彼女を連れて永遠亭へ向かった紫達は、玉兎の口から月で起こっている異変を知ったのであった。
「――な、何故ですか!?」
妖怪兎の少女の悲鳴に近い声が、永遠亭に響き渡る。
少女は困惑していた、捜し求めていた永琳に出会い、月の危機を知らせ、一緒に来てくれるのだと当たり前のように思った。
だが現実は違う、永琳から返ってきたのは冷たい返答、それを聞いて困惑しない方がどうかしている。
一体どうしてなのかと訴えてくる少女に、永琳は先程と同じ冷たい口調で言葉を返した。
「私も姫も、既に月を捨てた身。月に戻ろうだなんて微塵も思わないし、未練も無い。
そもそもお尋ね者になっている私達が月に行けばどうなるかなど、玉兎であるあなたにもわかるはず」
「そ、その点でしたら綿月様達がなんとかしてくれます!!」
「だとしても月を捨てた私達が月に戻る道理も助ける義理も無い。――話は以上よ、これ以上食い下がるというのなら……宇宙空間に放り投げて塵にしてもいいのよ?」
「…………」
にっこりと微笑みながら上記の言葉を放つ永琳に、少女はぞくりと身体を震わせた。
今の言葉が本気だとわかったからだ、これ以上ここに居たら目の前の彼女は間違いなく自分の命を奪う。
……しかし、このままおめおめと月に帰るわけにはいかない。
「――お願い、します」
「…………」
「確かに、このまま戦ってもこちらが勝利するかもしれません。ですが……犠牲も大きくなってしまう、ですから」
「くどい」
その一言で、少女は再び黙ってしまった。
それだけではなく身体の震えも大きくなり、目には涙すら溜まってきている。
玉兎は月の世界でも最下級の立場の存在、おまけに臆病で自分勝手な妖怪兎だ。
だが、そんな臆病者が加減しているとはいえ永琳の言霊を受けても一向に逃げようとはしていない。
その点だけは永琳も評価したが、このままというわけにもいかず……。
「――なあ、永琳」
「? なにかしら、龍人」
「どうにか助けてあげられないのか? そりゃあ永琳と輝夜は月にとってお尋ね者みたいだけどさ……」
「さっきも言ったけど、私も姫も月には未練も無いし助ける道理も無い、余計な事に首を突っ込みたくないのよ」
「…………」
そう言われてしまうと、龍人としても何も言えなかった。
輝夜へと視線を向けても、永琳と同じ意見なのか「無理よ」と言わんばかりの表情で肩を竦めている。
だが永琳達には永琳達の立場と考えがある、それぐらいは龍人にだってわかった。
だから彼は2人を責めるつもりは無い、かといってこの少女をこのまま帰すのも忍びない。
ならばどうする? 暫し考え……彼の顔に、ある“決意”の色が宿った。
それを見た瞬間、紫は彼が次に放つ言葉が何なのかを理解し、苦笑を浮かべ。
「――だったら、俺が協力する。お前達の力になるよ」
予想通り過ぎる言葉を聞いて、おもわず噴き出しそうになってしまった。
「…………は?」
「俺は永琳より強くないけど、力にはなれると思う。それじゃあ駄目か?」
「な、何を言って……」
龍人の突然の提案を聞いて、少女は困惑している。
まあそれも当然だ、いきなりあんな事を言われれば困惑もする。
しかし龍人の性格を知っている紫は特に驚かず、寧ろ必ず干渉するとわかっていた。
困っている者を見れば、立場や種族など関係なく手を差し伸べようとするのが龍人なのだから。
「龍人、あなた本気なの?」
「なにがだ? 永琳」
「月の騒動に地上人のあなたが関わる必要性は皆無の筈、それなのに何故……」
そう、それが永琳には理解できなかった。
龍人は嘘偽りなど言っていない、本気で、心の底から月での騒動を止めようと協力を申し出ている。
だからこそわからない、そんな事をして一体どんな利益があるというのか。
無理もあるまい、会話を聞いていた紫はそう思わずにはいられなかった。
彼女の疑問は尤もだし、問いかけたくなる気持ちもわかる。
だが彼という人物を知っている紫にはその理由が理解できるし、当初は永琳と同じくキョトンとしていた輝夜も、今では納得したように笑みを浮かべている。
「――だって、困ってるだろ? それに輝夜達の故郷じゃねえか、友達の故郷がめちゃくちゃにされそうになってるのに、何もしないわけにはいかないよ」
「…………」
今度こそ、永琳の表情が固まってしまった。
口をポカンと開き、何処か間の抜けたその顔を見て紫と輝夜はおもわず噴き出しそうになってしまう。
やはりと言うべきか、彼の月に干渉する理由が自分達の予想通りのものであった。
――そう、ただそれだけなのだ。
龍人にとって友人である輝夜と永琳の故郷が地上の妖怪達に侵略されるのが我慢ならない、だから力になろうとする。
彼はそれだけの理由で充分動いてしまうのだ、余計な打算も何も彼には関係ない。
――なんという無垢で強く、そして愚かな考えか。
「――ふ、ふふ、あははははははははっ!!!」
耐え切れず、口を大きく開いて大笑いする輝夜。
瞳に涙を溜め、膝を折り、咳き込むまで彼女は笑い続けた。
心底面白いものに出会えたかのように笑い、それが漸く収まった後――彼女は息を乱しながら永琳に向かって口を開く。
「はー、はー……永琳、命令よ。龍人の力になってあげなさい」
「姫様?」
「私が良いというまで龍人を主と認め、彼の助けになりなさい。できるわよね?」
有無を言わさぬ物言い、決して拒否する事は許さぬと言わんばかりだ。
当然永琳は輝夜のいきなりの命令に面食らい、けれど輝夜の顔を見て……静かに頷きを返し、龍人へと視線を向けた。
「――龍人、月に行くのは少し時間が掛かるわ。でも今宵は満月……夜になってから、またこの永遠亭に来てくれるかしら?」
「えっ……」
「あなたを月に連れて行ってあげる。どうせ月に行く手段を考えてはいなかったでしょ?」
「あ……」
言われて、間の抜けた声を出してしまう龍人。
「八意様、月へ来てくださるのですか!?」
「勘違いしてもらっては不愉快だから言っておくわ、私が月に行くのはあくまで姫様が龍人に力を貸せと言ったから。勝手な希望を向けるのはやめて頂戴」
「ぁ…………はい」
「……輝夜、一体何を考えているの?」
楽しそうに笑っている輝夜に、紫は心中を問うために声を掛ける。
「だって面白いじゃない、さっきの龍人の言葉を聞いたでしょ?
あんな理由で月という地上の生物にとって未知の世界へと足を踏み入れようとしてる、しかもそれに対する不安など微塵も抱かずにね。
死と穢れから逃げ続けている私達月人からは理解できない考えよ、だから……その愚かで可笑しい彼の意志が、何処まで貫かれるのか見てみたくなったの」
「……あまり、良い趣味ではないわね」
「永遠を生きるのだもの、娯楽は必要よ? それに他にも理由はあるし……何よりも、私達を友達だと言ってくれたのが嬉しかったのよ」
きっと彼は、周りが反対しても意見を曲げようとはしないだろう。
実に面白い考えを持って生きている、だからこそ輝夜はそれがどこまで続くのか見てみたい。
穢れの中で生き続ける罪深き地上の民の、その可愛らしくもただ愚かな願い。
それを見てみるのも、永遠を生きる彼女にとって良い暇潰しになりそうだ。
■
「――というわけで、今夜月に行くぞ」
「…………はい?」
龍人の言葉に、藍はおもわず変な声で返事を返してしまった。
だってそうだろう、帰ってきた途端に上記の言葉を言われれば、変な声だって出てしまう。
「藍、理解できないでしょうけど、龍人は本気で言っているから」
「……一体、何があったのですか?」
「実はね……」
混乱する藍に、紫は永遠亭であった事を事細かに説明した。
さすがに話を聞いて驚きを隠せない藍であったが、主人の意向を汲み取りすぐさま準備をするために一礼をして部屋を後にした。
戦闘は絶対に避けられない、言葉での説得が通じる相手ではない以上、戦える準備は必要だ。
それを藍はすぐに理解してくれた、まだまだ尾も少なく若い妖狐だが、式としての彼女は現段階では充分過ぎる程の性能を誇っている。
「――やっと帰ってきたわね、紫」
「幽香……って、なんで疲れた顔をしているの?」
「……わからないかしら?」
額に青筋を浮かべ、怒りの形相で紫を睨む幽香。
そこで彼女は漸く思い出す、そういえばあのめんどくさいモードになった阿爾に拘束されていたのだったと。
なんだか今にも飛び掛ってきそうな幽香に、どうしたものかと紫は思考を巡らせる。
が、幽香は紫に襲い掛かる事はなく、けれどその口元に厭な笑みを浮かべ始めた。
……嫌な予感がする、そう思った紫に幽香はこう言った。
「月に行くって聞いたけど、当然私も連れて行くのよね?」
「……えっ?」
「退屈凌ぎになりそうじゃない。――連れて行くわよね?」
「…………」
違う、彼女の言葉は【お願い】ではない、【脅迫】だ。
瞳を細め、何処からか取り出した日傘の先端を紫に向け、上記の言葉を放つ。
どう考えても拒否したら命を奪うつもりだ、明確な殺意だってこっちに向けてくるし。
しかし困った、彼女を連れて行ってもしも月人とか地上の妖怪とか考えずに暴れ出したら……想像もしたくない。
とはいえこのまま無理ですなどと言おうものなら、月に行く前に体力と妖力を使い果たしてしまいそうだ。
目まぐるしく思考を巡らせる紫、どうにか打開策を探そうとして、その前に龍人が口を開いた。
「いいよ。行くか?」
「龍人!?」
「さすが龍人、話が早いわね」
「ただし、勝手に暴れ回るのは駄目だ。それが約束できないのなら置いていく」
「…………」
あからさまに不満そうな表情を浮かべる幽香、しかし龍人も一歩も退こうとはしない。
睨み合う両者、空気もだんだんと重くなり始め……先に折れたのは、意外にも幽香の方であった。
「――いいわ。でも敵と判断した者には決して容赦しない、いいわね?」
「ああ、それでいい」
ならいいわ、そう言って日傘を降ろす幽香。
「……ごめんな、紫」
「えっ?」
「今更だけど、勝手に決めたりしてごめん」
「いいのよ。貴方の突然の行動は今に始まった事ではないし」
「ぐっ……」
痛い所を突かれたのか、龍人は短い唸り声を上げた。
確かに勝手な事をしているのは認めよう、だが紫にとっても今回の月への外向はメリットが存在する。
もしも月人達の勝利に終わればこの地上に報復する可能性がある、だが自分達が月側に付けばその危険性を無くせるかもしれない。
そして、上手くいけば月にあるという高度な技術を得る事ができるかもしれない、それだけでも紫にとっては充分過ぎるメリットだった。
龍人は間違いなくこのような事は考えられない、だからこういう役目は自分が行わなければ。
「龍人、貴方は貴方の信じる道を歩んで。私はいつだって貴方の傍で貴方を支えるから」
「うん……ありがとうな、紫」
微笑む龍人、紫もそれに答えるように微笑みを返す。
そう、彼には自分の信じる道を歩んでほしい。
きっとそれが、この幻想郷を……そして世界を、変えてくれると信じているから。
■
「――なんだか増えてるわね」
時は進み、夜。
満月が地上を照らす竹林の中、永遠亭の中庭に集まった紫達。
幽香と藍の姿を見て永琳は上記の言葉を放つが、すぐに気にしない事にした。
「ところで永琳、どうやって月に行くんだ? 俺は紫の能力で行こうと思ってたんだけど……」
「それは無理よ。月の都には特殊な結界が張られているから、いくら紫の能力でも行けるのは“表”の月だけ」
「えっ、じゃあどうやって……」
「安心なさい。“これ”があれば“裏”の月に行けるわ」
そう言って永琳が取り出したのは、絹すら霞む美しさを見せる布であった。
月の光でキラキラと輝くそれは、見た目はただの布でも一つの芸術品を思わせる。
「これは“月の羽衣”、地上と月を行き来するために使用する月の道具。これで月の都に移動するわ」
「へえー……こんな布切れでなあ……」
とてもじゃないが、こんなもので月に行けるなど信じられない。
しかし永琳が嘘を吐く意味も理由も無い以上、事実なのだろう。
……やはり、月の技術は地上とは比べ物にならないほどに発展しているのは間違いないようだ。
「それで、いつまでこんな所に居るのかしら? 私、さっさと暴れたいのだけど」
「……紫、龍人、友達は選んだほうがいいわよ?」
「…………ご忠告、痛み入るわ」
「月の羽衣を掴みなさい、楽にしていればすぐに着くから」
永琳にそう言われ、全員が月の羽衣を握り締めた。
それを確認してから、永琳は何かの術を詠唱し始めて。
「えっ?」
気がついたら。
紫達は、見知らぬ不毛の大地に立っていた。
見渡す限りの不毛の大地、至る所には横に広がる大小様々な穴が開いている。
空は暗く、満天の星空と……見慣れぬ青い惑星が見えた。
「あれは……」
「あれは“地球”、あなた達……そして私達が暮らす青き惑星、月から見たのは久しぶりだけどやっぱり美しいわね」
眩しそうに地球を眺める永琳、輝夜も目を細め地球を見つめていた。
……美しいと、紫達の心はそれだけを考えていた。
幽香ですら、地球をこの目で見て心底見惚れている。
それだけ美しいのだ、そしてその美しい地球で生まれ生きている事が、なんとなく誇らしくなった。
「それにしても……座標がズレてしまったわね、綿月の屋敷に着くように設定した筈なんだけど……」
「いいよ別に、月の大地を歩くのもいい経験になりそうだし」
「観光に来たわけではないでしょうに……ところで、なんだか身体が軽いのだけれど?」
「月は地上の六分の一程度の重力しかないから、身体が軽くなるのは当然よ」
「? よくわかんねえけど、とにかく月の都に行こうぜ?」
そんな会話をしつつ、紫達は月の大地を歩く……ことはできなかったので、飛んで移動する事にした。
周りの景色を見渡す龍人、しかし何処を見ても不毛な大地が続き、彼は不満げに唇を尖らせた。
「なんか、月って寂しい場所だな……」
「ここは地球と違って大気が殆ど存在しないから、でも月の都には月にしかない珍しい植物が存在しているのよ?」
「植物? 花もあるのかしら?」
「ええ、花の妖怪であるあなたも見た事がないものがあるわよ」
(……私が何の妖怪なのか、言わずとも気づくなんて)
一目見た時から幽香は永琳を得たいの知れない存在だと思っていたが、どうやら自分の思っていた以上の存在だったらしい。
下手に手を出していい相手ではないと、彼女は改めて永琳に対しそう思った。
「そういえば、お前ってなんて名前なんだ?」
「…………」
龍人の問いに、玉兎の少女は何も答えない。
しかし永琳に睨まれ、ビクッと身体を震わせてから……仕方なしに自身の名を告げた。
「…………レイセン、よ」
「レイセン、かあ。それじゃあ改めて宜しくな? レイセン!!」
「…………」
龍人から視線を逸らす玉兎の少女、レイセン。
……どうも彼の視線は直視できない、自分と違って真っ直ぐだからだろうか。
どことなく気まずさを感じているレイセンであったが……突如として、その場で立ち止まってしまった。
「? レイセン、どうしたんだ?」
「……仲間達の声が聞こえたの、これ……悲鳴?」
「えっ?」
「玉兎はその耳でお互いに離れていても会話ができる能力があるのよ。――どうやら、近くで戦闘が発生しているようね」
レイセンの悲鳴という呟きから、永琳はそう予測した。
それを聞いた瞬間、龍人、そして幽香は同時に動きを見せる。
「レイセン、その場所わかるか!?」
「えっ? あ、うん……わかるけど」
「なら案内しなさい。今すぐに」
「え、え……?」
「早くしなさい、死にたいのかしら?」
「ひっ!? あ、その……あっちの方角から」
レイセンがある方向を指差した瞬間、2人は同時にその方向へと移動を開始し、レイセンは引っ張られる形で連れて行かれてしまう。
「ちょっと龍人、幽香!!」
龍人の行動は予期できたが、幽香も同じ反応を見せるとは予想外だった。
だが拙い、おそらく月人と地上の妖怪達が戦っていると思われるが、彼はともかく幽香は無差別に攻撃を仕掛けるかもしれない。
「……追いかけるしかないわね」
「まったく……!」
呆れつつも、紫達も彼等と同じ方向へと移動を開始した。
戦闘になる事は覚悟していたが、こうも早くそれが訪れるとは……。
とにかく今は彼等を追おう、そう考え紫は永琳達と共に月の大地を飛んでいく。
――自分達を見つめる存在に、気づかないまま。
To.Be.Continued...
楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。