綿月姉妹、そして紫達はそれらに対応するために動き始める……。
「うおおおあああああっ!!!」
(…………参ったな)
迫る拳を両手を用いて弾いて防御しながら、龍人は内心困っていた。
赤毛の少女は容赦なく拳や蹴りを自分に叩き込んでくる、その速度と重さはさすが妖怪というべきか、彼が想像していたよりも遥かに優れている。
だが、優れているといってもそれだけ、今のように両手だけで弾ける錬度でしかない。
はっきり言って目の前の少女は相手にならない、彼が困っているのは別の理由だ。
少女の攻撃を捌きながら、龍人はちらりと視線をレイセンへと向ける。
彼女の前には数十を超える数の妖怪達が居る、龍人が少女の相手をしている以上、彼女1人であれだけの数の相手をしなければならない。
レイセンが圧倒的に不利なのは明白、妖怪達もそれがわかっているのか誰もが勝ち誇った笑みを浮かべている。
けれど妖怪達はすぐに襲い掛かりはしない、もっと相手の恐怖心を煽ってから……ゆっくりとその心と身体を喰らおうという魂胆なのだろう。
悪趣味な、しかし妖怪としてはある意味当然の本能に従っていると言える。
――尤も。
――そのくだらない魂胆は、決して叶わないのだとその身を以て理解させられてしまうのだが。
「……ねえ、ちょっといい?」
「ああ? なんだお嬢ちゃん、命乞いか? それとも……自分からオレ達にその身体を捧げようって思ったのか?」
「…………」
汚物を見るような視線を、妖怪達に向けるレイセン。
だがその言葉に答えを返さず、レイセンは更に問いを続ける。
「あの妖怪、無理矢理戦わせてるみたいだけど……脅しているの?」
「脅してる? 人聞きの悪い事言うなよ、オレ達はアイツの世話をする、代わりにオレ達の為に戦う。利害の一致ってヤツだ」
(よく言う……)
衣服とは到底呼べないボロ布に身を包み、よく見れば身体の至る所に打撲痕が見える。
とても“世話をしている”わけなどないのは明白、寧ろ胸糞悪い事をこの妖怪達はあの少女にしているのだろう。
「……私は、あなた達を殺さない」
「あ?」
「死はそれだけで穢れとなる。特にあなた達のような穢れきった者の死と地をこの月の大地に流させるわけにはいかない、だから――」
――身体じゃなく、その心を殺す。
怒りを込めたその言葉を吐き出した瞬間、レイセンの紅い瞳が輝き始め。
瞬間、妖怪達はレイセンによって地獄へと叩き落された。
「――う、うあああああああっ!!?」
妖怪達の口から、情けない悲鳴が吐き出される。
「な、なんだこれは……なんでこんなのがいきなり……!?」
自分達の身に一体何が起きたのか、彼等は理解できないまま――“それ”を視界に捉えた。
――現れたのは、漆黒の鱗に覆われた巨大な“龍”だった。
血走った赤い瞳は見るだけで生きる気力を奪われ、黒光りする鱗はありとあらゆる物質を通さぬ堅牢さを物語っている。
その身体の大きさはまさしく山、脚に生える爪は全てを切り裂く名刀に等しい。
生物の頂点に位置する“龍”が、突如として妖怪達の前に姿を現していた。
「に、逃げろ……逃げろおおおおおっ!!」
一目散に逃走を選択する妖怪達、しかしその判断は決して間違いではない。
見ただけでわかるのだ、目の前の存在にとって自分達など道に転がっている小石以下に過ぎない。
ちょっと小突かれただけでもズタズタにされ、哀れな餌に成り下がるは明白。
「っ!!? な、なんで身体が……!?」
「う、動かねえ…ど、どうなってやがる!?」
だが、妖怪達に逃走は許されない。
まるで自分の足が石像になってしまったのように、否、足だけでなく全身が動かなくなっている。
――黒龍の瞳が、妖怪達に向けられる。
「ひ、ひぃぃっ!!」
「た、たす、助け……っ!」
ガチガチと歯を鳴らし、決して通らぬ命乞いをする姿はまさしく滑稽の一言に尽きる。
「…………グルルルル」
そんな哀れな餌達に、黒龍は小さく唸り……口を開いた。
巨大な身体に相応しい巨大な口が限界まで開かれ、中にはびっしりと鋭利で巨大な牙が生え揃っている。
そして――黒龍は情けも躊躇いもなく、数十匹の妖怪達を丸呑みにした。
■
「く、うぁ……」
ザザザ…と、地面を滑りながら後退する赤毛の少女。
「……もういいだろ。ここまでにしろ」
赤毛の少女にそう言いながら、龍人は構えを解こうとするが……少女の態度は変わらない。
(まいったな……なんか、すげえ悪い事をしてる気分だ……)
戦意も敵意もない相手との戦いが、これほどまでに精神的にくるものだと理解し、龍人は静かに溜め息を吐き出す。
これならば剥き出しの殺意を向けてくれた方がまだマシだと言えるほどだ、とはいえこのまま無駄な時間を過ごす余裕はない。
月の都のあちこちから妖怪の気配がする、その中には当然強い力も感じられ……しかもその力は、前に感じたものと同じ。
仕方ねえ、赤毛の少女に心の中で謝罪しつつ、龍人は勝負を決めた。
「雷龍気、昇華!!」
「――えっ!?」
龍人の身体に纏わり付く、電気エネルギー。
それを見て赤毛の少女は驚愕し、瞬間――龍人の姿が視界から消えた。
紫電を用いて少女の背後へと回り込む龍人、一瞬遅れて少女はこちらに気づくが、その前に龍人は少女の身体に手刀を叩き込んだ。
なるべく身体にダメージが残らないように、けれどその一撃は容易く少女の意識を奪い去った。
倒れる少女を抱え、龍人はすぐさまレイセンの援護に回ろうとして……信じられない光景を目にした。
「レイセン、“これ”……お前がやったのか!?」
表情と同じく驚愕を孕んだ声で、龍人はレイセンに問う。
だが彼の驚きも仕方ないだろう、レイセンの目の前には……先程居た妖怪達全てが力なく倒れているのだから。
呼吸をしているので死んではいないだろう、しかしこれだけの数の妖怪をたった1人で倒したというのは龍人にとっては驚愕であった。
レイセンが龍人へと振り向く、その真紅の瞳からは――血が涙のように流れていた。
「っ、レイセン、怪我したのか!?」
「ううん。平気……ちょっと、能力を使い過ぎた反動だから」
「能力?」
「私の能力で、こいつらにとっては現実になる幻覚を見せたのよ。
――もうこいつらは現実に戻ってこれない、今頃自らが生み出した幻覚に殺されたから」
レイセンは、“物の波長を操る”という特殊な能力を持っている。
先程妖怪達が見た黒龍もレイセンの能力による幻覚であり、けれどそれは並の妖怪が扱う幻術とは範囲も効果もその鮮明さも桁外れだ。
幻覚であってもその者が“現実”だと認識すればそれは現実になり、事実妖怪達はもう二度と起き上がる事はできないだろう。
だが肉体は健康そのものだ、尤も――心を殺してしまった以上、いずれ衰弱し結局は死に至るだろうが。
けれどここでは殺せない、穢れを持つ地上の妖怪達は地上で死ななくてはならないから。
だからレイセンは肉体ではなく心を殺した、妖怪達にとっては……どっちの方が幸福だっただろうか。
しかしそのような強大な力を使えば代償もそれ相応のものとなる、瞳からの出血はその代償の証だ。
「……龍人、他の妖怪達を止めに行きましょう」
「えっ、でも……」
「この妖怪達なら放っておいても大丈夫。さっきも言ったけどもう二度と現実には戻れないし、いずれ豊姫様の能力で地上に戻されるだろうから。
……ところで、その妖怪はどうするの?」
レイセンの視線が、彼に抱えられている赤毛の少女へと向けられる。
「こいつは悪いヤツじゃない、無理矢理戦わされてたみたいだし衰弱もしているから……」
「……うん、わかった。でも龍人がちゃんと面倒みてよ?」
勿論、即座にそう返す龍人にレイセンは頷きを返してから、彼と共にこの場から移動を開始した。
■
――情けない、藍は自らの未熟さをここまで呪った事はなかった。
先程の件で頭を冷やそうと永琳の研究室を一旦離れた彼女であったが、その直後に研究室から異変が起こった事を察知。
すぐさま主の元へと戻ろうとして、突如として現れた妖怪達に藍は足止めされてしまう事になってしまう。
主も同様の状況に陥っているかもしれないというのに、式である自分がこの体たらくである。
その事実は藍に怒りと苛立ちを覚えさせ、けれどすぐにこの場を突破する事は彼女には叶わない。
「……四尾の妖狐、か。我々に敵対する意思を見せるという事は…お前も八雲紫の関係者というわけだな?」
妖怪達の先頭に立つのは、右手に呪いの槍を持つ人狼族の若き戦士。
出会ったのはこれが初めてだが、藍はすぐさま目の前の男が何者なのかを知る。
…
「………今泉、士狼」
「左様。我が名は今泉士狼、しかし我が名を知っていても尚立ち向かおうとするとは……若いながらもなかなかに豪胆なものだ」
人狼族の青年、今泉士狼は自分に向かって睨みつけている藍の気概に感心しながら、槍の切っ先を彼女に向けた。
「願わくば敗北を認めこの場から去ってはくれまいか? 無用な殺生は好まない」
「おい人狼、何勝手な事言ってんだ!!」
士狼の言葉に、後ろに居た妖怪達の一匹が抗議の声を上げる。
しかし、士狼はその妖怪を一睨みで黙らせ、言葉を続けた。
「お前はまだ若い、いずれは妖怪として大成するだろう。故にそれだけの才を持つ者を殺すのは忍びない」
「ふざけるな、情けなど私に対する侮辱と知れ!!」
「……どうやらそのようだな、先程の言葉は撤回し非礼を詫びよう。すまなかった」
構えたまま、軽く頭を下げ謝罪の言葉を口する士狼。
それを見て、藍は目の前の男の“大きさ”に怖気づきそうになる。
……主の言うようにやりにくい男だ、妖怪でありながらこれだけの誇りと礼節を重んじる者はそうはいない。
故に藍は悟る、この今泉士狼という男には今の自分では敵わないと。
だが、それでも藍の頭に「降伏」の二文字は思い浮かばない。
自分は八雲紫の式、主に危害を加える者はたとえ神々であっても立ち向かうのが常識。
「……主思いの良い式だ、八雲紫はやはりいずれ我が主にとって脅威となるか」
致し方あるまい、立ち向かってくるというのならば……倒さねば。
決意を固め、士狼は明確な敵意と殺気を藍に向ける。
「っ」
気圧される、士狼から発せられる覇気に藍はおもわず一歩後退してしまった。
(負けるわけには……!)
主はまだ動けない筈、それまでは自分がなんとかしなくては。
命に代えても目の前の存在を打倒する、それだけの気概を込めて藍は士狼に向かって足を動かし。
「――――え」
刹那。
自分の心臓を貫こうとする銀光を、間抜けな顔で見る事になってしまった。
……避けられない。
迫る銀光はただ速く、決して抗える事などできない光の槍だ。
ああ死ぬのかと、当たり前のように理解させられ受け入れしまうほどに、見事な一撃。
(……申し訳ありません、紫様)
自身の不甲斐なさを主に詫びるが、それは届かない。
一秒にも満たぬ時間で槍は藍の命を奪い、彼女の物語はここで幕を閉じる。
「ぬおおお……っ!?」
「…………え?」
しかしその時は訪れず、代わりに聞こえたのは士狼の悲鳴と無数のレーザー音。
何者かが士狼に攻撃を仕掛け自分の命は助かった、それを理解できた藍であったが、それ以上の事はわからず茫然としていると。
「――人の式に、手を出さないでくださいます?」
後ろから、聞き慣れた……尊敬すべき主の声が聞こえてきた。
「紫様!!」
おもわず後ろに振り向いた瞬間、藍は紫へと飛び込むように抱きついてしまう。
その行動に紫は驚きつつも、しっかりと藍を抱き止めた。
「藍、心配を掛けてしまったのはわかるけど、私の式だというのにそんな情けない姿を晒しては駄目よ?」
「も、申し訳ありません……つ、つい……」
自分の行動を恥じるように頬を赤らめ、紫から離れる藍。
そんな彼女の姿が可愛らしく、紫はそっと彼女の頭を撫でてあげた。
「……久しぶりだな、八雲紫」
「ええ、できれば二度とお会いしたくありませんでしたけど」
藍を庇うように前に出て、先程の飛光虫ネストを受けても無傷だった士狼と対峙する。
「あなたも大変ですわね、あの傍若無人と傲慢の塊である男に月を落とせという無茶な命令でもされたのかしら?」
「……我が主は龍哉から受けた傷がまだ癒えん。五大妖の1人である我が主が、二百年以上経った今でも傷に苦しんでおられるのだ」
(龍哉のヤツ、あの時刹那に呪いでも仕掛けたのかしら?)
「しかしこの月にはあらゆる傷を治す霊薬があると聞いた、それを得るためならば……月とて落としてみせよう」
「一体誰からそんな情報を聞いたのかしら? いえ……一体誰に
「…………話は終わりだ」
身構える士狼、紫もスキマから闇魔と光魔を取り出し両手で握り締める。
「藍、あなたは下がっていなさい」
「…………畏まりました」
「――八雲紫、あの時着ける事のできなかった決着……ここで着けさせてもらうぞ!!」
逞しく吼え、士狼が動く。
真っ直ぐ迷う事無く紫へと向かって踏み込み、されどその踏み込みは藍の時よりも速い。
狙うは頭部、まさしく先手必勝の理にて彼は一撃で勝負を決めようとして、重く低い金属音を耳に入れながら後方に吹き飛ばされた。
着地と同時に再び槍の切っ先を紫に向け、けれど今度は攻撃に転じようとはしない。
最速の踏み込みだった、今泉士狼が出せる最大級の速度と威力を以て彼は一気に勝負を決めようとして、失敗した。
「――次は、こちらの番ですわね」
静かに告げ、今度は紫が攻撃に転じる。
その速度は自分の踏み込みにも勝るとも劣らず、士狼は回避ではなく防御を選択に選び刃を交えた。
轟音とも呼べる金属音が辺りの空気を震わせ、今度こそ両者は互いの命を奪うために本格的にぶつかり合った――
To.Be.Comtinued...
ころころと場面が変わった部分が多いですが、試験的に色々な戦いを同時進行で進めようと思いこのような書き方になりました。
ややこしいですかね? もしそうなら次にこのような場面を書く際に気をつけてみます。