一方、月の都では謎の男が玉兎達を襲い、レイセンが1人立ち向かおうとしていた……。
「――――っっっ」
仲間の無残な姿を赤い瞳で捉えた瞬間、レイセンは動いていた。
溢れんばかりの憎悪をその顔に宿し、彼女は一瞬で間合いを詰め男の顔面に右の拳を叩き込んだ。
刹那、レイセンは右手から固い衝撃を感じ僅かに顔をしかめる。
「――速いですなあ」
「くっ……!」
不意打ちの一撃が、まったく効いていない。
避けようともせずにまともに受けたというのに、男の顔には傷一つ付いていなかった。
すかさずレイセンは次の一手を放つ、人差し指を男の顔面に向け――そこから赤く輝く弾丸が放たれた。
それは男に着弾した瞬間爆発を引き起こし、その衝撃で男が掴んでいた玉兎が男の腕から離れる。
すぐにレイセンはその玉兎を抱きかかえつつ後退、辛うじて息をしている事に安堵しつつ、再び視線を男へと向けた。
「……成る程、そこらの兎よりは強い」
(効いてない……!?)
今の一撃もまともに受けた筈、だというのに男に対してはまったくダメージが通っていなかった。
とてつもない頑強さだ、レイセンの頬に冷や汗が伝い地面に落ちる。
自分だけではおそらく勝てない、他の玉兎よりも戦闘能力に優れたレイセンはすぐさま相手と自分との力量差を理解した。
だが当然相手は逃がしてはくれないだろう、自分を見るその漆黒の瞳が決して逃がさぬと告げている。
しかしだ、このまま悠長にしている場合ではない、レイセンと男の間には仲間である玉兎達が傷つき倒れているのだ。
中には虫の息になっている者も居る、時間を掛ければ間違いなく助けられない。
「仲間が、心配ですかな?」
「っ、アナタ何なの!? 地上の妖怪!?」
「ああ、そういえばまだ名も名乗っていませんでした。
――
「付喪神……」
「話はここまででいいでしょう、本来ならば“月王宮”と呼ばれる場所に転移する予定だったのだが、どうもあっしらの協力者というのは悪戯好きでいけねえ」
「っ、月王宮……!」
月王宮の単語が男、朧の口から放たれた瞬間、レイセンは一気に戦闘態勢へと入った。
仲間を一刻も早く助け出したい、そう思っているのは確かだが、月を統治している月夜見が居る月王宮に向かおうとしているこの男を、このままにはしておけない。
レイセンの瞳が妖しく輝き始める、それを見て朧は口元に愉しげな笑みを浮かべてから、腰に差してあった鍔の無い四尺はあろう長刀を鞘から抜き取った。
「あまり時間は掛けられませんのでねえ、悪いが……一気に決めさせてもらいましょうか」
「やってみなさい!!」
自分を鼓舞するように叫ぶと同時に、レイセンは再び朧に向かっていく。
……立ち向かっても勝てないとわかりながらも、玉兎としての使命を果たすために。
■
「――見返りなんて考えてねえよ。俺はただ友達である永琳と輝夜の故郷が襲われてるから、力になりたいって思っただけだ」
「…………はい?」
龍人の答えに、月夜見は数秒硬直し、その後に自分でも驚く程の間の抜けた声を出してしまった。
そんな自分に恥じながら、月夜見は視線を永琳に向ける。
……苦笑していた、それと同時に先程間の抜けた声を出してしまった自分を笑っていた。
恨めしげな視線を永琳に向けてから、月夜見は再び龍人へと視線を戻し問いかける。
「ただ、それだけなのですか? たったそれだけの理由で戦うと?」
「大事な友達の故郷が身勝手な理由で襲われてるのに、それ以外の理由が必要なのか?」
「…………」
ああ、と月夜見は心の中で呟きを零した。
目の前の少年の心は真っ直ぐだ、穢れがある地上の者とは思えないほどに。
ただ……その真っ直ぐさはひどく“歪”でもあった。
彼自身それに気づいていないだろう、だが彼の周りに居る者達はそれに気づいている。
「八意、蓬莱山、あなた方程の者達が彼に協力するのは」
「私は姫様から命じられたからというのもあるけど、彼は友人だからね」
「月夜見様、わたしも永琳と同じく彼を友人だと思っているからこそ力になりたいのです。友人だからこそ……彼を放ってはおけません」
「……そちらの者達も、同じ考えですか?」
紫達へと問いかける月夜見。
「私と藍は龍人の願いを叶えてあげたいから、ここに来たのよ」
「私はアンタ達月人がどうなろうと知ったことじゃないけど、暇潰しになりそうだからね」
「…………そうですか」
若干一名、なかなかに聞き捨てならない事を口走っていたが、この際気にするだけ無駄だろう。
……やはり気づいているようだ、龍人という少年の考え方に対する歪さに。
もう一度龍人の顔に視線を向ける月夜見、キョトンとしている彼の瞳は変わらず真っ直ぐであった。
月を統べる者として、本来ならば穢れを持つ地上の者達を受け入れるのは間違い、なのだろう。
だが、彼のこの真っ直ぐ過ぎる瞳は……受け入れたくなった。
「……いいでしょう。龍人、八雲紫、藍、そして風見幽香。
本来ならば地上の民であるあなた方を受け入れるわけにはいきませんが、我々に協力してくれるというのであれば特例としてこの月の都での滞在を許可致しましょう」
「ああ、絶対に妖怪達を止めてみせるさ!!」
「ふふっ、期待していますよ」
――かつて、自分を含めた月人達は地上で生きていた。
だが穢れによる寿命の訪れに恐怖し、穢れの無い月への移住を決め、今に至る。
その時の判断は間違いではなかった、なかったが……。
地上に生きる龍人のこの瞳を見ていると、もう少し地上で生きていても良かったかもしれないと、月夜見はふとそう思った。
生命力に溢れ、明日への希望に溢れている彼の瞳を見ていると、月夜見は永く忘れていたかつての感情を――
「…………っ」
「? 月夜見、どうしたんだ?」
突然月夜見の表情が強張り始め、それに気がついた龍人が声を掛けると。
「――招かれざる客が、現れてしまったようです」
「えっ……」
「何故今の今まで気づかなかったのかはわかりませんが……この月の都に、地上の妖怪が侵入を果たしてしまったようです」
「なっ――!?」
■
――再び場所は、月の都へと移る。
「――よく保った、予想以上でしたなあ」
「ぐっ、く……」
朧と名乗った妖怪との戦いを始めたレイセンであったが、状況は無残なものであった。
レイセンの身体の至る所には朧による刀傷が刻まれ、右の目に至っては自らの血で塞がれている。
息も乱れ、視界は霞み、左肩を右手で庇うその姿はただ痛々しい。
対する朧は息一つ乱す事は無く、身に纏う紺色の着物には少しの乱れも見えない。
まさしく圧倒的、レイセンの予想は当たり初めから勝負にすらならなかった。
――殺されると、レイセンは死の恐怖に襲われる。
元々彼女は、否、玉兎という種族は臆病で自分勝手な存在だ。
レイセンもその例に漏れず、その臆病さが彼女から戦意を完全に奪っていた。
未だに倒れたまま命の灯火が尽きようとしている仲間達を見捨てて、この場から逃げてしまいたいと願い始める始末。
しかしレイセンに非は無い、寧ろ玉兎をよく知る者からすれば立ち向かうだけ勇敢だと言うだろう。
「は、は、は……」
恐い恐い恐い恐い……!
足は震え、気を抜くと涙すら出できそうになる。
逃げなくては、自分では決して目の前の存在には敵わない。
仲間の事など考えている余裕なんかない、考えれば自分の命だって無くなってしまう。
自分の命以上に大切なものなんて存在しないのだ、ならば見捨てるのだって致し方ないではないか。
そう思った瞬間、レイセンは朧から背を向け全力でその場から逃げ出した。
「……無理もねえですが、ちと……薄情ですなあ」
それを、どこかつまらなげに暫く見つめてから、朧は地を蹴った。
一息、たった一息で朧は逃げるレイセンへと追いつき。
驚愕する彼女の視線を受けながら、手に持っていた刀を振り下ろし、彼女を真っ二つにしようとして。
「っ、むぅ……!?」
自分の斬撃を防ぐ何かが現れ、後退を余儀なくされた。
「……お前さんは」
「ふーん……その刀にその着物、もしかしてあなた……大妖怪“朧”かしら?」
「如何にも。そういうお前さんは風見幽香……でしたな?」
自分の斬撃を防いだ存在が幽香だとわかり、朧はその顔に若干の驚愕の色を示す。
この場に彼女が現れた事も驚いたが、その後ろ――レイセンを守るように現れた少年達も、彼の知る存在だった。
「金糸の髪と瞳……八雲紫さんですな?」
「ええ、そうよ」
「と、するとその隣に居る坊主は……龍人族の子である龍人ですかい。
いや驚いた、まさかこのような場所でお前さん達のような実力者に出会う事になろうとは……夢にも思いませんでしたよ」
「レイセン、大丈夫か?」
「……龍人、みんな」
「紫、藍、レイセンと他の玉兎達を助けよう!」
「わかっているわ龍人。藍」
「畏まりました、紫様!!」
レイセンを連れ、倒れている玉兎達の元へと向かう紫達。
一方、そんな彼女達には目もくれず、幽香の瞳は朧1人に向けられていた。
その瞳には好戦的な色を宿し、僅かに歓喜の感情も見受けられた。
「……よろしいのですかい? そちらさん方は月側についたんでしょう?」
「私は月人がどうなろうと知った事じゃないの、私がここに来たのはあくまで暇潰しの為。――よかったわ、最高の暇潰しができそうで」
「暇潰し、とは?」
「――朧。刀の付喪神として生まれながらも、その力は大妖怪と呼ぶに相応しい剣豪。アンタ相手ならおもいっきりやれそうね」
妖力を身体から放出しながら、口元に歪んだ笑みを浮かべる幽香。
成る程、つまり彼女は自分と戦う事を“暇潰し”程度にしか考えていないという事か。
傲慢な幽香の言葉に朧は苦笑しつつも、刀を持つ右手に力を込めた。
「随分と自信がおありなようですが……あっしに勝てると?」
「じゃあ逆に訊くけど、私に勝てると?」
「困りましたねえ。あっしにもあっしのやるべき仕事というものがあるんですが……いつまでも、
「……よく言ったわね。付喪神風情が!!」
幽香が動く、一息で朧との間合いを詰め右手に持つ日傘を上段から振り下ろした。
日傘といってもその頑強さは折り紙付きであり、更に幽香の強大な妖力が込められているので、鋼鉄の塊であってもまるでバターのように切り裂く程の切れ味を持っている。
まともに受ければそれこそ妖怪であっても致命傷たりうる一撃は、しかし。
「―――――」
「――だから言ったんでさあ、子供だって」
しかし、その一撃は呆気なく朧によって弾かれ。
返す刀で朧は、日傘を持っている幽香の右腕を根元付近から両断し。
更に三撃の突きを放ち、彼女の身体に風穴を開け吹き飛ばしてしまった。
「ぐっ、が、ぁ――!?」
衝撃、混乱、そして遅れて激痛が幽香を襲う。
地面を滑るように吹き飛ばされ、ゴロゴロと情けなく転がっていく。
歯を食いしばりながらその衝撃を殺し、幽香が無理矢理体勢を立て直しながら立ち上がった時には。
――既に、銀光が彼女の眼前にまで迫っていた。
一秒も待たずに訪れる死を自覚し、幽香は限界まで目を見開きながら……何もできなかった。
相手の行動に反応が追いつかない、頭では回避しなければならないとわかっていても身体がついてこない。
そんな馬鹿な、こんな呆気ない幕切れがあってたまるかと、幽香はそう思わずにはいられなかった。
相手は大妖怪、だからこそその力は強大で自分の暇潰しになると思っていた。
幽香はまだ若い妖怪ながらも、既に身に宿す妖力も単純な腕力も、今まで培ってきた戦闘経験も大妖怪の域に達している。
だというのに、幽香は朧という存在にまるで歯が立たなかった。
(なん、で――――)
なんたる屈辱か、勝てると微塵も疑わなかった相手に呆気なく敗北するなど信じたくも認めたくもない。
しかし現実は変わらない、朧の斬撃は幽香の身体を両断するには充分過ぎる破壊力と速さを持っている。
一方の幽香には回避する事も防御する事もできない、こうして間の抜けた顔のまま両断されるのを待つ事しかできなかった。
――だが、彼女の命は地上ではないこの月で失われる事はなかった。
「…………」
「くっ、うぅ……!」
「えっ……」
朧の刀は、幽香の身体には届かなかった。
幽香自身が何かをしたわけではない、彼女と朧の間に何者かが割って入り斬撃を防いだのだ。
防いだのは長く美しい金糸の髪を持つ少女、八雲紫。
両手にそれぞれ光魔と闇魔を持ち、それを交差するように構え彼女は朧の斬撃を真っ向から受け止めていた。
「……なかなか、ですなあ」
「くっ――あぁっ!」
「むっ……」
裂帛の気合を込めながら、紫は強引に朧の斬撃を押し返す。
数メートル後ろに後退する朧、それを確認してから紫は視線は朧に向けたまま幽香へと声を掛ける。
「幽香、とりあえず斬り飛ばされた右腕を回収して後退しなさい、止血と腕の修復は藍がやってくれるでしょうから」
「は? 冗談言わないでよ紫、このままおめおめと引き下がれっていうの!?」
激昂する幽香に、紫は冷めた目を彼女に向け……現実を言い放つ。
「そんな状態で何ができるのよ。それにあなたじゃ目の前の相手には勝てないって、他ならぬあなた自身がわかっているんじゃない?」
「……ふざけないで。この私がそんな」
「自分の力を過信し、弱さを認めない半人前のままで居たいのなら好きになさい。敗北を知らないからこその態度なのでしょうけど、世界にはあなたなんかより強い存在なんかそれこそ星の数ほど居るのよ」
話は終わりよ、そう告げて紫は意識を再び朧へと向ける。
先程の攻防でわかった、目の前の相手はまさしく強敵だと。
光魔と闇魔を持つ両手が僅かに痺れてしまっている、ただの一撃を受け止めただけでだ。
しかしやらなければならない、龍人と藍は玉兎達の治療にあたっているし幽香もこの調子では戦えない。
それにだ、たとえ相手が強敵であっても乗り越えなければならないのなら、なんとしても勝たなければ。
「困りましたなあ、これじゃああっしの仕事が終わりそうもねえ」
「……誰の命令で動いているの?」
「それは言えませんよ、雇われの身である以上はね」
「そう……それもそうね」
短く告げると同時に、紫が動いた。
足に妖力を込めそれをブースター代わりに放出、瞬間的にではあるが機動力を大幅に上昇させ紫は朧との間合いを詰めた。
上段から光魔と闇魔を振り下ろす、それを――朧は刀一本で受け止めてしまう。
互いの刀がぶつかり合った瞬間、地面が僅かに陥没し周囲に小さな突風が巻き起こった。
再び離れる両者、厳しい表情を浮かべる紫に対し、朧は何処か愉しげな顔を見せ。
「致し方ありやせん、もう少しここで戦う事にしましょうか」
初めて紫に対し明確な敵意と殺気を放ち、朧は戦闘態勢へと移行した。
To.Be.Continued...
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もしそうなら幸いに思います。