戦いに備えながら、彼女達は月人達との交流を深めていく………。
「――凄い部屋ね、これは……全て薬なのかしら?」
「そうよ。ここは私の研究室。どうやら掃除はしていたようだけどそれ以外はそのままの状態にしていたようね」
「…………」
「ああそうそう、あまり不用意に触らない方がいいわよ。妖怪であろうと関係なく命に関わるような劇薬も沢山あるから」
「…………はい」
永琳の言葉を聞き、伸ばしていた手を引っ込める藍。
――現在、紫と藍は永琳と共に彼女が月に居た頃に使用していた八意家の研究室へと足を踏み入れていた。
入ってすぐに目に付いたのは、巨大な棚に均一に並べられた大量の瓶だった。
一つ一つにラベルが貼られており、永琳の話によればこれら全てが彼女の作った薬らしい。
ざっと見ただけで数万という種類はある、これら全てを管理していたのだろうか?
「永琳、あなたは医者ではなかったの?」
「いいえ違うわ。八意家は代々薬師の家系でね、私はその中でも天才と呼ばれる程の才能を持って生まれたの」
「……よく自分で言えるわね」
事実だからしょうがないわ、あっけらかんと返す永琳に紫はおもわず苦笑した。
「薬師は勿論として、医者でもあり研究者でもあり戦闘員でもあり……まあとにかく、月に居た頃はそれこそほぼ総ての分野に関与していたわね」
昔を思い返すと、あの頃の自分はただひたすらに吸収した自らの知識を生かしたくて堪らなかった。
だからなんでも首を突っ込み、しかもその才によって大きな結果を残し、また首を突っ込み……そんな事を繰り返して、気がついたら【月の頭脳】などと呼ばれてきた。
「自分の知識が結果として残るというのが面白くてしょうがなかったわ、でも――だからこそ、私は間違いを犯してしまった。“蓬莱の薬”という禁薬を作ってしまったの」
「……不死の薬、だったかしら?」
「元々は姫様の依頼だったけど、私はその薬を作る事で何が起こるのかも考えずに作ってしまった。――自分の知識欲と自己顕示の為に、姫様の生き方を変えてしまった」
ああ、なんと罪深い事か。
気づいた時には既に遅過ぎた、輝夜は月から追放され穢れた地上に堕ちてしまった。
自分があの禁薬さえ作らなければ、彼女は今もこの月で全ての月人から愛されて生きていただろう。
それを奪ってしまったのだ、罪と言わず何と言うのか。
……けれど、他ならぬ輝夜によって永琳の罪は許された。
「――都であなた達と別れた後、あの永遠亭で暮らすようになってから、姫様に「ありがとう」と言われたの。
蓬莱の薬を作ってくれてありがとうって、皮肉でも同情でもなく……心から感謝の言葉を言ってくれた」
そのお陰で自分はこの地上に来れた、一生心に残る人達にも会う事ができた。
穢れの中で精一杯生きる、逞しい人間の美しい姿と心に触れる事ができたと、輝夜は言った。
月人のままでは決して経験できなかった事をできるようにしてくれて、感謝していると彼女は言ったのだ。
無論、それだけで永琳は自分の罪が消えたとは思っていない。
如何に輝夜が感謝しようが許そうが、罪が消えるわけではないのだ。
けれど輝夜のその言葉で、永琳が救われたのもまた事実だった。
「……ごめんなさいね、急にこんな話をしてしまって。ここに来たからつい昔の事を思い出してしまったみたい」
「いいえ。少なくとも私は貴女の事が知れて良かったと思っているわ、貴女はどう思っているかわからないけど、私は貴女の事を友人だと思っているのだから」
「…………ありがとう」
そう言って、永琳は穏やかな笑みを紫に向ける。
成熟した女性の、けれどどこかあどけなさも感じる美しい笑みに、同じ女性であるのに紫は魅了されそうになってしまった。
「あの……所で紫様、私達は何故ここに来たのでしょうか?」
「っ、そ、そうだったわね……」
藍の声で我に帰り、紫は声を掛けてくれた式に内心感謝した。
そもそも龍人達と別行動をして、わざわざ永琳と共に彼女の研究室に来たのには勿論理由があった。
彼女は様々な薬を精製できる知識と能力がある、それこそ先程言った不死の薬ですらだ。
「永琳、貴女妖怪にも効力がある薬も作れるの?」
「勿論よ、何か作ってほしい薬でもあるのかしら?」
「――ええ、少し貴女にお願いしたい事があるのよ」
そう前置きして、紫は永琳に自らの願いを話す。
すると、永琳は少しだけ驚いたような表情を浮かべてから、やがて紫に向かって大きく頷きを返したのだった。
■
「――輝夜、この花は一体何かしら?」
庭園に咲く花を指差しながら、幽香は隣に居る輝夜へと問いかける。
幽香が指差したのは、白い花弁を持つ強い発光を放っている不可思議な花であった。
「これは
「ええ。まるで朝焼けのような優しい光ね、それじゃあこれは?」
今度は先程よりも不可思議な花であった。
まず花弁が一枚ずつ黄、青、緑、白と分かれている、それだけでも不可思議だというのに……この花から高濃度の酸素が絶えず放出し続けている。
「これは月でも貴重な《エアフラワー》っていう花よ、花弁から高濃度の酸素を放出するのだけど、これを食べれば暫く無呼吸状態で活動ができるの」
「無呼吸で……?」
このような珍しい花を見ただけでも驚いたが、輝夜の言葉に幽香は再び驚きを見せた。
生物は呼吸なしでは生きられない、それは人間よりも遥かに肉体的強度に優れた妖怪であっても例外ではない。
「これは二百万年前ぐらいに永琳が品種改良して生み出した花らしくて、空気の無い表の月で活動する為に作ったんだって」
「……出鱈目ね、あの女」
「月の都の創設者の1人だもの、出鱈目なのは当然よ。まあ結局今の月の都が出来上がった事で表の月で活動する意味が無くなってしまったから、こうやって観賞用の花になってしまったのだけれど」
(……わかってないわね)
内心で輝夜を小馬鹿にしつつ、幽香はこのエアフラワーの力にただただ感嘆していた。
無呼吸状態で活動できるほどの高密度の酸素を放つ、その恩恵は呼吸だけには留まらない。
まずそれだけの酸素量を体内に取り込めば血流は良くなり、新陳代謝が格段に向上する。
それはそのまま自然治癒力の向上にも繋がり、怪我の治りが早くなるだけではなく重傷の状態でも生還できる可能性が飛躍的に増大する 。
朧との戦いで斬り飛ばされた幽香の右腕は既に癒着し、完全に元の状態に戻っていた。
元々彼女の再生力が高いというのもあるが、このエアフラワーが放出する高密度の酸素がこの月の都に充満しているのも要因の一つだろう。
だからこそ幽香はこのような花を作り出す事ができる永琳が出鱈目だと言ったのだ、しかし輝夜はその真意を理解していない。
「そういえば、あなたはよかったの?」
「何がよ」
「龍人みたいに、依姫に鍛えてもらわなくて」
「……私には不要よ、教えを請うなんて屈辱だわ」
そう、幽香にとって他者に教えを請うなど屈辱以外の何物でもない。
だからこそ、只今絶賛鍛えられ中の龍人の考えが、幽香には理解できなかった。
■
「――――くっ!!」
「どうしました、そんな太刀筋では当たりませんよ?」
庭園から少し離れた広場にて、龍人は依姫に向かって剣を振るっていた。
右手に持つ愛用の長剣をあらゆる角度から、情け容赦なく目の前の女性に振り放っている。
加減などしていない本気での攻撃だ、だというのに……龍人の剣は依姫の身体に当たるどころか掠りもしない。
全ての攻撃が見切られている、なので龍人は一度距離を離し【龍気】の力を用いる事にした。
「雷龍気、昇華!!」
「?」
「――紫電!!!」
龍気を電気エネルギーへと変換させ、身体に纏わせる龍人。
すぐさま紫電を発動、先程とは比べ物にならない速度で剣戟を放つ、が。
(っ、嘘だろ……これでも当たらないのか!?)
紫電を用いた剣戟でも、依姫には届かなかった。
驚愕する龍人に対し、依姫は初めて反撃に移った。
「し――!」
「っ、ぐぁ……っ!?」
放たれたのは、横薙ぎの一撃。
何の変哲も無い一撃だ、けれど軌道を合わせその一撃を受けた瞬間、全身が吹き飛んだと錯覚する程の衝撃が龍人の身体に襲い掛かった。
そのまま受けきれず後方に吹き飛んでしまう龍人、慌てて起き上がるが……その時には既に、彼の眼前には依姫の刀の切っ先が向けられた後であった。
「――ここまでにしておきましょう、龍人」
「…………おぅ」
切っ先が眼前から離れた瞬間、龍人は思わず安堵の溜め息を吐き出してしまった。
彼女にそのつもりなどなかったのはわかっているが、あの瞬間――殺されると思ってしまったのだ。
それだけの威圧感と覇気があの刀には込められていた、依姫の力を改めて思い知り龍人は己の力の無さを少しだけ恨んでしまう。
父を失い二百年という年月が流れる間、彼は自分のできる限りの努力を重ねてきた。
その成果は確実に出ているだろう、だが上には上がいる。
まだ自分はいつか戦わなければならない相手の域には到底達していない、果たしてその域に辿り着く日はやってくるのだろうか……。
「龍人、どうかしましたか?」
「……なんでもない」
「そうですか、では私は玉兎達の訓練に行かなければなりませんが……あなたも来ますか?」
「あ、うん」
立ち上がり、既に歩き始めている依姫の後を追う龍人。
向かった先は初めて依姫と出会った場所、そこでは玉兎達があの時と同じように訓練に励んでおり、その中にはレイセンの姿もあった。
皆が鬼気迫る表情で訓練に励んでいる、流石だなあと龍人が感心する一方、依姫は眉間に皺を寄せ睨むように玉兎達に視線を向けていた。
あんなに一生懸命訓練に励んでいるのに駄目なのだろうか、依姫は厳しいなと思う龍人であったが……どうやら彼女の表情が険しいのは、別の理由があるらしい。
「――あなた達、
まるで地の底から響き渡るような、依姫の声。
静かでありながらその威圧感は凄まじく、レイセンを除く玉兎達は動きを止め一斉に依姫から視線を逸らした。
「今、月がどういった状況なのかまるでわかっていないのね……いいわ、なら1人ずつ実戦形式で鍛え上げてやりましょうか」
『ええっ!?』
悲鳴のような叫びが、玉兎達の口から放たれる。
……成る程、依姫の表情が険しかったのは玉兎達が自分達が来るまで訓練を怠けていたのが原因だったらしい。
しかも“また”と依姫は言った、どうやらこういった事は一度や二度ではないようだ。
さあ誰からでもいいからかかってきなさい、それはもう素晴らしい笑みを浮かべて依姫は早速とばかりに地獄の稽古を開始する。
それを見て玉兎達はすっかり萎縮してしまい、中には涙目になっている者も。
自業自得とはいえ、龍人はほんの少しだけ彼女等に同情の視線を向けたのだった。
――それから、十数分後。
「……レイセン、大丈夫か?」
「…………あんまり、大丈夫じゃない」
龍人の視界に広がるのは、依姫のシゴキによって叩きのめされた玉兎達の姿であった。
同じように地面に突っ伏しているレイセンに声を掛けたが、返ってきたのは今にも消え入りそうな弱々しい返事だった。
「自業自得だな」
「うー……私はみんなにサボるなって言ったんだよ? それなのにみんなはのらりくらりと返事するだけで……」
「……大変だな、レイセンも」
よしよしと、龍人は労うようにレイセンの頭を撫でてあげた。
心地良いのか、ほにゃっと少しだらしのない顔になるレイセン、でも気持ち良さそうだったので龍人はそのまま撫で続ける事にした。
「はふー……気持ちいい……」
「そうか? 俺も前に頭を撫でられたことがあったけど、痛かったなあ」
「それは撫で方が下手なだけだと思う、龍人のは優しくて……暖かいよ」
少し強めだが、決して痛くはない。
優しく慈しむような撫で方だ、レイセンは目を細め呆気なく龍人に身を委ねた。
「――レイセン、いつまで休んでいるの?」
「ひぇっ!? あ、す、すみません依姫様!!」
依姫の厳しさが含まれた声を耳に入れた瞬間、夢見心地だったレイセンは一瞬で現実に引き戻される。
それと同時に龍人の手が頭から離れ、「あっ……」とレイセンは名残惜しむような呟きを零してしまう。
「さあレイセン、来なさい」
「レイセン、頑張れー!!」
「う、うん!!」
龍人の応援を受け、レイセンは表情を引き締め身構える。
それを見て、依姫は少しだけ驚きつつ、口元には嬉しそうな笑みを浮かべた。
――レイセンは、玉兎の中で抜きん出た武の才能を持って生まれた子だ。
だからこそ依姫は彼女を人一倍厳しく鍛えようとしている、しかしレイセンは他の玉兎達と同じように臆病な気質であり、強くなろうという意欲が薄かった。
自らの才を自らの手で殺してしまっていたのだ、だが今は違う。
レイセンの赤い瞳からは確かな決意の色が見える、今よりも強くなって見せるという強い決意が。
しかもその決意を抱かせてくれたのは、今もレイセンの応援をしている地上の民である龍人なのだから驚きだ。
(龍人、感謝しますよ)
心の中で龍人へと感謝の言葉を告げつつ、依姫は向かってきたレイセンに向かって剣を振るった。
――レイセンがやる気になってくれた事が嬉しくて、ついつい稽古に熱を入れ過ぎてしまったのはまた別の話。
To.Be.Continued...
楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いです。
なんだかんだで50話突破、皆様のおかげです。
とはいえまだまだ物語は続いていきます、これからもお付き合いしてくださると嬉しく思います。