、その中から現れたのは赤髪の女性、アリア・ミスナ・エストプラム。
紫に冷たい視線を向けながら登場したアリアであったが、その身体には幾つもの傷が刻まれていた。
「……敗れてしまったようですわね、今泉士狼」
「ま、まだだ……まだ俺は戦える!!」
アリアの声にそう返しながら、身構える士狼。
「――八雲紫との実力差を思い知った状態で、吼えても滑稽なだけですわ」
「っ」
だが次にアリアが放った一言で、士狼は今度こそ完全に戦う意志を殺がれてしまった。
そんな彼を一瞥し、アリアは再び紫と対峙する。
「……また、違う結末ですか」
「…………?」
「まあいいでしょう。これ以上戦いを続けてもこちら側の敗北は必至……引き際ですわね」
「逃がすと思っているのかしら?」
瞬間、紫の瞳がどす黒い色へと変化する。
能力の完全開放、自らの身体が軋みを上げるがそんなものに構ってはいられない。
それだけの相手なのだ、しかし――アリアは紫のその姿を見てもまったく動じず、寧ろ憐れみを込めた視線を向けてきた。
「――危険な力をそうも簡単に使って、本当に自らの望む世界が作れると思っているのですか?」
「何を……」
「力とはそれだけで争いの元となり、力を持つ者は持たざる者とは決して理解しあう事はできない。
力ある妖怪は、力無き人間と理解し合うことはできない。それが自然の摂理であり絶対の理」
「――――」
「そして八雲紫、その事実は誰よりもあなた自身が理解している。
でも“彼”が居るから、“彼”の夢が綺麗で尊いものだから……わかっているくせに目を逸らして、偽りの道を歩み続けている」
「…………貴女は、一体何者なの?」
得体の知れない存在だという事は、十二分にわかっていた。
初めて会った時から、不気味で相容れない存在だという事も充分に理解していた。
だが、改めて紫は目の前のアリアという存在に恐怖した。
「偽りの道を歩めば待っているのは屈辱と苦しみだけ、ならば力ある者達だけが平和に生きる世界を作りなさい。――彼を失いたくないのなら」
「え――」
紫がその言葉を意味を理解する前に、アリアの姿が霞のように消えてしまう。
アリアだけではない、士狼と他の人狼族の姿も消え……場に不気味な程の静寂が訪れた。
しかし紫はその場から動く事ができなかった、動いた所でアリアを追う事は叶わなかったが…先程の彼女の言葉が、頭から離れず消えてくれない。
(どうして、あれではまるで彼女は私達の事をよく知っているような……)
疑問は疑問を呼び、そしてその疑問は恐怖と……ある違和感を抱かせる。
今まであのアリアという女性には得体の知れない不気味な妖怪であり、倒さねばならない敵という認識しか抱いていなかった。
無論敵という認識が変わったわけではない、けれど――紫の中でアリアに対する何かが変わったような気がした。
一体何が変わったのか、それは彼女自身もわからず困惑するが…思案する彼女の前に、新たな人物が姿を現す。
「――紫、藍、大丈夫!?」
「永琳……って、その傷はどうしたの!?」
現れたのは慌てた様子で紫達の元に駆け寄ってくる永琳、けれど彼女の身体には痛々しい傷が刻まれていた。
衣服は裂け、後ろで三つ編み状に纏めていた髪は解け、赤い血が腕から地面へと幾度となく落ちていく。
見るからに重症だ、しかし永琳はそんな紫の心中を悟ったのか安心するように口を開いた。
「大丈夫よ。蓬莱人である私にはこんな傷や失血では死なないから。
そんな事より、アリア・ミスナ・エストプラムがこの月に現れたのよ。さっきまで相手が展開していた結界内で戦っていたのだけれど……」
「……彼女は消えたわ、多分侵略していた妖怪達も姿を消していると思う」
「えっ? ……どういう事なの?」
「敗北を認めていたわ、きっと有象無象の妖怪達は龍人達にやられたのでしょうね」
「…………」
意識を月の都全体に向ける永琳。
……確かに玉兎や紫達以外の妖力は感じられなくなっている、紫の言う通り侵略者である妖怪達は撤退したのだろう。
月が勝利するという未来は、永琳にとって決められているも同然の未来だった、こう言ってはなんだが紫達が居なくとも綿月姉妹や玉兎達だけでも充分に対応できるとわかっていたから。
ただ極力犠牲を増やしたくないという豊姫の方針でレイセンが自分達に協力を申し出たのだ、その時点で侵略者達に勝ち目など一分も無かったのは明白。
――しかし、永琳には解せなかった。
何故こうも簡単に引き下がった?
アリア・ミスナ・エストプラムという妖怪の力を理解している永琳には、それだけがどうしても解せない。
現に結界内で永琳と死闘を繰り広げていたというのに、突如として彼女は逃げるように永琳を結界内に閉じ込めたまま消えてしまったのだ。
紫達が危険だと思い永琳が強引に結界を破って戻ってきてみればこの現状である、納得できないのは道理であった。
(最初から相手は、いえ……アリアは月を侵略するつもりはなかった?)
だとすると、一体何の目的で妖怪達に力を貸したのだろうか。
これだけの事を引き起こして、ただの気紛れで力を貸すとは当然思えない。
……そこまで考え、永琳は自ら思考を一度完全に切り替える事にした。
確かに解せない点は幾つもあるものの、今は目の前で荒い息を繰り返し苦しげな表情を浮かべている紫を楽にさせてあげなくては。
それに他の戦況も気になる以上、ここで立ち止まっている場合ではない。
「紫、歩ける?」
「…………ええ、大丈夫よ。藍、戦いは」
「――――っ」
「……藍」
紫が藍に視線を向けた瞬間、彼女の表情に確かな怯えの色が見えた。
それを見て一瞬悲しげな表情を見せる紫であったが、すぐさま優しく柔らかな表情と声で藍に言葉を掛ける。
「藍、ひとまずゆっくりと休みましょう? それと……恐がらせてごめんなさいね?」
「ぁ……い、いえ、紫様が謝る必要などありません! わ、私が……申し訳ありません。主である紫様になんて無礼な事を……」
「いいのよ藍、ありがとう」
そう言って藍の言葉を遮り、紫は彼女の頭を優しく撫でてあげた。
……恐れられているのは慣れている、まだ未熟な藍では先程の自分の力を見て恐怖を抱くのは当たり前だ。
だから紫は藍に対して何も言わない、でも……少しだけ、ほんの少しだけではあるが。
彼女にあんな表情を向けられたのは悲しいと、彼女の心が静かに訴えていた……。
■
「――おい、どういうつもりだ!!!」
「どういうつもり、とは?」
殺気立った妖怪達の視線が、たった1人の女性に向けられている。
ここは地上、月にとって穢れに満ちた世界。
人も獣も立ち入らぬ深い森の中で怒鳴っているのは、先程まで月に居た妖怪達であり、突然自分達を月から地上に戻した赤髪の女性、アリアに対し怒りを向け怒鳴り散らしている。
妖怪達にとって彼女の行動は裏切りも同じ、怒りを抱くのは当然であった。
しかし、そんな中でもアリアの表情は穏やかな笑みのまま変わる事はなく、彼女は静かに妖怪達に向けて言葉を返した。
「お言葉を返すようですが……ワタシが地上に戻さなければ、今頃あなた方は月の者達にやられていたのでは?」
「っ、そ、それは……!」
まさしくその通り、けれどそんな事で妖怪達は納得しない。
「だ、だったらすぐにオレ達を月に戻せ! オレはまだ月人を食ってないんだぞ!!」
「おれだってそうだ!!」
「そうだ、すぐに戻せ!!」
戻せ、戻せ、妖怪達は口々に自らの身勝手な欲望をアリアに向けて放っていく。
その姿を少し離れた場所で見ていた士狼は、あからさまに表情を歪ませ妖怪達に嫌悪感を抱いた。
……けれど、その耳障りな声はすぐに聞こえなくなる。
「――ご苦労様でした。おかげで……良い
まるで女神のような優しさに満ちた、同時に何処か狂気を孕んだ声でアリアがそう言った瞬間、場が地獄へと変化した。
舞い散るのは赤い鮮血、瞬く間に周りの木々や地面を赤く穢していくそれは、先程までアリアに怒鳴っていた妖怪の一匹から放たれたものだった。
……何が起きたのか、周りの妖怪達は理解できず間の抜けた表情のまま固まってしまう。
そんな彼等にアリアは変わらず笑顔のまま、右手に持っていた獲物を無造作に振るった。
刹那、銀光が奔り――他の妖怪達の身体を一匹残らず上下に両断してしまった。
「な――」
「試し切りにしては、あまりにも呆気ない獲物ですわね」
「ア、アリア……貴様、何のつもりだ!?」
「何のつもりもなにもありませんわ、ただワタシは有象無象の雑種を斬り捨てただけの事。一体あなたにどんな不利益があるというのですか?」
アリアは笑う、美しく残酷な笑みで。
その笑みを見た瞬間、士狼達はまるで金縛りに遭ったかのように動けなくなってしまった。
そんな彼女の右手には、見た事のない剣が握られていた。
刀ではない、両刃を持つ西洋のロングソードに近い形状。
しかし刃は厚く、白銀に輝く刀身には龍の紋様が刻まれている。
……このような状況だというのに、士狼はその剣を見て魅了されてしまった。
「これは“神剣”と呼ばれる月の秘宝の一つ、かつて龍神王“
「月の秘宝、だと? 何故お前が………………まさか」
「ええ。――まさかワタシが何の見返りも無くあなた方に協力したと思っていますの? ワタシの狙いはこの宝剣、ですがワタシ1人だけで動くには限界がある」
だからこそアリアは、月への侵略を企てる妖怪達に協力を申し出た。
甘い罠で唆し、囮として利用し……自らの目的を果たしたのだ。
「――成る程、あっしらはまんまと利用されたってわけですかい?」
「っ、朧……!」
「あら? よく神剣の一撃を防ぎましたわね」
「運が良かっただけでさあ、しかし……お前さんは本当に恐ろしい女だ」
「褒め言葉と受け取っておきますわ。ですが勿論協力してくださったあなたには報酬を差し上げます」
そう言ってアリアは、朧に一本の刀を、士狼には透明な液体が入った小瓶を手渡す。
「その刀は妖刀“
「…………我々を、始末しないのか?」
「有象無象の雑種はいくら斬り捨てても問題ありませんが、あなた方は別です。それにワタシも少々疲れましたので……ここであなた方とやりあうつもりはありませんわ」
「…………」
「ではワタシはそろそろお暇させていただきますわ。――ごきげんよう」
優雅に一礼し、アリアの姿が士狼達の前から消え去った。
残されたのは憐れな妖怪達の骸と、悔しげな表情で唇を噛み締めている士狼、そして無言のまま天空丸を見つめる朧だけが残された。
……利用された、その事実は士狼にこの上ない屈辱を与える。
だがその屈辱を晴らす事はできない、自分と相手では明らかに力の差が明白だからだ。
「……アリア・ミスナ・エストプラム、この屈辱……忘れんぞ!!!」
自らに誓うように、士狼は怒りの声で吐き捨てる。
――血の臭いを孕んだ風を、その身に受けながら。
To.Be.Continued...
ちょっと呆気ない幕切れ、ですがガッチリバトルを書くともう三話ほど続いてしまいますし、当初の予定でここではガッチリバトルは書かないつもりでしたのでご了承ください。